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413.あとがき


 魔法《私の世界の物語テイルズ・ラストティアラ》を維持し続けるということは、信じること。

 同時に、『夢』を見るということでもある。


 ――だから、『行間』で二人が最後の頁を迎えるまでの間、ずっと『相川渦波ぼく』は『夢』を見ていた。


 とても懐かしい『夢』だった。

 千年前よりも、もっと昔。

 『元の世界』での原風景。

 幼少期に過ごした高層マンション。

 相川家にある自室で、僕とラスティアラは遊んでいた。

 天井にある新品の電灯のおかげで、部屋の中はとても明るい。騒がしいゲーム音楽の鳴る画面ディスプレイの前で、現代日本に相応しくない装いの男女が肩を並べている。


 『夢』特有の時系列を無視したシュールな組み合わせだ。

 絶対にありえないとわかっていても、『夢』を見ている間は中々気づけない。

 だから、その『夢』の中に、いきなり妹の陽滝とティアラの二人が現れて加わっても、あっさりと僕は信じた。


 僕たちの遊んでいたゲームをやりたいと二人が騒ぎだして、仕方なくコントローラーを譲って、引き継いだ。そして、僕とラスティアラは苦笑しながら、部屋の隅のソファーに座って、一息つく。

 陽滝とティアラが仲良く遊んでいるのを、じっと後ろから眺める。


 本当に、ありえない光景だ。

 けれど、『夢』を見ている間は、その優しい時間を心から信じられた。

 魔法《私の世界の物語テイルズ・ラストティアラ》の維持の為だけでなく、自分の為にも、ラスティアラの為にも、その光景を信じ続けて、静かに見守って――次第に、川のせせらぎの音が、遠くから聞こえてくる。


 とても静かな音。

 耳の奥にある不安や恐れといった闇を、綺麗に洗い流してくれる優しい旋律。


 それは、ずっと留まり続けていたものが流れ始めた合図だ。

 同時に、ここには永遠は居られないという通告でもあった。


「……ああ」


 意味を理解して、僕は唇を噛む。

 目じりが固まって、喉奥が苦くなって、ソファーカバーの端を破れそうなほどに強く握る。


 その僕とは対照的に、隣のラスティアラは穏やかに微笑んでいた。

 彼女に言われる前から、もう僕だってわかっている。


 ラスティアラなら間違いなく、「カナミ、いいから行こう!」と元気よく僕を送り出すことだろう。

 そういう明るくて楽しい彼女だから、僕の『たった一人の運命の人』となった。

 だから、僕はソファーに座ったまま、目を瞑る。


 強く強く目を瞑って、目を開く。



 ――目が覚める。



 『夢』の先は、例の何もない空間ではなかった。

 あの『行間』に戻ることは、もうない。

 意識が覚醒していくのに合わせて、僕は『現実』へ戻っていく。


 もちろん、その現実とは、《異世界の冬ウィントリ・ディメンション》でもなければ、高層マンションのある『元の世界』でもない。

 『異世界』の新暦1015年。

 『開拓地』連合国北にあるフーズヤーズ国の大聖堂。

 その庭の中央部にある亀裂の入った石畳で、僕は倒れていた。

 頬に冷たさを感じて――しかし、凍るほどの冷気でないと気づき、ゆっくりと身体を起こしていく。


 まず、瞳に飛び込んできたのは、激戦で荒廃したフーズヤーズの中庭。

 時刻は夜だった。しかし、今宵は星と月が、とても明るい。そのおかげで、周囲の様子が見て取れた。もう視界を遮っていた吹雪もなければ、地面を覆い隠していた積雪もない。

 ありとあらゆる冬の象徴たちが溶けて、代わりに浅い川が流れていた。

 水浸しの庭から、春という季節を感じる。


 その様子から「終わり」も感じた僕は、自分の身体を確認していく。

 魔力・体力は空っぽで、血を抜かれたように全身が気だるい。魔力で構築されたローブは維持されているが、仮面は戦いの途中で構築が解けて体内に戻ったようだ。一年で伸びた髪先が水に濡れていたので、ローブの袖で拭おうとして――その手が、『たった一人の運命の人』は離していないのを目にする。


 左手に、本が握られている。

 さらに強く握り締められた右手の中には、何もない。ないが、あの『白虹色に輝く魔石』は、手の中よりも奥深く――僕の魂の中にあることを確認して、一安心する。


 濡れた前髪を拭いながら、ゆっくりと僕は立ち上がる。

 産まれたての小鹿のような足のせいで、平衡感覚が覚束ない。

 左手の本の重さに振り回されて、転びそうになる。

 けれど、なんとか地に足をつけて、前に進む。


 ぴちゃぴちゃぴちゃと水の浅瀬を踏み歩き、ローブの裾を引き摺って、彼女の傍まで近づく。


 僕とお揃いの黒の瞳を、明るい星空に向けて、深い吐息を漏らしていた。

 四肢から魔力の粒子を舞い上がらせて、この『異世界』を包んでいた《冬の異世界ウィントリ・ディメンション》と共に、少しずつ溶けて消えようとしている。


 ついさっきまで一緒に戦っていたティアラは見当たらない。

 けれど、間違いなく、いる・・。いまティアラは『約束』を果たして、陽滝と運命を共にしようとしているとわかる。


「……陽滝。……ティアラが、勝ったんだな」


 ティアラの勝利を信じていたから、その言葉はすんなりと出た。

 そして、それを証明するように妹は、こちらに向き直り、柔らかな返事をする。


「……はい。みなさんが、合わせてくれたおかげです」


 自らの敗因を口にした。

 その意味を、いまの僕なら理解できる。

 この最後の戦いでは、本当に舞台の演者たち全員の息が、合っていた・・・・・。ラスティアラや『理を盗むもの』たちだけでなく、敵である陽滝までも。


 だから、脚本家たちの思惑を大きく超えていき、最上の物語を引き寄せた。


 おかげで、「終わり」を迎えても、まだ陽滝と話せる時間があるのだろうか。もし、これが本ならば、ちょっとしたあとがきの一言を残していい時間が残っている気がした。


「兄さん――」


 その時間を使って、陽滝は僕に呼びかけて、言いよどんだ。


 もう妹との間に、黒い天幕はなくなったおかげか、簡単に気持ちは察せられた。

 これまでの僕に対する全てを贖罪しようとして――しかし、その資格が自分にないとわかり、何度も言葉を引っ込めている。

 それは僕も同じだった。

 妹に謝りたいことがたくさんあって――けれど、それを口にするのは遅すぎると気づいているから、何も言えない。


「…………」

「…………」


 困った僕たちは視線を彷徨わせる。

 そして、左手の本の表紙を見る。


 連想するのは、いつもの笑顔で楽観的な台詞を吐くラスティアラ。

 もし、ここに彼女がいたら、必ずこう言う。このもどかしさを全てふっ飛ばして、「最後に仲直りできて、よかったね!」「私たちみんなの勝利だよ!」とピースサインを決める。


 その姿が、簡単に思い浮かべられるから……。

 その明るさに、いつだって僕は救われてきたから……。

 その彼女の流儀を少しだけ借りて、薄らと笑みを浮かべる。


「陽滝、ありがとう……。おまえのおかげで、僕はラスティアラに会えた」


 その言葉に陽滝は、ぽかんと口を開いた。しかし、すぐに僕の中にいるラスティアラの存在を察して、彼女も自分の中にいる存在を抱き締めるように微笑んだ。


「こちらこそありがとうございます、兄さん……。兄さんのおかげで、私はティアラに会えました」


 僕は手に持った本を見つめて。

 陽滝は手に付着した血を見つめて。

 感謝の言葉を口にし合った。


 似た者兄妹だと思いながら、僕はラスティアラの言葉を代弁していく。


「ああ……。ここまで来られて、本当によかったって思ってる。僕とラスティアラが『たった一人の運命の人』を見つけられたのは、陽滝とティアラのおかげだ。やっと僕とラスティアラは、心から信じられる『本物』を手に入れて……、やっと僕たち自身も『本物』になれた……。だから――」


 その「救いたい」と願った少女の言葉は、いまの陽滝にとってはとどめでしかないだろう。だからこそ、僕は続けて、彼女の『未練』を容赦なく消していく。


「だから、感謝してる。あとのことは、何も気にしなくていい。……『家族』の間違えた分くらいは、残った僕が片付けるよ。この『異世界』も、『元の世界』も、みんなの力を借りれば、すぐに元に戻ると思うから……安心して、行っていい」


 陽滝が道を間違えたのは、『生まれ持った違い』の不運が大きく占めている。

 ただ、そこに全く僕は関係ないかと問われると、首は振れない。守るつもりのない『約束』をしてしまった僕にも責任がある。

 その責任を妹との『繋がり』として、捨てることなく、大事に持っておきたいと思った。


 ……それと、ティアラとラグネの馬鹿二人分も、ついでのついでだ。

 僕の中にいる最高の『家族むすめ』に免じて、どちらも本当に嫌い・・・・・だけれど、『家族』として受け継いでやろうと思っている。


 ――それでも、『家族』たちとの『繋がり』は捨てない。


 それが全てを終えた僕の『答え』。

 その中には、他人の都合のいい『理想』となる性質も含まれているし、空っぽで嘘つきな部分もあれば、元来の自分勝手な性格も多いにある。しかし、ここまで積み重ねてきた僕の総決算だと思った。


「これからは、手の届く範囲くらいの人たちを助けていこうと思う……。もちろん、無理なんてしない。独りで、抱え込みもしない。僕はみんなと一緒に、この先を行くよ……」


 その言葉を「ティアラと二人で行く妹」に向けた兄からの手向けとした。

 思いのほか、気持ちのいいあとがきを書けたと、僕は自分の『執筆』の才能に喜ぶ。

 ただ、それを間近で聞いていた陽滝の反応は――


「に、兄さん……。もう、兄さんの手は……」


 俯いた陽滝が、顔を上げていた。

 僕を見て、考え至り・・・・、動き出そうとして――遮られる。



『――陽滝姉、『魔法』を信じて』



 彼女の手の平に染み付いた血が、振動の魔法で最後の言葉を残していく。


『……師匠の中には、あの娘たちがいる。周りにも、みんながいる。陽滝姉に勝った『私たち』を、今度は陽滝姉に信じて欲しいな』


 その魔法《ティアラ》にだけは、陽滝は勝てない。

 僕に向かって動き出そうとしていた身体を、ゆっくりと戻して、光の粒子となって消えていくのを受け入れていく。


「……うん、信じる。私も信じるよ、ティアラ」


 その子供っぽい返事に、仲がいいなと少しだけ羨んだ。

 結局、陽滝は兄の僕に、一度も敬語を解かなかった。


 ――相川渦波は解かすことも、溶かすことも、できなかった。


 けれど、それが『相川兄妹の物語』の真実であり、最後の頁。


「私たちも信じて、行きます……。兄さん、どうか最後に聞いてください。これが、私たちの最後の『詠唱』です……」

「……ああ、絶対に忘れない」


 その最後の頁を受け入れて、『詠唱』は魂に刻み付けると誓ってから、一歩前に出る。

 呼応して陽滝も、その手にあるティアラを抱えて、僕に近づいた。


 かつての『理を盗むもの』たちと同じように消えていく妹の姿を、その目に焼き付けて、最期の詩を聞く。



『「――『最後の一人は夢を見ない』、『永遠を畏れては、凍え続ける』……。けれど、ついに陽は射した。『人は独りで生きるのではない、心をあなたと重ねて生きていく』……。『魂を分かち合う誰か』が消えぬ限り、私たちは眠り続けられる……」』



 詩に合わせて、距離が縮まっていく。

 ずっと空いていた兄妹の溝が、完全に埋まる。

 僕は右手を伸ばして、陽滝は左手を伸ばした。

 やっと本当の意味で手が届き、触れ合い、重なる。

 その瞬間に――


『「――私たちは同じ人が好きになって、同じ夢を信じ続けて、同じ想いを抱き続けることができる。だから――」』

『さよなら、師匠』

「さよなら、兄さん」


 別れが訪れる。


「さよなら……」


 そう僕が答えたのが、最期。


 二人は『世界』から――いや、物語から消えた。

 他の『理を盗むもの』たちと何一つ変わらず、輝く魔力の粒子となって夜の星空に還っていった。


 見届けて、僕は手の平を『注視』する。

 魔石が一つ託されていた。

 サファイアのように美しい青い魔石に、淡い白虹の光が灯っている。



【守護者の魔石】

 守護者ヒタキと守護者ティアラの魔力の結晶



 宿る魂は二つ。

 去った二人が信じたであろう結末が、その魔石の『表示』には刻まれていた。

 すぐに僕は、他のみんなの魔石と同じように、体内に沈み込ませていく。

 そして、網膜に張り付く文章も読む。



【称号『最深部の漂流者』を獲得しました】

 水魔法に+0.50の補正がつきます



 いま、一つの異世界流離譚が終わった。

 異世界からやってきた侵略者は、異世界に生まれた普通の少女に倒された。

 それも、ただ倒されるだけではなく、その手を取ってのハッピーエンド。

 その申し分のない終わりに、僕は感嘆の息を漏らしながら、また歩き出す。近くに欠損の少ない長椅子を見つけて、腰を降ろしてから周囲を見回した。


 もう空に昇る『糸』はない。

 戦いの影響で地面が歪んでいるものの、あらゆる魔法が解除されている。

 今頃、大陸を凍らせていた《異世界の冬ウィントリ・ディメンション》から人々は目を覚ましていることだろう。ずっと見ていた夢に困惑しつつも、現実の生活に少しずつ戻っていくはずだ。


 そう。

 次第に、世界は元に戻る。

 陽滝の氷結魔法は『静止』でしかないのだから、魔法が切れれば、ただ『静止』の前に戻るだけ。本当に優しい魔法だ。


 もちろん、陽滝とティアラの影響を完全に拭うには、何百年もの時を必要とするだろう。

 しかし、悪いことばかりではないと思っている。

 聞けば、世界の敵である陽滝に対抗する為に、南と北は争いを終わらせて、『南北連合』なるものが出来たとのことだ。一時だけれども、全ての国が一致団結したという歴史が残るのは、この異世界にとって重要な転換点となるはずだ。

 もしかしたら、今日を起点にして、数百年単位の平和が維持される可能性も、いまの『南北連合』の上層部の特殊性とパワーバランスを鑑みれば不可能では――


「――はは。……似合わないこと、考えてるな」


 世界が元に戻った後のことまで考え始めていた自分に苦笑する。


 原因はわかっている。

 人生の最大目標が消え去ってしまって、余裕がありすぎるのだ。


 もう僕は『何よりも大切なもの』である妹を守るために、焦ることはない。

 『元の世界』に帰る必要はなければ、不治の病について悩むこともない。

 それは『最深部』を目指す必要もないということであり、誰とも戦わなくていいということ。


 もう本当に何もないから、ぽっかりと空いた胸の奥を埋めるものを探してしまう。


 ラグネのやつと同じ状態だ。ようやく『頂上』という目的地に辿りついたのに、心は虚しくて、敢え無くて、寒々しい。


「ああ、僕は何もかも終わった……。けど、あいつのおかげで、少しだけ違う……」


 ラグネとの違いが、僕の右手に握られている。

 僕はペラペラと本を無造作に捲って、そこに書き込まれた頁を眺める。


 そこにはラスティアラの書いた僕との思い出が綴られていた。

 内容は、迷宮探索がほとんどだった。

 いまや、製作者は僕とわかっているから緊張感はないのだけれど、当時の迷宮は本当に怖くて、不安で……でも、刺激的で、楽しい毎日だった気がする。


 懐かしい。

 この一頁一頁が、僕たちが『本物』の証だ。

 その思い出を読み進めていき、最後に――


〝――愛してる。

 その一文を抱いて、私は死ぬ。

 ここで永遠に、ラスティアラ・フーズヤーズは『夢』を見続ける――〟


 受け継いだスキル『読書』で読み、その『行間』まで含めて、しっかりと思いを馳せた。

 そして、さらに次の頁。

 真っ白の頁を指でなぞって、いまの僕たちも読む。


 僕は受け継いだスキル『執筆』を使いこなし、魔力を利用して文字を刻む。

 魔法名を付けるならば、魔法《マジックライター》あたりか。


〝――そして、ラスティアラ・フーズヤーズの死を代償にして、アイカワ・カナミは全ての戦いを終えた。

 彼の胸に去来するのは空虚。どこまでも空白が続いていた。

 しかし、その空白の海で彼が立ち止まることは決してないだろう。

 少女が愛した少年は、前に進み続ける。これまでの積み重ねを無駄にせず、忘れることも挫けることもなく、前へ前へ前へと――〟


 と軽く書いてみた。

 まだ一ページ分にも満たない物語の、続き。


「まだ白紙の頁が、たくさん……」


 残っている。

 ラスティアラの物語の続きも。

 僕の物語の続きも。



〝                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               〟



 その白紙は、とても透き通っていた。もう誰かに導かれることも操られることもなく、未来を自由に書き記していい頁の束だ。

 それは、好きに生きていいという証でもある。


「これからは、何を書いてもいいんだ……。ははは」


 自分の道を、自分を書く。

 たったそれだけのことで、過去最高の解放感を覚えた。

 自由というのが、こんなにも嬉しくて楽しくて気持ちのいいことだと初めて知った。


「はあ……」


 存分に笑ったあと、溜息をついて立ち上がる。

 そろそろ、足に力が戻ってきた。

 戦うことは出来なくても、歩いて回るくらいはできるだろう。


 まずは仲間たちと合流したい。

 ここから一番近いのはライナーかリーパーだろうか。

 確かに、ディア、マリア、スノウも、そう遠くないはずだ。

 みんなを起こして、それから――



 ――と思案したとき、魔力のうねりを肌が感じ取った。



 唐突だった。

 だが、僕に驚きも焦りもなかった。


 確かに、いま僕は戦える状態ではない。だが、そもそもの話として、ティアラと陽滝が物語からいなくなった以上――もう僕と戦いに・・・・・・・なる相手が・・・・・この・・異世界・・・にいない・・・・

 という油断は負け慣れているので噛み殺して、でも負け慣れているからこそ心は落ち着いていて、その唐突な来訪を僕は見守った。


 魔力のうねりと共に、目の前の何もない空間に『切れ目』が入っていく。

 そして、門とも呼べる大きさまで広がったとき、その奥から一人の老人が歩いて現れる。


 千年ぶりの懐かしい顔だった。

 見覚えのある老人が、以前と変わらぬ姿――ではなく、ゆったりとしたローブの裾から『樹人ドリアード』の特徴をはみ出させて現れた。

 種族的な特徴が変異しているけれど、間違いない。

 見た目がどれだけ変わろうとも、いまの僕ならば魂の色まで見分けられる。


 最後の『使徒』、ディプラクラさんだ。

 『使徒』の中でも信頼の厚い人物の登場に、僕は安心しつつ、挨拶を投げかける。


「ディプラクラさん、お久しぶりです」

「…………っ!」


 会話を先んじられたディプラクラさんは少しだけ驚いていた。しかし、すぐに軽い咳払いをして、友好的な挨拶を投げ返してくれる。


「うむ。久しぶりじゃな、本当に……」

「ええ、すごく懐かしくて……。でも、ちょっと変な気分ですね」


 間に記憶喪失が二度挟まった上での千年振りだ。

 ただ、つい先ほど『過去視』を繰り返していたので、心から久しぶりという気はしない。

 親戚の叔父さんに話しかける感覚で、僕はディプラクラさんと話していく。


それを入れて・・・・・・、少し気分が変わった程度か……。流石は、真の『星の理を盗むもの』じゃな」


 僕は千年前と変わらない態度を心がけたつもりだった。

 だが、ディプラクラさん側が「以前と変わらない関係」を保つことは出来ないようだった。


 ――僕を見る目が千年前とは、まるで違った。


 彼の口元が緩みかけている。

 視線に、期待の熱がこもっている。

 いまにも片膝を突こうとするのを抑えている。

 その態度の違いから、いま現れた理由が読めてしまった。


「カナミよ……。話をしても、構わぬか?」


 何もかもが終わったあとで切り出すということは、ずっと機会タイミングを見計らっていたのだろう。確か、使徒の主は、陽滝とティアラを苦手としていた。その二人を仲間外れにしての話なんて、一つしかない。


「もちろん、構いません。……話をするのは、好きですから」


 断る理由はなかった。

 むしろ、歓迎していた。


 僕は話が好きだ。

 特に、このラスティアラと僕が『冒険』をした『剣と魔法の世界』の話が――、この『異世界』の物語が本当に大好きだから――、これからは、好きに生きたい・・・・・・・


 その元来の欲望に従って、手元の本を開いたまま、『冒険』の続きを期待する。ぱらぱらと頁を捲りつつ、指先の感触をよく味わって、スキル『執筆』の準備をして、ディプラクラさんに提案する。


「だから、『僕たち』の物語を、続けましょう」


 その『僕たち』とは、『僕とラスティアラ』のこと。

 『ラスティアラの主人公』である僕が『冒険』を続けている限り、『相川渦波のヒロイン』である彼女の物語も終わらない。 

 『ラスティアラの世界の物語』は終わらない。絶対に、終わらせない。


 ――ずっと僕とラスティアラは一緒だ。


 たとえ、肉体が離れていても、魂は共にある。

 その続きは、幸せなものと決まっている。

 もう二度と、僕は『たった一人の運命の人』を手離さない。

 それだけが、みんなが託してくれた続きに相応しい唯一の道――という僕の決意を、ディプラクラさんも感じてくれたのだろう。顔を固めて、少しだけ声を震わせながら、厳粛に話を進めてくれる。


「あ、ああ……。続いておるぞ。いまや、わしら二人だけとなろうとも、あの日に始めた計画は、まだ――」


 ディプラクラさんは大きく頷いたあと、僕から視線を逸らした。


 周囲の荒れ果てたフーズヤーズの庭を見つめて、目を細める。

 その視線の先にあるのは、『いま』でなく『過去』だろう。千年前のフーズヤーズの庭を思い出していると、同じ時間を過ごした僕だから気づけた。


 ここは『開拓地』の連合国フーズヤーズの大聖堂でありながら、同時に千年前に滅んだフーズヤーズの城と同じ場所だ。


「――まだ、物語は続いておる」


 その宣言を聞き、僕もディプラクラさんと同じく、目を細めた。


 かつて始まりとなった場所は、終わりの場所となった。

 ここで『相川兄妹の物語』はやり直され、最後の頁を迎えた。

 ここで『星空の物語』は始まって、最後の頁を迎えた。

 だからこそ、ここでゼロから『新たな物語』を始めてみたいと思う。



「はい。僕が、終わらせません・・・・・・・――」



 次は誰かの脚本ではなく、自分自身で紡いでいく物語となるだろう。

 新たでありながら、続きでもある『僕たちの英雄譚』。

 ここからが、やっと本当の相川渦波の物語。


 僕は『ラスティアラの望んだ続き』を、いま、白紙の頁に書き始めた。


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