第二十四話 広がる戦火の渦Ⅲ――混迷、それでも時間は過ぎていく
PM 15:18:21
limit 0:41:39
男勝りな短髪の赤髪の少女だった。
喧しくていちいち癇に障るような印象のあった少女は、弱々しく痛みに震えている。
爆発の直撃でも受けたのか、スカーレの衣服は焼け焦げたようになっている。泉と同じ炎使いというだけあってか、やけどなどを負っている様子はない。おそらくは純粋な衝撃波がスカーレの身体を強烈に叩いたのだ。
意味が分からなかった。
だって、この女が――スカーレがここにいるハズがない。
背神の騎士団の連中は、起爆虫を止める為、起爆虫に指令を飛ばす事のできる『ホスト』の破壊に『メープルマウンテン』へと向かっていたハズだ。
それなのに彼女がここにいるという事は、つまり……。
「おい、しっかりしろ! どうした。何があった」
声を大にして腕の中のスカーレを揺さぶると、やがて弱々しい反応があった。
まだ意識が朦朧としているのか、瞳の焦点もあっていない。だがそれでもスカーレはどうにか自分の力で身体を支えると、口を開いて途切れ途切れにこう言った。
「……泉、修斗、か。逃げろ。アレは、お前の手には……負えない」
「あ? アレって何だよ。おいっ、一体何がどうなってやがる。状況を説明しろ。……『ホスト』の破壊は? 他の連中はどうした?」
ボロボロのスカーレは――それでも背神の騎士団の団員としての意地があるのか――泉の腕から抜け出すと、どうにかしてその場にペタリと座り込んだ。
息も荒く、彼女が激しく消耗している事がよく分かる。
「『ホスト』の破壊は……失敗した」
「!?」
「アタシらは高見秀人の襲撃にあって、敗北。全員が全員、バラバラの場所に飛ばされた。アタシはすぐにシャルトルと合流出来たが、セルリア姉とセピアは安否も不明。……すまない、アタシらが、アタシらが高見秀人を止める事ができていれば……ッ!」
全く予想していなかった訳ではなかったが、中でも最悪に近い予想が的中してしまったらしい。
自分でも意外な程にショックを受けた泉の言葉が詰まる。
改めて口を開こうとした泉の言葉を、再び轟音が遮った。
これは、爆発……!?
「……チッ、くそが!」
咄嗟にスカーレに覆いかぶさるようにして、飛び散る破片や瓦礫から彼女を庇う。
店の壁の一部が吹き飛び、隣接していたアトラクションとの仕切りがなくなっていた。
そして吹き飛んだ壁の向こう側から、綺麗なセミロングのブロンドヘアーを揺らして一人の少女が転がるように跳び込んで来た。
「――スカーレ、無事ですか!? ……って、アナタは確か……泉修斗? どうしてここに」
翠の瞳がこちらを認め、驚きに揺れる。
こちらもまた、見覚えのある少女だった。白いテーシャツの裾を縛ったへそ出しスタイルにホットパンツの少女。ただ、最初にあった時と異なり、ただでさえ露出の多い衣装がさらにボロボロになっていた。
彼女もまたスカーレと同じで『ホスト』破壊の任務についていたハズなのだが……。
やはりこの状況を見る限り、スカーレの言っていたことは事実だと見て間違いないだろう。
「おい女」
「シャルトルです」
「チッ、……おいシャルトル。この爆発はなんだ? 手に負えないって、一体今何が……」
泉の言葉の続きは、連続する爆発音によって遮られた。
壁が壊れ遮る物がなくなった為、爆風が直接泉達を叩く。
顔をしかめながら庇うように腕を上げる泉に、風圧でまともに呼吸も出来ないからか、やや苦しげにシャルトルが泉の疑問に答えた。
「何ってそりゃー山盛りの敵さんですよぉー。ご丁寧に、私達ごときにラスボス様にもご足労頂いてる状況です」
シャルトルは冷や汗を額に浮かべつつも、皮肉げにそう笑って言った。
まるで、そうでもして強がっていないと、迫り来る絶望に呑まれてしまうとでも言いたいかのように。
そこに、シャルトルでもスカーレでも無い声が響いた。
「……逃げるのは仕方ない事だよ。うん。誰だって、こんなに沢山の虫に囲まれたら気持ち悪がる物だしね。うん。嫌な事から逃げて逃げて逃げて……どこまでも逃げ続けるのが人間って生き物の本質だしね。うん。だから、君達が僕を遠ざけ逃げようとするのはごく当たり前の事なのさ。何も恥じる事なんてないんだよ? そうやってこれからの人生も、嫌な事怖い事から逃げ続ければいいさ。『これから』があればだけどね。可愛いくらいに矮小で卑屈な臆病者さん?」
どこまでも棒読みな声。
足音と、足音以外の何か──無数の羽が空気を震わすような、気味の悪い音とが同居している。
一歩、また一歩とその音源がこちらに近づいているのが分かる。
だからと言って、泉修斗にできる事など何もなかった。
石像のように、ただ固まっているだけ。
そして、シャルトルの言葉の通り、壊れた壁の先からゆっくりとソレは歩いてやってきた。
まだ幼さの残る、中学生くらいの童顔の少年だった。
中性的な黒髪を揺らし、マネキンのように気持ちの悪い笑みを浮かべている。
その違和感の原因は何の感情も反映されることの無い、漆黒の瞳にあるのだろう。
まるでブラックホールのように深い闇をたたえ、すべてを飲み込む虚無の漆黒。
己の周囲に半透明に中身の透けた気味の悪い虫を多数侍らせたその少年──奇繰令示は、泉を見て純粋に驚いたような声を上げた。
「あれ? 一人増えてる。うん」
そのどこか間抜けとも言えるような言動さえ、今は恐ろしかった。
「くそっ! セルリア姉とセピアがいれば、アタシらだって……!」
「……はっきり言って非常にマズい状況ですねぇ。セルリア姉ちゃんとセピアの欠けた今の私達で戦って良い相手じゃないですよ。これは」
もはや引きつったような笑みしか浮かべられない。
泉の記憶が正しければ、スカーレ達は四人全員揃っていないとまともにその力を発揮できないとかいう話だったハズだ。
二人も削られている今の状態では、まともな戦力
なるのかどうかも不明。
それに何より。
(このタイミングで奇繰令示だと!? どこまでも、ふざけやがって……ッ!)
最大火力。
自分よりも格上の敵と戦う為に泉修斗が編み出した切り札。
しかし、己のスペックを最大限引き出すこの大技が、何のリスクも無く発動できる訳が無い。
「確かに今の俺の手には余る相手だぜクソッタレ。……神の力が使えねぇ今の俺にはな」
泉にしては珍しい自嘲気味な呟きに、近くにいたスカーレが耳聡く反応した。
意外に元気なその様子に庇って損したという感想を抱く。
「はぁ!? 何だそれ! げっほっ、何しに来たんだよお前ッ!?」
「あ? うっせえんだよボケ。頼まれた『ホストの破壊』も出来ねえグズに何言われる筋合いはねえよ」
「な、ん、だ、と~ッ!!! 黙って聞いてれば好き放題言いやがって、もう許せねえ。二度と口聞けねえように真っ黒な炭にしてホームセンターで売り捌いてやろうかテメェ!」
「面白れぇ……。ケンカならいくらでも買ってやろうじゃねえかよ!」
「二人とも仲がよろしいのは大変よく分かりましたから、今はこっちに集中してください! ほら……来ますよッ!」
シャルトルが叫び、スカーレが舌打ちしつつもそれに応じるように構える。
シャルトルの掌には風が渦巻き、スカーレの右手に炎が生じる。
しかし、二人のそれは万全の状態の時と比べてあまりにも弱々しく心もとない。
視線の先の寄操は、ただ何をするでもなく、周囲に虫を侍らせたままこちらに向かって歩いてくる。
泉は瓦礫の中から適当な大きさの鉄パイプを拾いあげ、それを構えた。
「根本的にさ、人って動物は目を逸らす生き物だと僕は思うんだ。うん。例えば、そう。現実から、絶望から、嫌な事から。うん。色彩鮮やかな世界をその瞳に写す事のできる人間は、故に全てを都合のいいように塗りつぶす。赤を青に、正方形を長方形に。目の錯覚。トリックアート。……自分がそうであると決めつけた事象で世界そのものを書き換えてしまうなんて、なんとも人間らしく自己中心的で自己肯定的な力だとは思わないかい? うん。だから君たちは気が付かない。本来見えていなければならない物さえ、見失い、失念し、そして失敗する」
始め、泉修斗っは寄操の言いたい事が分からなかった。
唐突に始まった語りに意味なんてないのかもしれない。もともとこの男は無駄口が多い。これもそういった類の戯言だ。そう切り捨てようとした。
だが、
(……? あれは、なんだ?)
寄操の真横。
不意に景色が歪んだような気がして、そして。その歪みがまるで生きているかのように泉達に向かって進んでいる事に気が付いた。
「――シャルトル! 避けろぉぉぉおおおッ!!!」
「ッ!?」
しかしあまりにも余裕がなかった。
言葉の足りない忠告は、シャルトルに警戒を促すには十分だったが、“見えない攻撃”を回避するほどには至らなかった。
泉の意図を察し後方に飛びずさろうとしたシャルトルが、その途中で腹を中心にくの字に折れ曲がり、吹き飛んだ。
床を跳ねてカウンターを越え、シャルトルの身体がキッチンの外へと投げ出された。
「シャルトル!?」
スカーレが驚愕を叫ぶ。
まるで棍棒でも振るわれたような、そんな一撃。
しかし見えない。
泉が捉えられたのは、微かに感じる視界の揺らぎのみ。しかも時間を増すごとにその揺らぎが薄くなっていく。
目を凝らしどうにかして正体を探ろうとすうるが、やはり景色が歪むだけで何も分からない。
「泉修斗、お前は……見えるのか?」
「あ?」
スカーレの意味不明な問いかけに眉を顰める。
「見えないからこうして困ってんだろうが、アホかテメェ」
「いや、アタシらには“もう”見えない事すら見えてないんだ。……いや、違うか。見えない事を認識し続けられない」
「……なんの謎かけだ、そりゃ」
会話が成立しない。
それとも泉の持っていない情報をスカーレは何か持っているのか? 泉が、彼女の答えを待っていると、前方の寄操が、その笑みに少し驚きの色を混ぜて泉を見やっていた。
「へえ。“君にはまだ見える”のか。でも、それもそう長くはもたないよ。うん。土台無理な話なのさ、事実を見据える勇気もない君たちみたいな臆病者には。人があたりまえをあたりまえとして享受し受け入れるように、そこにある悲劇を君たちは景色の一部として溶け込ませてしまうのだから。そうやって、受け入れ難き物から――嫌な事から目を逸らしている限り君たちでは捉えられないよ……薄衣透花は」
理解不能。
認識途絶。
目に見えない脅威が、三人に襲い掛かる。
☆ ☆ ☆ ☆
PM 15:19:11
limit 0:40:49
時折聞こえる爆発音を除けば、至って静かな物だ。
堂々とパーク内を歩きながら、真っ黒な和装に身を包んで平安貴族みたいな烏帽子をかぶり、顔中にお札だの呪術的な妖しげなペイントだのを施した痩せこけたインチキ陰陽師のような男――野呂伊草は空を仰いだ。
左右非対称な長髪で隠された左目は、どこを見ているのかすら分からない。
どこか安っぽい、造られた不気味さを感じるような男は、ユニークという組織においても高見に次いでの新参者であった。
現在。ぼーっと空を見上げて何もしていないように見える野呂だが、別にサボっている訳ではない。
彼がすべき準備は終わり、後は獲物が掛かるのを待っている状態なのだ。野呂を狩る為に愚かな神の能力者がノコノコやって来るのを。
こうしてわざわざ人目に付きやすい大通りを歩いて移動しているのも、あえて敵に己を発見させる為である。
無防備に見せておきながらも、神経は研ぎ澄まされ、周囲への警戒を怠るような事もない。
野呂にとって重要なのは障害物が無く開けた視界が確保できる場所だ。
開けた場所で戦えれば、野呂に敗北はない。
自分の領域に誘い込めば勝つことができるのだ。敵に発見されたら尻尾を巻いて逃げるフリでもして、すぐ背後にある自分好みにカスタマイズした屋内に誘導すればいい。
そんな風に思っていた。
ずぶり。と、肉を貫かれる水っぽい音が自分の胸元から聞こえてきたという現実に、野呂は即座に追いつくことができなかった。
遅れて痛みがやってくる。
「な、ななななっ!? なんごぉっゲォッ!!?」
声をあげようとした途端、心臓を優しく握られるような感触に身体がビクリっと痙攣し、吐血する。
野呂の背後から手刀でその背中を貫いた下手人の手は、血肉の中で優しく野呂の心臓に触れている。
いつでも握りつぶせるぞと、そう警告するかのように。
身動きをとる事すらできない。一ミリでも首を後ろに動かせば、その途端心臓を握りつぶされるであろう事が容易に想像できた。
背後から野呂を嘲笑うような声が響く。
「確か……『咎の視線』とか言ったけか? お前の神の力は視界に入らない限り効果が無いらしいな。例えば、こんな風に背後からの不意打ちには対応できない」
襲撃者の言う通りだった。
野呂の咎の視線は片方の瞳で視認した攻撃によって与えられるハズのダメージを、もう片方の瞳の視線の先に押し付ける神の力だ。
つまり、見えない攻撃や見ていない攻撃には対処できない。
その弱点は誰よりも野呂自身が理解している事だったし、カメレオンのように別々に動く眼球を持つ野呂の視野の広さと索敵能力には非凡な物があった。
それに何より、野呂はその弱点を誰一人として明かしていない。自分の仲間にすら、そのギミックを打ち明けた事はないという徹底ぶりだ。
「長髪で視線を隠しているのも、その妖しげな風貌も、『視線』から目を逸らさせる為の涙ぐましい努力って訳か。本来自分が受けるダメージを他人へと押し付ける……まるで丑の刻参りだな。薄気味悪くて胡散臭いお前にお似合いの、何とも陰湿な神の力だ」
それなのに、弱点は完全に把握されていた。
さらにおかしなことに、背後から一突きにされるその瞬間まで、野呂は敵の気配にすら気が付く事ができなかった。
この距離まで接敵に気が付かないなんて、そんな事はまずありえない。それこそ、虚空を渡って瞬時に背後に現れるような事がないかぎり。
それはつまり、そういう事だった。
背後を振り向くまでもない、見知った相手に野呂は唾を吐く。
「……裏切り者、めが。いいんですか? ここでワタクシを殺せば、足がつきますぞ?」
「裏切り者はどっちだ。未知の楽園の犬め」
「……バレて、いたのですか。ほうほう。まぁ、それもいいでしょう。天界の箱庭と新人類の砦が互いに潰しあっている今の状況だけでも、十分な収穫だと言えますからね。ワタクシの役目もここで……終わり、という訳ですな」
「……目的を言え。お前は何が狙いで『ユニーク』に潜入した?」
「ほっほっほ、……このワタクシが喋るとでも?」
「そうか」
「一つ、私の正体を看破したご褒美をあげましょう……。せいぜい気を付ける事、です。アナタは既に、巨大な虫の……腹の中にいます。その事をゆめゆめ忘れることなか」
言葉の途中。何の躊躇もなく心臓を握りつぶされた野呂は、口から血を吐き出して速やかに絶命した。
「悪いが、聞いても無い事をべらべらと喋って見え見えの時間稼ぎをする馬鹿を見逃す程、俺っちは落ちぶれちゃいない」
最後の悪あがきをそう酷評して吐き捨てた高見は、力を失った野呂の手から零れ落ちた極小の仕込み針を足の裏でぐりぐりと踏みつぶす。
「……さて、と。ここからが本番だ。俺っちも“ストック”を入れ替えて事に挑むとしますかね」
極めて気軽な口調で、そんな言葉が残された後には、倒れ伏した野呂以外の人間の姿などどこにもなかった。




