260.最終章「アイド・■■■・ティティー」
――その姉弟の再会を、僕は見届けた。
先にヴィアイシア城から出ようとした僕だったが、見事アイドに追い抜かれてしまった。
そして、僕よりも先にティティーの前に立たれてしまった。
決闘には勝てども、勝負には負けた気分だ。
しかし、負けてよかった。
本当によかった……。
弟の期待に応えるために自分を偽り続けたティティー。
姉の傍に居たいがために自分を偽り続けたアイド。
二人は自分を見失い、奈落の底を彷徨い続けた。
しかし、もう姉が『統べる王』と偽ることも、弟が『宰相』と偽ることもないだろう。
この千年後の最後の敵『統べる王』を前にして、ぎりぎりのところで間に合ったのだ。
「うぅ……、あちこち痛い……。なでなでして、カナミぃ……」
遠く離れたところから念願の再会を見て、ちょっとした感傷に浸っていた僕だったが、それは隣で涙目になっているスノウによって打ち切られる。
「よし、口が利けるなら大丈夫そうだな」
見たところ、凍傷以外に大した傷はない。
スノウの頭をぽんと叩いて、スノウにかけていた回復魔法を僕は終わらせる。
「あうっ」
「もうスノウは下がっててくれていい。あとは僕たちに任せろ」
そして、スノウを後ろに下げて、僕は真の敵の前に立つ。
陽滝のほうはアイドたちに任せるつもりだ。あの姉弟に任せれば、妹の『統べる王』という役目が終わるという確信があった。
ならば、自分がやるべきことは一つ。
真っ白となった街道の先に立つ一人の使徒。
淡く黄金に輝く魔力を纏ったシス――彼女の足止めだ。
「手は出すなよ。おまえの相手は僕だ」
僕が立ちふさがったのを見て、シスは余裕の表情で話しかけてくる。
「あはっ。やっぱり、レガシィの用意した『木の理を盗むもの』では盟友を討ち取るのは無理だったようね……。けど、私の用意した『水の理を盗むもの』がいる限り、盟友の勝利はありえないわよ?」
陽滝の強さに絶対の自信があるのだろう。
アイドたちと陽滝の勝負を邪魔しようという様子はなかった。むしろ、このまま僕と観戦したいかの様子だ。
利害の一致を感じ取った僕は戦意を萎ませる。そして、シスは陽滝に、僕はアイドとティティーに、賭けての観戦が始まる。
「アイドでは陽滝に勝てないわ。いや、それどころか、『理を盗むもの』が何人揃おうとも、陽滝は倒せない。そういう風に世界がルールを決めているもの」
「そうだろうな。あの陽滝は強そうだ。きっと、残り全員が揃ってたって勝てやしないかもな」
僕もシスと同じ方角を見ながら、同意する。
『水の理を盗むもの』であり『統べる王』である陽滝の魔力は凄まじい。王都を自分のフィールドに変えたことで、この空間の温度も魔力も手に取るように操れることだろう。
この氷結結界内での魔法戦においては無敵であると、《ディメンション》から得られる情報からわかった。
「…………? その身体の魔石を譲る気になったの?」
素直に陽滝の強さを認めた僕を見て、シスは不思議そうに首を傾げた。
「いや、ない。ただ、それでも、勝つのはアイドだって言ってるんだ」
僕は微笑と共に、首を振った。
もはや、決闘前の心配は一つもしていない。
いまこの状況こそ、最高の未来であるとわかってるからこそ、笑って見届けることができる。
「はあ? それでも、アイドが……勝つ……?」
シスは僕が何を言っているのかわからないようだった。
けれど、僕の中でそれはもう確定事項だ。
《ディメンション》で見たところ、アイドは満身創痍だ。
血まみれの傷だらけ。筋肉どころか靭帯が断裂し、骨のいくつかが折れている。
魔力の溢れる源泉の出口が僕の魔法でずれてしまっていて、まともに魔法を使うことも出来ない。
その上、この冬の世界だ。体温は奪われ、いまにも全身が凍る。
はっきり言って、死んでいないのがおかしい状態だ。
それでも、アイドは負けないと、いま誓った。
ならば、そういうことだ。
――そういうことなのだ。
『舞闘大会』決勝でのローウェンの姿を思い出す。
つまり、いままで戦ってきた守護者たちと一緒だ。
人が命を使って戦うとき、そういう瞬間があるのだ。
肉体のコンディションなど関係ない。
死の間際だろうが関係ない。
その心が折れない限り、動けると信じ続けて、事実動き続ける。
精神が全てを超越し、絶不調を絶好調と言い張れる瞬間。
『未練』が晴れ――たった一つの全てに命を賭けられるようになる瞬間――
人が命を使って『使命』を果す瞬間。
アイドにとって、それがいまなのだろう。
いまこのときだけは、誰にもアイドは負けない。
僕にも使徒にも姉にも自分にも、当然『統べる王』にも、もう誰にも負けない。
だから僕は安心して、ただ見ていられる。
その僕の表情を見て、シスは強く反論する。
「何を馬鹿なことを……。『木の理を盗むもの』は、最弱の『理を盗むもの』よ。そうレガシィのやつが決めたわ! そう『代償』で縛ったわ! そのアイドが参入したところで、何の意味もない!」
「ああ、知ってる。使徒レガシィのやつは、とことんアイドに期待していたようだな」
「は、はあ? 期待ぃ?」
「なあ、シス。おまえは『理を盗むもの』たちの本当の魔法を見たことがあるか?」
シスは彼女なりの根拠を元に首を振った。
それに対して、僕は僕なりの根拠を元に、自分の自信を説明していく。
「借り物の人生を進み、独り善がりで生きるお前には絶対わからない力だ。よく見てるといい。これが『本当の魔法』だ。きっと、これこそが僕と聖人ティアラの二人が目指した本当の――」
シスは僕の話から嘘はないと感じ取ったのか、素直に押し黙る。そして、僕と共にアイドを注視し始めた。
そこまで僕が言うのなら一切の見落としはしないといった様子で、遠くの戦いの観戦を再開する。
おそらく、この戦いが終わったとき、僕とシスは思い知るはずだ。
『魔法』とは何か。
その本質を。
ティティーの記憶を見る限り、『魔法』の始まりはおとぎ話だった。それを模倣し、『理を盗むもの』たちが『奇跡』を起こした。その次に、始祖渦波が全世界に『呪術』を浸透させ、続いて聖人ティアラが誰でも使える『術式』を開発した。
それら全てを指して、僕たちは『魔法』と呼ぶ。
けれど、本当の『魔法』は、別にあると僕は思っている。
いまから消える姉弟たちから、その本物を僕は見るだろう。
アイドとティティー。
その二人が人生の全てを賭けて得た本当の『魔法』。
それを見逃すまいと、僕は《ディメンション》を強める――
◆◆◆◆◆
「――『統べる王』ォオオオオオ!!」
僕とシスの視線の先、『理を盗むもの』同士の戦いの中、アイドの咆哮が鳴り響いた。
その右腕に木を纏わせて腕を肥大化させ、雪の積もった街道の上を駆け抜けていくのが見える。
それに対し、陽滝は凍った噴水の上で動くことなく、冷静に魔法を唱えていく。
「――《アイスシールド・ラウンド》」
陽滝とアイドの間に巨大な魔方陣が展開され、それがそのまま氷の盾となった。
その陽滝の生成した大盾に、家一つは軽く潰せそうなアイドの巨大な腕が振りかぶられ――直撃する。
大質量と大質量の衝突によって、王都全体が揺れた。
それは地割れでも起きそうな大地震だったが、アイドの拳が盾を破壊することはなかった。皹一つ入らない氷を前に、アイドは次の一手を打とうとする。
「流石は伝説の『統べる王』! でかいだけの力ではびくともしない!! ならば次は――!!」
「アイドよ! 童も手助けするぞ!!」
だが、その前にティティーが追いつく。
アイドの隣で銃剣を構え、共に戦う意思を示したが、それを弟は拒否しようとする。
「姉様は下がっていてください! 自分にお任せを!」
先の宣言どおり、『統べる王』相手に守りきってみせると息巻いている。
それにティティーは嬉しそうな表情で首を振る。
「いや、もう大丈夫じゃ、アイド。おぬしはもう自分自身に打ち克っておる。ここにいるのは他ならぬ童の弟であるアイドじゃ。とても強く、頼りがいのある自慢の弟じゃ。だから――」
ティティーは知っている。
いまのアイドの辿りつく先を知っている。
もう何も知らない子供じゃないからこそ、優しく弟を諭していく。
「一人で戦い続けてはならぬぞ。強がって一人で戦い続けては、この姉のように後悔するぞ。一人は寂しいものじゃ。とてもとても寂しいものじゃ。だから、二人で歩もうぞ……」
「ね、姉様……?」
「なにより、あの『統べる王』は童たち二人で創った代物じゃ。ゆえに、二人で倒すのが道理。そうじゃろう?」
ティティーらしく、にやりと笑って共闘を提案する。
それにアイドは渋い顔を一瞬だけ作る。
愛する姉を危険にさらしたくないという気持ちが、遠くから見る僕でも丸解りだった。
それにティティーは怒ることも呆れることもなく、ただ言葉を続ける。
「アイド……、二人で帰ろうぞ……」
「二人で、帰る……?」
「ああ、あの故郷に帰るのじゃ……。童は帰りたい。おぬしと二人でっ、二人で帰りたい……! そのために、童はおぬしを迎えに来たのじゃ!!」
そして、心からの願いを弟にぶつけた。
その願いを前にしては、もはやアイドが一人よがりで戦い続けることは不可能だった。素直に頷き返し、同じ願いを口にする。
「……はい! 自分もあなたと帰りたいです! あなたと二人で! 同じ『帰り道』を歩みたい!!」
「ならば、共に行こうぞ! 我が弟、アイドよ!」
「共に行きましょう! ティティー姉様!!」
いま『木の理を盗むもの』と『風の理を盗むもの』――一人でも国を傾けると言われる守護者が二人――一つの敵を打ち倒す為に並び立った。
『統べる王』は数が増えたのを確認し、空気中に数え切れない氷の矢を生成していく。敵が増えたのならば諸共倒せばいいだけだとでも言いたげな魔法の連続構築だった。
「――《アイスアロー・フォールフラワー》」
一瞬にして降る雪と同じくらいの氷の矢が空を埋め尽くし、姉弟に降り注ぐ。
「では、姉様! 援護をお願いします! まずは自分が!!」
その中、アイドは何の迷いもなく先頭を駆け出す。
木で巨大化させた腕を鉤爪状に変形させて、前衛となることを後方に伝えた。
「うむ! 撃ち合いならば、負けはせぬ! おぬしの道は童が作ろう! ――魔法《ワインドアロー》!!」
その腕の銃剣を空に向けて、すぐさまティティーは風の弾丸を次々と撃ち出す。その弾丸は一発で氷の矢を複数破壊していく。そして、その狙いは正確無比。走るアイドに当たるものだけを打ち払い、矢の雨の中に空洞の道を作る。
姉の力を信じていたアイドは、一切の躊躇なく道を駆け抜ける。
その見事な連携によって、陽滝は更なる魔法の構築を強制させられてしまう。
「――《フリーズ・ニブルヘイム》」
「――《ズィッテルト・ワインド》!」
結界の冷気が強まりかけた――が、その結界内に柔らかな風が吹き抜け、駆けるアイドを束縛しようとする『停止』の冷気が相殺された。
「流石は姉様! ならばっ、自分は真っ直ぐ進むだけでいい――!!」
アイドは道を駆け抜け、敵に辿りつく。
とはいえ、敵は凍った噴水の上。まず敵を引き摺り下ろす為、凍った噴水に腕を叩きつけた。
氷柱が粉砕され、氷の破片が豪快に散る。
凍った噴水の上で一歩も動かずに対応していた陽滝は、とうとう空中に放り出された。
そこにアイドは飛びかかる。
「――《イクスブリザード》」
陽滝は落ちながらも冷静に適切な魔法を選択した。
飛びかかったアイドに吹雪が襲い掛かる。
構築の時間が短かったためか、雑で弱い魔法だった。
しかし、宙にいたアイドには効果的で、何の抵抗もなく吹き飛ばされてしまう。
適切な魔法選択を行ったおかげで、陽滝は地面に安全に着地する。
対して、吹き飛んだアイドは――後方のティティーを足場に着地した。
アイドの両足がティティーの両腕を踏み――姉弟二人は呼吸を合わせる。姉が両腕で弟を撃ち出し、トランポリンのようにアイドは跳ぶ。
「っ!! ――《ブリザード》」
その立て直しの速さに、陽滝は大きな魔法を構築できない。
新たに即興の氷結魔法を放つものの、アイドの拳によって相殺される。自然と後退しながら氷結魔法を構築し続けるはめとなった。
戦況が変わる。
少しずつ陽滝の対応が間に合わなくなっていき、アイドの拳が陽滝に近づいていく。
――姉弟の息の合った連撃が、間違いなく敵を追い詰めている。
二人は息の合ったコンビネーションで『統べる王』に迫り、戦いは加速していく。
そして、数合もしない内に、完全に戦況は姉弟に傾いた。
攻められる陽滝は息をつく間もなかったが、姉弟には戦いながら話をする余裕すらあった。
「は、ははっ! はははっ、いける! いけるぞ、アイド!!」
「ええ! ずっと二人で戦えばよかったのですね!!」
この最期の時がもったいないと言わんばかりに、戦闘中にもかかわらず、二人は今日までの時間を埋めようと言葉を交わしていく。
「ははっ! のう、アイドよ! 戦闘中になんじゃが、実は聞いて欲しいことがあるのじゃが構わぬか!」
「こんなときにですか!? 仕方ありませんね! 何でしょうか、姉様!!」
あの『統べる王』の前で、壮絶な高速戦闘の中、とうとう二人は子供のように談笑まで始める。
その二人の姿に僕は呆れながら……しかし、口元をつりあげながら見守り続ける。
「ここまでの道中なっ、色々なものを見てきたのじゃ! ちょっとだけ聞いてくれ!!」
「ええ! 知ってます! ただ、色々なものを見て学んできたのは自分もですよ!」
「童は迷宮でな! 多くの者の魂を救ったぞ! 千年前、救えなかった数だけ、頑張って頑張って救ったぞ! どうじゃ、すごかろ!?」
「自分は地上で多くの報われぬ者たちを治療しましたよ! 千年前は届かなかった人たちに、手を差し伸ばすことができました! 偉いでしょう!?」
二人は自慢し合いながらも、前へ前へ進み続ける。真っ白な街道を後退し続ける『統べる王』を、一方的に押し続ける。
これではもう戦闘がついでだ。
「迷宮から出たあとはな! 連合国で一杯遊んでな! とても楽しかったぞ!!」
「自分だって連合国でやりたい放題しました! とてもやり甲斐ある一年でした!!」
「ティアラのやつの残した大聖堂で遊んで! ティアラのやつの作った魔法を見て回ったりしたぞ!」
「自分だってティアラ様の遺産をたくさん拝見しました! ええ、正直どれも素晴らしかったです!」
「そういえば、鍛冶仕事をやったりもしたのじゃ! ヴォルスのやつには敵わぬが、かっこいい剣を作ったぞ! それを可愛い妹分に託してやったのじゃ!!」
「自分は北も南も関係なく、色んなところで自分の知識を教え回りました! もちろん、きっちり自慢の生徒たちに授業をしながらです!」
その談笑は早口過ぎて、正直聞き取るのが大変だった。
しかし、それが二人の『遺言』でもあるとわかっていたから、僕は必死に聞き取る。
二人が『統べる王』と戦う姿も、二人が最後に話す談笑も、余すことなく記憶していく。
「ああ、思えば長かったのじゃ! 本当に苦しいことがたくさんあった! 何度涙を流したかなど数え切れぬ!」
「ええ、本当に長かったですね! 何度自分を見失ってしまったか! 皆様に多大な迷惑をかけてしまいました!!」
「わかるぞ! 自分を失うというのは辛いものじゃな! 息もできぬくらい辛かったの!! ――だが、それでも大切なものは最後まで残っておった! そのおかげで、童たちは戻ってこれた!」
「そうですね! たとえ全てを失っても、変わらないものはあります! この心の中に! いつだって残っていました!! ありがとうございますっ、お爺様お婆様ぁっ!!」
「うむ! では『いま』『ここ』にあった大切なものを、二人で世界に知らしめてやろうぞ!」
「ええ、二人で叫びましょう! 我ら姉弟の物語、全てを! 最後に!!」
そのとき、ふわりと……どこからともなく暖かい風が吹きだした。
心地よい風だ。
魔法名は告げられていていない。
魔法構築も感じられない。
おそらく、姉弟二人の戦い様――談笑そのものが人生となり、『詠唱』となっていたのだろう。
その『詠唱』に世界が反応し、あたりの『魔の毒』が風に変わっていっている――
「ああ、やっと最後じゃな! そして、いま目の前にいる伝説の『統べる王』こそ、童たちの最後の敵!!」
「最後の敵は、自分たちの憧れた夢! 理想そのもの! けれど、いまの自分たちのほうが強い! ずっとずっと強い!!」
二人の『遺言』に合わせて、風が吹き抜ける。
その暖かな風は、降る雪を少しずつ溶かしていった。
少しずつ、肌をも凍らせる世界が、肌を温める世界に変わっていく。
地面に敷き詰められていた雪が解けていき、その下から新たな命が芽生えていく。
真っ白だった王都が、少しずつ翠と緑に染まっていく。
草木が花が、陽光が春風が、少しずつ、世界に誕生していく――
氷の世界を侵略してくる暖かな風に、相対する『統べる王』は明らかに驚いていた。ほとんど眠っていて、表情は見えず、目の奥は窺えないけれど――間違いなく、この奇跡とも言える現象に動揺していた。
「行くぞ、我が弟アイド! 遅れることなく綴れよ!」
「はい、ティティー姉様! もう決して遅れはしません!」
そして、いまティティーとアイドが『統べる王』の全てを打ち破らんと、今日一番の魔力を噴出させる。
あの『詠唱』を紡ぎ出す。
「――『この身は地獄路を疾走する魂』!
『童を堕とした世界のことを』『この地の底で怨み続けた』――!!」
姉が紡ぐは魔法《■道落土》の『詠唱』。
「――『自分は唯一人、名も何も無き童の魂』!
『迷い子は世界に導かれ』『逆光の果てまで駆け続けた』――!!」
弟が紡ぐは魔法《王■落土》の『詠唱』。
どちらも、自らの人生を嘆き、後悔し、敵ごと奈落の底に落ちていくかのような魔法だった。
はっきり言って、その欠落した魔法名に相応しい未完成の魔法だった。
「「『けれど――!!
――いま、二人の童の道は交わった』!!」」
だが、未完成は当然。
その魔法の『詠唱』には続きがあったのだ。
当たり前だ。
あんなにも長かった二人の人生そのものと言える『詠唱』が、たった一文二文で終わるわけがない。
あれだけ一人を嫌がっていた二人の人生そのものと言える『魔法』が、一人だけで完結する魔法のはずがない。
その先こそが、二人の本当の人生の叫び――!
「『吹き荒べ、翠風』! 『我らが姉弟の道を刻め』!!」
まず姉ティティーが叫ぶ。
魔法名は告げなくとも、魔法《ワインド》に相応しき強い風が吹いた。
一瞬にして、風が王都の一部を光の粒子に分解していく。
周囲の雪が、冷気が、家屋が、地面が、城が、世界が――粉々になっていく。
ただ、その分解は消滅のための分解ではない。
再構成するための分解だ。
「『咲き誇れ、白桜』! 『我らが姉弟の道を彩れ』!!」
続いて弟アイドが叫ぶ。
姉の【自由の風】で分解されていったものが、弟の魔力で繋ぎ合わされていく。その育む魔力によって分解される前よりも強く美しく再構成されていく。
雪は溶けて、川に変わり。
漂う冷気は、暖かな風に変わり。
並ぶ家屋は、木に生まれ変わり。
整地されていた地面は、草原に変わり。
人工の全てが再構成され、自然の緑に戻っていく――
アイドの魔力によって育まれ、育まれ、育まれ――どこまでも大自然は萌えていく。一瞬にして、王都に数え切れない木々が並び立ち、白い花――『白桜』が咲き乱れ――世界は大満開となる。
その『白桜』の花が、風で散り、風に乗って、風と共に、世界を白色に染めていく。
雪が吹雪くのではなく、花弁が花吹雪となって世界を満たす。
その花びらはどこまでもどこまでも吹雪き、吹雪き、吹雪き――視界一杯を白く染めあげ切り――そして、一度だけ、目を眩ませる強風が吹く。
視界一杯を覆っていた花びらが吹き飛ばされ、一時的に隠匿されていた世界が露になった。
先ほどまでは再構成されている途中だった世界が――いつの間にか完成品となって、目に飛び込んでくる。
それは、『故郷』――
快晴の空。
空を見上げれば、濃厚で深い青色が果てまで続く。
空気は心地よい温度まで温まり、もう身体が寒さで震えることなどない。
綿のような白い雲が浮かび、黄金色の太陽が円を描き、虹色の日嵩が縁取っている。
そして、どこまでも広がる大草原を、風が大海原のように波立たせる。合わせて、草の擦れる音が自然の旋律を奏でる。その旋律に、遠目に見える森と川からも応援が入る。深い森から動物たちの鳴き声が響き、煌く川からはせせらぎの音が届く。
僕にも見覚えのある風景だ。
巻き込まれ、ここに立っているだけでも不思議な感覚に包まれる。
僕には関係のない場所だというのに、優しい気持ちになれる。
――ああ、風が気持ちいい。
地面に立っているのに、まるで空を浮いているかのような浮遊感。
吹き抜ける風が身体を強く打っているのに、どこにも力を入れる必要がない。
水を全身に浴びているのかのような風だけれど、水よりも優しく柔らかい風。
あらゆる不快や倦怠感が洗い流されていく気がする。
柔らかな風が、足先にある十の指から――踵を通り、膝を通り、腿を通り、腰を通り、胸を通り、肩を通り、頬を撫でて、髪を解して広がって、毛先の一つ一つを揺らした。
ああ、清々しい。
そして、この清々しい世界こそ――かつて童二人が落としてしまった大切な宝物。
その宝物を握りしめ、二人は最後の『詠唱』を共に綴る――!
「「『ここが白翠桜風の世界ぞ』! 『舞い散る花に、さあ見蕩れ』! 『自由が庭の輝きに、さあ眩め』!!」」
『ここ』が生涯かけて目指した場所であることを叫ぶ。
『ここ』が墓場にしたいとまで願った場所であることを叫ぶ。
「「『これぞ、我らが姉弟の辿った道』! 『我らが人生の辿りつく懐かしき故郷』! 『我らが我らである証明』!!」」
なにより、『ここ』こそが、二人が二人で帰ると約束した二人の為の『楽園』であると――!
いま世界に叫ぶ!!
「「『いま、こここそっ、我ら姉弟二人の至る終わりの故郷』!!」」
それこそが二人の本当の『魔法』――
「「――共鳴魔法《桜童楽土》!!」」
二人の自らの人生を詠み終え、真の魔法名を宣言し、戦いながら手を繋いで、互いが『ここ』にいることを確かめる。
「『童』は、『いま』、『ここ』にいる!!」
「『自分』は、『いま』、『ここ』にいます!!」
これこそがティティーとアイドの人生の全てであり、人生の終わりの魔法。
未完成だった魔法二つ――『道作り』の魔法《■道落土》と『故郷再現』の魔法《王■落土》を合わせ、ようやく二人は家に帰るための魔法に辿りついたのだ。
いま、永い旅を経て二人は、この遥かなる故郷ヴィアイシアに帰った。
間違いなく、これこそが世界最高の帰還魔法だろう。
「ここならば自分たちは無敵です! お先に行かせて貰います! 姉様!」
そして、姉弟二人は全身に力を漲らせて戦闘を再開させる。
かつて二人が『統べる王』を生んだ場所で、『統べる王』という幻想を壊しに行く。
「うむ! もはや、何も怖くなどない! 弟よっ、花びらのように舞え!!」
「御意――!!」
二人は世界を自分たちの故郷に塗り替え、活き活きと戦闘を再開させる。
アイドは自分に強化魔法を重ねがけして、がむしゃらに前へ進む。そこへ『統べる王』の氷の矢が飛来するものの、その全てをティティーが撃ち落とす。
先ほどと余り変わらない戦いだったが、結果は大きく異なる。
もう凍える世界《フリーズ・ニブルヘイム》は存在せず、二人の故郷《桜童楽土》が展開されている。それだけで『統べる王』である陽滝の魔法は極限まで弱まり、姉弟二人の魔法が極限まで増幅される。
『統べる王』は負けじと様々な氷結魔法を構築するが、それを二人は悠々と乗り越えていく。
勝負はついたと――僕は思った。
戦っているティティーも、そう思ったのだろう。
戦いながら謳い始める。
それだけの余裕があった。
戦い、舞い、笑いながら謳っていく。
「ああ……。『この千と百十一年、童二人は生を駆け落ちた』……。『道を迷い、別れ離れとなってしまったときもあった』……。しかし、もう怯えなくてもいい!!」
ただ、魔法に心をこめるためだけに、ティティーは『詠唱』する。
それにアイドも続いて、一度も見たことのない明るい笑顔で続く。
「二人は悟ったのだ……。『人は夢に生きるのではない、心の故郷に向かって生きる』のだと! その『魂に待ち続けてくれる住み家』が消えぬ限り、いつでも帰れるのだと!!」
楽しそうに二人は過剰な『詠唱』を謳い、自分の人生という『代償』を世界に払っていく。
そこに苦しみも悲しみもない。
歓喜のまま、自らの人生そのものである魔法を無限に強めていく。
どの魔法とも似ても似つかない構築だ。ゆえに僕は確信する。
間違いなく、これこそが本当の『魔法』だ。
そして、『詠唱』を詠み終えたアイドは、勝利の確信をもって直進する。
「倒す! 姉様を苦しめる『統べる王』を倒す! このために自分は生きてきた! 生まれた! ここで『統べる王』を倒すことに、この命全てを使う! 使命をっ、果たす――!!」
姉の援護を信じて、一切の迷いなく駆け抜ける。
氷の矢の雨を切り抜け、真横から叩きつけられる吹雪に耐えて、氷の刃を構える『統べる王』の下まで、まっすぐと――
「前へ! 前へ! 前へ前へ前へ! 前へ進みます――!! 届けえぇええええええ――!!」
近づいてくるアイド相手に、『統べる王』は更なる後退を選択した。
身一つで前に出てくる男に圧されてしまい、大きく距離を取って、遠距離からの氷結魔法で対応しようとする。しかし、それは――
「いっけええええ、アイドォオオオオオオオオオオ――!!」
姉が許さない。
アイドの背中に――世界最高の追い風が吹く。
ティティーの風によってアイドは、後退する『統べる王』の下まで吹き飛ばされる。姉の援護を受け、アイドは叫び、手を伸ばす。
「と、どっ、けぇええええエエエ――――!!!!」
そして、いま、アイドの手が、『統べる王』に触れる。
――届く。
そのアイドの手の平から放たれるのは、彼が最も得意とした優しい魔法。
かつて、僕たちの記憶さえも戻した――あらゆる異常を回復させる魔法。それがこの故郷《桜童楽土》の力で増幅され、世界最高の回復魔法となって陽滝を包む。
「――《リムーブフィールド》ォオオオオ!!」
瞬間、世界に光が弾けた。
アイドの優しい魔力が王都全体を呑みこんでいく。
まるで陽滝を『統べる王』の呪縛から救う為、ヴィアイシアの全てが協力してくれているかのようだった。
それは、たとえ『水の理を盗むもの』でも防げぬ一撃だろう。
あらゆる『契約』と『呪い』から陽滝が解放されていくのを《ディメンション》で感じ取る。
そして、糸がぷつりと切れた操り人形のように陽滝の身体から力が抜ける。
身から溢れ出ていた冷気と魔力が止まり、今度こそ完璧な眠りに落ちたのだ。
たったいま、世界から『統べる王』という存在が消失した。
その瞬間だった。
それはつまり、アイドが『統べる王』を倒したということに他ならない。
倒した……勝ったのだ。
この永きに渡る『統べる王』と『姉弟』の戦いが――
――『姉弟』の勝利で終わった。
倒れかける陽滝の身体を、アイドは抱き止める。
それを見た後方のティティーは、大きく息を吐きながら尻餅をつく。勝利の確信に満ちた笑顔で万歳しながら喜ぶ。
「っふううー!! ふうはぁー、っははは! ははっ、やったぁっっ!! もー限界だけど、やったー!! 童たち『統べる王』やっつけたよーー!! あー、強かったー!!」
「ええ、やりました……。かの伝説の『統べる王』に、自分たちは勝ちました……。やっと……」
アイドも同じように喜ぶ。
二人は肩で息をつきながら、勝利を分かち合った。
だが、まだアイドだけは気を抜いてはいない。
すぐに陽滝を抱えたまま、観戦していた僕のほうに歩き出した。それに合わせて、僕も隣で呆然としているシスを置いて、アイドに向かって歩き出す。
先ほど命がけの決闘を行った間柄だが、いまや僕たちの間に隔たりは一つもなかった。悪友同士のようにアイドと笑い合ったあと、無言で頷き合う。
そして、アイドから眠る陽滝を手渡され、受け取る。
やっと大切な妹が、僕の腕の中に帰ってきた。
ずっとずっと探し続けていた妹が、いま腕の中に帰ってきた。
それだけで、少し目じりが熱くなる。
「さあ、次は渦波様の番ですよ……。今度はあなたたち二人の絆を、自分たちに見せてください……」
気を緩ませかけている僕に、アイドは語りかける。ここからが本番なのだから気を抜くなと、友らしく注意をしてくれる。
アイドに続いて、もう一人の友であるティティーも座ったままだが、僕を応援してくれる。
「かなみん! ちゃちゃっとディアちゃんを助けてあげるように! 童たちはちょっと疲れたから、ここで見守ってるのじゃ!」
『統べる王』の相手はアイドとティティーだが、使徒の相手は僕たちであると言う。
それに僕は、当然だと笑って答える。
「ああ、そこで見ててくれ。僕たちだって、二人に負けはしない。
なにせ、僕と陽滝は全次元全世界で一番仲のいい兄妹なんだから――」
そして、姉弟に負けぬ兄妹であることを主張し、腕の中の陽滝を強く抱きしめる。
すると眠っていた陽滝が身じろぎをした。寝相のように身体を動かして、その両腕を僕の首に回す。いま僕が望んでいることを、言葉にするまでもなく陽滝は無意識でしてくれたのだ。
ああ、そうだ。
僕たちもアイドとティティーと同じだ。世界に二人きりの兄妹、言葉などなくとも心は通じ合っている。もう二度と離しはしない。
そう僕は誓い直したところで、少し遠くで呆然としていた使徒が我に返り、僕たちに向かって呟き出す。
「そんな――? え、え……? できそこないの『理を盗むもの』二人に、私の陽滝が負けたの……? あ、ありえないっ! そんなこと、ありえない! こ、理で勝利は決まってたのよ!? そんなのおかしいわ!!」
『統べる王』――陽滝の敗北が信じられないようだ。
必勝の確信を覆され、決闘前の余裕が失われている。
そして、ふらつきながら歩き出し、戦意と共に僕と陽滝に近づいてくる。
「盟友……! 返しなさい……! 陽滝は、私のよ! 私の陽滝を返しなさい……!!」
脅すように、その身の魔力を増幅させていく。
輝く魔力が漏れて、《桜童楽土》の世界を満たそうとしている。ディアの身体を使っているだけはあって、先ほどの陽滝にも負けない膨大な魔力だ。
だが、僕に動揺はない。
「なら、かかって来いよ。使徒シス。
いまから僕の全てを見せてやる。
異邦人の真の全力を、見せてやる――」
僕は陽滝の膝裏に左腕を通して、下半身だけを持ち上げる。
陽滝が僕の首にしがみついていたため、必然とお姫様抱っこの形に近くなった。しかし、剣を握っているため、お姫様の背中を支える右腕がなく、いまにも落としてしまいそうだ。
けれど、僕は陽滝が腕から落ちる心配を全くしていない。
僕の首に絡む陽滝の腕から、確かな力を感じるのだ。僕だけでなく、妹も僕から二度と離れまいと思ってくれているのがわかる。
だから、このままでも十分に戦えると確信する。
いや、十分どころか、いまならばいつも以上の力で戦えるはずだ。
「――共鳴魔法《次元の冬》」
僕から溢れる次元属性の魔力と、腕の中の陽滝から溢れる氷結属性の魔力が混ざり、かつて愛用していた魔法が構築される。
アイドとティティーの暖かな故郷の世界を借りて、春風と少し違う涼やかな風を吹かせる。
魔法《桜童楽土》に合わない異質な風だ。しかし、その少し冷たい風こそ、僕たち『異邦人』の故郷の風だから、少しの間だけ許して欲しい。
さあ。
いまから見せるは、僕たち相川兄妹の力だ。
かつて連合国を騒がせた次元と氷結の複合魔法使い――迷宮の最深部を目指す者『相川渦波』の復活のときだ。
先の姉弟二人に負けはしまいと、僕は身から魔力を漲らせ、剣先を使徒に向けた。




