448.本当の自分
思わず脅すような声を出した僕に、にやりとセルドラは笑う。
挑発とわかっている。
わかっているから、『声』も冷静になるように促してくれる。
『カナミ、落ちついて。いま、セルドラは本気で戦ってるだけで――』
「大丈夫、ラスティアラ。冷静だよ。必ず、セルドラの『試練』は乗り越える。そして、僕が助ける。千年前に助けられなかった『理を盗むもの』たちを助けていく。それが、『主人公』の物語だから……」
そして、それがラスティアラの物語でもある。つまり、二人一緒の物語。
読み続けている限り、僕たちは『証明』される。
『カ、カナミ……?』
不安そうな『声』が返ってくるのが、不安だった。
さらに被せかけるように、目の前のセルドラが話しかけてくる。
「そうやって、ラスティアラと話すのは楽しいか?」
「好きな人と話すのが楽しくない人なんて、いない」
「即答か。だが、それは本当にラスティアラか? おまえだけに聞こえる都合のいい『幻聴』じゃないのか?」
「いる。ここに、ラスティアラの魔石がある。ちゃんと魂が宿っている。ラスティアラの『声』は妄想じゃない。魔石と『繋がり』があって、それを僕は聞いているだけだ」
「聞いてるし聞かれてるか……。だから、本音が言えないんだな。こっちの世界なら、或いはと思っていたが、やっぱ駄目か」
セルドラは周囲を見回す。
暴露と挑発だけかと思いきや、科学者のように冷静な確認作業も混じっていた。
「なるほどな。別々の場所にいる生物が、同時刻に視線を認識できるのは、魔石が『世界』と通じているおかげか。いや、正確には、物質的な器を失った『魂の溜まり場』ってやつに通じているのか?」
「…………っ!!」
「いま、このときも、ずっと見張られている。ならば、この先、カナミは死ぬまでずっと、こうか? ……なあ、ラスティアラ。どう思う?」
ここで初めてセルドラはラスティアラに向かって、本気で話しかけた。
僕の隣にいるラスティアラは言いよどみ、視線を僕からセルドラに向ける。
それはまるで、『試練』に挑んでいるのは僕じゃなくて――
『セルドラ、それは……』
「セルドラ。それが、僕たち二人の『幸せ』だ。物語が終わったあとも、ずっと幸せに暮らし続ける。一つの物語の理想形に、僕たちは辿りついたんだ」
すぐさま、代弁をした。
それを聞いたセルドラは、さらに憐れんだ表情で、はっきりと言う。
「これも……、俺もだからわかる。おまえたちは、ずれている。それはラスティアラの楽しいことであって、おまえの楽しいことじゃない」
『…………っ!』
聞かされて、ラスティアラが息を呑む。
限界だった。
いや、とうの昔に、限界なんて過ぎている。
あの『最後の戦い』だ。
陽滝を相手にしたとき、すでに僕は二度と立てなくなっていた。
――それでも、いままで立って来られたのは、『ラスティアラ』のおかげだ。
なのに、セルドラの振動が的確に、『声』を打ち消そうとしている。
格好つけている場合ではない。
出し惜しんでいる場合でもない。
たとえ、それがセルドラの狙いであっても、もう――
「認めろ、カナミ。おまえたち二人は『幸せ』の捉え方が、ずれて――「『僕とラスティアラは愛し合っている』『だから、想いは一緒』『もちろん、最初は辛かった』」
声を被せかけ返す。
それも、本音には本音。
やっと隣の『世界』まで届くくらいに、大きな声。
「『ラスティアラ』が死んだんだから、それは当たり前だ。でも、僕たちは少しずつ立ち直ることができた。その何度でも立ち上がる心が、一番大切なんだって思ってる。ちゃんと僕たちは立ち上がって、前を向けるようになって、毎日を楽しいって思えるようになった。本当の意味で、力を合わせて『最後の戦い』を乗り越えたんだ」
「ま、待てっ。いつの間に、何を以って――「そう。やっと、僕たちは納得の『最後の頁』を迎えた。だから、これから続くのは苦難を乗り越えた〝主人公〟と『ヒロイン』の『幸せ〟なエピローグ。それ以外にない。僕たちが救った世界で、連合国で、物語で、続きが紡がれていく。それは本当に、『穏やか〟で、〝楽しく』て、『幸せ〟な日々。そう、心から僕は信じているし、ここに書かれてもある。〝――ああ、ついに『最後の戦い』を乗り越えた少年少女。一ヶ月後、二人は苦しみと悲しみを乗り越えて、心から笑えるようになった。あと、さらに一ヶ月も経てば、また少年少女たちは『冒険』の日々に戻れることだろう。確かに、色々なものを失った。けれど、明るくて新しい未来に向かって、再出発できないなんて道理はない。これからはディアと、マリアと、スノウと、リーパーと、ライナーと、『みんな一緒』の物語を紡いでいこう。それこそが、少年カナミの選んだ物語であり、少女ラスティアラの望んだ物語――〟と、この本に、もう書いてある。僕たちの未来に待つ〝幸せ〟な日々が、すでにね」
負けじと、こちらも息を付く暇もなく、早口で読み切った。
そして、僕の唯一動かせるほうの手には、『ラスティアラ・フーズヤーズの手記』が握られていた。
追い詰められて、僕は剣でなく本を選んでいた。
それは一種の預言書。
もうティアラや陽滝が書いてくれないから、自分で『執筆』するしかなくなった未来予想図。
元々『最後の頁』には〝――永遠に、ラスティアラ・フーズヤーズは『夢』を見続ける〟と書かれていて、その次には白紙の束が重なっていた。
だから、二週間前にディプラクラさんの前で僕は、『未来視』とスキルを駆使して、そこに新たな物語を記した。
その朗読発表会が、余りに唐突で、早口過ぎて、ラスティアラとセルドラの二人が唖然としていた。
『……え?』
「カナミ……!」
一週間前に目覚めたばかりのラスティアラも、再会したばかりのセルドラも、これについては全く知らない。あの続きを知っているのは、ディプラクラさんだけ。
だから、無理も無い。そもそも、文章だけで『幸せ〟であることを表現するのは難しい。しかし、〝幸いながら』、僕には表現する方法がある。
僕は〝幸せ〟そうに笑いながら、呟く。
「は、ははっ、あはは。――魔法《リーディング・シフト》」
手に持った『ラスティアラ』の頁を、片手だけで器用にめくった。
その読む魔法は、まだ開発途中だった。
エンディング後、一番最初に手をつけていながらも、ずっと後回しにされていた。
――しかし、いま唖然としているセルドラとラスティアラに視てもらうために、急遽いま、ここで、完成させる。
本を現実に投影させる魔法のイメージは、当然ながら『読書』。
しかし、みんなに『過去視』『未来視』の情報を、ただ伝えるだけの魔法では意味がない。
大事なのは、きちんと最初から最後まで読ませること。
そして、読者にも一文だけ書き足させること。
その僕の『執筆』した物語を、みんなに『読書』させる魔法の名は……余裕がなかったので、まだ捻ることなく《リーディング・シフト》って仮名だったっけ。……ああ、これでいい。これでもういい。
――この魔法《リーディング・シフト》で、『試練』を終わらせよう。
この魔法の開発が、いまのいままで放置されていた理由は一つ。
体調の問題ではない。
この魔法一つだけで『理を盗むもの』を構築している『未練』が、あっけなく崩れてしまうのが問題だった。
強過ぎる。反則過ぎる。フェアじゃない。
それはまるで、神様の使う魔法のようで。
残りの三人の血・無・次元の『理を盗むもの』たちと向き合うにしても、その魔法は卑怯だと考えた。僕は途中で、開発を凍結させた。という理由があったのだが――
セルドラは教えてくれた。
魔法に頼るのは、決して卑怯なことじゃない。
誰もが近道をしたくて、本気で生きている。
相手を気遣って手段を選ぶのが「傲慢で」「本気じゃなくて」「面倒な話だ」と言うのならば、もう使うしかない。最初から僕だって、楽に、なりたかった。
だから、この魔法で、セルドラ・クイーンフィリオンを終わりにする。
「――でも、大丈夫だよ、セルドラ。この本に書かれてあるのは、僕とラスティアラだけじゃない。心配せずとも、君も登場人物の一人だ。他には、フェーデルトさんにクウネル、ディプラクラさんにシスも。読めば、きっと君も、みんなが〝幸せ〟になるって言葉の意味がわかると思う」
読んで、映し出して、見てもらおう。
――先んじて、君だけに、二ヵ月後を。
未来に待っているセルドラの〝楽しい〟〝楽しい〟〝楽しい〟日々を、この深海に映し出して、見せれば、それで全て終わる。
「君の『未練』も果たされる。一ヵ月後の連合国では、君と僕が協力をして、復興作業をしている。新たな『元老院』がクウネルを中心に作り直されて、そのとき君は国の総大将に復職して、かつて自分が欲しかったものをスノウに届けて――「か、『喊声こそが世の不条理を』『震撼こそが世の不条理を』『破砕無地の音を鳴らせ』!!」
その語り手の声に、聞き手は叫び返して、対抗する。
途端、いま深海に映し出されようとしていた風景が、ぶれた。
震えて乱れて、亀裂が入ったあと、魔法《リーディング・シフト》の書き出し部分の物語が掻き消える。
『詠唱』の力が足された『竜の咆哮』が、深海全体に伝播されたようだ。
ただ、その無茶な魔力増加と咆哮で、セルドラは見るからに疲れていく。
「や、やっと……、おまえも本性を見せ始めたな……! はぁっ、はぁっ、しかし、俺の声の届く範囲ならば『過去視』も『未来視』も許しはしない! 響く俺の振動が、おまえの魔法全てを分解する!!」
「――魔法《リーディング・シフト》」
魔法を強める。
ちょっとくらいの揺れなどで、僕の書いた物語は乱れない。
魔法構築も、より頑丈で完璧なものに、いまここで練り直していく。
ただ、それは明らかに、さらに魔石を馴染ませる行為。
「……うぅ」
僅かに呻いた。
基本的に『読書』と『執筆』の力は、『ティアラと陽滝の魔石』を利用する。
その魔石は、常人ならば持っているだけで呪われて、発狂して、モンスターとなり、腐り落ちて、『魔の毒』に還るような代物。
馴染ませられるのは、実兄という血の繋がりあっての裏技。
だから、どうしても。
ぐらりと、視界が揺れて。
トラウマが、襲ってくる。
「だから、どうした――」
だが、トラウマ如きで、妹の作った兄『相川渦波』は揺るぎはしない。
なにより、僕はラスティアラにとっての英雄『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』でもある。
僕は『主人公』だ。
これが、陽滝とティアラから解放された新しい『相川渦波』だから――
その決意が、魔法《リーディング・シフト》に反映されていく。
魔法の邪魔をする『竜の咆哮』を、逆に押さえつけ始める。
無属性の『詠唱』を乗せた決死の振動が、僕の魔力に触れた瞬間、ぴたりと止まる。
「――なんだとっ!?」
その理不尽過ぎる力に、セルドラは驚いていた。
魔法《リーディング・シフト》は見るからに複雑で脆い『術式』だ。
属性は単一でなく、複数の魔石を使って、芸術的な編み物のような形をしている。
そんな脆い魔法に、破壊だけしか考えていない自分の『竜の咆哮』が押し負けている。
その事実を前にしても、まだセルドラは怯まない。
「だが、それもわかっていたことだ! おまえを追い詰めるということは、俺も追い詰められるということ! ――『罪深き血を啜り』『罪昏き種は空腹に』『吐瀉する鮮やかな魂よ』!!」
『詠唱』に、さらに『詠唱』を。
ノーガードのぶつかり合いが始まった。
その新たな『詠唱』は、全ての記憶を合わせても、初めて聞いた。
「くっ、セルドラっ……! その『詠唱』は――」
「ああ、おまえ用の俺特製だ……! 無属性の『代償』は基本的に、人生がつまらなくなる! 喜びも悲しみも、恐怖も好奇心も、全て鮮度が落ちていく! だが、この特製の『詠唱』は、つまらなくなるだけじゃない! どんどん俺は背を向けるだろう! 罪が重くなっていくだろう! だが――! だから、どうした? 知るか! 何もかもが、もう俺にとって取るに足りなくなっても! それでもぉおおぉあああ――! 『啜れ』『啜れ』『啜れ』ぇ! 『貪れ』『貪れ』『貪れ』ぇ! 『吐け』『吐け』『吐ぁあぁあけぇええ』えぇえええ!!」
さらに、セルドラは『詠唱』を足していく。
取り返しの付かないところまで、一切の躊躇なく。
徐々に、無属性の振動が押し返し始める。
魂の咆哮。
そう表現するのに相応しかった。
そして、決死。
僕と違って、後先を一切考えない魂の玉砕。
強い。
本当に、神にも届く強さだ。
なにより、覚悟において、完全にセルドラは僕を上回っていた。
『竜の咆哮』が魔法《リーディング・シフト》を塗り潰していく。
殺人的な振動が、僕にまで届く。
「カナミ、思い出せ。本じゃない。魔法でもなくて、自分の力で――」
「お、思い出す……?」
魂に響く声というのは、本当に強い力だと思う。
振動を無視できず、反射的に、その言葉通りに心が動かされる。
――脳裏によぎるのは、あの『最後の戦い』を乗り越えたすぐ後。
あの十一番十字路の椅子に辿りつく前の僕。
あの日も、僕はラスティアラを失った悲しみに耐え切れず、途方に暮れていた。
仲間たちと会おうとは思わなかった。マリアもディアもスノウも、同じように泣いているかもしれないと思ったし、情けない姿は見せたくなかった。
だから、彷徨った。
異世界に、独り。
街を、ふらふらと。
こんなにも人は多いのに、世界に誰も居ないような孤独感。
こんなにも空は広いのに、襲い掛かる閉塞感。
幼い頃、大きなデパートで迷子になって泣いていた感覚。
もう二度と、助けてくれる『家族』はいない。
ラスティアラの姿を、探し続けた。
誰にも泣いている姿は見られたくないから、魔法で自分の姿は消した。
せっかくの『異世界』だというのに、そこに僕はいないことにした。
一人生き残ったはずだった。なのに、亡霊のようだった。
憐れな魂が、彷徨っていた。
「それが! そんなのが『幸せ』だと思うか……!? ただ、『苦しい』だけだろう!?」
「〝幸せ〟だ……! そう、信じてる。だって、僕は勝ったんだ。僕だけが、生き残ったんだぞ……!!」
僕は〝幸せ〟だ。
そう『証明』するように、右手の本を強く握り締めた。
そこに書かれたラスティアラとの思い出は、どれも〝懐かしくて〟〝嬉しくて〟〝楽しくて〟……、『愛おしい』。
ああ、〝愛おしい〟じゃなくて、『愛おしい』!
それだけはスキル『執筆』の不自然さなく、はっきりと書ける!
――『僕はラスティアラが愛おしい』!!
その愛おしいラスティアラの遺書から、僕は彼女の求めていたものを知った。
物語が終わっても、ずっと二人は一緒……。
たとえ、死に別れたとしても、魂は共に……。
ああっ……!
こんなに……! こんなに〝幸せ』なことはない!
さらに、その『幸せ〟な日々は、いつまでもいつまでも続くんだってさ!!
セルドラ……。
なんで、その〝幸せ〟をわかってくれない……。
もうおまえだけが、僕をわかってくれるんだぞ……?
残念だ。
しかし、セルドラも、すぐにわかってくれるだろう。
この『理を盗むもの』を必ず終わらせる魔法《リーディング・シフト》を、読みさえすれば、終わりだ……!
どうか、読んで欲しい。僕の『失敗魔法』は少しずつ変わっていっている。この『僕〟すらも、必ず終わらせてくれる本当の『魔法』に、少しずつ近づいている……! それは誰もが『幸せ』になれる『魔法』の雛形! 約束された素晴らしき〝幸せ〟な日々を、僕はセルドラと分かち合いたい――!!
「カナミ、スキルの数値を見ろ……。後ろのほうだ」
魂に響く声を重ねられた。
その声の大きさに勝てず、反射的に従ってしまう。
【スキル】
後天スキル:並列思考1.00 分割思考1.00 収束思考1.00 逆行思考1.00
感応3.65 神聖魔法1.29 体術2.82 亜流体術1.00
気功1.01 呼吸法1.00 槍術1.11 弓術2.01
投擲1.99 指揮1.87 軍隊指揮1.02 軍略1.01
謀略1.00 後衛技術1.89 観察眼1.67 鑑定1.03
遠見1.89 最適行動2.01 鼓舞1.15 挑発1.00――
並ぶのは、才能のなかった僕が、この世界で手に入れた才能たち。
ただ、その下のほうに――
【スキル】
暗号1.00 解読1.00 演技10.34 執筆1.00――
それは一際大きかった。
二十四時間に0.01動くのも稀のはずのスキルの数値。
それが0.01秒毎に、0.01ずつ上がったり下がったり。
いまも尚、目に見えて、変動している。
「……え、『演技』?」
初めて見る。
そして、恐ろしい数値の動きだった。
陽滝の魔石が馴染んでいるというだけでは説明がつかない現象だ。
これだけのスキルの変動は異常だ。
普通の魂ではありえない。
例えば、魂に罅が入っていたりしなければ――
「天性の演者ってのは、怖いな。本当の自分も本当の気持ちも、どうにかしちまう」
「僕は演じて……、ない。だって、父さんと母さんから向いてないって……。僕は、下手糞だって、見捨てられて……」
「おまえも含めて、全員嘘つきなんだよ。……俺たちみたいな人生を送ってきて、あんな最悪の『最後の戦い』を経て、『幸せ』になれるわけないだろう? おまえは『不幸』で、何一つ報われなかったんだ」
「は、はは……、いまさら。嗚呼、あはは……」
セルドラの言葉が響いた。
ここまでのどの言葉よりも響いた。
僕の魂を強く、深く、揺さぶった。
僕は天性の『演技』を持っていた?
つまり、ずっと僕は『執筆』じゃなくて、『演技』を使っていた?
いや、『演技』しながら『執筆』をしていた?
自覚したことで、スキル『演技』が剥がれかける。
魔法《リーディング・シフト》による〝幸せ/不幸』な日々が、一旦遠ざかっていく。
つい先ほどまで、拮抗していたはずの《リーディング・シフト》と『竜の咆哮』は、完全に決着が付いていた。
深海は暗くて、寒くて、ただただ辛い。
『声』も、セルドラの振動のみ。
「……ラスティアラ、聞こえているか? これから、俺は『次元の理を盗むもの』カナミの『第零の試練』を終わらせる。これを乗り越えられるのは、本気でカナミを苦しめられる俺だけだ。……なにより、これがおまえを殺した俺の責任だろう。どうか、俺がおまえを認めたように、おまえも俺を認めてくれ」
そう宣言して、セルドラは視線を動かした。
その先には、僕だけにしか見えないはずのラスティアラの姿があった。
そして、その彼女がセルドラを見つめ返して、頷いていた。
「ラス、ティアラ……?」
ラスティアラの魂が、相手に向いてしまった。
なにより、セルドラの台詞回しが、僕を追い詰めている。
これでは、まるで僕が『悪役』で、セルドラが『主人公』のような流れ。
それだけは駄目だ。『第零の試練』なんてものは、この物語には存在しない。『契約』をしたんだ。僕がラスティアラの『主人公』だって。その『演技』をしていないと、立てない。陽滝に敗北してから、まだ一度も立ち上がれていない。『主人公』には、いつだってヒロインの『声』が必要だ。『彼女』が、僕には要るんだ。離せないんだ。愛しているんだ。絶対に、もう二度と離したくない。『ラスティアラ』『ラスティアラ』『ラスティア――
支えを求めて、『ラスティアラ』に目を向けた。
すぐに、こちらを見返してくれた。
けれど、何も言ってくれない。
僕とセルドラの二人を信じて、何も言わず、見守ろうとしている。
知っている。
こういうところが、ラスティアラにはある。
彼女の魂が「信じて、黙る」と決めたならば、いかに『並列思考』を使っていようと、『声』は聞こえないだろう。もし聞こえたら、それはもう『幻聴』――
「セ、セルドラァ……。よくも……、やってくれたな……」
だから、とうとう本音が、出る。
素の自分の声は、自分でも驚くほど掠れていた。
「セルドラ、終わらせるのはおまえの『試練』だ。僕のじゃない。……いいから、おまえも〝楽しい/苦しい』日々に戻るんだ。おまえも『ラスティアラの物語』の中に、収まれ――」
もう支えがない。
ならば、仕方ない。
望んだのは、セルドラ自身だ。
だから、本音には、本音で。
本気で生き抜く相手には、本気で生き抜いて。
『詠唱』には、『詠唱』で――
「――『罪過の命数は遡る』――」
応える。
とうとう次元属性の『詠唱』を詠んだ。
途端、背中に視線を強く感じる。
僕が呼びかけたことで、次元を超えて『異世界』からこっちまで完全に繋がってくれたようだ。いつものように僕の雄姿を見て、魔力を――なぜか、視線が少しだけ動揺している。だが、取引通りの魔力提供はしてくれる。……しなければ、許さない。
そして、視線は、もう一つ。
この『元の世界』のほうも、僕という魂を見つけてしまい、『詠唱』の取引に反応していた。
『異世界』と『元の世界』。
上手く、二重で『詠唱』を成立させて、僕は本気で魔力の増幅を行なっていく。
「――『あの最果てに引く射影へ』――」
代わりに、こちらが支払うのは『狭窄』。
『呪い』が僕を襲って、僕の『ラスティアラ』への思いが、さらに募る。
片時も離れたくないから、彼女に相応しい『主人公』であろうと、演じ直し、書き直し始める。
『ラスティアラの主人公』として。
『ラスティアラの主人公』として。
『ラスティアラの主人公』として。
『狭窄』を払えば払うほど、僕の舞台に立つ力は増す。
脚本も捗る上に、観客席から演出用の魔力まで貰える。
得しかない取引だった。反則の取引だった。
『詠唱』すればするほど、僕は無敵となる。
だから、ぴたりと。
深海の揺れが止まった。
セルドラの振動だけでなく、海そのものさえも、僕は静止させた。
深海が淡い紫色の光を、発し始める。
その灯りのおかげで、魔法《リーディング・シフト》を映すスクリーンとして相応しくなっていく。
たった一度の『詠唱』で、星一つ分の海全てに浸透させるだけの魔力を奔らせた。
世界二つ相手の同時取引は、どう考えても異常であり、罪過だった。
だからこそ、代価は大きく、もう止められもしない。
「『僕は全ての罪過を償うと誓う』。――呪術《レベルアップ》」
余った魔力は『質量を持たない神経』に変換していく。
それは、いわゆる陽滝の使っていた『糸』。
色違いの『紫の糸』が、僕の服の袖から生えては、軟体生物の触手のように深海を泳ぎ始める。
その『紫の糸』は手始めに、ずっと『凝固』していた僕の左腕に触れて、侵入して、『繋がり』を作った。魔法と科学を合わせたくだらないウィルスだ。「新しいルールの調整」や「魂の誤認」も可能だが、『紫の糸』に感染させてから、トカゲの尻尾のように切り離すことで処理する。
身体は万全となった。
だが、それでも、まだ魔力は有り余る。
深海の中、僕は宙返りするように体勢を変えた。
頭からゆっくりと、底に向かって、落ちていく。
その間も、魔力を『紫の糸』に変換し続けては、両手足の服の袖から溢れる触手を伸ばし続けていく。
数え切れないほどの『紫の糸』が、深海を侵食し始めた。
その内の一本に触れたセルドラは、いま僕が何をしているのかに感づき、さらなる『詠唱』で振動を強める。
「――――っ!? 『罪深き血を啜り』『罪昏き種は満腹に』!」
セルドラは振り払うように両腕と翼を振り回す。
『紫の糸』は触れた瞬間に引き千切れて、粉々となる。
流石、セルドラ。
視認することはできずとも、干渉された瞬間に察知はできるようだ。
少々痛むが、僕は怯むことなく、もっともっと『紫の糸』を増殖させていく。
「――『この世の終わりになろうとも必ず』――」
セルドラは恐ろしいだろう。
彼にとって、ここは遠く見知らぬ『異世界』。
暗い深海に、無数の不可視の『紫の糸』。
セルドラの心理描写が、スキル『読書』を通じて、伝わる。
〝――怖気。心からの悪寒だった。畏怖する。俺にとって強い感情は、垂涎の大好物。しかし、後悔した。ずっと追い求めていたはずのカナミの豹変。念願を前にして、なぜか俺の身体は芯から震えて、凍えて、止まらない。この世の震えを支配する『悪竜』の俺が、原初の恐怖を感じていた。かつて、里で教え込まれた教えの『邪神』の意味を、カナミを通して初めて理解する――〟
逆さとなり、深海に沈む巨大海月のような『次元の理を盗むもの』。
無限の触手が底から伸びて、四方八方から捕らえようとしてくる。
セルドラは危機感を覚え、その触手に向かって、さらなる『竜の咆哮』を放つ。
「待て、カナミィイイ――!!!!」
こうなると、次は『竜の咆哮』と『紫の糸』による干渉勝負だ。
それが『詠唱』による膨大な魔力のバックアップを以って、真正面から行なわれる。
そのせめぎ合いを、僕は海の底に落ちながら、眺めては、紡ぎ続ける。
「――だから、『僕にみんなを救わせてくれ』――」
一通り詠み終えて、少しだけ懐かしい気分となった。
これを誓ったのは、いつだっただろうか?
確か、迷宮の裏側で、ティティーのやつと戦うときだ。
何を思って、こんな『詠唱』にしたのだろうか?
なぜか思い出すのは、半身だったラグネの姿。その鏡の性質。
陽滝に頭を弄くられて、ティアラに運命を操られて、それでも僕は僕らしくと願った?
色々と頭に浮かぶことはあった。
けれど、もうそんなことは重要じゃなくて、大事なのは『ラスティアラ』だけ。
『ラスティアラ』を取り戻すことだけを考える。『ラスティアラ』だけを感じては、『ラスティアラ』『ラスティアラ』『ラスティアラ』と頭の中の文章を、コピーアンドペーストしては増殖させて、安心する。いつだって、『ラスティアラ』は僕に笑いかけてくれた。その綺麗な髪が揺らめいて、見惚れて、この辛い『異世界』で、いつも助けられた。
詠めば詠むほど『ラスティアラ』のことだけに集中できるのは、『ラスティアラ』の安らぎ。『ラスティアラ』の『主人公』である限り、『ラスティアラ』が隣に居る気がするから。『ラスティアラ』で『ラスティアラ』の僕として、『ラスティアラ』は『ラスティアラ』だから――
「――『喊声こそが世の不条理を』『震撼こそが世の不条理を』『破砕無地の喝采よ』――」
「――『僕はラスティアラが愛おしい』『僕とラスティアラは愛し合っている』『だから、想いは一緒』――」
セルドラの『竜の咆哮』と僕の『紫の糸』に、さほど力の優劣はない。
ゆえに、『詠唱』の我慢比べとなった。
一度でも途切れさせたほうが、相手に支配される。
面白い勝負だが、『代償』を支払った結果が、余りに不公平だった。
『適応』を払えば払うほど、セルドラは不安そうに顔を顰める。
対して、僕は『狭窄』に安心し切って、笑みを浮かべる。
不平等な我慢比べが、数十秒ほど。
終わりが、始まる。
「あぁ、明るい……。『クリスマス』みたいだ……」
千切れた『紫の糸』が粉々になって、次元属性の魔力となって海を漂っていく。
『元の世界』でありながら、『異世界』特有の魔力の雪となって、降り注いだ。
量が尋常ではなかった。
元々、無限に近い魔力量を誇っていた僕が、海に記憶を投影する魔法《リーディング・シフト》を使っては、失敗しては、再生しては、失敗。
さらに、この世で最も危ない『詠唱』によって得た魔力によって、『紫の糸』を広げては、粉々にされては、再生しては、粉々。
漆黒だったはずの深海が、紫色の淡い光で満ちた。
《ディメンション》のおかげで、その光の範囲の深さ、広さ、そして、高さがわかる。
いま、『元の世界』の全ての海が、発光していた。
まるで世界滅亡系の映画のように、海面が禍々しく光り輝いている。
七つの海が染まり切り、さらに天に向かって紫色の天幕が降りては揺らめいた。それは魔法《リーディング・シフト》の残骸を含んでいるせいか、全く不規則というわけではなく、ちょっとした魔法陣を映し出していた。
『世界奉還陣』を思い出す光景だ。
おそらく、いま『元の世界』の人々は、星の異常発光現象に慄いていることだろう。
さらに、あと少しで深海に収まり切らなくなった無数の『紫の糸』が、空に昇っていく。
怯えているかもしれないが、安心して欲しい。
この次元属性の魔力全てが、僕の制御下にある。
なので、地上まで達した紫色の天幕に、ちょっとした光魔法を乗せるくらいは、お手の物だ。その紫の光を目にして、網膜に映して、脳まで信号を送ったものは、例外なく見惚れてしまい、気にならなくなるだろう。――大丈夫、みんな。もう誰の邪魔もしない。すぐに『異邦人』は帰る。だって、ここは『ラスティアラの世界』じゃない。
「――魔法《スポットライト》」
星一つを対象とした光魔法が、『詠唱』した僕ならば可能だった。
体内の『理を盗むもの』たちの魔石が馴染んだおかげだ。
名実共に、『星の理を盗むもの』になろうとしていた。
その影響で、もはや深海は魔境と化す。
とても明るく、無数の『紫の鏡』が浮かんでいるようで、まるで万華鏡の中にいるような深海。
その中心に映し出されているのは、黒き悪竜。
砂浜で戦っていたとき以上に、セルドラの手足は肥大化していた。
『紫の糸』に対抗する為に、鱗の鎧で覆っている。
『竜の咆哮』をあげながら、翼と尾を動かし続ける。
ああ……。
なんて恐ろしい姿だろうか……。
竜と言えば、物語の『悪役』として最もポピュラーだろう。
そして、この黒き悪竜と対峙するとすれば、〝英雄〟しかいない。
〝英雄〟といえば、物語の『主人公』として最もポピュラー。
これから始まるのは、〝竜退治〟の英雄譚としか思えないから――
「――よかった。やっぱり、僕が『ラスティアラの主人公』だ――」
逆さになって堕ちながら、安心して、セルドラの『最後の頁』を読む。
指にかかる頁の厚みも、もうない。
いあいあかなみん。白い水晶。