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291.聖女

 ――その途中、間延びした拍手の音が鳴り響く。


 僕はマリアの頭を撫で続けながら、その少し馬鹿にしたかのような音の発生源に目を向ける。そこには微笑みを浮かべるノスフィーがいた。


「ふふっ。お久しぶりです、渦波様」

「おまえとは久しぶりじゃないだろ……。それ、マリアにやられたのか?」


 まず最初にノスフィーの状態について聞く。

 いま僕が戦闘態勢に入っていないのは、彼女から感じられる魔力が余りに微小だったからだ。見たところ、その全身に巻きついた布が魔力を抑えているように見える。


「ええ、渦波様がいらっしゃる前にマリアさんと戦ったのですが……見事に惨敗してしまいました。彼女の呪布のせいで、全く動けません……。ふふふっ」


 ノスフィーは動かない自分の身体に目線を向けて、笑い声を強める。

 嘘ではないだろう。よく首元を観察すると、以前は術式の刺青が刻み込まれていたところが火傷跡で上書きされている。死闘の末に、マリアがノスフィーを捕らえたことがわかる。


「しかし、これでお揃いの火傷跡ですね」


 じろじろと僕が見ているのに気づいたのか、ノスフィーは目線を火傷跡に向けて、嬉しそうに話をしていく。


「これ、とても難しかったのですよ? あえて回復魔法の効果を下げて、上手く跡を残すなんて、きっとわたくしにしかできません……。ふふっ、褒めてくださいませんか? 見てください。渦波様とお揃いです――ふふっ、お、そ、ろ、い、です」


 相変わらず、ノスフィーは僕に対して異常な執着を見せる。

 そして、依然として、その様が狂気的だ。女性の身でありながら、美しさが損なわれても平気で笑う。僕との接点ができたことを、とても悪そうな顔で喜ぶ。いかにして嫌がらせに利用してやろうかと考えているのがよくわかる顔だ。


 その悪意に痺れを切らしたのか、ライナーが腰の剣を抜きながら前に出てくる。


「キリスト。この女は、とっとと消滅させて魔石にしたほうがいい。やりにくいなら屋敷の外で、僕が首を落とす」

「ライナー、あなたも久しぶりですね。しかし、いきなり問答無用で人の首を落とすなんて……少し頭がおかしいのでは? そんなに人の血が見たいのですか? 平和的にお話すらできないとなると、もう騎士ではなく話の通じない蛮族ですね。子供でも、もう少し考えてから行動しますよ? はあ、相変わらずライナーは気持ちが悪い……」


 挨拶代わりにノスフィーは、反論する間も与えないほどの早口で罵倒をしていく。


「こいつ……! おまえにだけは言われたくない……!!」


 挑発を受けて、ライナーは周りの答えを聞くまでに行動に移ろうとする。それを僕の胸の中から顔を上げたマリアが、慌てた様子で止める。


「――ま、待ってください。本当は私も彼女を殺すつもりだったのですが、そうもいかない事情がありまして……」


 名残惜しみながらもマリアは僕から離れつつ、ライナーとノスフィーの間に割り込む。

 そして、止める理由を説明していく。


「いまノスフィーは『代わり』となる魔法で、フーズヤーズの人々の病気を多く肩代わりしてます。いま彼女を殺せば、その全てが一気に返還されて大変なことになってしまいます。リーパーの『繋がり』を利用して確かめたことなので、これは間違いありません」


 マリアに庇われているノスフィーはライナーを煽るように笑いかけ、その説明の補足を悠々と行っていく。


「ふふっ。わたくし、ヴィアイシアでの宰相アイドの雄姿を拝見して、少し初心を思い出したのです……。わたくしも故郷フーズヤーズのためにできることはないかと考えた結果……こうなりました。偶々人質みたいな形になってしまって、申し訳なく思っております……。ええ、本当に偶々です。近日中に渦波様と決着をつけるとわかっていましたが、本当に偶々ですよ? ふふふっ」


 偶然のはずがない。

 ノスフィーが僕と戦うつもりなのは最初からわかっていたことだ。

 六十六層で決裂してから、いつか僕たちは彼女の『試練』を受けると決まっていた。


 その『試練』の難度を少しでも上げようとノスフィーは人質を取ってきたのだ。無関係の人を盾にして戦うと宣言され、僕とライナーは敵の卑劣さに憤怒して悪態をつく。


「面倒な真似を……!」

「このアマ……!」


 僕たちは握りこぶしを作って、どうにかノスフィーの思惑を超える形で攻撃できる手段はないかと思考する。

 思いつき次第、二人で攻撃するつもりで椅子に座る彼女へにじり寄る。


 だが、その前に後ろから、僕とライナーの怒りを共感できないラスティアラが叫ぶ。


「ま、待って。ノスフィーちゃんはいいことしてない!? 上の街の人たちを助けたんだよ!? ちょっと口が悪いけど、いまの話ってそんなに怒るところじゃなくない!?」


 確かに、いまの話だけ聞けば、ノスフィーはいいことだけしているように見える。地上での話も合わせると、『大聖都』のために献身している聖女様そのものだ。


 そう思ったのは他のみんなも同様のようだ。スノウもディアもラグネちゃんも、そこまでノスフィーに敵意を抱いていないのが表情からわかる。


 いま怒りを露にしているのは、迷宮でノスフィーと本気で殺し合ったことのある僕とライナーだけだった。


 しかし、臨戦態勢だけは解けない。

 彼女と一度戦ったものにだけしか感じないものがある。

 それはノスフィー・フーズヤーズの善行に裏がないわけがない――という確信だ。その感覚を少しでもわかってもらいたいと、みんなに僕は説明する。


「いや、ラスティアラ……。いままでノスフィーにやられたことを考えると、どうしても納得がいかないんだ。こいつは平気で国一つ犠牲にする策を打ってくるやつなんだ。嘘じゃない」

「……もし本当にそうだとしても、そこまで殺気立つ必要はないんじゃないかな? いまノスフィーちゃんが動けないみたいだし」


 ラスティアラはマリアと同じように間に入って、最後に動けないノスフィーをちらりと見た。当然、庇ってくる人が二人に増えたノスフィーは調子に乗る。


「ええ、ラスティアラさんの仰るとおりです。いまわたくしは全く動けません。……全くですよ? ふふふっ、その全く動けないわたくしに渦波様は一体何をするつもりなのでしょう? 嗚呼っ、いまの私では抵抗することもできず、成すがままにされるしかありません! そう――どんな辱めだろうと、涙を滲ませてこらえるしかないのです……。あはっ! ああっ、いざというところで尻込みする渦波様を想像するだけで笑いが止まりませんねえ! わたくし、これから何をして貰えるのか、とってもとっても楽しみです!! ――あ、でもライナーは気持ち悪いので近寄らないでくださいね」


 安全圏で言いたい放題のノスフィーに、僕とライナーの握りこぶしはさらに固くなっていく。

 だが、それでもラスティアラの意見は変わらない。殺意に溢れた僕たちを宥めようと、間に入った。


「一旦落ち着いて休もう!? この屋敷ならゆっくりできそうだし!」


 どうやら、僕とライナー以外は、ノスフィーのことを妙にテンションの高い饒舌な女の子くらいにしか思っていないようだ。いままでの守護者ガーディアンたちが揃って心優しかったせいもあるだろう。彼女に対する危機感が余りに薄い。


 僕の邪魔をしている守護者ガーディアンみたいだから、とりあえず敵対はしている。けれど、本気で殺し合うほどの敵には見えない。そんな様子だ。


「それにさ、やっとマリアちゃんとも会えたんだからさ……。まずは、ゆっくりと私は話がしたいんだ……。みんなで……」


 未だに殺気を放つ僕達二人を見て、ラスティアラは懇願する。

 そして、ちらりと近くのマリアに目を向けて、すぐに僕のほうに目を向け直す。


 少しずつ彼女が休戦を固持する理由がわかってきた。おそらく、何よりも先にマリアと話したいのだろう。伝えたいことや謝りたいことが一杯ある。いまは迷宮の守護者ガーディアンに構っている暇はない。それが本音のようだ。


 確かに、いまはマリアとの再会を噛み締めるほうが大事だ。なにより、ノスフィーに振り回されるということそのものが、余りに遺憾過ぎる。


「わかったよ、ラスティアラ……。とりあえず、ノスフィーのことは保留にしよう」

「はあ、よかった……。いきなり動けない子に斬りかかるのかって冷や冷やしたよ……」


 ラスティアラの提案に乗って、僕は戦意を散らす。その僕を見て、ライナーも渋々と剣を収めた。

 奥でノスフィーが「してやった」と嬉しそうな顔をしているが、ここは我慢だ。


 いまはマリアやリーパーとの再会を優先だ。

 彼女の処遇を決めるのは、積もる話を全部終わらせてからでも間に合う。そう思って、マリアに顔を向けたところで――予期せぬ言葉を投げられる。


「あの……カナミさん、ラスティアラさん。もしかして、お二人とも……」


 マリアは僕とラスティアラを見比べていた。

 その目にはノスフィーのものと同じ呪布が巻かれているので、部屋に浮いている火の玉での確認だ。その普通ではない眼力で、僕たちの様子を見取り――一言だけ口にする。


「――もう告白し合いましたか?」


 一切逸れることなく、核心に触れる質問がされた。


「――っ!」

「――っ!」


 余りに的確すぎる一言に、僕とラスティアラは息を呑んで驚く。


 当然だ。この部屋に入ってから、そう思われるような行動は一つも取っていない。にも関わらず、マリアは僕達の何気ない仕草や態度から違いを感じ取ったのだ。

 その観察眼に驚かされ、咄嗟の返しが上手くいかない。


「……え?」


 そして、遅れてノスフィーが声をあげた。

 目を見開き、ぽかんと口を開いている。いま部屋の中で一番驚いているのは、間違いなく彼女だろう。

 マリアが来るべき時が来たといったような表情をしているのに対して、ノスフィーは何を言っているのか呑み込めないといったような表情になってしまっている。


 あの無駄に饒舌で聡明なノスフィーが、ぴたりと停止してしまっている。その自分以上に動揺している彼女を見たことで、少しだけ僕は落ち着くことができた。


 すぐに僕は返答しようと言葉を頭の中から選ぶ。

 どうやって僕たちの違いを感じ取ったのか聞きたいが、いまはそれよりもマリアの問いに対して答えることのほうが大切だろう。


「……ああ。マリアの言うとおり、ここへ来る前に僕とラスティアラは互いに好きだって告白し合ったよ。ずっと一緒に居たいって思いを確かめ合った」


 一切逸れることなく問われた以上、僕も一切飾ることなく真っ直ぐ答える。

 その返答に対して、マリアは納得がいったかのように頷いた。


「そうですか……。やっぱり・・・・……」

「……余り驚かないんだな」


 マリアの静か過ぎる反応を不思議に思った。少し前のディアやスノウの暴れ具合を考えると、彼女の落ち着きは予想外だった。


「はい、驚きません。最初から知ってましたから。あと覚悟もしてました」


 何の動揺もなくマリアは言い切る。

 逆に僕のほうが動揺してしまうほど冷静だ。


「最初から……?」

「カナミさんは私と出会う前からラスティアラさんが好きでしたよ。ラスティアラさんも同じです」


 マリアと出会う前となると本当に最初の最初だ。僕だけでなく、この場にいる全員が驚いている。疑問の顔に囲まれながら、マリアは断言する。


「そうです。だから、私はああなったんです」


 マリアは両目がなくとも、真っ直ぐ僕を見据えていた。


 その鋭すぎる視線から、かつてのスキル『炯眼』の存在を思い出す。そして、いまになってアルティの言っていた「私たちには見える」という言葉の意味が少しわかってくる。


 いつだってマリアは、その見え過ぎる目のせいで「わかり過ぎていた」のだろう。

 このいつか訪れる『僕とラスティアラは必ず結ばれる瞬間』がわかっていた。だから、あの日、燃え上がり――もう十分に心の準備が終わってしまっている。


 マリアの言っていることに間違いはないとわかったところで、言葉が続く。


「――前も言いましたが、お二人の関係がどう変わろうと、私は変わりません。なにがあっても、カナミさんを好きであり続けるだけですから。だから、落ち着いてます」


 これこそ、最も言いたかったことなのだろう。固い意志を感じさせる声で、念を押すように、いつかの言葉を繰り返した。


「マリア……」

「駄目だっていっても無理やりついていきますから、覚悟してくださいね」


 返す言葉が見つからない僕に、マリアは優しく笑いかけた。


 優しく――そして、力強い表情をしている。

 それに似た表情を僕はよく知っている。その表情をした者が、もう絶対に迷うことはないとよく知っている。


 その表情は自分の『未練』を見つけ、自分の『使命』を果たすときの守護者ガーディアンたちとよく似ていた。


 たとえ、僕についてくるなと断って、新しい恋をマリアに探してもらおうとしても、もう不可能だろう。そんな段階は、とうに過ぎていることがよくわかる。

 もはや、出会う前に時を戻すか記憶を消すしか、いまのマリアを止めることは出来ない。


 いまの僕にはマリアの気持ちが痛いほどわかる。

 少し前、僕がラスティアラに振られたときもマリアと同じことを考えていた。

 幸せになってもらえるように影で見守り続け、一生思い続ける覚悟をしていた。それだけで自分も十分に幸せだと思えた。


 ……本当にマリアのことがよくわかってしまう。


 だから、軽い気持ちで突き放すことも、軽い気持ちで受け入れることも憚られる。


 真っ直ぐ見つめてくるマリアの意志を前に、完全に僕は呑まれてしまい、少しの間、部屋が静寂に満たされる。


 その薄い沈黙を最初に破ったのはラスティアラだった。

 こここそが自分の番だといった様子で、マリアの名前を呼ぶ。

「マリアちゃん……」

「ラスティアラさん……。ようやくですね。ずっと私が邪魔してきたせいで、随分と遅くなりましたが……」


 依然として優しげなマリアの前で、ラスティアラは表情を目まぐるしく変えていく。

 再会で紅潮していた顔に力がこもって、口と眉の形が変わる。困ったような顔つきから申し訳なさそうな顔になって、何度も目線を逸らしかけては――また真っ直ぐマリアのほうに向け直し、一言聞く。


 僕とマリアのときに合わせたのか、こちらもまた酷く簡潔に問いかける。


「――その、マリアちゃんはいいの?」


 それにマリアは即答する。


「いいわけないです。すごく不満が一杯です。……ただ、これは私にとって最悪じゃないんです。伝えて負けた私は、アルティと比べると随分とマシですから……」


 ラスティアラを安心させるように少しわざとらしく怒った様子を見せて、けれども最悪ではないことを穏やかな表情で伝える。


 その返答にラスティアラは顔を明るくする。

 これからまたマリアと一緒にやり直せる。また一緒に暮らして、一緒に笑い合える。そんな希望を感じ取ったのだろう。

 さらに一歩近づいて、マリアに触れようとする。


 だが、それを許すまいと遮る声があった。


「ふ、ふふっ、あはははっ――!」


 ノスフィーが大笑いをして、二人の距離が縮まるのを防ぐ。いまの会話の全てを小馬鹿にするかのように叫ぶ。


「ええ、確かに千年前と比べるとマシですね! しかし、結果は同じです! 何度何度何度、何度追いかけてもっ、絶対に『火の理を盗むもの』は届かない! その情熱は絶対に想い人へ伝わらない! 永遠に裏切られ続ける運命! ああ、本当に報われません! 本っ当ーに報われない『悲恋』の人生!! それが『火の理を盗むもの』の、しゅ、く、め、い! ふふっ――あはっ、余りに酷い宿命! 酷すぎる話です! あははははっ、はははっ!!」


 遠まわしに『火の理を盗むもの』アルティのことも笑っているかのような口ぶりだ。


 マリアはアルティを親友と呼んで慕っていた。

 その無遠慮な発言に激怒するかと思ったが、そうではなかった。


「ノスフィー、何を急に……?」


 挑発し続けるノスフィーを、マリアは怪訝な顔で見続ける。

 その間もノスフィーの叫びは続く。


「ええ。無関係であるわたくしが、急に口を挟むのは失礼かもしれません……。かもしれませんがっ、見過ごません! いまやマリアさんもフーズヤーズの住民! この国の聖女と呼ばれている以上、わたくしはあなたの苦しみを見過ごせません! なにより、そのお気持ちがよくわかります! 渦波様を思って一年間、毎日必死に尽くしてきたマリアさん! だというのに一年経って、ようやく出会えたと思えば、この有様! 違う女性が隣にいて、平然とされている! 納得いきませんよね!? いくわけないですよね!? 当然、その隣の場所は私のものだったのにと思うことでしょう! 無理もありません! 最初に見つけたのは――う、ぐっ、むぅっ」

「――無理をしないで・・・・・・・ください・・・・。少しの間、ノスフィーはお喋り禁止です」


 マリアはノスフィーの身体に巻きついた呪布を操って、動き続ける口を塞いだ。

 そして、すぐにラスティアラへ向かって、いまの話を否定する。


「ラスティアラさん、なんの心配も要りません。確かにノスフィーが言うように、ちょっとムカっとは来てますけど、十分に抑えられる範囲です。さっきも言いましたが、ずっとわかっていたことですから……もう一度火炎魔法で街を焼けば、すっきりするくらいのものですよ」


 少し茶化しながら、マリアはラスティアラとの和解の続きを行おうとする。けれど、いまの二人の会話を聞いたラスティアラは、このまま甘えるだけではいけないと思ったのだろう。謝りながら一歩前に出る。


「マリアちゃん……。その、まずは一年前のときはごめん! 拗ねて、いじけて、勝手に一人で動いて……! お、怒ってるよね……?」

「いいえ。いま謝ってくれたので、もう十分です。私のほうがお姉さんですから、今回は大目に見てあげます」

「それと! 今回のことも、ちゃんと謝らせて! 最初にマリアちゃんを応援するって約束したのに、私は何度も抜け駆けして……! マリアちゃんを裏切っちゃって……! あと他にもっ、もっともっと謝らないといけないことが――」

「大丈夫です。だから、もうそんな顔しないでください。……ほら、こっちに来てください」


 目の前で必死に謝り続けるラスティアラを見て、マリアは呆れながらも微笑する。

 そして、両手を大きく広げて、胸の中に誘おうとする。


 焦燥にかられて謝り続けていたラスティアラは、マリアの顔を見る。

 その全てを受け入れてくれると思える包容力ある微笑を見て、ラスティアラはふらふらとよろめきながらも一歩前に出る。それは泣く寸前の子供が母に擦り寄る姿に似ていた。


 ラスティアラは膝を地面につけて、その上半身をマリアの胸に預けた。

 息をつく間もなかった謝罪が途切れ、ラスティアラの乱れた呼吸が整っていく。その頭部をマリアは優しく撫で続け、自らの心臓の音を聞かせるように強く抱き締めた。


「……大丈夫です、ラスティアラさん。私の心と魔力に聞いてください。それで全部わかるはずです」


 マリアは身体全てを使ってラスティアラを抱き締めているだけではない。その魔力全ても使って抱擁し、魂からの本心を伝えようとしていた。一切の精神的な壁を捨てて、ラスティアラを安心させようとしている。


「……マリアちゃん」


 そのマリアの全てを肌で感じて、全てが真実であるとわかったのだろう。彼女の胸の中でラスティアラは安心し――か細い声で、また名前を呼ぶ。


「マリアちゃん、ありがとう……。本当に大好き……」

「はい。私もラスティアラさんのこと好きですよ……。初めて出会った夜から、ずっとです……。ずっとあなただけは、こんな私と真剣に向き合ってくれましたから……」


 初めて出会った夜という言葉から、この二人の出会いを思い出す。

 あのとき、ラスティアラは心を開こうとしないマリアを強引に誘って、夜通し同じベッドでお喋りをした。故郷から奴隷として連れて来られたマリアにとって、その強引な優しさは身体の芯まで沁みただろう。


 ただ、それは遠まわしに僕はマリアと真剣に向き合っていなかったことを責められているようで、少しだけ居心地が悪く感じる。

 その僕を置いて、二人だけの世界が進んでいく。


「あの日から本当に色々なことがありましたね……。本当に色々と……。だから私たちはもう、ちょっとくらい拗れても、すぐに元に戻れる関係になれてるって思ってます。ラスティアラさんは違いますか?」

「違わない……。全然違わない……!」


 マリアにとってラスティアラが特別であるように――ラスティアラにとってもマリアは特別だ。

 生まれたときから用意されていた『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』たちと違い、ただのラスティアラとして初めて見つけた同性の友達だろう。


 そのマリアと心から通じ合えていることにラスティアラは感動していた。


「ただ、もちろんですが、私は最後までカナミさんを諦めません。たとえラスティアラさんがいても、私はカナミさんと一緒に死にたいって思っています。それでも――」

「うん、わかるよ。そんなマリアちゃんを私は好きだから大丈夫」

「……余り何度も繰り返されると恥ずかしいですね、これ」


 胸の中から顔を上げて、ラスティアラは「好き」と囁き続ける。それにマリアは照れて顔を背けた。


 二人とも一度も見たことのない表情を見せている。僕と話しているときよりも情熱に溢れているような気さえする。

 ラスティアラと僕が付き合っていて、彼氏彼女の関係だという話が嘘のように思えてくる光景である。


 そんな心配をしている僕を放置して、ラスティアラは立ち上がる。そして、マリアに抱き締められるのではなく、逆に上から抱きついて、頬と頬をくっつける。


「マリアちゃん、大好き! ありがとう!」

「ちょ、ちょっと、ラスティアラさん! もうっ、やめてください……!」


 口では嫌がっているが、まるで力のない拒否だった。

 表情は変わらず優しく、ラスティアラのされるがままになっている。むしろ、頬の触れあいを喜び、もっと欲しがっているようにも見える。


 もう完全に和解がなされたと解釈していいだろう。

 二人の間に殺意や敵意は一切なくなった。


 ただ、綺麗に話がまとまったのを見て、隣で口を布で押さえられているノスフィーは唸る。言葉は発せられずとも、僕には彼女の言いたいことがわかった。こんな結末は「ありえない」「茶番だ」「間違っている」と主張しているのだろう。


 だが、それを聞き届ける者は一人もいない。

 ラスティアラを守る騎士であるライナーとラグネは、部屋の空気が和らいだのに安心する。そして、スノウとディアはいちゃついているラスティアラとマリアのところに近づいていき、これ以上ない穏やかな雰囲気で再会の挨拶をかわしていく。


 いつかの仲間たちが合流していくのを、一歩引いた僕は眺める。

 ノスフィーが入り込んだことで大きな不和が生まれるかと思ったが、マリアの包容力が全てを上回り、無事に乗り越えることができた。

 僕は怪我人が一人も出なかったことに安心し、一つだけ大きく息をつく。


「はあ……。ようやくだな」


 その僕の死角うしろにいたリーパーも気軽に喋り出す。


「うんうん、本当にようやくだね。よかったよかった。久しぶりにマリアお姉ちゃんの嬉しそうな顔が見れて、アタシは嬉しいよ」


 僕以上に全体の見えるポジションを取って、リーパーはみんなを見守っていた。相変わらずの気配り上手な彼女は、自分のことのようにマリアの幸せを喜んでいた。

 すぐに振り返り、僕はリーパーと話をする。


「おまえは相変わらずだな。僕はおまえのことも心配してたんだが……」

「え? ……いやあ、アタシの心配はいらないよ? マリアお姉ちゃんと一緒にいれば、魔力も安全も問題なしだからねー。なにより、誰かさんと違って、マリアお姉ちゃんってすっごく強くて頼りになるし」


 僕の顔を見ながら、リーパーはにやにやと笑う。その言葉の裏にあるものに不本意を感じて、僕は問いかける。


「……リーパー、僕だって強くて頼りになるよな? マリアに負けないくらい」

「それはないかな!」


 とてもいい笑顔で答えられる。

 これでラスティアラに続いて二人目である。他の仲間たちにアンケートをとるのが怖くなるほどの即答だ。


「ちょっとくらい考えてくれ……。結構ショックだ」

「だって、考えるまでもないからねっ」

「そ、そっか……」

「ひひっ。お兄ちゃんも相変わらずで、アタシも安心したよ」


 予想外の自分の低評価に悲しみながらも、こうやって冗談を飛ばせる時間が戻ってきたことを密かに僕は喜ぶ。


 一年前に残してきてしまった仲間たち全員との再会が終わり、その無事も確認できたのだ。心の隅に根付いていた後悔が消えていくのが自分でわかる。


 あとは陽滝が目を覚ませば完璧だろう。

 

 ――それで全てが終わる。


 次は地上の世界樹にいる使徒ディプラクラだ。

 彼と会えば、多くのことが知れるはずだ。もしかしたら、すぐにでも陽滝の目を覚ます方法がわかるかもしれない。それだけの期待が持てる相手だ。


 部屋の中でノスフィー以外のみんなが和やかに再会の談笑を交わす中、僕は『世界樹汚染問題』についての情報を頭の中に広げていく。


話を畳む前の全キャラ合流って予想外に長引きますね……。

早く進めないと……。

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― 新着の感想 ―
[一言] ノスフィーだけが呪符でぐるぐる巻でハブられてる状況で、周りは和やか・・・すんごくシュールですね。
2021/02/19 01:53 退会済み
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