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異世界迷宮の最深部を目指そう  作者: 割内@タリサ
9章.終わらない夢の続き
426/518

422.異世界の気持ちいい朝


 『元の世界』からの帰り際。

 『切れ目』について、僕はクウネルに話した。


 ただ、話した情報は少なく、大雑把なものだ。

 それは例えば、名前や生態について。

 その『切れ目』の奥にあるものを、過去の陽滝もティアラも『世界』と呼んだ。


 呼称が揃ったのは、そう呼ぶしかないほどに、それは巨大だったからだ。

 それを千年前、二人は『異世界』と『元の世界』で、それぞれ見つけて、目を合わせてしまって、巨大な意志を感じ取った。

 それを僕も感じ取っていたからこそ、その正体を何よりも先に知りたかった。


 ――使徒ディプラクラから聞き出したところ、そこは『世界全ての魂と繋がっている最も奥深き場所』とのことらしい。


 その名称を聞いたとき、僕は驚いた。

 造語や名詞が付けられていないことを喜んだ。なので、これ幸いと僕は格好いい名前を考えようとした。だが、それは途中でディプラクラさんに「さ、『最深部』じゃ! あれは迷宮の『最深部』と、ほぼ・・同じ場所じゃ!」と、残念ながら遮られてしまった。


 その『最深部』の特徴だが、まず距離や空間といった概念が曖昧で、とにかく広大だ。

 数値化できないほどに広く、誰が見ても無限という言葉を浮かべてしまうほどに大きい。


 事実、初めて僕が異世界に来て、初めて(のつもりで)『次元の力』を使ったときに見た『向こう側』は、無限の奥行きを感じていた。本当の・・・魔法・・』の『詠唱』をする際に感じる無限に近い魔力エネルギーも、ここが出所だろう。


 その無限という言葉を軽々しく許容できてしまう場所には、無数の魂との『繋がり』がある。

 生きている魂が存在しているわけではない。世界を生きる魂たちから発せられる意志が、そこに届いて、溜まっているのだ。

 それは残り香のように薄いものだが、『世界全ての魂と繋がっている』となると、その規模は天文学的だ。無数の魂の意志が一箇所に溜まり、重なり合って、膨らみ膨らみ膨らみ――結果、誰もが『世界』と見紛うばかりの巨大さを感じてしまう。


 つまり、あの巨大な意志は、いわば世界全ての魂の本能ということらしい。

 そして、その本能的な総意から、僕は『元の世界』に嫌われてしまっている。

 正確には、「『元の世界』の人々は本能的に、あらゆる魂を凍らせて、食い尽くそうとした『相川兄妹』を拒絶している」ということだ。


 ちなみに、『異世界』からは嫌われていない。

 その理由は、薄らとだがわかっている。『異世界』が『陽滝の物語』を最後まで見て、聞いて、読んで、愛着を抱いてくれたからだ。『元の世界』と違って、僕たち兄妹を危険な失敗作と認識していない。


 とても人間らしい話だ。

 この話を聞いたとき、明らかな上位存在でありながら、まるで人のように好き嫌いがあることに僕は困惑した。


 それに使徒ディプラクラは「決して、あれは人ではない。もっと恐ろしく、醜い」と答えて、もう一人の使徒シスは「人のよう? 確かに、そう考えたほうがわかりやすいわね!」と頷いた。


 その上で、シスは二種の『最深部』の性格を――

 『異世界』は、産まれたばかりの幼子。

 まだ未成熟なのに厄介な病に罹ってしまい、とても弱っている。

 『元の世界』は、身体の丈夫な青年。

 心身共に成熟していて、とても健康的だったが、ちょっと前に低体温症で死に掛けた。

 ――と擬人的表現で評した。


 それをディプラクラは失笑していたし、僕も余りに人間的過ぎると話半分に聞いた。

 ただ、この二ヶ月間、二つの世界を行き来していくにつれて、シスの表現は遠く外れていないと感じ始めている。

 捻くれ気味の僕やディプラクラと違って、いつだってシスは直球で感じたままを口にする。だからこそ、物事の核心を本能的に突いているときがある。


 今回も、それに当たると思ったからこそ、僕は付き合い方を変えようと思った。


 二つの世界との付き合い方を、もう少しだけ人らしく、優しく――、『世界』という強大な存在に挑戦するのではなく、決して特別ではない『子供』を守るように――


「ふぁぁあ……」


 僕は欠伸あくびを漏らしながら、身を起こして、目を覚ました。

 身体に掛かっていた毛布を払い除けて、目元をこすりながら、周囲を見回す。


 暗く、じめじめとした地下室だ。だが、狂わない体内時計のおかげで、いまは早朝だとわかる。

 外は快晴。雲の少ない澄み渡った空に、地平線から昇る太陽の橙色の光が差し込んでいる。街の人々が少しずつ活動を始めているのが、《ディメンション》はなくとも、響く振動だけでも感じられる。とても穏やかで、優しい目覚まし時計だ。


 その小さな揺れを感じるのは、僕が自室にフーズヤーズ大聖堂地下の隠し部屋を利用しているからだ。

 色々な理由を考慮して、千年前の始祖カナミの書いた『呪術』の資料が詰まった書庫にベッドを持ち込み、できるだけここで眠るように気をつけている。


 そして、今日はぐっすりと八時間睡眠した僕は、ベッドで身を起こして――視線を・・・僕から向ける・・・・・・

 その先には、件の『切れ目』が浮かんでいた。

 ちゃんと目は合うし、奥に潜む巨大な意志も、きっちりと感じられる。

 シスの言うところを信じれば、それは病気がちの幼子――


「……おはよう。元気?」


 朝の挨拶をかけた。

 もちろん、声は返ってこない。


 静寂の中、一呼吸置くと、少しだけ恥ずかしくなってくる。

 何の事情も知らない人が、いまの僕を見ると、とても電波的だ。

 目覚めた瞬間、何もない宙に向かって、呼びかけるなんて……と思ったが、最近は『次元の力』の都合で、大切な人の幻覚を見ているので、そう変わらないだろう。なので、これからは毎朝、挨拶をしようと決意する。


 本当に幼子ならば、誰かが目をかける必要がある。

 この『異世界』で生きる『誰か』が。


「ふぁぁ、よく寝た……。こんなにぐっすり寝たのは……、ラグネに殺されたとき以来かな。ははは、はあ……」


 ちょっと辛いシーンを思い出してしまって、溜息が出てしまう。

 しかし、すぐに口を閉じて、前を向く。俯いていても得られるものはないと奮起し、これからの自分のスケジュールを頭に浮かべて、『いま僕が出来ること』を探そうとする、のだけれど――


「今日から、お休みか……。三日も、休日があるんだ……。んー……、あー……。んー……、二度寝しよ」


 お仕事は昨日まで。昨夜のクウネルの報酬支払いを終えて、『いま僕が出来ること』はなくなってしまった。


 二ヶ月間、タイトなスケジュールを全力でこなした結果、本格的にやることがなくなったわけだ。なので、もうやることと言えば、二度寝くらいしかない。

 久しぶりに惰眠を貪ってやろうと、僕は起こした身体を倒して、柔らかなベッドに沈み込ませていく。


 ただ、セルドラが言っていた通り、僕の身体は一晩でHPもMPも全回復している。

 眠気が振り払えないわけではないし、疲れがあるわけでもない。

 ぐっすり睡眠で、気力も体力も充実している。


 その上で、限界まで緊張を弛ませようと、二度寝に集中するのだが……得てして、こういうとき、自分から怠けようとすると上手くいかないものである。


「……か、身体が、二度寝を必要としない?」


 この身体は『魔の毒』の変換率を表すレベルが、99に届きかけている。そして、その《魔力変換レベルアップ》の『術式』の方向性は、僕の『病に打ち克つ強い身体を作る』と陽滝の『永遠を生きられる強い身体を作る』のハイブリッドなので、人間的な機能の強化が凄まじい。


 どうやら、その強化の方向性だと、寝起きの気だるさは排除されてしまうようだ。

 そんなちょっと虚しい事実を確かめたところで、僕は身を起こし直す。

 《レベルアップ》の『術式』を弄ったり、シスが使っていたステータスの振り直しを真似れば、二度寝はできるだろう。だが、そこまで頑張ってしまっては、もはや惰眠とは呼べない気がした。


「大丈夫……。このくらいは想定内、想定内」


 僕はベッドから降りて、この書庫兼寝室にある唯一の机に向かっていく。

 椅子に座って、あるアイテムを『持ち物』から取り出す。

 それは、こういうこともあろうかと用意していた一品。


「買っててよかった」


 昨日の帰り際、ついでに購入していたコーヒーメーカーである。

 セットで購入したコーヒー豆やカップも机の上に置いて、僕は頬を緩める。


 現代文明の利器を持ち込み、一人で独占し、堪能するという贅沢が、なんだか妙に嬉しかった。そのよくわからない快感に酔いしれつつ、コーヒー豆をセットしたところで、とある欠点に気づく。


「コ、コンセントがない……」


 あと、書庫なので普通に水もない。

 とはいえ、困ることはない。

 それを解決する手段が、僕にはあった。


「――魔法《ウォーター》、《ライトニング》」


 『持ち物』ではなく、魔法を選択したのは、せっかくなので最高のコーヒーを目指したかったからだ。


 まず、水属性の基礎魔法《ウォーター》。

 少し前まで、水属性は苦手分野だったが、陽滝との戦いを経て、水・氷への理解は深まった。その上で、体内には『水の理を盗むもの』の魔石がある。さらに言えば、千年の戦いを経て、あらゆる基礎となる『質量を持たない細胞』の仕組みも理解し切った。


 結果、魔法で『温度・硬度・酸素量・有機物量の完璧な清潔で美味しい水』が宙に生成されて、ポットの中を満たしていく。

 続いて、『電流と電圧のバランスの完璧な家電用の電力』を指先から発生させて、差し込みプラグに触れる。

 さらには、持ち込んだコーヒー豆も《ディメンション》と《フレイム》を駆使して、理想の按配で瞬間的に焙煎し、《フリーズ》で冷却する。

 こうして、科学と魔法の融合した理想のコーヒー生成が始まり、数分後には――


「――ふっふっふ。完璧だ」


 もう魔法で、直接的に『美味しいコーヒー』を作ったほうがいいのでは? という野暮な発想が思い浮かびかけたが、『科学と魔法の融合』というロマンワードのために、頭の中から追い出して、その完成品に感動する。


「これが世界初、科学と魔法を合わせたコーヒー……。ふ、ふふふっ――」


 融合していることに意味があるのだ。

 なぜなら、ここは『異世界』であり、森羅万象に意味があり、『代償』となる世界。きっと科学と魔法を合わせたという行為が、『世界との取引』となり、力を与えてくれる。この初めてのお手製コーヒーに、無限のコクとキレを――きっと与えてくれる。


「…………。うん、美味しい」


 少し近くの『切れ目』から、「力なんて送ってない!」と何度も首を振っているような野暮な視線を感じる気がするけれど、それは無視して、朝のコーヒーを堪能した。


 流石、科学と魔法の融合したコーヒーだ……。

 明らかに、いつもより味に深みがある……。


 と頷きつつ、せっかくなので視界を次元魔法でずらす。

 網膜を無視して、脳内に届く風景を、朝焼けで彩られた大聖堂の美しい庭だけにしてみた。

 僕は太陽の光に目を眩ませながら、清々しい朝を迎えられたことに感謝する。


「眩しい……。いい朝に、いいコーヒーだ……」


 優雅にコーヒーカップに口をつけつつ、独白する。


 ただ書庫の中なので、いまの姿を他人から見られると、とても危ない人だ。

 途中、野暮な視線がドン引きの視線に変わったような気がしたけれど、これからの僕の休日はずっとこの調子なので、覚悟して我慢して欲しい。


 続いて、僕は近くの本棚から小さめの本(自著)を一冊取り出して、上手く片手で頁を捲りながら、もう片方の手でコーヒーカップに口をつける。なんだか、とても上流階級っぽい気がした。


「ふ、ふふふ――」


 惰眠を堪能する計画は失敗したが、コーヒータイムによるリフレッシュは見事成功だった。

 およそ一時間かけて、完全に暗記している呪術書を意味もなく読み返しつつ、じめじめとした地下でありながらも脳には美しい庭を認識させ続けて、コーヒーを三杯飲み干した。


 こうして、完璧すぎる朝のコーヒータイムを終えた僕は、『持ち物』にコーヒーセットを入れてから、席を立ち、屈伸を始める。


「それでも、ディアとの約束の時間まで、まだ時間が余ってる……。んー」


 身体をほぐしながら、『切れ目』に向かって話しかけつつ(決して、独り言ではない)、千年ぶりに穴だらけとなっている自分のスケジュールを見直して、困る。引き篭もりの時代の僕ならば、ゲームで時間を埋めたものだが、こちらの『異世界』ではそうもいかない。


「早めに行ってみようか……。クウネルには五分前行動って言ったけど、必ず五分前に辿りつくってのも、なんだか不健康だ。もっと僕は適当で、ルーズにやっていいんだ……」


 僕は身支度を終えてから、《コネクション》も《ディフォルト》も使わないと決めて、書庫兼寝室から出る。

 狭い隠し通路を通って、地上の大聖堂に出ると、脳内に魔法で広げていた光景イメージが実際の視界と重なっていく。


「うわぁ……」


 眩しい。

 肌で暖かさと陽光も感じる。

 瑞々しい匂いが迸るのが気持ちよかった。

 なので、僕は廊下でなく、自然豊かな庭の中を歩いていく。

 朝の散歩代わりに、土と草を踏んで、自然の音を耳にしながら、木々の合間を抜けていく。


 途中、大聖堂で働く神官たちと、すれ違うこともあった。だが、ティーダの仮面の力があるので、僕とばれることはない。

 とはいえ、その隠密は完全というわけではない。『素質』やレベルの高い騎士や『魔石人間ジュエルクルス』たちには、あっさりと看破されることもある。

 なので、調練中の騎士団の隣を歩いているとき、その代表である白髪交じりの壮年騎士に僕は見つかってしまう。


「――ん? げっ、少年……じゃなくて、始祖様だ。おいっ、頭下げろ! 総員っ、頭下げまくって、へりくだりまくれ!」


 そして、三十人ほどの調練中の騎士たちに、要らない号令をかける。


「「「え……? あ……、はっ――!!」」」


 騎士一同は一瞬遅れて、近くを通っている僕が僕であることに気づき、美しい騎士の敬礼を取った。


「ホープスさん、わざとでしょ……。スルーしてくださいよ」


 相変わらず、僕が嫌がることを的確に行なう『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』だ。しかし、どこか憎めないのが、このホープス・ジョークルという男である。


「やあ、カナミ殿。今日もいい天気だ。というより、珍しい。今日は暢気に散歩か?」

「はい、今日は散歩ですね。この二ヶ月で、やるべきことは大体終わったので……。これからディアと街を回る予定です」

「え? いや、そりゃ散歩とは言わねえよ。ほんとこえーな。ここで俺みたいなおじさんが時間を稼いでも、恐ろしい未来しか浮かばん。頼むから、ディア様のところまで急いでくれ」


 軽薄な笑いと共に、いつかの戦いを思い出す台詞を投げられる。

 僕は笑みを浮かべて、彼の気遣いに感謝しつつ頷いた。


「はい、そうします。それでは、また」

「ああ、またな。今度、ほんとに暇なときにでも、一緒に呑みにいこうぜ」


 僕を見送ったホープスさんは、すぐさま騎士たちの調練に戻った。

 その切り替えの早さと雰囲気の軽さが、彼が『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』であり、部下たちに隊長と慕われる理由だろう。


 その姿を尻目に見つつ、僕は大聖堂の庭を通り抜け切る。

 そして、大聖堂外周の川に架かった跳ね橋の途中で、『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』副総長のモネ・ヴィンチさん(かつて大聖堂を襲ったとき、ホープスさんのあとに戦った魔法特化のおじさん騎士だ。ずっと名前がわからなかったが、この二ヶ月でようやく知れた)とも、すれ違って気づかれてしまったが、こちらは僕の心情をよく理解してくれているので、ちゃんとスルーしてくれた。

 彼は副総長として騎士たちを取り締まる役割を持っているので、礼節に厳格で、雰囲気が少し重めだ。


 ――などといった本当に懐かしい出会いもありつつ、僕は大聖堂から抜け出して、フーズヤーズの街に出る。


 早朝ながら人通りは多く、街に熱が渦巻いていた。

 二ヶ月前までは、陽滝の《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》によって映画に出てくる氷河期の様相だったが、いまでは以前の活気を完全に取り戻している。――いや、僕の二ヶ月の努力もあって、以前以上であると自信を持って言える。


 《ライン》を引き直すついでに舗装し直したので、道は歩きやすく、心なしか行き交う人々の流れが早くなっている気がする。

 少し前にアイドが広めた車輪技術も、この新しい街道では使いやすいはずだ。


 その人と物の流れの早さが、この熱と活気に繋がっているはずだ。

 なにより、大事なのは、その流れに混ざる『魔石人間ジュエルクルス』や元奴隷たちの姿だろう。元々、連合国は獣人の多い多民族国家だったが、その傾向がさらに色濃く出ている。

 朝のざわめきと共に、多様な種族の子供たちの陽気な笑い声が聞こえてくる。


 その街並みを、ゆったりと時間をかけて歩き、見聞きして、『元老院』でフェーデルトさんに言われた「存分に平和という報酬をお楽しみくださいませ」という台詞を思い出す。


 確かに、これは報酬だと思った。

 なにより、僕に向いている。

 こういうのに、僕は心底向いている。


 もちろん、向いているというのは、政治のことではない。

 それは過去にティティーと将来の『職業ゆめ』について話したときから、わかっていたこと。

 結局、僕は『英雄』ではなかった。その器はない。かといって、『医者』になれるような人間でもないだろう。クウネルは『職人』に向いていると言ってくれたが、それも違う。かつてはそうだったとしても、いまの僕にとってのモノ作りは全て、魔法が基準となってしまう。先ほどのコーヒーが最たる例だ。


 ――だから、僕の将来の『夢』は、もう一つだけ。


 一つだけになったからこそ、その道は明快で、この街道のように広く長く整っていて、とても歩きやすいと思った。

 僕は自分の道を確認し直しつつ、フーズヤーズの街と国境を越えて、隣国のヴァルトに入っていく。以前と同じく、軽く『魔石線ライン』が引かれているだけなので、越境は楽々だ。


 ヴァルトに入ると、熱が一層と増す。

 フーズヤーズと比べると裕福さは減るが、代わりに生命の力強さの迸る街だ。


 そして、ここまで来ると、目的地までは遠くない。

 少し懐かしい空気を味わいながら、ゲームならば『最初の町』とも呼べるマップを歩き、ディアと初めて出会った場所まで辿りつく。


 迷宮前の酒場だ。僕にとっては、こここそが『異世界』のレストランであり、かつての勤めアルバイト先でもある。


 酒場の入り口前で周囲を見回すが、ディアはいなかった。

 お昼前くらいに集合と約束していたのだが、少し早く着いてしまったようだ。

 先に中で待っておこうと考えて、店内に入ろうとする――その前に、近づいてくる魔力の塊を肌が感じた。


「あ、これ……」


 完全に緊張を解いて、《ディメンション》といった次元魔法は全く使わず、あらゆるスキルが弛んでいても、その接近はわかった。

 遠くから、見知った体重の女の子が走ってくる足音が聞こえる。

 片足が魔力の塊なので、その歩調と足音は本当に特徴的だ。


「――カ、カナミッ!!」


 もう間違えようがない。街道の先から、昨日の始祖の装い――ではなく、探索者然とした格好のディアが、名前を呼びながら、こちらに駆け寄ってきていた。

 後ろに結った髪を尻尾のように揺らす彼女に向かって、僕は答える。


「おはよう、ディア」

「はぁっ、はぁっ……! おはよう、カナミ……! 悪い、待ったか?」

「いや、いま来た所だから、気にしないで。というか、まだ時間にはちょっと早いくらいだよ」


 少し気恥ずかしい待ち合わせならではの定型文が交わされたあと、ディアは一安心した様子で「そうか」と胸を撫で下ろした。


「それで、どうかしたの? 息を切らして」

「ちょっと追われてて……、とりあえず、歩きながら話そう! こっちだ!」


 ディアは僕の手を引いて、酒場から離れるように歩き出した。

 今日は、この懐かしの酒場で昼食を摂るのかと思ったが、そうはいかない理由があるらしい。きょろきょろとディアは周囲を警戒しつつ、先ほど僕が歩いてきた道を逆走していく。


 そのディアを見て、少し昔を思い出す。

 出会った頃の彼女は、レヴァン教の神官たちに追われていて、常に落ち着きがなかった。いつも何かに追い詰められていては、迷い、戦い、傷つき、ぼろぼろになりながら、人生の道標となる光を探し続けている……そんな印象が強かった。


 しかし、いまのディアを見て、もうそんな印象は抱かない。

 追われていても、表情に余裕が満ちている。迷いはなく、好戦的な気性も落ち着き始めて、進む道を自分の持つ光で照らしている。


 さらには、その姿も変わった。

 何気なく、ディアは僕の手を引いて歩いているが……魔法による義手義足を使っての歩行だ。凄まじい錬度によって、魔力とは思えないほどに流麗で自然だった。


 仕組みはわかっていても、誰にも真似できないだろう。『理を盗むもの』という反則を除けば、間違いなく魔法のセンスはディアがトップだ。

 かつてディアは、膨大過ぎる魔力量と未熟さゆえに、細かい操作ができていなかった。だが、知り合いの魔法使いたちと切磋琢磨し、数々の激戦を潜り抜けたことで、あらゆる追随を許さない領域に至った。


 もうディアに戦術的な隙はない。

 彼女の手足を奪った原因である僕が言うことではないが、生活の中で常に右手と左足を魔力で補っているからこそ、その技術が鍛え続けられて、咄嗟の接近戦の幅が広がった。

 彼女の変幻自在の魔力の手足は、あらゆる武器防具よりも強固で、重く、素早く、鋭い。


 もう一年前のように、前衛の僕は必要としていないだろう。その事実に、少しだけ寂しく思いながら、僕の手を引くディアに聞く。


「これ、誰に追われてるの? また教会関係?」

「いや、教会関係で俺に何か言うやつは、もう一人もいない。ディプラクラとかフェーデルトが、睨みを利かせてくれているからな」


 警戒と移動を中断することなく、歩きながらディアは答える。


「それじゃあ、もしかして……」

「ああ。フランの馬鹿が気づいて、一緒に来るとか言い出したんだ」


 フランの馬鹿。

 つまり、ディアの親友となった貴族の少女フランリューレ・ヘルヴィルシャインのことだ。ライナーの義姉であり、『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』の中でも圧倒的に家柄のいい箱入り娘さんであり、とても好ましい口調の女の子である。


「あいつ、今日は色々と忙しいはずなのに、全部キャンセルだとか言い出して……。カナミのこととなると、あいつは無茶苦茶だ。だから、知られたくなかったんだ。はあ」

「ふふっ」


 想像ができて、僕は笑った。


 それは無茶苦茶な発言をするフランリューレの姿ではない。とても仲のいい二人の想像だ。

 きっと何気ない会話からフランリューレが目敏く、今日のことを悟って「――そういうのは卑怯ですわ!」と迫り、ディアは面倒くさそうに「しっ、しっ」と追い払う光景。

 そんな親友同士ならではの遠慮のないやり取りを、僕は陽滝の《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》で一度見ている。


 僕の妹は、決して最後まで優しさを失わなかった。

 だから、あの優しい冬の世界による夢は、全てが『本物』。

 あの時間で得た絆は、いまの現実の世界まで続いていて、ちゃんと繋がって――


「けど、なんとかここに来るまでに振り切れた。……シスのやつが助けてくれたんだ。あと、ついでにライナーも」


 繋がった上で、最後の戦いを乗り越えたからこそ、夢以上の素晴らしい『いま』という時間がある。

 いまディアの傍にいるのは、フランリューレだけではない。

 優しい夢ですらいなかった名前が、ディアの口から出る。


「ライナーはなんとなくわかるけど……、シスも?」

「シスも休みだったから、昨日から俺と一緒だったんだ。それで、俺のためにフランの足止めを買って出てくれた。……あとで、何かお土産買ってやらないとな」

「へえ、あのシスが……」

「あいつの前では言えないけど、色々と助かってるんだ。その気はないだろうけど、シスが使徒として偉そうにして目立てば目立つほど、俺への負担が減るからな」


 ずっと『ディアブロ・シス』は各国から、使徒としての責務を果たすように望まれてきた。しかし、『シス』の部分が明確に分離されたことで、事情は大きく変わった。


「そうだね。最近は、シスのおかげで助かってることが多い」


 世界のことしか考えていなかった昔と違って、シスは身近な人にも目を向けられるようになった。

 友人のディアのために身を挺する事だって、いまの彼女ならばできるようだ。


「ああ……。今日もシスのおかげで、カナミと二人になれた! 今日は、カナミと二人っきりで、街を……! 二人っきりで……?」


 口にしていく途中、ディアは振り向いて僕の顔を見た。

 そして、ゆっくりと彼女の視線は下に落ちていき、僕と手を繋いでいるのを再認識した瞬間――、言葉が止まった。


「…………っ!」


 手を繋いでる状況と「二人っきり」というワードに、ディアは自分でしたことながら動揺していた。

 その小さな口の形が半月から丸に変わって、「あわあわ」と震え出す。

 さらに連動して、彼女の魔力の手も震える。見事な錬度で整っていたはずの腕の輪郭が、ふやふやに揺れては動き、膨らむ。


 実体を失った魔力の腕は、握っていた僕の腕をアメーバのように包み、そのまま呑みこんだ。

 その魔力量はレベル59に相応しく膨大で、質も最高峰。あと少しでもディアが力めば、石臼で挽いたかのように僕の腕は潰れることだろう。だが、僕が動くよりも先に、ディアが対応する。


「――ふ、ふう……」


 ディアが一呼吸入れると、霧のように広がっていた魔力が収束し直されていった。

 瞬きする間に、元の魔力の腕に戻る。


 結局、形が崩れたのは一瞬だけだった。

 完璧とまでは言えないが、魔力とスキルに振り回されていないと判断するのに十分な魔力の制御コントロールだった。


 前みたいに、ディアから背筋が凍るほどの恐怖を感じたり、巨大な魔法の手で握り潰されることはない。もう二度とないと、僕は確信している。


「――ふ、二人は久しぶりだな、カナミ! もしかして、初めて組んだとき以来じゃないか!?」


 ディアは照れを誤魔化すように、大きめの声で会話を続ける。

 どうやら、ずっと二人きりを望んでいたけど、いざとなると照れてしまっているようだ。


「そうだね。レベルが一桁だった頃以来だと思う」

「ああ。あのときは、夜に酒場で出会って……、一緒に組んで迷宮へ行って……。この街で、色々と『冒険』して……。ははっ、懐かしいな!」


 ディアは顔を紅潮させて、心底照れながらも、まだ僕の手を引き続ける。


 手を離すタイミングを見失ってしまったのだとわかり、とても僕は和む。

 昨日のクウネルと違って、わざとらしさをディアからは全く感じない。そこに計画や打算はなく、ただ本当に、どこにでもいる少女のように、僕と買い物をして、その状況に心を乱してしまっている。


 正直、クウネルとの買い物は和気藹々としながらも、どこか仕事の一環として競争している部分があった。

 だが、ディアは違う。

 出会った頃からずっと思っていることだが、ディアは他のみんなと比べると裏がなく、とても安心できる。その安心感に、ずっと僕は助けられていたんだと思う。


「その懐かしい酒場で、お昼を食べるのかって僕は思ってたんだけど……」

「俺もそのつもりだったんだ。けど、いま戻ると、フランが――」

「食べてる途中で、やって来そうだよね。というか、前にもそういうことがあったような」

「あのフランだからな。よくわからん勢いで、なんとかするときはなんとかするやつだ。で、そのよくわからん勢いに、シスとライナーの二人は弱い気もする。いま、しれっと、そこの道の角から現れても、俺は驚かないぞ」


 僕とディアは同時に立ち止まり、行く道の先を見る。

 フランリューレが足止めのシスとライナーに勝利して、笑いながら「探しましたわ!」と登場するシーンが、脳裏によぎった。


「確かに……、ありそう」


 普通に考えれば、フランリューレが使徒と義弟に勝てる要素はない。

 しかし、僕たちにはない理不尽さを、あの少女は発揮するときがある。


「だろ?」


 ディアは嬉しそうだった。

 とても得意げに、フランリューレの理不尽さを自慢した。


「じゃあ、仕方ないから、別のところで食べようか。どこがいい?」

「ああ、慎重に店を選ぼう。いや、今日はもう、一つの場所に固まらないほうがいいな……」


 ただ、フランリューレを誇っているからこそ、ディアは最大限に彼女を警戒していた。

 追跡を振り払うように、僕の手を引いて何度も道の角を曲がっていく。


 そして、その果てに、僕たちは道外れの広場に辿りつく。

 そこまで広さはないけれど、所狭しとたくさんの露店が開かれていた。

 そういえば、迷宮近くに駆け出しの職人たちの試作品を売っている場所があると、僕が駆け出しの探索者だった頃に酒場で聞いたことがある。偶に迷宮で拾ったものが投売りされているからお買い得だという話だったが――よく見ると、露天のほとんどが食べ物系だ。一時的な迷宮の半封鎖は、ここまで影響が出ているようだ。


「露店か……。いいな。ここでちょっと食べよう、カナミ」

「え? ここでいいの? せっかくだから、高そうなお店を探してたんだけど」

「ろ、露店で食べてみたいんだ……。駄目か?」


 ディアが下から覗き込むように問いかけてきて、今度は僕に動揺が走る。

 繰り返すが、クウネルと同じ仕草でも、破壊力が違う。そのお願いに首を振ることは、僕には不可能だった。


 それに、もしかしたら……。

 ディアが買い食いにこだわっている理由は、過去の『聖誕祭』が原因かもしれない。

 あのとき、二人で行く約束をしておきながら、結局ディアがお祭りを楽しめることはなかった。けれど、僕・ラスティアラ・マリア・アルティの四人で前夜祭を楽しみ、ゲームや買い食いを楽しんでいて……、それをディアは、たぶん……、ラスティアラから聞いて、「いつかディアも、私と一緒に買い食いしようね」という約束をしていた可能性がある。


「それじゃあ、ここで食べながら歩こっか」


 そう決めると、ディアは裏表のない笑顔で「ああ!」と喜んだ。

 そのまま、僕の手を引いて、一つの露店を選び取って注文していく。


 買ったのは、辛そうな匂いのする油で揚げた木の実。

 その盛り合わせの入った袋を手に持って、追っ手を警戒して、歩きながら食べる。


「これ、俺の故郷の特産品やつだ。懐かしいな」

「うん。美味しいよね、これ」

「え……? 食べたことあるのか? カナミが、これを?」

「前の聖誕祭のときにあったよ」

「なんだ。それなら、別のにすればよかったな。カナミにとって新鮮かと思って、これにしたのに」

「いや、大丈夫。新鮮は無理かもしれないけど……、懐かしいのは僕もだ。本当に懐かしくて、美味しい」


 その一袋は二人でつつきあったので、あっさりとなくなってしまった。

 すぐにディアは次の露店を探しつつ、僕との話題も探していく。


「そういえば、また向こうの世界に戻ったんだって? 最近、みんな里帰りが流行ブームだよな。カナミは今度こそ、家に帰ったのか?」

「いや、僕の家には、もう違う人が住んでたからね……。別のところで新しい生活を始めていた両親とも、結局話さなかったよ。遠目に元気な様子を見て、すぐこっちに戻ったんだ。何も伝えないほうがいいって、そう思ったから……」

「そっか……」


 包み隠さず、ディアには全てを話した。

 それを聞いた彼女は神妙な面持ちで、話を続けていく。


「なあ、カナミ。俺の里帰りについて、聞いてくれないか? 結構前に、聞きたそうにしてただろ?」


 両親と会わなかった僕の判断に、ディアが何かを言うことはなかった。

 代わりに、今度は自分の里帰りの話をしようとする。おそらくだが、その話の中に、僕に言いたいことが詰まっているのだろう。


「うん、ちょっと気になってる。よくわかったね」

「流石にわかる。俺が逆の立場でも、シスと一緒に里帰りしたー! なんて聞いたら、滅茶苦茶気になるからな。いい機会だから、いま聞いてくれ。俺が故郷で何をしてきたかを」


 ディアは軽く話し出していく。

 自らの故郷について、穏やかな声で。


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― 新着の感想 ―
[一言] 読み返しましたが、この話、 カナミが、美味しそうにコーヒーを飲んでる というだけであれなんですね
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