156.コルク
コルクの街並みは連合国のグリアードと似ていた。
差があるとすれば冒険者や探索者が少ないところくらいだろう。迷宮がない以上、荒事を生業にする人が少なくなるのは当然だ。ただ、反比例して駐屯兵らしき人間を多く見かけるのは戦地が近いからだろうか。
そして、港町らしく、商いを生業にする人が多めに見える。
それなりに賑やかで、それなりに活気がある。
ただ、その街の様相に僕は少し不満があった。
「随分と物々しい街だね……。けど『本土』って聞いていたから、もっと賑やかなところを想像してたんだけど、そうでもないね」
勝手ながら、田舎から都会に出たときのような感動を期待していたのだが、そこまで劇的な変化はなかったことに肩透かしを食らう。
「そりゃ、連合国だって田舎じゃないからな。『本土』と自然と似てくるんだ」
土地勘のあるらしいディアがガイドとして先導している。ちなみに、いつも先頭を歩きたがるラスティアラは、いまだけは物珍しそうにきょろきょろしているため役に立たない。流石は三歳児の箱入り娘、落ち着きがない。
「ただ、似てはいるけど……、少し空気が違うね」
「ああ、戦争の最前線地域だからな。いつ戦争の火が届いてもおかしくないという意識が、住んでいる人たち全員にあるんだ。敵のいない開拓地とは緊張感が違うだろうな」
肌を刺すようなピリピリとした空気を、『感応』が敏感に嗅ぎ取る。
よく見れば活気ある人々の顔に少し影がある。たったそれだけで、戦争という存在の重さがわかる。
「……戦争している国に来るのは初めてだ。……できれば来たくなかった」
「カナミは戦争に関わるのが初めてなのか。いまどき珍しいくらいだ」
「元の世界では戦争のない国に産まれて生きてきたし、こっちの世界でも戦争のない連合国にずっといたからね。だから、本当に戦争がどんなものかわからないんだ」
「……それは幸せなことだと思う」
ディアは僕の話を聞いて薄く笑い、顔を歪めて言葉を続ける。
「――けど、いつまでも無知ではいられないんだ。いつか無知の代償を払わないといけないときがくるから、カナミも注意したほうがいい」
「無知の代償?」
急に小難しい言葉を使い始めたディアに違和感を感じる。
「ああ、知ろうとしなかったことのツケがまわるんだ」
そして、ディアは忌々しく吐き捨てる。その言葉が深く突き刺さる。
それは戦争について言っているのだとわかる。現にいまの僕は、軽く『ディメンション』を広げただけで、戦争に苦しんでいる人たちの生活に動揺してしまっている。拾う言葉全てが、ぬるま湯の世界で生きてきた僕を責めているような気さえしてくる。
けど、ディアが言ったのは僕へでなく、自分自身へ言っているように聞こえた。
実際の戦争について少し話しただけで、陰鬱とした空気が流れる。
しかし、それを打ち破るかのように、ハイテンションのラスティアラが叫ぶ。
「――というわけでっ、まずは酒場かギルドで情報収集かな!? いやあ、冒険の王道だね! 英雄譚の出だしだね! わくわくしてきたよ! えーっと、酒場はどこかなーっと!」
その持ち前の明るさに感謝しつつ、僕はぴしゃりとラスティアラの望みを絶つ。
「いや、情報収集なんてないよ。『ディメンション』でパリンクロンの話を拾うだけだから、探すのは宿だね。落ち着ける場所さえあれば、どこでもいい」
「え、あ、あれ、本当に酒場行かないの? カナミってばヴァルトの酒場には御恩が一杯あるよね。なのに酒場行かないの?」
「僕が恩を感じているのは連合国ヴァルトの酒場だ。この街の酒場じゃない」
「いや、せっかくなんだし観光のついでに情報集めようよ……。ちゃんと足使おうよ……」
「言っとくけど、パリンクロンをどうにかしたら、すぐに本土から離れるからな」
「え、えー……。つまらないっ、ほんとカナミの手際はつまらないんだから!!」
「『ディメンション』が一番確実なんだから仕方ないだろ……」
「こういう細かな積み重ねが冒険を盛り上げてくれるのに! カナミは何もわかってない! 私の苦労もわかってよ! これをお話として纏めるとき、私はなんて書けばいいの!?」
「普通に「仲間の魔法『ディメンション』でパリンクロンの居場所を見つけた」でいいんじゃないのか?」
「話が早すぎる! もっとあるでしょ! こう、情報収集途中でいざこざに巻き込まれたりとか、パリンクロンの居場所を知りたければこの依頼をこなせとか、色々!」
「そう都合よく問題が起きてたまるか。僕は最短最速の無駄ゼロでパリンクロンを処理するつもりだからな」
僕とラスティアラはいつもの調子でお互いの主張を擦り合う。
こうして無駄なようで必要な話をしている内に、僕たちは目的地へ辿りつく。
「カナミ、ラスティアラ、宿についたけど……」
先導していたディアが振り向く。入る前に口喧嘩を止めて欲しいようだ。
「ほら、無駄話している内に宿屋へついたぞ」
「無駄じゃないもん、大事なことだもん。このままじゃ、二章パリンクロン・レガシィ討伐編があと数ページで終わっちゃう。まずいまずいまずい……」
話を終わらせて、宿の中へと入っていく。
適当な偽名を使って、受付に話しかける。違う名前を使うのに慣れてきている自分が少し悲しかった。
そして、一番高い部屋を二つ借りる。もうお金に困ることはないと思うので大盤振る舞いだ。
受付の話によると、フーズヤーズで泊まった宿と同じで、ここも食事付きのようだ。金払いのいい上客だったので、とても丁寧に教えてくれた。
早めの昼食を摂ることに決めた僕たちは遠慮なく、宿の食堂へと向かう。寝坊したディアは何も食べていないのが丁度よかった。
食堂の様相は、かつて泊まったフーズヤーズの宿と似ていた。
料理を手に、席へと着きながら話す。
「んー、居残り組みはちゃんと昼食作って食べるかな……。スノウとか放っておいたら、餓死するまで怠けそうで怖い」
「一応、セラちゃんに作れって言ってるけど、結局はリーパーが作る流れになっちゃうんじゃないかな。ほら、リーパーってカナミに似て、器用になんでもできるし」
「まあ、僕の感情と経験がリーパーに流出してるから、必然と似ると思うよ」
「例の『繋がり』ってやつ? プライベートな感情まで漏れるから私たちは断ったけど、カナミは残してるんだっけ?」
「僕とリーパーは親友だからね。ちょっと感情を共有するくらい平気だよ」
「いや、普通は親友でも断ると思うけどね……」
「そりゃ迷宮探索が有利になるからという打算もあるよ。『繋がり』があると何かと便利だ」
「そ、そう。それならいいけど……」
ラスティアラは引きつった顔で追求を止めた。隣のディアとマリアも似たような顔をしている。やはり、一般的に考えて感情の共有は狂気的な行為のようだ。
僕も理性ではわかっている。
けれど、やめようとは思わない。
リーパーを守るとローウェンに約束した以上、彼女の危機には目を光らせないといけない。そして、できるだけリーパーに僕を通して力を分け与えないといけないというのもある。張りぼての成長かもしれないが、直接的な戦闘力はあって困るものではない。
その代償に失われる相川渦波のプライベートなんて些細なことだ。
いまはそれよりも大切なことがたくさんある。
その中の一つ。
パリンクロンを探すために、休むことなく『ディメンション』を発動させる。
「それじゃあ、時間がもったいないから、食べながらパリンクロンを探そうか」
索敵を始めた僕を見て、マリアは小さな火の玉を作り出す。
「私もやろうと思えばできますが……」
アルティと同じで、マリアは炎で周囲の情報を拾得できる。炎を散布させれば、『ディメンション』と同じ効果が期待できるだろう
「僕一人でいいよ。マリアの炎は目立つからね」
「はい、わかりました」
「――『ディメンション・多重展開』」
料理を口に運びながら、『並列思考』で知覚範囲を広げていく。
魔力を練りこみ『ディメンション』の密度を上げ、人々の会話を拾い集める。もちろん、スノウの振動魔法と違って、音に対する精度は低い。
ただ、今回は口の動きを読んで会話まで拾う必要はない。「パリンクロン」という六文字を発している人を探すだけでいいから楽だ。
宿を中心に、周囲の民家、酒場、役所、あらゆるところへ範囲を広げていく。
「――え、あれ?」
その途中、見知った顔を見つける。
この宿に一番近い酒場。その中で少年騎士が、周囲の人たちに聞き込みをしていた。
「ラ、ライナーがいる……!」
風属性の魔法道具を大量に身につけ、腰に折れた魔剣『ルフ・ブリンガー』を下げているので間違いない。
ステータスを見るまでもなく、彼がライナー・ヘルヴィルシャインだと確信する。
「というか、すごい近い。あ、危ない……!」
すぐ隣の建物だ。
少しでもタイミングが違っていれば、遭遇していたかもしれない。
ラスティアラが僕の口から漏れた名前に反応する。
「え、あの弟君がいるの? けど、素人の航海だったとはいえ、真っ直ぐ本土まで来た私たちより早いっておかしくない? あっちは陸路を真っ直ぐ来たのかな」
「なりふり構わずここまできたんじゃないかな。あいつの恨みようは、すごかったからね」
「で、ライナーは何してるの? やっぱり、私たちを探してる?」
「うん、人探ししてる。よかった。酒場とかギルドで情報収集しなくて……」
「ほ、ほらやっぱり! ちゃんとあっちいってたらイベント発生してたんだよ! 面白くなってたはずなんだよ!」
「そんな遭遇戦みたいな真似はしたくない。できれば、彼は上手く説得して仲間に引き込みたいところだからね」
「え、ぼこぼこにしないの? こっちが先に捕捉したんだから、町外れに一人でいるところを狙って、みんなで囲んで襲えばいいんじゃない?」
「それをしたら一生誤解が解けないだろうが、馬鹿……。できればライナーは仲間――最低でも協力者にしたいと思ってるんだ。だから、それだけは駄目だ」
「え、仲間にしたいの? あんなに面倒くさそうなのを? それより、ぼこぼこにしたあと、連合国へ送り返したほうが楽じゃない?」
「嫌だ。ライナーは絶対に仲間にする。そのために『ヴアルフウラ』の最後、名指しで煽ったんだから」
「えー……、弟君かー……」
ラスティアラは露骨に嫌そうな顔をする。
「俺は反対だな。あいつは姉のフランよりも気にいらない」
「私も敵というイメージしか、彼にはありません……」
ディアとマリアからは殺気すら感じる。
不思議なことに、他のメンバーからの好感度は絶望的だった。やはり、舞踏会が終わったあとの一幕が致命的なのかもしれない。
しかし、僕は諦めない。
個人的な感想だが、ライナーとは話せば分かり合えると思っている。
何より彼は、いまのパーティーの男1女6という状況を打破してくれる逸材なのだ。誰か一人でも苦楽を共にできる同性がいれば、僕の胃の状態がまるで違ってくる。
何とかみんなを説得しようと、ライナーの良いところを考える。
しかし、ろくな思い出がなくて絶望しかける。出会えば死にかけているか殺しにきているかの二つに一つだ。
それでも僕がライナーに好意的なのは、彼の家族思いな性格のせいだろう。
ライナーの家族への接し方は、とても共感できる。
よし。みんなには家族思いの心優しき少年とアピールしよう。そうすれば、みんなも彼の良さをわかってくれるに違いない。
そして、いかにライナーをプレゼンしようかと段取りを考え始めたとき、『ディメンション』が違和感を見つける。
酒場を歩くライナーの外套が揺れる。なんと、その外套の下から見える両手には手錠がかかっていたのだ。
さらに違和感は続く。
ライナーの話す会話の内容が予想と全く違っていた。
「――あれ? ライナーが探してるのは僕たちじゃない?」
人を探しているものの、その探し人の名前が僕たちではなかった。読唇が間違っていなければ、『栗色の髪』『小柄でやかましい』『シア・レガシィ』と言っている。
「え、誰を探してるの……?」
「この前会った、シア・レガシィって子。なんで、彼女を探してるんだろう」
「へえ、私たちが目的じゃないんだ。それなら、みんなで会いに行ってみる?」
ラスティアラの口調は軽い。
けれど、この軽さはライナーと戦っても圧勝できると思っての軽さだ。話がこじれれば、きっと彼女はディアとマリアを誘って、宣言どおりライナーをぼこぼこにすることだろう。
慌てて僕はそれを拒否する。
「大勢で威圧するのはよくないよ。まずは僕だけで会って話してみようと思う」
「んー。さっさと全員で襲って、捕まえたほうがいい気がするけどね」
ラスティアラたちは徹底して交戦の構えだ。
ライナーの命を守るためにも、絶対に一人で会わないといけない。
「もし捕まえるとしても僕一人で十分だよ。前はローウェンがいたから逃げられただけで、力の差は歴然だからね」
いま、そのローウェンは僕の手元にある。荒事で遅れをとることはないだろう。
「確かにそうだけど……」
ラスティアラは不満そうだ。その様子から、強引に彼を本土から退場させようとしているのがわかる。
「パリンクロンを倒す共同戦線を持ちかけるけど、もちろんこじれる可能性もあるよ。交戦中、手が足りないと思ったら、大魔法を放つよ。それを見かけたら、助けに来て」
妥協案を提示して、みんなを納得させる。
一人だけで席を立ち、宿の外へ出る。十分な枚数の金貨をみんなへ渡しているので、支払いは問題ないはずだ。
そして、誰も僕を知らない初めての街を、ちょっとした観光気分で歩く。
久しぶりに一人となることができ、清々しい気分だった。
誰の目もなく、誰の盗聴もなく、命の危険もない。それだけで穴の空きかけていた胃の調子がよくなっていく気がする。
『ディメンション』を広げて、酒場で大した情報を得られず肩を落とすライナーを捕捉する。彼の顔を見るのは数日振りだが、待ちに待った往年の友のようにも見えた。
どれだけ自分が、自分の集めたパーティーに追い詰められていたかよくわかる状態だった。
酒場から出てくる小柄の騎士を僕は歓迎する。
小さく手をあげて、できるだけ気さくに声をかける。
「や、ライナー」
「――え、ななな、なっ、キリスト!?」
ライナーは驚きと共に、腰にさげた剣へ手をかける。僕の登場は予想外だったようだ。やはり、彼は僕を探していたわけじゃない。
「えっと、ここで何をしてるのかな……?」
『ディメンション』で事情は大体わかっている。
けれど、本人の口から確認を取りたかった。
「……あんたには関係ないことだ。けど戦り合うっていうなら、相手になるぞ」
しかし、ライナーは聞く耳を持とうとしない。
いまにも剣を抜いてもおかしくない体勢だ。
それでも僕は敵意なく彼に近寄る。強者の傲慢かもしれないが、いまの僕が彼を倒すのは容易い。ステータスの実力差を見る限り、危険はないと言っていい。
だからこそ、僕はそれ以上の結果を求める。
パリンクロンとの戦闘での助力だけでなく、迷宮100層までの長い道のりでヘルヴィルシャイン家の力が必要になるときがあるはずだ。
もちろん、姉のフランリューレでなくライナーを選ぶのは、僕の好みだ。
ライナーには他の人にはない『厳しさ』がある。僕はそれが欲しいのかもしれない。
……いや、もう単純に、異性の仲間はこりごりという理由もあるだろう。そこは否定しない。
「困ってるなら、助けなくもないけど……」
なので僕はライナーへ取り入ろうとする。
「誰があんたの手助けなんか……――」
けれど、断固としてライナーは内情を話そうとしない。
仕方なく、僕から本題を切り出す。
「――いや、いま君が探しているシアって子。知らない子じゃないんだ。その子がどうかしたの?」
「……待て。なんであんたがレガシィ家の『人柱』を知ってるんだ?」
「話せば長くなるんだけど……、ハイリって人に紹介してもらったんだ」
ライナーはハイリという名前を聞いた途端、表情を和らげる。
「ああ、そういうことか。あんたも、もう会ってるんだな。あの『魔石人間』に」
「ということは、ライナーも?」
「ああ、会ってる」
「よかった……。それなら、ハイリからハインさんの話は聞いてるよね?」
フーズヤーズの神官やフェーデルトなんて胡散臭い相手ではなく、当事者の記憶から聖誕祭の話を聞けたのなら、僕たちへの誤解も解けているはずだ。
だが、安心した僕とは逆に、ライナーは声を荒げる。
「何がよかっただ、何もよくない! 確かに話は聞いたが、だからといってあんたたちを許そうとは思ってない! そもそも、あの『魔石人間』がハイン兄様の記憶を正確に受け継いでるなんて保証がどこにある! 僕は信じていない! 施術したのは、あのパリンクロンだぞ!」
とても共感できる言葉をライナーは吐く。それは僕も思っていたことだ。
「えっと、ならライナーはハイリのことを、どういう風に扱っているんだ?」
「どうもこうもない。本人が別人として扱ってくれって言ってるんだ。そう扱う。――兄様の記憶を少し持ってる、余命短い『魔石人間』。それ以上でもそれ以下でもない。あんたは違うのか?」
「いや、同じだよ。僕も彼女にそう言われたから」
ライナーはハイリを兄として見てはいないようだ。
その慎重さに感心するが、誤解が解けていないのは面倒だ。
「だから、あんたのことは――」
「――えっと、シアって子、もう見つけたよ」
なので、いまは信用を売る時期だと判断する。いきなり全て誤解だと仲間になってくれと、言葉の洪水を浴びせてもライナーは納得しないだろう。
ライナーは理論でなく感情で納得させなければいけない。それは彼との短い交流でわかっている。
僕は『並列思考』でライナーと話しながら、『ディメンション』を展開していた。
彼の探し人シア・レガシィは捕捉済みだった。
「な、本当か……?」
「僕の次元魔法なら街一つくらい簡単に把握できるからね」
ライナーは渋い顔を作って、数秒ほど思案した。
そして、観念した様子で、丁寧に頭を下げた。
「……都合のいい申し出をしているとはわかっている。頼む、教えて欲しい。あいつはどこらへんにいるんだ?」
「港だね。……丁度、国外へ売られようとしてるけど」
『ディメンション』で得られる情報では、彼女の状況は一刻一秒を争う事態となっていた。
治安の悪そうな港の隅。堅気ではない男たちによって、さらわれたであろう人たちと一緒に船へ積み込まれようとしていた。
栗色の髪の少女シアは何が起きているのかわかっていない様子で、なすがままとなっている。
「あ、あの馬鹿リーダー! やっぱりか! 何をどうしたら、そんな超特急で不幸に遭えるんだ、くそ!」
ライナーは剣にかけた手を離して、僕を置いていこうとする。
慌てて彼を呼び止める。
「待て、ライナー!」
「ああ、癪だが、感謝してる! だが時間がなさそうだから、僕は行かせてもらう!」
律儀にもう一度頭を下げなおして、ライナーは駆け出す。
しかし、僕は感謝が欲しかったのではない。その後ろを追いかけて叫び返す。
「違うっ、僕も手伝う! 港はわかっても、どの船かわからないだろ!?」
「……か、勝手にすればいい!」
さらに渋い顔を作って思い悩んだあと、ライナーは折れた。
僕はライナーの隣に併走して、笑顔で協力の意志を示す。彼との関係を修復するチャンスだ。逃そうとは思わない。
酒場から離れ、街の人ごみの中を縫うように進む。
風のように走り、外套が後ろへとなびく。外套の下が剥き出しになり、ライナーの両手が露わになる。『ディメンション』で感じたとおり、その両手は手錠にかかっていた。
ちらちらと何度も手錠が目に入る。その手錠は木製だった。ライナーが力を入れれば、簡単に壊れそうに見える。しかし、魔力のこもった特別製であることは一目でわかる。腕力では外せない代物なのかもしれない。
好奇心を抑えきれず、僕は聞く。
「――というかその手錠、どうしたの?」
「くっ、こ、これのことか……! これは気にするな! こっちも色々あったんだ、色々!」
ライナーは両手を僕から見えないように隠そうとしながら、顔を赤くする。
その表情から本意でつけているわけでないことがわかる。
これもまたチャンスだと思い、協力の意志を見せる。
「ライナー、僕でよかったらそれも力になるけど……?」
「別に構わない。困ってるわけじゃない」
「困ってない? 両手が使えないのに?」
これから港へつけば、荒事になるのは間違いない。戦闘において両手を使えないのは致命的だ。なのにライナーが困らないと言うのは不思議だった。
疑問の目をずっと彼に向けていると、我慢しきれなくなったライナーは叫ぶ。
「しつこいなっ、わかったよ! 説明してやる! パーティーの仲間に緊縛趣味のやつがいて、ちょっと手錠されてるだけだ! そいつ本人じゃないと、これは外せないんだよ!」
「え、それ仲間にやられたんだ……。ひどいパーティーだね。しかし、なんでまた、そんなパーティーに入ったの?」
「兄様の記憶を餌に入れられたんだよ!」
シアを探している以上、ハイリと同じパーティーなのだろう。
しかし、そのパーティーへ入ってるのは嫌々であることがその表情からわかる。
ライナーは堰を切ったように愚痴をこぼしだす。
「それでっ、ハイリさんが寝込んでるっていうのに、どいつもこいつも役に立たないから! 手錠かけてる僕が嫌々リーダーを助けに行ってるんだ! ああ、本当に僕は何やってるんだ!」
「そ、それはなかなか難儀なパーティーみたいだね……」
「哀れむような目で僕を見るな! ちっ、あんたのパーティーはいいよなっ、いいとこのお姫様とお嬢様に囲まれて! 見るからに優しそうなやつらばっかりだ!」
「えっ? え、ああ、うん。ん? ……いや、そうでもないんだよ?」
「こっちなんか、緊縛だぞ、緊縛! あと、あいつら、ことあるごとに僕を踏もうとするんだ! 新人をいじめて楽しんでやがる! あいつら絶対にサディストだ!」
いまにも血を吐きそうな様子のライナーに親近感が湧いてくる。やはり、彼こそ僕と苦労を分かち合える存在だと確信させる顔色だ。
「それは大変だね。けど、こっちも楽じゃないんだ……。聞いてよ、こっちはことあるごとに炎上しそうになるんだよ。あと、ちょっとしたことで命の危険がつきまとうんだ。正直、あいつらの魔力が凶悪すぎて、見るだけで足が震えるんだよね……」
「え、炎上っ? 命の危険って、えっと、あんたら仲間なんだよな? 協力し合っているんだよな?」
「そのはずなんだけどね……。日常的に盗聴されてるし、仲間からはそのうち刺されるって言われるし、全く心落ち着かないんだよね……」
「そ、そこまでこっちはひどくないな……」
トラウマで震えている僕を見て、ライナーの威勢が弱まる。いまなら、同情を引いて、ライナーを仲間にできるかもしれない。
「だから、こっちのパーティーへライナーに入ってもらって、僕の相談相手になって欲しいって思ってるんだ!」
渾身のスマイルでライナーを引き抜きにかかる。
「お、追い詰められてるな、キリスト……。けどいまの話を聞いて、そっちのパーティーに入ろうって思うわけないだろ。僕はこっちのドSパーティーで我慢するよ……」
「そこをなんとか……!」
「いや、そもそも僕はあんたを殺しにきてるんだぞ。入れるわけないだろ!」
「殺しにきてるくらいセーフだから! うちのパーティーならそれくらい許されるから!!」
「いやそれがセーフって、おかしいだろ!?」
「ちょっとだけ! ちょっとだけでいいから入ってみない!? お試しで――」
僕とライナーは騒ぎながら走る。
すれ違う人々に奇異の目を向けられても、僕は勧誘を止めない。
そのしつこい勧誘を受け、ライナーは苦笑いを見せる。
それは初めて迷宮で出会ったときの表情に近い。いや、それよりももっと自然体だ。
「あー、調子が狂うな、もう……」
ライナーに敵意はない。
いまここにいるのは殺しあう二人なんて物騒な関係ではない。例えるのなら、探索者の先輩後輩といったところだろうか。
「僕は久しぶりに心安らいでるけどね……」
言葉を間違えても命の危険に晒されない。ライナーの絶妙な力量のおかげだ。
たったそれだけのことが、僕は嬉しかった。
僕の顔を見て、ライナーは呆れた様子でため息をつく。
「はあ……。やっぱりキリスト・ユーラシアは、悪いやつじゃないんだな。初めて会ったときの第一印象のままだ……」
恨みや戦いの話ではなく、くだらない話を交えたことで、僕とライナーは互いの人柄を理解しかけていた。
誤解全てが解けたわけではないが、その糸口が生まれたのは間違いない。
やはり、一人で彼と接触したのは正解だった。
「けど勘違いはするなよっ。全てを確かめるまで、あんたと馴れ合う気はないからな!」
自分の失言に気づいたライナーは、恥ずかしそうにそっぽを向く。
「でも確かめるまで、僕を狙う気はなくなったんだろ? それだけで僕は十分だよ」
「そうだな……。確かめるさ、絶対に。誰かの言葉じゃなく、自分の目で確かめる――」
目を背けたまま、ライナーは力強く誓う。
その誓いの言葉は、僕も見習いたい言葉だった。
そして、とうとう街を抜け、海の見えるところまで出る。
無数の海鳥が天を舞う空の下で、リヴィングレジェンド号にも負けぬ巨大船が何隻も停泊している。肌の焼けた屈強な船乗りたちが歩き回っている。
喧騒の途切れることのない活気溢れる港だ。
「――港へついたぞ、キリスト! それで、どの船だ!」
ライナーは港へついた途端、全身を戦意で漲らせる。
しかし、『ディメンション』から伝わってくる情報は芳しくない。
「あ、もう出港してる」
シアの乗った船は港から離れていた。
「くそっ、あんたが変な話するから!」
「いや、ライナーが話を広げたんだろ!? ――いや、いいから、出た船を早く抑えよう!」
「そうだな! ――『風の王は歩む道を選ばない』っ、魔法『ワインド・放浪者』!」
ライナーは初めて聞く詠唱と共に、海へと跳ぶ。
そして、足元から魔法の風が流れ、海を陸地のように走る。その絶妙な魔力コントロールに僕は驚く。明らかに『舞闘会』のときよりも強くなっている。
僕も氷結魔法を使って、海の上へ乗る。
ライナーも海上で行動可能であることを計算に含めて、僕は指示を出す。
「じゃあ、そのままついてきてくれ。まずライナーは船の頭を抑えて騒動を起こして欲しい。その騒動に紛れ込んで、僕が次元魔法でシアを探すからっ」
ライナーは頷き返しながら走る。
その速度は比喩なく風そのものだ。風の魔法使いとして、彼は新たな領域にいたっているのがわかる。
――その力はライナーの尊敬する兄を超えようとしていた。




