251.再会
『第二迷宮都市ダリル』を出た僕たちは、一切の回り道をせず、真っ直ぐ北に向かった。
それは『北連盟』と『南連盟』の争う国の境界線――激戦区の中を通るということだったが、僕の魔法《ディメンション》があれば、それは大した問題とは言えない。
一年前、似たような戦場を通り抜けた経験もあるし、何より今回は心強い味方が二人いる。
『北連盟』のルージュちゃんに、『南連盟』のスノウ。
この二人の持つ情報を照らし合わせることで、事前に危険な地域を避けられた。途中、兵の駐留する陣や関所などを通ることもあったが、二人がいるおかげで拘束されることは一度もなかった。
戦場を馬車一つで進むのは不安だったが、そう障害の多くない旅だった。すぐに国と国の境界線を越えて、僕たちはヴィアイシア国へ入ることに成功していた。
そして、ヴィアイシアに点在する街を飛ばしていき、脇目も振らず国の中央にある王都を目指す。アイドがヴィアイシア城にいるとわかっている以上、他の街に用はない。
こうして、数日かけて僕たちはヴィアイシア中心付近までやってくる。アイドの待つヴィアイシアの城の建つ王都まで、あと少しのところだ。
僕は走らせている馬車の御者台から、街道とヴィアイシアの広大な平原を眺める。
昨日まで走っていた荒れた戦場と違い、いま走っている道は交易のために街と街の間に作られた綺麗な舗装路だ。
平原のほうも戦場から遠ざかったおかげか、増して綺麗だと感じる。街道の薄い肌色に映える濃い草木の色たちが、目の保養になってくれる。
その光景から、かなりヴィアイシアの奥深くまでやってきたことがわかる。
それを隣に座っているルージュちゃんも感じたのか、深い溜め息をついて緊張を解いていく。
「――ふう。よし、これで危険な戦域はほとんど抜けたかな……? アイカワカナミさん、もう索敵魔法はいらないよ」
「わかった。……本当にルージュちゃんのおかげですんなりと関所とか通れたね。助かったよ」
道中で顔を利かせてくれたことに礼を言いつつ、第三者と鉢合わせないように張り巡らせていた《ディメンション》を縮小させる。
ヴィアイシアは平地が多く道も覚えやすい。
あとは手元の地図を頼って、MPの回復に努めようと思う。ここまで来れば、あとは地元民のルージュちゃんの指示に従っているだけで王都まで辿り着けるだろう。
ここまでずっと馬車の御者と索敵を担当していたが、ようやく一休みできそうだ。
ただ、そこで安堵する僕たち二人に、馬車の中から気を緩めるなと声が上がる。
「ま、待てい、二人ともっ。本当に戦地を抜けたのか? 童に嘘を言ってはおらぬだろうな?」
ティティーが心配そうに馬車の窓から顔を出して、周囲を見回し、念入りに確認を取っていた。
それには僕もルージュちゃんも不思議そうな顔をせざる得ない。
「もう危険なエリアは全部通ったよ。昨日、いくつもの関所を通らせて貰っただろ? あれで終わりだ。ティティー」
「えーっと、お姉さん、何か気になることでもあった?」
その二重の返答によって、ティティーは見回していた目を落ち着かせ、一息つく。
「……そ、そうか。……あれが『いま』の戦争なのじゃな」
その反応から、僕たちと彼女の認識に差があるとわかった。
思えば、迷宮でティティーの記憶を追憶したときにまともに見た戦争は、彼女が『理を盗むもの』として圧勝していたときだけだ。本当の意味での千年前の戦争というものを、僕は見ていない。
ティティーが経験した『昔』の戦争は、『いま』の戦争とそんなに違うのだろうか?
「……先ほどから、よい街と村ばかり通る。同じ戦時中の国でも、千年前とは天と地の差じゃな」
ティティーは安心した様子で……けれど、少しだけ納得のいかない顔で小さく笑った。
「そこまで違うのか?」
正直なところ、道中の町と村は、どこも不安げで殺気に満ちていたと思う。戦争の被害で完全に壊滅してる村もあった。
僕たちにとっては心の落ち着かないところをずっと通ってきたつもりだった。それでも、ティティーは『よい町と村』とまで言った。
「ああ、違うぞ。はっきり言って、この程度の規模の諍いならば、『理を盗むもの』一人いれば、すぐに終わらせれると思うぞ。それほどに――温い」
はっきりと断言した。
おそらくティティーは、この地上で最も戦争慣れしている。その彼女がそう言うのならば、それは間違っていないのだろう。
「こ、この程度……?」
その発言にルージュちゃんは口を開けて驚いた。
僕は冷静にティティーの言葉を理解できたが、彼女は違ったようだ。
「――うむ、この程度じゃ。余りに憎悪が少なすぎる。正直、戦地を通っている途中、本当に戦争をしているのかと疑ったほどじゃ。戦争にも種類があるとはいえ、この状況は異常じゃと理解したほうがよいぞ」
「この戦争しか私は知らないからわからないけど……、お姉さんがそう言うならそうなのかな……?」
ルージュちゃんは戦争の大先輩相手に強くは言い返せず、少しだけ不満そうに呟く。いわば、いまのは自分たちのやってきた戦争は『お遊び』だと言われたようなものだ。少しくらい不満で顔が歪むのは当然だろう。
「確か……、アイドのやつ、最初は『連合国』や『南』でも活躍しておったと言っておったな……」
「ああ、連合国でラグネちゃんがそう言っていたね」
「ならば、間違いなく『南連盟』の頭のほうにはアイドの息がかかっておるな。双方の了解を得て、計算し尽くされた戦争をしておる。……しかし、この程度の戦争で本当に『魔人返り』とやらの計画は上手くいくのか? 才あるものを選別するのならば、もっともっと激しい殺し合いでなければ……――」
ぶつぶつと呟き、ティティーは考え込み始める。どうにか、弟の考えを知ろうと必死になっているようだ。その手助けをしようと、話を他にも広げる。
「スノウはどう思う?」
「……共倒れにならないように、裏で話をつけてるくらいはありえると思う。『南連盟』の頭ってなると、フーズヤーズの元老院あたりを懐柔したのかな? もしかしたら、ラスティアラ様ともアイドは交渉していたのかも」
大して考えることなく、スノウは総司令代理の自分より上の役職たちを口にしていく。
前線で戦う者たちに知らされない情報が存在するのは、彼女も認めているようだ。ティティーの推測に少し現実味が帯びていく。
「スノウから見ても、そう思うのか……」
きっと、アイドが戦争を長引かせたいのは、ティティーの活躍の場を残すためだろう。『南連盟』側がそれを了承したのは、何か大きな利益があるからだろうか?
ティティーに倣って、僕は戦争を行う人たちの考えを知ろうと考え込む。
「――む? 少し外が慌しいか? 何じゃ何じゃ?」
そのとき、急に馬車の奥で唸っていたティティーが顔を上げた。
遠くからの異音を聞き取ったようだ。いい耳をしている。
「ああ、町に近づいてるんだ。きっと、これが最後に寄れる町になると思う。休憩したいなら、中を通ってみようか?」
「いや、休憩は必要ないのじゃが……。入ってみようぞ。いままでとは少し空気が違うようじゃ」
「空気が違う? ……わかった。ルージュちゃん、何かあったらお願い」
そのいい耳で、ティティーは最後の町から違和感を感じ取ったようだ。
隣に座る『北連盟』で顔の広いルージュちゃんにもしもの場合を頼みつつ、馬の頭を街に向けた。
その町を先んじて《ディメンション》で見たところ、そう大きいものではない。
ぽつんと平原の中にある町で、家屋の数は百と少しほど。石の外壁に囲まれている。
王都に最も近いためか、その町に田舎くささは感じない。全ての建物が立派なレンガ造りで、『村』でなく――『町』と表現するほうがしっくりくる。
町中には連合国と同じく『魔石線』が引かれ、石畳の大通りまである。
周辺の畑などの様子から畜産などを行っているように見えるが、それだけで生活できるほどの広さはない。
罠などを警戒して、よく《ディメンション》を浸透させる。
町の端に異様に大きな家を見つけた。そこには莫大な食料が貯蓄されている。
もしかしたら、交易の中継地点として使われているのかもしれない。この街自体が何かの倉庫というのもありえる。もしくは――
「――あれ? 人が……多い?」
町を調べている途中、家の軒数と町民の数が合わないと気づく。ここは戦域から外れていて、兵が多く駐留しているわけでもない。町民が超過している理由がわからなかった。
不思議に思っている内に、馬車は町に辿りつく。
戦時中なので、当然のように憲兵らしき人に「止まれ」と照会される。ただ、ルージュちゃんが話せば、すぐに顔パスだ。ずっとアイドの側近をしていたとは聞いていたが、その顔の広さには何度も驚かされてしまう。
ルージュちゃんのおかげで馬車ごと町の中に入れた僕たちは、周囲を見回しながら進む。
先ほど遠くからティティーが聞いたとおり、街中は妙にざわついてる。
その理由はルージュちゃんでもわからないようだ。
「ちょっと待ってて、アイカワカナミさん。ちょっと行って、聞いてくる」
僕が魔法で情報収集してもいいかと思ったが、決闘が間近に迫っていることを考えて、彼女に任せることにする。できれば、MPは満タンのまま決闘に赴きたい。
馬車から降りたルージュちゃんは、町中を歩く見知った顔を見つけて話しかける。見たところ、同じ『魔石人間』のようだ。
その『魔石人間』の装いは風格があり、何らかの偉い役職についているのだと察することが出来る。
「ねえ、これどうなってるの?」
「あれ、ルージュ……? 確か、一ヶ月前くらいに南へ潜入して、例の魔女に会いに行くって言ってなかった? なんでここにいるの?」
町に似合わない格好の『魔石人間』は驚き、首を傾げた。
それにルージュちゃんは笑顔で答える。
「魔女さんよりもいい人に会えたから、もう王都のほうへ戻ろうとしてたとこなんだ。そっちこそ、王都の城で働いてるはずなのに、なんでここに?」
「んー。……一応、避難訓練って扱いかな?」
「避難訓練? こんなときに?」
「うん。『城』の『起動実験』を行うって建前で、以前から予定していた計画が実施されたの。だから、王都の人たちはみんな、周辺の街で宿を借りに来てる感じ」
「『城』を起こす……。けど、建前ってことは……」
そこで二人の声が小さくなる。身内だけの話をしようとするが、僕には『ディメンション』があるので聞き取れる。
「……ルージュちゃんには知る権利があるから言うけど、いま王都は想定パターンBの危機ってやつに陥ってるよ。それなりの権限がある人は、これがマジの避難だって知ってる」
「アイド先生の考えていた想定パターンのBってことは……王都に敵本隊が接近してるレベルか」
そう言って、ルージュちゃんはちらりと僕たちを見る。
その敵本隊に匹敵する危険とやらが僕たちであると察したのだろう。この妙な疎開の理由を理解し、話を打ち切りにいく。
「ありがと。この変な状況の意味がわかったよ。すぐに私も避難するね」
「ううん。それじゃあ私はみんなをまとめる仕事があるから、それじゃあね」
すぐにルージュちゃんは知り合いの『魔石人間』と別れ、馬車の中に戻ってくる。御者台に上がる彼女に、先ほどわからなかった単語の意味を聞く。
「ねえ、ルージュちゃん。城の人たちが疎開してるってことはなんとなくわかったんだけど、『城』の『起動実験』って?」
「『城』は王都にあるヴィアイシア城のことだよ。ただ、あれはただの城じゃないからね。大量の魔術式と植物によって、巨大な魔法道具になってる。……先生はアイカワカナミさんとの決闘に向けて、その『城』を『起動』させてるっぽい」
酷く真剣な面持ちでルージュちゃんは説明していく。
そして、迷宮の六十六層裏にあったヴィアイシア城を思い出す。だが、ティティーと戦う中、あれが『起動』と言えるような様子は一度も見せていない。
よくよく思い出せば、数日前にノスフィーの策略で六十六層の裏側が戦火に呑まれたとき、ずっと城だけは無事だった。つまり、千年前のヴィアイシアの滅びのとき、城にだけは戦火が届いていなかったことだろうか?
……ならば、本来の歴史で『ヴィアイシア城』は、最期どうなったんだ?
ちらりと、近くで話を聞いていたティティーに目を向けたが、首を振って「知らない」と返答される。途中で戦線離脱したため、ヴィアイシアの最期をはっきりと見ていないのだろう。
「気をつけて、アイカワカナミさん。あの『城』が『起動』すれば、先生はフーズヤーズの伝承にもある『天をも貫くツリーフォーク』になる。その力は伝承通りだよ」
ルージュちゃんは危険を伝えてくれるが、まだ僕は理解が追いつかない。
「確か……あの街を踏み潰すほどでかい木ってやつか? あれの正体がアイドだったのか?」
その僕の質問には、姉であるティティーが即答する。
「待て、あやつはしがない樹人の亜種じゃぞ? そんなにでかくなるはずがないぞ――」
「正確には『先生と融合したヴィアイシア城』になるなのかな? とにかく、言葉では表すのも難しいほど信じられない状態になるんだよ。先生は千年前の最後、その状態で敵軍と戦ったって聞いてる」
その反論にルージュちゃんは自分の知る限りの全てで答えた。どうやら、ずっと表現が曖昧なのは、『起動』を見たことがなく他人から聞いた話だからのようだ。
だが、それをティティーと僕は受け入れる。
ありえない話ではないと、思うところがあるのだろう。
「ふむ。童がいなくなったあとに、アイド一人で編み出した魔法のようじゃな」
――アイドだけの魔法。
あの千年前の戦争の中、『北』から『統べる王』の消えたあと、アイドが何を考えて戦い続けたのか、少しだけ想像できる。
きっと自分一人になっても、絶対に『北』は守ると誓っていたことだろう。その誓いの果てに、考えて考えて、考え抜いて、その『城と融合する魔法』を編み出したのかもしれない。
ただ、それは頼れる『人』がいなくなったから、残った『ヴィアイシア城』にすがりついたかのようで……少し物悲しく感じる。
「『城』か……。けど聞く限り、対軍隊用の魔法だと思うから、僕たちには問題ないかもね」
「え、も、問題がない……? 空に届くほど大きくなるんだよ?」
「大きいだけなら、ただの的だよ。そこのティティーなら、蹴り一つで壊せると思う」
もしかしたら、僕の《ディスタンスミュート》にも弱いかもしれない。本当に城と一体化したのならば、城の端に触れただけでアイドの魂を抜き取れる可能性がある。
その僕のあっさりとした態度を見て、ルージュちゃんは嘘がないとわかったようだ。身体を仰け反らせて、僕から少し遠ざかる。
「さ、流石は伝説の英雄さんたち……。そういえば、千年前の伝承には指先一つで大地が割れるなんてものがあったような……」
それにティティーが答える。
「うむ。童ならば近いことが可能じゃな」
国土を割った前科のある彼女は、少し自慢げに答える。
そのティティーを見て、ルージュちゃんは不安げに後ろの馬車に顔を向けてお願いする。
「あの、お姉さん……。できれば、城下町のほうは無事に……」
「――すまぬ。本気で戦れば、間違いなく無事ではすまん。正直、この街さえも近いと思ってるくらいじゃ」
「え、まさか、王都からここまで余波が……?」
「うむ」
「っ……!!」
ルージュちゃんは絶句する。誇張されたおとぎ話だと思っていた伝承の力が本物であるとわかり、身体を震わせたのだ。
それが恐怖という感情であると、ティティーは分かったようだ。少し前の彼女ならばできなかったであろう配慮を払い、ルージュちゃんに優しく語りかける。
「ルージュよ、無理をして童たちについてくる必要はない。この町で待つのも手じゃぞ?」
「……ううん。行く。……絶対に行くよ。先生に話したいことが、私にもあるから」
力強い返答だった。
恐怖を感じながらも、それ以上に譲れないものがあるようだ。
そのルージュちゃんの覚悟を見たあと、ティティーは頷きながら僕に目を向ける。
「ふむ」
僕の意見も求めているようだ。
安全を考えるならば、この街にルージュちゃんを強引にでも置いていくのが一番だ。
だけど僕は、すぐに頷いて返した。
「僕は彼女に賛成だよ。むしろ、来て欲しいって思ってる。ルージュちゃんにしかできないことがあると思う」
余裕のある昨日の内に発動させた『未来視』の魔法《次元決戦演算『先譚』》が、これからの戦いにルージュちゃんは必要であると教えてくれたのだ。
決戦を前に最大の魔法を使っておくのはティティーとの戦いで学んだので、道中、念入りに『未来視』を行った。
いまの僕に手加減も油断も一切ない。
ただ、ティティーと戦ったときと違って『代償』の『詠唱』を使ってはいないので、視える未来は前よりも狭い。
『詠唱』なしでは、いまの僕の魔力全てを消費しても、この場にいる仲間たちの未来が薄らと視える程度――あと、勝利に繋がる最善の選択肢が少しわかりやすくなるくらいだ。
ティティー戦では猛威を振るった魔法だが、本来の使い方では曖昧なものだ。その効果のほとんどが「なんとなくわかる」くらいで、安心感が全くない。
しかし、それでもその薄らと視える未来の先――その勝利の可能性の傍らに、ルージュちゃんの姿があるのだけは間違いない。
その僕の魔法の効果を身をもって知っているティティーは、信用した様子で頷き返してくれる。
そして、『城』とアイドについての話が終わり、途端に馬車の中は静かになっていく。
戦いが近づき、みんなの緊張が高まってきている。
自然と、静かに町中を進む馬車の中まで、町の人たちの声が届いてくるようになる。
いまのヴィアイシアを生きる人たちの声だ。
少し気になって、迷宮で出会った昔のヴィアイシアを生きた人たちの声を思い出しながら、それを僕は《ディメンション》で聞き取ってみる。
そのほとんどが、いまのヴィアイシアの現状についてのものだった。
まず、王都で軍属についていたと思われる壮年の男たちの声――街を警備しながらの世間話が聞こえてきた。
「――なあ。この時期に俺たちが王都を空けて、本当に大丈夫なのか……? あの『統べる王』様が守ってくれているとはいえ、やばくないか?」
「ああ。おまえは『統べる王』様の力を見たことがないんだったな。断言してやるよ。『統べる王』様がいれば、王都は安全だ」
一人は現状を心配し、一人が否定する。
『統べる王』という単語を聞き、僕は顔をしかめる。おそらく、その『統べる王』は後ろにいるティティーのことではなく、僕の妹のことだからだ。
「俺は半年前の海戦に参加していたからな。そのとき、『統べる王』様の力をこの目で見たんだ。敵の大艦隊を瞬く間に氷漬けにした『統べる王』様の力をな……。あの方はたった一人で戦争できる。たとえ、いま裏側から南のやつらに攻められても、『統べる王』様がいればなんとかなるんだ」
「その話、前にも聞いたが本当か……? 嘘でないなら、いまの『統べる王』様が北に伝わる『千年前の統べる王』の再来ってのもマジっぽくなるが……」
ラスティアラたちに聞いていた通り、『統べる王』となった陽滝は圧倒的な力を身につけているようだ。
ただ、妹が起きて、その力を『統べる王』として振るっていることに疑問を覚える。確か、千年前の始祖カナミの記憶では、陽滝が覚醒するのは最深部についてからと言っていた。
『木の理を盗むもの』であるアイドの力があれば、話は違うのだろうか。
これから出会うであろう『統べる王』の状態について考えながら、男たちの話を聞き続ける。
「あのアイド殿が傍にいる以上、本物の可能性はある。なにせ、アイド殿は間違いなく、『千年前の北の宰相』だからな……」
「本物の『千年前の北の宰相』……? そりゃどういう意味だ?」
「一年前に開拓地の『舞闘大会』に、『千年前の南の剣聖』が現れたという話があっただろう? アイド殿は、それと同じ存在だ。これは敵の『南連盟』さえ認めてることなんだぜ?」
「ははっ、『剣聖』が蘇ったってのは、開拓地の与太話だろ? どこまで本当だかわかったもんじゃない」
「……まあ、そう思うのも無理はないだろうな。ただ、おまえもアイド殿を一目見ればわかるさ。あの方こそ、この北に伝わる『統べる王』の物語に出てくる真の『宰相』だとな」
「いや、うちの宰相様が凄いのは、会わなくてもこの一年でわかってるさ。あの人が来てくれたおかげで、ようやく俺たちは『南連盟』相手に優位に立ててる。あの人のおかげで、俺たちはこうやって笑って暮らせるようになった。正直、『千年前の北の宰相』かどうかなんて関係なく、俺たちにとって宰相様は本物さ」
「……そうだな。どちらにせよ、アイド殿はうちの宰相殿だ。そのアイド殿と『統べる王』が城にいる限り、安心だ」
「やっぱ俺の心配のし過ぎか。あの宰相様がやることだ。つまり、安全の確証があるってことだろ」
そして、互いに納得できる答えが出たところで、男たち二人は笑い合った。
圧倒的な力を持つ『統べる王』――そして、国を支える『宰相』の存在が、絶対的な安心感を生んでいるようだ。
だから、自分たちの国の首都が空っぽという状況でも、人々は余裕をもって笑い、町を明るく保っている。
続いて右や左から飛び込んでくる人の声も明るかった。
妙齢の獣人女性と『魔石人間』と思われる少女が、とある家の前で仲睦まじく話している。どうやら、『魔石人間』が水の魔法で、大量の洗濯物を手伝っているようだ。
「――わぁ。本当に便利ね。あなたたちの魔法って」
「王都のほうで勉強させてもらいましたから、魔法の自信はあります」
「やっぱり、王都の学生さんって凄いのね。ごめんね。その大事な魔法をこんなことに使わせちゃって……」
「いえ、もっともっとこき使ってくださっても構いませんよ。『城』の『起動実験』の間、お世話になりますから当然のことです」
「じゃあ、次はあっちのほうも頼んじゃおうかな」
「任せてください」
『魔石人間』が次の仕事を笑顔で請け負ったのを見届けたところで、次は街道を歩く子供たちの声が聞こえる。その獣耳を楽しそうに動かしながら歩く姿から、この町と国の本質が少しずつ見えてくる。
「――ねえ、あのおっきなお城が動くって本当かな? 私たちも見れるのかな?」
「んー、私は興味ないかな。正直、城を動かす実験なんてことよりも、私はもっと食べ物にお金使って欲しかったよ」
「えぇ? いつも、あれだけ食べてて、まだ食べたいの……?」
「最近、お腹一杯食べられるようになったせいか、食べるのが生きがいになってきちゃって……。もっともっと美味しいものが食べたい……」
「もっと美味しいものかぁ……。あ、この前王都から届いた新しい果物も美味しかったね。来年になったら、この町でも採れるようになるらしいよ?」
「え、本当に? どこ? どこの畑?」
「じゃあ、これから見に行こっか」
王都の異常どころか、戦争すら感じさせない声。
その元気よく走り去っていった子供たちを見届けたところで、馬車の中から話し声が聞こえる。ティティーとスノウだ。
「……王都の近くとなると、アイドのやつの影響が強いのう。あやつ、民に信用されておるな。このようなふざけた避難がこうもスムーズに進んでいるのは、あやつの力じゃろうて」
「私が総司令をやっている間、アイドの活躍は行商さんたちから何度も聞いたよ。善政を布いてるって、色んなところで噂だった」
二人とも、僕と同じように話を聞いていたようだ。
よく考えれば、僕以外の全員が血の濃い獣人だ。その感覚器官は人間を超えているため、嫌でも町の話が聞こえるのかもしれない。
こうして、僕たちは北の民の声を聞きながら、最後の街を通り抜けていく。
平穏な街だった。
異常は一つもなく、馬車を一度も止めることもなく……町を出た。
町の外の街道に入ったところで、僕は残りの道程をみんなに伝える。
「……これでもう、あとはアイドたちの待つ王都だけだ」
地図を見れば、いまの町と王都は隣同士に見えるほど近い。
旅の終わりは近いと悟ったティティーが、ここまでのヴィアイシアの感想を述べていく。
「緑が多くて、裕福そうな国じゃったな……。連合国と違って、『魔石人間』と『獣人』が多めじゃったか?」
そのかつての治世者の評価に、いまのヴィアイシアを生きるルージュちゃんが答える。
「先生はそういった特殊な出自を優遇したから、自然とそうなったんだよ」
「そうか……」
本当に短くティティーは頷き返し、見納めかのように馬車の窓から身を乗り出して、ヴィアイシアの風景を瞳に映していく。
それに倣って、僕も御者台から周囲の風景を眺める。
本当に今日はいい天気だ。
空は青く、風は涼しく、太陽が程よく身体を温めてくれる。近くで戦争をしているなんて思えないほどの旅日和で、街道を走るだけで清々しい。
目を凝らせば、開放感のある平原には、いくつかの川が流れていた。ぽつぽつと『白桜』を含んだ木々が並び、国の境界線が近いことさえ考えなければ恵まれた土地であるというのがわかる。
迷宮で見たティティーの故郷に、とても似ている。
『繋がり』で共に追憶したゆえに、後ろで長い翠色の髪を風でなびかせる彼女の気持ちが少し分かってしまう。
かつて過ごした故郷を探すように平原を見つめる彼女の気持ちが、少しだけだが――
「ティティー、懐かしいのか?」
「ああ、少し懐かしいぞ……。ただ、懐かしいが、『ここ』は違うな。あの何もなかった平原とはまるで違う。童が生きていた頃は、先ほどのような立派な町など一つもなかった。村とも言えぬ小さな集落が少しだけじゃった」
ここへ来るまでに僕たちは、ティティーの言う『よい街と村』をいくつか遠目に見た。当然の話だが、千年前と比べてしまえば単純に面積は広く、文化レベルも高かった。
本当に当たり前の話だ。
同じとは言えない。
ここはティティーのヴィアイシアとは違うのだ。
「かなみんよ、『ここ』は理想のヴィアイシアじゃ。もう手を入れる必要のない国と言ってよい。飢えもなければ差別もない。南との戦乱など、あってないようなもの。はっきり言って、童の生きたヴィアイシアとは別物過ぎる。もちろん、それが悪いとは言わぬし、本当に良かったとも心から思う。……ただ、それでも、このヴィアイシアに戻ろうと童は思わぬよ。ここには童の家がないからの」
はっきりと首を振る。
アイドの望み――『ここ』でやり直すことは間違っていると、はっきりと言った。
それは迷宮にいたときならば考えられないティティーの言葉だった。
彼女は成長したのだろう。
駄々をこねて、偽りの世界に逃げ込もうとすることは二度とない。たとえ、それが弟の頼みであろうと――いや、本物の弟の頼みだからこそ、もうない。
ティティーが帰るのは、本物の『故郷』。
『国』『王』『宰相』といった全てとは関係のない自分たちだけの『故郷』をティティーは目指していると、その言葉からわかった。
そして、馬車は平原の中を進んでいく。
途中で御者をルージュちゃんに任せて、僕は軽い準備運動や使用する魔法の確認を行う。
これから迷宮四十層の守護者が待っている以上、いまの僕たちは迷宮四十層の手前の探索者と同じだ。
探索者らしく、すでに戦いの打ち合わせは終わらせている。
ここまでの道中で『未来視』で得た情報は共有し、不測の事態における対応も決めてある。
馬車に揺られながら僕は仲間たちと最後の確認を終わらせていき――そして、辿りつく。
まず遠目に見えたのは城壁。
『迷宮に再現されたヴィアイシアの街』と同じほどの広さを囲む『木で出来た城壁』が、平原の地平線で横に広がっていた。
横に焦げ茶色の壁が伸びているのは、まるで櫓が並んでいるように見える。そして、その櫓の屋根が自然の葉で緑色に染まっているので、全く事情を知らぬものが見れば、平原に奇妙な森が広がっているとでも勘違いするかもしれない。
そう高い壁ではないが、すっぽりと広大な王都を包んでしまっている。
だが、例の『城』が王都の中央にそびえ立っているのだけは見える。その城は迷宮で見たヴィアイシア城と変わりない姿だった。
不動であり堅牢――崩すのは並大抵のことでは不可能と一目でわかる大きさ。
注意深く千年前の城との違いを探しながら、僕たちは王都に近づいていき、入り口――その木造の巨大門前までやってくる。
その門は開きっぱなしで、中の都の様子が見て取れた。
まず何よりも、とても静かだった。
人の声が全くしない。
中には迷宮六十六層にあった街よりも豊かな風景が広がっていた。
王都に相応しく、手の込んだ背の高い家屋がたくさん並んでいる。その様は、連合国のフーズヤーズを思い出させる。差があるとすれば、自然と一体化した優しい造りで、街に植えられた木花と土の香りが城壁の外まで届きそうなところだろうか。
砂利の大通りには、この時代特有の『魔石線』が引かれているのが見えた。その『魔石線』は真っ直ぐと伸び、中央にそびえ立つヴィアイシア城まで届いている。
その光景を前に、まずティティーが感慨深そうに呟く。
「……ようやく着いたのう」
ようやく……。言葉にすれば短いものだ。
『千年前のヴィアイシア』でティティーは千年を経験している。その表情は明るいものだが、その裏にある感慨は易々と読み取れはしない。
彼女が最後にヴィアイシア城から逃げ出してから千年と少し――ようやく、帰ってきた。
「ははっ。しかし、随分と様変わりしておるな。なんじゃ、この城壁は。確かにアイドの力ならば格安の上、即興で作れるじゃろうが……これでは火攻めでさっくりやられるぞ?」
ティティーは笑いながら、軽い冗談を飛ばす。
旅の終わりに影を落とさぬように、僕も明るい表情で馬車を止める。
「へえ、あいつの木の魔法で城壁にしたんだな……。木の壁なんて、初めて見た」
門の前で馬車を止めて、僕たちは油断なく降りる。
そして、守護者の待つ四十層の目の前のつもりで、いつもの魔法を唱える。
「じゃ、入る前に索敵するよ。――魔法《ディメンション》」
今日一日魔力を節約したため、予定通りMPは満タンだ。
その魔力を使って、王都の隅々まで満たしていく。
事前の情報通り、王都には人がいない。
町民の各町への疎開が終わっている。
並ぶ民家に宿屋、大通りに商店街――どこを探しても、見つけられない。
間違いなく豊かで活気溢れる城下街であると確信できるのに、人の声一つ響かないというのは不思議な感覚だった。
「本当に誰もいないな。いま城下街の中にいるのは……――っ!」
索敵の途中、《ディメンション》が動く人影を見つけ、動揺してしまう。
城に続く大通りの側面に構える食堂――そのテラスにある外席に、その二人は堂々と座っていた。
伏兵を警戒して街の隅から探したため、少し発見が遅れた。
短い金髪を後ろでくくった少女。
長い黒髪を無造作に垂らした少女。
その二人が大通りの外席で、まるで昼下がりのお茶会を楽しむ街娘のように和んでいたのだ。
金髪の少女は腰に剣を帯びず、可愛らしいワンピースを着て、女性らしい表情を見せていた。黒髪の少女は『異邦人』に似合わないはずの前時代的なチュニックを着こなし、両目を半開きにして物憂げな表情を見せていた。
どちらも初めて見る装いだ――だが、見間違えることはない。それだけは絶対にない。
「――ディア!! 陽滝!!」
名前を叫び、すぐに僕は駆け出そうと足に力をこめた。
「待て、渦波よ!」
しかし、その前にティティーが叫んで制止した。
愛称でなく名前を呼び、極めて真剣な声で確認を取る。
「おそらくじゃが……一度入れば、もう戻れぬぞ? ゆっくりと話せるのは、これが最後じゃろう」
「……大丈夫。道中の内に準備は全部、終わってる」
強行しているつもりもない。
いまの僕に迷いはなく、精神に余裕があり、HPもMPも十分――かつてない体調で守護者戦に臨める。
「引くつもりはないし、負けるつもりもない。必ず、二人を取り戻すって決めたんだ。おまえは違うのか? ティティー」
「無粋な足止めをしてしまったようじゃな。ならばよい。……スノウよっ、おぬしはルージュを守るように続け。基本的に戦闘は、童とかなみんが担当する。では、入るぞ!」
ティティーは口角を釣り上げて好戦的に笑った。確認はしたものの、足踏みをする気など彼女にもなかったようだ。
そのまま僕の隣に並び、共に先頭を駆け出す。
開け放たれた王都の巨大門をくぐり、街道を通り、《ディメンション》で観測した食堂まで辿りつく。
――そして、僕は再会する。
「こっちだ」
王都の南から現れた僕たちを見て、ディアが席を立って歓迎してくれた。
向かい合い、朗らかな表情で手招きしている。
風で彼女の薄いベージュのワンピースの裾がなびき、そのしなやかな『両手足』を覗かせている。その姿は、僕の記憶にあるディアと余りに違った。
「ディ、ディア……」
――思わず、名前を呼んで確認する。
「ああ、久しぶりだな。カナミ」
彼女は僕の名前を呼び返してくれた。
たったそれだけのことが懐かしく、身体が震える。
同時に悪寒も走る。
僕の名前を呼び返すディアの表情から、一切の動揺がなかったからだ。
予想していたことだが、明らかに彼女の様子がおかしい。一年前の最後に、港町コルクで望まぬ別れをして以来の再会だというのに、あまりに冷静過ぎる。
「…………っ!」
すぐに、緩んだ思考を張り詰め直す。
街中で仲間と再会したのではなく、迷宮も同然の領域で守護者の『試練』に向き合ったのだと考える。
そのつもりで、ゆっくりと僕はディアに近づいていく。
 




