226.ティティーの旅立ちの日
三連続投稿の最後です。ご注意ください。
「うぁあああっ、ぁああアアアアッ、あアアアアああアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああアアアアあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあアアアアアアアアあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアああアアアアアアアアアアああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああアアアアアアアアアアアアああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアア゛ア゛ア゛アア゛ア゛アアア゛ア゛ア゛アアアア゛ア゛アアアア゛ア゛ア゛アア゛ア゛アアア゛ア゛ア゛アアアア゛ア゛――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!」
ロードの悲鳴によって、長い長い物語は終わりを告げた。
その天国のような十一年と、それを帳消しにする息苦しいだけの百年と、呪われて狂ってしまった千年を、僕とロードは視た。
「――はぁっ!!」
止まっていた息を吐く。
なんとか、視終えた。しかし、限界を超えた魔法運用の影響で、吐息から血の匂いがする。
無茶をした――けれど、その無茶のおかげで、ようやく知れた。
目の前の少女の始まりは、爽やかな風の吹く草原。
あの小さな家だったことを、僕とロードは思い出した。
「ぁあァアアッ、ぁああぁあ、あぁあぁああああ……――!」
悲鳴をあげたロードは僕から離れようとする。そして、魔法《ディスタンスミュート》のかかった僕の左腕が、ロードの胸から抜かれた。
いつの間にか、周囲の魔法《■道落土》は解除されていた。
風の道も壁も消え、何もない空っぽの空が露になっていく。
ロードは自由になった身体を動かし、一歩後ずさり、また一歩後ずさる。
そして、目線を右へ左へ動かし、その世界を見る。
「――ち、違うっ! 望んだのはあああああ! わらわが求めていたものはぁああ! 『ここ』じゃないのじゃぁああああ――――!!」
首を振って、叫んだ。
その叫びに合わせて世界が歪む。
脈打つ心臓のように、ロードの『階層』が揺れる。その揺れによって何もない空間に亀裂が入り、ポロポロと空が剥がれ落ち始めた。
上も下も、遠くも近くも、ここにある全ての虚無が剥がれていく。
それは少し前に見た結界破壊と全く同じ現象だ。壊れた世界が、また壊れていっている。
ただ、今度は物理的な力による破壊ではなく、魔法の術理に則った崩壊だと僕にはわかった。
『ここ』はロードの望むままに姿を変えると、千年前の始祖がルールを決めた。
世界はその法に従っているだけだと、当人である僕だからこそわかるのだ。
ロードの世界が剥がれ落ち――『向こう側』が見え始める。
それは『ヴィアイシア』と扉で繋がっていた場所。
六十六層の表側、中央に巨大な螺旋階段のある草原だ。
表と裏の境界線が壊れることで、いま、世界が重なろうとしていた。
「迷宮の裏側に穴が空いて、表側にあった六十六層と繋がろうとしている……? いや、もしかして――」
そもそも、その表裏という発想こそ、最初から間違っていたのかもしれない。
元々、この世界は重なっていて、二つ合わせてロードのための階層――しかし、未完成の階層だった可能性がある。
世界の虚無色の塗装が剥がれ落ちていき――気がつけば、僕とロードは『向こう側』の草原の上に立っていた。遠くに風竜エルフェンリーズと螺旋階段が見えることから、六十六層の端にいるとわかる。
まだ空には剥がれ落ちきっていないため、草原と宇宙が入れ混じっているという奇妙な状況だ。
だが、さっきと比べたら随分とマシになった。
もう何もないなんてことはない。草の絨毯の中、上へ続く階段がある。
地上へ帰るための道がある。
それだけで、いまのロードには十分すぎる。
僕は魔法《次元決戦演算『前日譚』》も魔法《ディスタンスミュート》も解除して、剣を握りなおして声をかける。
「ロード! いや、ティティー!!」
名前を呼ぶ。
この世界の主である少女の名前は『ティティー』。
『ティティー』なのだ。
僕に名前を呼ばれた少女ティティーは、ゆっくりとこちらを見る。
「あ、あぁぁあ、ァアア……! カ、ナ、ミィイイイイイイイ――!!」
そして、少女は名前を呼び返す。
鼻を赤くして、目に涙を一杯溜めて、口を裂けそうなほど開いて、生まれたばかりの小鹿のようにふらつらきながら草原を歩いて、こちらへ近づいてくる。
「ああっ、『ここ』に僕は来たぞ! そういう約束だったからな!!」
「渦波ィイイイイイイ――!!」
ティティーは草原の地面を蹴って、駆け出す。
そして、子供のチャンバラのように銃剣を振り上げて、僕が存在することを確認するかのように叩きつけてくる。
それを僕は正面から受け止め、乱暴に弾き返す。
銃剣を返され、ティティーの身体は仰け反った。
それでも、そのでたらめな身体能力で体勢を立て直し、また乱暴に銃剣を振り下ろしてくる。
もはや、そこに技術なんてものはない。風の魔法もない。
子供の遊びそのものだ。
当然、もう僕が負ける要素なんてない。
その銃剣をいなして、ティティーの身体を斬るのは容易い。
けれど、あえて僕はその銃剣を真正面から迎え撃つ。
少女は弱いということを証明するため――。
剣戟の果て、真正面から『クレセントペクトラズリの直剣』で『風の銃剣』を――斬る。
「――っ!! わ、妾の剣が――!?」
銃剣は斬り裂かれ、風となって掻き消えた。
すぐに僕は勝利宣言をつきつける。
「――ああっ、僕の勝ちだ!! ずっと言ってるだろ! おまえは弱いんだよ!」
それを聞いたティティーは、びくっと震えて後ずさる。
銃剣の掻き消えた右腕を見つめ、ふらふらと後退し続け、何もないところで躓いて、尻餅をついた。
「渦波の勝ち……? そして、妾の負け……? 王たる妾が負けたのか……?」
ティティーは敗北を認めず、すぐに立ち上がろうとして、地面についた手が滑ってまって、前のめりに転ぶ。地面に顔面から突っ込んでしまい、泥まみれだ。
それでも、もう一度ティティーは立ち上がろうとする――しかし、途中で、その動きがぴたりと止まった。
その翠の双眸が、地面に向けられていた。
そこにあったのは、ティティーの目から零れ落ちた涙だった。
自らが泣いていると気づき、ティティーは硬直する。
弱さの象徴が視界に入り――崩れ始める。
「あ、ああぁ、ぁあ……。ああ、わ、妾は――童は……」
そして、震える。
嗚咽のせいで、はっきりと言葉になっていない。
もはや、ティティーは限界なのだ。いや、僕と戦うずっと前から、とっくの昔に限界を超えていたのだ。
それは『ここ』で千年過ごしたよりも前、生前にノスフィーと相打ったよりも前、王様となって自分を失うよりも前――もっともっと前から。
――あの日、心臓を潰されたときから、彼女は限界だったのだ。
だから、もう戦えるはずがない。立ち上がれるはずがない。
身も心もボロボロだから、あとは当然、涙が溢れていくだけ――
「わらわは、わらわは、わらわは……。わらわはぁアアあっ、うぅっ、ぅうぁ、ああああぁあああ――!!」
とうとう、死後ずっと繕ってきた全てが崩壊する。
自らの立場も名前も関係なく、子供のように無様に、恥も外聞も気にせず、ティティーは泣き出してしまう。
それは、一度も人前で泣いたことのなかった少女が、やっと誰かの前で泣いたときだった。
同時に、ティティーの身に纏われていた凶悪な魔力が霧散する。戦いのための風はなく、草原を吹き抜ける風となって世界に溶けていく。
もう『ここ』には『統べる王』はいない。
いま、少女は世界に奪われていた弱さを取り戻した。
『ここ』にいるのは一人の少女ティティーであるとわかり、僕は剣先を地面に下ろす。
もう戦いは終わりだ。
僕の勝ちで、ロードの負けで――終わり。
「ぁあぁああああっ――! そうじゃ、別に童の負けで終わってもよかった……! いや、負けがよかったのじゃ! 心の底では弱い子供じゃと思っていた! だって、ずっと童は、おうちに帰りたかった……! ああっ、ただ童はっ、ずっとずっと帰りたかっただけなのじゃからああアアアア――!!」
膝を突いて座り込んだまま、ティティーは地面に両手を振り下ろす。
そして、顔を俯けて、ぼろぼろと大粒の涙を地面に零して、何の強がりもなく本音を曝け出す。
「あぁ、お爺ちゃんとお婆ちゃんに会いたい……! 弟のアイドに会いたい……! 村の皆に会いたい……! 会いたい会いたい会いたいっ、会いたいよぅ……!! うぅ、うぅうう、ぅええぇ、えええええぇ――! うぁああああぁああん――!!」
大泣きする。
歪んだ大きな口を開けて、髪を振り乱して、今度は上を向く。
空を見上げれど、涙は止まらない。瞳から、いくつもの涙の筋が垂れ落ちて、頬全体を濡らしていく。
その姿を見て、僕は心の底から安堵する。
よかった……。今度こそ間に合った……。
勝利の道筋に、いま間違いなく乗った。
僕が安堵している間も、ティティーは言葉を口にし続ける。
千年分の悲鳴は止まることなく、六十六層に響く。
「あああああ、ぁああ――!! なんで!? どうしてっ、童をみんなは苛めるのじゃ!? なんで、みんないなくなったのじゃ!? なんで、童はお爺ちゃんとお婆ちゃんと離れ離れにならなければいけなかったのじゃああああ!?」
ティティーは地面に叩きつけた手で土を握り締め、横に腕を振り抜いて草原に土を投げつける。
そして、八つ当たりのように喚き散らしたあと、少しずつ声は小さくなっていく。
しゃっくりを交えながら、ぽつりぽつりと話す。
「……いや、わかってはおる。童には弟がいたからっ、追いかけて死ぬわけにはっ、いかなかった。姉としてっ、弟を守る使命がっ、童にはあったのじゃ。だから、生きたっ。苦しくても生き抜いてみせたっ……!」
蹲るティティーに僕は近づき、その震える背中を撫でる。
撫でられることで、少しずつしゃっくりは止まっていく。
「童は家族がっ、一番大切じゃった。それ以外はどうでもよかった。けど、それを誰もわかってくれなくて……。少しずつ、追い詰められて……。それで……――」
「ああ、家族が一番大切だよな……。そうだよな……」
「そう、かなみんだけがそれをわかってくれたのじゃ……。千年前、いつの間にか妾自身ですらわかっていなかった気持ちを、かなみんだけが見抜いてくれた……」
「僕だけか……」
「そうじゃ。なにせ……、ははっ、かなみんはシスコンじゃったからのう。色々と共感するところがあったのじゃろうて……」
ティティーは顔を上げて、涙だらけで苦笑いする。
しかし、すぐにその笑顔は消えて、悲愴に染まる。
「あぁ、あぁああ、童も弟に会いたい……。家族と会いたいのじゃ……。でも、もう『弟』のアイドなんて、世界のどこにもいない。あいつは『木の理を盗むもの』となってしまった。いつの間にか、妾の背を追い抜いてしまって、正真正銘の化け物となって、『統べる王の忠臣』『ヴィアイシア国宰相アイド』になってしまったのじゃ……。ああなっては、もう家族とは言えぬ。『統べる王』となった童がティティーと言えぬように、宰相となったアイドは弟と言えぬ……」
記憶を取り戻し、願いを知り、しかしそれが届かない事実にティティーは途方にくれる。
「ティティー、そのまま頼む。苦しくても、僕に聞かせてくれ。おまえの欲しいものを……」
「童の欲しいもの、か……。あのときは言えなかったが、いまは違うぞ。やっと思い出した。童は帰りたかったのじゃ。お爺ちゃんとお婆ちゃんがいて、アイドもいる……、あの草原に帰りたかった……! だって、あの草原こそ――童の唯一の宝物じゃった! あそこだけが世界の全て! 狂ったあとも、あの子供時代に戻ろうと戻ろうと必死になったけど、『ここ』にもどこにも代わりなんてなかった! どこにもなかったのじゃぁあぁああ……」
守護者の心臓部分である未練を、ティティーは僕に告白する。
家に帰りたい――それは余りに子供らし過ぎる未練だった。
そして、未練に続いて、後悔も吐き出していく。
「王様なんて本当はやりたくなかった! 別に、国を守りたかったわけじゃない! 守りたかったのはっ、お爺ちゃんとお婆ちゃんと弟のアイド! それだけ! それだけじゃった! それ以上は重すぎるのじゃ!! 世界平和なんて、童には関係ない! 国なんて重すぎて背負いたくなんかない!!」
堰切れたかのように、ずっと溜めていた不満を僕に訴える。
「童がやれるのは、せいぜい『庭師』までじゃ! そんじょそこらの『庭師』程度が身分相応! 『統べる王』『魔王』『狂王』なんて物騒な称号っ、そんなの童じゃない!! 統べるなんてっ、できてもそこらの小動物で限界じゃった! なのに、なんでああなったのじゃ!? 子供が調子に乗っただけの王様ごっこに、なぜみんな騙されたのじゃ!? 馬鹿じゃ! みんな大馬鹿者じゃぁあああ――!!」
ヴィアイシア国の民にも訴える。
自分を王として担ぎ上げた全てを否定する。
それは自分を否定するに等しく、ティティーは身体が千切れそうなほど苦しそうな表情だったが、同時に清々しい顔でもあった。
「童は、あの日、あのときからっ、ずっと子供のままなのじゃ! 弱くて愚かで、馬鹿な童のままじゃ! なのに!! なぜ童は王になって、あんなところまで!! こんなところまでぇぇえええええ――!!」
王になったことを後悔していると叫ぶ。
「知らなかったのじゃ! 王になれば、永遠にそこから抜け出せないなんて知らなかった! あんなにあっさりと家族も失うなんて知らなかった! 聞いてなかったァアアア――!!」
王という役割が割に合わないものであったことを叫ぶ。
「知ってたなら、みんな止めてよぉ!? 童は馬鹿だからっ、安請け合いしちゃうじゃろう!? 何で、誰も教えてくれなかったのじゃ!? みんなぁああああアアアア――――!!」
王へ至る道を空けた全員を恨んでいると叫ぶ。
その叫びに僕は何も言えない。
先の魔法《次元決戦演算『前日譚』》で事情を知ったからこそ、迂闊に慰めることもできなかった。
あの壊滅寸前の国には、強い王が必要だった。
そして、ロードは誰よりも強かった。
王になってもらうしかなかったと僕は知っている。
張りぼての王の慟哭は、まだまだ続く――
「王様は辛い仕事だって、ちゃんと注意してよぉおお! そんなの童っ、知らなかったんだからぁああ!! 知ってたら、絶対にやらなかったああああ!!」
教えるはずがない。
だって、あのとき、誰もが救世主を望んでいたのだから。
「童は臣下や民じゃなくてっ、暖かい家庭が欲しかっただけ! アイドと一緒に、安心して暮らせる土地が欲しかっただけ! あの草原をもう一度駆け回られれば、それだけでよかった! そんな普通の普通のっ、普通の生活が欲しかった! だからもうっ、最後にはっ、逃げだすしかなくなるじゃろうがああああああああ――!!」
しかし、誰かがやらねばならなかった。
誰かが救世主にならなければ、『北』は滅びていた。そして、その役目を負ってしまったのが――いま、赤子のように丸まって泣くロード・ティティーという名の少女だった。
それが英雄譚『統べる王』の全て。
「すまぬ、すまぬすまぬすまぬ! 童はみんなの思うような立派な人間ではないのじゃ! 弱く幼く脆い――ただの子供!! お遊びで王様を騙っていたに過ぎぬ! みんなの思う『統べる王』など、どこにもおらぬ!! 童賢くも強くもなければ、ちっとも偉くもないのだからああああ!!」
自分の全てを吐き出していくティティーの口調はぐちゃぐちゃだ。
しかし、これこそが本来の彼女なのだろう。
ずっと身を削って、削って削って削った全てを取り戻した少女は、こんなにも不恰好で、威厳など全くない。
「童が伝説の血を引いていた!? 正当なる王族の末裔!? 魔を統べる比類なき才能があって!? その圧倒的な『理を盗む力』は希望の光!? だから、我らを率いて南と、永遠に戦うべきじゃと!? 勝手だ! そんなの勝手じゃああああああ!! 違う! 違う違う違うのじゃ!! ――断りたかった! 本当は断りたかった! 不安で不安でたまらなかったからっ、全部全部断りたかったぁああああああああああああああああああああああああああああ!!」
ティティーは叫びながら、何度も地面を叩く。
泣きながらあたり散らかす。もはや涙は大粒どころではなく、滝のように垂れ流しの状態だ。
何百年分もの涙が溢れて、一向に止まる気配を見せない。このまま永遠に泣き続け、永遠に後悔し続けるのではないかと思えるほどの涙だ。
それを止めるため、僕は聞く。
その後悔を乗り越えるためにはどうすればいいかを、本人の口から聞く。
「なら、なんで断らなかったんだ……? ずっと……」
「そ、それは……、あのアイドの愚か者が、童に期待するからじゃ……。あいつは、姉は誰よりも強く気高い人格者じゃと憧れておったから……、童は違うと言えんかった……」
――期待されたから、言えなかった。
「アイドだけじゃない……。誰も彼も、童に期待しておった。こんな幼子を、脅しおった……」
――みんなが自分を見ていたから、断れなかった。
「――いや、それこそ違うな……。わかっておる。それは言い訳じゃ。あいつの前だけでは、かっこいいお姉ちゃんでありたかったという童の我がままじゃ。自身の見栄のため、できもしないことを演じてしまった。応えられぬ期待に応えようと、大人ぶってしまった。あのとき、アイドに「童は痩せ我慢で『統べる王』の振りをしているだけ」と、たった一言、言っておればそれでよかったのじゃ……。しかし、それをできなかった。その結果が、あのヴィアイシアの破滅じゃ。いや、この国だけの話じゃない。北の国々の死は、全て童の責任じゃ……。たとえ彼らの呪いに魂を押し潰されたとしても、童は文句など言ってはならんのじゃろう。それが間違いでも、一度王となった者の責任じゃ。ああ、責任じゃ。わかっておる。わかっては……、おる……」
しかし、それは自分のエゴであったことも認める。
少女は自らの間違いから目を背けない。
だから、『ここ』から離れることができなかった。
「ははっ。たった一言、荷が重すぎるから無理だと言っておれば……、それでよかったのに……。童は、童は……、誰とも向き合わず、必死に大人の演技を続けてしまった……。ああ、わかっておる。一番悪いのは童自身じゃ……」
その後悔は、僕にも少しわかる。
僕も、誰とも向き合わなかったことを後悔していたことがある。
やはり、僕とロードは同じ子供だ。
だけど、少しだけ違うということもわかっている。年にすれば一つか二つかもしれないが、僕はこの少女より少しだけ大人であると思うのだ。だから、僕のほうから手をさし伸ばす。
「――諦めるな、ロード。なら『いま』、向き合うんだ。まだ遅くない」
一度や二度の失敗で終わりなら、僕なんてとっくの昔に人生が終わってる。
けれど、僕はここまでやってこれた。
失敗しても諦めることなく、やり直し続け、前に進み続けたからだ。
だがロードは、その言葉も手も受け取ろうとしない。
「いいや、遅いのじゃ。何もかもが遅い。もう童は全て、失った。みんな、童から離れていってしまった。いや、童が、置いて逃げてしまった……。だからもう、『ここ』には、何もない……。ずっと、『ここ』で凍え続けるしかない……」
取り返しはつかないと――目を下に向けて、涙を落とし続ける。
その姿を見ていられず、僕は声を荒げる。
「――まだ遅くない! 遅くないんだ、ロード! まだ間に合う! そのために僕がいるんだよ!!」
ロードは「守護者たちは皆、渦波を待っておる」「渦波にはその化け物たちの未練を果たす義務がある」と言った。
その義務を果たすときは、いまだ。
「もう一度叫べ! もっともっと大きな声でだ! おまえが出会ってきたみんなに届くように! 言えなかったことを言え! 期待の全てを拒否してみせろ! 『過去』を悔やまず――『今』っ、そのみんなに聞かせてやれぇえええっ!!」
だから、もう一度、魔法《次元決戦演算『前日譚』》を構築する。
ただ、『表示』を見れば、もう空っぽだ。
【ステータス】
名前:相川渦波 HP26/289 MP0/1165 クラス:探索者
限界を超えての魔法が身体に悲鳴をあげさせる。
けれど、その痛みにも慣れてきた。未知の激痛ではなく、既知の激痛であることが僕に余裕を生む。
内臓や器官が裂傷し、血液が喉からせりあがってくる。その吐血に合わせて、大事なものが色々と抜けている気がする。最大HPどころか、魂そのものが解けていく感覚だ。肉体ではなく、体内の魔石までも削れていく。
しかし、魔法構築は止めない。
これまで二度の全力の魔法によって、『未来』と『過去』を視てきた。しかし、その二つが本来の力ではないと僕はわかっている。
僕の魔法の真価は『未来』と『過去』を繋げること。そう確信してる。
「かなみん……、何を……?」
次元魔法が草原全体に干渉し、淡い魔力の光を降らせた。そして、その光の源は空にある魔石だった。
そして、草原に舞い落ちる光一つ一つが、少しずつ膨らんでいく。人のシルエットを模っていく。それはまるで、迷宮にモンスターが現れる瞬間にも似ていた。
これこそ、始祖カナミが迷宮に施した術式であり、過去の聖人ティアラが世界を救った『誰もが幸せになれる本当の魔法』であり、『理を盗むもの』たちを救うための――聖なる魔法。
世界に光が溢れていく。
その光一つ一つに魂がこもっていることを、熟練の魔法使いであるティティーは理解しているのだろう。
涙一杯の目を見開いて、顔をあげる。
「み、みんな……?」
ぼやけた光に、ティティーは民たちの姿を幻視する。
もちろん、それは僕もだ。目を凝らせば見える。
無数の光の奥に、確かに、かつてのヴィアイシアの人たちの影が見える。
その光景に見蕩れていたティティーだったが、すぐに首を振る。
「――に、偽者じゃ! みなっ、五百年以上前に、魂を磨り減らして眠りについてしまった! ここにいるみなは、定められた役目に従うだけの役者にすぎん!」
「僕を舐めるなよ、ロード――!! 僕は『次元の理を盗むもの』だぞ! それはこの魂の輝きを見てから、判断しろ! 『魂』が磨耗していると言うのなら、時間を巻き戻してやるだけだ! たとえ、それが世界の理に反していてもっ、知ったことか! いま、全てを出し尽くす! これが僕の全力! 全力の全力だぁあああああああ――!!!!」
ティティーが認めようとしないのならば、さらに先へ進むだけだ。
五百年前に全ての魂は眠りにつき、取り返しがつかなくなったというのなら、それよりももっと前の『過去』に、魔法で繋げればいいだけの話!
「――『未来といまは繫がれ』『いまと過去は繋がれる』。『いつしか、世界が想起するときが訪れるまで』ぇええ――!!」
左腕にある絵画から抜き取った魔石だけでなく、この空間全ての魔石を感じながら、詠唱をやり直す。
全ては、『過去』から人々を連れてくるため。そして――
「――《次元決戦演算『前日譚』》!!」
――この場に、想起収束させるため。
まず草原に、自然の緑で溢れた街並みが薄らと幻影のように重なった。さらに遠くには、巨大なヴィアイシア城がぼんやりと浮かんでいる。
舞い落ちる光の一つ一つにも、かつてのヴィアイシアの民の姿が薄らと見え出す。
それをティティーは見て、声を漏らす。
「あぁ、ぁああっ、ぁあああ……!!」
光に輪郭が生まれ、たくさんの街の人たちが還ってくる。
その中の一人の女性が、口を動かして声を出した。
確かに空気を震わせた。
「――ロード様。ううん、ティティーちゃんかな? ごめんね……。私たち、ずっと気づけなくて……」
その女性は『統べる王』をティティーと呼んだ。
きっと魔石だった彼女たちも、先の追憶の光を感じていたのだろう。
僕たちほど正確でなくとも、確かに感じていたはずだ。
「ほ、本当に……?」
ティティーは震える。
いま、死したはずの人々が戻ってきていることに驚く。
その間も、次々と光の雪は空から落ちてくる。そして、その全てが《次元決戦演算『前日譚』》によって、かつての時間を取り戻していく。
北の国々のあらゆる時間と場所が、この狭い六十六層に重なっていく。民の数だけの次元が生まれ、万を越える民たちの姿が一つの視界内に収まっている。
この圧縮に圧縮を重ねた光の中に、広大な北の大陸が蘇っているのだ。
影の輪郭だけしか見えないけれど、確かにティティーにとっての『みんな』が戻ろうとしていた。
そして、まずヴィアイシア城下町の人たちが一人ずつ声をかけていく。
「――王、私たちに謝る必要なんてありません。あの滅亡は、私たちがあなたに頼りきったせいであって、悪いのはあなたじゃない。それどころか、あなたは滅びる北を延命してくれた。その魂を削って、俺たちに希望を見せてくれた。それに感謝することはあっても、責めることなんて、絶対にありません……!!」
「ごめんね、王様……。ううん。もう王様なんて言わない。ティティーも、私たちと一緒だったんだね。一緒の子供だったんだね……」
「俺たちは死した存在です。カナミ殿が呼んだ魂だけの存在……。けれど、この魂に、確かに響きました。私たちの王の悲鳴が、確かにこの胸を打ちました……」
ティティーは呆然とする。
本当に僕が、魔法で全てを強引に呼び戻しているとわかったからだろう。
その表情を見て、僕は何があろうと魔法を維持し続けることを誓う。
たとえこれが命の改竄で、死者の冒涜で、自然の摂理を破壊している外道の魔法だとしても、知ったことかと心の中で叫ぶ。
続いて、城の臣下と騎士たちの声が聞こえてくる。
「申し訳ありません……。我らが王は誰よりも強いと信じたかったのは、我らの弱さゆえです。そして、王は誰よりも北の国を愛していると信じていたかったのも、我らの弱さゆえ。そんな我らの弱さが、王の重荷となって、最後には潰してしまった」
「あなたに任せていれば何もかも安心でした。そして、あなたさえいれば、国は安泰だと思っていました。あれほど王に自らの力で戦えと叱咤されておきながら、最後まであなたに頼ってしまった……」
「我ら騎士たちだけでも南と戦えると思っていましたが……、結局我らはロード様を期待していた。だから、ロード様が北から抜けたとき、国は脆く崩れてしまった……」
迷宮の中だというのに、たくさんの声が反響する。
草原の世界には城と街、懐かしき孤児院に村、ロードが見てきた全ての場所が何重にもなって映っている。それを見て、またティティーは泣きだす。
「あ、あぁ、ぁあああ……」
泣きながら声を聞き、震える声で人々の声に答える。
「み、みな……、この童の声が聞こえるか……」
それに最初の女性が代表して答える。
「ええ、聞こえます。私たちの声も聞こえますか……?」
「ああっ、聞こえるぞ……! いま、やっとっ、確かにそなたたちの声が聞こえるぞ……!」
この千年、余りに時の進みが早すぎて、ティティーは何も言えなかった。そして、何も聞こえていなかった。
けれど、ようやく千年錆付いていた喉と耳に、声が通った。
この草原は、本当によく音が響く。
空に光が溢れているせいか、地下にいるのに、まるで地上にいるのかと錯覚してしまいそうになる。不思議なくらい開放感に溢れ、妙に心地の良い草原だ。
「わ、童は言う! 『過去』の百年っ、そして『ここ』で千年かけて言えなかったことをっ、いまここで言う! 言うからっ、みんなに聞いてほしいのじゃ!!」
力を振り絞って、ティティーは喉を震わせる。
それをみんなが聞く。
「みんなに謝りたい気持ちは本当だった! けどっ、それ以上に文句も言いたかった! 一杯一杯、文句を言いたかったのじゃあああああああああ!!」
そして、出だしから不満をこぼした。
「童は王なんて仕事、嫌い! 嫌い嫌いっ、だいっきらいじゃった! 初めから、ずっと嫌だった!! 断りたかったぁああああああ――――!!」
本音で文句をつける。
「王様なんて、ままごとで始めただけ! だからっ、そんな子供をロードなんて大層な名前で呼ぶでない――! みんなは大人なのに、こんな子供を王なんて呼んで恥ずかしくないの!? 童はティティー! ただの子供! 王様なんてできるはずがなかろうがあああ! みんなを助けられるわけない! 助けて欲しいのは、ずっとずっと童のほうだったんだからああああああああああああああああああああ!」
恨み言を吐き出しまくる。
全ての縛りから解放されたロードの舌は、回りに回る。
奈落の底から抜け出したことで、ずっと抑えつけていたものが爆発している。
「みんなのほうが大人でしょ!? ちゃんと助けてよオオオ!! 誰も大人がいなかったから、童が大人をやるはめになった!! まだ子供なのに子供なのに子供なのにぃいいいさあああアアアアア――!!」
声だけでなく、その魔力も吹き荒れる。
紙吹雪が舞うかのように翠の粒子が舞い、それに合わせてティティーの翼の羽毛も飛ぶ。
「童に期待するでない! 夢を見るでない! これ以上重荷を背負わせるでない! 童は童じゃから! そんなものっ、重くて持ちきれないのじゃ! ちょっと嫌なことがあれば逃げだす卑怯者、子供なのじゃからあああああ――!」
ティティーの魂の叫びを、みんなが魂で感じていた。
どう言い繕おうとも、この無様に泣き喚き散らすティティーを『統べる王』と呼ぶことは、もう誰もできないだろう。
「ずっと童は王の真似事をしていただけ! 成長するはずもなければ、大人になれるはずもなかった! だって『理を盗むもの』となった日からっ、童は童の人生を生きておらぬのじゃから! ああっ、だからっ、童は童として生き直したかった! ティティーとして生きたかったのじゃぁあああ!」
その果てに、しっかりとティティーは未練を口にしていく。
もう一度、自らが死ぬためのルールを口にする。
僕だけでなく、みんなにも伝えるため。
「童は王になんてなりたくなかった! おうちに帰って、ティティーになりたかった! ずっとずっとずっとっ、そう思ってた! ずっとずっとずっとぉおおおおお――! うぁああ――ぁああんっ、うぅ、ぅああああああああアアアアア――!!」
全てを言い切り、ティティーは耐え切れない衝動に呑み込まれて、大声で泣いた。
しかし、その叫び全てをみんなは受け取った。
「すみません、ティティー。ずっと、あなたの苦しみに気づくことができませんでした。あなたの力は余りに強く、愚かな我らはその強大な力に目が眩み、本当のあなたを見ようとしなかった……」
「……申し訳ありません。ティティー様」
「すみません……、ティティー……」
「ティティーちゃん、ごめんなさい」
みんな、もう迷宮の事情を知っている。
守護者の仕組みも知っている。
だから、誰もが少しだけ顔を歪ませながら、ティティーであると認めていく。自分たちの王を少しずつ消しにいく。
「この国の平和が、あなたの悲願かと思っていました。私たちと一緒に笑い合える世界が、あなたの望みだと思っていました。しかし、それは私たちの身勝手な願望だったのですね。都合よく、そう思いたかっただけ……」
「そして、我らは『ここ』に至ってまで、王であるあなたには王であってほしいと願ってしまった。そして、またあなたは無理をして、それを叶えようとしてしまった。ええ、それでは私たちの願いは叶えど、あなたの願いは叶うはずもない。消えられるはずありませんね」
「私たちのあとにあなたも消えられるなんて、とても甘い考えをしていました。本当のあなたを見ようとせず、何も考えることなく、満足して去ってしまった。あなたの様子が少しおかしいというのは、誰もがわかっていたにもかかわらず……、誰もそれを深く考えなかった……――」
かつての臣下たちが声をかけていく。本当は彼らにも言い返したいことくらい、一つはあるだろう。けれど、それを大人として抑え込んで、泣き叫ぶ少女をあやしていく。
そして、その果てに頭を下げる。
「本当にすみません、ティティー……。そして、ありがとうございます。王でなく――少女ティティーに謝罪と感謝を」
ただ、ティティーは感極まってしまっているせいか、泣き続ける。
「うっ、うぁあ、ああぅぇぇ、うえぇ……、うわあぁ、うわあああああああああああああん――!!」
答えようとしているものの、今日まで溜めてきた涙がそれを許さなかった。
そして、その間、いく人かの視線が僕のほうへ向けられる。
「もちろん、団長様にも同じく感謝を。あなただけがロードの苦しみに気づいてくれた。そして、最優先で迷宮に『ここ』を作ってくれた。だというのに……、先ほどは申し訳ありません。我を忘れ、恨み言をぶつけてしまいました」
つい先ほど、街の中で襲ってきた獣人騎士たちが僕に頭を下げる。
それに僕は首を振る。
「いや、謝らないでいい……。たぶん、過去の僕は『ここ』を未完成のままで放置してしまってる。中途半端に『ここ』を作ったせいで、ティティーは一杯苦しんでしまった。あなたたちにも、色々と苦労させてしまった……」
「いいえ、そんなことはありません。感謝しています。未完成でも、『ここ』がなければ、今日という日は来なかったと思いますから」
「そう言ってくれると助かる……」
『ここ』で見たティティーの記憶と地上で思い出した記憶を合わせれば、使徒レガシィの妨害によってロードのための世界が未完成だったのは間違いない。
けれど、その僕の不手際を誰も責めることはなかった。
それどころか感謝してくれている。
「騎士団長様。いままでありがとうございました。あなたとティティー様のおかげで、私たちは幸せに逝ける。本当の意味で、いま、我らの悲願は達成されたのです……」
そして、かつて僕と知人であっただろう獣人騎士は笑う。
それはティティーの周囲にいた人たちも一緒だった。
「本当にありがとう……。私たちのティティー……」
「ティティー様は十分頑張りました。もう誰もあなたに期待なんてしていません。私たちに残っているのは感謝の気持ちだけですよ」
この泣いている少女の重荷には二度となるまいと、笑顔で送り出そうとしていた。
畏敬も期待も捨てて、ただ感謝の目だけをティティーに向ける。
「う、うぅう……。み、みんなぁ……」
その優しい目によって、ゆっくりとティティーは涙を止める。
ようやく、背中にあった『統べる王』という存在が消えて、身体が軽くなっているのを感じているのだろう。その解放感に、少しずつ悲しみが緩和されていっているのが見て取れる。
こうして、誰もがティティーを送り出すために声をかける中、一人だけこちらに目を向けている女性がいるのを見つける。
「だ、団長様……」
ベスちゃんだった。
その姿を見つけて、僕は目頭を熱くする。
彼女も間に合ったのだ。砕けた魔石の粒子が世界に溶けて消える前に、僕の魔法《次元決戦演算『前日譚』》が何とか魂を引き戻すことに成功していた。
ベスちゃんは頭を下げて僕に謝罪する。
「すみません、団長様……。あなたはヴィアイシアを捨ててなどいなかった。ただ、このヴィアイシアで最も辛い目に遭っていた子供を助けようとしていただけ。『ここ』を見れば、それは一目瞭然のことでした……。なのに、私は、あなたを恨み続け……」
「いや、謝らないといけないのは僕のほうだと思う……。だから、頭を上げて、ベスちゃん……」
結局、僕はベスちゃんのことを思い出せていない。
彼女を救えなかったのは間違いないのだ。頭を下げたいのは僕のほうだ。
『ここ』でベスちゃんを少しでも助けたとすれば、それは僕じゃなくて――
「よく謝ったな、ベス……」
ベスちゃんの背後から老齢の獣人男性が出てきて、彼女の頭を撫でた。
その声と姿を間違えるはずもない。
この祖父と孫の姿こそ、強引に時間に干渉してまで見たかったものだ。
「お爺ちゃん……。い、いまは子供じゃないんだから……」
「おっと、そうだったな……」
レイナンドさんは孫娘に怒られ、その手のひらを離す。
そして、ぽりぽりと頬を掻きながら、僕のほうへ近づいてくる。
今生の別れを交わしたつもりだったのに、もう一度僕と顔を合わせてしまったため、少しばつが悪いようだ。
「レイナンドさん……」
それは僕も同じだった。
僕とレイナンドさんは、たどたどしく話しを始める。
「また会えたな、カナミ。正直、驚いておる」
「すごく頑張りました……。えっと……、僕は約束を守れましたか……?」
「ああ、最も理想的な形でな。この感謝は言葉で表すのは難しいほどだ」
「よかったです。けど、感謝の言葉ならいりません。もうレイナンドさんには色々と大事なものを貰いましたから……」
「そうか……」
その言葉を聞いて、レイナンドさんは納得したようだ。
一度だけ頷いて、僕に背中を向けた。
この時間が限られたものであるとわかっているのだろう。魔法《次元決戦演算『前日譚』》の効果が消える前に、死の間際まで心配していた少女のところへ向かい、急いで声をかける。
ただ、その言葉も僕のときと同じく、たどたどしい。
「おい。その……、先ほどは狂ってると言ってすまなかったな。わしは口下手で不器用ゆえ、どうすればよいかわからなかったのだ……。ずっとな」
そのレイナンドさんの声に、ずっと泣いてばかりだったティティーが反応する。
この人にだけは、ちゃんと答えないといけないとわかっているのだろう。
「う、うぅ……。いいよ、気にしてない。それに、いまだからわかるよ。爺さんが最後まで残ってくれたのは、童のためだったんだね……。いや、『ここ』だけの話じゃない。生前のときも、童のことを心配してくれて頑張ってくれてたのに……。それを童は……」
先ほどの記憶だと、レイナンド・ヴォルス将軍は最後まで王のために働いていた。方向性は間違っていたものの、間違いなく自分を心配していてくれていたことをティティーは思い出し、言葉を詰まらせる。
だが、そのしおらしいティティーの言葉を、レイナンドさんは鼻で笑い飛ばす。
「……ふんっ。それは違うぞ。生前の戦いも『ここ』での生活も、大体はそこの孫娘のためにやったことだ」
レイナンドさんもまた、『ここ』にいるみんなと同じだった。
少女の重荷を消して、笑って送り出そうとしている。
その想いをティティーは理解し――やっと、みんなに自分を理解されたことを理解し――同じように笑い飛ばし返すため、大きく口を開けて笑う。
「……ふっ、ふふ。ははっ、はははははっ! もうっ、相変わらず素直じゃないのう! この爺さんは!」
「ふんっ。素直じゃないだと? それはおまえのほうだ。……ふふ、ははっ、ははははは!」
謝りあってばっかりのしんみりとした空気が少しだけ晴れる。
長い雨が止んだあとの空のように、二人とも晴れやかな表情となっていた。
そして、いくらか笑いあったあと、レイナンドさんは膝をついてるティティーの頭を撫でて、問いをかける。
「長かったか……?」
「うん、長かった……。とっても短くて、とっても長かったよ……」
ベスちゃんと違って、それをティティーは怒ることなく受け入れる。
「しかし、ようやく迎えが来たようだな……。千年も、待ったな……」
「うん、千年待った……」
「ならば、もう迷うな。『過去』を飛び越えて、『未来』へ進め。ようやく、我らが庭師ティティーの時計の針は動き出したのだ。――しかし、忘れてはならんぞ。『北』の国の民は、『ここ』にいる者が全てではないということをな」
「そうだね……。わかってる……」
父親のように厳粛な声で、レイナンドさんはティティーの気を引き締めようとする。
その意味をティティーは理解している。もちろん、僕もだ。
いま、千年生きた王様の積年の願いが叶っている。
けれど、『風の理を盗むもの』の魔力は未だに力強い。消える予兆はない。
その理由をレイナンドさんは確認する。
「地上で――あなたの弟君であるアイド殿が、ティティーの帰還を待っておる」
「うん、まだアイドがいる……」
「おそらく、アイド殿だけは、未だに『統べる王』を期待しておるはずだ。その心に無欠の王が生きているはずだ。だから早くその期待を否定しに行け。王など止めたのだと言いに帰れ。そして、二人で幸せになれ。いいな?」
「……うん」
その問い、ティティーは座ったまま頷き返した。
そして、その手を取って立ち上がらせ、その背中を押した。
人々の魂の光からティティーは出てくる。
「――さあ、行けっ!」
ずっと守ってきた人々の笑顔に送られ、ティティーは僕の隣にやってくる。
僕はレイナンドさんの代わりに、その手を母親のように優しく握って、託された少女は僕が必ず家まで送るとみんなに示す。
「僕が責任を持って彼女を預かります。……だから、安心してください」
溢れる光に向けて、大きく手を振る。
それに先頭のレイナンドさんが頷いて返したのを見て、僕はティティーを誘う。
三度目の本当の誘いをかける。
「ティティー、僕と一緒にアイドのところへ行こう。そして、そこで本当の意味で子供から大人になればいい」
「うん!」
その地上への誘いを、今度こそティティーは迷いなく承諾した。
そして、たくさんの涙を頬に残したまま、彼女は笑い出す。
「うん! うん、うん、うん! ふふっ、ふふふっ! あはははは――!」
先ほどまでの涙が千年分ならば、この笑顔も千年分だろう。
咲き誇る向日葵のように明るい笑顔で、僕と同じように片手を光に向けて振る。
「あはははっ! みんなっ、千年以上も童のおままごとに付き合ってくれて、どうもありがとう! けど、もうおままごとは終わりにする! 全部全部終わりにする――!!」
その別れの挨拶も千年分――そして、『ここ』にいる一万人分に向けて――大きくお腹を膨らませて息を吸って、隈なく世界へ響くように吐き叫ぶ!
「――童は帰るっ! だからっ、じゃあねっ! みんなああああっ、さよならぁああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――!!!!」
その「さよなら」には風の魔力がこもっていた。
声は風のように吹き抜け、一人も余すことなく届き――、僕の魔法《次元決戦演算『前日譚』》が解けていく――。理に背いてまで手に入れた時間が終わり、あるべき姿へ還っていく。
別れの挨拶と共に、人々が光へ戻っていく。
「――ええ! それじゃあねっ、ティティー!」
「我らが希望の少女の旅に幸あれ!!」
「道中、お気をつけください! 何があっても幸せになってください――!!」
別れの言葉を返す人々が、今度こそ憂いなく未練なく納得していく。
ゆえに草原を満たしていた魂の光たちは消えていく。風に吹かれたタンポポの種子のように光となって空へ舞い上がっていく。
「もう迷子になっちゃ駄目よ! ちゃんと家に帰るまで、『ここ』に戻ってくるのも駄目だからね!!」
「騎士団長様! 私たちのティティー様をお願いします――!!」
「私たちはついていけないけどっ、『ここ』で無事を祈ってる! ティティーの用意してくれた『楽園』で祈ってる――!!」
「ええ、さよなら! どうか幸せに!!」
一人、また一人と叫び返し、手を振りながら身体が薄くなっていく。
かつての臣下、騎士、民……老若男女、分け隔てなく、誰もがティティーに最後の言葉を遺していく。
「ばいばい、お姉ちゃああああん!」
「今日までありがとうございました! あなたのおかげで私たちは『楽園』に辿りつけた! だから、あなたもどうかっ、あなたの『楽園』へ辿りついてください!!」
「もう誰もティティーちゃんを王様なんて呼ばないから! 自由に生きて!!」
「あとは真っ直ぐ! 真っ直ぐ進んで、ティティー――!!」
その言葉がティティーの全てを軽くしていく。
『地下』から『地上』に――いや、『過去』から『未来』に向かわせようと、光の全てが一つになり、少女の背中を押す。
「ティティー様! 我らはみなっ、感謝しています! 言葉にしきれないほどっ、感謝しています! 見送ることしかできない我らを許して下さい!!」
「弟さんと一緒になって、一番大切なものを見つけ直してくるんだよ!!」
「ずっと私たちと遊んでくれてありがとう! 子供の中でも、お姉ちゃんは最高のお姉ちゃんだったよ!」
「気をつけて、家まで帰ってくださいね! ティティーさん!!」
その光の拡散によって、とうとう六十六層全てが草原となった。遠くにあったはずの闇よりもおぞましい空っぽの黒い空は、跡形もなく消えた。
もうロードの心に虚無はないと示すかのように、光の粒子が草の間を通り、心地良い風が吹いていく。
「さよなら、私の友達でお姉ちゃんのティティー! そして――、行ってらっしゃい!!」
そして、最後の一人となったベスちゃんが片手を振って見送る。
同時に彼女はレイナンドさんに手を引かれ、光の中に呑みこまれ、消えていった。
こうして、北の国々の次元全てが消え、万を超える民たちは、心安らぐ遠い『楽園』へ還った。
もう星となる魔石さえも残ってはいない。
ゆえにティティーの心に重しなど、もうあろうはずもない。
その身軽になった身体を震わせながら、ロードは最後の言葉を、もう届かない『楽園』に叫ぶ。
「――行ってきます!!」
ティティーの声は風となって吹き抜けて、草原の絨毯全てをさらさらと揺らした。
――間違いなく、永遠の別れだろう。
けれど、隣のティティーは笑う。
涙を振り払って、真っ直ぐ僕を見て、頼む。
「……かなみん! また童を『ここ』から連れ出して! あの日のように! 今度は間違えない! もう間違えないから!!」
遠くにある螺旋階段を指差して、迷宮から出ることを望む。
もう引きこもるだけの自分はいないことを僕に伝える。
「童の望みは、おうちに帰ること! あの子供の頃の草原にあった家に帰ること! そのおうちは『ここ』じゃない! 家族はライナーやかなみんで代用もできない!! だから、もう一度会うよ! 宰相のアイドじゃなくて、童の家族のアイドに会いにいくよ!! それでロード・ティティーの物語は、今度こそ終わり! 終わりにするのじゃっ!!」
ティティーは手を握り締めたまま、いつかの問いの答えを返す。
その遅すぎる回答は、千年前の始祖カナミの言うとおり、本当にノロマだ。けれど、まだ間に合う。ティティーも僕と同じように、まだ間に合うのだ。
だから、それに僕は答える。いつかの言葉の続きを告げる。
「ああ、始祖カナミの名に置いて誓う。必ず僕がおまえの望みを叶えるって約束する。きっと、千年前の『契約』は、いまも続いてる」
手を握り返し、必ず助けることを誓い直す。
ティティーは微笑みながら、それに礼を言う。
「ありがとう、かなみん。かなみんのおかげで、少しだけ大人になれた気がする……」
「それは僕もだ。僕もおまえのおかげで、また少し大人になれた気がする……」
いま僕たち二人は、時が過ぎていくのを加速なく停滞なく、正しく感じられていた。
一秒が一秒で進む世界に、ティティーは感動しているようだ。
握手をしたまま、感慨に浸っている。
こうやって、人は少しずつ大人になっていくのだろう。
その一歩目を、僕たち二人は踏み出したのだ。
ようやく長い地下生活が終わり、前へ進めるときが来たことに僕も感動を覚える。
あとは迷宮を上へ登り、地上に帰るだけ。
『風の理を盗むもの』の『試練』は終わりだ。
「それじゃあ、早く行こうっ! 一緒にじゃっ、かなみん!」
「ああ、行こう。けど――」
――その前に一つだけしなければいけないことがある。
僕がそれを言い終わる前に、草原の世界に眩しすぎる閃光が奔る。
その光は、先ほどまでの光とは違い、余りに禍々しかった。
六十六層の裏と表が重なったことで、もう一つの戦場もこっちに移動したのだろう。いつの間にか少し遠くに、一組の少年少女の姿があった。
「こ、これは一体……。ロード、何があったのです……?」
ノスフィーは手を繋ぐ僕たちを見て、困惑していた。
この世界の変革よりも、自らの友の変革にショックを受けているようだ。
「ま、待て、ノスフィー……! 行かせるかよ……!!」
その後ろに満身創痍のライナーがノスフィーを止めようとしていた。
信じていた通り、僕の騎士は見事役割を果たしてくれたようだ。
ライナーを落ち着かせるため、もうこっちは大丈夫だということを示す。
僕とティティーは手を繋いだまま、ライナーとノスフィーのほうに身体を向けた。
それを見たライナーは少しだけ表情を緩め――対して、ノスフィーは声を荒げる。
「ロード!! 何があったのかと、友達が聞いているのです! ちゃんと答えてください!!」
あとは『光の理を盗むもの』だけ。
しかし、もう魔法《次元決戦演算『先譚』》の見せてくれた勝利の道筋に完璧に乗っている。
あのときに見た光景が、いま再現されている。
ノスフィーを僕とティティーとライナーの三人で囲み、二体二ではなく三対一となっている。状況も戦力も、こちらが圧倒している。もはや、形勢は完全に逆転した。
ならば、あとは勝利の道を駆け抜けるだけ。
ここから先は、もうノスフィーの手のひらの上の世界じゃない。
僕の次元魔法が支配する時間だ――
今日だけで十万文字……。
五章を書き出す前――5章のプロット短いし、二十万文字くらいでぱぱっと終わるかな! 地下ってなんかイメージ暗いし早く地上書きたいし、今回は短めでもいっか!――なんて思っていました……。すみません……。
しかし、やっとのやっと五章終われそうです。




