216.誓い
崩落中の屋敷に《コネクション》は置けない。障害物が間にあるせいで《ディフォルト》も使えない。走るしかない。
全速力で広い玄関を走り抜けた僕は、すぐさま屋敷内の中心で魔法を発動させる。
「――《ディメンション・多重展開》!!」
《ディメンション》を屋敷だけに集中させて、人探しに特化させる。
魔力を豪快に消費することで、すぐにライナーの姿は見つかった。物置に使われている一室の隅に、彼は倒れていた。寒さから守るように、レイナンドさんの大きめの外套を毛布のようにかけられてある。
ただ、倒壊の振動で、いまにも周囲のものがライナーの上に倒れ落ちそうだ。
揺れる地面に悪戦苦闘しながらも全力で走り、その物置まで辿りつく。そして、部屋に入ると同時に叫ぶ。
「ライナー! 起きろ!!」
毛布となっていた外套を手に取って、露となった頬を叩く。急いでいるため、遠慮はない。殴打に近いビンタだった。
頬を真っ赤にしたライナーは、顔をしかめながら上半身を起こす。
「い、痛っ!? キ、キリスト……? なら、ここは……?」
「悪いけど、話をしてる時間はない! レイナンドさんが危ない! すぐに助けに向かって、地上へ戻るぞ!!」
要点だけを伝え、ライナーの手を握って立ち上がらせる。
「……あ、ああ。くそっ、そういうことか。また助けられたのか、僕は」
詳しいことはわからずとも、それだけは確信したようだ。
だが、後悔している暇などないことは状況から察してくれたようだ。特に抵抗はなく、僕の指示に従ってくれる。
「いま、玄関でレイナンドさんが戦ってる! まずはそっちに行く!!」
ライナーを引き連れて、来た道を戻る。
倒壊が進み、いたるところで天井や壁が崩れ始めている。ときには廊下が瓦礫で通行止めにされているところもあったので、《ディメンション》で最短ルートを割り出していく。
駆けながら、屋敷内の状況を把握する。
それはつまり、玄関ホールで戦うレイナンドさんとベスちゃんの戦いの様子がわかっているということに他ならない。
まだ戻るには時間がかかるとわかっているのに、際限なく激化する殺し合いを、ずっと僕は見せられている――
――ヴォルス家のエントランスで大量の赤い火花が散る。
一瞬で終わらせると宣言し合った二人の戦いは、初手から苛烈を極めていた。
一呼吸の間に、火炎属性と地属性の大魔法が飛び交い、焔をまとった剣と斧が所狭しと振り回される。
レイナンドさんもベスちゃんも共に歴史に名を残した猛将、そのレベルは人外の領域、地上ならば問答無用の化け物だ――その全ての攻撃に、屋敷一つ吹き飛ばすほどの威力があった。しかし、いまだに玄関ホールは原型を保っていた。なぜならば、同じ属性による同じ力の一撃の応酬ゆえに相殺が多発するからだ。ぶつかり合う溶岩の塊は宙で霧散していた。
相殺に続く相殺が、周囲の被害を最小限にとどめている。
その異常な状況に、ベスちゃんだけが疑問の声をあげる。
「な――、なんであなたが私と同じ魔法を――!?」
「同じ血なのだから当然だ……」
苦渋の表情を浮かべるベスちゃんと比べ、レイナンドさんは淡々としていた。
その敵の余裕にべスちゃんの苛立ちは増していく。
「私と同じ血!? 何を戯言を! この血を継ぐものなんて、もう世界のどこにもいません! この私だけが、あのヴォルスの血を継いだのだから――!!」
「ああ、知っているとも。息子たちではなく、孫であるおまえがわしの血を最も濃く継いでしまったことはな。だから、千年後も、わしら二人だけがこの屋敷に残ってしまった……!」
答えながらも、レイナンドさんは殺人的な魔法を構築し続ける。
淡々と、ただ終わらせにいっている。相手が孫娘だからと手加減する気なんてないのが、その身の魔力からわかる。
一撃必殺の嵐の中、二人は叫び合う。
表情は対照的な二人だが、両者共に叫んでいなければ息もできないようにも見える。
ただただ、苦しそうだった……。
「そう! 私の血は濃い! そして、この血のせいで、私には誰もいない! みんな戦争が奪っていったんだ! 家族もみんなっ、この『ヴォルス』なんて役割のせいでえぇええ――!!」
「ああ、それも知っている。いや、死してから、やっと知れた。全てわしのせいだと……!」
苦しむとわかっていても、べスちゃんの口数は減らない。
当たり前だ。視ていればわかる。
ベスちゃんは気づきかけているのだ。
この戦いで、薄らとだが目の前の人物が誰かわかりかけている。
だから、訴えている。それに祖父であるレイナンドさんが答えないわけがない。
「私は一人残った! 寂しかった! けど、それ以上に怒りがあった! 私から奪っていった全てを恨んでっ、騎士になって、たくさんの敵を殺して一杯一杯がんばった! なのに、周りのみんなは私を裏切って去っていった! 逃げた! 結局は最期、一人になって――、一人で死んだ!! そんな人生にっ、もう怒りしか湧かない――!!」
「ああ、それも知っている――!」
正直なところ、二人の言葉の応酬を僕は正確に理解できていない。そのベスちゃんの怒りを、千年前の始祖カナミならば正しく理解できるのかもしれないが、いまの僕には千年前を知る二人だけにしかわからない何かがあるのだと薄らとわかるだけだ……。
それが――歯がゆい。
極まっていた苛烈さが頂点に近づいていく。
余波だけで耐え切れなくなった玄関ホール。
もうどちらのものかわからなくなった地と火炎の魔力が、空間一杯に満たされていく。
「けど、いまなら『ここ』に団長様がいる! 怒りをぶつけられる相手が帰って来てくれた! やっと燃え尽きて、この『地獄』から消えられると思った! ねえっ!? 私たちを裏切った団長様に責任を取ってもらうのが、そんなにいけないことなの!? 私は間違ってない! 絶対に間違ってない! 団長様には贖罪の義務がある! だから! そこをどいてよぉおおお! お爺ちゃん――――!!!!」
「そうはさせん! たとえ、坊主と言えども、その役目だけは譲れん! レイナンド・ヴォルスとして、それだけはな――!」
お爺ちゃん――レイナンド・ヴォルス。
名前が告げられたことで、戦いが終わりに近づいていく。
二人は距離を取り、己が最も信じる魔法を構築し始める。
それもまた、当然のように、同じ詠唱の同じ魔法で――
「――『奮え、吼え続ける焔』! 『焦土を駆け抜ける魂』!」
「――『奮え、吼え続ける焔』! 『焦土を駆け抜ける魂』!」
だが、紡がれる魔力の質がまるで違った。
敵を燃やそうとするベスちゃんの魔力に対し、レイナンドさんの魔力は自らも含めた全てを燃やす。
ベスちゃんは勝つために全魔力を振絞っているが、レイナンドさんは相打つために全生命力を振絞っている。
『表示』がなくともわかる。それを僕は知っている。
レイナンドさんの最大HPが削れ、削れ、削れていき、濃い魔力に換わっていく。
消失するモンスターのように、身体が光の粒子となって解けていく。
その魔力は魂の輝き。最期の灯火の輝きだ。
「――《フォールブレイジング》!!」
「――《フォールブレイジング》!!」
二人の身体が赤く発光した。
熱のこもった魔力が身体能力を限界まで引き上げようとしているのだろう。そして、その余熱が焔となって全身に纏われる。《フレイムフランベルジュ》のように、自らを刀身に見立てて、どこまでも二人の力が強化されていくのが見て取れる。
そして、続く突進は獣よりも速く、砲弾のように荒々しかった。
まず、駆け出す脚力が違う。
ニトログリセリンを思い出せるかのような爆発的加速で、二人は同時に駆け出した。
次に、武器を奮う腕力が違う。
いまにもぷつりと切れそうなほど、両者の腕の血管が浮き出ている。
そして、身に纏った熱量が違う。
武器が打ち付け合われ、お互いの焔がお互いの身体を蝕んだ。
ベスちゃんもレイナンドさんも、選んだ攻撃は体当たりにも似た全力の袈裟斬り。
魔法もタイミングも同じだった。
だが、拮抗することはなかった。一瞬で勝敗は決した。
単純に魔力の質の差だった。
確かにベスちゃんの魔力は全身全霊のものだった。だが、命を燃焼させたレイナンドさんの魔力と比べてしまえば劣っていると言わざるを得なかった。
その結果、まずベスちゃんの剣が砕け散る。
散る破片をレイナンドさんは少しも避けようとせずに身で受け、大斧をベスちゃんの肩口にえぐりこませた。
心臓まで達した斧の刃は、間違いなく致命傷だった。
べスちゃんの身体から力が失われる。それでも、まだレイナンドさんの勢いは止まらない。
ベスちゃんの身体ごと、レイナンドさんは突き進み、玄関ホールの壁をぶち破り、庭へと飛び出た。そして、壁一つ挟み、数十メートル駆け抜けたところで、ようやくその勢いは止まる。
レイナンド家の庭の中央で、二人の戦いは終結した。
死の間際のベスちゃんは口から血を溢れさせ、くぐもった声で問う。
「お爺、ちゃん……、なんで、なの……? な、んで……――」
「すまなかった、ベス。おまえの最期に誰も傍にいてやれなくて。今度はわしが一緒にいてやろう。全て、いまさらだがな」
「あ、ああぁ……、ぁああぁあアアアア…………!」
敗北したベスちゃんは、その両目から涙を溢れさせた。
それをレイナンドさんは見守り続けることしかできない。
もうあとは消えていくだけ――
「おまえに触れるのが、ずっと恐ろしかった……。何をしようと、その怒りを晴らすことはできぬとわかっておったから、見守ることしかできなかった……」
「あぁあ、あぁあああ、ぁあああアアァアアアァアアア゛ア゛――――!!!!」
この終わりに、ベスちゃんは納得できないのだろう。不満と悔いばかりが残っているのだろう。
子供のように泣き続け、その慟哭に合わせて身体が光の粒子に転換されていく。
少しずつ身体は薄まっていき、消失が近づいてく。
それを抱きしめながら、レイナンドさんも目を瞑る。自分も光の粒子となっていくのを抵抗なく受け入れようとする。
「ああ、わしらを許す必要などない……」
祖父と孫の戦いは終わった。
本当に一瞬の戦い。永きに渡っていたはずの二人の最期は、あまりにあっけなさすぎた。
もう歯がゆいどころではない。こんな終わり、僕が納得できない。
「レイナンドさん!!」
ようやくここで、僕とライナーはエントランスに戻ってくる。
そして、崩れきる直前の屋敷から外に飛び出て、飛び散った火の粉によって燃え出した庭に入り、消えいく二人の傍まで走り寄る。
全力で走った。
屋敷では一度も道に迷わなかった。
考えられる限りの最善手を取り続けた――つもりだ。
けれど、足りなかった。間に合わなかった。
屋敷の中から現れた僕たちをレイナンドさんは見つけて、安堵の表情を見せた。
対する僕は真逆だ。目の前の光景を受け入れきれず、顔を歪ませている。
呆然とする僕を置いて、ライナーは回復魔法を発動させながら二人に近づこうとした。だが、レイナンドさんは首を振って、それを拒否する。ライナーは無言で頷いて、足を止めた。
もう手遅れであるとレイナンドさんもライナーもわかっているのだろう。
別れの時を迎え、最後の言葉をレイナンドさんは遺そうとする。
「坊主……、いや、『渦波』。見ての通りだ。ようやく、わしは消えられる。やはり、過去は何も変えられなかったが……。それでも、おおむね満足しておるよ。二度目の終わりは、孫と共に在れたからな」
こんなことになっても、レイナンドさんは優しく笑っている。
満足してる――だから、僕は何も気にしなくていいとでも言うのだろうか。だから、この終わりで構わないとでも言うのだろうか。
「あ、ぁあ、あぁああ……、そんな……」
そんな風に思えるはずなんてない。
二人は家族だ。
もっともっと。
もっともっともっともっと、たくさん話すべきことがあったはずだ。
なのに、こんな最期で二人は死に別れるのか?
あんな会話の末に?
「いい。わしは満足しとる。もう心残りは――……いや、一つだけあるか。『ここ』にはわしの娘同然で、この孫娘と同じ悩みを持っている少女が、まだ一人いるな。……ああ、『ここ』に、あれはまだ独りいるのだ」
少しずつかすれていく声。
死の間際になっても、変わらずレイナンドさんは自分でなく、他人の心配をしていた。
「いまとなっては、あやつだけがわしの……、……――」
もう時間はないのに、レイナンドさんは続く言葉を詰まらせた。
困ったような表情になって、一拍の時間を置いた。
「――渦波。あれは置いて、早く地上へ逃げろ」
そして、「逃げろ」と遺言を区切る。
「で、は……、さらばだ……」
そして、そのしわがれた顔が歪ませ、目が細めて、別れの言葉を告げた。
その言葉と同時に、レイナンドさんとべスちゃんの二人の身体は光の粒子になり終える。
『魔石』ではなく光の粒子になった。
揺らめく光が空高く舞い上がっていく。
ここにあった魂が遠く離れていく。
遠い遠い暗い空の果て――黒き天上の星になっていく。
咄嗟に少しの光の粒子に手を伸ばして掴んだが、すくいとった水のように手からこぼれた。それを見て、その消失をとどめることは不可能であると悟る。
「き、消え、た……? いや、死んだ……?」
宙で手を握りしめたまま、僕は疑問の言葉を口にする。
元々、二人は魔石から再生された存在だ。そして、その魔石すら残されず、粉々の粒子となってしまったのだ。
その終わりを表現するには何が適切かもわからない。ただ、死よりも恐ろしい終わりを迎えたのだと、直感的に思った。
混乱しながらも、その現実を受け入れるために現状を確認する。
レイナンドさんの遺言の終わりは途切れていたが、最後まで告げられずとも僕にはわかった。いつだって、レイナンドさん自分のことではなく他人のことを心配していた。「あれはまだ独り」、おそらくはロードのことだろう。
ロードを頼むと言いたかったに違いない。
けれど、それを途中で呑みこんだ。僕に負担をかけさせないために。
きっとレイナンドさんの心配していた誰かには、僕やライナーも含まれている。つい最近出合ったばかりの小僧二人までも、心配してくれていたのだ。
その情の厚さを感じるのに合わせて、その優しさの消失も痛感していく。
つい昨日まで仲良く喋っていた。一緒に地上へ行くって約束までしたのに……、それでも死んでしまった。なまじ魔法や迷宮に詳しくなったからこそわかる。――もう二度と還らないと。
「ぁあ、ああ、くそ……。まただ……」
思い出す直近の光景は、ハイリの姿。
パリンクロンと心臓を貫きあった後、死んでしまった少女の表情。
また大切な人を喪ったと理解し、膝を屈しそうになるのを、なんとか耐える。
もしも、スキル『最深部の誓約者』がスキル『???』のままだったならば、また暴走していたかもしれない。そう思えるほどの息苦しさに襲われる。
だが、僕は膝に力を入れ直して、一歩前に踏み出す。
もう僕は以前と違う。
スキルを使わずとも、このくらいならば、まだ前に進めることができるはずだ。
「泣くな、腐るな……! 足を止めるな……! 早く地上へ……!!」
自分を奮い立たせる。
足を止めてはいけない。
そして、早く逃げないといけない。
ライナーを連れて、地上に向かわないといけない。
早く――、早く地上に行こう。
いま僕にできることは迅速に動くことだけだ。「逃げろ」と言ったレイナンドさんの遺言もある。それを果たすため、早く地上まで逃げて、アイドを連れて戻って――ロードを説得してもらって、なんとかノスフィーとも話をつけて、それで――それで……――
「――違うだろ……!」
意思を奮い立たせた先、ぽつりと口に出たのは否定の言葉だった。
その否定を一度口に出してしまえば、もう止まることはできない。両手を振り下ろして、力を入れ直したばかりの膝を叩く。
「僕は馬鹿か! もうわかってるだろ! そうじゃない! 逃げても何も変わらない! 僕のやるべきことは、そうじゃないだろうが!!」
さっきのべスちゃんの叫びが聞こえなかったのか? あの中には僕の名前があっただろうが! あれを聞いて、まだ見ぬ振りするのか――!?
五十層でノスフィーから逃げてっ、玉座の間でロードから逃げてっ! 千年前の北の人々の叱責からも逃げ、ベスちゃんからも逃げてっ、逃げて逃げて逃げて! ――それでどうなった!
こうなった! もし僕がベスちゃんから逃げていなければ、レイナンドさんがこんな終わり方を迎えることはなかったんじゃないのか!?
おそらくだけど、千年も僕は逃げたんだ。
『ここ』を置いて逃げたのは間違いない。
それを千年経ったいま、繰り返していては駄目なんだ。
『過去』と同じことをしていては何も変わらない。それどころか、喪うと、いまのを見て痛感した。
僕が逃げれば逃げた分だけで、違う誰かがその負債を払う! それを黙って見ているだけか!? 地上でのハイリの死から何も学ばなかったのか、僕は!?
なにが――「いま僕が出来るのは、一刻も早くこの『ヴィアイシア』を元に戻して、みんなを平穏の世界に戻してあげることだけ」――だ。
そうじゃない。そんなことない。そんなの、ただの怠慢だった。
ああ、やっと気づいた。
「ロードのことを頼まれたのは僕だ……! アイドこそ、いまの『ここ』には関係ないだろうが……!!」
最初、レイナンドさんは僕に頼んだ。
アイドではなくて相川渦波に頼んだ。
「誰かじゃない……! 僕がやらないといけないことだったんだ……! この『千年前のヴィアイシア』で決着をつけるべきなのは僕! 僕だったんだ!!」
――「アイドを連れてくる」
そう言い訳して、ただ地上に逃げたかっただけだ。
アイドとロードを引き合わせて、それでやるべきことはやったと他人任せで終わりにして、本当に解決すると思っていたのか?
そもそも、この問題を地上にまで持ち込んで、また仲間たちに迷惑をかけるつもりだったのか?
――「千年前の記憶がない」
だから自分には無関係だなんて、本当にそう思うか?
レイナンドさんもロードも、僕だけを見て、僕と話していた。
『ここ』の人たちもベスちゃんも、僕だけを追いかけて、僕を呪っていた。
彼らにとって、僕の千年前の記憶がないなんて関係ない。ずっとずっと、僕に全力で訴えかけていた……というのに、それを僕はどこか他人事のように見ていた。
あれは全部、僕のこと。僕の話だったのに――!
「千年前にいたのは僕で、『ここ』に来たのも僕だ! そして、『ここ』でレイナンドさんと会ったのも、ベスちゃんと会ったのも、ロードと会ったのも、ノスフィーと会ったのも全部僕だ! なら、『ここ』の『試練』を受けるべきなのは僕で、他の誰でもないのに!!」
確かに、身に覚えのない罪に責められるなんて、理不尽すぎる話かもしれない。
だが、もう僕は知ってる。元の世界のときも異世界のときも変わらない真実だ。どこの世界でも、そんなものなのだ。理不尽ばかりなものだ。
でも理不尽だからって現実から逃げていては、もっと苦しい現実へ落ちていくだけ。
それを知っている。
「ああ、逃げても解決なんてしない……! きっと、前も、しなかったんだ……! だから、『ここ』ができた……!!」
そんな単純な事、最初からわかっていたはずだ。それでも地上に逃げようとしたのは『ここ』の本質に最初から薄らと気づいていたからだろう。『ここ』はロードの罪だけじゃなくて、『始祖カナミ』の罪も清算する場所だとわかっていたからだ。
だから逃げようとした。
ああ、まるで子供だ。他人のことは言えない。
嫌なことからは逃げて、やれることをやっていればそれでいいなんて――子供過ぎだ。
感情が荒狂う――レイナンドさんという犠牲者が出たことで、とうとう振り切れてしまった。
「まだ間に合う。いや、間に合わせてみせる。まだ何も終わってない……! 見ててください、レイナンドさん。過去は変えられないとしても、未来は変えて見せます。きっと、それが僕の役目だから――!」
手に握った魔力の粒子に誓う。
生身だったハイリと違って、可能性はある。この特殊すぎる環境なら僅かな望みはある。
おそらくだが、いまもレイナンドさんもベスちゃんも、まだ――
パリンクロンと戦ったときのように、容易く膝を屈してたまるか。
そんな情けない姿、二度と晒してたまるか。
願いも自分も仲間も大切な人も――、そう何度も何度も見失ってたまるか!!
「キ、キリスト……?」
自問自答の叫びを繰り返す僕を見て、とうとうライナーが心配そうな声をあげた。
すまないけれど、もう少し待って欲しい。
もう出し惜しみはしない。
あの魔法を、いまここで使おう。
妹の身体の負担だとか、成功率だとか、まだここに敵はいないのにとか、そんな言い訳はやめよう。
そして、この戦いに作法なんてない。これは子供の喧嘩も喧嘩で、相手は格上二人。
ならば、最初から最強の魔法を――いや、戦う前から最強の魔法を放ってしまえ!
「ステータス、スキル、『表示』――……」
【ステータス】
名前:相川渦波 HP340/353 MP623/1165-200 クラス:探索者
レベル25
筋力14.01 体力15.54 技量20.77 速さ25.87 賢さ20.79 魔力45.23 素質6.21
【スキル】
先天スキル:剣術3.79
後天スキル:体術1.56 次元魔法5.33+0.40 魔法戦闘0.79
感応3.56 指揮0.89 後衛技術1.01
編み物1.15 詐術1.34 鍛冶1.00 神鉄鍛冶0.56
地上のときと比べると、ステータスの素質が下がり、戦闘用の才能とスキルが減っている。
だから、守護者と戦えない? 関係あるか。こんな『表示』、所詮は過去の僕が作った指標だ。『表示』が個人の価値全てを決定付けるほど万能だったならば、いまの僕はこうなっちゃいない。
大切なのは『数値に表れない数値』。
『素質』や『スキル』にはない武器が、僕にはある。
いままで戦ってきた守護者たちが教えてくれたことを思い出せ……。
「ま、待て、キリスト……。何を言って、いや、何をしようとしてるんだ……?」
身の魔力を練り始めた僕を見て、ライナーは不安そうに問いかけてきた。
しかし、いまはライナーに説明する時間さえも惜しい。おそらく、ノスフィーがロードを連れてくるのは、すぐだ。それまでにやらないといけない。
「ライナー、少しだけ準備の時間をくれないか。これから、次元魔法で視たいことがあるんだ……」
「次元魔法で……、視る……? な、何を……?」
「――《ディメンション》」
すぐさま練った魔力を解放し、『ヴィアイシア』全体に拡げていく。これからのことに必要なのは、何よりも情報だ。
『ここ』の世界全てを覆う暗雲――、黒空で光り輝く無数の魔石の星――、その暖かで薄い光の下で焼ける国――、怒号が響き、煙が立ち昇る戦火の渦中――、瓦礫と化した多くの家屋――、その傍で鉄鎧を鳴らして駆け回る騎士たち――、いたるところで火の粉が舞い――、その火の粉の一つ一つが、赤い宝石の粉の如く輝いていて――……
世界を『表示』させるつもりで、『ここ』の現状を解析していく。
火の粉舞う街道の奥――、高くそびえる城の近くに、あの二人はいない――、いたのはそこからもう少し遠く――、六十六層に続く扉が破壊されているのを見つけた――、そして、そこからこちらへ仲良く向かってくる二人の守護者がいる――、『風の理を盗むもの』であるロードと『光の理を盗むもの』であるノスフィーだ――、あと少しでここまでやってくる――、魔王と勇者相手にどこにも逃げることはできないのだと言わんばかりに、ゆっくりと――
最初からわかっていたことだが、僕たちはもう詰んでいる。
逃げ道を破壊され、この空間に閉じこめられていることがわかる。
ロードとノスフィーによる入念で慎重な包囲が完成してしまっている。その突破は物理的に不可能だ。
だけど、道がないのなら、道を切り拓けばいいだけの話。
術式は身の『次元の理を盗むもの』の魔石が勝手に編むだろう。
あとは唱えるだけでいい。
「――次元魔法《次元決戦演算『先譚』》」
それはパリンクロンとの戦いで使った次元魔法。
『特定空間内の未来予測』の魔法。
発動と同時に――知覚できる次元の数が一つ増える。
薄らと、枝分かれした未来が視え始める。
無限の世界が――芽吹く。無限にあったはずの思考空間が、未来の枝で埋め尽くされていく。それは大樹が育つに似た光景で――ただ、たった一つ認識できる次元が増えただけなのに、それはあまりに際限がなさすぎて――、そのどこまでもどこまでも広がっていく可能性により、頭の中が飽和していき――破裂しそうになる。魔力が――、処理が――、全く追いつか――ない――。一瞬で、頭が割――れそう――に――!
「まだ力が足りない……、なら――!」
違う方法で捻出すればいい。
その手段を誰もが知っている。
そして、その手段を僕は誰よりも知っている。
少し前、そうロードが教えてくれた。思い出させてくれた。
僕は次元魔法の専門家であった以上に、呪術の専門家だったということを――!
【スキル】
先天スキル:剣術3.79
後天スキル:体術1.56 次元魔法5.33+0.40 魔法戦闘0.79 呪術5.33
感応3.56 指揮0.89 後衛技術1.01
編み物1.15 詐術1.34 鍛冶1.00 神鉄鍛冶0.56
それを正しく認めた瞬間、『表示』のスキル欄に過去のスキル『呪術』が追記された。
「――呪術《コネクション》、――呪術《ディメンション》!!」
口にしたのは『魔法』でなく『呪い』。
世界に穴を穿つ『呪い』と、世界を支配する『呪い』。
その二つを、慣れた感覚で掛け合わせ……続けて、慣れた言葉を綴っていく。
「――複合呪術《詠唱》。
『僕は全ての罪過を償うと誓う』――!
『この世の終わりになろうとも必ず』――!!」
世界に浸透した『詠唱』の原典――その正式名称は複合呪術《詠唱》。
祖として正式に『詠唱』を僕は行う。
そう。
いつもどおりに、いまの心の全てを現し――そして、自らがかっこいいと思うがままに、叫べばいい――!
そして、その『詠唱』によって穿たれた世界の穴から、無限の熱量を抜き取る――!
「だから! 『僕にみんなを救わせてくれ』――!!」
『ここ』のみんなを助けたいと叫ぶ。
いまは払えずとも、最期も必ず『代償』は支払うと誓う。
そして、真の意味で『詠唱』は成立し、その誓いの重さと同じだけの力が、身体の底から沸いてくる。
それはドロドロとした原液のような魔力。もちろん、毒と呼べるほど濃いそれは、僕の身体を蝕もうとする。身体ではなく心を溶かそうと襲い掛かり――けれど、その『代償』をスキル『最深部の誓約者』を発動させて、心の融解の痛みを対処――後回しにする。
「――くっ、うぁあ!!」
溢れる膨大な魔力に任せ、僕は魔法《次元決戦演算『先譚』》を持ち直す。
すぐに未来予測の続きを再開する。
思考の中に飽和している『ここ』の様々な可能性の世界を冷静に眺めていく。
視えるのは――ロードに触れることすらできずに敗北する未来――完全に心折られ、ノスフィーに屈してしまう未来――抵抗の意思は折れずとも、地下深くに監禁されている未来――ライナーが死んでしまう未来――四人全員が共倒れし、ヴィアイシアが完全崩壊している未来――ままごとのように北と南の戦争を永遠に続ける未来――視えるのは、血の未来、血の未来、血の未来――真っ黒の未来――ああ、どの未来も悲惨なものだ。
勝利と言える勝利なんて一つもない。
完全勝利を探すのは不可能だと理解する。何もかも上手くいくような都合のいい世界を探すなんて、まだ僕にはできないようだ。だが、重要なのは、全てを把握することじゃない。別に全能の神になりたいわけじゃない。
いま、欲しいものは唯一つ。
可能性だけで十分だ。
どんなに険しくても、か細くてもいいから。
戦ってもいいと言えるだけの可能性を、僕にくれ――!
「《次元決戦演算『先譚』》ゥ――――!!!!」
『詠唱』の末、もう一度魔法名を叫ぶ。
そして、視るのは無限に広がる未来――ではなく、たった一つの未来。
閃光のように一瞬だったけれど、確かにその未来の光景を、薄らとだが僕は視る。
それは億分の一以下しかない僅かすぎる可能性。
けれど、ほんの少しだけ僕に優しい世界。相川渦波とライナー・ヘルヴィルシャインが、『統べる王』と『光の御旗』相手に戦い、勝利している世界。
その道筋――可能性が確かにあることを確認する。
「はぁっ!! はぁっ、はぁっ、はぁっ――!」
ずっと止めていた呼吸を再開させる。
それと同時に、ヴィアイシアを満たしていた僕の次元属性の魔力が、世界へ染み込むかのように消えた。
肩を揺らして深呼吸を繰り返し、いつの間にか額に滴っていた大粒の汗を拭う。
かなりの体力と魔力を消耗した。
だが確かに、呪術《コネクション》は次元の穴を穿ち――、呪術《ディメンション》がその穴の奥を把握し――、呪術《正式詠唱》がその風穴から足りない魔力を強引に奪い――、発生した『代償』はスキル『最深部の誓約者』が先送りにし――、僕の固有の次元魔法《次元決戦演算『先譚』》は成功した――はずだ。
ただ、手に入れた新たな未来の筋道は最高とは程遠く、煙のようにあやふや。
足一つ乗せれないほど細く、障害の石ころばかり、少し躓けばすぐにでも崩れ去りそうなほど脆い道だ。
「キリスト……?」
魔法に集中していた僕にライナーが声をかけてきた。
まず、息を整えながら、心配をかけてしまったことを詫びる。
「ごめん、もう大丈夫……。ちょっと補助魔法を使っただけだから……。けど、これで準備は終わったよ。いつでも、あいつらと戦える――いや、勝てる」
しかし、その無茶のおかげで勝機が見えたことを、はっきりと伝える。
おそらく、事前に使える補助魔法の中で最高の魔法だろう。不完全とはいえ、これから起こる出来事を確認してから戦えるなんて、反則にもほどがある。とはいえ、それでもまだあの二人相手には心許ないのだが……。
それを聞いたライナーは少し悲しそうな表情を見せたあと、すぐに僕と同じように決意を固めた口調で答える。
「覚悟を決めたんだな、キリスト。もう『ここ』で終わらせるんだな……。なら――」
僕の顔の次に見たのは、自らの剣。
いま逝ってしまったレイナンドさんから授かった『シルフ・ルフ・ブリンガー』を見つめる。ライナーも現状に色々と感じ入るところがあるようだ。
その剣を強く握り締めて、詠唱を始めた。
「その誓いに、騎士ライナー・ヘルヴィルシャインも協力しよう。
『僕も罪過を償うと誓う』『この世の終わりになろうとも必ず』――」
一字違いの『詠唱』。
もちろん呪術《詠唱》と違い、その『詠唱』の効果は軽い。――ただ、そのとき、何かの『契約』の完成を感じた。決して無視できない『代償』がライナーにのしかかっているのが傍目からでもわかった。
「ライナー……」
僕が呪術《詠唱》をしたのは魔法を使うためだ。しかし、ライナーの『詠唱』のほうはほぼ無駄撃ちと言ってもいい。少し魔力の備蓄が増えたくらいだ。
ただ、誓うためだけに彼は『詠唱』したのだ。
その無茶を咎めようとして、すぐに僕は口をつぐむ。
代わりにライナーが言葉を紡ぐ。
「二人で助け合って二人で生き抜く道を探すって、キリストが教えてくれただろ?」
少し前、迷宮で話したこと――それをライナーは実践しただけだ。
だから僕にそれを咎めることなどできるはずもなかった。
「……ありがとう」
ただ礼を言う。
そのライナーの『詠唱』は、これからの戦いに彼が最後までついてきてくれるという証明のような気がした。僕が《次元決戦演算『先譚』》で見つけた細く脆い道を進むのに、これほど頼もしいことはなかった。
「礼なんていらないさ。こういうときのために、ヘルヴィルシャインの騎士がいるんだからな……」
当然だと仲間は言う。
もうこれ以上の感謝の言葉はいらないようだ。
「ならば、遠慮なく頼もうか。僕の信じる騎士、ライナー・ヘルヴィルシャインに――」
信じて頼む。
この無茶にも等しい命令をライナーならばできると信じている。
思えば、このときのために、ずっと僕はこの地下での迷宮探索で彼を鍛えてきたのかもしれない。薄らと予期していたこの戦いのときのために――
「ふ、ふふっ、面白い話が聞こえましたね。ロード、渦波様がわたくしたちに勝つと言ってますよ?」
その命令の前に、遠くから透き通るような声が届いた。
《ディメンション》で接近には気づいている。
ヴォルス家の庭に現れたのは二人の少女。
まず、南側から光の旗を持ったノスフィーが現れる。そして、
「ははっ、渦波が勝つじゃと? この妾たちにか? ははははっ」
北側から風の銃剣を持ったロードが現れる。
大英雄二人に挟まれた。
この二人こそが、千年前の『北』の最大戦力と『南』の最大戦力。
生まれながらにて特異にして、死して語られ続けた『統べる王』と『救世の御旗』――
まるで魔力の津波に挟まれたかのような気分だった。
二人ともかつてない魔力を漲らせ、本気の臨戦態勢を取っている。いままでの戦いが全てでなかったこと、そして、ここからが本番であることを僕たちの本能に知らせる。
身体が震える。地上では伝説として語り継がれている千年前の『魔王』様と『勇者』様が相手だ。それは当然だろう。
しかし、震えども、もう絶対に逃げはしない。
今日、『ここ』で、全てにけりをつけてみせる。
いま思えば、この二人に勝利することこそ、『地下/過去』から『地上/未来』に帰るための、本当の意味での道だったのだ。
ただ迷宮を上に登るだけじゃなくて、本当の意味での地上への帰還を果たさなければ意味なんてない。永遠に『過去』から帰ることなどできない。
だから僕は、嘲笑する守護者二人を置いて、構わず命令の言葉を続ける。
「――騎士ライナー。これから僕がロードと話す間、ノスフィーを完璧に抑えてみせろ。ここで終わらせるには、あいつが邪魔だ」
もう、ここにいる三人相手に遠慮などない。
傲慢にも似た命令を下す。
それにノスフィーは眉をひそめ、ロードは驚きで目を見開く。
ただライナーだけは嬉しそうに笑い、騎士らしく礼を返した。
そして、一切の気後れなく即答する。
「了解した。我が主」
その短い返答と同時に、ライナーは口の端を吊り上げたまま、くすんだ色の指輪や腕輪――使い終わった魔法道具たちを地面に捨てる。そして、最後に『シルフ・ルフ・ブリンガー』と『アレイス家の宝剣ローウェン』を抜き、その鞘さえも捨てることで限界まで身を軽くし、南側のノスフィーと向かい合った。
それに僕も続く。ずっと手に握っていたレイナンドさんがライナーに毛布代わりにかけていた外套を振り回し広げ、羽織る。
そのぶかぶかの黒いローブに身を包んだ姿は、過去の僕と少し似ている。始祖と呼ばれた次元魔法使いに戻ったつもりで、次元属性の濃い魔力を纏い、北側のロードと向かい合う。
背中を預け合う。
相手が伝説の救世主だろうが何がろうが関係ない。
もう後戻りも寄り道もしない。
五十守護者と六十守護者はここで乗り越えていく――




