145.息のできない再会
術者の消失により、天井まで一杯だった水位が下がっていく。すぐに僕は上へと泳ぎ、水上に顔を出す。そして、抱えていたラスティアラに呼吸をさせる。
「――はぁっ、ごほっ、ごほっ!!」
せきこみながら、ラスティアラは肺一杯に息を吸い込む。
遠くでセラさんとリーパーも浮かび上がっているのを確認して、僕は安堵と共に
深呼吸をする。
「はあっ、はぁっ」
危なかった。
あと少しで大変なことになるところだった。
もしラスティアラが身を僕に任せてくれなかったら、もしリーパーが僕の心の叫びに気づいてくれなかったら、セラさんが迷いなく『繋がり』を受け入れなかったら、誰か1人でも欠けていたらこの結果は引き寄せられなかっただろう。
危ない橋を渡ったのは間違いない。けれど、僕は何とか乗り越えて見せた。
スキル『???』の薦めた方法の上を行ったことが嬉しくてたまらなかった。
勝利宣言のように、忌々しいスキル『???』を罵倒する。
「――誰が削るもんか……! 何が死ななければ安いだ、そんなわけあるか……!」
まるでスキル『???』が人間であるかのように否定する。
しかし、すぐに我に返る。確かにスキル『???』から人間味を感じたのは確かだ。だからといってそれを一個人として扱い罵るなんて、馬鹿な真似をしている。
とにかく、今回は悔しくもスキルを発動させてしまったが、だからといって思い通りにはならないことを誓い直す。
ただ、その誓いの代償は大きいようだ。
パーティー四人の残りMPを確認する。
全力で魔法を使っていたのはたった数秒ほどだったが、全員のMPが半分以上失われていた。せっかくリーパーのおかげで温存していた魔力がほとんど消費されている。
四人の共鳴魔法は強力だが、余り実戦的ではない。
水位が下がりきり、元の浅瀬へと戻っていく。
ようやく呼吸の落ち着いたラスティアラが、申し訳なさそうに声を出す。
「ご、ごめん、カナミ……。私が調子に乗ったせいで……」
どうやら、先ほどの叫びを聞いて、僕が怒っていると思ったようだ。
僕は首を振って、優しく言葉を返す。
「いや、違うんだ。いまのはラスティアラに怒ったんじゃない。スキル『???』が発動して、ちょっと苛立っただけだよ……。ラスティアラはあの状況でよく共鳴魔法を合わせてくれた、助かった」
「え、『???』が……? ほ、ほんとだ。混乱が上がってる」
ラスティアラは『擬神の目』で僕のステータスを確認した。
「こんなところでスキル『???』を使ったのは、ちょっと痛手だけど……。まあ、さほど影響はないから気にしないでいいよ」
「そ、それならいいけど……。けど、その……、息ができなくて、その――」
ラスティアラは頬を赤く染めたまま、言葉を濁らせる。
察しのいい『感応』や『次元魔法』のせいで、彼女が何を考えているのかわかる。――その感情の機微がわかってしまう。
その様子を見て、やるせない気持ちで一杯になる。危惧していた事態が現実になってしまった。
不意の事故で口付けをしてしまったことで、ラスティアラは感情を高ぶらせている。しかし、その感情を僕はラスティアラと共有することができない。
いまにも駆け出しそうなほど恥ずかしがっているラスティアラに対し、僕はまるで数十年前の出来事を思い出すかのような冷静さだ。
絶望的な温度差だった。
そして、最低なことに、いま僕は冷静にこの一件をいかに上手く収めるかだけを考えている。
恋をしても同じ道は進めないとは予期していたが、実際に起こると想像以上に悲惨なものだった。
この特殊な状況でなんと答えればいいか、僕には全くわからなかった。
合理的な考えで正直に言えば、口づけはなかったことにしたい。以前と同じように「今回も状況が卑怯だ」なんて適当なことを言って終わりにしたい。
けれど、そうもいかない。
今回は抱擁ではなく接吻だ。いわゆるキスだ。どれだけ人工呼吸だったと言い訳しようと、そこを誤魔化すことはできない。
女の子であるラスティアラの唇を奪ったからには、それなりの責任を負わないといけない。そう、元の世界の価値観が僕を非難し続けている。
思考がぐるぐると空回り、返す言葉に迷っていると救いの声が割り込んできた。
「カナミぃっ、貴様ぁ私は見てたぞ! 戦闘中に、お、お嬢様と――っ!!」
激昂したセラさんが、浅瀬の中をばしゃばしゃと歩きながら詰め寄ってくる。
その真っ当な怒りが、いまはとても助かる。
「……セラさん、あれはただの人命救助だったんです。やましい気持ちは何一つありません。もう本当に」
いまにも掴みかかろうとするセラさんに、僕はひどく冷めた声で答える。自分でもびっくりするほど冷淡な答えだった。それが悲しくて、僕は眉をひそめる。
その返答と表情から、ラスティアラは状況を悟ってしまう。
「……そっか」
赤みがかった顔を少しだけ俯かせる。
スキル『???』がどんな感情を持っていったのかをラスティアラは理解してしまった。
その間もセラさんは怒鳴り続ける。そのまま殴り飛ばしてほしいが、そこまではしてくれない。
「人命救助で接吻していいのなら私がしている! 貴様にやましい気持ちがなかったなど、信じられるものか!」
「あれは戦闘で必要だったことなんだから、気にしちゃ駄目だよ。セラちゃん」
スキル『???』もないのに、感情を上手く殺したラスティアラが仲裁に入る。
情けない。結局はラスティアラに負担をかけっぱなしだ。
「しかしですね、お嬢様っ。今のを気にしないというのは余りにも――」
「――なかったことにしよう、今回も。あれはただの人工呼吸だった。戦闘に必要なことだった。それ以上でもそれ以下でもない。いい?」
「あれをなかったことになんてできるわけありません、お嬢様! そんな不誠実な真似、私は許しません!」
とても正しいことをセラさんは主張する。
やはり、セラさんの考え方は僕と一緒だ。価値観がとても似通っている。だからこそ、いま彼女と同じことを言えない自分を悲しく思う。
その悲しみを含め、全てを察しているラスティアラは強引に話を終わらせにかかる。
「ほーら、セラちゃん。落ち着いてー」
そう言って、ラスティアラはセラさんのほっぺに軽くキスをした。
「にゃ、にゃにを!? お嬢様!?」
セラさんは耳まで真っ赤にして驚く。
「このくらい大したことじゃないって。ほら、平気平気」
「いや、そういう話ではなくてですね、お嬢様。えと、その――」
「――いいからいいから、それともセラちゃんも人工呼吸したい?」
「い、いえっ、そういうわけではなく!」
意中のお嬢様にキスされたことでセラさんは大混乱に陥る。
その間もラスティアラはセラさんに過剰なスキンシップを取って、何もかもをうやむやにしようとする。
僕はラスティアラの好意に甘えることしかできなかった。この借りはスキル『???』が消えたときに必ず返すと誓って、静観する。
そして、僕は一人取り残され、そこへ口惜しそうなリーパーが話しかけてくる。その様子から『繋がり』で、僕の事情を察していることがわかる。
「ごめん、アタシが役に立たなくて……。そのせいで……」
「いや、リーパーもよくやってくれたよ。リーパーのおかげで全力の氷結魔法が構成できたからね」
「……次からは、ボスモンスター相手に油断しないようにしよ?」
「そうだね。今回はみんなに油断があった」
二人で今回の反省点を戒めあう。
軽い考えでボスと戦ったのが過ちだ。純度の高い魔石を集めるときは、もっと余裕を持って浅い階層のボスモンスターから手に入れよう。
その後、ラスティアラによって無理やり納得させられたセラさんから「次はないからな!」と釘を刺され、探索が再開される。
「それじゃあ、行こっか。カナミ」
そして、ラスティアラはいつも通りに戻っていた。
その内心の辛さを測ることはもうできない。
「ああ、行こう」
僕もスキル『???』でいつも通りとなっている。
しかし、内心は逆に慌てふためいている。
澄み渡る思考が、かつてない勢いで回転している。
スキル『???』の発動は聖誕祭以来のことだ。そこへスキル『並列思考』が併用されてしまい、無意識の思考を止めることができなくなっている。
このままでは、気づかなくてもいいことに気づいてしまう。そう思った僕は、必死に思考を抑えこむ。
前へ進むラスティアラの後ろをついていきながら、僕は顔を歪ませる。
こうして、三十四層でのボス戦は終わった。――最悪の形で。
しかし、まだ迷宮探索は終わらない。
さらに最悪は重なっていく。
そして、僕は出会ってしまう。
あの白い少女と――
◆◆◆◆◆
ガルフラッドジェリーとの戦いが終わり、僕たちはさらに迷宮の奥へと進んでいく。基本的に敵を避けて移動しているため、とんとん拍子に探索は進む。
そして、僕たちはあっさりと三十五層の階段を見つけた。
ただ、見つけたのはいいのだが、その階段を見て僕たちは足を止めざるを得なくなる。
ラスティアラは頭を抱えて、顔を明るくして呟く。
「やっぱり、こうなってたのかー。この浅瀬の時点で、薄々とそうなんじゃないかなあって思ってたけどねー」
セラさんも同じく頭を抱える。こちらの顔は暗い。
「困りましたね……。これでは先へ進めません」
手を階段へと伸ばし、ちゃぷちゃぷと水に触れる。
「一応、僕だけなら行けるけど……」
水に沈みきった階段を前に、僕たちは作戦会議を行っていた。
「ラスティアラは泳げないんだよな?」
「恥ずかしながら、その通り!」
「で、リーパーも泳げない」
「うん、アタシも泳げないよ!」
「二人とも元気な返事ありがとう。それでセラさんは犬かきレベルと……」
「次に私を犬と呼べば殺す」
「いや、別に犬とは言ってないって……」
ラスティアラとのスキンシップで上機嫌だったセラさんが一瞬で不機嫌となる。事実の確認をしただけのつもりだったが、どうも言葉の選び方を間違えたようだ。
それにしても、体育の授業のありがたみがわかる状況だった。
運動神経抜群のラスティアラまで泳げないのは意外だ。しかし、海や湖のない地域で育てば、これが普通なのかもしれない。船で待機している三人も似たようなものの可能性は高い。
「帰ろうか。泳ぎの練習してから再挑戦をしよう」
今回の探索は散々だったと思いながら、僕は階段に背を向けて、回廊の端へ『コネクション』を作ろうとする。
――そのときだった。
水の跳ねる音が聞こえる。
いま視界の中に仲間三人ともが揃っている。それにも関わらず、背後から音が鳴った。
次元魔法を構築しながら、咄嗟に振り返る。
そこにいたのは見知らぬ女の子。
一糸纏わぬ姿で、丁度水からあがるところを目撃してしまう。
「え、人――?」
まずこの深層に人がいることの驚き、次にその少女の姿に驚く。
後ろに結び垂らした真っ白な髪が、尻尾のように揺れる。透き通るほど白い肌のせいか、髪と肌の境目がわかりづらい。氷のような薄青の双眸に、薄桜色の唇。一種の芸術品かのように、少女は白一色に染まっている。
その裸体は冬に広がる処女雪を連想させ、同時に踏み荒らされることが確約されているかのような危うさも感じさせた。
裸体だからこそ、彼女の異常さがよくわかる。余りにも肉が少な過ぎる。病人のように痩せこけ、もはや骨と皮だけのように見える。けれど、その身の美しさは損われていない。むしろ、退廃的な美しさが増しているほどだった。
しかし、その美しい肢体に驚いたわけではない。
驚いたのは、その顔。
その肢体に見合う、おとぎ話のお姫様のような可憐な顔。
その顔に見惚れ――そして、既視感を感じた。
唐突に襲った既視感が、僕の心臓の音を速める。
白の少女と目が合う。
少女も僕と同じように驚き、呟いた。
「しょ、少年……? それと……」
優しい声だった。
驚いていながらも、声に棘が一切なく柔らかい。その言葉遣いから、彼女の育ちの良さがよくわかった。
そして、その声にも既視感を感じる。
正体不明の懐かしさが、脳内にまとわりつく。
その理由が気になって仕方がなかった。だから、僕は聞いてしまう。
「……あ、あの、どこかでお会いしたことがありますか?」
「え? えっと、それは――」
少女は唐突な問いかけに焦り、口ごもる。
その反応を見て、ようやく自分の愚かな行為に気づく。
これではまるでナンパをしているかのようだ。もっと他に言うべきことがあるはずなのに、どうして僕はこんなことを聞いたのだろうか。
心の底から沸いてくる正体不明の衝動に戸惑う。
そして、先に戸惑いから立ち直ったのは少女のほうだった。
問いに答えることを止めて、口をきゅっと締める。
その優しげな目を鋭く細め、攻撃の意思を見せる。
「――『次元を刻む風よ』、『世界の音を囲め』――」
詠唱と共に、少女の魔力が嵐のように渦巻き始める。
その荒々しさから、少女の戦意を確信する。
「向こうは戦る気みたいだよ、カナミ! 裸見られて、怒ってるんじゃない!?」
後ろのラスティアラが僕を怒鳴る。
釣られて僕は頭を慌てて下げる。
「待ってください! 争う気はありません! 裸を見たことなら謝ります! いや、ほんとにすみませんでした!!」
しかし、少女の詠唱は止まらない。
「――『ゼーア・ワインド』!」
それどころか、視線を外している僕へ容赦なく魔法を放ってきた。
懐かしい魔法名と共に、暴風の魔法が獣のように襲い掛かってくる。
その魔法の発生を『感応』で感じ取っていた僕は、横に飛んで直撃を避ける。
セラさんは『獣化』してリーパーの服を噛み掴んで安全地帯へ逃げていた。ラスティアラも同様に退避している。
彼女らは僕と違って警戒を解いていなかった。経験豊かな動きで、魔法を完璧にいなした。
仲間の無事に一安心していると、魔法の発動と同時に駆け出していた少女が僕へと肉迫する。
どこから出したかわからない双剣を、少女は振るってくる。
『アレイス家の宝剣ローウェン』で双剣を受けながら、少女の剣術の質を確かめる。この見覚えのある戦い方は、間違いなくヘルヴィルシャインの剣術だ。
既視感を確信へ変えさせるには十分だった。
この戦い方。この魔法。この剣術。そして、その顔。身に纏う空気――
「――ハ、ハインさん?」
戸惑いと期待の混ざった震え声が漏れる。
実のところ、既視感には二種あった。
確信したのは片方、もう片方は曖昧なまま。
だから否定でも肯定でも、僕にはどちらでもよくて――
その名前を聞いた少女は微笑む。
「よくわかりますね、少年……! だが、不正解です! ――『ディメンション』!」
「次元魔法!?」
――運命は片方へと傾いた。曖昧な方の可能性は消えうせる。
少女は不正解を証明するかのように、ハインさんの使えない魔法を使った。
感覚を研ぎ澄ませ、鋭さの増した双剣を滑り込ませようとする。
その滑らかな剣術はハインさんに似ている。しかし、力は全くの別物だ。
少女の振るう力、剣の速度、扱う技術、纏う魔力、目の動き――全てが、かつてのハインさんを大きく上回っている。
その実力を看破すべく少女を『注視』する。
――ステータス
名前 ハイリ・ワイスプローペ HP289/352 MP172/512-200 クラス なし
レベル 31
筋力15.46 体力15.77 技量15.72 速さ16.93 賢さ16.77 魔力29.72 素質3.25
――先天スキル:次元魔法1.79 水魔法1.03 風魔法1.77 神聖魔法1.24
血術1.01 剣術2.52 最適行動1.02
後天スキル:素体0.49――
スキル『???』を使ったばかりで合理的となっている思考を、『並列思考』が加速させる。
その人間離れした推理力が少女の出所にあたりをつけた。
「――あの野郎!!」
ここにはいない男の置き土産に、僕は全力で悪態をついた。