435.孤立
いつの間にか、カナミは甲板に上がっていた。
ゆったりとした動きで、近くのテーブルに座る。
『血陸』で航海中でありながらリラックスし切っている姿は、一人だけ全く別の時間軸を生きているかのように感じる。
そのカナミが、私とグレンのセルドラ談義に加わるのだが――
「『無の理を盗むもの』セルドラの『未練』は、普通の幸せです。それは例えば、気持ちのいい朝に飲むコーヒーのような……」
過程が全て飛んだ『答え』だった。
いや、私とグレンからすると、そう見えるだけで、ちゃんとカナミは物語を一頁ずつ進んできて、その『答え』まで辿りついたのだろう。
その成果を、親切心で私たちと共有しようとしているだけ。ただ、それだけで他意はないのだと、優しげな表情からわかるのだが……余りに、色々と、かけ離れ過ぎている。
「コーヒー……?」
「ご馳走します。異世界の特別な飲み物です」
グレンに聞かれ、カナミは少し得意げに『持ち物』からコーヒーセットを取り出した。
それが『元の世界』のお土産であることを私は知っているので驚きはないが、彼は見たことのない器具に少し警戒していた。
カナミは当然のように魔法で電気をポットに通して、グレンの用意した水を熱し、この『血陸』に場違いな趣向品飲料を淹れ終える。
ご馳走しようと、三人分。
綺麗なティーセットと共に、空いた椅子の前に置かれた。
もてなされた私とグレンは困惑を隠せないまま、それぞれの席に座っていく。
それを確認したカナミは、自らのカップに口をつけて、飲めるものであることを証明していく。
「……はあ」
コーヒーを喉にくぐらせて、感嘆と充足の混じった溜息をゆっくりと吐いた。
美味しそうに飲むものだ。
ただ、それは私にとって、とても不気味だった。
なにせ、私はカナミがコーヒーを嫌いと知っている。
幼少の頃、スパルタな親に「何でも笑顔で飲めるようになれ」と訓練されて以来、ずっと苦手意識が彼の中にあったはずだが……欠片も、それを感じさせない。
おそらくだが、スキル『執筆』か『演技』で、〝コーヒーが好き〟としているのだろう。
ここで重要なのは、それが決して無理やりでも不自然でもないことだ。
彼は「嫌いだけど、好き」という『矛盾』を、無理なく内包できる。それが『月』の性質を持って生まれながら、『次元』の属性を極めた『理を盗むもの』アイカワカナミだ。
私とグレンは席に座ったが、手をコーヒーカップには伸ばせなかった。
それをカナミは気にすることなく、話を進めていく。
雑談のように、とても軽い調子で。
「僕は『無の理を盗むもの』の『試練』を終えて、彼の人生を視ました。そのとき、セルドラもみんなと同じように、ささやかな幸せが欲しいと願っていると知り、いまはその協力をしています」
「み、みんなと同じように……? あんなことを、しておいて……?」
動揺していたグレンだが、それは聞き逃せなかったようだ。
義弟には甘いはずの彼が怒りまで滲ませていた。
「……長い間、セルドラは『生まれ持った違い』で、善悪というものがよくわかっていませんでした。ただ周囲をよく見て、学んで、わかっている振りをしているだけ。千年前、敵地で不幸を撒き散らしてしまったのは、それを止めてくれる人が『北連盟』にいなかったからです」
カナミは自身の持つ情報を、惜しみなく口にしていく。
セルドラの強みに、心のブレーキがないことを知った私たちだが、そこは薄らと予期していたので余り驚きはない。
「それは……、なんとなく僕もわかってる。けど、生まれや環境なんて言い訳にはならない。平等に生まれることができない以上、それを言い出していたらキリがない」
用意していたかのように、グレンは答えた。
そのとき、彼の視線は自らの左腕に向けられていた。
私が気づいているのだから、カナミも当然気づいているのだろう。
グレンがセルドラを責めるとき、必ず自らも同時に責めていることを。
「いま、セルドラは彼なりに優しい人間になろうと頑張っているんですが……、駄目ですか?」
「カナミ君は甘い。人殺しの悪党なんて、どいつもこいつも平気で嘘をつく。役人の目の届かないところに行けば、すぐ悪さを繰り返す。いつかは裏切るに決まってる」
「……ええ、わかってます。だから、僕とセルドラは『契約』をしたんです。いつでもセルドラを殺せる僕が見張り続けて――、もし嘘をついたり、目の届かないところで悪さをしたり、裏切ろうとしたら――、即座に介錯するという『契約』です。これで僕たちは互いに、心から『安心』できるようになりました」
「…………っ!」
グレンは息を呑む。私と同じように彼も『次元の理を盗むもの』と目を合わせて、その黒い瞳を覗きこんでしまったようだ。
その「何もかもを見通すかのような目」は、もう比喩ではない。
いまのカナミに虚飾は通じない。
目の届かないところもない。
裏切ろうにも裏切る方法がない。
だから、そんなふざけた『契約』が、カナミとは成立してしまう。
「それでも、カナミ君。もしセルドラが変われたとしても、もう取り返しはつかないんだ。この先、セルドラがたくさんの人を救おうとも、かつての犠牲者の無念は消えない。同じ魂は、この世にない。引かれた分だけ足して、それで帳消しなんて……。『引かれた魂』たちは、のうのうと生きるセルドラを決して許しはしない」
「それは……、僕もそう思います。セルドラもそう思っています」
カナミは否定しない。
この会話をするのを先に知っていたかのように……いや、すでに『予知』済みなのだろう。こちらも用意していた答えを返していく。
「それでも、罪を償おうとする前に、諦めてしまうのは嫌です。たとえ、間違っていたとしても、贖罪しようとするセルドラを、僕は応援したい。もしかしたら、ずっとセルドラが諦めずに頑張り続けたら、いつか誰もが納得のいく結末に届くかもしれない。今日までに犠牲となった全ての『引かれた魂』が救われて、残った『理を盗むもの』たちもより素晴らしい最期を手に入れられるかもしれない。そんな『理想』の未来を、僕は出来る限り目指し続けたい。後悔のないように、全力で――」
甘い理想論だ。
グレンの主張に反論できていない。
「間違っていたとしても、後悔のないように……、贖罪を……」
しかし、グレンは返答に言い詰まっていた。
それも選択肢の一つであると、彼も頭の隅で考えていたからだろう。
おそらくだが、お人好しの二人は、根っこのところで似ているのだ。
だから、真正面からぶつかり合えば、こうも簡単に分かり合えてしまう。
話は均衡し、停滞し、甲板の上は静かになった。
血の匂いの混じった風が吹く音だけが聞こえる。
もう終わりかと、そう思ったときだった。
「――君は、どう思う? 実際に、セルドラの被害に遭った清掃員さんは」
カナミが私を見ていた。
ファフナーの話のときと同じように、セルドラについても聞く。
その質問はグレンも気になるようで、黙って興味深そうに目を向けている。
『……私、ですか?』
問われ、少しだけ考える。
どちらの言い分も私は理解できる。
よくある話で、妥当な主張が二つぶつかって、平行線って感じだ。
こういうときは、口が達者のほうが勝ち。
それが嫌なら殺し合いでもして、強かったほうが採用。
というのが真理だと思うのだけど……どうしても、当事者である私の意見が聞きたいらしい。
正直、困った。
なにせ、私は二人と前提からして違う。
――そもそも、私はセルドラを罪人とは思ってない。
確かに、手段は非道だったかもしれない。
けれど、戦争するのに甘いことは言ってられない。
セルドラは時代の要求に合わせて、一人の将として最適な選択を取っている。
絶対に自国民から犠牲は出さず、徹底して敵国民には冷酷に――趣味と実益のバランスを取りつつ、しっかりと『北連盟』に成果をもたらした。
だからこそ、彼は『北連盟』の偉大な総大将として、千年後まで讃えられ続けたのだ。
悪人がどんなときだって悪人だなんてことはないだろう。逆もまた然りだ。
見ようによっては、セルドラは私財を吐き出して、大陸全体の技術発展に貢献したとも取れる。
はっきり言うと、ヘルミナ様とセルドラに違いはない。
あるとすれば、それは研究中の表情だけ――
という意見だが、それは少し言いにくい空気だ。
『私からすると、あの頃の研究院は大変潤っていて……、それでその、なんというか……』
言いよどみつつ、助けを求めるように視線を彷徨わせて――途中、甲板で動いているものを見つける。
ベッドで眠っているはずの長身の女性が、長い金の髪を揺らしながら、大きな欠伸をしている姿だった。
『……あっ』
さらに目覚めたシスの小さな呟きを、私は聞き逃さない。
「ん……、この匂い……。んぅ……?」
目をこすりながら、ベッドを出ていくところだった。
そのまま、雛鳥のように頼りない足取りで、私たちのいるテーブルまで近づいてくるのを見て、すぐに私は席を立つ。彼女の傍まで寄って、手を取り、この面倒くさい話の乗ったテーブルまで案内する。
「カナミ、なにこれ……。朝ごはんの時間?」
席に着いたシスは寝ぼけた様子で、そう聞いた。
いま、テーブルは別の話の途中だったが、彼女を無視すれば厄介な拗ね方をするとカナミは知っているので、仕方なく対応する。
「えっと、こんなに血の臭いがきついところで、よくわかったね。……何か食べたいの?」
「……食べたいわ。食べないと、元気が出ないもの。何か美味しいのを頂戴」
「じゃあ、食パンでも焼こうかな。せっかく、コーヒー淹れてるし」
コーヒーに合わせて、パン用調理器具をテーブルの上に取り出していく。カナミはグレンさんの様子を見ながら、朝食の準備を進めていく。
「一応、グレンさんと僕の分も焼いて……」
その間に、シスは手を伸ばして、グレンが手をつけていなかったコーヒーカップを取った。
そして、無警戒にも口に含み、その強い苦味に目を見開く。
「――まっ、不味!? なにこれ!! いい匂いなのに、味は最悪!!」
口に合わないものを飲み、完全に目を覚ましたようだ。
シスは周囲を見回して、いまの自分の状況を確認していく。
視認されたグレンも、カナミのように仕方なく給仕を始める。
私の目論見通りだった。
「シス様。よろしければ、こちらの水をどうぞ。それはコーヒーと言って、カナミ君の世界の特殊な飲み物なので……」
「た、助かるわ。ええっと、あなたは……、あれ?」
「グレン・ウォーカーです。ちなみに、ここは『リヴィングレジェンド号』の甲板で、あと少しでファフナーのところに到着ですよ、シス様」
「そ、そう。あなたが、例の現地の案内人……。って、えっ? ということは、色々ともう終わりじゃない? どれだけ私は眠っていたの?」
「一日だけです。運良く、第一目標の僕と早くに合流して、予定が大きく繰り上がったんです」
「そ、そう……。それならよかったわ。……いや、むしろ、これはラッキーなことじゃない? この私が『血の理を盗むもの』と接触する前に、万全となったのだから!」
「やはり、シス様が秘密兵器なのですか? だとしたら、確かにとても良いタイミングで起きましたね」
「ふっふっふ……。ええ、私は秘密兵器よ。そのために、かなり前から色々と準備してきたのだから――」
シスの能天気な声に、先ほどまでの張り詰めていた空気が緩んでいく。
グレンは彼女の前でセルドラの話を掘り返すのは躊躇われたのか、苦笑いを浮かべながら聞き役となっていく。
シスは自分の力が、いかに有用であるかを楽しそうに説明していき――数分後には、トーストが焼き上がり、さらに別の声が聞こえてくる。
甲板ではない。
船内に続く扉の向こう側から、聞き慣れた声が響く。
それは少し険悪なようでいて、愉快そうな話し声。
クウネルとセルドラの声だった。
「――むむっ、これは! この匂いは、もしや!」
「だから、言ったろ? いま起きたら、丁度いいって。時間ギリギリまで寝るなんて、怠け者のすることだ」
「はいはい、感謝してます。けど、二度と起こさないでくださいね。寝起きでセルドラ様の顔を見るのは、死を覚悟するほどびっくりするんで」
「……はあ。ほんとおまえは俺に容赦ないな。これでも、地味に傷ついてんだからな」
いま起きたばかりの様子の二人が、扉を開いて姿を現した。
セルドラの身だしなみは髪の先まで整っているが、クウネルは寝癖まみれで目はしょぼついていた。会話からも、セルドラが先に起きて、仲間の寝坊を防いだのがわかる。その二人の登場で、さらに空気は和むかと思われたが――グレンの表情は硬くなる。
先ほどの話を引き摺っているのは、傍目から見て明らかだった。
その微妙な空気をクウネルは無視して、小走りでテーブルに向かっていく。
「やっぱり、会長がパンを焼いてたでぇ! シス様も起きてるー」
その後ろをセルドラは、どこかクウネルの保護者面をしつつ歩いていた。
先ほどのセルドラ談義がなければ、大変微笑ましい光景だろう。
――ただ、グレンだけは固まった表情で、じっとセルドラを睨み続けている。
このままではいけない。
私は『傍観者』ながらも、意を決する。
そして、セルドラ談義の決着をつけるべく動き出す。
席を立ち、クウネルとすれ違い、その後ろのセルドラに近づき――
『失礼します』
げしっと。
その脛を蹴った。
「なっ!? ……な、なんで、いま俺を蹴った?」
硬すぎる足で、逆に私の足にダメージがある。
向こうのダメージは皆無なので、セルドラは本当に不思議そうな顔をして、ただ困惑していた。
『千年前、本当に色々ありました。とはいえ、ただの清掃員にできるのは、このくらいでしょう。一先ず、これで私はあなたを許します』
これで、今度こそ本当に、セルドラ談義は終わり。
少しだけ偉そうかもしれないが、これが話のいい落とし所ではないかと思う。
ただ、わかっていることだが、その説明はセルドラに伝わらない。
伝わったのは、言葉の通じているカナミと――、グレン。
セルドラは首を傾げながら、カナミに助けを求めた。
「は? なあ、カナミ。いまこいつ何て言った?」
「これで、セルドラを許してやるって言ってるよ」
「は、はあ……? 許す? 千年前の清掃員が、なんで俺を――」
話しつつ、すぐ近くの私を睨み、途中で言葉を詰まらせた。
見つめ続けること数秒。
セルドラは何かに思い至り、少しずつ顔を青褪めさせていく。
先ほどの『血の魔獣』戦のときよりも、さらに血の気が引いていた。
どうやら、セルドラも気づいたようだ。
千年前に、私と交流があったことを。
「いや、そんなまさか……、いまさら……」
『そのまさかです。けど、気にしないで構いません』
私は即答する。
その言葉の通訳を、アイコンタクトでカナミに頼む。
「そのまさかだけど、気にしないでいいってさ」
「へ、あ……。そ、そうか……。そうなのか? そういうものなのか……?」
確かめるように、繰り返す。
さらに、きょろきょろと周囲を見回して、本当に言葉を額面どおりに受け入れていいか、その確認を取ろうとする。
カナミもシスもクウネルも和やかな空気で、特に気にした様子はなかった。
グレンも表情を固めたままなので、セルドラは「そういうものか」と私の言葉を飲み込む。
そのあとすぐに、先ほど席に向かっていたはずのクウネルが、私に近づいて叫ぶ。
「ちょいちょいちょーい! 清掃員ちゃーん! なーんで、ぶっ刺さないんです? 出会ったときは、すっごい尖った肉で攻撃しようとしてたのに!」
私がセルドラを蹴ったのを見て、楽しげに絡んでくる。
そして、『血の人形』として敵になっていたときの力を私に求めた。
言われるがまま、私は手に力を込めて、形状を変えてみようと試みる。すると、大変あっさりと要望通りの手に変形した。
『ええっと、こんな感じですか?』
「それそれ! セルドラ様は隙あらば、それで殺してオーケーやからね」
『殺しませんよ。この方は、研究院の大事なお客様です』
「オーケー? わかってくれた? おー、わかってくれたー?」
『……なんだか、この方を見てると研究院の家族を思い出しますね』
「オーケーオーケー! よーし、次はブッ殺しましょーねー! この男、いないほうが世の為だから、気兼ねなく! ほんとに死んでも、ただ魔石となって世界貢献になるだけなんでー」
『本当に可愛い……。ただ、あなたも死んだほうが、世の為人の為になりそうですが』
「あっ、笑った! 絶対、いま笑った! あと死んだほうがいいって、同意してくれた感じだった! いまの変な言葉!」
会話は成り立たないが、問題はなかった。
コミュニケーションを取るのに、さして言葉は重要でないと、私は人生をかけて学んでいる。
私の皮膚のない身体に、クウネルは遠慮なく抱きつく。
その彼女の頭を私が撫でることで、親交は深まっていく。
かつての家族たちのときと同じように、ぐっと距離が縮まっていくのを感じた。
その様子を見るセルドラは、カナミの隣の席に座りながら話す。
「あの馬鹿、喋れないくせに懐かれてるぞ」
「当然だよ。クウネルは言葉が通じないとか見た目がちょっと変くらいで、差別する子じゃないからね。あれでも、異文化交流の権威さんなんだから」
「いや、異文化交流って話じゃなくてだな。……『理を盗むもの』の俺たちに負けないくらい、あいつもおかしいよなあって話で」
「別に、おかしくなんかないよ。僕はみんな普通だと思う」
そうカナミが首を振ったところで、一行は完全に朝食タイムに入ってしまう。
私も食べられないながらも、クウネルの隣の席に着いておいた。
彼女が興味本位で私の分のコーヒーに口をつけて「うぎゃ!」と喚き、セルドラから「大人にしかわかんない味だからな」と煽られているのを、すぐ隣で見守り――その見守る私を、グレンは見守り続けていて――、とうとう観念したように一息つく。
「……はあ。カナミ君、美味しそうだから僕にも一枚だけ、くれないかな? 大事な戦いの前に、腹ごしらえをしたいんだ」
「もちろん、構いません。……もうすぐ、ですからね」
当の被害者である私が、クウネルと船旅を楽しんでいるのを見て、色々と諦めたようだ。
先ほどのセルドラ談義を蒸し返すことはなく、この最後の晩餐に加わっていく。
シスとクウネルとは違い、満腹を避けての少量だが、同じ卓を囲んで同じものを食べる。そして、隣の席でトーストを何枚も勢いよく食べているシスに、苦笑いを浮かべながら話しかけた。
「それにしても、シス様はよく食べますね。先ほど、身体は魔法そのものだと言っていましたが、僕たちとほとんど変わらないように見えます」
「ん? そうね。この『魔法の身体』は、ほぼ普通の人間と変わらないわ。……いや、カナミに頼めば、色々と状況に合わせて変えられるのだから、普通の人間以上に便利よ」
「……へぇ。それは、羨ましい話ですね。しかも、魔力量は『理を盗むもの』たちに匹敵していませんか?」
「単純な魔力量だけなら、そこのセルドラも超えるわ。なにせ、あの『血の力』を極めたティアラの……、私の昔の『友達』の技術が、この『魔法の身体』には全て使われているんだもの。人々のレヴァン教への祈りが全て、私の力となるのよ。すごいでしょう?」
「なるほど。だから、使徒様は『血の力』の研究の集大成なのですね。魔人、呪術、魔石、宗教、魔法――、ヘルミナ・ネイシャの『五段千ヵ年計画』に、あなたも深く関わっている」
「そのあたりのことは、よく知らないのだけれど……、そうみたいね。だから、私と言う存在は、『血の理を盗むもの』本体のヘルミナ・ネイシャに特効だって聞いてるわ」
「でしょうね。いま、僕も納得しました。間違いなく、『血の理を盗むもの』との戦いで、その力が重要となるはずです」
「ふっふっふ。次の戦いでは、この私をよく見てなさい。気持ち悪いのは駄目だけど、慣れた『理を盗むもの』相手なら、私も全力を出せるわ!」
ずっとサボっていた自覚が、シスにはあるのだろう。
しっかりとお腹に栄養を流し込んだあと、気合を入れた様子で、胸を張った。
子供のように真っ直ぐな目で、ここからは自分の活躍の番であることを強調するのを見て、グレンは小さく「期待してます」と笑い、シスは「任せなさい」と答えた。
同時に、グレンはトーストを口の中に押し込むようにして、一枚食べる。
そのときの彼の表情は、とても渋い。
先ほどの「実は、僕も余り好きじゃない」というのが嘘ではないのを証明するかのように、どこか苦しげに食べ終えた。
いつの間にか、カナミは『持ち物』から保存食や新鮮な野菜のサラダもテーブルに並べてある。
ただ、それにグレンは手をつけることなく、先んじて食事の挨拶を終わらせる。
「――ご馳走様」
言い残し、席を立ち、甲板の端まで移動していく。
船を操っている船長として、道が外れていないかを確認しているようだ。
先ほどの私と同じように、血の海を覗き込んでいる。
――ただ、それだけではないと、直前の表情から私にはわかった。
私の身体は美味しそうな食事が並んでいても関係ないので、グレンの後ろを追いかけた。
隣に立つと、彼は視線を動かすことなく、近寄ってきた私と話してくれる。
「君も、海の底を見て。千年前のファニア領の地形が再現されてる。これが君の生きていたところだよ」
『え? これが私の生まれた……、ファニア領?』
急に、故郷であることを指摘されて、言われるがままに柵へ近づいた。
綺麗な血の海の奥には、広い平原が広がっていた。
真っ赤だったが、全く見えないことはない。ささやかな木々と草原、それと朽ちた街道が一本伸びている。
ただ、私は研究院を出たことがないので、懐かしさは全く感じない。
空から見下ろすのは楽しいが、さして見所のある風景でもないので、興味は長く続かなかった。
『いや、そう言われても――』
首を傾げる様に、私は隣のグレンを見た。
彼は私の疑問に気づいているだろうに、それを無視して、水平線あたりにある黒色を指差し、自分の話したいことだけを話していく。
「あそこに、反り返った大きな壁っぽいのが見えるだろう? あれが街の外壁だ。あの中に入ったら、すぐ『第七魔障研究院』に飛び込むといい。その最奥の『御神体保管室』に、ファフナーはいる。きっと記憶のままだから、迷うこともない。真っ直ぐ向かうんだ」
着いたあとの道案内を、先んじて説明をした。
それは、どこか急いでいるような口調。
まるで、そのときにはもう自分はいないかのようにも聞こえる。
『研究院の中まで、一緒に来ないのですか?』
だから、私は率直に聞いた。
聞かれたグレンは、少し悲しげに首を振る。
柵から離れつつ、遠くのテーブルで食事を摂る『一次攻略隊』を見て、理由を語る。
「僕は、あのパーティーの一員じゃない。あの中にはもう……、上手く混じれないみたいだ」
そんなことないと、私は否定しようとした。
しかし、その否定を否定するように、グレンは自らの眼帯を上に寄せて、『魔人化』を隠していた肩掛けも背中側に払い、その異形の姿を見せつけた。
「ファフナーと話し合いするのなら、あれが理想のパーティーなんだろうね。狂気が歪に安定していて――話せば話すほど、こっちの自信がなくなる」
外から力が加えられて、歪むように偏った『魔人化』は、大陸の獣人たちの変異とは本質が違う。
こうして、もう二度と【元に戻らない】姿にされた実験体を、私は何度も何度も見てきた。
その最期も、たくさんたくさん見送ってきた。だから、今回も――
「何より、彼らと話していると全部上手くいく気がしてくるんだ。そういう風に物語は出来ているから大丈夫だって、いつの間にか、『安心』してしまう。――本当に、僕たちのリーダーの言っていた通りだった」
グレンが歩き出すのを、私は止められない。
雑談くらいならば混じれる。
しかし、そうでないのならば、動くわけにはいかなかった。
それが『傍観者』として生きて死んだ私の性だったから。
「だけど、やってみないとわからない。やる前に諦めるのは、僕だって嫌だ。生き抜くことが唯一、運命を変えられる方法だというのなら、僕は――」
グレンは歩き、甲板のテーブルに戻った。
そして、食事を摂るシスの背後から、その冷たい左腕で、トントンッとシスの左肩を叩く。
「みなさん、時間です。着きました。もう終わりにしましょう」
「グレン? 船を降りるのは、別に食べ終えてからでも――」
――速かった。
それを、私の目は追い切れなかった。
ただ、覚悟はしていたので、何が起こったのかは、何とか理解できた。
シスが振り返る前に、すでにグレンの左腕から伸びた『黒い糸』がシスの身体に絡み付き終えていた。
瞬く間に、ぐるぐると拘束するように巻きつき――その内の一本の先端が、湖に釣り糸を垂らしたかのように、ぽちゃりとシスの胸部に入り込んでいる。
彼女の血肉を無視して、それは直接心臓まで届いているのだろう。
「へ? ど、どうし――」
疑問をシスが口にし終える前に、『黒い糸』は動く。
海から釣り上げるかのように、あっさりとシスの胸部から引き抜かれた。
――彼女の魂である白い『魔石』が、『黒い糸』によって体外まで強制的に排出される。
すぐにシスの身体は発光し、指の先から髪の先まで全て、魔力の粒子に換わっていった。
全身が宙に溶ける。
事前にグレンの口から、『黒い糸』は魂に触れることができると聞いている。
その説明に嘘はなく、擬似的な《ディスタンスミュート》が果たされた。
「なっ――!?」
シスが魔石とされた。
それも瞬く間に。
あっさりと。
裏切られて。
その凶行に誰よりも早く反応して声を出したのは、テーブルの対面にいたセルドラ。
焦りの表情と共に、動き出そうとしていた。
しかし、その前にグレンがシスの魔石を引き寄せて、右手で摘み、『黒い糸』が絡みついているのを見せ付ける。
「セルドラ、立つな。――動けば、『使徒』シスは永遠に、この世界から消える」
そして、脅した。
焦りつつもセルドラは冷静で、命令通りに動きを止める。
顔を目一杯歪めて、冷や汗を流している。
切羽詰ったセルドラの表情から、彼の考えていることが私でも少しわかる。
『黒い糸』が特化しているのは「魂の切断」と暴いたのは、他ならぬ自分。
想起するのは、無残にも『血の魔獣』たちが処理されていった戦いの光景。
魔法生命体のシスならば、まだ取り返しがつく。だが、下手をすれば「永遠に、この世界から消える」というのは真実。
そこまで理解して、セルドラから「なぜ?」と問いかけるような視線が向けられた。
見たのは裏切ったグレンでもなければ、その隣で仲間のように見守っている私でもない。
私と同じく、速過ぎて目が追いついていないクウネルでもない。
静かに座ったままのカナミを見た。
※「異世界迷宮の最深部を目指そう」のコミカライズが決定しました。
コミックガルドさんで7月末あたりから開始(だと思います!)。
活動報告にて、詳しい説明をしています。新しい情報も、追ってそこで。
※同時に、7/25に「異世界迷宮の最深部を目指そう12」発売です。よろしくお願いします。
という朗報続きですが、来週お休みさせてください。
単純に私の執筆ペースが落ちていて、不甲斐なくてすみません……。




