225.童の長い人生(前編)
三連続投稿の真ん中です。ご注意ください。
後編が先で前編があととなってるので、そこもご注意ください。
「――お、おぉ! 婆さん、起きたようじゃぞ!」
しわがれた声を認識し、『私』は薄らと目を開けようとする。しかし、上手く瞼は動いてくれない。錆付いた扉のように、世界の光を取りこむのに長い時間がかかってしまう。
その間に、もう一方から別のしわがれた声が聞こえてくる。
「……おー、そのようじゃな。ならば、すぐに暖かいものを用意しようかね。まずは腹に何かを入れんとな。出る元気も出んじゃろうて」
「そうじゃのう」
やっとのことで目を開いたとき、久しい光に目を眩ませる。けれど、なんとか目を細めて外界の情報を得ようとする。
まず目に飛び込んできたのは見知らぬ天井。その天井は平たい造りでなく、三角錐の形状の奥行きがある変わった造りとなっていた。三角錐の空間に編むように木材が組まれ、天井を支えている。
その天井からは、大地にそびえたつ巨木が見るかのような安心感を覚える。
どこだろう、『ここ』……。
いままで私がいた場所とは随分と違う。
もっと暗いところにいたような……。
なぜだろう。
思い出したくない……。
ああ、そうだ……。
それよりも、いまは『ここ』がどこなのかを確認しないと……。
ゆっくりと首を横に向ける。
光の差す格子のない窓を背中に、一人の老人が笑顔で座っていた。長年着続けたのが一目でわかるベージュ色の服を纏った好々爺。私と同じ『魔人』なのだろう。手足の先が、まるで蛸の触手のようになっている。くらげか蛸、もしくは水棲モンスターの混じりの可能性が高い。
隣にいたのが『人』でなく『魔人』であるとわかった私は一安心する。そして、その余裕を持って、さらに周囲の情報を集めながら、声を出す。少し不安だったが、張り付いた喉からは枯れ果てた声がちゃんと出てくれた。
「こ、『ここ』は……?」
建物の中にいるのは間違いない。光差す窓の隣には、生活用の棚があり、多様な食器が並んでいる。壁には干された果物が吊るされていることから、民家であることもわかる。その民家のベッドに、いま私は寝ている。
「ああ、わしらの家じゃよ。もう安心せい。少なくとも、飢え死にすることはないぞ」
隣の好々爺は優しい声で答えてくれた。
その暖かい声質に驚きながら、私は返事する。
「え……、あ、はい……」
お礼さえもろくに言えなかった。それほどまでに、ここまで直球な優しさは久しぶりだった。
そして、状況に困惑する私へ、逆方向から暖かいものが差し出される。木製の椀だ。その中に白い湯気の上る芋のスープが入っていた。
蛸のお爺さんの伴侶であろうお婆さんが、私の手に椀を持たせる。
「大したものじゃないが……。お食べ……」
またも優しい声。
困惑は加速するばかりだった。
「どうして……、私に食べ物をくれるんですか……?」
スープを見つめながら、問う。
「どうしてと言われてものう。ぬしみたいな幼子を見捨ててしまえば、わしらを見守ってくれている神様から天罰を受けてしまう。いや、わしらを守ってくれているヴィアイシア国の王様たちに顔向けできなくなる。じゃからかのう?」
神様から天罰を受けるから?
守ってくれている国の王家に顔向けできなくなるから?
全く理解のできない話を返されてしまった。
少なくとも、私の人生には一度もなかった考え方だ。
だから、スープを突き返すことも、スープに口をつけることもできず、ただ私は固まってしまう。
それを見たお爺さんは話を続ける。
「大体、わかっておる。ぬしは南から逃げてきたのじゃろう?」
南。
余り使ったことのない表現だ。
だが、私は北を目指してやってきた。ならば、私がやってきたところは南と呼ぶのが適当だろう。
私は頷き返す。
「……はい」
「ここ数年で南との関係は――いや、『人』と『魔人』の溝は深まったからのう。南のほうでは『魔人』の扱いが悪いと聞いておる。ぬしもその口なのじゃろう?」
お爺さんは私の事情の全てを察していた。
以前いた場所を隠すことはできないと思い、私は素直に頷く。
「……はい」
逃げて、逃げて、逃げてきたのだ。
北には『魔人』の住む楽園があるという噂を信じて、飲まず食わずでここまでやってきた。そして、歩くことも動くこともできなくなって、最果ての草原で一人意識を失い、このまま死んでいくのかと思っていた。
「よくぞ、その小さい身体で北の辺境の地まで辿りついたものじゃ……。もう安心してよいぞ。ぬしを脅かす人間は、ここにはおらぬ……」
けれど、助かった。
いま私は生きている。同じ魔人のお爺さんとお婆さんに助けられた。
お爺さんは私を言葉で慰め、お婆さんは私の背中を優しくさする。
「今日はゆっくりと身体を休めるといい。村のものに紹介するのは明日でよかろう」
「……え?」
まるで、ここにずっと居てもいいかのような話に、私は驚く。どうやってお礼をして、どうやってこれから生きていこうかと考えたところだったからだ。
「……む、童よ。まさか、出て行こうとでも思っていたのか?」
「は、はい。だって、私は――」
――余所者の厄介者。そう口にしようとしたとき、唐突に話を変えられる。
「ときにおぬし、何の魔が混ざっておるのじゃ?」
びくりと身体が震えた。
――混ざり。
その言葉は私のトラウマを刺激する。その言葉が私の人生を全て決めた。
けれど、それを答えないのは恩人に対して不誠実だ。向こうとしては、私が何者かを問ういているのと同じだ。
身体の底から溢れる震えを抑えながら、私は答える。
「……少し変異してますけど、たぶん、ハーピィです」
「うむ、やはり『魔人』なのじゃな」
『魔人』。
それが私をここまで追い立てた。『人』ではないこと。それだけのことが私を――
「――ならば、わしらは同胞じゃ。家族が家族を助けるのに、何の問題がある?」
だが、お爺さんはその言葉を聞き、これ以上ない笑顔を作った。
ずっと誰が聞いても侮蔑の表情しか生まなかった言葉を聞いても、その態度を変えはしなかった。
「か、ぞく……? でも……」
「血の繋がりなど関係ないぞ。我らは我らの法をもって、家族を決める。その法からすれば、ぬしはもうわしらの家族じゃ」
我らは我らの法……?
家族……?
「でも、私は毒に犯され、穢れてて……」
「そんな与太話、ここでは通じんぞ。そもそも、わしらも同じ『魔人』じゃ」
そ、そうだ。
混乱していたせいか、まるで私だけが穢れているかのように思ってしまった。けれど、もう違うのだ。『北』は違う。だから、私はここまでやってきた。
ここには私と同じ人たちがたくさんいるから……!
「強制はせん。しかし、少しの間だけでもいいから、『ここ』で生きることを考えてはくれぬか? わしらのような老い先短い者の話し相手になってくれるだけでも嬉しいのじゃ」
お爺さんは優しく、そのしわくちゃの手を伸ばした。
「若いものはいつでも歓迎じゃ。特にぬしのような可愛い子はのう」
お婆さんも優しく、私の若草色の髪を撫でた。
どちらも、私の人生には一度もなかったものだった。
余りに暖かすぎる。いまにも、溶けて消えてしまいそうになる。
あ、あぁ……。
「あ、ありがとうございます……。ありがとう……、ございます……」
ようやく、搾り出すようにお礼の言葉を言えた。
それを口にしたとき、全ての緊張の糸が切れた。
いままで、ずっと暗く冷たい地の底を歩いているような気がしていた。
奈落の底、まるで地獄を生きていると思っていた。
けれど、違う。
もう違う。
『ここ』は明るく、暖かい。
それだけで私の身体から全ての力が抜けていく。
「本当に……、ありがとうございま――」
安心が涙腺を刺激し、視界がぼやけていく。
――『ここ』は『楽園』。
噂は本当だった。北へ逃げた先に最後の『楽園』がある。
そこへ私は辿りついた……。
辿りついたんだと理解したとき、私は意識を失った。
暖かな家の暖かなベッドの中で、柔らかい枕に頭を沈めて眠ったのだった。
◆◆◆◆◆
ただ、人とは現金なもので、死にかけていたときはお爺さんとお婆さんの二人を神か何かのように思っていたけれど、一度体力を取り戻すと「何か裏があるのでは?」と思ってしまうようになる。
私もそんな恩知らずの中の一人だった。
そう思わざるを得ない人生を歩んできたと言えばそこまでかもしれないが、ちょっと人として恥ずかしいものはある。
「童よー、何をしておるー?」
お爺さんが呼んでいる。
私は手を止める。
家の隣には白い花の咲く巨木がある。その近くにある切り株を使って、薪割りをしていたのだ。いつの間にか額にはりついていた白い花びらを取りながら、返事をする。
「こっちです。お爺さん」
拾ってもらったあと、私は村の一員となった。
ただ、居場所を提供してもらいながら、未だに私は心を開いていなかった。
淡々と手伝いを繰り返しながら、皆の様子を見る。それを繰り返すだけで、いつの間にか数日が過ぎていた。
「薪、割り終わりました……」
すぐに割った薪を両肩に抱えて、お爺さんの声がしたほうへ向かう。家の裏手にいたお爺さんは、現れた私を見て驚く。
「ち、力持ちじゃのう……」
「そうですか?」
せいぜい私の身の丈ほどしかない量の薪を保管蔵に入れながら返す。
「ぬしはハーピィの混ざりなのじゃろう? もっと非力なはずじゃが……」
「でも他の方も、このくらいはしてました」
「む、他のとは?」
「赤牛混ざりの人とか、黒狼混じりの人とか……」
「そこらの種と比べておる時点で、何かおかしいのじゃがな……」
おかしいのかな?
けど、これくらいの量をこなせていなければ、いま私は生きていないと思う。あのときは周りについていこうと必死だったので、自分の種なんて考えたこともなかったし……。
「もしかしたら、童は少し特殊なのかもしれんのう」
「特殊……?」
ハーピィ混じりの中でも特殊ということだろうか。
それとも『魔人』としてか。根本的に人としてか。
「時々じゃが、この世界の毒と上手く適応するものが生まれると聞く。その者は毒の力を操り、火や風を起こすらしいぞ」
「毒の力で、火や風を……? まるでモンスターじゃないですか」
まるでおとぎ話の魔法のような話だ。そんなことができていたら便利かもしれないが、余りに非現実的な話だ。
「まあ、そこまでいくと伝説上の話になるのじゃがな。毒と適応し、味方にできるものは身体が強かったりするのは本当じゃぞ?」
「はあ。そうですか……。それが私だと?」
伝説とやらは眉唾だが、身体能力の向上はありえそうな話だ。
「ああ、童こそもしかしたら――むう。しかし、童、童では言いにくいのう。これから大きくなっていくのだから、いつまでもこう呼ぶわけにもいかぬしな」
「その……、名前がなくてすみません……」
「それはぬしが謝ることではないよ。しかし、新しい名前か……」
名前で呼ばれたことなどないから、自分の名前がわからないのだ。
だから、ずっと童で通している。『おい』とか『お前』じゃなくて、『童』――私は気に入っているのだが、お爺さんはそうでないらしい。
「ほほう、ならばわしがかわいい名前をあげようぞ」
名前についていると悩んでいると、家の表のほうからお婆さんが現れる。タイミングを測ったかのような登場にお爺さんは呆れる。
「婆さん、おったのか……」
「童の名はティティーじゃ。どうじゃ、可愛い名前じゃろ?」
「……確かに。それが一番いいかもしれんのう」
自信満々にお婆さんは提案し、それにお爺さんは賛同した。
「ティティー?」
名前を繰り返す。
それを聞いた二人は頷き返す。
名前を貰えたのは嬉しい。嬉しいが――
「もしかして、大切な名前なのでは……?」
二人の表情からそれを感じ取った。
その名前を口にするとき、一瞬だけ何かを懐かしんでいるように見えた。
「……嫌かのう?」
お婆さんは不安げに問う。
私の答えは一つだけだった。拒否なんて選択肢になかった。
「嫌じゃないです……。いい名前だと思います。ティティー……」
少し子供っぽいが、可愛らしい名前。
すぐに私は気に入った。
「ならば、決まりじゃ。ぬしは今日からティティーじゃ」
お爺さんは明るい顔で決定をくだす。
しんみりとした空気は消え、話題も変わる。
「あと、その喋り方も早めに直さねばな」
思いもしないところを突っ込まれ、私は首をかしげる。
「え、喋り方おかしいですか?」
「ああ、おかしいぞ。もうわしらは家族じゃ。そんな丁寧な言葉遣いなどいらん」
「家族の間に、丁寧な言葉遣いはいらない……?」
「ああっ、そうじゃ。もっとフランクに頼むぞ、ティティー!」
ばんっと背中を叩かれる。
その初めての要望に私は戸惑いながらも頷く。
「あ、は、はい。努力します。がんばります」
そして、目一杯頭を下げた。
それを見たお爺さんは少し困ったような顔になる。
「あー、それがいかん」
お爺さんの指が私の頭に近づき、ぴしっと人差し指の先が当たる。
軽いでこぴんをされた。
「あたっ。……すみません」
「うーむ。小突かれても、その反応か……。そういうときは、何するんじゃー! って言い返すのじゃ! 敬語はなしでな!」
「は、はいっ。そうしますっ」
また目一杯頭を下げてしまう。
さらに、いま言われた敬語はなしなんて話は吹き飛んでいた。
当然のように、また優しく小突かれる。
「あっ。え、えっと、よしっ――な、何するんだぁーあ!?」
一呼吸置いて、今度こそと意気込んでから言い返す。
今度こそ敬語を取り払ってみせた。期待をこめてお爺さんたちを見たが……、
「棒じゃの」
「棒読みじゃ」
駄目だった。
文法としての言葉は合っているかもしれないけど、会話としてはイントネーションなどが不自然すぎたのだろう。
困ってしまった。
こんなにも敬語以外が難しいとは思わなかった。生まれてからずっと敬語だけ使えればいいと思っていた代償がこんなところで出てくるなんて……。
途方にくれる私を見て、お婆さんは手を叩いて提案する。
「そうじゃ。試しにわしらの喋り方を真似てみい」
「え、真似ですか……? それなら……」
できるはずだ。
イントネーションのほうも、目の前に手本がある。
「はい。ちょっとずつやってみ……るのじゃ」
拙いけれど、何とか形になってはいるはずだ。
その評価を聞くべく、お爺さんとお婆さんを見上げる。
「まあ、いまよりかはマシじゃろう。たぶんじゃが」
「ふふっ。確かに堅苦しさは抜けそうじゃのう。慣れるまではそれで試すのもいいかもしれん」
二人は優しく微笑んだ。
そして、二人で私の頭を優しく撫でる。
「えへへっ」
少しくすぐったいけれど、とても温かい手のひら。その感触に身を任せながら、私も微笑んだ。きっと私も二人と同じ優しい顔をしているはずだ。
氷のように硬かった顔が、どんどん溶けていっているのが自分でもわかる。
青い空からは丁度いい日差しが落ちてきて、草原からは清々しい風が吹く。
白花が散り、花びらが家の切り妻屋根の上に乗る。それを見送るだけで、本当に心が落ち着く。
ああ、『ここ』は暖かい。
きっと、『ここ』こそが私の居場所だ。
そう私は思った。
子供心に居場所を決めた。
だから、私はそれを守ろうと思った。
「あ、ありがとう、お爺さんお婆さんっ。それじゃあ、次の仕事をやってきます……のじゃ!」
深層心理として働かないものに居場所はないと思っているせいか、すぐに私は動こうとする。
「いま、薪割りを終えたばかりじゃろう?」
「まだまだ元気が有り余っている……のじゃ! 大丈夫!」
できるだけ軽い物言いを心がけて、私は庭から駆け出す。家の仕事は一杯ある。薪割りだけで終わりじゃない。私は私の居場所のために、もっと頑張らないといけない。その手始めと水汲みをしてこようとする。
「ならばよいが、気をつけるのじゃぞー!」
「転ばぬようになー」
水汲みようの桶を持って遠くを走る私に、二人は手を振る。
私はスキップしそうな勢いで草原を走る。
風を裂いて、広くて明るい世界を駆け抜ける。
この頬を撫でる風が私は大好きだ。
これのおかげで、一日中だって走っていられる。水汲みくらい、なんの苦もない。
家から少し遠く離れたところにある砂利道を進み、私は村の水源となっている川へ向かう。その川の近くには森がある。森といえど、その密度は薄い。どちらかと言えば林かもしれない。間くらいと言ったところだ。木々の合間が広いため、草原と変わらぬ明るさで、道も歩きやすい。
森から出てくる動物も小さいやつばかりだ。大きい獣が生きられる環境ではないため、私のような小さい子供でも安心して水汲みができる。
とはいえ、私ならば、もし大きい獣が出てきても大丈夫なのだけれど――
「みんな、今日もお願いです」
道を歩きながら、誰もいないところで声を出す。
すると、近くの茂みから小動物たちが顔を見せる。四足の白いやつから茶色いやつ、たくさんの種類の小動物。名前は知らないけれど、可愛らしい耳の生えた――私の友人たちだ。
彼らは私の声を聞き、友人である私の助けになろうと出てきてくれたのだ。
「今日はただの水汲みだけど……、お爺さんやお婆さんを驚かせるくらい頑張りたいんです」
その言葉を聞いて、みんなは頷いた。
そして、私の持っていた桶の片方を、走る二匹の白い動物の背中に乗せる。こうして、数日前から私は重たいものの運搬を手伝ってもらってる。
南では魔物の排除された場所にいたから気づけなかったけれど、動物たちの賢さをここで私は知った。その賢いみんなとお話して、協力を申し出たのはすぐだった。だって、何事もみんなで協力してやったほうが早いと、子供だけれどよくわかっていたのだ。
みんなには悪いけど、今日は全力だ。
小動物たちがついてこられる限界の速度で、私は道を走る。
川に辿りついたら、すぐに水汲みだ。
みんなと協力して水で一杯になった桶を家まで運ぶ。道中はみんなにも手伝ってもらって、何度も往復する。
疲れは感じない。むしろ、水の入った桶が少しずつ軽くなっていく気がする。動けば動くほど、身体の奥から力が湧いてくるような……周囲から『何か』のエネルギーを吸い込んでいるような気さえした。
働くこと、小一時間。
家の庭には十分な水が運ばれていた。
それを見たお爺さんとお婆さんは驚いていた。
「随分とたくさんの水を汲んできたのう。これは余るぞ。……それに薪になりそうなものまで、たくさん。大変じゃったろうて」
「いえ、友達に助けてもらったから、大丈夫です……のじゃ」
急に後ろから声をかけられ、言葉遣いが混ざる。ただ、それよりもお爺さんたちは気になることがあるみたいだ。
「友達じゃと……?」
「はい」
私は頷き返して、足元を走る十を越える動物たちを紹介する。
「ほう……。これは……」
お爺さんもお婆さんも感心した様子を見せる。いや、感心よりも驚愕のほうが濃そうだ。
「ティティー、この者らの言葉がわかるのか?」
「言葉がわかるわけじゃないのじゃ……です」
あ、今度は逆になった。慣れるまでは無理に使わない方がいいかもしれない。
一呼吸置いてから説明を始める。
「なんとなく、伝えたいことがわかるような……。そんな気がして……」
隠すことなくあるがままを伝える。それを聞いたとき、二人の顔は驚愕だけで染まった。
「なんと……」
「もしかして、これって変なんですか……?」
恐る恐ると聞く。
「う、ううむ。余り御伽噺を信じたくはないのじゃが、毒の力というやつを操っているとしか思えんのう。伝承の『統べる王』様と同じ力じゃ」
「『統べる王』……様?」
「昔、そういうものが北の大陸にはおったと言われておる。多くの人を救った救世主様じゃ」
「救世主……」
胸の鼓動が少しだけ速まったような気がする。『王』と『救世主』という言葉は、幼い私の好奇心を揺さぶった。
「……まあ、別に悪いことではない。少し珍しい力じゃが、ティティーはティティーじゃよ。とにかく、わしらは大助かりじゃ。ありがとうのう」
お爺さんお婆さんが笑顔に変わったとき、私の胸の中に暖かいものが溜まっていく気がした。その暖かさは心地よく、自然と私も笑顔になる。
「えへへ」
両手を胸に当てて、その暖かさをしっかりと確かめる。
それだけで、生まれた意味を知ることができるような多幸感に包まれる。
「自慢の我が子じゃな」
「自慢できますか?」
「ああ、北の王都の誰よりも賢く、強く、逞しく育つに違いない」
村だけでは収まらぬ器だと言われ、私は顔を赤くする。
「その背中の翼も直に治り、すぐに絶世の美人となるだろうな」
お爺さんは私の背中を指差す。
服の中にはハーピィ交じりの魔人である証が残っている。南だと目立つので、自分でむしった痕だ。
「もしかしたら、ティティーは混じりの変異種ではなく、『翼人種』なのかもしれんのう。伝承では『統べる王』様も『翼人種』じゃった。特徴がとても似ておる」
二人の話は続く。
そして、少しだけ真剣な表情に戻る。
「ティティー、ぬしは才能の塊じゃ。じゃからこそ、早めに聞いておくことがある」
その急な話に身体が震える。
「ぬしは色々な未来を選択できる。もっと別のところで、その力を磨こうとは思わぬのか? おそらく、何にだってなれる。ヴィアイシアの城のほうに仕えるのも夢ではない」
私の未来についてだった。
その表情から、贔屓目などなく、本当に私は比類なき才能があるのだろう。
だけれど、私にとっては――
「……行きたくないです」
そんな才能、関係ない。
要らない。
それよりも大切なものがある。いま、胸の中にある。
だから、私も真剣な表情で、未来について話す。
「北の街の人たちが悪い人じゃないのはわかってます。孤児院だって、立派なものでした」
一度、北の街までお爺さんとお婆さんが連れてってくれた。そのときには、私の別の道もあった。夢を見て店で住み込みで働く人や、孤児院でたくさんの仲間たちと笑う人。
あれは私のために寄ってくれていたのだろう。
この村だけが全てでないと、優しい二人は教えてくれたのだ。
だけれど、私にとっては――!
「それでも私は『ここ』でいいんです。……『ここ』がいいんです」
それが答え。
その答えを確信できるまで時間がかかってしまったが、いまはもう迷いなんてない。
『ここ』を私の居場所としたい。
そして『ここ』を、いつか、私の墓場としたい。
そう……、思ったのだ……。
けれど、それは拾ってもらった身でありながら、我がままな要望だ。
お爺さんお婆さんにかかる負担や迷惑を考えてない話だ。
拒否されるかもしれない。いや、それが普通だ。
そんな暗い考えが頭の中を渦巻く。
だが、その暗雲はすぐに晴れる。
「――ぬしがそう言うのならば、構わぬ。いや、嬉しいぞ、ティティー」
「ああ、わしら自慢のティティーが『ここ』にいてくれることほど嬉しいことはない」
待っていたのは二人の笑顔。
心の底からの歓待だった。
「ありがとうございます……」
涙がこぼれた。
つぅーっと、暖かな涙がこぼれた。
ちっとも悲しくないのに、いま私は笑っているのに、『ここ』こそ安楽の地だというのに、涙が止まらない。
そんな私の頭をお爺さんとお婆さんは抱きかかえてくれた。
――こうして、私は家族を得た。
長い苦難の旅の末、心地よい世界に辿りついたのだ。
そして、私は二人のために、村でたくさん働いた。
お爺さんとお婆さんに少しでも恩返ししようと、私の持つ才能とやらを限界まで発揮して動き続けた。働きすぎだと、少しだけ怒られたこともあった。
一日、また一日と……暖かな日々が過ぎていく。
ただ、こんなにも暖かい世界だというのに、まだこの物語には続きがある。
忘れてはならない家族がもう一人いるのだ。
ああ、そうだ。
私にはお爺さんとお婆さん――そして、弟がいた。
その弟こそ、三人目の家族であり、最愛の家族。
あの馬鹿弟が現れるのは、確か――……
◆◆◆◆◆
「――お爺ちゃん、お婆ちゃん。こいつ、怪しいのじゃ。」
あれから一年経った。
とても長い一年だった。やっと一年分大人になれたけれど、その遅さにあくびが出そうだった。
いつの間にか、童の背はお爺ちゃんお婆ちゃんに近づいていた。ハーピィは成長の早い種族だが、それでも異様な速度だと言われた。まだ歳は二桁に入っていないと言うのに、大人たちに近い姿となってしまっている。
まるで、『世界』が童を大人にしようと後押ししているかのようだった。
だから、かつての童と同じくらいの背の子供と並ぶと、年の離れた姉弟のように見える。
丁度童のお腹あたりに、そいつの頭はあった。その茶色の頭をぐりぐりと撫でながら、容疑者を突き出すかのようにお爺ちゃんとお婆ちゃんの前に立たせた。
変わり映えのない家の中、足のぐらついている木の椅子に座ったお婆ちゃんは問う。
「それで、ティティー。その子を、どこで見つけてきたのじゃ……?」
「……ちょっと遠くで遊んでいたら、見つけたのじゃ」
「ちょっと遠く――もしかして、南へ行っていたのか? あれほど行くなと言っておったのに……」
「え、えーと、東の隣町へ遊びに行く途中で、ちょーっと南に逸れたかも?」
「はあ……」
あっけなく、童が進入禁止区域まで行ったことはばれてしまう。しかし、そのおかげでこの家に近づいてくる不審人物を捕まえることができたので、どうにかイーブンにして欲しい。
ため息をついたお婆ちゃんは童に追求するのを諦め、汚れた襤褸切れ一枚だけを身に纏った男の子に話しかける。
「大丈夫じゃ。もう安心してよいぞ。ここにおぬしの敵などいない」
「はっ、はい……」
男の子は怯えていた。
その警戒を解くように、ゆっくりとお爺ちゃんとお婆ちゃんは男の子から話を聞いていく。
「まずは名を聞こうか……」
「名前ですか……? わかりません。たぶん、ないんだと思います」
その男の子の言葉には聞き覚えがあった。
それはお爺ちゃんたちも同じのようだ。
「ティティーと同じじゃな。おそらく、似たようなところから逃げてきたのじゃろう」
童と同じで、南から逃げてきた子供……。
もう余り思い出せないけど、いい思い出がないのだけはわかる。
おそらく、この震える男の子も、南で酷い目に遭ったのだろう。そう思うと、少しだけ親近感が湧いた。
そして、童の見ている前で、お爺ちゃんおばあちゃんと男の子の話は進んでいく。これもまた聞き覚えのある話だった。その暖かさで男の子の警戒心を解いてみせ、この村の滞在があっさりと決まる。
かつての童と同じように、ベッドの中で気を失うまで同じだった。
いつも童が使っているベッドを占領している男の子をにらむ。
自分の大切な居場所に異物が混ざったような気がして、口を尖らせて嫌味を言う。
「――でも、こいつ怪しいぞ。すごい怪しい。お爺ちゃん、こんなのを家に入れて本当に大丈夫?」
「怪しさで言えば……、ティティー、おぬしも似たようなものじゃったぞ」
「むむむう」
昔の童を引き合いに出され、何も言い返せなくなる。
そんな私を見て、お爺ちゃんは苦笑しながら童の頭を撫でる。同時に、新たな同居人の男の子も一緒にだ。
「そうむくれるな、ティティー。同郷のものじゃ。よくしてやれい」
「同郷って言われても……」
見知らぬ他人過ぎる。それに童の故郷は『ここ』だと決めている。決して、南は帰るべき故郷ではない。
「いわば、弟じゃな。そうなると、今日からティティーはお姉ちゃんになるということじゃのう」
お婆ちゃんは嬉しそうに新たな家族を迎える。
その言葉は少しだけ童の凝り固まった警戒心を解く。
「おとうと……?」
ぽつりと呟き、もう一度ベッドの男の子を見る。今度は睨むのではなく、好奇の目で見る。
そこには土色の前髪を垂らし、目元から小さな涙をこぼす男の子がいた。
このいつかの自分と似ている男の子が、童の弟……?
その突然な出来事に戸惑う。
ずっと『ここ』には童とお爺ちゃんお婆ちゃんだけかと思っていた。
そこに入り込んできた新たな家族。
――これが出会い。
これから先、長い時間を童の隣で歩く家族との出会いだった。
そして、その翌日の朝。
童は水汲みに出かける。少し肌寒いけれど、この早朝の瑞々しい空気を吸うのは心地よい。拾われた日から毎日、休むことなく行っている日課だ。
ただ、そのいつもに、今日はいつもと違うものが混ざっている。
ぱたぱたと小走りする男の子が後ろを歩いてくる。
「なぜついてくるのじゃ? これは童の仕事じゃぞ、ついてくるでないっ」
振り返り、少し強めに咎める。
すると男の子は困った様子で、ぼそぼそと答える。
「で、でも、お爺様とお婆様は、ついていけって……」
男の子の言葉遣いは堅苦しいままだった。童のときと同じように、お爺ちゃんお婆ちゃんは「堅苦しい」と言ったが、一向に言葉遣いは変わりそうにない。
呪われているかのような言葉遣いだ。
もしかしたら、童のいたところより厳しい場所にいたのかもしれない。
「むむむう」
大好きなお爺ちゃんお婆ちゃんを引き合いに出されれば唸るしかなくなる。童にとってお爺ちゃんお婆ちゃんは神にも等しい地位に存在している。
仕方なく、渋々と同行を認める。
「……邪魔はするでないぞ」
「は、はい!」
男の子は嬉しそうに元気のよい返事をした。そのまま、必死に早足の童のあとをついてくる。
なぜだろう。
大して話なんてしていないのに懐かれている。最初に拾ったのが童だからだろうか。それとも、同郷という話をお爺ちゃんお婆ちゃんから聞いたのだろうか。
この男の子はそれを信じて――……、んー。
「のう、おぬし。名前は本当にないのか……?」
「ないです……」
ずっと、『おぬし』や『男の子』と呼ぶことになるのだろうか。
童は困らないが、本人は困るはずだ。ならば、早めに決めてあげるのがいいだろう。
なんてことを考えて、じっと見つめていると顔を赤くした男の子は逆に聞き返してくる。
「えっと、姉様のほうは……」
「ね、姉様……?」
まだ慣れていないせいか、少しむず痒い。いや、別に嫌なわけではないのだが。
「はい。姉様の名前は何て言うんですか?」
童の名前……それはとてもいいことを聞く。
童には自慢できるものが三つほどある。それはこの成長の早い丈夫な身体と、お爺ちゃんお婆ちゃん譲りの喋り方。そして、名前だ。
「名はティティーじゃ。間違えるでないぞっ、童の名はティティーじゃ。お爺ちゃんとお婆ちゃんから貰った大切な名前じゃからのう!」
「ティティー姉様……。あと、少し気になったんですけど、なんで『わらわ』なんですか……?」
「ふふふっ、かっこいいじゃろう? お爺ちゃんやお婆ちゃんと同じように「わしじゃ」「わしじゃ」と言っておると、少し老けて聞こえて格好悪いからのう! 本を読み漁って、かっこいいのを見つけて借りたのじゃ!」
「……あ、はい。そうですか」
男の子は愛想笑いを浮かべて頷くだけだった。
むむ、反応が悪い。
ノリの悪いやつじゃ。
もっと驚いた反応が返ってくると思っていたが、どうやらセンスは合わぬのかもしれない。ここは「そういうことだったんですね! 流石はお姉様! かっこいいです!!」と手を叩くところだ。
期待していた反応でなかったため、少しだけ頬を膨らませて、のしのしと無言で童は草原を歩く。
そして、いつも通りに川で水を汲む。とはいえ、いつかと違って、協力してくれる仲間の数が違う。ついでにいえば、その協力の質も違う。
川で待ってくれていた協力者たちに、童は声をかける。
「――みな! 今日もありがとうの!」
そこに待っていたのは多種多様な動物たち――だけではない。昆虫や鳥、モンスターと呼ばれるような大型の獣たちも、童の友達として待ってくれていた。
身体の成長に合わせ、動物たちと話す力も増していったのだ。
そのおかげで、運搬の手伝いだけでなく、物々交換までできるようになった。他にも困った事があれば相談に乗ってあげたり、異種間の仲裁もできる。
そういった交流を続けた結果、なぜかこの周辺の動物たちは童のことを崇めだして供え物をくれるようになった。必要ないと言っても、いままでの恩があるからと頑なに何かをくれ続ける。
今日は山の幸がたくさん並んでいる。
むう、今日は魚が食べたい気分だったのだけど……。
でも童はそれを顔に出さず、お礼を言いながら、その供え物を受け取る。これもいつも通り。毎日の日課となってしまっている。
ただ、その様子を見た男の子は、驚き大声をあげる。
「す、すごい……! もしかして、彼らと意思疎通ができるんですか!?」
「うむ。そうじゃ」
「本当に!? その力があれば、一生、飢えなくてもすむじゃないですか!!」
なんだ。大きな声も出せるんじゃないか。
ぼそぼそとしか喋れないのかと思ってた。
「……別に、タダで貰っておるわけじゃないぞ。童が人間でしかできぬことをやって、みなにはみなにしかできぬことをやってもらっておるだけじゃ」
「それでもすごいですよ!」
「そんなにすごいか?」
「こんなこと、聞いたことないですよ! 南にはモンスターたちと話す人なんていませんでした! ティティー姉様の力はすごいです! 生活の根底から覆す力です!!」
お、おぉおう。
よくわからないが、男の子の琴線に触れたようだ。
少しだけびっくりしたが、すごいすごいと褒められるのは悪くない。
うむ、実に悪くない!
「ご、ごほん! ふははっ、当たり前じゃ! お姉様は偉いのじゃぞ! 賢く強いのじゃぞ! 見てみい!」
咳払いのあと、ぱちんと手のひらを叩く。
すると、周囲にいた動物たちが一斉に整列する。
緊急時用の合図を使われたみんなは不思議な顔をしているが許して欲しい。いま姉として、とても重要なところなのだ。
そして、思惑通り、男の子は目を輝かせる。
「す、すごいです……! ティティー姉様!」
「ふははーっ、そうじゃろうそうじゃろう!」
気分よく童は笑う。
そこへさらに、男の子は童にとって嬉しい言葉を言う。
「まるで、伝説の王様みたいです! あの『統べる王』様そのものです!!」
「ぬふふっ、『統べる王』様みたいとな? ああ、よく言われるぞ。あの北の救世主の物語じゃろう? 巷では、その再来と噂じゃ!!」
「『統べる王』様の再来!? かっこいいです!」
「そうじゃろうそうじゃろう!」
なんだ!
悪いやつじゃないじゃん!
流石は童の『弟』!
「本当にすごい……! 同じ南の出身なのに、自分とは全然違う……!!」
「そんなことはないぞ、我が弟よ! ぬしも努力すれば童のようになれるぞ! 何事も努力じゃからの!」
「そ、そんな、なれませんよ……。自分は弱い種ですから……」
すぐに男の子は暗い顔となって、顔を俯けた。
力の差は、種の差であると思っているのかもしれない。
「はて、ぬしは何の魔が混ざっておるのじゃったか……。童はハーピィの変異種じゃ」
「樹人です」
「ド、ドリアード? どこらへんがじゃ?」
ぱっと見たところ、樹っぽいところは一つもない。
「見た目の特徴は全部むしりましたから……。もう隠れてるところだけですね」
そう言って、まず自らの茶色い髪を指差した。本来ならば、そこには樹人としての特徴が生えていたのだろう。
そして、次に服をめくって、隠れている特長を見せようとする。
「そうか。いや、見せんでもよい。ぬしにも色々あったのじゃろう」
その手を握って止める。
童も同じことをしていたからこそ、見る必要など感じなかった。そこには童のむしられた翼と同じか、それ以上に悲惨な傷が残っているだろう。
すぐに童は次の話へ移ろうとする。
「しかし、ぬしは、その――そうじゃ! 我が弟を、ぬしぬしと呼ぶのは、なんだか姉として嫌じゃぞ! ぬしの名前っ、まだ決まらぬのか!?」
「あ、は、はい……。決まりません……」
「自分の好きな言葉を考えるだけでいいのじゃ! 自分そのものを言葉にするだけじゃ! すぐじゃろう!?」
「そんな、自分なんてわかりません。好きなものなんて、ありませんし……」
弟は困ったような顔を見せる。
とはいえ、その気持ちも童はわかってしまう。もし、お爺ちゃんお婆ちゃんに名前を貰えなかったから、同じことを言っていたに違いない。
だからこそ、このまま弟が名無しであるのは耐えられなかった。なんだか、とにかく嫌だった。
そして、自然と口が動く。
「――ならば、主の名は『アイド』じゃ! 良い名じゃろう!?」
「ア、アイド……? どうして、アイドなんですか……?」
「え、え――!?」
聞き返され、言葉に詰まる。
咄嗟に出した名前。それは、ついこの間死んでしまった茶色いくてちっこい動物の名前だ。お爺ちゃんお婆ちゃんが亡き大切なものの名前をくれたので、それを童も真似しようとしたが失敗したかもしれない。
「えっと、その、アイドはここにいる動物たちの先輩の名なのじゃ……。ちょっと前に老衰で死んでしまったから、よければぬしが継いでくれぬかと思ってな……」
やはり、死んだ動物の名前はまずかったか?
でも確か、元々『アイド』は『統べる王』の物語に出てくる男性名だったから、人が使う分にも問題ないはずだ。
「ここにいるみんなの先輩の名……? その『アイド』は……、どんな動物でしたか……?」
「どんな……じゃと?」
「はい、お姉ちゃんにとって、どんな存在だったのか、それを知りたいです」
弟は真剣な目をしていた。
それに応えるため、童も偽りなく『アイド』について語ることにする。
「アイドはこの一年――毎日、一緒に遊んでおった友じゃ。そして、この『統べる王』様の第一の家臣でもあった。初めて、協力者を越えて、魔人である童に付き合ってくれたやつなのじゃ……」
「第一の家臣……」
「ああ、『ここ』で『統べる王』ごっこを始めたとき、小さかった童の心強い味方となってくれた……。そして、死するときまで、ずっと傍にいてくれた……」
振り切ったつもりだったが、その小さな友達を思い出してしまい、少しだけ目頭が熱くする。いまも、この肩に『アイド』が乗っているような気がする。
「アイド……。悪くないです。いえ、かっこいいです……」
そして、弟はその名を噛み締めて、賞賛した。
「か、かっこいいか……?」
「ええ、とても! とっても、かっこいいです!!」
その手放しの絶賛を聞き、童の先ほどまでの不安は吹き飛ぶ。
「ふ、ふふ、ふはは……、ふはははははー! まあ、童のティティーには劣るがのう! しかし、心せよ、弟よ! このアイドの名は軽くないぞ! なにせ、この王国の英霊の名じゃからな! それを受け継ぐことを光栄に思えい!」
「ええ、有難く頂きます! 第一の家臣の称号に恥じぬよう、精進します! ティティー姉様――いや、『統べる王』!!」
「うむ!!」
王の任命というごっこ遊びに、アイドは楽しそうについてきた。
童もアイドも満面の笑みとなって、握手をかわす。
いま、ここに新たな姉弟が誕生した。
その瞬間を祝うため、動物たちが鳴き声で合唱する。
祝福の中、さらに童は気分を良くする。
「ふははっ、今日も民たちの歓声が心地よいのう! そして、信頼できる新たな臣も生まれた! 余は満足じゃ! はっはっはっはっ!」
その絶頂の末、高笑いを響かせる。
そこへ童でもアイドでもない声が入ってくる。
「――ふう。妙に遅いと思えば、面白い遊びをしておるのう。心配をして損をしてしまったわい。なあ、婆さん」
「ティティーには昔話を聞かせすぎたのう……。しかし、王国となれば、わしらは宰相あたりかのう?」
様子を見にきたお爺ちゃんとお婆ちゃんだった。
しかし、もう何の心配はいらない。無事、アイドは童の弟となった。そして、我が王国も順調だ。
「いえ、自分が宰相がやります! やりたいです!!」
やる気満々のアイドが手を上げた。その役に思い入れでもあるのだろうか、なぜか絶対に譲れないという表情だった。
「うむ、ならばアイドに宰相を任じよう! お爺ちゃんとお婆ちゃんは、国の相談役――元老院とかそこらじゃの!」
調子に乗りまくる童だった。
伝承に出てきた偉そうだった役を二人に譲る。
「ふふふっ、わしらは元老院らしいぞ。婆さん」
「ははっ、びっくりじゃの。このわしらが大層な役職をもらってしまったものじゃ」
笑いが木霊する。
透き通る川が光を反射する横で、誰もが眩しい笑顔を見せていた。
それに童は満足する。
「うむ! 今日も童の国は、みなのおかげで明るい!!」
「そうですねっ、『統べる王』!」
弟と童は手を合わせて、この世界を祝福する。
それにお爺ちゃんとお婆ちゃんは苦笑しながら付き合ってくれる。
「ははっ。しかし、あの大人しい女の子が変わりに変わったものじゃ。とんだじゃじゃ馬じゃったな。うちのティティーは」
「これが本来のティティーの性格なのじゃろう。よいことじゃ」
明るい世界だ――
『ここ』は暖かくて、誰もが笑えるようになる素晴らしい場所だ。
新たな家族を迎えて、童の居場所は輝きを増すばかりだった。たった一日でアイドと童の距離はなくなり、すぐに二人で遊ぶようになった。
こうして、童とアイドの物語は始まる――
「――お爺ちゃんお婆ちゃん! アイドと行ってくるぞ!!」
日課を終えた童は、弟を連れて遊びに行く。
「今日は川で泳ぐぞ!!」
「姉様っ、川でですか!?」
「ああ! 明日は何をするかを考えながらじゃ! 時間は貴重じゃからな!」
「は、はい!」
その次は森で遊び、さらにその次は山で遊んだ。
草原で走り回る日もあれば、村の人たちの手伝いに奔走する日もあった。
――これがロード・ティティーの本当の始まり。
英雄譚に記せるような冒険ではない。
そのほとんどが失敗の積み重ねの間抜けな日々。
だけど……、確かに妾にとっては大冒険だった。
どんな英雄譚にも負けぬほどの冒険をした。
川に現れた精霊さんを童の家へ招いたり、北の街に現れる夜の怪異と戦ったり、天を飛ぶ怪鳥たちを手懐けたり、旅の魔法使いに教えを乞うたり、調子に乗って少し都会の方に行って偉い人たちを怒らしてしまったり、人質となってしまったアイドを救うために北の街の拳闘大会に出場したり、北東の大平原に出る翼竜を退治したり――まあ、戦闘のほとんどは無様に負けてしまい、特技の話し合いでどうにか許してもらってきたのだが――それは伝承の『統べる王』様にも負けぬほどの大冒険だった。
それがたった一年の間に凝縮されていた。
アイドという相棒がいてくれたおかげか、一日一日が波乱に満ちていて、一年という月日がとても長く感じられた。何十年もの冒険をしたような気がする。
そう。
子供時代は、毎日がとても長かったのだ……。
そして、また一年後。
『ここ』ですくすくと成長した童たちは、相も変わらない生活を送り続けていた。
ずっと、この時間が続くと信じている童が、今日も草原を駆け抜ける。
いつの間にか、身体は大きくなっていた。
成長が早い童は二桁にもなっていない年で、お爺ちゃんとお婆ちゃんの身体を追い越し、大人顔負けの身体つきとなっていた。
若草色の髪は透き通るかのような翠色に変わり、むしった背中の翼も随分と形を取り戻した。都会で大人と言っても、通用するほどの変貌振りだ。
「――アイド! 東の森で、またあのでかぶつが出たらしいのじゃ! 共に退治へゆこうぞ!!」
ただ、やっていることは子供の頃と変わらない。
もしかしたら、死ぬまで変わらないのではないかと思えるほど、童の内面は一年前と同じで、子供だ。
それに対して、童の相棒のほうは――
「むむ? アイド、どうしたのじゃ……?」
残念ながら、弟のほうの背は余り変わらない。
童の腹あたりまでしかない弟が、家の近くでずっと同じところを見つめていた。
その視線の先にあるのは白い花の木。
ぱらぱらと舞い散る花びらを一つ手にとってアイドは微笑んだ。
「好きなんです。この木」
この一年、アイドは草木を見つめることが多かった。その中でも家の隣にある木を見ている回数は飛びぬけている。
少し童にはわからぬ趣味だ。
「勉強以外のときは、いつもそうしておるな……。自然を愛でるだけとは、欲のないやつ」
「見ているだけでも楽しいですよ? 風で草木も僅かに動くんです。あと、数日前と比べて、どれだけ成長したのかを確認するのも面白いです」
「わからんでもないがのう……」
しかし、限度がある。
童は街や行商人から、本や玩具を買ってもらったことがあるけれど、アイドは一度もない。いつも欲しいものは「この中にない」と言って遠慮している。
「本当にアイドは何も欲しがらんのう……。うーむ……」
これは問題だ。
この無欲にお爺ちゃんやお婆ちゃんも困っている以上、姉として――いや、従える王として黙ってはいられない。
「そうじゃ何でも望みを言え! 童が叶えてやろう!!」
「え、ティティー姉様がですか?」
「うむ! これは褒美じゃ!」
「褒美……?」
「童はぬしの王じゃからのう! この一年、無給じゃったろう!? 王として、これはいかぬと思ってな!」
「そ、そんな! いりませんよ!」
「なぬう、童の褒美は受け取れぬと? それはつまり、宰相をやめるということか!?」
少し意地悪して、強引に追い詰めてみる。
「い、いえ、そういわけでは……。『統べる王』の国の宰相は続けたいです……」
「ならば、早く言ってみろ!」
アイドは困ったような顔を見せて、まず視線を隣の白い花の咲く木に向けた。
そして、そのまま少し視線をずらし、『ここ』の空を見上げた。
どこまで青く澄む空を見て――
「……なら、『いま』、この時間をもっと自分にください」
――願った。
「む、むむう?」
せっかくのアイドの望みだったが、その抽象的過ぎる話に首をかしげてしまう。
「えっと……、ずっと平和に生きていたいってことです。『ここ』で」
「ああ、平和か欲しいというやつか。妾としては、もっとデンジャラーな望みがよかったのじゃがなー」
「いいえ、『統べる王』。自分が欲しいのは平和です。だって自分はこの国のこの村が――いえ、この家が大好きですから」
そう言って、アイドは笑った。
困ったような愛想笑いが多いアイドには、珍しい満面の笑みだ。
それに釣られて、童も笑みをこぼす。
「それは童もじゃ……。童も『ここ』が大好きじゃ……」
「でしょう? だから自分は、『いま』『ここ』さえあれば、他には何もいりません。ですので『統べる王』、どうか自分にこの時間をもっとください」
「ははっ、本当に無欲なやつじゃのう!」
「無欲じゃありませんよ。欲しがってますって、ちゃんと」
「『いま』『ここ』など、無料じゃ無料! 当然の如く、明日も来年も存在するぞ! ゆえに銅貨一枚分にもならぬ! 欲の内になど入らぬ! やり直しじゃあ!」
「そ、そうでしょうか……。自分にとっては金貨よりも大切な『宝物』だと思いますが……」
むむむぅ。
本当に固いやつだ。それはアイドの美点ではあるが、融通の利かないところでもある。
「はぁ、仕方ない! そんなに心配ならば妾が『約束』してやろう! 褒美として、この王が『約束』しよう! この『宝物』――『世界の平和』は妾が守ってやると宣誓しよう! ああっ、ずっと一緒に暮らそうぞ、アイド!」
「ふふっ」
褒美を約束され、さらに嬉しそうにアイドは笑う。
「――はい、『統べる王』!」
切り妻屋根の家の隣、白花の散る草原の上。
両目を限界まで細くさせて、高潮した頬を膨らませて、半月の形になるくらい口を大きく開けて――笑って、答えた。
その過去最高の満面の笑みに満足し、童はアイドの手を引く。
「よし! では、ついてこい! 今日は東へ行こうぞ!!」
「ええ、お供します!」
そして今日も、木影から二人の童が飛び出す。
次なる遊びを楽しむため、全力で草原を駆け抜ける。
駆けながら、童は空を見上げる。
濃厚で深い青色が、最果てまで広がっている。
そして、その空にはフワフワの白い雲がたくさん浮かんでいる。その中央に、丸っこいお日様が燦々と輝いている。ぱぁっと眩い光が広がり、光のわっかが飛んでいる。
そこへ透き通るかのような風の音が、すーっと耳の中を通っていく。
下は見なくても、その綺麗な音楽のおかげで、地面の様子がよくわかる。
風が草と草の間を縫って、さらさらとした音が鳴っている。不規則に草が揺れて擦れて、自然の旋律を奏でているのだ。
いま、童は広大な草原の絨毯を走っている。
寝転んで、手足を伸ばして、んーっと欠伸したくなるような広い広い草原だ。
自由の風となって、どこまでもどこまでも遠くへ行ける気がしてくる。
心がフワフワと天高く浮かび上がりそうだ。喜びの感情がぱぁっと弾けては煌いて、いまにも風の音に合わせて歌い出したくなる。
そして、走り続ける内に、少し息がきれてくる。
けれど、全く苦しくはない。
はあはあと吐きだす息が爽快なのだ。たらたらと汗を垂らして、とくんとくんっと心臓の音が速まるのも清々しい。
ああ、気持ちがいいな……。
『ここ』はとても気持ちがいい……。
――そう。
『ここ』だ。
『ここ』こそが童の本当の居場所。
そして、童の人格を構成した場所。
この先、孤児院や城で何百年という時を過ごそうとも、『ここ』だけが童の家であり、故郷だ。ゆえに『ここ』で学んだ全てが価値観で、『ここ』で得た全てが信念となった。
忘れたくないと思っていたのに、生きるにつれて忘れていってしまった……。あんなに必死に探していたのに、この本当の『楽園』から遠ざかり続けていただけだった……。
最も遠い……けれど最も暖かい記憶。
このときのアイドは、まだ童を遊びの張りぼての王だってわかってくれていた。
まだ童は子供で、大人のお爺ちゃんおばあちゃんが守ってくれていた。
それはとても安心できて、とても楽しい日々だった。
これが私の宝物。子供の頃に見つけた『綺麗な石』の世界。
そして、二度と手にすることのできなかった本当の『宝物』。
……もうわかっていることだが、この世界は長くは続かない。
すぐに、あの『統べる王』の英雄譚が始まってしまうからだ。
書物にすれば「南が魔人狩りを理由に侵略してきた」という一文によって、この『綺麗な石』を童は穴に落としてしまう。
あれは北の街までアイドと二人で遠出したときの帰りの出来事。
あの草原が炎に呑まれているのを見る。
……思い出すだけで辛い。
けれど、辛いからと、これだけは忘れてはいけなかった。何があっても忘れてはいけなかったのに忘れてしまったのは、その現実を認めたくなかったからだろう。そんな『過去』はなかったと逃げたかったからだろう。……やはり、童は子供だ。
村は倒壊していた。
南からやってきた兵たちによって、我が家は灰になり、村の魔人は殺され、森のみんなは食われ、あの草原が地獄と化していた。
魔人の死体の山の中には、お爺ちゃんお婆ちゃんの姿もあった。
それを見て、アイドは叫ぶ。
「お、お婆ちゃん!?」
「だ、駄目じゃ、アイド! 出れば死ぬ!!」
姉としての責任感からか、童は冷静さを少しだけ保っていた。
童だってお爺ちゃんもお婆ちゃんを助けたいと思った。けれど、もう手遅れであることを姉である童は理解していた。
弟の手を引いて、近くの茂みに身を隠す。
「こ、怖い。怖いです、姉様。一体、何が起きているんですか……?」
震えるアイドを励ます。それしかできなかった。
「大丈夫じゃ、アイド。童がいる。この姉がいるのだから、何も心配しなくていい」
――これが始まり。
「姉様がいる……。あの姉様が『ここ』にいる……」
「ああ、そうじゃ! いつだって童が何とかしてきたじゃろう!?」
「はい、姉様は強いです……。誰よりも強くて賢い……。自慢の姉様です」
「アイドの言うとおり、童は強い。誰よりも強い。あの伝説の再来じゃぞ? だから――」
「本当に姉様は誰よりも強いんですか……!? 本当に、あの伝説の『統べる王』のように……?」
――弟が期待して。
「……と、当然じゃ。童に任せよ。あの程度の雑兵ならば、相手になどならぬ」
――それに姉が応えて。
「……よ、よかった! 『統べる王』がいれば安心です! だって、『統べる王』は北の救世主様! 南のやつらになんかには負けない! 誰よりも強い王様なのですから!!」
――二人で『統べる王』を創る。
「ああ、そうじゃ。童は強い。誰よりも強い『統べる王』なのじゃ……!!」
そう言って、童は立ち上がる。
アイドを茂みに残して、敵の待つ燃え盛る戦場へと歩き出す。
これが英雄譚ならば――自らが『統べる王』であることを宣誓し、その圧倒的な力をもって復讐を成し遂げた――となるが、現実は違う。
確かに童は強かった。
ただ、この年にしては、辺境の村娘にしては……だ。
勝負になるはずがない。
けれど、アイドは信じていた。
姉ならば何とかしてくれると信じていたのだ。
ならば、姉として行かぬはずがなかった――!
「いま、みなを助ける! 待っておれ――!!」
だから、叫んでしまった。
復讐せんがために挑戦してしまった。
これが英雄譚ならば――ただの人では『風の理を盗むもの』に敵うはずもなく、自由の風の力によって全ての兵は切り刻まれた。そして、その一帯を一時的にだが南から取り返してみせた――なんて書かれるが、これも違う。
本当は死んだのだ。
負けてしまったのだ。
童は強くなんかない。
千の兵たちを相手にするには、まるで力が足りなかった。
それなりに粘ったものの――殺された。
両腕を斬り落とされ、心臓を潰され、体中を矢で穴だらけとされ、失血死した。
「て、手こずらせやがって、この女……」
敵兵は童の死体に唾を吐く。
それを見て、とうとう耐え切れなくなったアイドが茂みから飛び出してしまう。
「――ロ、『統べる王』!!」
「まだいたのか……。うるさいガキだ。この女の親族か?」
「姉様っ、立って下さい!! 姉様は王様なんですよね!? 誰にも負けないっ、伝説の『統べる王』なんですよね!?」
「ああ……。姉が死んで、狂ったか……?」
「違う! 死んでない! 『統べる王』は死なない! だって、自分に褒美をくれたんだ! 約束してくれたんだ! あの『統べる王』が、それを果たさずに死ぬわけない!!」
「とりあえず、ガキのほうは連れて行くか。ぐちゃぐちゃとなった女と違って、こっちは売れそうだ」
死んでいるはずなのに――確かに、その会話を童は耳にした。
地べたに転がった死体の耳が、それを聞いていた。
アイドは連れて行かれる間も、ずっと童を『統べる王』と呼び続けているのを――その期待の声を耳にしてしまった。
だから、魂だけとなっても、この身体は打ち震える。
――弟が信じている。
たったそれだけのことで、童が世界の理に挑む理由には十分だった。
その期待に応えるため、魂が限界を超えようとする。
その見栄と強がりを本物にしようと、死体でありながら世界の法に懇願する。
――頼む。
心臓よ。潰れててもいい。
けれど、少しの間だけ、動く振りをしてくれ。
そう言って、ゆらりと立ち上がる。
かの『統べる王』よ。存在しなくていい。
けれど、少しの間だけ、その伝説の魔法を使わせてくれ。
そう言って、風を操る。
そして、命よ。なくてもいい。
けれど、少しの間だけ――!
――弟を助けるため、童に戦わせてくれ!!
そう誓い、世界から理を盗む。
不幸にも、その才能がティティーという少女にはあったのだ。
そう。
不幸にも、『ここ』で死ぬことができず、『理を盗むもの』になり、大切なものを『代償』に失っていくことになる。
「泣くでない、アイド……。童は誰にも負けぬ……」
死体の口を動かして、童は喋る。
それを聞いた去り際の兵たちが振り返る。
ぎょっと目を見開いていた。まるで、ゾンビにでも遭ったかのような表情だ。
「控えろ、下郎。統べる王の前ぞ」
燃え盛る草原を背に、心臓がないのに動く血まみれの少女が、尋常ならぬ風を纏って立っているのだ。
そんな表情になるのも仕方がないかもしれない。
その間抜けな兵の顔を見て、くすりと童は笑う。
「ば、化け物……! なんだこれは……、なんなんだこいつは……!!」
「なんで、動いている!! 穴が空いているだろう! 心臓に穴が!!」
「うぅあああっ、ぁああああああっ――!!」
そして、兵たちは半狂乱しながら、『統べる王』に挑む。
それを悠然と童は迎え撃つ。
迎え撃ちながら、弟――いや、我が国の宰相の願いはしかと覚えていることを口にしていく。
詠み唱えるかのように誓う。
「――安心せよ、宰相アイドよ。この『統べる王』が守ろう。お爺ちゃんとお婆ちゃんの愛していた村を守ろう」
叫びながら斬りかかってきた兵を、風の刃で斬り返す。
血の雨が降った。
「――何より、童の愛するおまえを守ろう」
遠方から矢の雨が降る。それを全て風で払い、逆に風の矢の雨を降らせて、弓兵を鏖殺する。
その異常な光景を前に、兵たちは逃げ出そうとする。
しかし、その全てを童は背中から風で切り裂いた。
まさしくそれは英雄譚の一文――ただの人では『風の理を盗むもの』に敵うはずもなく、自由の風の力によって全ての兵は切り刻まれた――と呼べる光景。
そのご都合主義の逆転劇の果てに童は叫ぶ。
「童――いや、『妾』は大陸を支配する翼人の王! 最古の魔血を引きし末裔、この世全てを統べる王っ、『ロード』! ぬしらのような塵芥どもに敗れる道理などない!!」
こうして、『統べる王』の物語は始まる。
遊びの王様が本物の王様に至る戦いが始まり、少女ティティーの時間は『呪い』によって止まる。
これが忘却していた子供時代の全て。
このあと、この虚偽の王は窮地に陥った北の民に担ぎ上げられる。そして、ままごとで始めただけの子供の王様が何十年も国に君臨してしまい、その無理が祟って北は崩壊。その果てに『統べる王』は南のノスフィーに殺される。しかし、『理を盗むもの』である呪いから死ぬことさえできず、地の底で千年も王を強制され――魂が壊れる。
これが童の全て。
本当の全て。
やっと、思い出せた……。
童の探していた楽園は、焼き払われてしまった切り妻屋根の家。
童の求めていた家族は、お爺ちゃんとお婆ちゃん、そしてアイド。
童が王となった理由は、たった一人――アイドを守るため。
そうだ。
『楽園』は『ヴィアイシア』じゃない。
『家族』は『国民』じゃない。もちろん、ライナーでもカナミでもない。
『王』となったのは『国の平和』なんて大層なもののためじゃない。
『統べる王』は『いま』『ここ』を守るために生まれたのだ。
それは国なんて大層なものじゃなくて、もっともっと小さな世界。
老夫婦二人が見守る中、子供二人が走れる程度の広さの草原のため。
この子供時代の草原が全てだったのだ――
――なのに。
それを誰にも言えなくなり、追い詰められ、抱え込んで、痩せ我慢してしまった。
きっと、それはお爺ちゃんとお婆ちゃんの教えが影響していたのだろう。助ける力があるのに、同胞の魔人を助けなかったなんてこと、天国の二人に報告したくなかったのだ。
そして、際限なく削れていってしまった。
けれど、ちゃんとその苦しみをアイドに説明していれば、あの結末は避けられたはずだ。渦波でなく、弟が最大の理解者になってくれたはずだ。しかし、くだらない姉としての見栄がそれを邪魔してしまった。
一言、童は『統べる王』の振りをしているだけの子供だと弟に告白していれば、それだけでよかったのだ。それだけで王でなく、ただの子供に戻れたはずなのだ。
なのに、できなかった。
――だから、童は無欠の王という期待を否定しなかったことを、何よりも後悔している。
ああ、やっとわかってきた……。
童の根底にある未練が……。
それは言葉にすれば簡単なこと。一言だ。
全ての人からの全ての期待を否定し、あの頃と同じ軽い身体に戻って、そして――
――帰りたい。
もう焼き払われたなくなってしまったあの家に――アイドの言った金貨よりも貴い『いま』『ここ』へ――帰りたい。
童に期待してる全てを裏切って、何もかも捨てて帰りたい。
それが妾の――いや、ティティーという少女の本当の望み。
ああ、千年『ここ』で遊んでいても辿りつけないわけだ。
童の未練は――!
あの白桜の隣にある切り妻屋根の家に帰って!
お爺ちゃんお婆ちゃんに「ティティー」と名前を呼んで欲しい!
アイドからは『統べる王』でなく「姉様」と呼んで欲しい!
あの心地いい風の吹く草原に帰って――また、全力で駆け抜けたい!!
ああ、そうだ! ずっと童はあそこへ帰ろうとしていたんだ!
なのに!
それがどうだ!!
童は迷子になってしまって、こんなところまで落ちてきてしまった!!
一体、『ここ』はどこだ!?
――目を見開く。
目に飛び込んでくるのは六十六層の裏にある空間。
童の全てを現す五十層の世界……空っぽだ。
見上げても青い空もふわふわの白い雲なんてない。
あるのは虚無。人の世とは思えない空間。
奈落の底、永遠の牢獄、現世の地獄とでも呼ぶべき世界。
お日様どころか、光すら一筋も入り込みやしない。
深すぎる闇に心が沈み、悲しみの感情しか湧いてくれない。
当然、自由の風なんて少しも吹きやしない。
それどころか、空気すら薄い。いまにも息が止まってしまいそうだ。
だから、耳を澄ませても、風の音なんて聞こえない。
聞こえるのは世界崩壊の悲鳴だけ。絶命の音が、ずっと木霊してる。
ここには何もない。何もないから、どこにも行けない。
その事実に身体が凍える。冷たい。寒い。
ああ、狂いそうだ。吐きそうだ。
はあっはあっと吐き出す息が血生臭い。どくどくどくっと心臓が破けそうなほどに鼓動する。その匂いと鼓動が、不安で不安で堪らない。
ああ、気持ちが悪い……。
『ここ』は最悪だ………。
迷って迷って、必死に生きてきた結果、こんなところまで来てしまった……。
違う。
童が目指していたのは、決してこんなところじゃない。
草原だ。
なのに、なんで――!
「なんで……?」
声が出る。出てしまう。
「なんで……、こんなところまで……!」
そして、『妾』は首を振る。
こんなところ!
こんなところまで、こんなところまで、こんなところまで!!
「こんなところまでぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええエエエエエエエエエエエエエエエエ――――――――――!!!!!!!」
その声は、まるで柔らかい心の潰れる音に似ていて、
骨肉が二度と治らぬまで断裂していく音にも近くて、
断末魔の叫びであって、死後の呪詛でもあった。
――一言で言えば、悲鳴。
「うぁあああっ、ぁああアアアアッ、あアアアアああアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああアアアアあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあアアアアアアアアあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアああアアアアアアアアアアああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアア゛ア゛ア゛アア゛ア゛アアア゛ア゛ア゛アアアア゛ア゛アアアア゛ア゛ア゛アア゛ア゛アアア゛ア゛ア゛アアアア゛ア゛――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!」
溜め続けた悲鳴が迷宮に響く。
それは千年と百十一年分の『悲鳴』だった。




