105.一日目、深夜
ディアちゃんとのデートのような何かが終わり、僕はラスティアラたちと合流した。
ディアは遊びつかれたのか、帰ってすぐに眠ってしまった。それを見届けた後、僕とラスティアラは船の甲板に出る。
高級宿泊船の甲板は、もはや甲板とは別物だ。
その異常な広さを生かし、大量の観葉植物で飾られ、中央には巨大な噴水が設置されている。まるで大きな公園のようだ。
僕たちはその噴水の隣にある長椅子へ腰を下ろしていた。
すっかり暗くなった空を見上げながら、僕たちは『舞闘大会』の二日目突入を確認する。
「――さて、カナミとディアには日付が変わるまで遊んでもらったわけだけど……。どう? ちゃんと疲れた?」
「ああ、疲れたよ……。慣れないことはするものじゃないな……」
「それはよかった。……で、ディアはおかしくならなかった?」
「まあ、少しだけ危うかったけど大丈夫だったよ」
「やっぱり、カナミが傍にいれば大丈夫みたいだね。いや、カナミの前だと虚勢を張るのかな……?」
ラスティアラは真剣な顔でディアちゃんの状態を確認してくる。
「僕には普通に見えたけど……?」
「それならいいんだけど……。うーん、そこは少しずつ確かめるしかないかな……」
序盤は厳しかったが、最終的には普通の女の子としか感じなかった。しかし、ラスティアラは引っかかるところがあるようだ。
すぐに表情を変えて、ラスティアラは別の質問をしてくる。
「それで体力的には限界まであとどれくらい?」
「限界はわからないけど……。でも、まだ余裕はあると思う。疲れたのは確かだけど、戦闘に支障が出るほどじゃないかな」
「むむぅ、その無尽蔵に近い体力を減らすだけでも厄介だね。仕方ない。とりあえず、朝まで適当に運動でもしてみる?」
そう言ってラスティアラは立ち上がりながら、シャドーボクシングのような真似をする。
どうやら、組み手でもして僕の体力を削るつもりのようだ。
「構わないけど……。でも、それだとラスティアラが疲れないか?」
「大丈夫、大丈夫。カナミは寝ちゃ駄目だけど、私は明日寝るし。それに単純な身体のスペックだけなら、カナミより私のほうが上なんだから」
「確かに、おまえの体力、馬鹿みたいな数値してるよな……」
僕はラスティアラのステータスを見て納得する。数値だけなら、この『ヴアルフウラ』の誰よりも身体能力が高い。
この細い身体でヴォルザークさんの倍近くあるのだから、異世界の異常さがよくわかる。
「ふふー。マラソンしたら誰にも負けない自信はあるよ?」
「そうか……。なら、準決勝の予行演習でもするか……」
僕は『持ち物』から訓練用の剣を取り出して、ラスティアラに放り投げる。
「お、いいの持ってるね」
「ギルドで訓練に使ってるやつを貰ったんだ」
刃が潰れているため、よっぽどのことが起きなければ安全だ。
「それじゃあ、寸止めで遊ぼうか。とりあえず、即死さえしなければ私が治せるから安心して打ち込んでいいよ」
「へえ。おまえ、回復魔法も使えるのか」
「あ、記憶がないから知らなかったのか……。準決勝まで隠しとけばよかった。まあ、言ってしまったものは仕方がない。さあ、びしばし戦ろう!」
「ああ、遠慮なくやらせてもらう」
僕はローウェンを相手にするくらいのつもりで剣を構える。
それほどまでに目の前の少女は規格外だ。そう確信できるだけのステータスとスキルを持っている。
僕たちは噴水の隣で、剣を構えて向き合う。
深夜の静寂に包まれ、今にも両者が飛び出そうとしたとき――
――船の甲板に一人の少年が入ってくるのを感じる。
ラスティアラの捜索を終えていたため、《ディメンション》は必要最低限しか使っていない。しかし、それでもはっきりとわかる明確な敵意。
確かな凶兆を孕んだ少年が僕たちの前に現れる。
少年は抜き身の銀の剣を両手に持ち、ゆったりとした外套で身を覆っている。しかし、《ディメンション》を使っている僕にはわかる。その外套の中には多くの凶器が隠されており、体中に魔法道具が仕込まれている。
その姿を見たとき、僕の心臓の鼓動が速まり、頭が痛んだ。
懐かしい感覚がする。
その感覚の正体は僕の失くした記憶のせいだとわかっている。
僕は頭痛を振り払い、その物騒な少年の名前を口に出す。
「ライナー・ヘルヴィルシャイン……?」
いつかの舞踏会で僕に敵意を持っていた少年だ。
「――る、さない」
僕の呼びかけに対して、ライナー君は歪んだ声を返す。
そして、その歪んだ声で彼は同じ言葉を繰り返し続ける。
今度は僕たちに聞こえるほどの声量で――
「――許さない。キリスト・ユーラシア、ラスティアラ・フーズヤーズ……!!」
ライナー君は敵意と共に、僕たちを睨む。
「君……、確か、ハインの弟君……?」
それに対して、ラスティアラは一歩前に出る。
僕も前に出て応戦体勢を取ろうとしたが、ラスティアラと視線が合い踏み止まる。
記憶のない僕は下がっていて欲しそうだった。
僕は無言で頷いて、ラスティアラに任せる。
「ああ、僕はハイン兄様の弟、ライナー・ヘルヴィルシャインだ。だから……、だからこそ!! あんたたちを許せない! 誰が許そうとも、僕だけは許さない!!」
肌を刺すような魔力の風がライナー君から吹き流れてくる。
そのステータスを見るからに、彼が風の魔法を使っているのは間違いなさそうだ。
「なるほどね。敵討ちでもしに来たの……? それなら、まずはパリンクロンのところへ行って欲しいんだけど……?」
「当然、あの男も許しはしない。けどっ、兄様を犠牲にして、平気な顔で生きているおまえたちも僕は許しはしない!!」
「……いやあ、別に平気な顔で生きてはいないんだけどねえ。これでもわりと苦労してる途中なわけで」
「そのへらへらした態度をやめろ、現人神……!」
ライナー君は剣先をこちらを向けて、ラスティアラの態度を咎める。
しかし、ラスティアラは彼にではなく、その突きつけられた剣に注目していた。
「それ、ハインの剣……? いや、剣だけじゃない……」
ライナー君は注目されていた剣を乱暴に振って、さらに言葉を続ける。
「ああ、僕が兄様に代わっておまえたちを討つ! フーズヤーズが何を考えていようと関係ない、その罪を償わせるっ、絶対に!!」
「……私たちに償うほどの罪ってないと思うけど?」
「いけしゃあしゃあとっ! 兄様は完璧な騎士だった。誰もが憧れ、羨み、敬う、理想の騎士だった。あの完璧な兄様が反逆したのは、全部あんたたちのせいだ! あんたたちが兄様を唆したから!!」
「……ちょっとまって、少しはこっちの言い訳も聞いて欲しいかな。ハインはずっと私を騙していて、それをずっと気に病んでいた。だから、私たちを助けようとした。……それじゃあ納得いかない?」
「納得いくか! 兄様に非はなかった! 国のためにあんたを教育していただけだ! なのになんでっ! なんで、命を懸けてまで、あんたを助けないといけなかったんだ!!」
「うーん、よく知ってるね。まあ、その通りなんだけどね……」
「だからっ、あんたが唆した以外にありえないんだ! 兄様はあんた達に利用されて、捨てられた! そのせいで、反逆者の汚名を着せられている! あの誰よりもフーズヤーズに尽くした兄様をよってたかって! そんな理不尽なことがあってたまるか!」
興奮するライナー君に対して、ラスティアラは冷静に答える。
「……吹聴したくないけど、ハイン・ヘルヴィルシャインは私という少女のことが好きだった。そして、キリストという少年のことも好きだったと思う。だから、その少年少女のために命を賭けた。騎士としてではなく、一人の人間として――」
粛々と彼に告げる。
「きっとハインは、その汚名を誇りに思ってるよ。そこに君が入り込む余地はないよ、弟君」
はっきりとライナー君の怒りが不当であると断定した。
しかし、それを聞いた彼は激昂する。
「その理由が一番納得いかないんだ! もしそうだとしても、それは唆したのと同じことじゃないか!」
「う、うーん。そうなのかな……? 聞き様によっては誑かしたようなものかも……」
ラスティアラはライナー君の暴論に押されていた。あれだけはっきりと断定したのに、すぐに自信を失ってしまった。
もしかしたら、そのハインという人に引け目でもあるのかもしれない。
その無茶苦茶な暴論を受け入れないように、僕は前に出ようとする。
しかし、それを見たライナー君は出鼻をくじく。
「キリスト・ユーラシア! そして、おまえはさらに姉様までも奪おうとしてる! また同じことを繰り返すつもりか! そんなこと絶対に許せるか!!」
「――え、えぇ?」
僕が何かを言う前に妙なところを突かれてしまう。
ライナー君の「姉様」――おそらく、フランリューレ・ヘルヴィルシャインのことだろう。
彼女の僕に対する異様な執着は知っている。
そのせいで、言葉に詰まってしまう。
「ん、それは知らないなぁ……。カナミ、そうなの?」
ラスティアラも興味深そうに確認を取ろうとしてくる。
僕は小さい声で答える。
「心当たりはあるような、ないような……」
「あるんだね……」
「ご、ごめん」
ラスティアラには珍しく、かなり驚いているように見える。
なんとなく自分に非があるような気がしたので、謝っておいた。
「まず、姉様を誑かすキリスト・ユーラシアだけはここで消す! 明日の試合の前に、いま、ここで!」
ライナー君はこちらに歩み寄る。
その手に持つ剣は凶器だ。僕たちの刃の潰れたものとは違う。
「むう、こんな場所で殺し合いするのはまずいかな……」
ラスティアラも同じことを考えていたようだ。
深夜なので警備兵は少ないが、もう少し騒げば人が駆けつけるのは間違いない。そうなったら面倒だ。
「仕方ない、ちょっと大人しくしてもらおうか。カナミ、素手でいけるよね?」
「たぶん、いけると思う」
「頭を冷やせば、もう少しまともな会話ができるでしょ。なんだか偏った情報を吹き込まれているみたいだから、そこを正せば納得するはずだよ。納得してくれたら、協力者になってくれるかもしれないしね」
僕たちは刃の潰れた剣を『持ち物』に戻して、ライナー君と相対する。
彼を傷つけようとは思わない。狙いは昏倒だ。
僕とラスティアラは敵の力を測る能力がある。それゆえに、素手でも十分だと判断した。
「舐めるなよ……」
ライナー君は剣を抜こうとしない僕たちを見て、手を抜かれていると解釈したようだ。別に手を抜いてるわけじゃない。単純に『舞闘大会』の出場者として、抜刀を避けているだけだ。
彼は忌々しげに魔法を唱える。
「――《イクス・ワインド》」
ライナー君の足元から突風が巻き起こった。
一応、《次元の冬》は展開している。しかし、その魔法は魔法道具に起因するものだったため、邪魔することができなかった。
その突風に乗って、彼は僕に飛び掛かる。まるで大砲から放たれた砲弾のように、異常な加速力で空を飛んだ。
僕は空中のライナー君の手首を取ろうと身構える。隣のラスティアラも横から手を伸ばそうとしていた。どれだけ彼の動きが速かろうが、僕たちの目には見えている。
「――《イクス・ワインド》!!」
ライナー君もそれを承知の上だった。
空中で彼は風の魔法をもう一度唱え、無理やり方向転換を行う。
直角に曲がったライナー君はラスティアラに斬りかかる。
ラスティアラは伸ばした手を引っ込めて、咄嗟に剣を避けた。
しかし、ライナー君の身体ごと飛びこんでくる蹴りまでは避けきれず、腕を十字に組んで受け止めることになる。
防御したラスティアラを足場にして、彼は上空へ逃げる。
そして、空中で外套の中から数本のナイフを取り出し、宙に置いた。
「――《カノン・ワインド》!」
続いて、ライナー君は魔法を唱えた。
先ほどの移動魔法よりも濃密な魔力だ。彼のつけていた指輪の一つが弾け壊れ、その手のひらから暴風が発生する。
「――《過密次元の真冬》!」
恐ろしい速度で降り注ぐナイフに対し、僕は魔法を一瞬だけ展開する。
暴風の魔法を弱め、降り注ぐナイフの全てを掴み取る。しかし、弱めたとはいえ、暴風の魔法を全身で食らってしまって体勢を崩してしまう。
すぐに体勢を整え、次に落ちてくるであろう彼を待ち構えるが――
「――《イクス・ワインド》!」
またライナー君は風の魔法を使って、僕たちから離れていった。
そして、最初に居た位置に着地する。
その自由自在な動きを前にして、僕とラスティアラは感嘆の声を漏らす。
「んー、厄介。相変わらず私たちって飛行タイプに弱いなぁ……」
「すごいな。風魔法って、こんな戦い方ができるのか……」
すぐにライナー君を捕まえられると思っていたが、風魔法の予想以上の力に僕は考えを改める。
「いや、普通はできないよ。そもそも風魔法《イクス・ワインド》は移動用の魔法じゃないからね」
しかし、それをラスティアラは否定する。
そして、少しだけ心配そうにライナー君へ話しかける。
「弟君、そんな魔法の運用してたら身体を痛めるよ?」
「このくらいの痛み、知ったことじゃない……。僕は誰かの代わりに壊れるために生きている。壊れることに躊躇なんて……しないっ!!」
ライナー君はそれを跳ね除けて、もう一度跳ぶ。
風の魔法により後押しされた機動力は厄介だ。それに、ラスティアラの話を聞く限り、彼は自分の身体を痛めながら戦っている。すぐにでも止めないといけない。
僕は《ディメンション》で情報を拾いながら、ライナー君を迎撃する。
上空からの風、斬撃、投擲、その全てをいなす。
隣のラスティアラも同じだ。
ただ、防げはしても反撃ができない。
ライナー君は徹底して、僕たちの手が届く距離で戦おうとしない。僕たちが近づけば、すぐに空へ逃げてしまう。
このまま耐えていれば、彼が自滅するのはわかっている。けど、できればそれは避けたい。ラスティアラとの話を聞く限り、和解の芽はありそうだ。
僕は罠をしかけるしかないと考え、ラスティアラに指示を出す。
「ラスティアラ、ちょっと手伝って! ――魔法!《フォーム》!」
魔法の泡を大量に精製する。
ライナー君は正体不明の魔法の泡を身に触れないように警戒し始める。
それを見て、ラスティアラは僕の狙いを察してくれたようだ。
僕の期待していたところに移動してくれる。
次元魔法。
単体では意味のない魔法だ。
つまり、この魔法の泡はライナー君の動きを制限する囮でしかない。
この魔法に何の意味もないことをラスティアラも知っているため、彼に魔法の泡を触れさせるのを目的としていない。
そして、僕とラスティアラはライナー君をあるところへ誘導するのに成功する。
彼は逃げ場所を失い、魔法の泡がないほうへと飛び――そして、一瞬だけ噴水のある池に足をつける。
「かかった! ――魔法《次元の冬・終霜》!」
僕は池の水に冷気を浸透させ、ライナー君の足ごと凍らせる。
池全てを凍らせるまでは叶わないが、彼の動きを止めることに成功する。
「ちゃーんす!」
近くに待機していたラスティアラが足をとられたライナー君に飛び掛る。
慌てて魔法で離脱しようとするが遅い。
「《イクス・ワイン――、っぐぅ!」
ラスティアラのボディーブローによって魔法は中断される。そして、そのまま関節技に移行されていく。
ライナー君はラスティアラに肩を外され、声を漏らす。
「うぅっ!」
そのまま、ラスティアラに背中から抱きかかえられ、身動きが取れなくなった。
「ふう、やっと捕まえた……。ほんとすばしっこいやつ……」
ラスティアラは馬鹿力でライナー君の身体を締め上げる。
もはや、あの状態から巻き返しはできないだろう。
僕も安心して近づこうとして――
――《ディメンション》が異常な速度でこちらに接近する人影を捉える。
「ハインみたいに奇襲していれば勝機はあったのにね。ハインと比べると、まだまだ稚拙。それじゃあ、このまま――」
「ラスティアラ! 危ない!」
安心しきっているラスティアラに僕は叫ぶ。
見覚えのある剣がラスティアラの腕に向かって飛来する。
その攻撃を彼女は察知して、ライナー君を突き飛ばしてその場を跳び離れた。
そして、一人の青年が降り立つ。
その姿を見間違えようがなかった。
「――確かに少年だけでは足りないな。ならば、私が手を貸せばどうだろう?」
30層の守護者、ローウェンが現れた。
ローウェンは投げた魔法鉄の剣を拾い、僕たちに突きつけて笑った。
「ローウェン!?」
僕は予期せぬ人物の登場に声をあげる。
そんな僕を見て、ローウェンは手を振る。そして、突き飛ばされたライナー君を抱き起こして、外された肩を入れた。
「っつ――! ……あ、あんた、何者だ?」
「味方だ、双剣使いの少年。安心していい、私たちは利害が一致している」
そして、ライナー君の味方であることを宣言する。
つまり、それは僕たちの敵であることを宣言したのと同じことだった。
ローウェンは話を続ける。
「二対一では分が悪いだろう? ラスティアラのほうは私が受け持ってあげよう。君はゆっくりカナミと戦うといい」
「どういうことだ……?」
ライナー君は予想外の第三者の介入に驚いている。
その反応から、二人は本当に初対面であることがわかる。
ローウェンはライナー君に背中を預け、ラスティアラの方を向いた。
状況は最悪だ。
完全に分断されてしまった。
僕とラスティアラの間に、ライナー君とローウェンが挟まっている。このままでは、本当にローウェンとラスティアラがぶつかってしまう。
ラスティアラはローウェンに問いかける。
「何のつもりかな、守護者……。あんたとは大会で戦うものだと思ってたけど……?」
「思ってもいないことを言う。このトーナメント表では、私はカナミともラスティアラとも戦えない。私は決勝までスムーズに上がっていけるが……、君たちが準決勝で当たるのはまずい。非常にまずい」
「心配しなくとも勝った方が、あんたと戦うと思うけど?」
「嘘だね。もし、準決勝でラスティアラが勝てば、ラスティアラは決勝に現れない。――現れる理由がない。そして、君たちは二人でラスティアラが勝つための計画を立てている。……見過ごせない。ああ、その計画だけは見過ごせないな」
どうやら、ローウェンはトーナメントの配置が気に入らないらしい。
確かに、このままだと決勝には誰も現れない可能性は高い。ラスティアラは『腕輪』のことが解決すれば『舞闘大会』を戦い続ける理由がない。
「しかし、ここでラスティアラがリタイアすれば話は別だ。『腕輪』を破壊する術のなくなったカナミは、本来の取引通りに決勝で守護者ローウェンを倒さざるを得なくなる。それも本気で、だ」
この状況は、当然と言えば当然の結果だ。
しかし、あのローウェンがこんな強硬手段に出るとは思わなかった。
「ここでラスティアラを倒し、決勝でカナミと戦う。それが私にとって最も好ましい形だ」
ローウェンは誠実な男だ。
ルールに背くような人間じゃない。
それなのに、試合外で戦おうとまでしている。
「少し早いが、状況がいい。なぜか、この少年の居るところでは『魔石線』が機能していない。――全てを決するには丁度いい」
僕の記憶よりも、自分の願いを優先したのはわかっていた。
しかし、こんな真似をするほど切羽詰っているとは思っていなかった。
いや、僕が親友とまで呼んだローウェンはそんなことしないと、信じていたかっただけなのかもしれない……。
「ローウェン……」
僕は自然と名前を零した。
「すまない、カナミ。これが私の決めた道だ」
ローウェンは振り向かない。背中を向けたまま僕に答えた。
そして、そんなローウェンに対しライナー君は怪訝そうに話しかける。
「信用できないが――」
「別に信用は要らない。利用してくれるだけでいい」
「信用できないが、利用できるものは利用する。僕はキリスト、あんたはラスティアラ。それでいいのか?」
「それでいい。双剣の少年」
二人は顔を合わせることなく、協力し合うことを決めた。
ライナー君はローウェンのラスティアラに対する言葉を聞き、そこに嘘はないと判断してしまった。
僕は焦りと共に、余裕がなくなったことを理解する。
「――魔法《ディメンション・決戦演算》! 魔法《次元雪》!」
魔法を構築しながら駆ける。
同時に前方でローウェンとラスティアラも戦闘を開始する。ラスティアラは腰に下げた剣を使って、ローウェンの剣を受けとめていた。
僕は初手をラスティアラが防いだことに安心する。
しかし、一刻の猶予もない。本気になったローウェンが相手なら、何が起きるかわからない。
全力疾走でローウェンの背中まで辿りつこうとするが――
「あんたの相手は僕だ、キリスト!」
ライナー君が立ちふさがる。
「悪いが、もう手加減はしない!」
『持ち物』から『クレセントペクトラズリの直剣』を取り出しながら、叫び返す。
ライナー君の双剣が僕へと襲いかかる。
それに対し、僕は全魔力を解放する。
「――魔法《過密次元の真冬》!」
彼に魔法妨害は意味がない。
なので、全魔力を動作の妨害に費やす。
僕の動いた跡から魔法の雪が発生し始める。
白い飛沫をあげながら、僕は全力で剣を振る。
僕の身体から発生する魔法の雪が地面に落ちるのを見て、ライナー君は表情を変える。
雪が落ちたところから、氷柱が上り立っている。先ほどの魔法の泡とは段違いの魔力が篭っていると理解したようだ。
《次元雪》で動きが制限された彼を、さらに僕は制限していく。
《過密次元の真冬》で手足の動きを鈍化させる。
氷結魔法によって束縛されたライナー君を倒すのは容易だ。
彼の双剣を最小限の動きでかわし、その内の一本を真横から斬りつける。
『クレセントペクトラズリの直剣』という世界最高峰の魔剣を腹に受けた剣は、氷が砕けるように破壊された。
「なっ、兄様の剣が――!」
いとも容易く剣が壊れたことにライナー君は動揺する。
その隙を突いて、もう片方の剣を握った彼の腕を取る。
そして、剣の柄で腹を殴り、そのまま背負い投げをしようとしたところで――
――《ディメンション・決戦演算》がライナー君以外の魔力を感知する。
飛来してきたのは魔力の剣先だ。
それが、いまにも僕の足を刺そうとしていた。
「――なっ!」
背負い投げを諦め、僕はライナー君から離れながら、その剣先を飛び避ける。
そして、その魔力の剣先の発生源を確認する。
片手でラスティアラと切り結んでいるローウェンが、こっちを確認もせずもう片方の手から魔力の剣を伸ばしていた。
「くっ、ローウェンか!!」
ライナー君の無力化を邪魔されたことよりも、あのラスティアラを相手にそんなことをする余裕があることに恐怖する。
やはり、単純な近接戦闘ではローウェンに分があるのだ。
「――が、ぁあっ! キリストォ!」
解放されたライナー君は残った剣を持って、再度僕に飛びかかろうしていた。
「少年、これを使え!」
その全てを把握してたローウェンは、腰に下げていた別の剣を彼に投げる。
僕はその剣をよく知っていた。
「おいっ、ローウェン、それ!」
【ルフ・ブリンガー】
攻撃力5
精神汚染+2.00
ローウェンに預けていた折れた魔剣『ルフ・ブリンガー』だ。
それがローウェンの魔力で見事に接着されている。いつもの『魔力物質化』とは違う。特殊な魔法で修復しているようだ。
「君ならば合うはずだ!」
ローウェンの投げた剣を、ライナー君は空中で受け取る。
僕は彼を置いてローウェンに斬りかかろうと思っていたが、その剣の凶悪な魔力は放っておけなかった。
「厄介なものを!」
僕はローウェンに文句を言いながら、風魔法を纏って飛び掛ってくるライナー君を迎撃する。
「キリストぉお!!」
『ルフ・ブリンガー』の魔力と風の魔力は混ざり合い、もはや別物と化していた。
ただ、《ディメンション》とステータスで感じ取る限りでは、その魔力を彼は制御下に置いている。僕が手にしたときのように、精神異常には陥っていない。少し興奮が増している程度だ。
だが、それはそれで厄介だ。
禍々しい風と共に、ライナー君は斬りかかってくる。
『ルフ・ブリンガー』を『クレセントペクトラズリの直剣』で受け止め、もう一つの剣は身を屈めて避ける。
まだ彼の攻撃は終わらない。
その勢いのまま、右足による蹴りが放たれる。
僕は捕まえるチャンスだと思い、余っていた左手でその足を掴む。
蹴りの衝撃で手は痛んだが、これで投げ技へと移れる。
そう思った瞬間――
「――《ワインド》!」
足を掴んでいた左手が弾けた。
暴風が彼の足から発生し、僕の左手の薬指と小指が逆方向に折れる。その激痛に顔をしかめる。しかし、いまは戦闘中だ。すぐに痛みを頭の隅に追いやる。並列思考の応用だ。
「――くっ!」
そして、その暴風を利用して、ライナー君は僕から距離を取る。
完璧なタイミングでの魔法だ。僕に掴まれると確信していたに違いない。
しかし、無茶が過ぎる。
「ぐぅあ、ぁあ――!」
ライナー君の足も被害は甚大だ。
肉が風に刻まれ、おびただしい血が流れている。
それでも、彼は呻きながら、再度僕に向かって突進してくる。足は損傷していても、風の魔法がある限り彼の機動力は損なわれない。
いますぐにでもラスティアラのところへ駆けつけたい。しかし、目の前の決死の覚悟をした少年は、下手をすればローウェンよりも厄介だ。
再三のライナー君の空中からの襲撃。
僕はまた同じように対処していく。
ただ、今度は『ルフ・ブリンガー』をかわし、残った剣を『クレセントペクトラズリの剣』で破壊する。しかし、彼に動揺はない。
すぐにその剣を投げ捨て、自由になった手で殴りかかってくる。
僕はそれを左の肘でガードする。
当然――また弾ける。
「――《ワインド》!」
凄まじい衝撃が左腕に通り、腕全体が痺れる。
指が折れていることも含めれば、もはや左腕は戦闘に使用できないだろう。
僕は痛みを頭の隅に追いやりながら、また暴風で距離を取ったライナー君を見る。
いや、正確には自分の風の魔法でぐちゃぐちゃになった彼の拳を見る。
「その馬鹿な魔法の使い方は止めろ! 自分も危ないぞ!?」
「あんたを殺せたら、死んでも本望だ!」
ライナー君は同じ特攻を繰り返そうとする。
その繰り返す理由が僕は解ってしまう。
僕と彼の実力差は天と地の差ほどある。
しかし、いまの特攻ならば、僕に確かなダメージを与えられる。彼にとって自分の被害なんて二の次に違いない。
僕は対応策を思いつかぬまま、ライナー君の特攻を許してしまう。
強引な素手の攻撃からのゼロ距離風魔法。その繰り返しだ。右手を代償に、左手を代償に、右足を代償に、左足を代償に――僕は攻撃され続ける。
彼の手は血まみれで、足は折れる寸前だ。
いや、もしかしたら、もげる寸前かもしれない。
血を撒き散らしながら、死に向かうような戦い方だ。
そんなライナー君を見て、僕は吐き気がした。
正体不明の嫌悪感。
そして、慣れ親しんだ頭痛。
――僕の我慢は限界に達した。
「そんな軽々とっ、自分の生き死にを口にするな! ライナァー!!」
少年――、ライナーという存在が許せなかった。
そして、僕も彼と同じように自分の身を省みない攻撃を選択する。
『クレセントペクトラズリの直剣』を捨て、自由になった手で彼の身体を掴む。
「ワ、《ワインド》!」
当然、ライナーはゼロ距離の風魔法を選択する。いや、選択せざるを得ない。
それだけが彼の通用する攻撃手段だからだ。
――風が弾ける。
僕の残った右手までも、指が逆方向に折れ曲がっていく。
薬指と小指、そして人差し指までもが折れる。
しかし、僕は残った親指と中指に力をこめて、ライナーを離さない。
「――つか、まえたぁ!」
そのまま、僕は身体ごとライナーにぶつかる。
そして、その勢いのまま、その背後にあった池の中に彼ごと飛び込む。
ライナーは魔法を唱えようとしない。
いままでの戦闘を見れば当然だ。彼は魔法を唱えるとき、どんな場合でも一呼吸置いていた。流石の彼でも無呼吸で連続使用はできない。
池に突っ込まれたライナーを確認して、僕は準備していた魔法を唱える。
「――魔法《次元の冬・終霜》!!」
ライナーの身体ごと、水を凍らせていく。
自分の身体が氷で拘束されていくのを感じた彼は、すぐに水から上がろうとする。
僕は渾身の頭突きでライナーの頭を打ち、みぞおちに肘を落とす。
「ッグァ、ハァ!!」
ライナーは脳みそを揺らされ、肺の中身を全て吐き出す。
そして、彼の力が抜けていくのを確認し、僕は氷結魔法を完成させる。
腰までの深さしかない浅い池だったが、ライナーの手足を束縛するには十分だった。
脳震盪を起こした彼を置いて、すぐに僕は池から出る。
想定以上に時間を食ってしまった。
命を懸けて特攻してくる相手がこんなにも厄介だとは思わなかった。
僕は『持ち物』から剣ではなく短刀を取り出しながら、ラスティアラの救助へ向かう。親指と中指しか動かないため、軽いものしか持てないのだ。
「ローウェン!!」
僕は名前を叫びつつ、人外の速度で斬りあっている二人に近づく。
声に反応して、ローウェンは大きく後退する。
目はこちらに向けず、残念そうに呟く。
スキル『感応』で、こちらの状況は把握できているのだろう。
「――くっ、タイムオーバーか。ラスティアラ・フーズヤーズ、思っていたよりも手強い。いや、相性が悪いと言うべきか……」
「カナミっ、早くこっち! ヘルプ! こいつと戦うのは楽しいけど、今日はまずい!」
大量の切り傷を負ったラスティアラがこちらへ手招きする。
僕はローウェンでなく、ラスティアラの隣に移動して短剣を構える。
それを見たローウェンは剣を鞘に収める。
「いいタイミングだと思ったが、少し焦っていたか……」
ローウェンはちらりと池に落ちたライナーへ目を向ける。
そして、こちらの警戒をしたまま、じりじりと彼の方に移動する。
その動きから、これ以上の戦闘を望んでいないことがわかる。
ラスティアラはそれを追おうとはしない。僕も追いたくない。追えば、この場の誰かが死んでしまう。そう思わせるほどの力がローウェンにはある。
「もし、リーパーがいれば……。いや、スノウ君にさえ嫌われていなければ……」
ローウェンは呟く。
その姿は昨日の試合のときに見たものと同じだ。
どこか弱々しく、寂しそうだ。
そして、ローウェンはその表情をすぐに消して、大きく跳び退く。
池の近くに着地して、剣で池の氷を砕く。動けないライナーを肩に抱えて、その場から去ろうとする。
「待て、ローウェン!」
僕はそれを呼び止める。
戦う気はないが、言いたいことは沢山ある。
しかし、長くは待ってくれないだろう。
なので、その全てを要約して叫ぶ。
「――これで!」
僕は両手を広げて、この惨状を突きつける。
人外同士の斬り合いのせいで滅茶苦茶になった公園。凍りついた池と噴水。折れ曲がった僕の指。切り傷まみれのラスティアラ。重症で動けない少年。その全てを指して、僕は叫ぶ。
「本当にこれでいいのか!? ローウェンの望む『栄光』には、ここまでやる価値が本当にあるのか!?」
僕はローウェンを責める。
その良心に訴えかける。
心優しいローウェンは僕の意図を全て読み取り、歯を食いしばる。
顔を歪ませ、申し訳なさそうに――しかし、真っ直ぐ僕の目を見て答える。
「……手に入れてもいないものの価値なんてわかるはずがないさ、カナミ。だから、それを確かめるために私は戦うんだ。そう、全て、確かめる。……決勝で『英雄』と戦えれば、それで答えがわかる」
僕の言葉は届いている。
そして、それにローウェンは正しく応えてくれている。
スノウやリーパーを相手にしているときとは全く違う手応えだった。
けれど、それでも僕と同じ道は歩めないと、ローウェンは僕に伝えた。
「悪いが、少年は私が貰っていくよ。放っておいたら、君たちか警備兵に捕まるからね」
そして、ローウェンはライナーを抱えて、その場を後にした。
僕たちはそれを油断なく見送る。
《ディメンション》で南エリアまで移動したのを確認して、僕はようやく一息つく。
隣のラスティアラも安全を確認して、僕に話しかけてくる。
「あ、危なぁ……!! なにあれ、守護者ローウェンは大会の優勝が目的じゃないの?」
「いや、優勝が目的だよ。ローウェンは『名誉』や『栄光』といったものを望んでる」
「なら、なんで、こんな邪魔してくるの? 私たちがいないほうが、優勝しやすいのに」
なら、なぜ?
今日までのローウェンの行動と発言を照らし合わせ、僕は理由を推測する。
「ローウェンは僕を『英雄』と信じてるのかもしれない……。そして、『舞闘大会』で『英雄の僕』を超えることだけが、自分の『未練』を晴らす唯一の方法だと信じてるんだ……」
事あるごとにスノウは僕を『英雄』扱いしていた。そして、ローウェンはそれを一度も否定したことはない。
30層に辿りつき自分を召喚した僕を、いつもどこか期待したような目で見ていた。むしろ、自分を召喚した相川渦波が『英雄』なのは当然だと言わんばかりだった。
どれだけ僕が『英雄』を拒否しようとも、あの二人にとって僕は『英雄』なのだろう。
だから、こうもすれ違う。
「ローウェンは周りが見えていないんだ……。あいつの本当の願いは、もっと単純でささやかなものなのに……! きっと、自分で薄々と気づいているだろうにっ! あいつは『英雄』なんて幻想に振り回されて、僕に勝つことしか見えなくなってる!」
今日の襲撃が、僕の推測を確信に変えた。
もう間違いない。
ローウェンは周りが見えていない。
竜討伐の夜のときのように、大切なものを見失っている。
「……わかった。守護者の狙いは『舞闘大会優勝』と『カナミに勝つこと』ね。……そんなに複雑じゃないから安心した」
僕の感情に任せた言葉を、ラスティアラは冷静に要約した。
「……たぶん、それで間違いないと思う」
「うーん。『舞闘大会』の管理者に、いまの襲撃を訴えて、反則負けにでもしようかと思ったけど、やめたほうがいいかなぁ……。守護者の狙いを完全に潰したら、逆に何してくるかわからなくなる……」
ラスティアラは淡々と次の手を考えていた。
彼女にとってローウェンは、ただの敵でしかないのだろう。僕のように感情に惑わされることもない。僕は黙って、冷静なラスティアラの指示を待つことにする。
「――うん、守護者はこのまま『舞闘大会』に執着させとこう。で、ハインの弟君だけはリタイアさせよう。いまのを『舞闘大会』の管理者に訴えれば、『舞闘大会』中は『ヴアルフウラ』から追い出せるはずだし」
「そうだね。できれば、彼とはゆっくり話したいけど……。できれば『舞闘大会』のあとがいい……」
「この『魔石線』が一杯の船で襲ってきた以上、言い逃れはできな……――あれ?」
ラスティアラは腰を落とし、床に伸びている『魔石線』に手を当てて何かを探っていた。しかし、その表情が急に固まり、当てが外れたような表情になる。
「どうした?」
「あ、あれー? 何も記録が残ってない……? いや、『魔石線』が機能してなかったのかな……?」
「そういえば、ローウェンが言っていたな。「少年のいるところでは『魔石線』が機能していない」って……」
「弟君が事前に何か細工してたのかもね……。はあ、道理で堂々と襲撃してくるわけだ……」
ラスティアラは溜息をつきながら立ち上がる。
そして、「帰ろ、帰ろ」と僕を促す。
ローウェンの襲撃に備えて、ディアちゃんとセラさんを含めた四人で固まって行動するらしい。僕も大人数の方が手は出しづらいと思い、ラスティアラと一緒に戻っていく。
しかし、腑に落ちない。
帰り道、僕は思案する。
あそこまで見境を失っていたライナーが、そんな用意をしていたとは思えなかった。
僕が『自室』にいなかったため、『ヴアルフウラ』中を探し回っていたところ、たまたま僕たちを見つけた。そんな風に見えた。
しかし、いくら考えても確証は得られない。
それに、『魔石線』を無効化したのが、ライナーでもローウェンでもなかったとしても、僕たちにできるのは固まって行動するだけだ。
そのあと、部屋に戻った僕たちは、朝まで警戒することを決める。
ラスティアラは僕の指を治療したあと、当然のように警戒の任を僕に押し付け、すぐにふかふかのベッドで眠りについた。
計画的に妥当とはいえ、少しだけ腹が立つ。
僕は感情を抑えながら、不眠で《ディメンション》を展開する。
不眠の警戒の途中、ラスティアラ、ディアちゃん、セラさんが妬ましくて仕方がなかった。眠気が限界を超えて殺意に変わるのを必死に抑えながら、僕は周囲を警戒し続けた。