342.いま六十層が産声で満たされる。貴方と二人、同じ日に生まれる為に。
注:今日は二話投稿です
――千年前。
四方を山岳に囲まれ、上空を『魔の毒』に覆われ、滅ぶ間際にあったフーズヤーズ国。
飢えと流行り病で死者は膨らみ続け、裏道を歩けば死体の山が積み重なっていた。
急遽、増設した病棟では、いつだって無数の病人たちで溢れかえっていた。
立派な家屋ではない。
板を立てて仕切りを造り、決して清潔とは言えない布を敷いただけの病棟。
その病棟には『魔の毒』に侵され、医師から見捨てられ、死を待つだけの患者たちがいた。
その中の一人、とある子供。
その隣には母親がいて、苦しむ我が子の手を強く握っていた。
魂を削るように「生きて」と願って、病の子供を励ましていた。
その親子の姿を見たとき、私は羨ましかったのだろう。
私も、そうありたいと願ったのだろう。
『魔石人間』として生まれ、道具のような扱いを受け、親のいなかった私にとって、その光景は憧れだった。間違いなく、私にとって親子は『夢』だった。
私も辛く苦しんでいるとき、この手を強く握って欲しかった。
ここに私がいるというだけの理由で、あなたからの無条件の愛が欲しかった。
あなたに祝福され、あなたの子供として、世界を生きていきたかった。
でなければ、生まれた意味がわからなかったから。
生まれた実感すらなく、この薄暗い世界を歩くのは余りに怖くて。
私も「生きて」と願われたくて仕方なかった――
それが『未練』となって、私は『光の理を盗むもの』としての力を完成させた。
そして、千年後――
ついに私は『夢』を叶えた。
フーズヤーズ城の四十五階、お父様は私に手を伸ばしてくれた。
私とお父様の姿が、あの病棟の親子の姿と重なる。
「――ノスフィー!!」
私にお父様がくれた名前をお父様が呼んで、私だけを見て、命を懸けて「生きて」と願ってくれた。
愛されていると実感するに十分な行為だった。
あの日、あの病棟にいた子供と同じ気持ちになれたと思う。
間違いなく、『未練』は消えた……はずだが。
――私は消えなかった。
その後、お父様が殺されたからではない。
ラグネが現れなくても、私に消失の前兆はなかった。
もちろん、娘として愛されるのは私の『未練』と無関係ではなく、『光の理を盗むもの』として弱り始めていたのは間違いない。あの一幕こそ、長年私が求めてきた『生まれた意味』なのも間違いない。
しかし、消失はできなかった。
私の『未練』は完全に晴れていなかったのだ。
――ならば、私の残る『未練』はなにか。
それに私は気付いている。
お父様は「生きて」という言葉の次に、私の為に「死んでもいい」という言葉を足した。
きっと病棟の母親も同じ気持ちだったことだろう。
しかし、当たり前だが、私はお父様に死んで欲しいなんて一度も思わなかった。
もし自分が助かるとしても、一人だけ生き残りたいと思うわけがない。
あの病棟の子も私と同じ気持ちだろう。自分一人生き残りたいからではなく、母と別れたくないから「死にたくない」と呟いていたのだ。死んでいく以上に一人になるのが嫌だから、あんなにも苦しんでいたのだ。
『一番』大事なのは、命を救われることではない。
愛する人と共に在ること。
――そう、私は答えを出している。
もちろん、千年前にお父様と婚姻関係になったときのような形では駄目だ。二人一緒でも心が通じ合っていなければ意味はない。夢遊病状態のお父様は自分を保てていなかったし、私を別人だと勘違いしていた。あれでは共に在るなどと、口が裂けても言えない。
――ああ、本当によくわかるな。ここは。
あんなにもぐちゃぐちゃで薄暗かった自分の心の内が、『明るい光の世界』のおかげでよく見える。
私が本当に羨ましかったの。
私が本当に必要だったもの。
私の『未練』の真意。
私の『未練』は、間違いなく【生まれた理由が欲しい】だ。
だから、「生きて」と手を伸ばされることを望んだ。
ただ、この『未練』が完全に達成されるのには、少し特殊な条件があった。
それは私の贅沢過ぎる我侭だろう。
同じ『理を盗むもの』たちと比べると、ささやかとは言えない願いだ。ティティーあたりに聞かれると、好みが煩いと小突かれると思う。
でも、私は欲深くて悪い子だから、願った。
――どちらか一方では足りない。
――どちらも想い、双方が通じ合ってこそ家族。
そう。
あの病棟の親子のように。
たとえ、死して、墓に埋められ、永遠の眠りについたとしても。
二人が同じ場所に揃い、通じ合っていることが『一番』大切なことだった。
だから、もし私一人生き残っても、何の意味もない。
たった一人、お父様と離れて生きていても、そこは価値はない。
一緒に、とても近くで、心通じ合わせて生きる……! それが本当の親子だから……!!
――そして、それが私の本当の『魔法』となる。
その『魔法』の仕組みは、とても単純。
私がお父様の『代わり』に死に、お父様は生き返る。
はっきり言って、これからノスフィーという存在が死ぬことは避けられない。
けれど、私は命を落としても、想いだけは落とさない。
私は『光の理を盗むもの』。想いがある限り、光として存在し続けることができる。
お父様の中で、ずっと私は光を放ち続ける。
ずっとずっと、ずっと一緒。
――それが『魔法』《代わり亡き光》。
私という光が、お父様を苛む全ての『代わり』となる。
が、その前に欲深い私は目を開く。
『魔法』発動の途中でありながら、最後の我侭を伝えに行く。
それを聞けば終わる。
そうわかっていても、完全に『未練』を果たして、完全に『魔法』を成功させる為――いま、私は起きる。
◆◆◆◆◆
フーズヤーズの屋上。
ありとあらゆるものが鮮明となる『明るい光の世界』。
ここでは世の理も、魔法も、人の想いも、全てが鮮明だ。
私は《代わり亡き光》の魔法構築成功の手応えを感じて、差し込んでいた右手を抜く。
その抜いた右腕が揺らいだ。
波紋の広がる水面に映っているかのように、ぼやけては歪む。
風一つ吹けば消える弱々しい光に、代わり切っている。
その弱々しい光は、もう間もなく消えるだろう。
魔法に成功した以上、それは絶対だ。
ただ、その代わりに、生まれるものもある。
私の右手の先。
四肢を切断され、肺と心臓に穴を開けられ、首は千切れる寸前だったお父様。
その全てが元に戻っていた。
四十五階で失った手足が、衣服も含めて何事もなかったかのようにくっついている。ぼんやりと揺らめく光を発しつつだが、正常に肺も心臓も動いている。首の大きな傷も、頬にあった小さな擦り傷や斬り傷も、全てが治っている。
そして、いま、ゆっくりと、その瞼を開いていく。
瞼の奥にあった黒い瞳が揺れる。
視線は僅かに彷徨ったが、すぐ隣に立つ私へ向けられた。
お父様は私を認識し、意識を覚醒させ、唇を震わせる。
「ノス、フィー……?」
なによりもまず、私の名前を呼んでくれた。
それだけのことが切実に嬉しくて、少し泣きそうになる。
私も唇を震わせて答えていく。
「はい、ノスフィーです……。おはようございます、お父様……」
人生一番の微笑と共に、目覚めの挨拶をかける。
そして、もっとお父様に近づきたい一心で、一歩前に出ようとした。
しかし、足がもつれて、後ろへ倒れそうになる。咄嗟に手を地面に突こうとしたが、両手共に実体がなく、ぺたりと尻餅をついてしまう。
よくよく自分の身体を確認すると、光となっているのは右腕だけではなかった。
手足全てが光が輝き、霧のようにぼやけていた。
それはお父様の四肢切断を『代わり』に背負った証明だろう。
とうとう手足を完全に失ってしまったが、心配していた痛みは一切なかった。
あれだけ私を苛み、蝕んだ辛苦が、全て身体から消えている。こちらは私が生物をやめて『魔法』そのものになろうとしている証明だろう。
ただ、『魔法』への変換は時間がかかるようで、湖に垂らしたミルクのように、ゆっくりと私は薄まっている途中だ。
その遅延の理由は単純だ。
贅沢な私は『光の理を盗むもの』としての『未練』を、まだ完全に晴らしていないと思っている。だから、身体が現世に残ろうと抗っているのだ。
「――っ! ノスフィー!!」
お父様は跳ね起き、素早く台座から降りた。
例の異常に早い思考で、いまの状況を把握をしたのだろう。
その治った両手で、私の胴体を持ち上げて、強く抱き締めてくれる。
その見開いた双眸で、私だけを見てくれる。
その悲願の成就が深刻に嬉しくて、また私は泣きそうになってしまう。
けれど、最期は笑顔で別れると決めていた私は、ぐっと眼球の奥の熱を抑えた。
目と鼻の先にいる人に向かって、微笑みを返す。
その意味が、お父様にはわかったのだろう。
ぐにゃりと眉を動かし、二つの瞳を揺らし続け、首を左右に小さく振って、私の行為の理由を問いかけてくる。
「ノスフィー、どうして……? もう僕を助けても、意味なんてない……」
一度死んだというのに相変わらずで、私は安心する。
無駄に自虐的な口調で、とても的外れなことを口にするお父様に私は返答していく。
「お父様、助けてください……。わたくしではラグネに声が届きません……」
「ラグネに……? いや、ラグネ相手なら、ノスフィーが戦うのが一番だ……! 二人の相性なら、ノスフィーが絶対に勝てるっ……!!」
「いいえ、勝てません……。だって、わたくしとラグネでは戦いになりませんから……。そう決めて、ここまでわたくしは来ましたから……。今朝のお父様も、そうだったでしょう? あれと同じです」
「そ、それは……――」
お父様の真似をしているだけだと言うと、返す言葉を途中で失った。
その間も、お父様は私を見つめ続けている。
人どころか、生物ですらなくなっていく身体を見て、より一層と顔を歪ませては叫ぶ。
「――っ!! ああっ、くそ! ――魔法《ディメンション・千算相殺》!!」
次元魔法で、私の魔法《代わり亡き光》を解除しようとした。
しかし、無駄だ。これをどうにかしようと思うのならば、お父様も本当の『魔法』を使うしかない。
「お父様……。それよりも、最後にお話をしませんか? 最後だからこそ、わたくしとお父様の得意な『話し合い』を――ずっとできなかった親子の『話し合い』が、わたくしはしたいです」
このまま放っておくと、お父様は本当の『魔法』を使う危険がある。
そうはさせまいと私は右手を伸ばした。ぼやけて揺れる光の手で、お父様の頬を撫でて、意識をそらす。
「さ、最後に……? 最後に、ずっとできなかった親子の『話し合い』を? あ、ぁあぁぁ……――!」
私の望みを聞き、お父様は予期せず酷く呻いた。
多くあるトラウマのどれか一つを刺激してしまったのかもしれない。
私は急いで『話し合い』の話題を探す。頭の中をひっくり返して、一度してみたかった親子の話題を見つける。
「えっと……その、お父様……。わたくしはいい子でしたか? それとも、悪い子でしたか?」
自分ではわかっていても、自分以外から見た評価が聞きたかった。
特に、お父様からの言葉が聞きたくてしょうがない。
「わたくし、色々とやってしまいました……。お父様にこっちを見て欲しいという一心で、色んな人を騙して、利用して、犠牲にしました。いい子であろうと頑張ってきましたが、結局は悪いことをたくさんしてしまいました。……ティティーはわたくしを許してくれるでしょうか?」
最近のことだと、『風の理を盗むもの』ティティーが一番の心残りだ。
あれだけ友人であろうとしてくれたティティーに対して、最後まで私は素直になれなかった。
「――っ! ティティーは間違いなく、ノスフィーを許してる……! それどころか、ずっとノスフィーを心配してた。最後の最後、消える間際までノスフィーの幸せを祈ってた。おまえを『自慢の友達』だとも言ってた。ああ、ティティーはわかってたんだ……。ノスフィーはいい子だって、誰よりもティティーはわかってた。なのに、僕は……。僕は……――」
「わたくしが、『自慢の友達』……?」
ここにきて、ティティーの最後の言葉を知ってしまい、また私は泣きそうになってしまう。今度は私が返す言葉を失う番だった。
「ノスフィーはいい子だよ。このフーズヤーズでしてきたことを思えば、誰だってそう言う。千年前も千年後も、結局ノスフィーはフーズヤーズを利用し切れてない。犠牲にし切れてない。ノスフィーは自分が悪いって思ってるかもしれないけど……むしろ、利用されて犠牲になったのはノスフィーのほうだ。そして、犠牲にしたのは『僕たち』だ。もし僕や『使徒』たちさえいなければ、ノスフィーはもっと……。もっと幸せになれたはずなのに……」
優しいお父様は、私をいい子だと繰り返し続けてくれる。
ただ、それは逆に自分自身は違うと言っているかのようでもあった。
「どこかの馬鹿たちと違って、ノスフィーは頑張ったんだ……! 最後まで、清く正しく、真っ直ぐな心で、人を信じ続けた! 疑う材料なんて、僕やラグネのときよりも一杯あったのに……それでも、ノスフィーは信じた! こんなにも馬鹿な僕を……!」
「お父様……。しかし、わたくしにも悪いところは一杯あります。わたくしは敵でもいいから、お父様の心の『一番』に残ろうとしました。とても卑怯な方法で、お父様の気を惹こうとした。それを考えると――」
「それは違う!」
どうにかお父様の自虐を止めようとすると、逆に強く遮られてしまった。
「そんなもの、当然の権利だったんだ……。子供なら誰にでも、その権利があった。ただ、その当然のことが、僕たちにはできなかった……。文句を言うどころか、たった一言の確認すら、できなかった……」
その僕たちが『相川渦波』と『ラグネ・カイクヲラ』の二人のことであると、光となってお父様と『繋がり』を得たいま、薄らと理解できる。
私が少し城から離れている間に、二人は二人だけで確認をしてしまったのだ。
だからこうも、二人は弱ってしまっている。
あんなにも強かった二人が、かつてない弱さを見せている。
ただ、その弱さを悪いことだと私は思わない。
良くも悪くも、強くも弱くも、いま二人は道を前に進んでいると思う。
ただ、その進む道は暗過ぎる。だから、私は――
「お父様、だとしても――決して、最後まで諦めてはいけませんっ。前に進めば、前に前に前に進み続ければ……いつか、必ず願いは叶います! 本当です! ええっ、わたくしは本当でした……! 願いは必ず叶います! 叶うんです! お父様っ!!」
大丈夫だと私が保証する。
前に進み続ければ、どんなに道が暗くて、怖くて、辛くても、最後に待っているのは光だと強調する。
それを聞いたお父様は眩しそうに目を細めた。そして、一度だけ強く目を瞑ってから、ゆっくりと力強く答えていく。
「うん、僕も前に進むよ……。ノスフィーと同じように、前向きに進む。もう後ろ向きはやめる。約束する……」
その声と表情から、私の安心は増す。
「ふふふ、よかったです……」
話せば話すほど、心残りという心残りが消えていくのを感じる。
その自分自身の感情の動きが、本当によくわかる。
この光の中に、心を隠せるような障害物が一切ないおかげだ。
「ああ……。お父様、ここは本当に明るいですね……」
ここなら、言葉を飾る必要はない。
私は『素直』に、私の最後の目的を、お父様に告げる。
「どうか……。この明るい場所で、一言、最後にお願いします……」
『未練』を晴らす。
そのために私は来た。
痛くて痛くて痛くて。
辛くて辛くて辛くて。
苦しくて苦しくて苦しくて。
怖くて怖くて怖くても。
その一言のために、この『頂上』まで私は来た。
「ひとこと……? ……――っ!!」
お父様は私の望みを、すぐに理解してくれた。
だからこそ、顔を青くして、口を噤んでしまう。
「お願いします、お父様。それがわたくしの本当の『魔法』の仕上げなのです」
しかし、その完成を引き伸ばそうと、お父様は何度も首を振る。
「ま、まだ……! まだノスフィーと話したいことがもっとあるんだ……! 言わないといけない事がたくさんたくさん! 数え切れないほどある……! だから、もう少しだけ! もう少しだけ待って欲しい……!!」
その一言から遠ざかろうと、口早に別の話題を探そうとする。
「いい子とか悪い子とか、正しいとか正しくないとか、そういう話は結局どっちでもいいんだ……! ノスフィーがノスフィーなら、僕はそれでいい……!! 血の繋がりがあるとか、『魔石人間』だったとか、そういうのも重大じゃない! 確かに『話し合い』も大切だけど! 僕はただ、ノスフィーに傍にいて欲しいんだ……! ノスフィーがノスフィーだから、ノスフィーは『娘』で、本当の家族で! それでっ、それで……――ああっ、何を言えばいいか纏まらない! くそっ!! ノスフィー、纏まるまで待ってくれ!! ――もう少しだけっ、待ってくれ!!」
「大丈夫。よくわかります、お父様。だって、それこそがわたくしの『未練』ですから」
けれど、どんな話をしても、結局は私の『未練』に帰ってくる。
「『未練』……!! ノスフィー、待ってくれ! まだ僕は、ノスフィーに……! まだ……!!」
「わたくしの『未練』は、一方だけでは少し足りませんでした。わたくしにとって、大切なのは――」
これを確認するために、まだ私は残っていた。
「――【互いが互いに生きて欲しいと手を伸ばすこと】」
どちらかではなく、双方。
二人通じ合うことが、何よりも大切で、前提。
一人だけでは生まれた意味は見出せないし、生きている理由だって手に入らない――
「わたくしもお父様に生きて欲しい。だから、お願いします。一言で構いません。たった一言を、わたくしにください。大丈夫です。わたくしも、これからお父様の中で生き続けますから――」
「ぁ、ぁあ……、ノスフィー……。ぁああぁ、ああ……――」
はっきりと私が『未練』を明確にしたことで、お父様は大口を開けたまま、次の言葉を吐き出せず、完全に止まってしまう。
お父様は私の『未練』を晴らしたいと思っている。
しかし、【互いが互いに生きて欲しいと手を伸ばすこと】を果たせば、私は消える。
お父様は私に消えて欲しくないのだろう。
まだ消えて欲しくない。生きていて欲しい。どうか考え直して欲しい。けれど、そう私を説得をしようとすれば、【生きて欲しいと手を伸ばすこと】が成立してしまう。
――だから、何も言えない。
しかし、このまま何も言わなくても私は消滅する。
人であり続けるには、『代わり』に負ったものが多過ぎる。
特にお父様の死が重過ぎて、本当にギリギリだ。
だから、お父様は言えば消えるとわかっていても、言わないわけにはいかない。
せめて、消える前に『未練』は綺麗に消してあげたいと、最期の『魔法』は完全なものにしてあげたいと――優しいお父様ならば、必ず選択してくれる。
「ノ、ノスフィー……――」
お父様は私の名前を呼び、他に何か手はないかと目線を彷徨わせた。
けれど、何もない。
どれだけ考えても、この私の望み以上のものは見つからない。
お父様自身、それが私の『一番』の幸せであると理解しているから。
だから、もう。
口にする――しかない。
「ノスフィー……! 生きてくれ!!」
お父様は私を強く抱き締めた。
だから、お父様の胸の中、私は人生最高の満面の笑みで答える。
「――はいっ! お父様!!」
これでノスフィー・フーズヤーズは、終わりだ。
消失は確定した。
だけれど、心は満ちに満ちている。
『未練』は欠片一つない。
――お父様、ありがとうございます。
ずっと心に空いていたものが埋まりました。
これで私は、生まれたことに納得できます。
ずっと心の羨んでいたものを見つけました。
これで私は、あの日の病棟にいた親子と一緒です。
ずっと心が求めていたものに手が届きました。
これで私は、私には家族がいるって胸を張れます。
ずっと不安だったけれど、いまならば言えます。
この世界に私は生まれて、ちゃんと生きている。
私は生きている。生きている生きている生きているって、何度でも――
その想いを最後に謳っていく。
「――ああ……。『この血肉は命なき人の形だった』。『誕生の夢を見て死ぬこともできない』……。けれど、わたくしは生まれ変わった。『人は必ず生まれ、この不生と不死の闇を払うことができる』……。『魂に響く愛する貴方の声』が消えぬ限り、わたくしは生きている……――」
いつかお父様が生きていることに迷ったときは、この詩を思い出して欲しいです。
この私の『詠唱』で、私を呼んで欲しい。
お父様に助けて貰ったお礼に、私が必ずお父様を助けます。
「――ノスフィー!! 死ぬな! 消えないでくれ! 僕と一緒に生きてくれ!!」
私が遺言を残しているとお父様は理解し、さらに強く私を抱き締めて叫ぶ。
しかし、その一言一言が私の待望過ぎた。
止めにしかならない。
「はい、お父様……。これからはずっと一緒です。心が通じ合って、ずっと……」
本当にここまで長かった……。
千年前、誰からの祝福もなく生まれたときから……。
生きている理由を追い求めて、暗い道を歩き続けて……。
けど、最後の最後に最高の終わりが待っていた。
「ふふふっ、嬉しいです! こんなにも嬉しいんですね、お父様……! 生きているって、こんなにもドキドキするんですね!! これがレガシィの言っていた家族の愛情! やっと、この手に掴まえました! もう離しません……!!」
ああ、よかった……!
いい子であろうと頑張ってきて、本当によかった……!!
もう手はないけれど、確かに掴まえた……!
伸ばした手と手が絡み合った! あの親子のように、しっかりと!!
「お父様、お慕いしています……! 心からお慕いしていました! お父様に愛して欲しいと願い、ずっとここにわたくしはいました! ちゃんと、ここに!!」
もう『そこにいない』なんてこともない!
独りに怯える夜なんて、二度とやってこない!
寝るときに襲ってくる怖いものも全部っ、もう終わりだ!!
「ま、まだだ、ノスフィー……! これからも! これからもだ……!!」
はい、お父様の言うとおり!
これからは、お父様の中で私は『そこにいる』!
「ええ! これからもずっと一緒です! これからわたくしは死にますが、死にません! お父様の胸の中で抱き締められ、生き続けます! この愛されて生まれたノスフィー・フーズヤーズが、お父様の命の『代わり』となります! そうっ、わたくしが生まれてきたのは、このとき! このため! この使命を果たすためだった!!」
「……ああ」
お父様は短く肯定し、私を抱き締める。
私に残されていた生き物としての胴体が、いま光の粒子となって去っていこうとしている。その粒子を逃がさないようにと、強く強く抱き締めている。それが私は嬉しくて堪らない。
「ぁあ、あぁああ、よかった……。よかった、です……」
自然と口から声が漏れる。
嘘ではないと確認するように、何度も「よかった」と繰り返して、とうとう――
「ぁ、ぁあ、あれ……? ああぁ……、違います……。お父様、これは――」
一気に視界が滲んだ。
それは『未練』の解消の結果。
積もりに積もった感情の発散。
ここまでの痛み苦しみ悲しみを晴らす報酬だ。
だから、その号泣に合わせて、私の身体の光の粒子化は加速していく。
手足の光は形を保てなくなり、ぱらぱらと散っていく。
そして、ついに胴から喉、最後に頭部、全てが光となる。その寸前――
「これは嬉しいのです……。嬉しくて涙が……。うぅ、とっても嬉しくて、ああ、声が……。声が……――ぅうっ、ぅう、ぅああぁあっ――あああ、あぁああ――!!」
私は赤子のように泣き叫ぶ。
「ぅうあああああぁああっ、ぁあああ――ああああっ! ぅぁああああああぁあぁあああアア――!!」
初めてだった。
ここまで大きな声で、形振り構わず、感情のままに叫ぶのは、本当の意味で生まれて初めての経験だった。
さらに、ここまで視界が滲むのも初めてだ。
視覚だけではない。合わせて、聴覚も嗅覚も味覚も触覚も、ありとあらゆる感覚が滲んで――人のそれから、魔法のそれに変わっていく。
そして、もう自分の胴体はなくなったのか、とうとうお父様の抱き締める力がわからなくなってしまう。
「ノスフィー、ずっと一緒だ。ノスフィーが望む限り、ずっと……。ずっとずっとずっと……」
けれど、まだ声は聞こえる。
まだ私には頭部があるだろうか。
瞳は世界を写しているだろうか。
――わからない。
いまや全感覚が『魔法』の光となってしまった。
けれど、一つだけはっきりとわかることがある。
――お父様の胸の中は明るい。
光が満ちている。
それを最後に、私は――
「あぁ、やっと見つけ、た……――、わた、くしの――生きる、ば、しょ……――」
消える。
いま、お父様の両腕の中から、ノスフィー・フーズヤーズという存在は完全に消えた。
屋上から一つの命が消失し、生きているのはお父様一人だけとなってしまう。
だが、厳密に言えば、私は消えたけれど消えていない。
光そのものとなって、私はお父様の中に入っただけ。
ずっとそこでお父様の『代わり』となり続けている。
だから、お父様は――
「ああ、そこにずっといてくれ……。一緒にいこう、ノスフィー……」
一緒だと言ってくれた。
その言葉が契機となり、私はお父様と『親和』する。
全ての源である魂が、お父様の魂と重なった。つまり、お父様が私で、私がお父様――まだ『光の理を盗むもの』は存在し、生き続けている――いや、いま生まれ直した。
ゆえに、フーズヤーズ城屋上の発光は止まらない。
未だに夜空の中でありながら闇一つなく、真っ白な光の中でありながら満天の星々を数えられる。
その輝く『頂上』にて、お父様は立ち上がった。
私の遺言通りに、次へ――前に進もうと、顔をあげた。
その視線の先は、屋上と『元老院』の繋ぐ階段。
――その階段から一人の少女が姿を現す。
ぴったりだ。
ラグネ・カイクヲラが『一番』を目指して、また『頂上』まで戻ってきた。
屋上に出た彼女は、自らの暗い魔力をも払う光に目を眩ませる。
「こ、この光……! この明るさ……! ノスフィーさん……! ノスフィーさんノスフィーさんノスフィーさん……! ノスフィーさん……!?」
そして、状況を把握しようと、つい直前まで戦っていた私の名前を呼びつつ、『光の理を盗むもの』の姿を探した。
「ラグネ……」
しかし、もうここに私はいない。
その呼びかけに答えられるのはお父様だけだった。
ラグネは自分の名前を呼んだ声に向かって、跳ねるように顔を向ける。
しかし、そこにはお父様が一人立ってるだけ。
ぽつんと一人。私はいない。その上、明らかに光の魔力を得ているお父様を見て、ラグネは全てを理解してしまい――
「――ぁあ、あぁっ、ああ!!」
お父様以上に顔を歪ませて、吐くかのように肯定の声を三度漏らした。
「よ、よくも……! おまえはよくも!」
そして、そのまま胃の中身をぶちまけてしまわないかと不安になるほど、叫んでいく。
「――ノスフィーさんを殺したなァ!! いつもそうだ! おまえはいつもいつも! 私の大好きな人ばかり! 大切なものばかり奪う!! ずっとだ!! あの屋敷の頃から! いや、あの小屋にいたときから、ずっと!! 自分の子供から取り上げて! その良心は痛まないのか!? 生きていて恥ずかしいと思わないのか!? おまえはァアアアアア――!!!!」
もう私が死んで、ここにいないと思っているのだろう。
そのおかげで思いがけず、ラグネが私を好きだったことがわかってしまう。
とても嬉しい話だが……少し口ぶりが妙だった。
その原因を、お父様は明確に理解しているようだった。
それを言う資格がラグネにあると頷き、冷静に受け止めていく。
「ノスフィーさんこそ! 『一番』だった! 間違いなく、私たち三人の中で――いやっ、世界で『一番』値打ちのある命だった! 誰が見ても、ノスフィーさんが生き残るべきだった! そのノスフィーさんの命を、よくも! よくも奪ったァ!!」
「ああ、そうだ……。そうだな、ラグネ。おまえの言うとおりだ。おまえは正しいやつだ。ずっと正しいことしか言ってない」
向き合う二人は、どちらも泣きそうな顔をしていた。
そして、お父様はラグネを前にして、とても苦しそうな顔で熟考をしているのがわかる。
「――ラグネ、再戦だ」
熟考の末、お父様はラグネを救うのではなく、戦うことを選んだ。
私の選択とは真逆だった。
それを聞き、ラグネの表情は変わる。
泣きそうで苦しそうなままだけれど、同時に嬉しそうな顔――
「おまえもノスフィーが欲しいのなら戦え。僕と戦って、僕から奪え」
お父様は屋上を歩き、二振りの剣が刺さっている場所まで歩いた。
そこには私の両腕を貫いた『アレイス家の宝剣ローウェン』と『ヘルミナの心臓』が刺さっている。
その内の片方、『アレイス家の宝剣ローウェン』だけを抜いて、お父様は数歩だけ引き下がる。
「どちらが本当の『一番』か……。いまから、ここで決めよう。だが、やり直しはなしだ。これまで僕たちは何度も戦ってきたけど、これが最後。もう次はないと、ノスフィーの魂に誓え」
あえて、ラグネの為に剣を一振り残した。
それはまさしく、騎士の決闘の要求だった。
「我が名は相川渦波。騎士ラグネ・カイクヲラにノスフィーを賭けての決闘を申し込む。おまえの大好きな命の奪い合いだ。――いざ、尋常に勝負しろ」
お父様はラグネに『ヘルミナの心臓』を抜くように、剣先で促した。
安過ぎる挑発だった。
ただ、その要求と挑発を前に、ラグネは酷く懐かしそうな顔になっていた。
過去を思い返しては歯を食いしばり、彼女も十分に熟考した末――
十分な戦意と共に、『ヘルミナの心臓』に向かって地響きを鳴らすように歩み出す。
「ノスフィーさんは私のものだ! 『殺し合い』で私に勝てると思うな! ノスフィーさんの『不老不死』は、おまえのようなクズにだけは渡さない……!! ノスフィーさんの光だけが私の光なんだ……!!」
その決闘前の光景を見て、嫉妬するくらいに仲がいい二人だなと私は思った。
ただ、近しすぎて『素直』になれていないようにも見える。
だから、『魔法』となって見守る私は、もっと光を足していく。
二人の間に隠し事がなくなればいいと願って、その舞台の照明を最終調整していく。
ただでさえ明るい屋上が、また一段と輝いた。
その強い光に反応して、ラグネはあたりを見回す。
もう私には顔も目もないが、ラグネと目が合ったような気がした。
ラグネは『ヘルミナの心臓』を引き抜き、お父様でなく私に向かって宣誓する。
「……誓う!! これで終わりでいい!! ここが、こここそが、この戦いこそが私の『一番』だ!! いまから私の『夢』は叶う!!」
私との別れ際では言えなかったことが、いまラグネの口から放たれた。
ラグネは自分の『夢』の中身、何の『一番』を目指すのか――いまはっきりと決めたようだ。
それを聞き、私の戦いが無駄でなかったとわかる。
終わりの間際の間際、ラグネは勇気を出した。
嬉しいと思うと同時に、とうとう限界がやってくる。
意識が遠ざかる……。人としての意識が終わって、完全に『魔法』そのものとなる時間が来る。
「ああ。よく来た、挑戦者ラグネ。……代役で悪いが『試練』を始めさせてもらう」
もう見守ることはできない。
けれど、ここに遺せる光は限界まで遺した。
ここから先は、遺した光がみんなを守る。
ゆえに、ここがノスフィー・フーズヤーズの――
「――ここが、この世界の『頂上』こそが六十層。『光の理を盗むもの』ノスフィーの階層だ。急造でなく、確かにここが世界で『一番』高くて明るい場所。ラグネ、この白光の下で確かめるぞ。おまえの何もかも全てを晒せ……! それが彼女の遺した『第六十の試練』だ……!!」
私の階層。
課される『試練』は『光の理を盗むもの』の《ライト》。
『素直』な心で二人共、心中を暴き合ってください。
当然、ここでは演技なんて一切許しません。
その鏡が映せるのはお互いのみ。
そこに誰かの『理想』なんてものはなく、ただ『真実』だけが映し出されます。
自らの中身を、よく確かめ合ってください。
きっと矛盾するものが積み重なって、大きな壁となっていることでしょう。
後戻りするための道が、破綻した夢の残骸で塞がれていることでしょう。
そこは盤面でいうと詰みとしか表せない袋小路かもしれません。
でも、まだです。
二人は決して終わってなんかいません……。
二人で力を合わせて、この世界を生き抜いてください……。
そう、二人で……――
もう誰も、死ぬことも、悲しむことも、なく……――
生きて、ください……――、
お父様――、ラグネ……――
どうか……――
二人の世界に、明るい光の祝福を――
次は明日。
少し戻ってラグネ視点。




