132.狭まっていく包囲網
マリアが去り、一安心したところで僕は『ディメンション』を展開する。
寝る前に船の進路の最終確認を行うためだ。
船の重要な部分を見直していると、スノウを見つける。僕の部屋からすぐ近くに彼女はいた。おどおどと落ち着かない様子のスノウが、部屋の中へ入ってくる。
「その、カナミと話そうと思って、たまたま来たら……、その……」
その様子から、マリアとの話を聞かれていたことに気づく。
そして、僕が気づいたことにスノウも気づき、素直に頭を下げる。
「……ごめん、カナミ。マリアちゃんとの話、聞いてた」
「いや、結構大きな声で話してたし。構わないよ」
ただ、大声を聞かれたのか、振動魔法で聞かれたのかで話は随分と変わる。断定は出来ないが、振動魔法で聞いていたような気がする。スノウなら普通にやる。
少し悲しげに、スノウはマリアとの話を繰り返す。
「ねえ、カナミはマリアちゃんのものになるつもりだったの……? 私のときは、あんなに駄目って言ったのに……」
一番気になっていたことを、スノウは単刀直入に聞いてきた。僕がマリアのものになると言ったのがショックだったようだ。
僕も飾ることなく答える。
「そりゃ、おまえとマリアじゃ事情が全然違うしな……。マリアとは本当に色々あったんだ」
「そ、そっか……。私のものじゃないって、つまりそういうことだったんだ……。え、えへへ。そっか、そうだよね……。大丈夫、知ってたよ。だから、カナミは私のものになってくれなかったんだね……。やっぱり、私が嫌いだから……――」
マリアのフォローをすると、スノウの瞳から光が消えていき、自己嫌悪に陥りかける。
その繊細すぎるスノウの心をフォローするために、僕は声を荒立てる。
「――スノウっ、まて、落ち着けっ。聞いてたならわかるだろ。マリアのときは深い事情があったんだ。僕はマリアを傷つけ過ぎた、だからマリアのものになっても仕方がなかったんだ。別に、スノウのものになるのが特に嫌だったとか、そういう話じゃない!」
スノウの肩を掴んで、必死に説明する。
ここへ来てスノウが元に戻るのは恐ろしい。
僕の切実な顔を見て、スノウは冷静さを取り戻す。
「ん、ん……。わかった」
「よかった。また、一昨日と同じ話をしなくちゃいけないのかと思ったよ……」
「ちなみに、私のものになってくれるなら、いつでも歓迎。私はマリアちゃんと違って、言われても困らない。むしろ、すっごい嬉しい」
「そうか、わかった……。凄いな、スノウ。一昨日の説得はなんだったんだろうな……」
「えへへ……」
僕の嫌味を、スノウは照れながら受け止める。
腑抜けきった表情で頭をかいている。
ウォーカー家と決別したあと、長年の枷から解放されたスノウはやりたい放題だ。そして、船に乗って連合国から出たことで、気の緩みは頂点に達していた。
気持ちはわかるが、もう少し気を引き締めて欲しいと思う。僕からすれば、パリンクロンと直接対決するであろうここからが本番なのだ。
しかし、スノウは僕の期待に応えることなく、にへらと笑いながら聞く。
「……それで、そろそろカナミは私のこと好きになってきた?」
「いや、なるわけないだろ。スノウはなると思ってるのか、昨日の今日で……」
スノウは恐ろしいくらい恋愛下手だ。
パリンクロンの用意した結婚相手がスノウでよかった。もう少し男心の分かる相手だったら、あの甘い世界に僕は負けていたかもしれない。
僕は呆れて溜息をつく。
するとスノウはびくっと震えて、汗を流しながら不思議がる。
「……あれ? なんでだろ、なんだか悪い感じ? あ、やっぱり呼び方なのかな? マリアちゃんみたいに、他にない愛称があったほうがいいのかな?」
全く見当外れのことをスノウは言い出す。
マリアやラスティアラたちを助けられなかった愚鈍な僕よりも酷い。そんなスノウの暴走を止めようとしたところ、恐ろしい言葉に遮られる。
「――うーん。……だ、旦那様とかどうかな?」
「駄目。無理。絶対、不可」
脊髄反射で僕は首を振った。
なぜ、マリアといいスノウといい、こんなにも重々しい愛称を選ぶのだろう。もっと手堅く好感の持てる愛称はたくさんあるはずだ。もはや、嫌われたくてやっているとしか思えない。これで好かれたいと言っているのだから驚きだ。
僕だって、頑として彼女たちを好きにならないようにしているわけではない。しかし、これではどう好きになればいいのかわからない。
「ほら、これでも私ってばカナミの婚約者だから。そういうのもありなんじゃないかなぁーって?」
「ちなみに、スノウの婚約者というのを了承したことなんて一度もない」
「でもシッダルクとの決闘で、それ同然のことはしてたよ。旦那様」
「あ、あったな、そんなこと……。一番意識が朦朧としてた時期だから、忘れかけてた……。いや、忘れたかった……」
「あれの責任くらいはとるべき。私への求婚者がいたら、これからは「カナミって旦那様がいるから無理」って言うからね」
「決闘の誓いだもんな。あれの撤回は難しいか、くそ……!」
僕は心の底から悪態をつく。
「えへへ、諦めてね。旦那様」
「すみません、スノウさん。旦那様だけは許してください……」
迷いなく頭を下げる。
これは僕だけの話じゃない。
明日、僕を旦那様と呼ぶスノウをみんなが見るとする。
すると、船の温度が急に下がるわけだ。当然、マリアに火が点いて、断固として例の所有者様を言い続けるわけだ。それをラスティアラは楽しそうに「ギリギリまで! ギリギリまで!」とか言って煽ることだろう。そうなれば、ディアだっていい顔はしない。セラさんも、その予測不可能な思考回路でとんでもないことを言い出すだろう。そうなると、親友リーパーは愛想をつかせて去ってしまう可能性すらある。唯一の平常者であるリーパーがいなくなれば、船は安全装置のない火薬庫となるだけだ。――簡単に船が堕ちる。
「……え、そんなに駄目なの?」
「頼む、スノウ。船がやばい。享年一日になる」
僕は真剣に船の命を心配する。
それが伝わったのか、スノウは渋々と頷く。
「これを言い過ぎると、本当にカナミは困るみたいだね……。わかった、やめる。私はカナミに好かれたいからね……」
「本当に好かれたいんだよな……? 嘘ついてないよな、スノウ。僕はこういうことに関しては騙されやすいから、勘弁してくれよ? なんだか、スノウに好かれるって罰ゲームのような気がしてきてるんだが……」
「嘘なわけないよ。私だってマリアちゃんと一緒で、死ぬほどカナミのことを愛してるよ」
「あ、ありがとう……」
スノウは本人を目の前にして恥ずかしげもなく言う。
あれでマリアは恥ずかしがりやなので「愛してる」とまでは明言していない。僕は唐突な告白にうろたえる。
そして、スノウは何かを期待しているかのような目を僕に向ける。
先ほどのマリアの話を聞いていたのならば、スノウも返答が欲しいのだろう。マリアが甘やかされたのを聞いて、今なら自分も甘えられると思ってそうだ。
僕は言葉を選んで、ゆっくりと答える。
「……ごめん、スノウ。すまないが、僕の一番の目的が達成されるまでは、その気持ちを受け止められないと思う。そのくらい、今の僕には余裕がないんだ」
「一番の目的……、ほんとの妹さんのことだね。カナミに「死んでも構わない」とまで言わせる存在……」
「ああ、僕は妹のために迷宮の最深部を目指してる。詳しくは明日話すけど、それを達成しないととても無理だ」
「……わかった」
誠意を持って話すことで、スノウは素直に頷いてくれた。
僕の説得スキルが上がってきていると実感する。伊達に何度も間違いを繰り返していない。
このまま、話を終わらせようとしたところで、スノウは向日葵のような笑顔で遮る。
「けど、それってつまり、カナミより先に迷宮の最深部へ辿りつけば、カナミは私のものってことだよね?」
「いや、そうなんだけど。そういうのはやめようよ。――というか、まだそれ狙ってるのか!? ほんと一昨日の決心とか誓いはどこいった!? 変わらなさすぎだろ、スノウ!」
本当にスノウは素直だ。素直に自分の欲求を一番に考えている。
「いや、ちょっとは成長したよ? このくらい」
スノウは親指と人差し指で1センチほどの長さを表す。
あの必死な説得は1センチ分の価値しかなかったらしい。
「ほんと人って、そう簡単に変わらないな……」
「そうだよ。だから、ゆっくりやっていこ、カナミ」
肩を落とす僕に対し、スノウは優しく笑う。
それは自分一番の彼女と少し違った。
「私から見ると、カナミは凄く焦っているように見える。だから、もっと肩の力を抜いて欲しい……。じゃないと、こっちが不安だよ……」
スノウは僕の状態を誰よりも正確に見抜いていた。彼女は記憶のない頃の僕との付き合いしかない。あの頃の僕は余裕があった。それと比べてしまうと、どうしても今の僕は焦っているように見えるのかもしれない。
僕は記憶が戻ったことで、多くの使命を思い出した。けれど、焦っていては良い結果を生まないということを心に戒め直す。
「そうだな……。少し力を抜くよ。ありがとう、スノウ」
思えば、頭の隅で常にパリンクロンのことばかりを考えていた。これでは、視野が狭くなり、また失敗してしまう。
自分だけでは気づけなかったことだ。僕はスノウへ素直に礼を言う。
スノウは笑顔を崩して、少し媚びた様子でお願いを始める。
「うん、力抜こう。私としては、ゆーっくり一年くらい船旅していたいんだよね。パリンクロンとか、もう放置して」
「いや、それは怠けすぎだろ……」
「でもパリンクロンは敵にすると面倒だよ? うざいよ? もうやめて、世界旅行とかしない?」
「ちなみにパリンクロンは守護者ティーダの魔石と同化してる。かなり強くなってるはずだから、戦うときはおまえも強制参加な」
「……う、うん? ……私は船番してるよ? 頑張ってお見送りする」
「船番くらい、人を雇えば大丈夫だ。遠慮するな」
「いや、守護者相手だけは、できるだけ遠慮したいんだよねー。ティーダかー、あのティーダの魔石持ってるのかー、パリンクロン……。あの馬鹿は……」
スノウはパリンクロン自身よりも、パリンクロンが守護者ティーダの魔石を持っていることに思うところがあるようだ。思い返せば、マリアのときも似たようなことを言っていた。
どうやら、スノウは守護者に対して苦手意識があるようだ。
「そんなに守護者が怖いのか……?」
「うん。昔、ちょっと守護者ティーダのせいで酷い目に遭ったから――」
原因はあのバトルジャンキーのせいらしい。
スノウは迷宮探索に没頭していた時期があったはずだ。もしかしたら、僕とディアのときのように、道中で喧嘩を売られたことがあるのかもしれない。
「――でも、やっぱり頑張ってみる。守護者ティーダが関わっているなら、私は逃げちゃいけない気がする。そうしないと、次へ進めないから」
スノウは怯えながらも、口を一文字に引き締めて宣言する。
以前のスノウにはない強さだった。二日前、自分の力で立ち上がって見せたときのスノウに見える。
先ほどまでの情けない発言はスノウなりの冗談だったのかもしれない。少しずつだけど、確かに前へ進んでいるスノウを見て、僕は安心する。
「そのときは頼む、スノウ」
「任せて、カナミ。これからの私たちは、対等な仲間なんだから」
スノウは二日前の約束を持ち出して、手を差し伸ばす。
僕はその手を取って握り締める。
その手の力強さから安心感を得る。
今の僕には頼りになるパートナーがいるということが、何よりも嬉しかった。
その言葉を最後に、僕たちは就寝の挨拶を済ませたのだった。
◆◆◆◆◆
スノウを部屋へと送り届け、僕は一人で船の中を歩く。
木造の暗い廊下を進みながら、僕は思案する。珍しく迷宮のことでもパリンクロンのことでもないことを考えていた。スノウの助言を受け、ゆとりをもって娯楽性の高いことを考えられるようになったようだ。
そして、僕はあることに気づいてしまった。
異世界という特殊な状況のせいで気がつかなかったが、非常に重要なことだ。
僕の短い人生。16年余りほどの時間。
女の子に告白されたのは、今の二人が初めてだという事実だ。
これでも僕は、ギリギリ思春期の範疇内だ。それなりに女の子には興味があるし、可愛い女の子に声をかけられれば有頂天にもなる。今日なんて、そのせいでとある少女に騙されかけた。
とにかく、僕は女性に対して淡い夢を抱いている。
不思議と、元の世界では同年代の女の子と接することが少なかった。なぜか、僕にとっての異性は妹の陽滝くらいしかいなかった気がする。
そんな僕が、異世界へ来て数週間ほどで、なんと二人もの女の子から告白された。
正直、告白なんて都市伝説かと思っていたくらいだ。ゲームやドラマの中でしか存在しないものだと思っていた。少なくとも、僕の学校生活では影も形もなかった。
しかし、同時に重い責任が発生していることにも気づいている。
二人から告白されたとしても、その気持ちに応えられるのは最高でも一人だけだ。選ばれなかった一人は、失意と共に大変悲しむことになるだろう。ドラマやゲームでの経験だが、誰かが幸せになるところでは誰かが涙を流していることを僕は知っている。
だからといって、いつまでも誰も選ばないという選択肢も良くない。
多くの創作物を見てきた経験から、あちこちへふらつく主人公には良くないエンディングが待っていることを知っている。引き伸ばせば引き伸ばすだけ、蓄積された愛憎が事態を悪くする。
ゆえに、ここで重要なのは、早急にこの恋愛騒動のような何かを収拾してしまうことだ。
僕はそう決断する。
確かな答えを、二人に突きつけること。
これが悲しみの総量を最小限に抑えることが出来る最善手だろう。とにかく早いにこしたことはない。
相川渦波は誰が好きなのかをはっきりとさせるべきだ。
好意を寄せる女の子を僕が示せば、みんなに新しい未来を示すことができる。
そうすれば、マリアもスノウも諦めて新しい恋を探すことができるだろう。傷は浅くすむ上に、彼女らの人生を無駄に消費することもなくなる。
最初は、そう簡単には受け入れてもらえないかもしれない。しかし、真摯に慎重に、根気よく話せば、きっと最後にはわかってくれるはずだ。マリアもスノウも、出会った頃とは違う。それだけの強さを身につけている。
それに早くケジメをつけてしまえば、恋とかの話になるたびに僕の胃が痛むこともなくなる。余計なことを考えることなく迷宮に集中できる。パリンクロンと戦うとき、突かれるであろう心の隙も減らせる。良いこと尽くめだ。
なんと素晴らしいことか。
今日一日、色んなことが起きたせいか、頭が煮えてとんでもないことを考えている気がする。それでも、僕はベストな結末を目指して一心不乱に考えてみる。
相川渦波は誰が一番好きか……。
船の廊下を歩きながら僕は熟考する。
船の中に明かりはない。闇に飲まれるかのように、僕は暗がりの中を歩く。
そして、僕が出した答えは――