270.最後の騙し合い
「あれ? いま、誰かいた?」
木陰で剣を振っていた僕に、開口一番でラスティアラは聞いてきた。
「いや、ずっと僕一人だ……。暇だったから、剣の鍛錬してる」
先ほどのティアラさんとの稽古のおかげか、そ知らぬ顔で答えることができた。
ラスティアラは少しだけ不思議そうな顔をしたが、すぐにいつもの顔に戻って、剣を振る僕の近くに座り込んだ。
そして、黙々と剣を振る僕を見つめながら、話しかけてくる。
「ふうん……。ほんとライナーって模範生だよね。騎士としても学院生としても」
生真面目なところを褒められてしまうが、自分よりも模範的な人はいるはずだ。
例えば――
「騎士の模範と言えばクエイガー元総長か、もしくは兄様だろ」
「うーん、その二人はただの仕事人ってイメージかな。仕事だから騎士をやってる感じ。私が芯から騎士だって思ってるのはライナーだけだよ」
「そりゃ……どうも」
理由を説明され、素直に称賛を受け取った。
そして、本当に成長したものだと、自分で自分に感心する。
兄様の話をラスティアラとできるなんて、『舞闘大会』のときには思いもしなかった。いまの『兄様は仕事人』という評価を聞いても、怒ることなくきちんと納得できている。
結局、兄様は全てを平等に守る完璧な騎士などではなく、どこにでもいる普通の男だった。子供の頃、兄様が完璧な騎士だと思ったのは、ただ必死に仕事をこなしていた後姿を見て勘違いしてしまっただけ。その事実を、いま心から認めることができる。
「……さて、その立派な騎士ライナーに朗報です」
僕が一人で物思いにふけっているのをラスティアラは十分に見守ったあと、笑顔で自分の用件に入っていく。
「この前のアル君とエミリーちゃんだけど、きちんと『血抜き』の許可は貰えたよ。儀式の準備のほうも大体終わった。早ければ、今日の夜にでも準備が終わって、明日の朝に儀式を始められるよ」
「……それを教える為に、わざわざ僕を探してくれたのか?」
今日の朝、ヘルヴィルシャイン家から出たときに、行き先は誰にも告げなかった。
どこにいるかわからない僕に連絡するためだけに、大聖堂で一番偉いラスティアラが歩き回ったというのは……少し、申し訳ない気分になってしまう。
「ん、まあね。と言っても、なんとなくライナーがここにいるのはわかってたから、見つけるのはすぐだったよ。昔から勘がいいんだ、私って」
「あ、ああ……。そうみたいだな……」
一瞬――茂みのほうに目を向けそうになる。
ラスティアラの勘の鋭さの元となっているのは、間違いなくティアラさんだろう。だが、ここにいる勘がいいと自称する少女の前で、その茂みに目を向けることはできない。
必死に僕は注意をそらさず、目の前のラスティアラだけに集中する。
「それじゃあ、これからライナーも大聖堂に集合ってことでー。あ、でも来る前に家に戻ってね。いまセラちゃんが、例の二人と一緒に君の家で待ってるから。なんか二人とも、ライナーにお礼言いたいんだって」
儀式のための召集を受けるが、その前に家に寄れと言われる。
そのことから、最初は四人で僕の家に訪れていたことがわかる。
しかし、ヘルヴィルシャイン家の屋敷に僕がいなくて、仕方なくラスティアラがひとっ走りして探すという流れになったのだろう。
ここで一番偉いラスティアラが走り回るというのが彼女らしいところだ。
「家にアルたちがいるのか。でも、初日に散々お礼は言われたんだがな……」
「それでもお礼が言いたいんでしょ。いやー、やっぱ私の姉妹だね。『魔石人間』っていい子ばかり」
「そうか? あんたと似て、エミリーのやつも面倒くさそうだったぞ」
「いやいや、女の子はみんなあんなもんだって」
そのラスティアラの言う「みんな」というのは、例のキリストパーティーたちのことだろうか。確かにあれらと比べてしまえば、どんなやつだろうと面倒臭くないだろう。
僕が納得いかない顔で反論を諦めると、ラスティアラは急いで来た道を戻ろうとする。
「じゃっ、ライナーは早めに家に戻ってあげてね。私は先に大聖堂に戻るよ。あとちょっと準備が残ってるからね」
一年前の聖誕祭の儀式は、たくさんのフーズヤーズの神官たちの協力があったが、今回は僕たちだけで行わなければならない。その準備がまだ残っているらしい。
ラスティアラは忙しそうに――けれど、お祭り前の子供のように目を輝かせて、大聖堂へ戻ろうとする。
その様子を僕は注意深く見る。
久しぶりに二人きりで話したが……とても普通だ。
いや、普通どころか、物分りのいい理想の上司と言っていいだろう。冗談を飛ばして、部下の緊張を解してくれる。絶えず笑顔を保っていて、この人についていけば大丈夫と言う気にさせられる。余裕のある大人のお姉さんって感じだ。
その姿を見て、少しだけ希望を抱く。
ティアラさんは無理だって言っていたが、話し合えば、もしかしたら――
「ラスティアラ、少し待ってくれ」
「ん、なになに?」
「最後に一つだけ聞きたいことがある……。もし――もしもだぞ? 聖人ティアラが明日の儀式を……『再誕』を望んでいなかったらどうする?」
その僕の質問を聞いた理想の上司ラスティアラは振り返り、即答する。
「――それはないよ。急にどうしたの?」
同時に襲い掛かる。
背中を押し潰すほどの、圧力。
いままでの気軽な空気を一瞬で引き千切るかのように、ラスティアラの全身から肌を刺すような魔力が漏れた。
僕は無様に後ろへ転びそうになった。
「…………っ!!」
剣を握り、気を張って、臨戦体勢と言ってもいい状態だったにもかかわらず――その一言だけで腰をつきかけた。
もちろん、その圧力は戦意でもなければ殺意でもない。ただ単純にラスティアラは、ちょっと意にそぐわない発言に対して強めに返答しただけだろう。
それでも恐ろしい圧力だった。
何気ない強めの返答に呑まれそうになる。
女神と見紛う外見からは想像できない爬虫類に似た双眸。
全てを焼き尽くす太陽のごとく、黄金色の瞳孔が輝いている。
軽い気持ちで見つめていると、瞳の奥に引き寄せられていく。どれだけ彼女に悪意はなくとも、本人の意思とは関係なく燃やし尽くされる。
これがラスティアラ・フーズヤーズの本質。
――怖い。
力では勝っているとわかっているのに、そう思ってしまった。
自分の力が張りぼてであると、再確認させられる。
しかし、張りぼてだからこそ、僕のために時間を割いてくれた師匠たちのため、一歩も退けはしない。僕は恐怖を打ち払い、毅然と言い返す。
「なんで、それはないって断言できるんだ? あんたは会ったことも話したこともないのに……」
「確かに会ったことはないけれど、ティアラ様の人生なら見たからね。だから、私にはわかるんだよ」
即答の断言は続く。
この僕の質問に対して、ラスティアラの中で答えは最初から決まっていたようだ。
ただ、まだ一歩も退かない僕を見て、ラスティアラはぽつりぽつりと話を続ける。その断言の根拠を、僕に話していく。
「ティアラ様はね……子供の頃、病弱で部屋から一歩も出られない生活だったんだ。侍女が一人に、本だけが積まれた部屋。やんごとなき血筋でありながら、そこでずっと育った。生まれたときから『魔の毒』に身体を蝕まれ、毎晩苦しむだけの辛い生活。死にかけて死にかけて死にかけ続けて――死と隣り合わせの毎日の中。ティアラ様は絶望の底に沈んでいた。世界を恨んでいた。このまま、自分は誰にも気づかれず、生まれた意味もなく、苦しんで死ぬのだと、人生を諦めかけていた……」
それはティアラさんの幼少の記憶だった。
ラスティアラは自分のことのようにそれを話す。
「――そこにカナミが現れるんだ。『僕なら君を治してあげられるかもしれない』そう言って、その開かずの部屋の扉が開かれた。それはまるで、昏き深海に届いた天の光のようで……。貝のように閉ざされたティアラ様の心が少しだけ開かれていって……。あの物語は始まった」
ラスティアラはカナミの登場を自慢げに、そして吟遊詩人のように大仰に物語を語っていく。
興奮で頬が高潮し、魔力で金の髪が躍り、双眸の太陽の熱が増す。
「それからカナミは、毎日病床のティアラ様の様子を見に来てくれるようになるんだ。本人は妹さんの治療法を探す為の実験だって言っていたけど、カナミが心からティアラ様を心配していたのは間違いないよ。あのカナミだからねっ。そして、本来は親から与えられる人の暖かさを、ティアラ様はカナミから初めて感じていくの……」
つらつらと機嫌よく話していくラスティアラに、僕は言いようのない恐怖を感じる。
興奮しているのはわかる。だが、それが余りに狂気的で、目と耳を閉じたくなる。
「知ってのとおり、カナミのおかげでティアラ様の身体は快復する。絶望の底から救われる。ここで死んじゃうと、フーズヤーズの歴史が消えちゃうから当たり前だね。……その後、ティアラ様の快復は大陸で『奇跡』と呼ばれるようになり、本来の立場であるお姫様としての暮らしに戻っていく。父王は感激し、次期女王になるのではないかという噂もあった。けど、いまさら継承権なんて、ティアラ様は欲しくなかった。何の魅力もなかった。どうでもよかった。当然だよ――」
どうしてこの女は、こうも他人事を楽しそうに話すのかと不思議に思う。
ティアラさんの言ったとおり、その千年前の物語をラスティアラは我が事と勘違いしているように見える。
「だって、そんなどうでもいいものよりも魅力的なものが彼女にはあったからっ。それは世界を救う為にフーズヤーズに現れた五人の英雄たち! 『使徒』三人――そして、それに付き従う二人の『異邦人』! 特に命の恩人であるカナミと、ティアラ様は一緒にいたいと思った! 隣を歩み続け、ずっと共に生きて行きたいと思った! お姫様なんて立場よりも、それはずっとずっと魅力的なことだった!!」
そう言い切り、ラスティアラはハアーっと息を吐いた。
いまラスティアラは大好きな趣味を公開することで、大変満足しているのだろう。兄様も似たような癖があったので、それを冷静に分析できた。
そして、身の内の熱いものを一時的に吐き出したせいか、少しラスティアラは冷静さを取り戻す。長々と語っていた事を、我に返って気づき、それを少し恥ずかしがる。
「……と、とにかくティアラ様はカナミと結ばれるべきなのっ。千年後のいま、絶対に再会すべきなんだよ」
もう見るもの全てを恐怖で凍りつかせる威圧感はなくなっていた。女神と見紛う美しい少女が、口を尖らせているだけだ。
「だって、私と違って彼女は本物のお姫様。模造品なんかじゃない。うん、そうだよ。あれは――私じゃない。私じゃないんだ」
その一言で話を締めようとしたとき、初めて見る表情を見せた。
目を細め、眉をひそめ、けれど口の端は緩んでいる。それは悲しんでるように見えて、喜んでいる様にも見えて――期待しているようにも見える。
その表情から読み取れる感情は正確にはわからなかったが、僕の知る限りで最も近いもので代替して聞く。
「あんたは……ティアラさんが羨ましいのか?」
「羨ましい?」
無論、それは見当外れだったようだ。けれど、人の好いラスティアラは僕の間違いを頭ごなしに否定せず、一考してくれる。
「そうかもね。私って結構嫉妬深いところがあるから……。でもさ、それ以上に私はティアラ様が大好きだよ。ティアラ様の物語の大ファンで、心から幸せを応援してる。うん、私は応援してるんだと思う」
負の色の一切ない、たおやかな笑顔で答えた。
ティアラさんほど鋭い『勘』ではないが、僕は直感的にラスティアラは本音だと思った。だからこそ、色々と納得できないところが多い。
「けど、あんたもキリストのことを好きなんだろう……? どうして、そんなに簡単に身を引ける?」
前に二人が相思相愛なのは確認した。
いまラスティアラが嫉妬深いことも確認した。
それなのに、目の前の少女は想い人を他人に譲ろうとしている。
その矛盾にラスティアラは、とてもあっさりと答える。
「んー、たぶん……順番だからかな?」
「順番……?」
「『好き』の大きさの順番。私の『好き』ってさ、たぶん、マリアちゃんやスノウの十分の一くらいしかないよ。やっぱり恋物語っていうのは、『好き』が一番大きい子が優先されるべきだと思うよ。基本でしょ、基本」
恋物語の基本……?
呆れて返す言葉がなくなりかける。
前々から予測はしていたが、やはりこの女はおかしい。
その口から聞くことで、それは際立つ。
ラスティアラは独自のルールを展開して、それを遵守している。そのルールは演劇や小説ならばよくあるお約束。つまりこいつは――大して主人公を好きでもない脇役である自分が、その主人公とハッピーエンドを迎えるのは納得いかないと言っているのだろう。
だから、あっさりとチャンスをティアラさんに譲る。
他人に譲るのに抵抗がないのだ。
おそらく、あの元奴隷の少女や竜人女に想い人のカナミを取られたとしても、きっと笑顔で祝福できてしまうだろう。
確かに、『好き』という感情が常人より薄いのかもしれない……。
いや、違うか。
このバイオレンスで傍迷惑な性格の女の感情を薄いと表現するのは、何かが違う。
こいつは何でも楽しんで、いつも笑っている。いつだってラスティアラ・フーズヤーズは人生を謳歌している。
迷宮探索も世界の冒険も、戦いも日常も、危険も安全も、敵も味方も、何もかもを楽しんでいる節があった。唯一悲しむ姿を見たことがあるとすれば、それは舞台にさえ上がれなかったとき。
むしろ、『好き』という感情が常人よりも濃くて万能だから、こうも独占欲が歪に……――
――こんなの説得なんてできるか。
その先に待つ答えに気づいてしまった僕は、そう結論付けた。
僕のような常人の思考では、ラスティアラの価値観には決して追いつけない。
追いついて説得できるのは、きっとキリストか仲間の女たちくらいだろう。
そう思った僕は、観念して同意することにする。これの処理は主に任せよう。それが一番だ。というか、正直言って深く突きたくない。絶対やばい。
「……わかった。そう決めてるのなら、もういいさ。僕からは何も言わない」
「流っ石、ハインさんの弟! わかってくれる!?」
正直、兄様という前例がなければ、いまの話の半分も理解できなかっただろう。それほどまでに、こいつの話はおかしい。
それをはっきりと僕は伝えておく。同類にはされたくない。
「いや、わかったけど、共感はしてないからな。はっきり言って、わけわからないぞ、おまえ」
「えー? ……ちぇー。まっ、そう言われるのはわかってたけどね。それでもうそっちの話は終わり?」
「ああ、もういい。おまえが聖人ティアラの『再誕』を誰よりも必要としてるのはよーくわかった」
これで明日の儀式で憂いなく裏切れる。
ラスティアラには悪いが、ティアラさんのほうが『まとも』だった。
だから、僕はティアラさんの味方につく。
大雑把な話かもしれないが、『まとも』かどうかというのは僕の信頼する判断基準の一つなのである。
「オッケー。それじゃあ私は急いで大聖堂に戻って準備してるね。そっちも家に寄った後は、すぐこっちにきてねー。たぶん、とんとん拍子で進めば、今日の夜から儀式始めちゃうからー」
僕が裏切りを心に誓ったところで、ラスティアラは小走りで街に戻っていく。その背中に別れの挨拶をかけ、手を振る。
「ああ、先に行ってこい。こっちはちゃんとセラさんたちに会ってから、そっちに行く」
「ばいばーい!」
それにラスティアラは、背を向けたまま手を振って応えた。
小走りといえど、基本的な身体能力の高いラスティアラならば、姿が消えるまですぐだった。そのときまで僕は忠義深い騎士として手を振り続け――完璧に姿が消えたところで近くの茂みに声をかける。
「どうして、あんなになるまで放っておいたんだ」
とりあえず、親を自称する先代の聖人様に、この時代の聖人の異常さを責める。
「えぇえ? 私のせい?」
すごすごと茂みから出てきたティアラさんは、心外と言った様子で首を振る。
「私じゃないって。私の意識が出たときには、もうああなってたんだから。むしろ、あんなのをよくフーズヤーズは育てたもんだと、ちょっと引いてるくらいだよ」
「じゃあ、うちの教育係のせいになるのか? 確か、兄様とパリンクロンが担当だったな……」
「ヘルヴィルシャインの末裔とレガシィ君の転生先が……? その二人なら……たぶん、レガシィ君のせいだね! レガシィ君は基本的にアレだから!」
「やはりか……。聖人様が言うなら間違いないな……! くそっ、パリンクロンのやつめ……!」
どっちかと言うと今回は兄様のほうが原因な気がしないでもないが、パリンクロンのせいにしておく。あいつのせいにしておけば、大体は回りまわって正解になることが多いのだから仕方ない。
僕とティアラさんは存分にパリンクロン・レガシィを呪ってから、冷静に現状を整理していく。
「冗談は置いといて……あんたが一番カナミが好きって本当なのか? 少なくとも、ラスティアラはそう思って、順番を譲ろうとしてるぞ」
「いやあ、それなりに好きだけどさー。一番はないと思うよ? 絶対ない。娘の中でディアちゃん、マリアちゃん、スノウちゃんあたりを見てたけど、正直勝てる気しないよー」
「だよな。あそこらへんに勝てたら、もうアレだ」
ティアラさんは力や技術は凄いが、比較的まともな性格をしている。キリストの周囲のやつらと並ぶには、色々と足りていない。
「どうして、我が娘があそこまで私の気持ちを決めつけるのか……わっかんないんだよね。唯一つわかることは、もう娘との『親和』は不可能ってことだね。もう私の声は、娘に届かない……」
『親和』という単語は、パリンクロンと戦ったときに聞いたことがある。『理を盗むもの』の力を使いこなすのに必要だったという認識程度はある。
少し詳しい説明が欲しいと僕は思い、いつものごとくそれをティアラさんは察してくれる。
「あれ、知らない? なら、帰りすがらに『親和』について教えてあげるよ。これは明日の儀式にも関係あることだからね。魔法の真髄の一つだよー」
「助かる」
こうして、僕たち二人は去っていったラスティアラと鉢合わせにならないように道を選んで、ゆっくりと屋敷に帰っていく。
その帰り道で僕たちは別れの挨拶にも似た会話をする。
「もう儀式の準備は終わりかー……。たぶん、さっきのが最後の授業になりそうだね……」
「ああ、明日でお別れっぽいな」
「明日、か……」
これで稽古も最後だと思うと、少しだけ歩く速度が緩む。死にかけてばかりだったが、終わってみればそれなりに楽しい毎日だった気がする。
けれど、振り返りはしない。その寂しいという感情よりも大切なものが僕たちにはある。二三歩ほど歩いたところで、もう僕たちの歩みに迷いはなくなっていた。
◆◆◆◆◆
――『親和』とは人生の重なり。
どれだけ魂が酷似しているかを指すらしい。
同質の魂を掛け合わせることで、より高次元な魂に昇華させるのが『親和』。
本来、死した魂は世界に溶けていく。しかし、同質の魂が近くにあれば、溶ける前に吸収される。ティアラさんが千年前の度重なる魔法開発の末に見つけた『魔法の真髄』の一つだと説明されたが、正直なところ話の半分も理解できなかった。
『数値に表れない数値』と同じで、千年前の経験から存在は確信していても、はっきりと説明できないあやふやな現象らしい。
なんとか理解できたのは、いまラスティアラとティアラさんは魂の形がかけ離れているため――もし、一つの体に二つの魂が入ってしまえば、相反し合って、どちらかが消滅するということ。
逆にキリストの仲間である元奴隷の少女と『火の理を盗むもの』は魂の形が酷似しているため――一つの体で二つの魂が見事に融和できていること。
ヘルヴィルシャイン家の帰り道すがらに『親和』についての話を聞き終わり、そして屋敷の正門前で僕はティアラさんと一旦別れる。
「それじゃあ、私は庭のほうから忍び込むから」
「え、あんたも家に入るのか?」
「うん、例の二人の話を私も聞きたいからね。また影に隠れて、こっそり聞いてるよ」
そう言い残して、大聖堂に帰ると思っていたティアラさんは屋敷の庭に紛れていった。
定期的に使用人が庭の見回りをしているものの、あの勘のいいティアラさんならば捕まることはないだろう。
師を心配することなく、僕は屋敷の中に入っていく。
すると、すぐに侍女の一人が僕の下へ駆け寄って、お客様の来訪を知らせてくれる。
ラスティアラの言っていた通り、セラさんが客室で待っているようだ。
途中、僕を蔑む家族たちに睨まれながらも、先輩を待たせないように急いで移動する。
僕の客という話とはいえ、相手は格の高い貴族レイディアント家の騎士だ。屋敷でも上等な客室があてがわれていた。
その部屋の中に、勢いよく扉を開けて入る。
中には予想通りの三人が待っていた。
騎士のセラさんに探索者のアルとエミリーだ。まず、代表してセラさんが僕に話しかけてくる。
「邪魔をしているぞ。その様子だとお嬢様から話は聞いたようだな」
「遅れてすみません。時間が空いたので郊外で剣を振っていました」
「ほう。感心できる休日の過ごし方だ。うちの若い騎士たちは、最近はたるんでいるからな」
軽く手を挙げあって挨拶を交わしていく。
奥の探索者二人はふかぶかと頭を下げていたので、その必要はないと笑って応えてあげて挨拶を終わらせる。
「しかし、おまえの姉は相変わらず凄いな……。待っている間に質問攻めにあったぞ……」
「姉様が……。あー、キリストのことですか?」
「ああ。『舞闘大会』で袖にされたはずだが、まだご執心の様子だった。誤魔化すのが大変だったぞ」
「一度袖にされた程度で、姉様は止まりませんよ」
セラさんは顔をしかめて、僕の姉との交流を報告してくれる。その表情から、僕と同じ目に遭ったのがよくわかる。よく見れば、後ろの二人も似たような表情をしていた。姉様は誰彼構わずに情報収集しているようだ。
いつか独力でキリストまで辿りつきそうで怖い。
「さて、おまえの姉は置いて、本題に入ろう。おまえの連れて来てくれた二人との交渉は終わり、儀式の準備も終わる直前だ。お嬢様は明日の朝にでも儀式を行うと言っていたが、おまえはいけるか?」
「はい。もちろん、いつでもいけます」
「いい返事をしてくれる。おまえがいてくれて、本当に助かる」
僕としては当然の返答だったが、セラさんは僕の参加を聞いて心底安堵していた。
その本題に続いて、後ろで待っていた二人が前に出てくる。
再度、深く頭を下げたアルがお礼を言ってくる。
「ライナーさん、本当にありがとうございました。あなたのおかげで、僕たちの病気は治りそうです」
「ああ、ラスティアラに治してもらえそうなのか。よかったな。ただ、お礼はいいって前も言ったろ? 僕は仕事をしてるだけだから」
「それでも今日までの苦労を思えば、お礼を言わずにはいられないんです」
アルに合わせてエミリーも頭を下げていた。
本当に礼儀正しい二人だ。
「ちなみに俺は儀式のとき、聖堂の外にいます。もし何かあったとき、俺だと足手まといになりますから……。エミリーが敵の人質にでもなったら、きっと俺はみなさんよりエミリーを優先してしまいます」
そして、儀式の日の所在を教えてくれる。
心細いであろうエミリーに付き添ってもいいと思ったが、そうはならないようだ。
当のエミリーが強く同意していた。
「うん。もし人質になったら、とても困ったことになるから……外で隠れてて。極力、不安要素は取り除こう。私は一人でも大丈夫だから心配しないで、アル」
「心配はしてないって。ライナーさんがいてくれるから」
二人は少し物騒な予測をしていた。
まるで、儀式の日に何者かの襲撃が約束されているかのようだった。
「セラさん……。もしかして……」
「はっきり言おう。儀式の日、あのフェーデルトのやつが何かしかけてくる」
「言い切りますね。理由を聞いても?」
セラさんは憤慨しながらも、酷く真剣な顔で説明していく。
「露骨に裏で手を回して、私を大聖堂から引き離しにきたのだ。そのせいで、いますぐ私はここを発たなければならん。屋敷の外には本土からの迎えで一杯だ。いまここに居られるのは、おまえという騎士に業務を引き継ぐという名目で、なんとか時間を稼いでいるからだ」
あのセラさんがラスティアラの一大事に離れる……?
どのようにフェーデルトが手を回したかは知らないが、上手くやったものだ。
「本土に行っているクエイガー元総長に事故があってな。その補填として、私は本土に向かわないとならんのだ」
「クエイガーさんが事故……?」
「流石に、その事故がフェーデルトの仕業かまではわからん。だが、やつが上手く元老院に掛け合って、補填の騎士を私にしたのは間違いない。私を遠ざけて、儀式の警備を手薄にした以上、必ず動くはずだ」
「そこまでわかってるなら、そんな命令無視してしまえばいいのでは……?」
「無視すれば、私でなくお嬢様の立場が悪くなる。戦いは今日だけではないのだ。隙を生まないように立ち回る必要がある。……何より、お嬢様が行ってこいと命令している」
セラさんも本意ではないのだろう。唇を噛んで、明日の儀式への不参加を告げ――しかし、一切の心配はしていないと、僕の目を見る。
「……私とお嬢様は、おまえを信頼してるぞ。お前の力は兄ハインを超えて、心身ともにフーズヤーズ最高の騎士に至ろうとしている。そのおまえという切り札がある限り、私たちに敗北はないと信じている」
目と目を合わせて、切り札はセラさんでなく僕だと言う。
目を逸らしそうになるのを、ぐっと堪える。
大変良心が痛む……。
僕は裏切りをなんとも思わないゴミクズ以下の騎士なのに……。
「そんな顔をするな。もちろん、何の手も打ってないわけじゃないぞ。私の代わりに、当日は頼りになるやつを護衛につかせるつもりだ」
その後ろめたさで歪んだ顔を、セラさんは都合よく解釈してくれたみたいだ。
年下の部下である僕の不安を払うべく、増援を約束してくれる。
その増援に僕は心当たりがあった。
「ラグネさんですね」
「ああ、一人はラグネだ。あともう一人呼んでいるのだが……おそらく、そっちは間に合わないだろうな。明日は二人で分担して、上手く護衛をして欲しい」
三人目もいるらしいが不確定なので数に数えないで欲しいようだ。
明日は二人――たった二人で、一年前は千人超えで警備していた儀式を成功させろと言っている。それをセラさんは激励と共に、僕に頼み込む。
「おまえたち二人が居れば、たとえ大聖堂の騎士たちが全員相手でも遅れは取らんと信じている」
騎士全員が相手――確かに、ラグネさんを含めた全員が相手でも、僕一人でいけるはずだ。
風の魔法は対多数に優れている。
最悪、風の繭でラスティアラか神殿を包んでしまえばいい。今日までの特訓で、その魔法を数時間持続するだけの力は手に入れている。
守護者クラスの敵さえ現れなければ、間違いなくいける。
あのクラスの敵なんてそうそういない。ほぼ確実に大丈夫と言っていいだろう。
「任せてください。必ずラスティアラは僕が守ります。この剣に誓って」
騎士の誓いを嘯いて、僕はセラさんの不安を取り除く。
正直、ラスティアラの意に沿うかどうかは保障できない。
しかし、必ずラスティアラの命だけは守る。この命に代えても。
その言葉に満足したのか、もう時間はないといった様子で部屋から出て行こうとする。
「うむ。任せたぞ」
セラさんは今生の別れのように、強く僕に言い残す。
このまま、連合国から出るのだろう。それ以上何も言うことなく、セラさんは部屋から出て行った。それに続いて、アルとエミリーも再度礼を言ってから出て行く。
客室に僕だけが残った。
これでラスティアラとの約束は終わりだ。
すぐに僕は誰もいない部屋で声をかける。
「聞いてたか?」
「うん。明日は気をつけて。なんとなくだけど、必ず襲撃はあるよ」
ティアラさんが部屋の窓を外から開けて、猿のように器用な動きで入室してくる。ずっと外の壁に張り付いて、中の話を聞いていたのだろう。
そして、矛盾しているけれど『なんとなく』『必ず』という『予言』をした。
セラさんが危惧している事態は起きると思って動いたほうがよさそうだ。
「なら、すぐにでも大聖堂に行って、ラスティアラの護衛をしないとな……」
「私も地下室に戻らないと。儀式の準備の最後には、この身体を神殿まで移動させるだろうから」
僕たちは揃って大聖堂へ向かうべく準備をする。
その途中、ティアラさんは少し楽しげに声をかけてくる。
「とうとうだね。明日、今日までの特訓の成果が試されると言っても過言ではないね……!」
「そうだな……。ただ正直、あまり強くなった気がしないんだが……」
嘘をついても仕方ないので、僕は正直に答えてしまう。
「うん。正直私も上手く教えられた気がしない」
「おい」
それに師であるティアラさんも正直に答える。
「あははっ。まっ、完璧とは言えないけど、それなりに教えられたと思うよ」
「……あとは僕が一人で勝手に鍛えるさ。あんたには感謝してる」
いつものことだ。
基本的に千年前の偉人たちには時間がない。ゆえにローウェンさんのときも、アイドのときも、ティティーのときも――その得意とするスキルの骨組みだけを教わり、完成は自分の力で行えという方針だった。
いまさら、それを不満に思うつもりはない。あるのは感謝の念だけだ。
僕たちは冗談を飛ばし合いながら、ヘルヴィルシャイン家を出て、フーズヤーズの広い街道を歩き、例の『十一番十字路』を通り抜け、大聖堂まで到着する。
いつも通り、城塞のような大聖堂は柵と川にぐるっと囲まれている。正門に続く大橋には、警備の騎士たちが並んでいる。
僕は堂々と正門を通れるが、ティアラさんはそうもいかない。
「じゃっ、また私は庭のほうから入っていくから、これでばいばいだね」
当然のようにティアラさんは裏から忍び込むつもりのようだ。出てくるときも柵と川を越えたのだろう。屋敷のときと同じく、一切の心配することなく見送る。
「また明日な」
「うん、また明日」
明日の人生最期の別れに向けて、今日の別れを済ませる。
そして、僕は警備の騎士に挨拶をしながら正門をくぐり、ティアラさんは大聖堂の裏手に向かって駆け出した。
広い敷地内を歩いていく。
その途中には無駄に大きな花壇や階段があって、建物に辿りつくだけで一苦労だ。大聖堂の扉前までやってきた僕は、周囲の空気の違いを感じ取る。
すれ違う騎士たちに違和感があった。
それは本当に些細な違和感――この時間には余り見ない顔の騎士が出歩いていたり、騎士たちの表情が僅かに固かったり、庭に満たされる雑音が少し大きい――程度のものだ。
だが、この数日で研ぎ澄まされた感覚が、ある種の確信を抱く。
明日は同僚の騎士たちが相手になる。
学院での同級生といった見知った顔が並ぶこともあるだろうが――それでも、一切の躊躇なく斬ると心に決めておく。
決心し直したところで、僕は足を進める。
常に張られてある大聖堂の魔法の結界が身体を撫でた。その感触を無視して、僕は建物の最奥にある神殿へ向かう。
儀式の予定場所は一年前と同じらしい。
そこに主ラスティアラがいると予想して、真っ直ぐ向かう。
神殿の前の大扉までやってきたところで、女性同士の話し声が聞えてくる。聞き耳をたてなくとも、その声の主も会話の内容もわかった。
「――やっと会える……! あの伝説のティアラ様に……!! ラグネちゃん、あのっ、あのティアラ様だよ!!」
「はい、あのティアラ様っすね! いやー、どんなお方なんでしょうねー。この国どころか、世界の歴史上で一番偉い人って聞いてますから、本当の本当に『一番』なんでしょうねー。楽しみっす!」
「私も楽しみ。会ったら、何を話そうかなー。やっぱり、物語の掠れてるところを、しっかりと聞くのが一番かな。あー、ほんと楽しみ」
ギギギと音を立てて、神殿の扉が開かれる。
一目見て、まず空っぽだと思った。
広すぎる部屋の中にいたのは、たった二人。ラスティアラ・フーズヤーズとラグネ・カイクヲラ。
前に僕が神殿に来たときには、煌びやかな調度品で飾られ、大量の高級椅子が並んでいた。それらが全て撤去されているため、本当に何もない。
綺麗な大理石の床が広がり、壇上の上部にステンドグラスがあるだけ。
その壇上の床に、ラグネとラスティアラが協力して魔方陣を書き込んでいた。
古びた羊皮紙を片手に、お喋りをしながらだ。
事前に聞いた話では、その魔方陣が完成すれば、前夜からラスティアラがそこに座って精神統一をするらしい。おそらく、魔力を流し込み続けて、大掛かりの術式を起動させるのだろう。
儀式の詳細は知らないが、おおまかなところの予測はつく。
僕は護衛のために神殿内の様子を頭に叩き込みながら、壇上の二人に近づいていく。
「ラスティアラ、セラさんに話をつけてきた。こっちで僕が手伝えることはあるか?」
「ん、お帰りー。でも、特にはないかな。この書き込みもすぐに終わるし、かと言って警戒が必要なほど私は疲れてないし……」
ラスティアラは頭を傾げて、僕にできることを探してくれる。
だが、結局のところ、僕が必要とされるのは明日の朝からだ。
ラスティアラが儀式にかかりきりで動けなくなり、疲労困憊で敵の迎撃もできないとき――そのときが僕の出番だろう。そして、敵が突くとすれば、間違いなくそこ。一年前の儀式で、キリストが突いた時間だ。
「わかった。なら、僕は端っこで仮眠を取ってる。そっちは二人で楽しみながら、準備を続けてくれ」
「そうだね。今日の夜はラグネが、明日の朝からはライナーが警戒しようか」
すぐに僕は神殿の壁まで移動して、身体を預けて休息を取り始める。少し肌寒いが、眠ることは十分に可能だ。
僕は大胆にも熟睡することを決めて、瞼を閉じる。
瞼裏の暗闇の中、ラグネさんの声が聞こえる。
「お嬢が動ける間は、私に任せるっす。逆に明日はしんどいから、そのとき頼むっすねー」
はっきり言って、いまみたいなラスティアラが十分に動ける状態ならば護衛は必要ない。
キリストの前では守護者に手も足も出なかったと言っていたが、だからと言って彼女が弱くなったわけではない。依然として暴力の塊であり、騎士が束になっても適わない現人神様だ。
ゆえに僕が警戒するのは明日の早朝から――
ラスティアラは日も昇っていない早朝から、ステンドグラス前で祈りを捧げ始める。
その祈りは魔法構築と同じで魔力を消費していき、多大な集中力を要する。
そして、日が昇るころに体力と魔力が空っぽになる。
――そこだ。
そのときまで、じっくりと休もう。
緊張のしすぎも、焦りすぎも『失敗』に繋がる。
最高のコンディションを保ち続けることにいまは集中だ。
『勘』だが――それが最善であると僕は思った。
遠くからラスティアラとラグネさんの無邪気な話し声が聞こえる。ティアラさんの稽古で疲労の溜まった身体を休ませるため、強引に意識を闇の底まで沈めていき、外界からの光と物音を閉ざす。
そして、儀式前の最後の夜を迎えていく。
眠りながらも時間感覚はある。
ティアラさんの命日予定日に入ったのを、僕は夢の中で感じ取った。
今日、太陽が完全に昇りきる頃、ティアラさんは完全消滅し、その力は全て受け継がれる。
ラスティアラでも、フェーデルトでもなく、フーズヤーズの誰でもなく――この僕がフーズヤーズの伝説の後継者となる。
その歴史的記念日。一年前には成就しなかった真の儀式の日が、いま――




