451.『愛の告白』
魔法《リーディング・シフト》は別の次元に至った。
物語を終えて、また場面は変わる。
正確には、場面を移すという次元魔法の効果が解けて、現実に帰ってくる。
もう仄暗い深海の中ではない。
いつの間にか、移動していた。
時間も想像以上に過ぎていた。
魔法を使えば使うほど、距離感覚と時間感覚が曖昧になっていく危険性について、もう考えるのは諦める。
足元が柔らかい。浮遊感はなく、海水で服が重い。
そして、目の端から、光を感じた。
水平線がぼんやりと光り出した砂浜に、僕とセルドラは打ち上げられていた。
どちらも、精根尽き果てている。
セルドラは完全に『竜化』を解いて、黒髪黒目の普通の日本人のような姿だった。
僕も魔力を海月のように纏うことはなく、真人間そのもの。ただ、一本だけ、指から『紫の糸』が伸びている。
「はぁ……、はぁ……」
その最後の一本を、僕は息を切らしながら、切り離した。
これでセルドラは、誰にも人生を盗み視られることなく、自由に生きていけるだろう。
ただ、その『代償』は、思いのほか大きい。
確信したが、「星一つ」よりも「人一人の魂」のほうが広い。
いまの僕でも、精根尽き果てているのはそういうことだ。これから目指す『最深部』という場所では、レベル99がスタートラインだと理解する。
ただ、様々な苦労の甲斐あって――
セルドラの人生の根本である『古代の儀式』。
セルドラの人生の支えである『王竜』。
――二つは『改編』された。
「ガ、ハァッ……! ハァッ、ハァッ……」
セルドラは胃や肺の中に溜まった海水を吐き出して、代わりに空気を詰め込んでいく。
全力の振動魔法を長時間使用して、限界なのだろう。
痙攣する胴体を上下させているだけで、いまにも倒れ込みそうだった。
その疲れ切った身体で、セルドラは立とうと試みて――立てない。
故郷の少女に『声』を届ける為、一度屈した膝は動いてくれない様子だった。
仕方なくセルドラは、瞳だけをこちらに向けて、喋る。
もう通常の発声だ。
「ハァッ、ハァッ……。いまのは……、あいつ……でいいのか? 俺は、いま、あいつと話をしたのか?」
魔法《リーディング・シフト》の力の真偽を聞かれ、僕は深く頷く。
言葉ではなく、感じたことをそのまま信じて欲しかった。
「ほ、本当にか? ずっと俺が『セルドラ』だったのは、あの日にあいつが祈ったから……? だから、今日このときが来た? それとも、今際の際の『幻視』が、たまたま――」
これもセルドラの『生まれながらの違い』なのだろう。
理屈屋の彼に、僕はファンタジーを叩きつけていく。
「セルドラ、信じて欲しい。……少なくとも僕と彼女は、魔法の力を信じた。この〝誰もが幸せになれる魔法〟で、君の人生は変わったと。『呪い』の意味は変わり、『現在』の魂すらも変わり始めると。そう信じたから、魔法は完成したんだ」
「『現在』の魂が……? 変わるのは、『過去』じゃないのか?」
「次元魔法だと、『過去』と『未来』は同一の『現在』だよ。一つ変われば、全てが変わる。どこまでも、時間は地続きになっていて――」
「……くっ」
説明の途中、遮られる。
第三者でなく、大自然の介入だった。
――水平線から、朝日が昇っていく。
夜から朝へ。
昨日から明日へ。
過去から未来へ。
その象徴である陽光が射して、僕とセルドラは目を奪われる。
百聞よりもわかりやすい一見が、彼の網膜を焼き、目は細まった。
「ま、眩しい……、だって……?」
もう郷愁でしか眩まなかったはずのセルドラの目が、単純な光に反応していた。
その新たな感覚に彼は戸惑い、僕との会話は投げ捨てて、その『異世界』の朝に集中し始める。
「なんだ、これは……? 全然……、違う? 昨日、来たときと、全く……」
新鮮過ぎて、『混乱』もしている。
生まれながらに耐性の強かった彼にとって、それは初めての『状態異常』かもしれない。
セルドラは訳もわからず、近くの輝く海に手を伸ばそうとして、届かず――仕方なく、近くの砂を手で取り、口に含んだ。
ジャリジャリと噛み締めて、砂の味に目を見開く。
「あ、味は一緒だ……。空気も『魔の毒』も、何もかも、俺たちの世界と一緒だ。でも、全く違う……!?」
目を輝かせて、驚いていた。
地平線の彼方まで一杯のご馳走を見た子供のように。
「美味しい……で、いいのかこれは? 舌触りから、大地の歴史を感じる。俺たちのいた世界との地質の差が、はっきりと味わえる……。それを楽しめる……。なんだこれは……? なんなんだ、これは……!? 味だっ! 味がある! 『異世界』の食べ物ってのは、こんなに美味しいものなのか!?」
「あとで、もっと美味しいところに連れてってあげるよ。一緒に食べよう」
僕は『改編』の説明を諦めて、食事の約束をした。
まだまだ薄味だろうが、それでもセルドラには十分だったようだ。
「は、ははっ、はははは! こんなことありえるのか……? 変わったというよりも、これじゃあ人生への追記……。いや、もう魂の――」
魂の改竄じゃないか? という疑問が、セルドラの瞳には宿っていた。
しかし、すぐに僕は何もしていないと、首を振る。
今回、運命を変えたのは、二人の竜人が全力で、必死に、本気で生き抜いたからだ。それだけは、間違いない。
「セルドラ。きっと普通に楽しいことが、君の中で少しずつ増えていく……。『理を盗むもの』の君は、もっと報われるべきだから……。治るのは、これからだ」
「変わるじゃなくて、治る……? は、ははっ。これが、さらに治っていくのか?」
「幸い、ここには薬がたくさんある。この『異世界』で、少しずつ治していこう。僕の妹と同じように、君も不治の病じゃない」
そう励まして、僕は膝を屈したセルドラに向かって、手を差し伸べる。
そして、さらに誘う。
「楽しいことは、これからたくさん見つかる。だから、意味ある自殺なんて止めよう」
僕の手を見て、セルドラは迷っていた。
本当は拒否して、戦いたいのだろう。
しかし、先ほどの『彼女』を思い出せば、セルドラは戦うどころか――立つことすらできず、口を動かすしかなかった。
次第に、観念していく。
「あ、あぁ……、俺は……。本当は、普通の『幸せ』が欲しかった……。興味あったんだ。『後悔』もしてた。殺した従姉と同じ気持ちに、一度くらいはなってみたかったなって……。だから、『王竜』に似たやつを探し続けてた。最後には、どうしてか俺自身が『王竜』になろうとするくらいには、追い詰められていた……。『王竜』と再会して、やっと確信した。俺の本当の『未練』は、従姉の『楽しいことをしたい』だった……」
人生を整理し終えて、噛み砕き、飲み下し、認めた。
ただ、自分の本当の『未練』に気づいたからこそ、言いたいことがあるようだった。
「だが……、カナミ! どうして、あそこで俺を『魔石』に換えなかった!? さっきの場所で、俺の魂も一緒に連れて行けただろう!? おまえなら、できたはずだ!!」
「あそこで綺麗に本を閉じることは、確かにできた。……けど、あそこで一緒に消えるよりも、もっと『セルドラ』が報われる結末を、僕は書きたい。もっともっと『幸せ』になれる物語を、もう一冊。もう一冊の為に、セルドラに新しい『未練』が残るように、誘導した」
「は、半端なことを! 『理を盗むもの』というのは弱く、脆く、不安定で! またいつ俺は飽きが来て、追い詰められて、『最悪』なことをしでかすかわからないぞ! 絶対に後悔を――」
「そのときは殺すよ。僕が必ず魂ごと消すから、安心して欲しい」
「――後悔を……、あ、あぁ……」
セルドラは膝を屈したまま、呻く。
かつての従姉への圧倒的な敗北感で。
僕の魔法への圧倒的な信頼感で。
何もかも終わったことを痛感していく。
「あ、ぁあ……、こんなこと、駄目だ……。俺が死ぬときは、誰よりも『不幸』じゃないと駄目だ。『悪役』が救われては、いつまでも儀式は終わらない……」
「死んでも、『贖罪』はできないよ。君が世界で一番『不幸』に死んでも、彼らが『幸せ』になるわけじゃない。……生き返りもしない」
否定しつつ、セルドラがラスティアラと通じ合えた理由がわかる。
あの演劇好きの騎士ハインさんのように、彼も純粋に御約束を大事にする男だったようだ。だが、その願いは打ち砕いていく。
「大丈夫、ちゃんと殺された魂たちは救われる。君が僕を救ってくれたおかげで、これから全ての魂が救われていく。これから、僕が『世界の主』になって、世界を救う……。だから、本当にありがとう、『セルドラ』」
死者に『贖罪』はできないが、僕だけは別だ。
そして、自分の『役割』というものもわかってきた気がする。
ディプラクラさんの言っていた『世界の主』の真の意味も。
――さらに、それを利用すれば、永遠に果たせそうになかった僕の本当の『未練』を果たせるとわかってしまった。あの千年前の『幼くも賢い女王』のおかげで。
「カナミ! 皮肉はやめろ! これは俺の求めていた勝負と違う! 俺は救いじゃなくて、ただただ罰が欲しくて――」
「救いじゃなくて、『契約』だよ。これから先、君は誰よりも報われる。けれど、代わりに、僕と一緒に世界を救わないといけない。僕は『世界の主』になって、セルドラは『本当の英雄』になって……、たくさんのたくさんの魂を救っていく。そういう『僕との取引』なんだよ、これは」
持ち掛ける。
同時に、僕の手首から伸びた『紫の糸』による六本目の指が、開かれた本の上をなぞっては文字を紡いでいた。
ずっと頭の隅にあった『契約』と『計画』が、『並列思考』によって、自動的に書き込まれていく。
その光景を視て、セルドラは口元に歪な笑みを浮かべる。
「も、もうそこに書かれてあるのか? すでに俺は『英雄』として死ぬと、未来は決まってしまったのか? ……この『最悪』な俺が『英雄』に? それは、なんて……、なんて……! なんてことだよ! 『王竜』! 『王竜』、まだ聞いているか!?」
セルドラは嗤っていた。
ただ、笑ってもいた。
愉しいけれど楽しいという新鮮な感覚に襲われて、『混乱』は極まっていく。
「は、ははははっ、好きだったんだ! おまえが夢や理想を語るときの顔は、いつも綺麗で! その笑顔が俺の心の端に、いつも引っかかっていて! ついに、こんな! ははっ、こんな『契約』までしてしまうぞ! おまえだ!! 何もかも、おまえのせいだぁああぁああああああっははっ、ははははハハハハハッッ――!!」
セルドラは本音を吐き出し尽くす。
そして、最後の最後に出てくるのは、小さな小さな「ありがとう……」という家族たちへの感謝の声だった。
その相応しくない弱々しい声と共に、セルドラは屈したまま、僕の差し伸べた手を取った。
「頼む、カナミ。『俺たち』を治してくれ。あの日の『俺たち』に戻れるまで、どうか完璧に治して欲しい……」
「『契約』は絶対に守る。……代わりに、一緒に行こう。『未練』を果たした上で、さらに人生は報われていく。それが、僕たち『理を盗むもの』たちにとって、最上のハッピーエンドだったんだ」
「ああ……。治るなら、それで良かった。それが、良かったんだ……」
いま。
セルドラは完全に折れた。
愉しいことに怯えて逃げることも、楽しいことを探して迷うことも、もうない。
絶望的に飽き飽きする日々に蝕まれて、退屈で泣きそうになる夜も、もう来ない。
そのセルドラの手を引っ張り、立ち上がらせる。
そして、すぐに次へ――
「ただ、セルドラ……。次は、僕の番だ。そこで見守って欲しい。僕も、ここで治す」
視線をセルドラから逸らして、隣に。
僕たち二人がよく見えるであろう隣を見つめて、覚悟を決めていく。
「セルドラは本音で話してくれた。それに僕は本音で答えた。そして、それを『ラスティアラ』は聞いた」
目を凝らす。
凝らすのは眼球でもなければ魔法でもない。
『呪い』を凝らして、ずっと僕の隣にいる『ラスティアラ』を視る。
『…………』
ずっとラスティアラは黙って、僕たち二人を見守っていた。
目を逸らすことなく、信じ続けていた。
ここまでの『試練』を見て、ラスティアラは全てを悟っただろう。
セルドラに言ったことは、僕に通じることばかりだ。
ずっと僕が、苦しかった。
楽しいなんて嘘で、張りぼての〝幸せ〟でしかなかった。
こんなビターエンドじゃなくて、最上のハッピーエンドが欲しい。
もっと報われたいと、誰よりも僕が、願っていた。
ラスティアラが察したのを、セルドラも理解したようだった。
顔を伏せて、右手で顔を隠しつつ、謝っていく。
「ラスティアラ……? す、すまない……。信じてもらえないだろうが、俺が見たかった結末はこれじゃあなかった。カナミを追い詰めて、どん底だって認めさせて、そこから二人で這い上がるつもりだった……。だが、あぁ……、本当に……。本当にすまない……」
そして、そのセルドラが話しかけるという行為が、一つの契機となる。
もうラスティアラが黙って見ている理由はなくなり、ゆっくりと口を開いていく。
ただ、その表情は穏やかな微笑で、決してセルドラが恐れているような侮蔑や怒りは含まれていない。
『わかってる、セルドラ。まだ私は、セルドラもカナミも信じてるよ。そもそも、『理を盗むもの』はいつも負けてる人たちってイメージだから、そこまでガチで謝られると困るって言うか……、この私の声すらも届かないのが、ほんと困りものだよね』
その声がセルドラに届くことはない。
もう僕は代弁しないとわかったラスティアラは、少しだけ残念そうに――けれど、瞳から輝きを失わせることなく、信じ続ける。
『セルドラは、みんなに任せよう。たぶん、スノウとグレンあたりかな?』
仲間たちを信じ続ける。
そのラスティアラに僕は反論する。
「いや、いまのセルドラを『幸せ』にできるのは、千年前の犠牲者たちだけだと僕は思ってるよ。クウネルとかファフナーあたりだ」
『んー、そうかなー?』
どちらが正しいかはわからない。
だからと言って、いままで通りに「なら間を取って、両方ともに会わせようか」なんて軽口を叩ける空気ではない。
「…………」
『…………』
いま。
『元の世界』の砂浜は、非常に小ざっぱりとしていた。
余分なものは一切ない。
終わってしまったセルドラには悪いが、僕の視界にはもう『ラスティアラ』だけ。
薄暗い砂浜で二人きり。
ただ、そのラスティアラの表情は、余り芳しくなかった。
最後には、こうなるという予感があったのだろう。
いま思い返せば、僕も予感していた気がする。
――あの『告白』から、ずっと感じていたものが、いまはっきりと表に現れた。
元々『作りもの』の二人は、欠け合っている。
完璧に歯車が噛み合うように、意図的にずらされている。
「ラスティアラ……」
『カナミ……』
だから、話の始めに何気なく名前を呼び合うだけでも、互いの心臓は強く跳ねる。
両者とも頬を紅潮させて、『たった一人の運命の人』と話す。
「終わったよ。……で、ちょっと余裕ができたから聞くけど、初めて『異世界』に来た感想は、どう? そこが気になってるんだ」
『んー、綺麗! こんな形でやって来たからこそ、より綺麗に感じる』
さっぱりと答えた。
状況は最悪だが、それでも彼女は笑顔を失わない。
その姿に見惚れて、口を動かす。
「ああ、綺麗な海だ……。ラスティアラと一緒に、この景色をずっと見たかったんだ。前から言いたかったけど、初デートが迷宮なんておかしいよ。本音を言うと、こういうところでデートがしたかった。普通、追いかけっこするなら、こういう砂浜だ」
『いまからでも、する?』
「したい。でも、いましても一人だから、遠慮しとく」
笑って否定する。
そして、周囲の静かな漣の音に合わせて、意味のない雑談は打ち切る。
「……『異世界』で『冒険』して、やっと帰ってきた。その実感が、いま、少しだけしてる」
『うん、よかった……。ちゃんとカナミが故郷に帰れて』
「僕は全ての物語を終えて、『元の世界』に帰ってきた……。でも――」
視線を少しだけ逸らして、沖で浮かぶ黒い船たちを遠目に見つつ、自嘲する。
「でも、それを報告する相手が、どこにもいない」
『カナミには、家族が待ってると思うよ……』
「妹の陽滝は死んだ。それを父さんと母さんに、なんて言えばいい? 幼馴染の湖凪ちゃんにも合わせる顔もない」
嗤って否定する。
思い出すのは、とても懐かしい記憶。
いつも雨が降っていたような気がする。
昔住んでいた高層ビルの一室で、家族四人で過ごした思い出。
何度か見たことのある湖凪ちゃんの実家も、陽滝と二人暮らししたアパートも、もう知っている人は誰もいないだろう。特別、帰らないといけないような場所は一つもない。
「僕の知っている『元の世界』は、どこにもなかった。もう僕にとって、ここも『異世界』なんだ。『帰還』できても、僕は『異邦人』のまま、何も変わっていない」
『カナミ……。でも――』
「でも? ああっ、でもだ! でも、もしラスティアラがいてくれたら……! ラスティアラさえいたら、たぶん、胸を張ってられたんだと思う。誰が何と言おうと、「僕の帰る場所は『ラスティアラ』だ」って言い返せた……。きっと湖凪ちゃんも「色々あったけど、『たった一人の運命の人』だけは守り通したんだ」って報告すれば、褒めてくれたと思う」
荒々しく、ラスティアラの言葉を遮ってしまう。
でなければ、彼女は上手く僕を慰める。
僕がセルドラに軽々しく「辛いね」と言ったときのように、誰よりも僕の心を理解してくれる――からこそ、その『声』を跳ね除ける。
それが僕の本音だった。
「わかってるんだ。誰も褒めてくれないんじゃない。僕が、もう誰にも褒められたくないだけ……。当たり前だ。だって、僕は『たった一人の運命の人』を守れなかったんだから――」
あの『最後の戦い』を乗り越えて、僕は陽滝とラスティアラを失った。
それは喪失感だけじゃなくて、達成感や充実感も混じっていて、本当に複雑な気分だった。
人生とはそういうものだと痛感した。
何もかもが上手くいく物語なんて、そうそうない。
誰もが、何かを失っては、何かを手に入れて。
苦しくも、楽しくも、必死に人生を生きていく。
前へ前へ前へと、進むしかない。
だから――
これでいい。
これでいい。
これでいい。
と、そうずっと繰り返してきた。
…………。
けど、『反転』した音も、鳴り響く。
いいわけがない。
いいわけがない。
いいわけがない。
祝言と合わせて、呪詛も。
――これでいいけど、いいわけがない。
『矛盾』し続けていた。
「ああっ、当たり前だ……。僕は本当に最悪だった。勝手に両親を避けて、勝手に引き篭もって。妹の苦しみに気づけず、魔法を諦めて。両親を牢に追いやった上で、幼馴染を殺してしまった……! 『異世界』でもだ!!」
本音が。
止まらなかった。
誰かのせいで、もう僕の中には、堰とか蓋とかそういう便利なものはない。
「『異世界』で最初に会った女の子もたった一人の妹も、恋人も娘も、みんな……。みんなだ! みんな、もうどこにもいない! 僕のせいで!! それでも……? それでも、まだ笑顔でいろって……? ははっ、あはははは……、あはは。できるわけないっ!!」
話せば話すほど、乾いた笑い声が漏れる。
いくらでも『表皮』は、幸せそうな笑顔になれるものだ。けど、すぐに自分で叫んで、「嗤うな」と、その下手くそな『演技』を叱責する。
「もう何も無いっ、のに! 『夢』は続く! 『後悔』は続く! 『未練』は膨らむ! 生きていれば生きているほど、思う! 毎日、思う! 目が覚める度に……、最初に思う……!」
喪失感に続いて、絶望感が。
背徳感が、空走感が、無力感が、敗北感が、罪悪感が溢れる。
だから、『ラスティアラ』に向かって、懺悔するように祈る。
「もし、もっと僕が上手くやっていれば、誰も消えることなかったんじゃないかって思うんだ……。『理を盗むもの』たちも、もっともっと報われていたんじゃないかって思う……。もしかしたら、いまここに……! 僕の隣に! この『元の世界』に、みんなも一緒に来られたんじゃないかって! いまも、ラスティアラは生きていたんじゃないかって!! そう……、思ってる……」
いつの間にか、僕が膝を突いていた。
柔らかな砂浜で、居もしないラスティアラを前に、懺悔し続ける。
「その本当の『未練』があるから、何もかもが楽しくない。何をしてもつまらない。何を食べても味がしない。ただただ、続きの人生が、『最悪』だ……」
いつの間にか、涙が溢れて、砂浜に零れ落ちていた。
空いた左手で拭おうとしたら、たっぷりと掬えた。
驚くほどの涙が流れて、止まらない。
理由はわかっている。
最初から、限界だった。
「セルドラが教えてくれた……。ずっと僕は、倒れたまま。『試練』とか『未練』とか言われても、もうやる気がしない。どうでもいい。だって、どれだけ頑張っても、『ラスティアラの世界』が明るくなるだけで……、『僕の世界』は暗いままなんだから……」
鼻を啜り、泣きじゃくりながら。
僕も弱音を吐き出し尽くす。
「こうして、泣いているときだけは少し気分が紛れる……。でも、泣いている姿は『ラスティアラ』の物語に書き残すわけにはいかないから……。唯一、寝ているときだけが休める時間だった……。そして、こんな暗い『僕の世界』が、ずっと続いていくと思うと……。これから、本当に永い時間、このままだって思うと……、辛い。大丈夫なわけ、ない」
その跡に残っているのは、もう一つだけ。
『カナミ……』
「だって、『愛してる』」
空っぽの底にへばりついている感情。
それは粘度があって、熱が篭っていて赤く、ドロドロと這い出てくる感情。
顔を上げた。
『ラスティアラ』がいる。
『呪い』とわかっていても、救いの光が眩い。
神々しさで、涙が止まらない。笑顔が深くなる。愛しさで、這いずり進める。
無数の『紫の糸』が腕から伸びて、『ラスティアラ』を捕まえようとして――でも、触れられないから、勝手に飢えて『詠唱』が成立していく。体内の『魔石』から力を引き出して、星属性の魔力特性で、質量のない『ラスティアラ』の魂を引っ張ろうとする――それでも、『ラスティアラ』は遠いままだから、魔法の引力を強めようと口にし続ける。
「『愛してる』。『ラスティアラ』を、この世の誰よりも、『愛してる』」
それしか、ない。
『ラスティアラ』以外、もう何も考えていない。
けど、口は勝手に動く。
それっぽく、動く。
僕はそういうやつだ。
「『ラスティアラ』。おまえを『幸せ』にしたい。けど、それは僕が『幸せ』じゃないといけない。……わかってるから、『ずっと幸せに暮らし続ける』って物語を僕なりに考えて、続きを書いた……けど、この様だ。ごめん。才能がないんだ、昔から」
『……カナミは、才能ある! 私が見てきた誰よりも、私は好きで! 最高にかっこよくて、面白くて、楽しくて――』
そして、ラスティアラはこういうやつだ。
こんな僕でも、そう笑顔で言ってくれるから、好きになる。
僕も、ラスティアラが好きだ。
誰よりも好きだ。
死ぬほど、好きなんだ。
この好きって気持ちは誰にも負けない。
ラスティアラが僕を好きと思うよりも、絶対に……。
僕のほうが、ラスティアラが好きだ。
「『ラスティアラ』、『愛してる』」
『…………っ!』
四度目の『愛してる』を聞いて、ラスティアラは絶句した。
ここまで来ると、もう僕の内情は気づいているのだろう。
『狭窄』の果てに、頭の中には『ラスティアラ』だけしかない。
瞳も《ディメンション》も『紫の糸』も、何もかもが『ラスティアラ』だけしか映してなくて求めてなくて、会話も身体も思考も物語も、ほとんどが『並列思考』による全自動で、もはや『相川渦波』は『ラスティアラ』を求めているだけの現象で――
『わ、私もだよ。私も、カナミを愛して――』
「おまえのいない世界は、生きていても意味がない。死にたい」
笑って、伝えていく。
僕にとっての『たった一人の運命の人』とは、どういうことだったかを。
『愛』とは。『愛してる』の本当の意味は。そのずれを。
「いまこそ、僕の『幸せ』を聞いて欲しい。ラスティアラは英雄譚のような続きを求めていたのかもしれないけど、僕は片田舎で稲を刈るような続きでも十分に良かった。いや、それが一番良かった。……普通が、いい。特別なことは何も必要ない。ただ、普通に、おまえと一緒に――」
いま、ずれを合わせて。
言ってはいけないことを言う。
「ずっとラスティアラと一緒がいい」
『それは、私も――』
「生き返って欲しい。生きて、僕と一生一緒にいて欲しい」
何もかも終わり。
ただ、墜ちて行くのは、ちょっと清々しい。
「わかってる。それだと、僕たち二人の愛が本物だって『証明』が消えてしまう。けど、それでも、僕は生き返って欲しい。……だって、『ラスティアラを愛してる』。『たった一人の運命の人』に生きていて欲しい。って、そう願うのは、別に……、普通だって、僕は思う……」
『……カナミ』
「無理を言ってるのも、わかってる。たとえ生き返っても、一生一緒なんて『夢』みたいな話だ。僕は『次元の理を盗むもの』で、ラスティアラは『魔石人間』で、寿命には大きな差がある。――あはは。正直、これから先、どれだけ差が開き続けるのかも、予測がつかない。妹の力を引き継いだのだから、妹が怯えた以上の『永遠』なのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。……それでも、思うんだ。いや、だからこそ、思うんだろうね。もし僕の一生が永遠ならば、『ラスティアラ』にも永遠の一生を付き添って欲しい。『永遠に、ラスティアラと二人で、生きたい』。それが、僕の『夢』。永いからこそ、おまえがいてくれないと……、駄目なんだ。痛感した。どうか、永遠に死なないで欲しい。『お願いだから、一度もいなくならないで欲しい』。『時が永遠ならば永遠の間、ずっと隣にいて欲しい』。『ラスティアラ』がいないと、意味がない。何をしてても、楽しくない。嬉しくない。喜べない。生きている気がしない。『ラスティアラが生きていない世界に、価値などない』――」
本に書き続けては、何度も消しゴムをかけてきた想いが、心の底にたくさんへばりついている。
引き剥がすように、読み続けていく。
たとえ、それが『詠唱』と化していても。
『狭窄』のせいで『狭窄』して、『狭窄』し続けているとしても。
これは、書き足した張りぼての〝幸せ〟じゃないから。
全てが本気の『幸せ』だから、余さず読む。
「――だから、『ラスティアラ』。
『本当は片時も、この視界から出て欲しくない』。
『瞳の外に、一度たりとも、たった一歩も、たった一瞬も』。
『消えて欲しくない』。
『ずっと触れていたい。魂と魂が常に触れ合うような距離でないと、不安だ』。
『安心ができないから、この網膜に脳に魂に、ずっとおまえを映したい』。
『もっともっとおまえの姿を見て、焼き付けて、覚えておきたい』。
『足りない。おまえを思い返すのに、おまえとの思い出が足りなさ過ぎる』。
『本当に足りない。だって、たったの数ヶ月だ』。
『ほんの数ヶ月だけしか、おまえとの思い出がない』。
『デートなんて一度だけ』。
『おまえの着飾った色んな姿を、もっと僕は見たかった』。
『決して忘れないように、たくさんたくさんたくさん』。
『たくさん、恋人としてやりたいことがあったんだ』。
『異世界だけの話じゃない』。
『一緒に元の世界に戻って、異邦人ならではの楽しみがたくさんあった』。
『一緒に行きたい場所も、一緒にやりたいゲームも、本当にたくさん』。
『何でもない日常に少し魔法を足して、人生に彩りが出るはずだった』。
『科学と魔法を合わせるなんて大層なことは要らなくて』。
『ただゲームとかでちょっと魔法でズルをしたりして』。
『そんな他愛もない日々を、二つの世界で、おまえと一緒に過ごしたかった』。
『楽しみにしていたんだ』。
『あ、ぁあ、そうだ』。
『そうなんだ』。
『ずっとずっとそんな夢を見ていた』。
『できるならば、そんな夢が僕は見たかった』。
『その僕の夢には例えば……、結婚したいなって、そんなことも書かれてる』。
『ノスフィーが認めたラスティアラにこそ、お嫁さんになって欲しかった』。
『やっと普通に結婚式を挙げられて、千年前の色々なことに決着がついていく』。
『そこから先は、もう特別なことは要らない』。
『普通の人のように、普通に結婚して、普通の日常を過ごす』。
『そんな日常を、ずっと僕は思い描いていて、本に書きたかった』。
『でも、それはラスティアラの夢じゃなくて、僕の夢だから』。
『書けずじまいで、ずっと心の奥に閉まわれていた』。
『僕が書きたくても書けなかった続きを、いまここで聞いて欲しい』。
『それは何気ない日常の予定で、ほんの少しのお願いでもあるんだ』。
『できれば、毎日、眠ってる僕を起こして欲しい』。
『手を握って、ちゃんとそこにいてくれるだけで、いくらでも僕は頑張れる』。
『お返しじゃないけど、朝食は僕が作るよ。毎日、頑張って用意する』。
『できれば、流行りの家庭を大事にするお父さんってやつになりたいんだ』。
『だって、今度こそは……、立派な父親になりたい』。
『子供は、男の子と女の子の二人がいいと思う』。
『本当はサッカーチームができるくらいって言いたいけど』。
『ちょっと自信がない』。
『父さんと母さんのことを考えると』。
『それ以上を考えようなんて到底思えない』。
『それと、子供の名前はどうしようかって、ずっと悩んでた』。
『長女の名前がノスフィーだから、それに続くような名前をつけたいね』。
『長男のほうは、できればハインって付けたいけど……、それは駄目かな』。
『ハインさんかライナーから、一文字は絶対欲しいって思ってるんだ』。
『あの二人は僕たちの恩人で、仲人みたいなものだから』。
『勝手だけど、兄と弟みたいに思ってる。本当に勝手だけど』。
『生まれてくる息子には、あの二人みたいに』。
『立派な男を、目指してもらうんだ』。
『絶対に、二度と、僕みたいなやつは作らない』。
『きっとラスティアラと一緒なら、上手くいく。必ず、上手くいくから』
『だから、楽しみだ……。あはは、すごく楽しみなんだ……』。
『そう、こんな普通でいいんだ。このくらいの普通で……』。
『普通の日々が、僕は欲しくて』――」
星の魔力は増幅し続ける。
膝を屈しているだけで、砂浜どころか海の波さえも引き寄せ始める。
しかし、目の前の『ラスティアラ』は近づいてくれない。
だから、欲望のままに『紫の糸』は『ラスティアラ』を書くしかなかった。
本に砂浜に星に次元に世界に、至るところに文字を書き始める。
『ラスティアラ』で頭がおかしくなる前に、『ラスティアラ』で心が捻じ切れる前に。
『ラスティアラ』と書いて書いて書いて、書き吐き出していく。
「『ああっ、もう本に書かれてある』!
『ずっと、この胸の奥に、書かれていたんだ』!
『一日一日が、とても丁寧に、楽しそうに、夢見られて、書かれてあった』。
『日曜日は、ピクニックに行きたい』。
『時間をかけて、世界の綺麗な景色を見て回ろう』。
『海を、空を、草原を、世界の隅々まで観賞しよう』。
『動物を植物を、魔物を一緒に探して、楽しむんだ』。
『多くは要らない。けど、決めてはおきたい』。
『三百六十五日、何をするかを決めておけば安心できる』。
『元の世界でどんなふうに過ごすかを、最後の戦いが終わってから』。
『ずっと執筆してて……、溜まってる』。
『胸の奥には計画が綺麗に収まってる。それは本当に、単調な毎日で――』。
『月曜日は、大切な始まりだから、一緒に家を出よう』。
『目覚めてから、ずっと手を繋いだまま、玄関をくぐるんだ』。
『僕たちの仲良しっぷりを、世界中のみんなに見せつけよう』。
『火曜日にはカレーを作りたい。美味しいんだよ』。
『子供の頃、忙しい母さんが唯一作ってくれた手料理なんだ』。
『いまの僕なら、一グラムの狂いなく再現できるから楽しみにして欲しい』。
『水曜日は鍛錬の日だ。流石に、いつまでも日常だけを送れるとは思っていないから』。『いつかやってくる邪魔者たちを退散させる準備は必要だ』。
『終わり際には、いつかの魔法だけの決闘をしよう』。
『気持ちよく汗を掻きながら、楽しく強くなれると思う』。
『木曜日は、あえて何もしないんだ。ただ静かなだけの時間を、大事にする』。
『何かをしないといけないとか、誰かと話さないといけないとか』。
『そういうのはなし』。
『追われるような毎日は、異世界だけで十分だ』。
『金曜日は、二人で一緒にキッチンに並んで、料理しよう』。
『創作料理に挑戦するのも、土日に食べれられる大容量の鍋系でもいい』。
『とにかく、特別な料理を二人で時間をかけて作りたい』。
『土曜日は、ディアやマリアやスノウたちと一緒の時間だ』。
『仲間たちとの時間は大切だからね』『楽しい週末になると思う』。
『金曜日にみんなの分の料理も作っておくと、きっと喜んでくれる』。
『ああ……』。『あはは』『あはは』『あはは』。
『あはは』『あはは』『あはは』『あはは』『あはは』。
『三百六十五日、決まってるんだ』。『きっと楽しい毎日だ……』。
『そして、寝る前には……』『できればだけど、キスして欲しい……』。
『ちょっと恥ずかしいけど、それが理想なんだ』。
『理想の父さん母さんの姿だった』。
『二人はキスして眠って、朝まで隣同士、手を繋いでいて欲しかった』。
『だから、キスして眠って、朝まで隣で手を繋いでいたい』。
『本当に恥ずかしいけれど、そんな日々を、ずっと夢見ていて……』。
『もう何年分も書き溜まっている』。
『それは、僕がお爺ちゃんになるまでの物語』。
『それは、ラスティアラがお婆ちゃんになるまでの物語』。
『いつか死が二人を別つまで……じゃなくて、もちろん、死後も離さない』。
『たとえ魂だけになっても、僕たちは一緒だ』。
『輪廻転生を繰り返して、終末に辿りついても、ずっと離さない』。
『ずっとずっとずっと』『魂が消えても、一緒』。
『無になるとか世界が終わるとかも、僕たちには関係ない』。
『何があろうとも、ラスティアラとは一緒にいたい』。
『一生一緒にいて欲しい』。
『当たり前だ』。『普通はそうだ』。『誰だってそうだ』。
『想いは一緒とか』『魂は共にとか』。
『そんなこと言われても、足りない……』。
『全然足りないんだ……』!
『実際に、隣で』!
『生きて』! 『生きて』『生きて』『生きて』!
『生きて、笑っていて欲しい』!!
『ラスティアラには笑って欲しいんだ……』。
『僕の恋とはそういうことだった……』。
『僕の愛とはそういうことだった……』。
『ただ、ラスティアラと一緒がいい……』。
『特別なことは、何も要らない……』。
『ただただ、一緒に、生きたい』。そんな――」
泣いているまま、笑顔を作って。
『次元の理を盗むもの』カナミとして、ささやかな願いを零す。
「――そんな、普通の『幸せ』が、僕は欲しい」
それはラスティアラと同じようで、ずれている。
やっと王道正統派のヤンデレ描写ができた気がします。
他の子たちは奇をてらった恋愛描写が多かったので、少し感慨深い……のですが、すみません。来週の投稿はお休みです。
季節の変わり目+この『Web9章の告白』と『書籍7-1章の告白』を交互に書き終わって、中々に負担が……。明るいところまでラッシュしたいのですが、本当にすみません。




