250.帰りを待っています
――これが自分の思い出せる、『理を盗むもの』になった経緯だ。
「これだけは、いつになっても忘れられませんね……」
あの日、自分は自殺した。
間違いない。自分は『宰相』であるために、『統べる王』を追いかけて心臓を潰して、『木の理を盗むもの』となったのだ。
全ては『宰相』として生きるため。
自分は自分であるために『統べる王』に相応しき最高の『宰相』でなければならなかった。
有能な『宰相』であること――それ以外の全ては邪魔だ。重荷だ。不必要だ。必要ない。
でないと、なぜ自分が心臓を潰したのかわからなくなってしまう。
「――……せ、先生?」
延々と一人で考え込む中、遠くから声が聞こえてくる。
だが、その声に自分は心の中で「違う」と首を振る。
自分は『先生』でなく『宰相』だ。
『先生』なんて、あの城の中で一つも誇れやしない。
その程度の存在では、国を守れはしない。
自分は『宰相』だ。
『宰相』だから、自分は『統べる王』の隣に立てる。
いまも思う。
自分は『統べる王』の傍に立ちたい! 立ちたいのだ……!!
なのに――!!
「――怨敵、始祖渦波が現れた……!!」
いま『統べる王』の隣に立っているのは、またあの男。
異邦人でありながら、この世界の始祖と呼ばれた男『相川渦波』。
「『統べる王』……。なぜ、またあの男と共に……」
自分は奥歯を噛み締めて、いまの現状を呪う。
いや、妬む。
わかっている。
結局のところ――どれだけ御託を並べようとも、そういうことだ。
「ああ、あなたさえ現れなければ……。あなたのせいで、自分は一人……」
始祖渦波のことを考えるにつれ、千年前の自分の最期を思い出してしまう。
あのとき、自分の傍には誰もいなかった。
もちろん、兵たちはいた。
頼る民もいた。
自分を敬う将もいた。
育ててきた若き士官もいた。
多くの魔人たちに囲まれていた。
みんなみんないた。
――けれど、誰もいなかった。
不老となった私の傍に、過去の友人たちは一人もついてこれていなかった。
孤児院を共にした魔人たちはみんな墓の下にいて、自分のことを真に理解してくれた人は一人もいなかった。
『統べる王』に全てを捧げていたのだから、当然だ。『統べる王』さえ傍にいてくれたら、他に何もいらないと誓った人生だったのだから、当然の帰結だろう。
結局、その人生の終わりに――『統べる王』は隣にいなかった。
誰も理解者はおらず、唯独り、自分は一人――
「――せ、先生! 私たちがいます! しっかりしてください!」
どんっと肩を叩かれ、身体が揺れる。
また声が聞こえてくる。
今度は耳元で大声だ。
ああ、煩わしい……。
軽々しく自分を先生と呼ぶな……。何も知らないくせに……。
「先生! みんなも呼んであげて! また、あのときみたいになってる!」
「わかってる。回復魔法を使えるやつは全力で使え。原因はわからないが、しないよりはマシだ!」
「起きてください! 先生っ、みんなが待ってます!!」
いつの間にか、自分の周囲には名前も知らぬ『魔石人間』たちが集まっていた。
その誰もが先ほどの……ああ、名前が思い出せない。
先ほどの青い髪の『魔石人間』と同じで、治療の終えたあとこの城で働きたいと希望した者たちだ。
ほとんどが城で働くには若すぎて、しかし城下町で生きるには強すぎる子達だった。
だから、自分は『居場所』を用意してやった。この城の中だけでなく、あらゆるところで生きていけるように大陸の環境を変えてやった。
だからだろうか……。
いつの間にか数が増えてしまって、いつの間にか懐かれて、いつも纏わりつかれている気がする……。
『魔石人間』の救済は自分でやってきたことだが、いまになって信じられない。
どうして自分は、この一年でこんなにもたくさんの『魔石人間』たちを助けたのだろうか。
どうしてだ……?
最初に迷宮の四十層に辿りつき、この時代に私を呼んだのが『魔石人間』のハイリ様だったからか?
あのノスフィー様と同じ『魔石人間』が、研究者として気になったのか?
それとも、単純にその境遇に同情してしまったからか?
流石に千年前と違って、一年前くらいのことならば無理なく思い出せる。
この時代に呼び出された自分は、まず『ハイリ』の治療を行った。そして、治療のために彼女の話を聞いていくうちに、この時代のことを色々と知った。
そのとき、自然に身体が動き、『魔石人間』を生産する研究院を突き止め、その実態を暴き、更地に変えてやった。そのとき、助けた『魔石人間』の一人目が……確か、『ルージュ』だ。
本当の名前は『プロトエス』。彼女こそ大陸の生んだ罪そのものであり、人間が生んだ虐げるための存在と知り、自分は……確か、怒った気がする。
ああ、そうだ。
自分は怒ったから、『魔石人間』を助けたいと思ったのだ。
少しだけだが、頭の中の霧が晴れた気がする。
「――先生。私たちがいますから、何でも言ってください……。一人で抱え込まないでください……」
「え……? あ、あぁ、はい……」
少しだけ晴れた霧の中から、手が伸びてきた。
そこで自分は、いまヴィアイシア城の玉座の間にいたことを思い出す。
周りには自分を心配する『魔石人間』たちがいた。
その中の一人――青い髪の『魔石人間』が自分の右手を握り締めていくれていた。
考え込んで反応のなかった自分を心配していたのだろう。
その両手はとても暖かかった。
「すみません……。また、少しぼうっとしていましたね……」
ただ、その綺麗な手を見て自分は――違うと思った。
そうではなかったと思った。
もっと彼女の手は、あの人に似ていて……――
「先生、最近おかしいです……。いつもぼうっとしていて……。先生にはみんながいるのですから、もっと悩みを話してください……」
「そうですね。みんなを頼りにしてますよ。いまのは悩んでいたというより、懐かしんでいただけですので心配はいりません。ついさっき、昔の知り合いと話したもので……」
「それなら、いいのですが……」
彼女たちに関係はない話だ。
適当な言い訳で誤魔化していると、『魔石人間』の一人がどうでもいい話を提案してくる。
「あ、あのっ、先生! 今度の勉強会はいつですか? 随分と前にやってから、長い間やってませんよね? また先生には色んなことを教えて欲しいです……!」
自分は断り方をよく考えたあと、首を振る。
「教えたいことはまだまだあるのですが……。すみません。たぶん、もう二度と、勉強会はしないでしょう。……時間が来ました」
「え……? でも、みんな楽しみに……」
食い下がる『魔石人間』たちに首を振り続ける。
もう先生など、お遊びをやっている場合ではない
こんなもの――『ごっこ遊び』だ。子供のままごとだ。
「それどころではなくなったのです。早急に『城』の起動実験を行いたいと思います」
始祖渦波に勝つことだけを考えろ。
それには今日まで自分が積み上げてきた全てを賭ける必要がある。
「し、『城』を起こすのですか? 確かに、その準備は終わっていますが……、どうして急に……」
この『城』は自分の――どころか、北の国々とっての最後の手段だ。
それを起動するとなれば、この青い髪の『魔石人間』の反応も当然だろう。
「それを必要とする敵が近づいてきています。城下町の方々には、ここに南連盟の本隊が進軍してきたとでも言って避難を促してください」
「敵ですか? それは先ほど話していた相手のことですか? その人たちが、敵の本隊レベルであると……?」
「いいえ、あんなお遊戯の軍隊とは比べ物にならない存在です。千年前に全大陸を脅かした伝説が二人――巻き込まれれば誰もが即死でしょうね」
「千年前の伝説ということは、『統べる王』様や使徒様のような……?」
「はい。なので、あなたたちも避難して下さいね。城の中は空っぽにします」
もう誰も必要ない。
この城には千年前に選ばれた存在だけいればいい。
これは自分が千年前の『宰相』であることを知る者たちだけの戦いなのだ。
「待ってください! 私たちも残って一緒に――」
「ここには『理を盗むもの』と『使徒』様だけが残ります。それ以外の戦力は、正直に言って足手まといとなります」
はっきりと邪魔であると教える。
それを聞いた『魔石人間』は悲しそうな顔をして、服の裾を強く掴んだ。よく見れば、周囲のものたちも同じ様子だ。
そして、彼女たちは唇を噛んで悔しそうに頷いていく。
「……わかりました」
その表情と感情は、自分が誰よりも知っている。
だからこそ、自分も似たような顔になりかける。けれど、彼女たちが始祖渦波たちとの戦いで邪魔になるのは間違いない。冷静に背中を向けて、事務的に指示する。
「では、前もって決めていた通りにお願いしますね。状況は想定パターンBの危機的状況です。迅速に避難をお願いします」
「……了解です。直ちに、全員へ伝達します」
返ってくる声も事務的なものだった。
それに自分は少しだけ安心する。
そして、周囲にいた『魔石人間』たちは顔を見合わせてから、城の中へばらばらになって駆けていく。
「ふう。さて、忙しくなりますね。まずは使徒様に話さないと……」
取り残された自分は、すぐに目を玉座のほうに向ける。
そこには眠たげな目をした黒髪の王――『相川陽滝』が座っていた。その隣では、使徒様を身体に宿す『ディアブロ・シス』が楽しそうに王へ話しかけている。
すぐ近くで、自分と『魔石人間』たちが口論していたことなど、まるで眼中にない様子だ。
相変わらずの二人だ。
いつも二人は一緒。ずっとディア様が陽滝様に話しかけるだけ――そういう風に自分たちが誘導したとはいえ、もう少し位は周囲にも気を配って欲しいものと思ってしまう。
自分は玉座へ近づきながら、声をかける。
「ディア様。すみませんが、シス様に代わってもらっても構いませんか?」
一方的に陽滝様と話をしていたディア様がこちらを見る。
名前を呼ばれたことで、やっと関心がこちらに向いたようだ。
「む、いまは俺たちの時間だぞ」
ただ、口を尖らせて、自分の要求を却下しようとする。
「すみません……。急用なんです」
不幸な生まれのディア様が年相応の表情を見せているのは嬉しいが、今日ばかりは引くわけにいかない。
「……仕方ないな。早めに終わらせてくれ。これから、俺はキリストとやることがあるんだ」
今日まで甘やかしてきた自分が引き下がらなかったことから、用件を重要と察したディア様は目を閉じてくれた。
それと同時に、その身体から力が抜けて、彼女の身に纏った魔力の質が変わる。
ほどなくして、ディア様は顔を上げて、ディア様ならば絶対にしない笑顔を見せる。
『交代』を見て取った自分は、本来の目的の人物に話しかける。
「来ましたよ、シス様」
「……中で起きていたから、全部聞いてたわ。やっとね」
ディア様と同じ声で答えるが、明確に口調が違う。
いまここにいるのは純粋で無害な少女ではなく、かつて世界に名を轟かせた伝説の使徒――シス様だ。
「けど、あそこまでむきになってるアイドは久しぶりに見たわね。盟友に決闘宣言までしちゃって。……言っちゃなんだけど、勝てるの?」
シス様は隣の黒髪の少女に軽く挨拶してから、玉座から一歩遠ざかる。
ディア様にはスキル『過捕護』があるけれど、シス様にはないため、これで自由行動が可能となったのだ。
「勝率は五分だと思っています……。正直、余り戦いに赴きたくない勝率です。しかし、自分は始祖渦波に勝って、彼より優秀であると『統べる王』に証明しなければなりません。ゆえに、絶対に引けません」
「別に引けとまでは言ってないわ」
とても軽い口調でシス様は首を振り、自らの髪を弄りだす。
その様子から自分の戦いに余り興味がないとわかる。
「この『城』があれば、なんとか攻撃は通じます。千年前は結局、始祖渦波でなく使徒ディプラクラ相手に使いましたが、本来は彼を倒すためのものです。ようやく、あなたに本来の姿を見せることができます」
「この一年、ずっと世話してきたものね。決闘で全部解放するつもりなの?」
「ええ、これだけは自分の誇れる力。『城』を使って、始祖渦波と正面から戦います」
「けど、『城』を盟友個人に使えば、自然と王都の戦力は空っぽになるわ。もし、そこを『南連盟』に突かれたら、さくっと色々盗られちゃうわよ? せっかくここまで育てた戦争なのに構わないの?」
「……構いません。もしこれで戦争が終わっても、どちらかの『統べる王』が残ってさえいれば、いくらでもやり直せます。いま、どう『南連盟』が動こうとも大局に影響はありません」
「そりゃ、アイドたちからすればそうでしょうよ。でも、それに『北連盟』に入ってる他の国々は納得するかしら? ちょっと可哀想じゃない?」
「この『ヴィアイシア』を防波堤に使っている国たちの意見など、どうでもいいことです。彼らに自分たちの行動を咎める力も度胸もないでしょう。いざというときのために、北全国を併合する下準備も終わっています」
「え、もう? ……本当にこの『境界戦争』――いや、この大陸ってアイドの手のひらの上なのね」
「本来、こう上手くはいきませんよ。ただ、一年前の『大災厄』で、両方とも大きな穴が空いていましたからね。使徒様を含めた千年前の遺産も多かったので、外交だけでほとんど終わらせることができました。正直、とても楽でしたよ」
「ら、楽? あの不眠不休の毎日が楽……? 専門外だから、よくわかってなかったけど、あなたって本当に凄いのね。やっといま、それがわかったわ」
「そんなことありません。自分は凡人ですよ。……それよりも、いまは始祖渦波のほうが重要です。シス様の眼から見て、『城』は彼に通用すると思いますか?」
「あのディプラクラを封じた魔法なのだから、自信を持ってもいいと思うわ。成功すれば、盟友といえども封印できるはずよ。もちろん、成功すればだけど」
「ええ、成功させます。もうミスはしません。絶対に――」
遠まわしに成功は少し難しいと言われ、自分は強く言い返す。
勝率が均衡している以上、気後れしていては勝てるものも勝てなくなる。絶対に成功させることを誓うように、シス様を睨んだ。
それを見て、シス様は少しだけ目を丸くして驚いたあと、小さく笑った。
「あはっ、ちょっと面白いわね。あのアイドが、ここまでむきになってるなんて。なんだか……お姉ちゃんの連れてきた彼氏に張り合おうとしてる弟を見てるみたい」
とても心外な評価をされ、自分も驚く。
すぐさま、その不当な評価を正す。
「弟ですか……? いいえ、違います。これはいわば、同僚に対する対抗心ですよ。王の臣として、他の臣には負けたくないと言う心です。『宰相』として負けられないのです」
「ふうん、これが『宰相』として、ね……。とんだ出世競争ね。まあ、それならそれでいいわ。それであなたがいいのなら、それを私は全力で応援するだけ。それが『契約』だものね」
それをシス様は大人の対応で受け流し、一年前に交わした約束を確認する。
確かに、重要なのは『契約』だけだ。シス様に自分の考えを理解してもらう必要はない。
「ええ、このときのための『契約』です。シス様は陽滝様と共に、真の『統べる王』の足止めをお願いします」
「了解したわ。あなたたちの喧嘩に、うるさいお姉ちゃんを口出しさせないと約束するわ。……ただ、少しお願いがあるのだけど」
「遠慮なく言ってください。自分たちは協力者なのですから」
「戦う前に盟友たちと話をさせてもらっていい? 少しだけでいいわ」
「彼らに会いたいのですか? できれば、イレギュラーは抑えたいのですが……」
その予想外の申し出に自分は難色を示す。
「戦う前に降伏を勧告したいのよ。ほらっ、私って平和主義者だから」
自分は薄目でシス様を睨む。
正直、目の前の女性が平和主義者だなんて信じてはいない。
自分には自分の思惑があるように、彼女には彼女の思惑があるのだろう。もし、ここで強く押さえつけて止めれば、間違いなく勝手に行動することだろう。
使徒とはそういう生き物だ。
それならば、まだ目の届くところで無茶をやってくれたほうがマシだ。
「……構いません。ただ、危なくなればすぐに割って入りますからね」
自分と違って、その実力上、危なくなることなんてないとはわかっているが、それでも万が一を考えて念を押しておく。
「ありがとう。それじゃあ、こっちも急いでおめかししないと。ふふ、忙しくなるわー」
それを最後に、またシス様は目を瞑る。
先ほどと同じように身体から力が抜け――中身が変わる。
シス様の妖艶な仕草ではなく、ディア様の男らしい仕草が戻り、目が見開くと共に舌打ちをする。
「……ちっ、シスのやつ勝手に決めやがって。予定がぐちゃぐちゃじゃないか。明日は、街に新しくできたレストランに二人で行く約束だったんだぞ」
その可愛らしい怒り方に少しだけ和みながら、自分は彼女をたしなめる。
「すみません。敵襲まで数日ほどかかると思っていますが……。もしかしたら明日にもやってくる可能性もありますので……」
「はあ、わかってるわかってる。じゃあ、キリスト、準備しに行こうぜ。ほら、手を出してくれ」
そう言ってディア様は玉座に座る『統べる王』の代役であり、探索者キリストの代役――相川陽滝に手を差し伸ばす。
「…………、……ン」
それに陽滝様は僅かに反応し、差し出された手を取って立ち上がる。そして、夢遊病のような頼りない足取りで、ディア様についていく。
99%眠っていてもここまで動ける『水の理を盗むもの』の才能に呆れながら、少女たち二人の背中に自分は念を押す。
「彼女を頼みましたよ、ディア様。城の外に出れば、何が起きるかわかりませんからね。どうか、守ってあげてください」
「ああ、『統べる王』――キリストは俺の仲間だ。絶対に危険な目には遭わせない。もう二度と手放しはしない。絶対にな……」
守るべきものを引き合いに出したおかげか、はっきりとした返事だ。
そして、その言葉を守るように、しっかりと陽滝様の手を握って玉座の間から出て行く。
こうして、自分だけが玉座の間に取り残される。
僅かな休憩を入れず、すぐに自分も準備のために動き出す。
始祖渦波に勝つには、入念な準備が必要だ。
油断なく、いま自分に用意できるものを全て使おうと思ってる。
玉座の間の扉から出て、ヴィアイシア城の回廊を歩く。
真っ先に向かったのは城の側面にある工房だ。そこには城全体の金物の生産をまかなっている巨大な鍛冶施設がある。
その工房の外見は塔のような造りとなっているが一階建てだ。高い天井に、無数の横窓が空いている。作業過程に応じて、室内温度を上手く調整できるようになっているのだ。
その施設まで歩いて、すぐに中に入る。
それと同時に、声をかけられる。
「――あっ、先生! 今日も絶好調ですよ。どうか見てください!」
工房では自分の育てた人材たちが、その才能をいかんなく発揮していた。その中の一人――茶色い髪の『魔石人間』が様子を見に来た自分を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきた。
自分は目的のものを探しつつ、『魔石人間』と話す。
「また随分……、たくさん作りましたね……」
周囲の作業台には沢山の金物が並んでいた。
この『魔石人間』は工房の中で群を抜いて技術が高いと一目でわかる出来だ。
「どれも手抜きなしの自信ありの一品です! 先生の教えてくれた『神鉄鍛冶』のおかげで、どの金物も長持ちですよー」
「ええ、そうでしょうね。あなたはとても物覚えが早かった。職人としての才能があったのでしょう」
自分と違って、『魔石人間』たちは多才だ。
自分が何年もかけて覚えたものを数日でマスターしていくのを見るのは、教える側として少しだけ複雑な気持ちだったが、その甲斐あって、いまやヴィアイシア国の武具は大陸でもトップクラスの質だ。
「ありがとうございます、先生! 最近は仕事を認められはじめたおかげか、色んなところから『魔石線』の注文があって困ってたりしてるんです。嬉しい悲鳴ってやつですねー」
確か、数ヶ月前に各町の治水と『魔石線』の見直しを行った記憶がある。
その影響がここまで来ているようだ。彼女たちに任せていれば、このヴィアイシア国の骨組みは安泰だろう。
「そうですか……。えっと、『魔石線』や金物以外のものも見させてもらっていいですか? 武器が必要となったんです」
「武器ですか? えっと、先生用の特注品が、確か向こうのほうに……!」
茶色い髪の『魔石人間』は『工房』の中を駆け回って、自分のための装備を掻き集めてくれる。そして、作業台の上に、まず木製の無骨な手甲が置かれた。
「手甲? これは庭の神樹を削って造った防具ですか……?」
それは『神鉄鍛冶』のスキルを使って造られながらも、一切鉄を使っていない特殊な武具。完全に『木の理を盗むもの』のための武具だった。
「随分前に先生が依頼してくれたやつですね。もしかして、忘れられてたって思ってましたか? もー、忘れるわけじゃないですかー。取りに来てくれない先生が悪いんですよっ」
「ははは……」
忘れていたのはこちらだけだったようだ。
最近、どうも物忘れが激しい……。仕事が絡めば大丈夫なのだが、自分だけのこととなると、どうも駄目だ。
「ありがとうございます。今度の敵は、かなりの『剣術』の使い手。これで安心できます」
正直、あの始祖渦波相手に安心なんてできるはずもないが、自分の武器を用意してくれた『魔石人間』のために強がっておく。
嬉しそうに彼女は自分に手甲を手渡し、きらきらと目を輝かせる。
言葉はなくとも、彼女の望むことが手に取るようにわかってしまい、仕方なく手甲を身につけて、工房の開けた空間に移動し、軽く準備運動を行う。
「……あー。では、少しだけ失礼しますね」
そして、ヴォルス将軍に教えて貰った基本の型を実践する。
かつて教わったとおりに、愚直に一つずつ、確かめるように――勢いよく腕を振り下ろし、腰を回して足で空を切り、腰から両手を前に打ち出す。
「す、凄い速いです! 全く動きが見えません! やっぱり、先生は強いですね!」
それを『魔石人間』は手を叩いて褒めてくれた。
確かに思った以上の出来だ。どうやら、記憶はかすれども、身体は覚えていてくれたのだろう。スキル『体術』と『護身術』に問題はなさそうだ。
ただ、それでも思う――
「ははは、そんなことないですよ」
「いえ、そんなことありますって!」
――まるで弱過ぎる。
先生は強い?
絶対にそんなことはない。この程度では弱い――弱いのだ。
たとえ、この城にいる全員に『体術』で全勝できたとしても、きっと『理を盗むもの』たちの中で競えば、自分は全敗するだろう。
いまの弱体化した始祖渦波相手にも通用するかどうか怪しいものだ……。
もし『体術』の数値が彼を上回っていたとしても、戦っている内に追い抜かれる可能性があるほどだ。
「先生の魔法に合った指輪とか腕輪とかも、ちゃんと木製で用意してますよ。あっ、でも魔法のほうは庭で試してくださいね。ここだと引火するかもです」
「ええ、何から何まで助かります。それでは、庭のほうへ行きますね」
「はい、いってらっしゃいです」
自分が武術の型を確認している間に、『魔石人間』は工房にある『木の理を盗むもの』用の装備を全て集め終わったようだ。それらを受け取ってから、自分は工房から出て行く。
回廊を歩きながら、装備品を身につけていく。
指に飾り気のない木製の指輪をはめたあと、専用の革手袋を上からつける。革手袋と手甲の間に腕輪を通して、隙間をなくす。
手甲を腕につけてから、服の下に胸当てをかける。
その途中、城で働く部下たちと何度もすれ違う。
このヴィアイシア城には色んな立場の人間がいる。年齢や人種が違うどころか、『魔石人間』や奴隷まで一杯だ。他の城ならば考えられない状況だろう。
道行く人たちから挨拶される。
「――おはようございます。偉大なる指導者アイド殿」
中には自分が北を乗っ取る前から城に勤めていた人もいる。
そして、いつかの記憶とは違い、かけられる声はどれも善意に満ちている。
「――ふふ。アイドさん、今日もよい天気ですね。このような日は、我らの仕事もはかどるというものです」「アイド殿、先日の遠征についての報告書は、あとで少女たちに持たせます。どうか目を通してください」「ああ、そういえば後日にご相談したいことがあります。いつかの改案が完成しましたので意見が欲しいのです――」
その声たちに『宰相』として答えを返しながら、自分は回廊を歩き続ける。
『宰相』らしいことをしたおかげで、少しだけ意識がはっきりとしてきた。
確かな足取りで、自分は城の中庭まで辿りつく。
玉座の間の十倍以上の広さはある開放的な庭だ。
もしかしたら、世界で一番広い庭かもしれない。
この庭に天井はなく、吹き抜けの空の下で多くの植物が活き活きと育っている。そこには色鮮やかな花壇だけでなく、多種多様な木々も並んでいる。その木々の幹と葉が、壁と天井の代わりとなって、庭をちょっとした迷路にしてしまっている。
迷路は三次元的だ。木と木の間に板を連ねて橋を作ったり、木のてっぺんまで続く木の階段が作られたりしている。
その三次元迷路の中央には、芝生を敷き詰めた開けた空間がある。そこは庭でありながら、同時に『訓練場』でもあった。
その特殊な『訓練場』まで足を進め、そこで周囲の人々を見て、立ち止まる。
中庭にはたくさんの人たちがいた。
臣に研究者に、外国からの客人たち――
木々や花壇の世話をする者。
芝生の上で訓練を行っている者。
『訓練場』だというのにテーブルを持ち込んで談笑する者。
あとは、花壇の隅で魔法実験用の器具を手に持っている者も――
「あっ、先生!? 百十一番植物の試験が終わりました! 見てください、これ!」
花壇の近くにいた『魔石人間』の一人が、自分の来訪に気づいて声をあげた。その声によって、他の者たちも自分に気づく。口々に「先生だ」「先生が来てる」とざわつき出す。
少しだけ不満を抱きながら、自分は作り笑顔で挨拶を返す。
「みなさん、おはようございます」
すぐに先ほど声をかけてきた『魔石人間』が嬉しそうな表情で走り寄ってくる。そして、自分の仕事の成果を伝えてくる。
「また理想の木に一歩近づきましたよ! これだけ寒さに強い種ができれば、きっと最北部で困窮してる人々を助けることができます! 何より、実の大きさが段違いです! これでお腹一杯ですね!」
『魔石人間』は庭の隅に植えてある果実の生る木を指差した。
庭の花壇の中には、畑と呼べる領域もあって、そこには改良された穀物が育っている。つまり、ここは『実験場』でもあるということだ。
その種のほとんどが自分の『木の理を盗むもの』の力で改良されている。
「流石ですね。あなたに世話を任せて、やはり間違いありませんでした。……しかし、そのお腹一杯になれる木も大事ですが、他の植物も大丈夫ですか?」
「もちろん、あちらのほうもきちんと育ってますよ!」
『魔石人間』は逆方向の隅にある花壇まで自分を案内する。
そこに広がるのは赤・青・紫・黄といった――鮮やかな花々たち。
およそ日常生活では見られない毒花と毒草の群生地帯だ。昔は治療薬の足しにしていたが、もう『魔石人間』の面倒を見る必要はない。この全てを『戦闘用』に変えるときがきた。
他にも、人を害する肉食草や魔法に反応して動く植物などの出来も確かめていき、それらの世話をしてくれた『魔石人間』にお礼を言う。
「今日までありがとうございます。ただ、世話をしてくれたあなたには悪いと思うのですが、この全てを『使う』ときが来ました……」
それを聞いた『魔石人間』の笑顔が固まった。だが、容赦なく自分は現実を伝えていく。
「もう話を聞いている方もいるとは思いますが……。この『城』を使い、『庭』も全解放しなければいけない相手がやってきました。ですので、もうここは閉園です」
「……はい。さっき、この庭にも連絡がきました。け、けどっ、閉園しなければいけないほどの相手というのは本当なんですか? 『城』全てを使わないといけない敵なんて、正直私には……」
「本当です。間違いなく彼は、自分の人生最高の敵でしょう。持てるもの全てを使って、ようやく勝負になるかならないかといったところです。……ですので、避難のほうをお願いします」
鋭い口調で、そこに『魔石人間』なんて邪魔者は必要ないことを強調する。
「……わかりました」
それを察した彼女は、うなだれながら頷いた。
けど、すぐに顔を上げて、戦いのあとの話を聞く。
「で、でもっ、その戦いが終われば、またみんな『城』に帰ってこられますよね? いつも通りですよね?」
「……そうですね。全ては終われば、また――」
正直、あの始祖渦波相手ならば、高い確率で城と庭は崩壊するだろう。
それでも、自分は頷き返して、この『魔石人間』の夢を守ってあげた。
「――またみんなで暮らしましょう。まだまだやるべき仕事が、自分たちには残ってますからね」
「はい! それじゃあ、準備します! 先生が帰ってくるのを、待ってます!!」
その『魔石人間』は、にぱっと笑って『庭』にいる他の者たちを誘って、避難を行い始める。
その背中を見て、自分は安心する。
無理にでも城に残りそうな者が出るかと思ったが、予定より物分りがいい。
おそらく、みな自分が敵に勝つと信じているのだろう。
始祖渦波のような本当の強者を知らないから、自分が強いと錯覚しているのだろう。
おかげで、スムーズに庭から邪魔者がいなくなった。
これで、気を使われることも気を使うこともない。
集中して魔法を練ることができる。
誰も居なくなったのを確認した後、庭の木の一つに手を当てる。その木は庭の中でも一際太く大きく、緑の苔が大量に付着させつつも荘厳さを保ち、長い時を経た老木であることが一目でわかる。
これこそ、自分の切り札『世界樹』だ。
千年前に使った一本目と違い、この二本目に欠点は一つもない。
いまは発動前なので小さなものだが、その力を全てを解放すれば一本目以上の大きさとなるだろう。今度は城一つどころか、国一つを呑み込むかもしれない。
成功さえすれば、どんな『理を盗むもの』だって倒せる自信はある。
その切り札『世界樹』に魔力を通し――『ヴィアイシア城』と直結、連動させる。
「――魔法《ウッド・グロース》」
木属性の基礎強化魔法が発動し――どくんっと、庭が脈動する。
パチパチと乾いた木の弾ける音が鳴り、『世界樹』は生き物のように動き出す。
正確には、凄まじい勢いで成長していくことで、まるで動いているように見えているのだ。
一瞬で幹は何倍に膨れ上がれ、無限に枝は別れ、根は地面に収まりきらず露出し始める。
その『世界樹』の変化に合わせて、周辺の草花たちにも影響が出る。同じように高速で成長していき、本来の大きさの何倍にも育っていく。
あらゆる庭の植物たちは育ち、根を張り、『庭』だけでなく『城』を構成する石材にも侵食していく。
根は壁の中を走り、城の回廊や部屋――ありとあらゆるものに、蜘蛛の巣のように根付いた。
これが『木の理を盗むもの』の力。
このまま行けば、『城』は『庭』に飲み込まれるだろう。
いま自分が立っているところが心臓部となり、生きた『城』となる。
太い幹が骨で、張り巡らされた根は血管。
生い茂る苔と葉は皮膚となり、いつかの巨人が『再誕』可能となる。
もちろん、これでも始祖渦波の相手は不十分だろう。
大質量の巨体など、手札の一つに過ぎない。
『城』の起動実験は早急に終わらせ、次の準備を行わないといけない。
魔法名を口にして、完成を急がせる。
「――魔法《ウッド・ユミルキングダム》」
正直、『体術』の確認は、先ほどの演舞だけでは不安だ。他にも魔法との相性を考えて、植物を色々と作り直さないといけない。
決闘に向けて新たな種を用意したいし、木々に術式の書き込みを頼んでいた『彼女』にも相談したいことがある。
まだまだやることはたくさんだ。
頭の中で計画を組み立てながら、自分は敵の確認も行う。
「――魔法《ツリーズ・コンタクト》」
庭にある『白桜』から地面にまで魔力を通し、遠方にある別の『白桜』まで、魔法の感覚を伸ばしていく。
遠くにいる決闘相手、始祖渦波の動向を探る。
もう彼の魔力は覚えた。この一年で各国に植林を促した『白桜』がある限り、よっぽどの辺境にいない限りは捕捉できる。
目を瞑り、大陸の南にある強大な魔力を二つ感じる。
次元属性の魔力と風属性の魔力――間違いなく、始祖と魔王。
ただ、その魔力の動きが妙に速い。
馬車か何かに乗って『第二迷宮都市ダリル』を出て、まっすぐと北上しているのがわかる。持てる金と権力を全て使って、こちらへ最速で向かっているのかもしれない。
その二つの魔力の傍には、南の総司令と思われるスノウ様の無属性の魔力も感じる。あと、これは――星属性の魔力だろうか。
「ノワール……? いや、ルージュ?」
どうやら、そのどちらかが始祖渦波に同行し、案内をしているようだ。
その理由がわからず、少しだけ思案する。
しかし、すぐにどうでもいいと判断する。
一年前はずっと共に行動してきた二人だが、最近はめっきりと会わなくなった。知らないところで成長し、新たな価値観を身につけたのだろう。それだけの話だ。
むしろ、好都合な話だ。
『北連盟』で有名な彼女たちがいれば道中でのイレギュラーは減り、敵の到着が計算しやすくなる。
たとえ、始祖渦波と共に彼女らが敵として現れたとしても自分には関係ない。
もう『先生』とか『生徒』とか、くだらない『ごっこ遊び』は終わったのだから。
「始祖渦波……!」
それよりも、考えるべきは敵のことだ。
余計なことを考える余裕はない。
いま自分が考えるべきことは、始祖渦波に勝つこと。この一年でまた自分は強くなったのだと『統べる王』に報告すること。あなたの隣に立つ『宰相』として、自分は相応しいのだと証明すること――
ああ、そうだ。
自分の『未練』は――『統べる王』の隣に立つに相応しい『宰相』であることなのだから――それ以外のことを考えては駄目だ。
「自分はヴィアイシアの『宰相』……、『宰相』なのです……」
ヴィアイシア城の中心――その中庭の中心で、自分は呟く。
身体を樹人に変化させ、足から根を張り、腕から枝を伸ばして城に繋がり、ヴィアイシアの植物たちと身も心も通わせて、『城』の心臓でありながら脳として思考する。
「勝ちます……。今度こそ、あなたに挑み、勝ってみせます……。そして、自分が『宰相』であったことは間違いでなかったと証明します……。でないと、自分は、もう――」
その声が始祖渦波に届いていないとわかっていながら、自分は声を紡ぎ続ける。
『宰相』という言葉を繰り返し続けながら、始祖渦波と『統べる王』の捨てたヴィアイシア国で、二人の帰還を待ち続ける。
それが今日までヴィアイシアにしがみついてきた『宰相』として、自分に出来る最後の仕事だろう。
『宰相』として城で一人、自分は呟き続ける。
「渦波……、始祖渦波……。『統べる王』……、早く、早く――……」
どうか、手遅れになる前にと、呟き続けるのだ――




