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異世界迷宮の最深部を目指そう  作者: 割内@タリサ
9章.終わらない夢の続き
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447.夢の奴隷


「あの日からだ。あの日、十一番十字路で、おまえを誰よりも先に見つけちまったときから、ずっと愉しみだった。……もし、ここで『里帰り』を失敗させたら? ここで俺が裏切ったら? このカナミの心を揺さぶり続けたら、どこまで落ちていく? カナミとるなら、まだ魔石が馴染んでいない今しかない。あの日から、ずっと気になって、知りたくて、確かめたいって、そう思っちまってたんだ……」


 疑問符を重ねる度に、セルドラの笑みは深まる。

 想像しても想像し切れない未来に、底知れぬ歓喜を抱いている。


 ただ、笑いながらも、どこか泣きそうでもあった。

 自己嫌悪の笑みと共に、セルドラは宣言していく。


「『試練』は、わかったか? これから、おまえは追い詰められる。何も、守り切れなくなるまで、本気で……」


 ここまでの説明が、彼なりの八十守護者エイティガーディアンとしての義理。

 言葉選びから、それが伝わった。


 地に足をつけたセルドラは、ちらりと視線を逸らす。

 その先に《リプレイス・コネクション》の歪んだ魔法陣が、宙に浮かんでいる。

 お膳立ての話が真実なら、あの侵入路は潰す必要がある。


 そう考えた瞬間。

 すでに、目の前が真っ暗となっていた。


「――――ッ!?」


 夜が深まったわけではない。

 目の前に大きな壁が生まれて、夜空に浮かぶ星の光が遮られた。


 その大きな壁とは、セルドラの拳。

 『竜化』によって肥大化した手が、第一関節だけで、僕の上半身を超える大きさとなっていた。


 一拍遅れて、爆発音が耳に届く。

 セルドラが地を蹴った音だ。


 単純に、疾走と突きが速い。

 空だけでも十分速く動けるセルドラが、地に足をつけた理由は単純で、風の推進力に脚力も足したかったからだろう。


 拳には、魔法的な振動も付随していた。

 スノウの得意な《インパルス・ブレイク》とわかったとき、咄嗟の《ディフォルト》では逸らせないとわかる。


 触れた『術式』を破壊しながら、この拳は直進する。

 動く片腕の側面部分で、受け止めるしかなかった。


「くっ――」

『カナミ、受け流して――!』


 組み技か殴り合いに移ろうかと考えたが、直前に「待った」がかかる。

 足場への不安が、そのまま『声』となった。


 踏ん張れば、立っている岩場が持たない。

 そうなれば、いましがた眠らせた特殊兵さんたちが危険だ。いや、下手をすれば、島が持たずに海の中へと放り出される。


 足が浮く。

 前方からの衝撃によって、僕の身体は打たれた白球のように、砂浜から場外まで吹き飛ばされていく。


 一瞬で、海の上に。

 僕は着地するために、両足を水面に近づける。


 右腕は正体不明の『凝固』で固まったが、防御した左腕にダメージは無い。

 姿勢制御も出来ているし、高速で追撃に動くセルドラも視界で捉えられている。


 僕の身体が通り過ぎた海面あとが、濃い白の筆を奔らせたように、瞬時に凍りついていく。『水の理を盗むもの』との戦いを乗り越えた僕にとって、無意識の《フリーズ》で海を足場に変えるのは容易なことだった。


 分厚い氷の大地を作って、両足をつき、表面を削り砕きながら減速していく。さらに、ブレーキで舞った氷の破片に、魔法を込める。


「――魔法《アイスアロー・散花フォールフラワー》」


 魔力を染み込ませて、全てを矢の形状に変えた。


 そして、僕が通ってきたあとを飛来してくるセルドラに、その矢たちの切っ先を向けて、一斉に放つ。

 一矢一矢が、空の雲を吹き飛ばすほどの威力だが、


「柔らかいな」


 追撃してくるセルドラの身体に触れては、時間を巻き戻したかのように氷の破片に戻っていく。

 その高い体温と濃い魔力によって、液体に戻されて、水飛沫が散る。


「だから、本命はこっちだよ。――魔法《過密次元の真冬ディ・オーバーウィンター》」


 スキル『氷結魔法』を取り戻した僕は、身体に馴染んだ魔法を連鎖させていく。

 いまの水飛沫を利用して、効率よくセルドラの身体を凍らせては、鈍らせる。


 一瞬の停滞が生まれた。

 その一呼吸を使って、僕は最も自信のある氷結魔法を放つ。


「――魔法《ミドガルズ・フリーズ》」


 氷蛇の魔法。

 だが、魔法名の宣言後に生じる現象は、似ても似つかない「氷の壁」の作成だった。


 僕とセルドラを中心にして、周囲で円状に、白い壁が勢いよく昇っていく。

 《ディメンション》がなければ、全容はわからないだろう。僕は足元の海中に、島一つよりも大きな氷蛇を生成して、そのあぎとで戦場ごと呑み込ませようとしていた。


 ガチンッと氷蛇が口を閉じて、星の光を遮り、暗闇を生む。

 四方を氷で包み込み、このままセルドラを束縛・封印しようとする。


 しかし、セルドラは《過密次元の真冬ディ・オーバーウィンター》で突進と飛行の勢いを殺されて、宙に浮いた状態で――次の構えを取っていた。

 それは子供の遊びのように大雑把で、わかりやすい飛び蹴りの構え。

 ただ、その蹴り足が、子供の遊びでは済まないほどに肥大化していた。

 人間の五本指ではなく、竜の三つ指であり鉤爪。


「――《イクス・ワインド》」


 さらに、セルドラの風の魔法。

 本来は突風の魔法だが、説明書通りには使われない。《イクス・ワインド》は身体の頑丈な『理を盗むもの』が、大量の魔力で使用すれば、全く別の推進用魔法となる。


 セルドラの翼と背中が、爆発的な追い風を得て、加速する。

 そこから先は、たとえ《ディメンション》《過密次元の真冬ディ・オーバーウィンター》を展開していて、《シフト》『並列思考』で体感時間を引き延ばしていても、刹那だった。


 ――黒い『流星』の如き蹴りが、斜めに奔って、堕ちる。


 理解したとき、また片腕で受けていた。

 背中に氷の壁を砕いた感触があって、海の中に入っていた。


 セルドラの飛び蹴りを受け止めた僕は、《ミドガルズ・フリーズ》の口の中から出て、海中を斜め方向に――下へ、下へ下へ下へと落ちていく。

 そこから抜け出すには、常に振動している『竜の風』と《インパルス》が邪魔だった。

 これに触れられている間は、地震中にトランプタワーを作るくらいに『術式』の構築が難しい。


 その上で、セルドラの蹴りは重く、速く、強い。

 落ちていく『流星』の如き蹴りを逸らせず、僕の身体は海中の岩をいくつも砕き、何キロメートルも地表を削りながら、どこまでも斜め下へと落ちていく。


 このまま、海も大地も突き抜けて、地球の中心部にあるマントルまで連れて行かれるのかと思った。だが、夜よりも暗い深海に到達したところで、蹴りは止まってくれた。


 ただ、しばらく僕の身体は、慣性のままに吹き飛ばされ続ける。

 急増する水圧が凄まじい。常人ならば臓器が潰れるだろうが、『質量を持たない細胞』で保護されている僕の身体に問題はない。それどころか、哺乳類として必要条件である呼吸さえも、もう十分条件だ。


 吹き飛ばされている間、考える余裕があった。

 『無の理を盗むもの』セルドラの戦い方は、『風の理を盗むもの』ティティーに似ている。

 対等な力量を持つ相手のいなかった『王』と『総大将』は、二人で一緒に鍛錬して、その『体術』のスキルを身に付けたようだ。もちろん、『銃術』といった特殊な技術スキルのほうは、『異邦人』である始祖カナミの入れ知恵だろうが……。


 戦闘タイプが似ている上に、セルドラの力量はティティーと同等。

 上回っている部分があるとすれば、悪辣な性格と守護している層分の魔力程度か。

 そう分析し終えたところで、減速も終わり、海中に漂いながら僕はラスティアラの『声』を聞く。


『カナミィー! カナミが蹴られてる間に、あの島ごと魔法《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》で、扉を凍らせてきたよ。これで、戦ってる間に新しい人たちが、大聖堂に侵入することはないと思う』


 『並列思考』で任せていた遠隔魔法の成果を、ラスティアラの報告で確認する。

 感謝と共に、僕の隣で一緒に漂う彼女に頷き返す。


 こちらも左腕の『凝固』の解析が、そろそろ終わる頃だ。

 もう奇襲分のアドバンテージは取り返し切ったと思ったとき、セルドラの声が聞こえる。


「本当に余裕なんだな、カナミ」


 上からセルドラが泳ぎ降りてくるのを、僕の《ディメンション》が捉えていた。


 人間とは言いがたい光景だった。

 さらに『竜化』の進んだセルドラは、大きな漆黒の尾を揺らして泳いでいる。

 元々あった翼はヒレのように動かして、肌には硬そうな鱗が少しずつ生え始めていた。その上で、悠々と水中で喋る。


「ラスティアラの言葉を守り、知らない兵士も守り、『異世界』の門も守り、身体ノスフィーも守り……、俺すらも守ろうとしている」


 海の中でも、淀みなく聞こえた。

 竜人ドラゴニュートの特性だけでなく、振動魔法を利用しての発声のようだ。

 過去の迷宮探索でスノウも同じことをしていたので、僕も模倣して、魔法《ヴィブレーション》で返答する。


「まだ小手調べの段階みたいだからね……。それに、さっきも言ったけど、『理を盗むもの』と戦うときは、殴るよりも話したほうがいい」

「ははっ、それは間違いない。魂の叫びを曝け出すしか、『理を盗むもの』に声は届かない。こんな蹴りじゃ、ただ環境破壊するだけで、無意味だ」


 星の光の届かない暗黒の中、空気すらも必要とせずに僕たちは話す。


 『元の世界』にいるというのに、その実感が全くしない状況だった。

 それはセルドラも同じ感想のようで、周囲を見回して苦笑する。


「大して変わらないな。向こうの海もこっちの海も……。ただただ、暗い」


 会話に困った人が天気の話をするような話の始め方だった。


「そうかもね。でも、生物のほうは、かなり違うと思うけど」

「そうかぁ? 魚も海も味見したが、変わんない味だったぜ。いつも通り、味気ない味ばっかりだった。土も空も、夜も朝も、太陽も世界も……、新鮮さなんて一つもなかった。おまえはそうじゃなかったか?」


 戦いを中断して、暢気に話す。

 ただ、それは決して、手加減でも油断でもないだろう。


 本気だ。

 本気で『理を盗むもの』に挑戦しているから、会話という最も有効な選択肢を取っている。


「俺は千年前から、薄々と気づいていたんだ。『異世界こっち』に来ても、大した変化はない。俺のやることは一つも変わらないってな」

「『異世界』は楽しいよ……。生まれ変わったみたいに、色んな楽しいことが起きる。一日一日が新しい発見で、でも困難の連続で……。少なくとも、僕はそうだった」

「普通なら、そうなんだろうな。その生まれ変わったかのように新しい世界を、俺だって期待してたさ。絶対に、『異世界』の物語は楽しい……。楽しいはずだったんだ。新しい世界は希望に満ちていて、キレイで、明るくて、とても素晴らしいはずだったんだ。……でも、俺は飽きた。『異世界』に、三日で飽きちまった」


 セルドラは魂を曝け出す。

 本当に捨て身だ。

 かつての僕が、『理を盗むもの』たちとぶつかりあったときのように、セルドラも本気で話していく。


「なんも変わんねえ。……愉しいなんて、思えなかった。もちろん、それは俺の『呪い』のせいだ。俺自身がつまらないやつだからで、『異世界』は悪くない。俺の心が『呪い』に打ち克てず、未熟だったせいだ。楽しい生き方ってやつが、とことん俺が下手糞なせいだ……!!」


 徐々に振動こえが大きくなっていく。

 セルドラは身体を海中に漂わせつつ、さらに曝け出す。


 もう戦う体勢ではない。

 全身から力を抜いて大の字になり、光のない海面そらを見上げていた。

 そして、以前にティティーの言っていた『飽きる病気』が、彼自身の口から説明されていく。セルドラは致命的に、物語を楽しむ才能がないように見える。ティアラや陽滝と似ているようで絶対的に違うところは、そこだ。


「俺は生まれたときから、他人の楽しいと思えることに共感しにくかった。全くわからないわけじゃないってのが、厄介でな……。最初の新鮮なときは、まだみんなと共感できてる。けど、すぐに俺だけが飽きがきちまって、共感できなくなる。そのとき、死ぬほど、自分が嫌になる……」


 声に、振動が乗っている。

 魔法ではない。地上ならば、ガラスを破り、木々を倒し、大地を割るような――ただの悲痛な訴え。それが海水を伝って、僕の全身を叩いていく。


「千年前、『統べる王ロード』たちには言えなかった。仲間として、言えるはずがなかった……。誰かに言えたのは、南で工作員してるときだけだった。でも、本当は敵じゃなくて、北の誰かにわかって欲しかった。ずっとずっとわかってもらえなかったのが、俺は苦しかった。正直、いっそ最初から何一つ人の心のわからない大悪党だったらよかったのにと思った……! でも、俺は悪いやつってのが心底嫌いだった……! けど、とっくの昔に俺は大悪党になっていた……! くははっ、笑っちゃうよなあ! 上手く『逃避』しようとしては、失敗して! 上手く『適応』しようとしても、失敗して! 上手く『贖罪』しようとしても、失敗して! 失敗失敗失敗の繰り返し! ……それが、俺ってやつだった!!」


 魂の根幹まで、丸見えだ。


 これがティティーと戦ったとき、ヴィアイシアの同胞として数えられなかった理由。

 ヴィアイシアに仕えながらも、ずっと彼は一人の『魔人』として彷徨っていた。

 ティティーとアイドと同じく、ただただ余裕がなかった。


 その叫びを見ていると、なぜか、目の奥が熱くなる。

 鏡を前にして、まだ大丈夫大丈夫大丈夫と繰り返しているような気分がして。


「ただ、そんな俺でも一つだけ、ずっと愉しいものがあったんだ。ほんと趣味が悪いんだよ、俺は。大切なものが壊れていく姿は、なぜか飽きが来ない。……来てくれない。俺は『統べる王ロード』が大好きだった! 唯一、俺に近くて、共感してくれるんじゃないかって、ずっとあいつに期待してた! 俺と同じくらいに強いあいつなら、いつか俺のことをわかってくれるような気がして……でも、あいつは最っ高に、弱いやつで! ただただ、弱くて、いいやつでしかなくて! ああっ、本当に本当に最初は好きだったんだよ、『統べる王ロード』ォ……! 最初はぁああァア……!!」


 唐突な告白を聞いている間も、鏡の錯覚は止まらない。

 ぶれる鏡を、ずっと僕は見つめている。


大好きな姉弟あいつらの壊れる姿なら、いつまでも飽きずに見られる気がした。心のどこかで、愉しんでたんだろうな。だって、生まれたときから、俺はそういうやつだった。父上や母上、大切な人たちがみんな壊れていくのを見て、喜ぶようなクズ野郎だった。……頬が緩むんだ。肩が震える。笑っちまう。ははっ、生まれ故郷を滅ぼすのはぁああああ、愉しかったなぁあああああぁああ――!!」

「――っ!? ――《ディメンション・曲線演算ディファレンス》!!」


 大声が響く。

 防御魔法が必要だった。


 明らかに『代償』の乗っている叫びは、海中の生物を死滅させる音響兵器と化していた。

 ダメージを避けて、僕は次元魔法の膜で上手く衝撃を逸らしていく。


 それが数分ほど。

 維持し続けて、反響する振動を防ぎ切った。

 叫び尽くしたセルドラは、とてもつまらなさそうに、息切れする。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 こんなところで話を始めた理由がわかった。

 セルドラは周囲の被害を気にして、壊れるものの少ない場所を選んだのだろう。


 今回の戦場に『異世界』を選んだのは、千年前の和平時に『北』から『南』に向かったのと同じだ。――敵地ならば、自分の好きにできる。


 セルドラの一番の目的もわかる。

 ただ、単純に僕と戦って、追い詰めたいだけではない。

 その先にある相互理解を、狂おしいほどに求めている。

 かつての『理を盗むもの』たちと全く同じだ。


「ああ……。『理を盗むもの』たちはみんな、孤独そうだった……。誰も自分をわかってくれないし、気づいてくれない。だから、共感してくれる相手を――『親和』で託せる相手を、千年後の世界で捜している。俺も、そうだ。誰かを、待っていたんだ」


 息も絶え絶えにセルドラは話し続ける。

 喋りながら、僕を見て、本当に嬉しそうに笑う。


「ずっと『不安』だった。でも、カナミは最後の最後に、ちゃんと俺を映し始めてくれた。……やっと順番が来たんだと思った。だって、いまのカナミなら、俺の気持ちがわかるだろう? なにせ、俺より楽しんでないやつを、俺は初めて見たからな」


 セルドラは自分を曝け出して、僕に共感を求めている。

 その誠実な訴えを、無碍には出来ない。否定も肯定もできない。


「なあ、カナミ。楽しいって何だろうな? 俺は千年前から、ずっと考えてる。たぶん、カナミは千年後のいまになって、人生で一番考えてる。楽しむには、どうすればいい? 楽しいってなんだ? どうすればそうなる? その状態がわからない。定義が欲しい。教えて欲しい。でないと、『タノシイ』が俺たちには全くわかんねえ」


 楽しいとは何か?

 考えるまでもなく、ラスティアラと一緒に居ることだ。

 楽しむには?

 ラスティアラと話している間だけは心が落ち着いて、ふわふわと心地いい。


 状態も、定義も、よくわかっている。

 けれど、セルドラの言葉は僕の胸を打ち続ける。

 物理的にも心理的にも、壊れるほどに震わせてくるから、僕まで息切れしてくる。

 吸える空気なんてない場所で、必死に肺を上下させる。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

「楽しくないから、ずっと生き甲斐がない……! 苦しい。生きてるのが苦しくて苦しくて苦しくて、孤独なんだ! だって、もう何もない! 新しく楽しいことを探しても探しても探しても、もう見つかりようがない! いつの間にか、世界は無になっていたから! ないっないないないっ、無だ! もうどうしようも、楽しみようも、ないッ!!」


 生き甲斐がない。

 生きていても、苦しくて苦しくて苦しくて、虚無。

 何もない。ない、ない、ない。

 どこにも『彼女』はいない。


 ――少しだけわかる。


 それはまさしく、セルドラの望む共感というやつだったから、続けられる。


「もちろん、俺は努力したさ!! 誰よりも、楽しむ努力をしてきた!! 理不尽に負けず、不平等に腐らず、必死に楽しもうと、色んなことに挑戦してきた!! 楽しもうと楽しもうと楽しもうと、おまえらの遊びにも付き合った!! 国を救ったり、世界を救ったり! 国を滅ぼしたり、世界を滅ぼしたり!? 好き嫌いすることなく、全てに手を出したさ! だよなぁっ、カナミ!! 俺たちは文句を言わなかった! いつだって前向きだったし、肯定的だったさ! ただ、あれから、どれだけ経った……? 必死に「楽しい」って「素晴らしい」って「面白い」って「美味しい」って「心地いい」って、馬鹿みたいに口にし続けて、もう何年経った……? 笑顔を忘れず、仲間を忘れず、夢を忘れず、どれだけ頑張ってきた……? やれることは全部やった。なのに、まだつまらない。全部がつまらない。つまらないつまらないつまらない。何一つ、楽しいとは思えなかった。なに一つもだ! ひとっつも、楽しくねえっ!! なんでだぁああああ、なああああ!?」


 …………。

 結局のところ、今回の切っ掛けとなったのは、一週間前の十一番十字路での会話だ。


 全てが終わったあと、行く場所がなくなって、『呪い』に苦しみ続けて、救いを求めていたセルドラに向かって、わかっていても口にしてはいけないことを言ってしまった。

 ずっと頑張って頑張って頑張っているセルドラに、「変わらないね」なんて。

 ずっと必死に必死に必死に楽しもうとしているセルドラに、「辛いね」なんて。

 僕も救いを求めていたからって。

 軽々しく、共感してしまった。


「結局のところ、飽きたって話なんだよな。何もかも、飽きちまったんだ。最初は楽しかった物語も、すぐに似たようなことの繰り返し。読み始めたときには、先がもう見えてる。どれもこれも、あれもこれも、似たようなパーツの組み合わせばかり! 飽き飽きだ! 『魔法』も『科学』も、ほぼ同じじゃねえか! どこが違う!? こんな同じことを、また「楽しい」って有り難がれってぇ!? 無理言うなよ! 同じだ! どれもこれも、昨日も明日も、過去も未来も、何もかもが、もう――、もうッッ!!」


 セルドラは足場のない深海で地団駄を踏み、振動は増していく。

 防御魔法《ディメンション・曲線演算ディファレンス》を超えて、肉に血に骨に届き、いまにも砕けてしまいそうだった。


 そして、曝け出せば曝け出すほど、セルドラの身体が変異していく。

 弱音を吐くたびに、人間らしい形を失って、黒竜の鱗が広がっていく。


 このセルドラの言葉一つ一つが、意味を持っている証明だった。


「『つまらねえ』ッ!! 人生がつまらなさ過ぎて、つまらなさ過ぎて、つまらなさ過ぎて、『つまらねえ』ええぇえ!! 『つまらねえ』『つまらねえ』『つまらねえ』『つまらねえ』ええええ、『くっそつまんねえ』ええええぇええええッッ――――!!!!」


 セルドラの黒い翼が、歪に肥大化する。

 恐ろしい速度で、ただでさえ巨大だったものが、この広い深海を埋め尽くしていくほど膨らむ。


 もはや翼と認識できないほどの大きさとなったとき、翼は深海の天井代わりとなっていた。一切光の届かない深海を、さらに暗く閉ざす。

 これが、史上『最強』の竜人ドラゴニュート。生まれながらに、飢えて、求めて、貪りたくて、満たされなくて、破壊衝動を抑えきれずに、ずっと鳴いているセルドラ。


「『つまらなくて』『つまらなくて』『つまらなくて』、なんだよぉおおお、これはああああああああ――!! なんなんだよ、世界おまえはぁあああああよおおおおもおおおおぉおおおおおお――!!!!」


 さらに深海を揺らす振動が増す。


 不味い。

 これ以上の振動は、こちらの身体が持たない。

 そう判断した僕は、魔法を使う。


「――《ディメンション・曲線演算ディファレンス》!」


 半自動的に使っている魔法と違って、それは意識した全力の魔法だった。

 セルドラの叫びは、生半可な魔法では防ぎきれないから、濃い魔力を詰め込んだ魔法で、完全にシャットアウトする。


 セルドラの振動は特殊で、いかなる条件にも『適応』する凶器だ。

 と言っても、それすら上回るから僕は『次元の理を盗むもの』だった。

 あらゆる『理を盗むもの』の頂点に立つべく、あの陽滝によって調整されて、完成したのが理想の兄『相川渦波』。闇、地、木、風、光、月、水と、数々の魔石を身に宿し、いまや『星』そのものと化しかけている。


 ただ、『呪い』あっての強大な力。

 使えば使うほど、身体に――馴染む・・・


『カナミ!? セルドラは本気で叫んでる! 戦ってる! なら、カナミも本気で応えないと……!』


 『声』が聞こえる。

 わかっている。

 セルドラの本気に、本気で応えるべきだ。

 だが、でも、けれど、それでも、いまにも――


 見栄を張りたい。

 弱さを否定したい。

 生きているのが辛い。

 死に行くことも辛い。

 矛盾しているから辛い。

 辛いから、逃げ出したい。

 けれど、どこに逃げる?

 逃げる先なんてない。

 こここそが、僕の『頂上』。

 これから先は、ずっと『幸せな夢』が続くだけ。


 ――息が切れて、止まらなかった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」


 僕以上にセルドラは息切れしていた。

 叫び過ぎて、心配になるほど肺――いや、えら呼吸だろうか。どちらも人外の呼吸で、胴体を上下に動かし続ける。


 セルドラの咆哮は、本気で生き抜いているという言葉が似合う姿だった。

 生き抜くことだけが、『糸』さえ振り解く。

 『世界』さえ注目させて、釘付けにする。

 全力を持って、運命という大きな流れを変えようとしているのが、よく伝わった。

 その強敵を前にして、自動的にラスティアラが助言する。


『カナミ、ゆっくり深呼吸して……。冷静に、いまは必要な魔法だけを――』

それだ・・・


 だが、それをセルドラは、ふらつきながらも指差し、睨む。


「だが、こんな俺でもマシだとわかったのは、それのせいだ」


 叫び尽くした彼は、僕が見ている先にいるラスティアラを見て、憐れみ、目を伏せた。


「余所見とか余裕そうだな、『次元の理を盗むもの』カナミ。だが、おまえに余裕なんて、あるわけないだろ? 誰かを助けようとするのは、本当に助けて欲しいのはお前自身だからだ。俺もだから、わかる。――それでも・・・・死ぬまで真面目に・・・・・・・・頑張って生きる・・・・・・・って……、俺も誓ったから、わかる」


 共感しているのは、こちらだけじゃない。

 向こうもだった。

 あの日、十一番十字路で「変わらないね」「辛いね」と言ったときに。

 相互ゆえに、伝わり合ってしまっていた。


 ――それは、『次元の理を盗むもの』カナミの核心。


 大前提として、自分が大嫌い。

 だから、どんなに明るくて優しい場所を歩いていても、ずっと『自分の世界』だけは薄暗くて、淀んでいて、沈んだままで、何一つ変わらない。

 あの『最後の戦い』を頑張って頑張って、戦って戦って、その果てに待っているのが虚無感だけというのは、辛かった。

 本当は褒めて欲しかった。

 妹に、ティアラに。

 誰よりも、ラスティアラに。

 『最後の戦い』で、僕は立派だったと……。

 たった一言でいいから、もう一度だけでいいから……。

 声が、聞きたい……。


 ――けど、もう誰もいない。


 世のため人のために、連合国の復興を頑張った分、みんなは少しずつ『幸せ』になっていく。けれど、当の僕は大切な人たちを、たくさん失った。――ちっとも人生は、楽しくない・・・・・


 最大の狙いがわかった。

 こうもセルドラが本心を曝け出す理由。それは――


「おまえにも楽しくないと、心から言わせてやる……! カナミ、ちゃんと苦しめ! 苦しみを俺と分け合うためにもッ!!」


 世界の守護者ガーディアン『次元の理を盗むもの』カナミにも、同じ本心を曝け出させるため。


 セルドラの苛烈な振動さけびを防ぐ度に、僕は魔法を使わされる。それはスキル『並列思考』を使う余裕がなくなっていくということでもあった。振動こえによって、大切な『声』が掻き消されていく。


 だから、僕は抵抗を。

 抵抗を、しなければいけない。

 共感するな。釣られて、頷くな。でないと。抵抗しないと。このままだと、僕も壊れてしまう――


「――やらせるか。セルドラ・クイーンフィリオン」


 喉奥から煮え滾った感情が吐き出された。

 眼球が動く。

 ずっと僕は『狭窄』で、ラスティアラ・フーズヤーズだけを見ていた。ラスティアラを中心に、ラスティアラの物語を、ラスティアラの『主人公』として紡いでいた。


 ――しかし、余りに主張の激しい魂が、本気でぶつかってきていた。


 挑戦者の蒼き竜人ドラゴニュートは、いつもと様子が違った。

 戦場に合わせて、迷彩色の黒を纏っている。僕と同じくらいに伸びた黒の長髪が、深海で揺らめく。その黒い瞳は、自分と見間違えそうになる。


「やっと、こっちを見たなぁ、カナミ。はぁっ、はぁっ、はぁっ……、くははっ。ずっとどこを見てんのかわからなくて、滅茶苦茶きもかったんだぜ?」


 苦しそうに息切れしながらも、黒い翼を広げたセルドラが嗤う。


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