450.〝めでたしめでたし〟
「〝――その『悪竜』という名こそが、最初の取引となっていた。
ゆえに『古代魔法』。
至る経緯は違えども、後に『異邦人』が創り出す『呪術』と同じ仕組みだった。
ありとあらゆるものを『代償』として、不相応の力を得る。
幼少からの儀式を始めとして、全てだ。
古代の『竜人種』たちは、歴史から学んでいた。
こうすれば、魂に『呪い』が降りかかるということを。
儀式という手順を踏めば、科学的に『呪い』を選べることも。
この儀式で少年に与えられるはずだった『呪い』は、『適応』。
それが憎き『邪神』を屠るために、最も合理的な『呪い』であると、古代の里の賢者たちは判断したのだ。永遠に『適応』し続けることで、いつしか竜人の末裔は、「神殺しの毒の刃」と化す。
一族の叡智を集結させた『悪竜の儀式』。
それは論理的で、意図的で、実証的だった。
だが、その『呪い』を選ぶという行為が――
後世にて、同様の発想で『理を盗むもの』たちは生まれていく。
使徒たちは考える限り、最善だった『忘却』『自失』を選んだ。
研究者たちは考える限り、最良だった『魅了』『死去』を選んだ。
ただ、その目論見通りに『呪い』が活用されたことは一度もない。
――賽を振らずに選べば、必ず裏目に出る。
その世界の理は、この黒髪の少年も同じだった。
あらゆる儀式を終えて、誰もが納得する『悪竜』らしくなったとき、その裏目が露見する。大事に育まれてきた少年は神に挑むことなく、生まれ故郷である『智竜の里』に牙を向く。その理由は、とても単純で――〟」
「里の洗脳に、慣れた。だから、『適応』し切る前に、逃げようと思った」
だから、『智竜の里』は燃えている。
セルドラが理由を説明すると同時に、また場面は飛んで、里の滅亡の瞬間と僕たちは対面していた。
焔が立ち昇る。
赤い筆が空を乱暴に染め上げて、暗雲すらも覆う黒煙が充満していく。
黒い石の家屋は全て崩落して、瓦礫の山となっていた。高熱で溶かされて、溶岩の川となっているところもある。
壊し方に悪意があった。
もう二度と、この場所が蘇ることはないようにと、念入りな破壊がなされている。
終わりの音色が聞こえてくる。
荒ぶ焔と荒ぶ風がぶつかり合う轟音。
ゆっくりと溶岩が流れては泡立つ音。
乾いた立木が燃えて倒れ、内部で水分が爆ぜる破裂音。
混じり合い、独特な旋律が奏でられていて、生命の音だけは聞こえてこない。
滅び終わった里。
その中央の広場で、僕とセルドラだけが立っている。
朗読する僕に向かって、かつて少年だった男が遮るように話す。
「神殺しとか、俺には知ったことじゃなかった。ムカついた。だって、そうだろ? 一族の為に、竜人の支配を取り戻す? 『最強』の種族としての威厳を、全ての生物に示す? それって、俺に関係ない話だろ……。って、そう思った。ただ、俺は好きなことがしたかった。俺らしく、欲望のままに、人生を面白おかしく、普通に生きていきたかった。そのささやかな望みを奪おうとするなら、逆に奪い尽くす以外に方法は知らなかった。だから、そこから先は、単純な生存競争だ。……俺は生まれながらに誰よりも強かったから、迷いもしなければ、梃子摺りもしなかったな」
話しつつ、当時の自分を振り返る。
とても冷静に分析して、里の出入り口らしき場所を遠目に見つめていた。
「邪魔するやつらを全員食い殺して、俺は自由な外の世界に飛び出た」
そこから去ったのだと、セルドラは指差した。
だから、この惨劇をもたらした者は、もうここにはいない。
僕は耳を澄ますのを諦めて、目を凝らした。
黒こげとなった大人の竜人の死体がたくさん転がっている。
中には、獣に食い荒らされたかのような死体もある。
セルドラは絶滅させた里から目を背けて、さらに遠くを思い出深そうに見つめ続ける。
「山奥だったから、中々人里まで辿りつけなかったな……。というか、そもそも例の暗雲で、どこもかしこも滅びかけだった。北の地を彷徨って、数年くらいか。ガキの癖に賊の頭になったり、なんとなくでそいつらを全員食い殺したり……、とにかく、その日の気分で好き勝手やった。ただ、手当たり次第楽しんでいく内に、すぐに異常に気づいた。本当に、すぐだった。あの『智竜の里』の儀式の『呪い』が、歪んだ形で俺に降りかかってるってな……」
魔法《リーディング・シフト》で読むよりも先に、セルドラは自分から人生を明かしていく。
それもまた朗読のようで、先んじて用意していたかのような台詞だった。
「さっきも言ったが、俺は飽きるのが異常に早かった。周りには、ちょっとした『病気』だと、笑って誤魔化したが……あれは、間違いなく滅んだ故郷の『呪い』だった。里のやつらの絶対に俺を逃がさないって呪詛の声が、地の底から聞こえるような気がした。俺は『呪い』を解く方法を探して、イラつきながら、当たり散らしながら……、旅をした」
間違いなく、セルドラは『過去視』対策として、自分の記憶を限界まで整理して戦いに臨んでいる。
僕と対峙する以上、それは当然の対策だろう。
ただ、その抵抗は、僕が軽く突くだけで――
「その果てに、あの孤児院に辿りつくんだね。名前のない『魔人』の一人として、『風の理を盗むもの』ティティーと出会う」
「ああ……、『統べる王』と出会った。紛れ込んで接していくうちに、運命の出会いだと思った。一緒に居ると、本当に飽きなくてな。色々やり直せるとも思った。どうしてか、こいつとなら俺は変われるような気もして、けど……」
言いよどんでしまった。
容赦なく僕は、その隙間に朗読を入れる。
「〝――気づけば、少年は北の国々の『総大将』を任されていた。
新鮮で楽しいものを求めていくうちに、どうしてか、『悪竜』とは真逆の『英雄』にまで上り詰めていたのだ。
だが、長くは続かない。
故郷の『呪い』によって、飽きがやって来るのだ。
あんなにも楽しかった『英雄』が、恐ろしい速度で色褪せていく。
価値がなくなっていく。
すぐに、愉しいのは弱者を甚振るときだけとなった。
周囲から『英雄』として褒め称えられる一方で、敵という敵を残忍に殺して、嗤う。少年は他人の不幸を嗤う自分が嫌いだったが、虐殺している間は気分が紛れた。
誰よりも前線に出た。
『魔人』たちの代表として、『人』を殺して殺して殺して回った。
しかし、その北と南の戦争は、たった数年で停滞し始めてしまう。
『統べる王』『宰相』『総大将』の力が、圧倒的過ぎたのだ。
だから、また少年は逃げ出す。
少しだけ大人になったからこそ、故郷と違って、本当に逃げるしかなかった。
北の『総大将』でありながら、尤もらしい理由をつけて姿を消す。
でなければ、守るべき北の地で、自分の『最悪』な趣味が爆発してしまいそうだった。
少年は『悪竜』から逃げて逃げて逃げて、自らの『病気』に効くものを探して回って、とうとう辿りつく。南の辺境の地、ファニア領にまで――〟」
「俺が……、『悪竜』から逃げ続けていた? 確かに、そうか。どうにか、あのくだらない命名の儀式をなかったことにできないかと、色々と試して回って、おまえの開発した『呪術』を盗んだりしたよ。……最後には、ゴースト混じりの『魔人』に、名前を押し付けようとした」
セルドラは僕の朗読に、少しだけ違和感を覚えたようだ。
それが今回の魔法《リーディング・シフト》の核心であると悟られる前に、僕は共通の友人の名前を出す。
「それが『血の理を盗むもの』の代行者、ファフナー・ヘルヴィルシャイン……。もう僕と陽滝がやってきた時代だね。あのファニアの賢い少年が、僕のせいで『魔人化』実験に遭った頃だ」
「ああ、あの事件の生き残りだな。……あいつは、本当にすげえやつだった。あんなに悲惨な目に遭いながらも、本気で全ての『魔人』を救おうとしていた。こんな俺にさえも「信じていれば、いつかは救われる」って言ってくれんだぜ? いいやつだった。『本当の英雄』ってのは、ああいうのを言うんだって思ったよ。教えれば教えるだけ、何でも吸収していく天才少年で……、『統べる王』と同じくらいに、あいつには惚れこんだな……。ただ、本当に惚れこんだからこそ、地獄に落ちるのが見たくもなった……」
セルドラは自らの『最悪』な趣味を語る。
包み隠せば、もっと鋭く魔法《リーディング・シフト》で朗読されるとわかっているのだろう。
その受け入れがたい部分を、自分自身で認めていくしかなかった。
「何もかも、限界だったんだ。……このときの俺は、俺の愉しみの為なら、世界を滅ぼしてもいいとさえ思っていた。『総大将』なんてものを続けて、あっちこっちから『英雄』の目で見られていく内に、もう何が正しくて、何がタノシイことかも、わからなくて……! 急いで、『最深部』に向かった! もう遊びでも、気晴らしでもなかった! 伝承通りに世界樹を辿り、邪魔する使徒をぶっ飛ばして、ノイ・エル・リーベルールってやつに会いに行った! あの故郷に伝わる『邪神』なら! 大陸に伝わる『碑白教』の神様なら! きっと俺を殺してくれるか救ってくれるだろうって、友の言葉を信じて、向かったんだ――」
「けど、そうはならなかった」
「ああ……。ノイのやつ、俺を見た瞬間に、降参しやがったんだ。それで、ずっと歪んでた儀式が、ここに来て完遂される。ノイは俺に完全な『適応』を渡して……、力がありすぎて困ってる俺に、どんな力でも与えるって言いやがった……。与えることしか出来ないから御免なさいとも……、言いやがった……」
セルドラは思い出して、口元を歪ませていた。
肩を揺らして、とてもつまらなそうに、くつくつと喉奥から声を漏らす。
人生で最も限界だったのは、このときだろう。
あらゆる許容量を超えてしまって、名実共に『理を盗むもの』の仲間入りを果たしたはずだ。
「それから、世界樹から戻ってきて、すぐに俺はファニアのゴースト混じりに『悪竜』を押し付けた。それでも、『呪い』からは逃げられなかったけれど……、新しいファフナーが苦しんでいるのを見て、俺は愉しんで、嗤っていたな……。敵地の南で自分を慕う子供を地獄に突き落としては、そ知らぬ顔で北に戻って人助けをしては『英雄』として讃えられる……。本当に、『最悪』だった」
嗤い続ける。
『最悪』なのは気分でなく、自分自身のことだろう。
鏡の前で何度も見たことがある顔をしていた。誰よりも自分が嫌いで、変わりたくても変われなくて、生きていることが苦しい表情だ。
「あれから、俺は何も変わっていない。いや、より酷くなった。かつての『最悪』にさえも慣れて、飽き始めている。もっと恐ろしい『最悪』を、俺は愉しみたがっている。念願の『異世界』に来ても、魔法と科学の融合くらいじゃあ愉しめなかったのは、そういうことだ。そんなことよりも、『異世界』と『元の世界』を地獄に変えるほうが、ずっとずっと愉しいんじゃあないかって……、そう本気で、考えてしまったから……、だから……」
セルドラは両の拳を握り締めて、自らの胸を恨むように叩いてから、僕を睨みつけた。
『智竜の里』の物語の終わりに待っている少年の姿を見せ付けて、訴えかける。
「いますぐ、魔法を止めろ、カナミ……! こんなやつを救うために、その魔法は使われるべきじゃない! 救うべき『理を盗むもの』は、俺じゃなくておまえだ! これから世界を救うおまえこそが、まず救われるべきなんだ! きっと、その為に俺は生きてきた! 世界を救うおまえを救って、初めて俺は『悪竜』から逃げ切れる! やっと俺はみんなと同じように、一人の『魔人』として死ねる!!」
死ねる。
本音の果てにセルドラは、そう吐き叫んだ。
まるで、僕を救ったあとは、一人で自殺するような物言いだった。
事実、目的を果たせば、すぐ死ぬ気なのだろう。
その気持ちが、僕には痛いほどわかる。
セルドラが『未練』を叶えることなく、力尽くに消滅されることを望んでいるのは、その強い罪悪感が理由だ。
ここまで読まれた物語の中で、セルドラは悪行を積み重ねてきた。だが常に、そのあとに人助けを繰り返している。そんなことをしても、理不尽に殺された魂たちに『贖罪』なんてできるはずない。そう理解しているけれど、何度だって『贖罪』を繰り返し続ける。
卑怯でも、心を食み続ける罪悪感から、逃れる為に。
正確に言えば、『悪竜』という生まれから、逃れる為に。
永遠に逃れられないものから逃げ続けるセルドラを前に、僕は頷けるわけがなかった。『理を盗むもの』たちに自分を重ねているからだけじゃない。あの妹の兄として、放っておけはしなかった。
「魔法は、止めない。僕は『セルドラ』の『未練』を果たす」
「カナミ! 俺は他の『理を盗むもの』とは違う! 手を差し伸べる価値はない! もっと報われてもよかったのは、俺以外だ! 俺のもっと愉しいことがしたいなんて、最低な『未練』は叶える必要がない!!」
「――違う。僕が言ってるのは、その『未練』のことじゃない」
ぴしゃりと、否定した。
その理由を、『無の理を盗むもの』となったときに見失ったセルドラの為に、僕は説明していく。
「ずっと『セルドラ』の祈りが、僕の耳に届いている……。この『智竜の里』を読み始めてから、ずっとだ」
「……は? 『セルドラ』の、祈り?」
僕はもう、『無の理を盗むもの』セルドラ・クイーンフィリオンの『未練』を叶えることに拘っていない。
本人が望んでいないのに叶えようとしても、より拗れるのは経験でわかっている。
もし望んでいない人に救いを押し付けることができるのなら、いま僕はこんなことになっていない。
救えるのは救って欲しいと願った相手だけだと、誰よりも痛感しているからこそ、この『智竜の里』から聞こえる『声』は無視できない。
「この『智竜の里』には、異常な数値の『素質』を持つ子供がもう一人いた。……それは生まれながらに『悪竜』と肩を並べた蒼い髪の女の子。いつも黒髪の男の子の隣には、その『王竜』がいた。――そして、彼女こそが、全ての原因。何千年も続いた『古代の儀式』を歪ませて、一つの血の歴史を終わらせた『最悪』の竜人。その賢き少女の『声』は、千年後の『次元の理を盗むもの』まで届いている。誰よりも『邪神』の魔法の力を信じていたからこそ、彼女は『過去視』する者に向けて、遺言を残していた」
「な……、何を、言って……」
「何を言っているのかは、これから読むよ」
もう『王竜』の頁は開き終えている。
セルドラが自分から語ったことで、その『行間』は読み飛ばされてしまった。
だが、この魔法《リーディング・シフト》は、大切な『行間』を逃さない為の魔法だ。
ただ、『過去視』するだけじゃない。
取りこぼした想いを集め直して、全ての『理を盗むもの』を終わらせる為の魔法だ。
捲られた頁に、僕は視線を落とす。
それは千年前の終わりでもなければ、千年後のいまでもなく、ちょっとした『日常』の物語。
「〝――『智竜の里』の日常。
子供たちが新しい名前を授かってから、歳月は流れて、さらに里は活気付いていた。
そして、里の中央にある広場では、立派に成長した二人の竜人が力比べをしていた。
『王竜』と『悪竜』。
子供ながらに大人たちの力を超えてしまった二人は、もはや鍛錬する相手が互いしかいなかった。ゆえに、こうして模擬戦という形で、その力を比べ合う。
ただ、その戦績は酷く偏ったものだった。
広場に倒れ伏した女の子に向かって、黒い髪の少年は嘲り嗤う。
「――くっ、くははっ! 今日も、俺の勝ちだなぁ! いつになったら、この雑魚は俺に勝てるんだ? なあ、聞いてるのかぁ? 『雑魚竜』ちゃんよぉ?」
「……くっ!」
蒼い髪の少女は、悔しげに唸る。
幼名の『里の一幼竜』を利用した蔑称で呼ばれるのは、王の名を授かった彼女にとって屈辱的だった。しかし、言い返せない。今回の模擬戦は、格下である彼女自ら願い出たものだった。時間を割いて貰っている立場である以上、その嘲笑は代金として払うしかない。……のだが、いつも少女は我慢しきれずに、口から短い悪態が零れる。
「……君が卑怯な手さえ使わなければ、結果は違った。次は、必ず私が勝つ」
「くははっ! 敵が卑怯な手さえ使わなければ、かあ! それは嗤える! おまえが勝てば、何でも願いを聞いてやるって約束だったが、この調子じゃあ一生無理そうだな。いまんところ、俺の全勝零敗だ。数えやすくて、助かるぜ」
隙あらば、少年は全力で相手を貶していく。それは『悪竜』としての性であり、愉しみだった。だが、少女側にも同じく『王竜』としての性があり、言葉があった。
「『悪竜』……。もう無闇に他の里を襲うのは止めたほうがいい。時間があれば、近くの里を殺して回っても……、恨みを買うだけだから」
「ハァ……? 何言ってんだ? まず、このクソみたいに辛気臭い空を見ろよ? もうそういう時代なんだ。なにより、大人たちは他の里を滅ぼすのを推奨してるぜ? この俺の圧倒的な暴力を世界に知らしめることで、助かる『魔人』たちもちゃーんといるんだぜ? 最近、弱小の混じり共は、『人』に虐げられまくってるらしいからなぁ」
「それは建前で、ただ君は殺しがしたいだけでしょ」
「ああ。もちろん、そうだ。殺すのは、すげえ愉しい。ただ、こればっかりは俺が『悪竜』だからじゃねえだろ。単純に、生存競争ってやつだ。生物として強くなるために、食らうことの何が悪い? 俺たちは、この世で最も強く、欲深き種族竜人様だぜ?」
少年は成長して、よく口が回る男となっていた。伊達に『智』の家に生まれた一人息子ではない。
暴力だけでなく、相手の心を言葉で陵辱する方法もよく理解していた。
理詰めで追い詰め続けて、相手が口ごもるのを、特に好んでいた。
「……普通に、楽しく、生きていこうって思わないの?」
「だから、愉しいって言ってんだろ。俺は誰よりも愉しく、生きてる。こうして、おまえをボコボコにするのも含めて、いまこのときが、最っ高ーに『幸せ』な時間だ」
「私の言う『楽しく』っていうのは、誰かと幸せを共感すること。君の言う『愉しく』っていうのは、誰かの不幸を食いものにすること。……全く違う」
少女も一方的に言い負かされるばかりではない。
同じ『智』の家の出だからこそ、いつも負けじと言い返そうとする。
「そのくらいは、わかってるとも。でも、仕方ないだろ? 他人の不幸の味は、甘いもんだ。いまさら、悪いことは止めましょうってか? 流石、『王竜』様は言うことが一味違うな。一族の未来を、よく憂いていらっしゃる」
「そうじゃない。私たちは生まれながら、『古代の儀式』の実験に利用されて、歪まされて……。『悪竜』はたった一人で、ずっと誰も共感できる相手がいなくて、楽しいこと一つもわからなくて……、そんなの……」
彼女は儀式に思うところがあった。
ただ、それを少年は一刀両断で切り捨てていく。
「だから、無理だっての。そもそも、俺は最初から『最後の一人』になっても怖くないように出来ていた。だから、選ばれた。おまえも同じで、生まれたときから『王竜』だ。将来の王を約束さるような『生まれも待った違い』は、絶対だ。直せやしないし、変えられやしない」
日常の中、よく二人は話し合っていた。
この頃、『悪竜』は誰よりも竜人らしく、『王竜』が誰よりも竜人に似合わない言葉を使っていた。
「ううん。この『生まれ持った違い』ってやつは、変わるよ……。でなければ、いつか薬を使ってでも、治せばいい。ここじゃない遠くどこかでなら、きっと……」
「治す? 病気みたいな言い方をしたな。いや、そこは重要じゃないか。『生まれ持った違い』を変えるなんて、とにかく無理だ。不可能だ。これは『世界』との取引で、理は不変だって話を、ジジイ共から聞いたろ?」
「あの話を信じるなら、『世界』は一つじゃない。口伝の中だけでも最低一つ、『異世界』があった。こんなに狭い里じゃなくて、もっともっと遠くの『異世界』まで飛び出せば……。自由に、どこまでも、飛んでいって、彼方の『異世界』まで、逃げきれば、そこには……!」
きっと、可能性はある。
世界が無限に広がっている限り、不可能と言い切れはしないと、少女は信じていた。
ただ、それは少年にとって、頷ける話ではない。自らの悪辣さは誇りだ。治すなんて、考えられない。この里は、まるで天国だ。『異世界』なんて飛び出す必要はない。
馬鹿なことを言う少女を、正論で叩き伏せてやってもよかった。
しかし、彼女の提案の中に、唯一つだけ惹かれた言葉があった。
「逃げたら、か。確かに、秘蔵っ子の俺がいなくなれば、この里のジジイやババア共は絶望するだろうな。くははっ、それはちょっと愉しそうだ」
いつも上から目線で相手を説き伏せることしかしない少年が、一歩譲った。
生まれながらずっと一緒だった少女にとっても、それは初めての経験だった。
少しだけ希望を抱いて、彼女は聞く。
「……逃げたなら、その先で何する?」
「何って、そこはいつも通りだ。俺は誰よりも強いから、誰よりも勝手に愉しむ」
「逃げたら、時間は一杯ある。偶には、『悪役』じゃなくて、『英雄役』もきっと楽しいと思う」
「『英雄』って、俺がか? それはおまえだろ? ここで、おまえがなればいい。それが種を統べる王の役目だ」
「…………」
ただ、続く会話は上手くいかなかった。
思いは通じなかった。
このとき、本当に逃げたがっていたのは『王竜』で、遠回しに「一緒に行こう」と提案されたことを、少年が気づくことはなかった。
里で唯一頼りになる少年が、世界で一番思い通りにならないことを恨みながら、少女は最後に提案していく。
「……なら、こういうのは? 『悪竜』が『本当の英雄』を騙る。なんだか、ちょっとわくわくしてこない?」
そして、少女から、真の邪智が授けられていく。
徐々にだが、儀式の歪みが大きくなっていく。
「『英雄』を騙る……? へえ、それは悪くないな。……まっ、いつか殺しに飽きたらな。考えといてはやるよ」
「本当に、今日は譲ってくれるね。でも、考えてくれてありがとう、『悪竜』――」
そんな会話があった。
大人たちの目の届かないところで、二人だけに交わされる提案や約束があった。
だから、あの里の滅びが、やって来る。
『智竜の里』の儀式に飽きた『悪竜』が、自分の役目から逃げ出そうとする。里に『適応』するのではなく、『逃避』を選んでしまう。当然ながら、その『逃避』を里の大人たちは許さない。
代々続く血の悲願ゆえに、許せるわけがなかった。
ただ、それは『悪竜』側も同じだ。
生まれながらに誰よりも欲深かったからこそ、受け入れられるわけがなかった。
『智竜の里』は全ての竜人を総動員させた。
血族の希望である少年を絶対に逃がさず、捕らえようとした。
大人も子供も問わず、全員だ。
全員が敵だと、少年に認識させた。
そうなれば、あとはいつも通り。
少年は『悪竜』らしく、里を食らい尽していく。
そう生まれて、そう生きてきたから、そうすることが人生であり、そういう『代償』となっていた。
昨日まで一緒に暮らしていた家族や友人たちを殺した。
そっ首を刎ねては、噴出す血を啜って。
心臓を素手で抜き出しては、丸ごと食らって。
魂を砕いては、新鮮な『魔の毒』を体内に取り込んでいく。
代々受け継がれてきた『魔力変換の儀式』だった。
その儀式が、立ち塞がる敵への礼儀だと、彼は学んでいた。
だから、最後に最も親しかった『王竜』の少女が立ち塞がっても、腹の底から嗤って、歓迎できる。
「――ああっ、かははっ! 待ってたぜ。やっぱり、最後はおまえだよなぁ」
「……私も待ってた。たぶん、この日が来るのを、生まれたときから――」
それが最後の会話で、最後の力比べが始まった。
『王竜』として、『智竜の里』を守るのは少女の役目だった。
そして、その負ければ食われるという殺し合いの中、少女は『王竜』の名を授かったときの大人たちの言葉を思い出す。
「――いつしか、おまえたちは皆、『悪竜』に食われるだろう――」
『悪竜』以外の子供たちが、この結末を知っていた。
真の役目を知らされた日を、少女は懐かしむ。
古代から続く口伝によれば、この空に満ちていく暗雲は止まらない。そして、その過酷な環境に、竜人さえも『適応』できなくなるときが必ず来る。
ゆえに、里の存続が不可能となる前に、最も強き血を選び出して、全てを継承させる。
全てとは、全てだ。
この『智竜の里』そのもの。
いままで続いてきた血脈を、一滴残らず。
歴代続く『王竜』の末裔の心臓も含めて。
滅亡を『代償』として、歴史全てを無駄なく、一人の男に託して、繋げる。
――それが、『悪竜の儀式』の全容。
敗北した『竜人種』が『翼人種』を恨み続けて、最終手段として後世に遺していた真の教え。
『悪竜』を「神をも殺す毒の刃」と化させる本当の意味。
それを思い出したとき、少年と戦う少女の手は緩んだ。
――させない。そんなことは、絶対にさせない。歪ませる。
『智竜の里』が滅亡した日。
『悪竜』は『王竜』の心臓を抜き取って、食らった。
ようやく、役目を終えた少女は最後に、一言だけ残す。
大事な家族であり、憧れでもあった少年に向かって、「……お願い」と一言――〟」
読み終えた。
千年前、滅びた『智竜の里』の裏側を伝えて、落としていた視線を上げる。
まだ僕を睨み返しているセルドラは、つまらなさそうに首を振る。
「……別に、新鮮な話じゃない。薄々とはわかっていた。あのビビリ女が、俺に『逃避』を促したんだ。なのに、あいつは一度も勝てなかった俺を相手に、どうしてか死ぬまで立ち塞がった。何かあるんだろうとはわかってた。だが、それも、いまさらだ。どうしてかなんて、いまさらの話だ」
ありがちだと溜息をつく。
それどころか、より戦意をセルドラは漲らせていく。だが――
「この程度では、何も変わらない。いまさら、変われない。変われないから、俺は終わることはない。いつしか俺は、この魔法《リーディング・シフト》にさえ『適応』していくだろう。神にも届く『魔の毒』の刃である俺だけが、『次元の理を盗むもの』の『第零の試練』を――」
「終わりだよ。変わるから、終わりなんだ。『無の理を盗むもの』の『第八十の試練』は、いま、終わった。――先に、終わった。この〝誰もが幸せになれる魔法〟に勝てる『理を盗むもの』など、存在しない」
宣言して、僕は視線をセルドラから少し遠くの地面にずらした。
その先に、この魔法《リーディング・シフト》を発動させてから、ずっと探していた姿を見つけた。
この時間に合わせて、ここに場面を移して、長々とセルドラと雑談をしていたのは『彼女』を待っていたからだ。
僕とセルドラの黒い瞳の中に、地面を這いずりながら進む竜人の少女の姿が収まった。
先ほど読んだ馴れ初めの物語通りの姿だった。
少女とはいえ、その身体は僕の背の高さと、そう変わらない。
顔立ちはスノウに似ていて、目元は涼やか。その蒼い髪は大海の漣のように美しく、けれどいまは血に染まっている。
背中には大きな穴が空いていた。
ぽっかりと胸と背中まで突き抜けて、本来そこにあるはずの臓器がない。
「あり、えない……」
少年に敗北して心臓を食われた少女を前に、セルドラは先ほどよりも大きく首を振った。
「……心臓を食ったんだ、俺が! だから、生きてるわけがない! 生き残れるわけがない!」
「うん、じきに死ぬ……。けれど、選ばれし竜人の異常な生命力によって、彼女には最期の時間が少しだけ与えられている。――セルドラ。これは、お礼だ。一緒に彼女の『遺言』を聞こう」
少女は心臓を奪われて、地面に倒れ伏しながらも、じりじりとこちらに向かっている。
死ぬのならば、最も思い出の深い広場がいいと、少しずつ這い進んでいるのだ。
ただ、その道の半ばで、口から溢れる血を吐き出してしまう。
「ァア、ガ、ッッ――!」
僕たちが立っている場所まで、あと少しというところで止まって、少女は身体を捻らせた。
最後の力を振り絞って、仰向けとなり、黒煙が暗雲に吸い込まれていく空を見上げる。
「はぁ、はぁ、はぁっ――」
胸を動かして、呼吸を繰り返して、肺に酸素と『魔の毒』を取り込む。
しかし、その胸には最も大事な臓器が、もうない。
血や魔力といった生命力が、新たに生成されることは、二度とない。
「はぁっ、はぁっ……、え? あ、れ……――」
その状態でも、彼女は余裕を持って喋ることができた。
凄まじい生命力だ。
なにより、凄まじい『素質』だった。
「だ、誰か……? いる……?」
この『呪術』すらも浸透していない時代に、古代の知識だけで「未来で『過去視』の魔法を使っている存在」を感知していた。
彼女はセルドラという『特殊な実験体』がいなければ、真の『最強』の生物。
この世界で最も強き種の、さらに選ばれし『王竜』だ。
その『王竜』の少女は、さらに命を燃やして、ある種の確信を持って喋っていく。
「あぁ……、もし……。もし、本当にノイ様が……、この世界の過去も未来も支配していて……。いつでも、お話を聞いてくださっているのなら……」
里にとっては『邪神』であるはずのノイ・エル・リーベルールを、少女は最後の時間を使って敬っていく。
消え行く命の灯でありながら、はっきりと言葉を紡いでいく。
「いまも、見ていらっしゃるのでしょうか……? 宿敵の血筋の……、この憐れな最期を……」
次第に、血が足りなくなり、身体は冷え切るだろう。
僕のときと同じならば、目が見えなくなり、耳は聞こえなくなり、走馬灯の果てに、魂は『向こう側』へと行き着く。
その前に、彼女は喋る。
遺言を残すかのように、
「ああ、神様……」
祈る。
そういう文化も風習もない場所でありながら、大陸の各地に住む信者たちと同じ文句を口にしていく。
「神様、あなたを私は信じています……。だから、あなたを害する儀式を、出来うる限り歪ませました……」
竜人種にとっては邪教である『碑白教』の信者だったと告白する。
さらに竜人としてあるまじき告白は続いていく。
「私は……、一族なんて、どうでもいい……。『最強』の種族かどうかも、関係ない……。みんないなくなって、せいせいした……。もう、あなたを害する儀式は、二度と行なわれない……から、どうか……、お願いです……――」
祈り続ける少女。
それを聞いているのは、千年後の僕とセルドラの二人。
「せめて、私の従弟だけは……。あの黒髪の『里の一幼竜』だけは……、ただ一人のどこにでもいる『魔人』として、自由に生かせてあげてください……」
それは僕に向かって呼びかける声ではない。
『碑白教』に伝わるノイ・エル・リーベルールを呼ぶ声だ。
「神様……。もし……、本当に……。本当に、そこに、いらっしゃるのならば――」
なにより、呼びかけは「神様」。
それに本気で応えられるような存在がいるとすれば、それはもう――
「――大丈夫。いま、儀式は歪んだ」
僕は騙り、応えた。
安心させるために、持てる『魔法』を限界まで強めた。
その僅かな振動に、次元を超えさせて、繋ぐ。
どの次元のどの場所でも。
どの時間軸のどの思い出でも。
どこまでもどこまでもどこまでも。
手の届く『次元の理を盗むもの』となったから、返答は可能だった。
「――え?」
祈っていた本人すらも呆然とするほどの『奇跡』だった。
滅びた里の誰も生き残っていないはずの広場で、答えが返ってきて、少女は硬直する。
「君のおかげで、これから彼は『逃避』し続ける。一人の『魔人』として死ぬ為に、『悪竜』から逃げ続ける」
『最後の頁』だけを読んで伝えるのは、僕の流儀に反する。
だが、躊躇している時間はなかった。
「いま、君の人生を、二つの『世界』が読んだことで、儀式の取引が変わった。……この先ずっと、竜人セルドラの『適応』は、君の『逃避』に侵食され続ける。君の『呪い』が勝ったんだ。だから、安心していい――」
「ド、竜人の、セルドラ……? ――――ッ! ァガッ、ハ!」
少女は聞こえた声に驚き、喉から溜まっていた血液を全て吐き出し切った。
僕の魔法で声は届く。
しかし、長くは持たない。
彼女の命の灯もだが、それ以上に僕の魔法も――
次元属性の『詠唱』を重ねて、『紫の糸』で『元の世界』の魔力も吸い尽くしているというのに、まだ足りない。
――急ぎ、隣で彼女以上に驚いているセルドラに話しかける。
「セルドラ、君が望む限り、僕は『悪竜』を救わない。ただ、この里に生まれた『セルドラ』たちは救いたい。他の子供たちは知っていたんだ。その中でも、君を最後まで救おうとしていた彼女を……。君の家族を、いま救えるのは君だけだ。君の言葉で、君自身の運命を変えろ……!」
世界の理に反する悪行を、セルドラに薦めた。
傲慢にも神を騙った以上、もう僕は迷わないし、躊躇しない。
その僕の意志は伝わったようで、セルドラは喉を震わせて、「お、俺は……」と腹の底から言葉を搾り出そうとする。
そして、仰向けになった彼女の前で、膝を屈した。
少しでも近くで、手は届くけれど触れられはしない距離で、ただ『声』だけを届けようとする。
セルドラの協力によって、いま、魔法《リーディング・シフト》は昇華する。
さらに上の次元の魔法に至り、その『声』が――
「――俺は、『悪竜』を捨てた」
「…………っ! こ、この『声』……」
『声』が間違われることはなかった。
誰よりも御伽噺の『魔法』を信じていた彼女だからこそ、届いた。
「おまえのせいで、愉しめなくなったんだ。だから、仕方なく、いま俺は『セルドラ』・クイーンフィリオンって名乗って、無駄に長生きしちまってる。――信じられるか? いま、俺は千年後の『異世界』にいるんだぜ? 『異世界』まで逃げ切って、愉しく……じゃなくて、ちゃんと楽しく生きてる。だから、もういい。おまえの勝ちだ」
「勝……、ち……?」
話す。
かつてと同じ場所で、同じ調子で、同じ約束をする。
遺言だった。
「ああ……。たぶん、おまえは生まれたときから、俺に勝ってたんだ。だから、願いごとは叶う。『セルドラ』・クイーンフィリオンは、自由にどこまでも、好き勝手に生きる。おまえのせいでな……」
それを最期に聞いた少女は……。
『王竜』は、肩を揺らして、血を噴き出しつつ、楽しそうに笑った……。
もう『未練』はないかのように……。
「『セルドラ』・クイーンフィリオンって……。ははっ、変な名前……」
最後の最期に、セルドラは侮辱を返された。
ただ、言い返せない。
受け入れた。
そして、だからこそ、これでやっと『王竜』と『悪竜』は――
「けど、嬉しい……。ちょっと、だけ――、嬉しい……、から――、あぁ、これ、で――いっしょ――――」
少女の声は途絶えた。
『未練』を果たしたからこそ、力を失った。
『王竜』の名を授かった少女は、その人生を終えて、息絶えた。
もう少女は空を見つめていなかった。
瞼は閉じられて、両手は傷を塞ぐように胸に置かれて、安らかに。
とても楽しそうに、笑っていた。
それを看取るセルドラは嗤わない。
家族を殺し、嗤っていなかった。
歪みに歪んだ果てに。
愉しいと思うこともなく、ただ神妙に、一族の死を悼んでいた。
「〝――それが『証明』。
二人が約束したからこそ、世界さえも認めた『悪竜の儀式』の歪みの形。
いま、ようやく黒髪の竜人は、一人の『魔人』となった。
ただ、『一緒に』。
楽しく、笑って、普通の『幸せ』を得てもいいと、やっと――〟」
『最後の頁』の余白に、そう『執筆』で書き足す。
そして、本を閉じる。
――これで、終わり。
終わったのは、『無の理を盗むもの』セルドラ・クイーンフィリオンの『第八十の試練』。
新たな領域に至った魔法《リーディング・シフト》によって、いま、セルドラは生き抜いて、ずっと失っていたものを見つけた。
『過去』が変わり、千年後のセルドラの『呪い』は、さらに変質するだろう。
『悪竜』でありながら、『王竜』でもあり、『里の一幼竜』として――、愉しいだけでなく、楽しくも生きられるようになる。
そして、もうセルドラは自殺することはできない。
少なくとも、呪ってくれた彼女の魂を『一緒に』と感じている限り、二度と「死ねる」と叫ぶことはできない。
――セルドラは『第零の試練』を、始めることすらできない。
やっとセルドラとファフナーのキャラクター説明が終わりました。すみません……。
あと少しで、最後の試練のルール説明も終わるはずです。
これから、セルドラとファフナーの二人がどうなっていくのかが大事なのです。