186.プロローグ 新しい開始地点
――夢から覚める。
意識は覚醒し、思考の自由を取り戻す。
そして、僕が最初に考えたのは――
「――陽滝!!」
最も大切なものの名前。
目を見開き、身を起こし、周囲を見回して、すぐに求めていたものを探す。
しかし、目に入ってきたのは、殺風景な部屋だけ。
ベッドだけがぽつんと置かれた、黴臭い石造りの空間。人の気配どころか生き物の気配もしない。
全く身に覚えのない部屋だった。こんなところで寝た覚えなんてない。
「誰もいない……?」
すぐに記憶を掘り起こしにかかる。
蜘蛛の巣がかかったように頭は鈍いが、それでも張った糸を切り裂いていって気絶前の出来事を思い出す。
――確か、僕はパリンクロンと闇の中で戦っていた。
そして、ライナーとハイリの力を借りて、見事復讐を完遂したはずだ。
何もかも夢だったのではないかと思ったが、すぐに首を振って事実を正す。
間違えるはずがない。
あの戦いの終わり、僕は再会した。
命よりも大切な家族である陽滝が『再誕』したのを見た。パリンクロンの策略とはいえ、僕の最終目標である妹が、確かにそこにいた。
魂レベルでの直感で、あれが偽者ではないと確信できる。
重要なのはそのあとだ。
僕はパリンクロンとの戦いに全ての力を使い果たして気絶した。おそらく、そのあとに『世界奉還陣』に巻き込まれたはずだ。
死ぬか呑み込まれるかの二択だったかと思ったが、どうやら第三の選択肢を辿ったようだ。
すぐに僕は冷静さを取り戻して、ゆっくりと体調を確かめる。
かかっていた毛布を跳ね除け、ベッドから降りる。
ぐっすりと眠ったせいか、不調は感じない。眠りすぎで少し身体がだるいくらいだ。
問題なく魔法構築はできる。
「――《ディメンション・多重展開》」
何よりもまずに欲しいのは情報だった。
魔法の知覚範囲を広げて、時間と場所と他人の存在を確認しにいく。
石造りの部屋の外――古びた廊下があって――数え切れないほどの部屋――しかし、誰も居ない――廊下は長く、アンティークな調度品が大量に飾られており――遠くには大広間――いや、これは――……!
「し、城の中なのか、ここは?」
すぐに構造はわかった。
古い城であるのは間違いない。
だが、見たこともなければ、人っ子一人いない。異様な光景だった。
こんなにも大きな城だというのに、それなりに掃除は行き届いているというのに、無人なのだ。ちょっとした恐怖を感じる。
城の中を《ディメンション》で満たしきったものの、結局一人も見つけられなかった。
そして、仕方なく城の外へと人を探しに感覚を伸ばそうとした――そのときだった。
身の毛全てが逆立つほどの魔力を感じ取る。
《ディメンション》が捉えたのではない。ただ単純に、あまりに膨大な魔力の塊が高速でこちらへ向かってきたため、気づかされたのだ。
「な、んだ――、この魔力――!!?」
その魔力の塊は空を飛んでいる。
超高速で宙を移動して、この部屋の窓を目指している。
咄嗟に僕は《持ち物》から剣を取り出そうとする。しかし、中に『アレイス家の宝剣ローウェン』はないので、『クレセントペクトラズリの直剣』を手に持つ。
その瞬間、巨大な風船が割れたかのような破裂音と共に、一人の少女が窓から部屋に飛び込んでくる。凄まじい速度を急停止させたため、爆風が部屋の中を襲った。
そして、目に飛び込んできたのは一人の少女。
まず目についたのは、エメラルドグリーンに似た幻想的な彩色を放つ長髪。宝石の翠色に近いが、どちらかといえば自然の薄緑を想起させる色の髪だ。その髪を後頭部で結い上げているため、健康的なうなじが露わになっている。いわゆるポニーテールというやつだ。
その翠の髪の下には快活な女の子の顔。生気に満ち溢れた花のように、明るく美しい目鼻立ちをしている。そして、泣き黒子が目じりの下に一つあり、女性としての妖艶さを演出している。風の子のような健康的な魅力と、大人の女性としての艶かしい魅力を同居させている少女だ。
服装は顎下まであるタートルネックに似た服。豊満な胸のラインがはっきりと見えるため、男性からすると少々目のやり場が困る。
だが重要なのは少女の体の豊満さと美しさではない。僕は違う一点を注視している。
少女の最も目立つ特徴――それは翼だった。
髪の色と同じ、翠色の翼が背中から生えていた。その翼を使って、空を飛んでいたのだと確信できるほど、それは大きい。
大人一人は包めこめそうな翼が、ゆっくりとたたまれていく。
そして、少女はこちらへ目を向け、にっこりと笑って声をかけてくる。
「おっはよー、かーなみん」
かつてない馴れ馴れしさで挨拶をされてしまった……。
だが、油断することなく、僕は剣を構えて『注視』を続ける。
【五十守護者】風の理を盗むもの
手に入ってきた情報は、緊張を加速させるに十分なものだった。
展開が唐突過ぎて、わけがわからない。
なぜ、僕はここにいるのか。
なぜ、彼女しかここにいないのか。
なぜ、少女は五十守護者なのか。
疑問は尽きない。
けれど、守護者には敵対より会話が有効だと僕は経験で知っている。
身体が自然と、礼儀正しい返答をした。
「は、初めまして……。相川渦波です……」
それを聞いた風の理を盗むものは口をぽかんと開け、すぐに玩具を見つけた猫のような顔になる。
「へー、ほんとに童がわからないんだ。ライナーの言った通りだ」
そして、何気ない動きで僕に近づいてくる。
怯えつつ、剣を握ってないほうの手の平を見せて、制止をかける。
「ま、待ってください! 少し状況を整理させてください。あなたは『風の理を盗むもの』。それも五十層の守護者で、間違いないですか?」
「お、おおぉ……! 敬語のかなみんとか、すごいいい。いい。ぐっとくる……!」
しかし、帰ってきたのはよくわからない興奮。
会話がまともにできないティーダタイプかと思い、僕は剣を握り直す。
警戒心を剥き出しにして彼女を睨む。その敵意を察したのか、風の理を盗むものは優しく答える。
「そう警戒しないで。うん、確かに童は『風の理を盗むもの』だよ。五十層を守っているというのも当たり。……ただ、敬語で話されるのは、ちょっと他人行儀すぎて悲しいかな? お姉ちゃんとかなみんの仲だから、敬語はなしね」
風の理を盗むものは友好的だった。
質問にはちゃんと答え、更に距離を縮めようとしてくる。
心もだが、物理的な距離も近づけようとしてくる。
「え、いや、でも――」
「――なし、ね」
僕の言いよどむ声に、重い声が覆いかぶさる。
一瞬だけ。本当に感知すら難しい刹那だが、風の理を盗むものの魔力が膨らんだ。
その魔力は膨大も膨大。全開のローウェンやマリアにも匹敵する魔力だ。
当たり前だ。彼女も守護者――それも五十層を守るために呼ばれたモンスターだ。
その魔力に圧され、本能的に恐怖を感じる。
しかし、負けはしない。この程度なら、慣れたものだ。
『化け物』の威圧程度で、もう気後れはしない。
近づいてくる風の理を盗むものに負けず、僕も前へと出る。
「わかった。そうするよ……。なら、名前は何て呼べばいい?」
「童の名前は――えっと、ロード・ティティーかな? 前みたいに、気軽に『王様ちゃん』って呼んでいいよ」
「よろしく、ロード。僕のことは少し固めにカナミと呼んでくれると助かる」
「かなみんは永遠にかなみんなので、それはできません。『王様ちゃん』が嫌なら、封印されし『お姉ちゃん』でも可です」
「残念だけど、僕の家族は一人だけだから、お姉ちゃんはありえないかな……」
「ちっ。記憶ないのは本当だけど、ガードは固いままだねー」
警戒を解く。
目の前の少女ロードに敵意がないのは間違いなかった。思えば、初めて戦ったティーダが好戦的だっただけで、他の三人はいきなり襲い掛かってはこなかった。おそらく、願いが『遊ぶこと』だったティーダが特殊だったのだろう。
おそらくだが、この守護者とは戦いにならない。
「君がどういうやつなのか、少しわかってきたよ。だから、もう遠慮せずに聞くよ?」
僕はアルティやローウェンを相手にしているつもりで、軽く聞く。
もしも、僕の予想が間違いでなければ――
「君は『統べる王』。千年前の王様で間違いない?」
この少女もまた、千年前の登場人物だ。
それも、その名前からして、主要人物だったのは間違いない。
僕の質問を聞いたロードは、笑みの質を軽いものから重いものへと変えて答える。
「――ハハッ、いかにもじゃ。記憶はなくとも、本質はわかっておるようじゃの」
少しだけ厳かな空気を発した。
その言葉遣いは外見と全く見合わない。しかし、王と呼ぶに相応しい威厳が確かにあった。もしかしたら、こっちが本来のしゃべり方かもしれない。
「けど、もう誰も統べてないけどねー!」
すぐにロードは重苦しい空気を霧散させ、しゃべり方を戻す。
そして、いまの自分は王でないと主張する。
「で、色々あって『世界奉還陣』に呑まれて、守護者になっていると?」
「そういうこと。ただ、もう何百年も五十層は放置してるけどねー」
ん……。
『何百年も』『放置』――その言葉に少し違和感を感じる。
「とにかく、僕と敵対するつもりはないって思っていい?」
「喧嘩はよくないね。ラブアンドピースが童の信条だよ!」
「それじゃあ、これから僕は君を置いて行くけど、引き止めない?」
「え、なんで!?」
確かにロードは友好的だが、全くの不安がないわけではない。
正直、関わりたくないのが本音だ。
「いや、君から聞くより、別の人を探して聞いたほうが状況の把握が早そうだと思ったから……」
「え、えー。そーゆーこと言うと、お姉ちゃん泣いちゃうよ?」
「う……」
本当に薄らと涙目になって近づいてくるロードに、僕は後退りしてしまう。
その僅かな躊躇いが、僕に隙を生んだ。
「逃がさーーん!!」
その隙を突いて、ロードが叫びながら飛びかかってくる。
僕は《ディメンション・多重展開》を《ディメンション・決戦演算》に変更して、迎撃しようとする。
しかし、間に合わない。
確かに次元魔法で、その動きは把握できていた。だが、把握しても対応できない速さでロードは、僕の懐に入って両腕を掴んで見せた。
「――な!?」
寝起きで鈍くなっているとはいえ、それでも油断はしていなかった。
触られるくらいならば殴り飛ばしたあとに全力で逃げる気概でいた。
けれど、その気概があっさりと泡に帰すほどの圧倒的な速度。単純にロードは、僕が何をするよりも速く動いた。それだけだった。
「ん、あれ……? かなみん、ちょっと弱くなってる?」
至近距離で僕の両手首を握り締めるロードは、僕の瞳の中を覗き込む。
どうやら、僕が全く抵抗してこなかったのは予想外だったらしい。
こちらとしては、できなかった――が正確だが。
「た、確かに、弱くなったかもね……」
僕は強がって言い返す。
手を振り解こうとするが、万力で締め上げられたように動けない。
確かに『始祖カナミ』や『陽滝の魔石を持っていた僕』と比べれば弱体化している。だが、こうもびくともしないのは異常だった。
「ふーん。記憶がないなら当然かぁ」
ぱっとロードは手を離す。
どうやら、僕の弱体化について考えているようだ。
その間に逃げようと思ったが、ロードの目は僕を離していない。
「色々と説明しながら案内してあげる。拒否は不可だよ。だって、いまは童のほうが強いみたいだしねー。へへーっ」
そして、童のように笑って、部屋から出ていこうとする。
部屋の扉を開けて手招きするロードに、僕は汗を垂らす。
僕は彼女に無言でついていくしかなかった。無視をしても、また捕まるだけだとわかっている。
仕方なく部屋を出て、長い廊下を歩くことになる。
とことこと陽気に歩くロードの後ろから、僕は質問を投げかける。
「なあ、ロード。どこへ向かっているんだ?」
「それは秘密。けど、すぐ着くよ」
いますぐにでも走り去りたいが、それは不可能だ。
あの速度と飛行能力。確実に逃げることはできない。
なので、身体ではなく、知覚範囲だけでも飛ばそうと《ディメンション》に力をこめようとする。
しかし、それすらも許されない。
「それ、禁止ねー。――《ズィッテルト・ワインド》」
柔らかい風が流れ、『魔法相殺』される。
その鮮やかで緻密な魔法構築に、僕は戦慄する。
この少女は速さと力だけじゃない。魔法にも秀でている。いや、むしろ、こっちが本業のように感じた。
ロードは振り返って、にひひと笑う。
「そういう楽なことばっかりしてると、あとで苦労するよ。やっぱり、ちゃんと自分の足で歩いて、自分の目で見ないとねー!」
動きだけでなく目まで封じられ、僕は苦笑いを浮かべる。
驕りではなく僕の《ディメンション》の魔法の完成度は高い。おそらく、地上に《ディメンション》を『魔法相殺』できる人間は一人もいないだろう。かつてのハインさんでも、同じ魔法を使ったとき、阻害だけで精一杯だった。だというのに、ロードは何気なく『魔法相殺』を完全成功させてみせた。
もし、ロードが敵となれば、勝ち目はない。そう思わせるだけの力がある。
だから、彼女の機嫌を損ねぬように、後ろをついていくことしかできない。
蛇の腹の中のような長い廊下を歩いていき、何度も角を折れ曲がる。一定間隔ごとに空いている窓からは、薄暗い光が差し込む。《ディメンション》が使えないので、目をやって窓を覗くが、中庭や隣の建物しか見えない。この巨大な城が迷路のように入り組んでいることだけが、かろうじてわかる。
長い廊下の上に、長い階段も昇らされた。そして、数分ほどロードの後ろをついていって、辿りついたのは、
「かなみん、着いたよ!」
城の最上階にある高見台だった。
目に飛び込んでくる風景は、歩き続けた労に値する絶景だった。
そして、ようやく僕は自分のいる場所を、真の意味で知る。
城の頂上から見下ろすことで、『ここ』の全容を知る。古びた城の形は円錐状となっており、その中には森にも似た庭が広がっていた。
そう。森を内包できるほど、この城は巨大だ。
その城を囲むように川が流れている。ラウラヴィアのフウラ川を思い出すほど大きなそれには、一つだけ橋がかかっていた。この城を攻めるならばそこしかないと言わんばかりの、これまた巨大な橋だ。
さらに、その川の周囲には、城下街が広がっている。地平線まで届きそうな広大な街に、数え切れない人がひしめいているのが見える。活気に満ちているのは一目でわかった。名のある国であることも確信できる。
――ただ、問題なのはそれ以外。それより先が、余りに異常だった。
さらに奥。城下街の周囲へと、僕は目を向ける。
そこには暗黒に染まりきった空と、地平線あたりで途切れている大地。
僕は驚きと共に、周囲をぐるりと見回す。
間違いなかった。
この国は、街より先がない。
平原があるわけでも海があるわけでもなく、無が広がっているだけ。そのせいで、まるで城と街が闇の空に浮いているように見える。
「な、なんだこれ……?」
「お帰り、かなみん! 童たちの『魔王城』へ! 《ディメンション》だと、この風景に感動できなかったでしょ。そういう損なところもあるんだから!」
「ま、魔王……、城……?」
「あ、その命名はかなみんだよ。魔を統べる王がいるなら魔王城じゃんって」
「いや、名前はいいんだ。そうじゃなくて。この城――いや、『ここ』は何かって聞いてるんだ、僕はっ」
およそ、普通の場所ではない。
『ここ』は迷宮連合国ではなく、本土でもない。
ならば、あの戦いのあと、僕はどこへ連れ去られたのか、いまはそれだけが知りたかった。それにロードは答える。
「『ここ』は迷宮の中だよ」
それはあまりにあっさりとした答えだった。
少なくとも外であると僕は思っていたが、その期待は見事に裏切られてしまった。
「ここはかなみんが童のために用意してくれた空間。階層で言うなら、『六十六層の裏』ってところだね」
「う、裏だって……? 迷宮に裏なんてあるのか?」
「正確には『向こう側』らしいけどね。何もない領域に、かなみんが次元魔法で作ってくれたの。かつての『北』の王国を、そのまま。ここなら『想起』は簡単だって言ってたよ」
当然、僕にそんな記憶はない。
ならば、それを行ったのは千年前の『始祖カナミ』だ。
その新たな領域の存在に、僕は頭を抱えるしかなかった。
童なんて一人称はありませんが、これで通します。




