183.兄妹
魔石に向かって駆ける。
それに合わせ、パリンクロンは飛び倒れるように大きく後退した。
その行動から魔石自体に罠はないと判断し、剣を握る力を強めながら、もう片方の手で魔石を拾った。
同時に、パリンクロンは大地へと右手を突き刺す。
「何を――!?」
すぐにパリンクロンへと斬りかかるが、その前に電撃のような閃光が奔った。
それは魔力の迸り。
パリンクロンが停止されていた魔力を使おうとして失敗したのだと、すぐにわかった。無茶な魔力運用によって、パリンクロンの右腕の皮膚が弾け飛ぶ。無数の血管が破裂し、赤い血が散る。
どう見ても自爆。
それでもパリンクロンは、使い物にならなくなった右腕を抉りこませて、物理的に大地へと繋げようとする。
『世界奉還陣』が展開されている『魔石線』を、直に触り、干渉し、願う。
「ああ! 確かに、もう俺は魔力を使えねえぜ! 『理を盗むもの』の力も、『使徒』の力も失った! いまも身体は溶け、戦う力なんて残ってない! だが――っ、だが、それがどうした!? まだ『俺』は生きてるんだぜ!? 殺されるまで止まらねえぜ、俺は! さあ、今度こそ最終ラウンドだ! カナミの兄さん!!」
結局、パリンクロンは魔力を使えなかった。右腕には一滴の魔力も通わなかった。
――しかし、『世界奉還陣』は脈動する。
魔術式も魔力も『魔石線』の中にあったとはいえ、それはありえないことだった。干渉するためには、その魔力の一滴が必要だった。けれど、まるでパリンクロンの願いに応えたかのように、再び『魔石線』は発光して、大きく震えだす。
そして、ビスケットが砕けるかのように大地が割れる。
ただでさえ暴走によって歪んでいた大地が更に歪み狂い、無数の地割れが発生していく。それは少し前にパリンクロンが行ったモンスター召喚の現象と似ていた。ただ、規模が桁違いだ。
その崩壊が、僕の行く手を阻む。
「ははっ、『渦波』に勝てないのなら、『カナミ』をぶつけるだけだ。『化け物』の『始祖カナミ』に、『英雄』の『少年』を立ち向かわせる。それが俺の計画の締めだったが……、ここで贅沢な使い方をさせてもらうぜ! これこそ『世界奉還陣』の真の目的だ!!」
割れた大地の間から、禍々しい魔力が立ち昇る。
それは空気中の全ての魔力を吸い込み、急速に凝縮していく。他のモンスターたちと同じように、魔力は物質化されていく。
ただ、その魔力が象っているのは『人型』だった。
かつてない怖気が全身を駆け巡る。
あれは善くないものだと、生物としての本能が警告してくる。もちろん、『感応』や『並列思考』も同様だ。
「やらせるかぁあ!」
足場の悪い大地を駆け抜け、僕はパリンクロンへと剣を振り下ろした。
しかし、甲高い音と共に、剣は弾き返される。
宙に浮いた魔力の鱗が、パリンクロンを守っていた。
そして、その鱗の中に肉がついていく。血管と筋肉が作られ、中心部には心臓が生成されるのを見る。その造りから、『人』が召喚されているのだとわかる。
パリンクロンはその『人』の正体を説明する。
「――こいつは『最深部』に棄てられた『化け物』! 『始祖カナミ』の抜け殻だ! 知っていると思うが、魂はない! ゆえに身体に染み付いた本能だけで動く、本物の『化け物』だぜぇ!!」
『人』ではなく『化け物』の抜け殻だと答えた。
――その『化け物』の名前は『始祖カナミ』。
それが本当であると僕は知っている。
つい先ほど、ハイリのおかげで千年前の結末を見てきたところだ。
「くっ!」
理論ではなく『魂』で直感する。
ドクンッと、僕の中にある『次元の理を盗むもの』の『魔石』が脈動する。
懐かしさすら感じる。あれは間違いなく、僕の身体だと全細胞が叫んでいた。
『始祖カナミ』――仮面の男。世界を敵に回して生き残った伝説上の存在。『聖人』であり『始祖』であり、『化け物』でもある。『相川渦波』の成れの果て――!
召喚は完成する。
中身だけでなく、その『化け物』の外側まで完全に再現された。
亡霊のようなすすけた外套に、いまにも風化してしまい崩れそうな黒の仮面。その隙間から片目のみが、黒く輝いている。欠損の多い身体だ。片目を失い、右腕を失い、左足を失い、見える皮膚はただれている。
人型だが『人』でないのは間違いなかった。先のパリンクロンのように、身体の欠損を違う生物のパーツで補っている。
皮膚の代わりに魚の鱗が張り付いているところがある。肘から先のない右腕には触手に似た肉の束がぶらさがっている。欠けた左足からは魔力の黒い靄が噴出している。『化け物』と呼ばざるを得ない姿だった。
そして、そのおぞましく醜い身体を隠すように、外套の下に包帯が巻かれている。いつかのアルティと同じく、小さな文字の書き込まれた包帯だ。
千年前の記憶と比べると、まだ『化け物』化が抑えられているほうだ。だが、間違いなく千年前の『始祖カナミ』だと確信する。
僕は『注視』する。
――ステータス
名前 相.:.:■ .:■■ HP.:.:3/17■3 MP2■.:1/3■92 ――
ぼやけている名を確認すると同時に、仮面の男の仮面が砂になって崩れ落ちた。
そして、僕と同じ黒髪がこぼれる。長年手入れがされていないことがわかる乱れた長髪だった。その黒い髪の下に、僕と同じ顔がある。目は空ろで痩せこけているものの、確かに僕の顔だ。
その顔が歪み、口が大きく開かれる。
「ァ、ァア■、ア゛ァ■■アアァア゛――!!」
僕と同じ顔から、人の声とは思えない怨嗟が漏れる。
人には解せないというのに、悲しんでいると理解できる暗く重い声。聞いているだけで、身が引き千切られるかのように心が痛む。
いま、この『化け物』は悲壮にくれている。
その姿は余りに衝撃的だった。
他人事に思えるはずがない。これは『僕』だ。
過去の姿であり、未来に辿りつくであろう姿でもある。
『魔力』を溜め続けた先に待っているもの。その現実を突きつけられ、僅かに顔が歪む。
パリンクロンだけが動揺せず、次の行動に移っていた。
『始祖カナミ』の後ろへと逃げ込み、そこから叫び、言い聞かせる。
「ちっ! 毒が足りないか――まあいい! 『始祖カナミ』! もう何も聞こえないだろうがっ、それでも聞け! 感じろっ、すぐそこにおまえの妹がいるぞ! おまえの妹『陽滝』の身体と魔石だ!!」
とんでもないことをパリンクロンは『始祖カナミ』に吹き込む。
すると、生まれたばかりの赤子のように呆けていた『始祖カナミ』が、こちらを向いた。片方しか残ってない黒目に、幽かな光が灯る。
この『始祖カナミ』には魂がない。それは間違いないだろう。
『魂』とも呼べる『次元の理を盗むもの』の魔石は僕の中にある。だから、いまの僕は陽滝の身体を借りているというのに『僕』の姿をとることができている。
つまり、目の前の『化け物』には中身などない。おそらく、理性どころか、意識もないだろう。
だが、それでも『始祖カナミ』は――いや、『相川渦波』は動く。
自らの失った『魂』――よりも大切なものを求めて――身体だけとなっても、動く――!
「――アァ■■ア、ァア■■■、――ヒ、ヒダ■、ァア、ヒ■キヒタキ――!!」
大切な名前を呼んだ。
パリンクロンなど眼中にない。
僕だけを見つめて、狂おしそうに手を伸ばす。
一歩、また一歩と僕へと近づいてくる。
「ぼ、僕を! いや、僕の中にある『魔石』を欲しがっているのか!?」
自分の『魂』もすぐそこにあるというのに、それでも妹の『魂』だけを求めていた。
何もかも失い、何もわからなくなっても、『カナミ』という存在は妹の『ヒタキ』を求め続ける。
恐怖を感じる光景だった。他人事でなさすぎるからこそ、恐怖と共に同情もする。
『魂』もなく動く身体は、見ているのも辛い。
だからこそ、この『化け物』に引導を渡すのは僕でないと駄目だとも思った。
「ははっ! 大切なものならば取り返せ! 『始祖カナミ』!!」
囃し立てるパリンクロンに、僕は叫び返す。
「そこまでして僕に勝ちたいのか、パリンクロン! くそっ! 本当にお前はしつこくて最低なやつだな!」
「ああ、どんな手を使っても勝ちたい! 悪いがっ、そういう性分だったみたいでなあ!!」
全く悪びれた様子はなかった。
むしろ、罵られて喜んでいるようにも見える。僕はパリンクロンに構っていても無駄だと思い、直近の敵へと目を向ける。
戦いに備え、より詳細な情報を『表示』させる。
――ステータス
名前 相.:.:■ ..:■ HP.:.:3/12■3 MP2■.:1/2■92
レベル46
筋力31.5■ 体力3■.1.: 技量49..:.: 速さ■0.■■ 賢さ4■.12 魔力12■.44 素質■.0.:――
『始祖カナミ』のステータスを正常に『表示』することはできなかった。
身体だけでなく存在も、何もかもが不安定なのだろう。いまにも蜃気楼のように消えてしまいそうだ。言葉では言い表せない儚さを感じる。
だが、それ以上に危険も感じる。
レベルも高いが、なによりスキルが恐ろしい。
ステータス以外は正常に『表示』されているのが、逆に恐怖だった。
まずは、先天スキル。
――先天スキル 次元魔法9.23――
これはわかる。
僕は根っからの次元魔法使いだったということだ。
問題は後天スキル。
――後天スキル
魔法1.02 呪術5.89 魔力操作4.33 集中収束2.45 血術1.01
剣術1.22 槍術1.11 弓術2.01 投擲1.99 体術2.07 見切り1.12
魔法戦闘6.56 武器戦闘2.34 観察眼1.23 鼓舞1.14 挑発1.00
家事2.45 料理1.23 菓子作り2.22 裁縫1.34 編み物1.77
水泳1.04 水中行動0.77 釣り0.98 採集1.33 狩り1.15
錬金術1.22 鍛冶3.02 薬師1.22 音楽1.66 琴1.12 煽動1.00 先導1.01
最適行動1.88 詐術2.34 話術1.23 人誑し1.34 洗脳1.45 調教1.98
取引2.01 執事2.12 工作1.22 盗み1.11 延命1.67 暗殺1.23……
――まだまだある。
あまりに多すぎて、戦闘中には数え切れない。
千年前の戦いで得たであろう無数のスキルは、『始祖カナミ』の脅威をわかりやすく表していた。
この『化け物』は絶対に手の抜けない強敵だ。
そして『始祖カナミ』は、そのスキルの中で最も数値の高いものを使う。
「ァア――、ジ、次元魔法――『捩菖蒲』ッ!!」
話す言葉は聞き取れないというのに、その魔法だけは確かに意味を理解できた。
あんなにも不安定な身体と魔力だというのに、その魔法は滑らかだった。身体にしみついていた魔法を、いつものように使った。そう見えた。
本能で戦っている。
そう確信した僕は、言葉による説得を諦める。
この『化け物』を止めるには、殺す他ない。たとえ、それが過去の自分だとしても――いや、自分だからこそ殺しやすい!
「こんなところで負けてたまるか! それも自分に!! ――『ミドガルズフリーズ』!!」
『始祖カナミ』の腕からは手のひらほどの大きさの魔力が放たれ、僕の腕からは氷の大蛇が放たれる。
サイズは歴然の差だ。だが、魔力の密度に差があった。
『始祖カナミ』から放たれた魔力は無色だった。彼自身の魔力は紫色だが、完璧な魔法構築によって無駄のない透明と化している。
そして、その魔力の塊は花を咲かせる。
透明だというのに咲いたと思ったのは、空間が捩れていたからだ。その空間の捩れが、まるで花開いたかのような錯覚を起こす。
次元魔法によって世界がずれているのは間違いない。僕と違い、『始祖カナミ』はずれの力を自由に扱っていた。
透明の花と氷の大蛇は正面からぶつかり合った。
触れ合った瞬間、氷の大蛇は捩れ曲がり、一瞬で砕け散る。騙し絵を見ているかのような光景だった。その小さな花は、大蛇の大口に呑み込まれることなく、打ち勝って見せた。そして、透明の花は無傷のままで残っている。
「グァ、アァ――ア、イ、イケ、ト――トル、シオン――!」
さらに透明の花は増えていく。
幸い、速度のある魔法ではない。だが、それでも周囲一杯に広がった透明の花は脅威だ。ゆらゆらと揺らめきながら、確実に僕へと近づいてきている。
触れてはまずいと思い、僕は距離を取ろうとする。
「――ディ、ァア、ディ、『徐々に不揃う』ォ!」
――しかし、空間がずれる。
僕の身体は動いた。後ろへの跳躍は成功し、距離は離した。それは間違いない。
だが、むしろ距離は近づいていた。
『始祖カナミ』が一言魔法を唱えただけで、世界に断層が生まれていた。ケーキを切ったかのように、『始祖カナミ』の前の空間が切り開かれ、ずれてしまっている。そのずれのせいで、距離のルールが崩壊する。
その崩壊に巻き込まれ、僕は『始祖カナミ』の方向へ引き寄せられていた。
「なっ――!」
「アァ、アア、ヒタキ――!」
『始祖カナミ』の腕には魔力の剣が握られていた。
僕の『魔力氷結化』で作った急ごしらえのものではなく、『魔力物質化』で作られた正統な無色の魔剣だ。
その剣が僕へと振り下ろされる。
咄嗟に『クレセントペクトラズリの直剣』で受け止める。凄まじい力と速さだった。まるで山一つを受け止めたかのような衝撃に、僕は体勢を大きく崩す。『感応』と『剣術』のおかげで、なんとかいなせたものの、左手に握っていた魔石を落としてしまう。
ローウェンの『剣術』があっても、この距離はまずい。
そう思って接近戦から抜け出そうとするが、それは叶わない。
「ィアア、ディ、ディ、フォール、ト――」
後退すれば後退した分だけ、新たな次元の断層が生まれて、引き寄せられる。
どう動こうと強制的に接近戦を強いられてしまう。
仕方なく、僕は『感応』の力を最大限に引き出して、敵の動きを予測して防御を選択する。いま、『始祖カナミ』には理性などない。心のままに戦っているため、それを読んで『剣術』で受け流すくらいならばできる。
しかし、敵の剣速が余りに速過ぎる。
ステータスの差が絶望的だった。
人の限界だと思われる速度を、『始祖カナミ』は軽く超えて魔剣を振るう。
身に詰まっている魔力の密度が違いすぎる。そして、身体の構造も違いすぎる。
簡単な話だった。僕の思っていた限界は『人の限界』だ。だが、もう人同士の戦いなんて段階は、とうに過ぎ去っている。いま、目の前にいる相手は『化け物』だ。それも『化け物』の極地。
この『化け物』じみた剣速は、『始祖カナミ』にとって普通というわけだ。
「ならっ、こっちだって! 『ディメンション・決戦演算』!!」
『感応』だけでなく次元魔法を足して、世界を把握しにかかる。
基本スペックで勝てないのならば、感覚を二重にして先読みを鋭くするだけだ。どれだけ、相手が強かろうと、何も考えずに振るうだけの剣に負けるわけにはいかない。
僕の『剣術』は『剣聖』、魔を絶つ刃だ。むしろ、『化け物』相手くらいが丁度いい。
『始祖カナミ』の高速の剣を、僕の剣があしらい続ける。
最初は面食らったものの、少しずつ速さに慣れてくる。ローウェンの『剣術』の底知れぬ対応力のおかげだ。
その余裕を使って、僕は新たな魔法を構築する。
目の前の『化け物』を倒すために必要な魔法。
並大抵なものでは駄目だ。いまの僕に使える全てを出し切らないといけない。
ゆえに、心の内の妹へと呼びかける。
陽滝の氷の魔力、そして僕の次元の魔力。二つを掛け合わせ、最高の魔法を編み出してみせる
甲高い音を鳴らし続ける剣戟の中、少しずつ魔法構築が進んでいく。
それは氷結魔法の真価と次元魔法の真価を兼ねそろえた魔法。
二つの『理』が合わせれば、この二倍以上のレベル差だって埋めることができる。
名づけるならば――
「――次元よ、凍れ! 共鳴魔法! 『フォーム・ディ――」
「それはやらせねえぜぇ!!」
しかし、背後から黒い刃が襲いかかり、中断させられる。
パリンクロンだった。
僕が落としたティーダの魔石を回収し、それを黒い剣へと変えて攻撃してきたのだ。
なんとか身をよじって、それをかわすことはできた。
だが、魔法構築が破綻してしまう。『始祖カナミ』だけで手一杯だったところにパリンクロンが足され、計算が狂ってしまった。
それほどまでにパリンクロンの攻撃は予想外だった。いまのパリンクロンは、ただの人だ。『化け物』同士の戦いに割り込める能力はない。少し巻き込まれただけで命を落とす。
だというのにパリンクロンは暴風のような戦いの中へ飛び込んだ。
ティーダの魔石に干渉して剣に変えているものの、親和はできていない。隙をつけたのは、その類稀な『観察眼』のおかげだろう。
「くっ、この! パリンクロン!」
いまのパリンクロンでは防御もままならない。剣戟に巻き込まれて、胴体を斬り裂かれてしまう。もう回復することのできない本当の致命傷だ。
瀕死を越える傷に、パリンクロンは膝を突く。
けれど、パリンクロンは笑う。いつものように笑う。
その視線の先には『始祖カナミ』がいた。
パリンクロンを迎撃したことで生まれた隙を突き、その片腕が伸びる。
「アァ、アアアァア、ヒ、タキ、ヒタキヒタキ――!!」
空間が歪み、ありえない速度で腕が僕へ伸びる。
咄嗟に僕は剣で腕を払おうとする。しかし、その剣は『始祖カナミ』のもう片方の腕にある魔剣で止められる。
『始祖カナミ』は陽滝の身体を傷つけまいと、『化け物』の腕で優しく僕の肩を掴む。
そして、無色透明の魔力が肩から体内へと侵入してくる。どうにか敵の魔力を追い出そうと、身体の魔力を操ろうとするが、全く上手くいかない。魔力の質も技量も圧倒的に負けている。
「ガア、ァア――ア、ジュ――ジュツ『幻の紫腕』!!」
そして、新たな魔法を『始祖カナミ』は叫ぶ。
すると肩を掴んでいた腕が、するりと僕の体内へと入り込んだ。
その魔法構築から、物質的な境界を無視する最高位の次元魔法であることがわかった。そして、その目的もわかる。
『始祖カナミ』の腕が、僕の体内をまさぐり――『魔石』を握った。
「ぐっ、ぅう、ぁあああアアアアアアア!!」
僕は悲鳴をあげる。
心臓を握られたどころではない。それよりも繊細な『魂』を無遠慮に掴まれ、かつてない幻痛に襲われる。
身体に痛みはないが、心が痛むことで大量の冷や汗が流れ出す。
しかし、僕は絶対に渡すまいと、『始祖カナミ』の腕を握って止めようとする。
「『そっち』は渡さない――! 持っていくなら、『僕のほう』にしろ!!」
「ァア、アアア、アアァ、ヒタキヒタキヒタキヒタキ、ヒタキ――!!」
だが、僕の声は届かない。
また『始祖カナミ』は断層の次元魔法を発生させる。僕との間に次元の断層が生まれ、今度は引き離そうと空間が伸びていく。
力ではなく空間魔法を使った強引な振り払いに、僕は『始祖カナミ』の腕を放してしまう。
――僕の中から、『水の理を盗むもの』の『魔石』が引き抜かれる。
「ぁああァア! 陽滝――!!」
最愛の妹が遠ざかる。
やっと大切なものの居場所を見つけたというのに、やっと心が通ったというのに、無慈悲にまた見失ってしまう。あんなにも近くに感じていた『陽滝』が、身体から少し離れただけで、時の彼方へ消えたかのように感じる。
「ア■ァ■ア゛アッッ――!!」
『始祖カナミ』は抜き取った『魔石』を胸に抱いて、僕から逃げる。
しかし、追いかけられない。
『魂』を抜かれ、心身のバランスが崩れ、身体が思うように動いてくれない。
「ま、待て……! それを持っていくな……!」
『始祖カナミ』を呼び戻そうとする。
千年以上見失っていた大切な人の『魂』を手に入れ、心から歓喜しているのがわかる。しかし、それは間違いだ。間違っているのだ。
本来ならば、『水の理を盗むもの』の『魔石』はこちらの身体に必要なものだ。そして、『始祖カナミ』の身体には『次元の理を盗むもの』の『魔石』が必要なのだ。
けれど、『魂』なく動く『始祖カナミ』に理性的な判断はできない。本能が求めるままに腕を胸の中へともぐりこませ、『水の理を盗むもの』の『魔石』を体内に入れる。
もう二度と離さないと、大事に大事に収めた。
――そして、『身体』と『魔石』が入れ違う。
すぐに変化は現れる。
『始祖カナミの身体』は、『陽滝の魂』を手に入れた。
その計算式の答えが、現実を侵食し始める。
「――ァア――、ヒ、タ、キ――」
たった一言大切な人の名前を呼び、『始祖カナミ』の体は歪み始める。空間が歪むだけではない。その身体の肉さえもが歪んでいく。
『水の理を盗むもの』の魔石が『始祖カナミ』の体内にあった『魔力』を吸収し始める。とはいえ、その青い魔石は眠っている。無意識の吸収だ。
それによって『化け物』になっていた部分が人へと戻っていく。蝕んでいた毒が浄化されていくかのがわかった。
もちろん、変化はそれだけで終わらない。
この世界の優先度は『肉体』より『魂』のほうが高い。
いまの僕の身体のように、身体が『魂』に引っ張られていく。
つまり、その果てに待っているのは――
『始祖カナミ』の肉が蠢き、骨格さえも変わっていく。肌の質と色、髪の質も長さも変わり、別人になっていく。『相川渦波』らしさが消えていく。それどころか、男性らしさも消える。
そして、一人の少女が世界に『再誕』する。
「――ひ、陽滝?」
長く艶やかな黒髪に、病的なまでに白い肌。
身体は縮み、女性らしい丸みを帯びている。
なにより、その顔を見間違えようはない。
――『始祖カナミ』の抜け殻は、『相川陽滝』となった。




