第二十三話 広がる戦火の渦Ⅱ――断崖絶壁の遊覧死闘
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真っ昼間とは言え、地上一五〇メートルの高さから見下ろす眺めは、どうして中々侮れないなと思った。
パーク内を一望する事ができ、なおかつ少し遠くには“未だ健在な『創世会』の本部”のビルも見える。
もしネバーワールドがいつもと変わらず人の群れで溢れかえっている時だったなら、『人がゴミのようだ』という名言がよく似合う光景が見れただろう。
確かに日本の首都東京にあるランドマークタワーなどと比べれば、せいぜい少し高めの高層ビル程度の高さしかない。
都会育ちからしてみれば、この程度の高さで感動に足を震わせるなど、抱腹絶倒の出来事なのかもしれない。
だが、泉修斗は感動に足を震わしている訳では無かったし、この絶景を楽しもうなどと微塵も思っていなかった。
せっかくの綺麗な眺めなのにもったいない?
確かに、どうせならこの状況を楽しむべきなのかもしれない。
横幅二メートルも無い不安定な足場以外に身体を支える物が何一つ存在せず、風を遮る壁も命綱も無し。一歩足を踏み外せば地上一五〇メートルの高さから真っ逆さま。
……という今の現状から目を逸らす事ができるならの話だが。
「くそったれがぁッ!! 馬鹿じゃねえのかマジで!」
足場の頼りなさに背筋をひやりとさせ、文句を喚きながらも首を巡らせ視線をやや後方に向ける。
変わらず迫る人影に、隠す素振りも無く大きく舌打ちをした。
ドロリとしたマグマのような粘性を持つ炎にその身を変貌させた目付きの悪い少年――泉修斗は、普通の人生を送っていれば、まず走らないであろう場所を爆走していた。
トラブルが大好物で、お祭り騒ぎ野郎とまで揶揄される事のある泉だったが、さすがにこんなのは望んでいない。
というか、色々と正気の沙汰とは思えない。
「口では色々酷い事言う癖にこんなに御馳走を奢ってくれるなんて……もしかして本当は満漢ちゃんの事好きだったりして……!? あ、分っちゃった! そうか、泉修斗君ってツンデレさんだったんですか!!」
背後から、何故かよく通る女のキンキン声が聞こえてきて、一層不愉快になる泉。
品が無く、チャラチャラヒラヒラとした頭の悪そうなアイドル風の衣装に身を包んだ紫色の髪の女の言動が、泉の神経をいちいち逆撫でしてくる。
はっきり言ってああいうタイプの女は大嫌いだった。
「あんま調子こいた事言ってやがると消し炭にすんぞこのクソ女! だいたいアイドル名乗ってるならちっとは食う量自重しやがれ!」
「べ、別にいいんだもーん。満漢ちゃんは、おいしそうに食べてる時の笑顔が可愛いねって、ファンの皆から言われてるから食べる量なんて気にしなくてもいいんですーよーっだ」
「……チッ、飯の食い過ぎで腹壊してトイレに籠ってろ。この大量消費大量生産女!」
「アイドルに向かって決して言ってはならない事を口にしやがったな貴様……ッ!!」
何やら触れてはいけないところに触れてしまったらしい。
凄まじい剣幕で追跡の速度をあげてくる咀道。ゲっ、と嫌そうな声を上げて、泉もまたスピードを上げる。お誂え向きにすぐそこからは急速落下ポイント――すなわち馬鹿みたいな角度の下り坂だ。
うっ……と、泉の中に躊躇いが生じ、だが無理やりに恐怖を呑み込んで下り坂へとその身を投じていく。
一歩目を踏み出してからはあっという間だった。一秒と掛からず、嫌でもぐんぐんとスピードが上昇していく。
それに比例するように泉の顔面も蒼白になっていって、絶叫が響いた。
「――だぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああチクショウオオオオォォォォォォォォォォぉぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ――ッ!!?」
なにせ泉修斗は今、『ブレッドシティ』から『マーガリンフォレスト』までを股にかけるネバーワールド内最大級のジェットコースター。『バタースピン・デッド☆コースター』のレールの上を走っているのだから。
よりにもよって、後ろから大口開けた咀道満漢が追いかけてくるというオマケつきで。
なんともコミカルな絵柄にも見えなくもないが、泉は今、これ以上ない危機に陥っていると言っても過言ではないだろう。
高見秀人の神の力によって勇麻達とはぐれ、バラバラになっている今の状況は正直言って最悪のシナリオに近い。
しかも相手が悪すぎる。
よりにもよって全ての攻撃を“食べて無効化”する化け物が相手とか、冗談にしても笑えない。
勇麻達とはぐれた泉は、本来の目的地であるパーク中央のエリア『マーガリンフォレスト』に向かっていた。
携帯による通信が封じられ、互に連絡を取り合う手段を喪失した今、あらかじめ決められていた目的地に向かうと言うのは妥当な案と言えるだろう。
その途中、こうして咀道満漢と遭遇してしまったのは不幸だったとしか言いようがないが。
そして『マーガリン・リバー・マウンテン』での反応を見て貰えば分かるように、泉は絶叫系に乗るイベントは好きだけれど、高い所自体はあまり得意ではなかった。
というか、こんな状況になれば好きとか嫌いとか言ってはいられないだろう。
いくら泉の火炎纏う衣が打撃などのダメージに強いからと言って、内臓まで炎と化している訳ではない。骨格だって残っているし、いくら耐性があるとは言ってもある程度のレベルを超えた衝撃それ自体はダメージとして通るのだ。
この高さから落ちたら神の能力者だとか炎の身体とか関係なく、致命傷を負うのは間違いない。
泉修斗だって人間だ。怖い物はどれだけ強がろうが内心めっちゃ怖い。
(死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ――ッ!!?)
頬を叩く風が痛い。喉が枯れるほど叫んでいるのに、風の音が鼓膜を叩いて、自分が何を叫んでいるのかすら聞き取れなかった。
加速した泉の視界に映る景色はもはや背後に流れていく線でしかない。
自分の意志を無視してひとりでに足が前へ前へと肉体を引き千切らんばかりの勢いで飛び出していく。そして重力の誘惑に負け、下半身より先に前に出ようとするでしゃばりな上半身。
本能的に感じた落下の恐怖から泉が無理やり下半身を上半身に付いて行かせようとかかとを爆裂させ無理をした結果。泉修斗は凄まじい速度でジェットコースターのほぼほぼ直角な下りを走り抜けていた。
思わずほっと息をつきたくなる泉。
しかし、命の危機からの脱出に一瞬でも、ほんの少しでも安堵したのが間違いだった。
そもそもここは地上一〇〇メートル以上の高さがあるジェットコースターのレール上なのであって、もし仮にバランスを崩して転びでもすれば、大参事が待っているのだから。
「あ」
気の抜けた声を残して、泉が足をもつらせた。
凄まじい速度で坂を駆け抜けた直後の事だ。当然スピードはまだ生きている。そのような不安定な状況で転べば当然──
「ぐぇっ!?」
バランスを崩してもんどりうった泉修斗は強かにレ―ルに身体を打ちつけ、まるで毬のように大きく上空に弾み上がった。
足が地を離れ視界が反転、上下左右すら覚束なくなる。腹の臓物をさわさわと揺さぶり撫でられているような、浮遊時独特の不快感。
――マズった。
そう理解すると同時。泉を漠然とした死の恐怖が襲う。
死ぬ。
背筋を這う冷たい感覚にしかし泉は、
「――ふざっけんなっっっ!!!」
死の恐怖に臆するのではなく、こんなくだらない事で死の恐怖を感じてしまった自分自身に最高にブチ切れていた。
全身をドロドロと燃え上がらせたまま、ともすればこのまま落下し地面に叩き付けられる泉は、肘を爆裂しブーストを掛けると、空中にて全力で拳を振り抜いた。
――己の体積分という上限内であれば自由自在に変形させることのできる拳を、最大限に巨大化させて。
そして、爆発。
ジェットコースターのレールとのインパクトの瞬間に右拳を『炸裂』させた泉は、拳撃の反動と自身の発生させた爆発の爆風に宙に浮かぶ身体を煽られ流され、結果として落下コースから脱出。
見事に隣を走っていた別のレール──横幅二メートルも無い不安定な足場──に着地してみせたのだ。
ガラガラと、巨大化した泉の拳の直撃を受け破壊された部分のレールがパージされ、音を立てて地面へと落ちていく。
衝撃分散構造の賜物か、パージ機能の結果か、即座にジェットコースターそのものが崩壊するような事にはならなそうだ。
ついでに咀道満漢を巻き込むように拳を爆発させた訳だが、もくもくと上がる黒煙のカーテンが泉の視界を遮っていて結果は分からない。
パージされ落ちて行ったスクラップと共に、地面に叩き付けられていれば泉としてはありがたいのだが……。
「はろーっっっ!! 派手派手な演出ありがとーーうぅぅう!! スモーク切り裂き満漢ちゃん登場でぇぇぇーっす!」
「ッ!? ……チッ、そう上手くはいかねえか!」
まるでホラー映画だ。いや、殺しても殺しても死なないのだからどちらかと言えばゾンビ映画だろうか。
ドバッと黒煙を引き裂くように姿を現した咀道満漢が、一切の恐怖を感じさせない跳躍でレールからレールへと渡り、泉に迫る。
距離的に爆発は直撃したハズなのだが、アイドルっぽいヒラヒラ衣装がいくらか煤けているだけで、彼女に損傷は一切見られない。
おそらくまた“喰われた”のだろう。
とは言え、このまま一文無しのタダ飯喰らいを許してやる訳にもいかない。
食物連鎖の頂点から引きずり降ろされた、喰われる側の恐怖を堪え、
「しゃらくせぇぇぇぇええええっ!!」
ゴバッ! と、足の裏を爆裂させ、泉が咀道に急速接近を図る。
敵の懐には入らない。こちらの拳もあちらの拳も絶妙に届かない、そんなギリギリの位置取り。
拳を当てる必要はない。なにせ、足りない射程は爆発の衝撃波と熱風で補って余りある。
ご丁寧な間抜け面で目を丸くして驚いている咀道に、泉は容赦をしなかった。
理解不能な怒号と共に繰り出される拳と爆発の連撃。
連続する轟音と衝撃波。そして立ち込める炎と黒煙がその連撃の凄まじさを雄弁に語っている。が、そこに手応えは無い。
咀道の暴食を恐れ、もとより当てるつもりの無い拳撃は当然として、本命である爆発のダメージを受けている気配がまるでない。
それでも喉が枯れる程に叫び、弾幕を張るような勢いで拳を繰り出し、爆炎を炸裂させていく。
しかし、黒煙の中の咀道満漢はまるで意に介する事なく。
「むしゃむしゃ。 ねえ、次は“そっち”を食べたいな~、なんて。もぐもぐ」
恐怖を通り越した狂気さえ感じた。
ご飯のおかわりをおねだりするような、それだけなら可愛らしいとさえ感じる声。だが問題は、そのシチュエーションだった。
ゾッと。背筋に巨大な氷塊を押し付けられたような、極悪な悪寒を感じる。
己の勘ともいえるべき野生の本能に従い再び拳を全力で爆発。生じた爆風の力を借りて全力でその場から身を引く緊急離脱。
と、入れ替わるように今の今まで泉の身体があった場所を少女の大きく開いた口が通過する。上の歯と下の歯がギロチンのように勢いよく噛み合わされ、何もない空間を噛み千切った。
空振り。だが、それでも悪寒は止まらない。
やはり咀道は、燃え盛る“泉修斗そのもの”を食事として食べるつもりなのだ。背筋が総毛立つ。
けれど咀道の食欲に対する認識は、それでもまだ甘かった。
油断があった訳ではない。それでも、瞬間的に見れば、確かにその時泉修斗は咀道の魔の手(手……?)から逃れられた事に安堵していた。
だから、唐突に発生した突風に対して的確な対応ができなかった。
「あぁ!?」
ズッ……ズズズ……ッ! と、コップの底の水滴をストローで吸い込むような音。
掃除機での吸引を馬鹿でかいスケールで再現したような風に、吸い込まれるようにして足が取られ、泉がバランスを崩す。
掃除機に吸われるゴミクズの気分を味わいながら、泉の身体が風の発生源――大きく開けた咀道の口――へと吸い寄せられていく。
泉は成すすべなく咀道の懐に強引に引き寄せられて、
「……次は――逃げないでくださいね?」
まるで巨大な舌先で素肌を舐められたような寒気が走り、直後。切れ味の悪いノコギリで強引に腕を削り落とすかのような痛みが肩口を貫いた。
「がぁあああああっっっ!? コイツ……ッ! 俺の肩……がっ、ぐぅッおッッ!!?」
ゴリゴキュゴリッ!!
凄まじい肺活量で泉の身体を吸い寄せた咀道が、泉の左の肩口目掛けて跳びかかった。
盛大に歯を突き立てられ、肉が抉られる生々しい音が振動として直接響くように伝わる。痛みに強いはずの火炎纏う衣の炎の身体を貫通して、痺れるような痛みが身体の中を駆け巡る。
既に咀道の牙は表面の炎の身体を食い破り、骨にまで達しているのかもしれない。いままで感じたことのないような感触に、そんな嫌な情景が浮かぶ。
ドロドロとマグマのような炎に包まれた泉の身体を、咀道満漢はおいしいデザートでも食べるように齧りつき貪っていく。ごくりと咀道の喉が何かを呑み込んで鳴り、それだけでドッと身体からエネルギーを持っていかれるのが分かった。
サッと血の気が引いていく感覚と痛みに、泉の脳みそが思考を放棄し本能的な恐怖を叫ぶ。
――食われる……ッ!
それは人間が長年放棄していた喰われる側の恐怖だ。恐慌したままの真っ白な頭で、どうにか化け物を引き離そうと息の掛かるような距離にある咀道の顔面を何度も何度も何度も何度も何度も何度もッ、無我夢中で殴った。殴って殴って殴って殴って、殴り続けた。
「……ッ!!」
炎が弾け、爆炎が響く。それでもまるで動かない。巨大なゴムボールでも殴っているような手応えの無さに、ますます泉はその手数を増やす。
しかし“食事中の咀道”には特殊な補正でも掛かるようになっているのか、全くもってダメージを受けている様子がない。
喉から引き攣ったような音が漏れ出た。
ヤバい。
もうなりふり構ってなどいられなかった。意味も無い騒音をその場で叫んでいた。
泉の肩に深く噛み付いたままビクともしない咀道を起点に己の身体を持ち上げ、泉の両足の裏が咀道の腹の上に着地。両手が咀道の頭を鷲掴みにする。
咀道に完全に体重を預けたその体勢のまま、己の四肢の先をそれぞれ爆裂させる。爆発の衝撃に身を任せ、強引に引き千切るように咀道からの離脱を図る。
「ぐぁ……ッ!!」
炎と化した肩の肉が引き千切れ、真っ赤な鮮血と火の粉が散る。
火炎纏う衣は骨格と内臓までは炎へと変える事ができない。つまり表面の炎の衣を貫かれた時点で、負ったダメージは甚大だった。それは鎧が叩き折られ、生身の身体に直接攻撃を受けたのと同義なのだから当然だ。
肩口の肉と引き換えに、転がるように咀道との距離を取った泉の息は荒い。
「ぜぁ、はぁ、はぁ、ぜぇ、はぁ、ぜぇ……」
痛みに顔を顰め、その原因に目をやってさらに泉の表情が曇る。
見れば左の肩が大きく抉れていた。赤と黄色を帯びたピンクの色彩の先に覗く白は骨だろうか。まるで思い出したかのように傷口から真っ赤な血が零れ出し始める。
ドロドロと燃え溶ける炎の隙間から除く人間の部分が、妙に現実味に欠けていた。
放置しておけば致命的な出血になるであろう肩の傷に右の掌をあてがい、左上半身の火炎纏う衣を部分的に解除。露出した人間の皮膚の部分を強引に溶接して巨大な傷口を塞ぐ。
急速な神の力の解除に、関係のない部分まで軽度の火傷を負うが、今は無視した。
己の肉体を焼く痛みにさらに息が荒くなる。
唾を吐き捨て、殺意さえこめた視線をその少女に向ける。
強い。
素直にそう思った。
この女はまさに神の能力者の天敵だ。
泉修斗をして、絶望しか感じない怪物。
どうすれば倒せるのか、全くもって想像できない。
寄操令示よりこの女の方が厄介なのではないか? そんなどうでもいい妄想さえ頭に浮かんでくる。
「ぶぅー。もうっ、修斗君のいじわるぅ~。逃げるなんて酷いですよ。なんで満漢ちゃんにおいしく食べさせてくれないんですかーっ!?」
「冗談じゃねえ……。こんなところでお前みたいなクソふざけた女の餌になって堪るか……ッ! てか気安く名前で呼んでんじゃねえよ気持ちわりい!」
「えー、なんでですかーっ? こんな可愛い女の子に食べて貰えるなんて、まともな男なら憧れるハズでしょ? しかもアイドルですよ? ア・イ・ド・ル! 少しは嬉しがったらどうなんですー?」
「ざっけんな!! テメェのそれは意味深でも何でもねえだろ! 物理的に食べられて嬉しい男が存在してたまるか!!」
その恐怖の存在が、こちらが真面目にやってるのが馬鹿馬鹿しく思えるようなふざけ具合なのだからたまった物じゃない。
頭を抱えて髪の毛を掻き毟りたくなる衝動を堪えて、泉修斗は現在の状況の確認と打開策の立案を同時に脳内で実行する。
その後も爆炎が何度も連続するも、ダメージ一つ与えられた手応えがない。
逆に咀道からの攻撃も、集中さえしていればこちらが致命的なダメージを受ける事はない。
しかしそこには明確な差が存在する。
着実にダメージを蓄積させる泉と疲労の色すら見せない咀道。
どちらが有利かなど、わざわざ問うまでもない。
(……ふざけた神の力だぜ、ったく。おそらく、ヤツの“食事中”にはこっちの攻撃は通らねえ。普通に考えてありえねえぶっ壊れ性能だが、そう考えるしかねえ。爆発の衝撃でぶっ潰そうにも、爆炎やらを食われてアウト。接近すれば俺ごとガブリ。……正直言って、意味分かんねえよクソったれ)
接近すれば齧りつかれる為、迂闊に敵の間合いには入り込めない。
かと言って遠距離系や飛び道具系の技は文字通り餌を与えるだけだし、そもそも泉は飛び道具系の技を持っていない。
そして咀道満漢のような暴食系スキルの攻略法の定番である、『相手の胃袋の許容量を超える物量を食わせて内側からパンクさせる』と言った方法もさっきから試してはいるのだが……。
「もうっ! 修斗君のいじわるいじわるいじわるぅ!!」
理不尽で意味不明な叫びと共に、泉の放った攻撃が真っ直ぐに“返ってくる”。
躱そうにも横幅僅か二メートルのレールの上。逃げ場はどこにも無く、己を庇うように顔の前で腕を交差させるのが精一杯だった。
咀道満漢の口から放たれる爆炎の咆哮が諸に直撃する。
火炎と爆発の勢いに足がその場を横滑りする。ひやりとするが、それでも身体が浮くような事にはならなかった。
(内側からパンクさせようにもこのクソ女、食ったもんを速攻で吐きだしやがる。クソ罰当たりなヤツめ……ッ!)
いくら攻撃を連続させても、いくら大量の炎や爆発を食べさせようとも、咀道満漢は己が満腹になる前に全て吐き出してしまう。
故に際限がない。終わりがない。彼女は食材が尽きるまで無限に貪り続ける。
これではジリ貧だ。
熱によるダメージなど無いに等しいが、それでも爆発の衝撃は確実に泉の身体を蝕んでいる。
勝てない。
泉修斗の攻撃は、咀道満漢には通用しない。
有効な攻撃方法も、咀道の能力に対する対抗策も何も思い浮かばない。
ならば泉修斗にできる最善の手は生き残る事だ。
咀道満漢と相性のいい神の能力者に相手を引き継ぎ、自分は自分で勝てる相手に挑む。
そのつまらない一手こそが、次に繋げる為の最善手。
ユニークという残虐非道な組織に勝つための手段。
その事をはっきりと冷静な頭で自覚し、互いの神の力の相性から今の自分では勝ち目が薄いであろう事を理解した泉修斗は、
「くはは……あはははははははははははははははははッ!!」
“なお、笑って吠えた”。
理解して諦めるのではなく、それでもこの状況を楽しむ挑戦者の瞳で。
勝利の為の戦術とか、より確率の高い方法とか、そんな物を考えるのにももう飽きた。
そもそもらしくもない。咀道満漢に勝てるかどうか? そうじゃないだろう。自分より格上の敵をぶっ飛ばす事ができたら、それは最高に愉しくて気持ちがいい。ただ、それだけだろうが。
戦わないなどと言う選択肢は端から存在しなかったのだ。泉は、ありもしない一手を、勝手に幻視していただけ。
大勢の命が懸かっているという状況が、本人も知らぬうちに泉に枷をかけていたのだ。
退く事など一切考えない。合理性も優先順位も、責任だとか重圧だとか、そういった小難しい物を全て捨て置き、残った物。
そこにある衝動に任せ、泉修斗は。
「本当、ムカつくぜ……。俄然、燃えてきた……!」
不敵に笑って燃え盛る拳を真っ直ぐに咀道満漢へと突き付ける。対して咀道もそれにニヤリと笑ったかと思うと、すぐさまそれを営業スマイルの類に切り替える。
「……へぇ満漢ちゃんとやり合う気なんですか。いいですよ。相手になってあげます。一流のトップアイドルはー、ファンの声援にもキチンと応えるものなんですからっ☆」
ばちこーんっ! とウィンクまでかました咀道。
態度は相変わらずチャラチャラとおちゃらけているが、笑顔の裏で渦巻く彼女の戦意の高まりを泉は見逃さなかった。泉と同じ、戦いに悦びを覚える人種の匂い。
既に臨戦態勢に移行した泉は、不敵に笑って、
「そうかよ。だったらちょっと付き合えよ」
「ふふーん、いいですともいいですとも。満漢ちゃんは、ファンの愛ならどんなに重い愛でも受け止めちゃうんですからねーっ!」
咀道満漢は一騎打ちにかなり乗り気な様子を見せている。
そんな敵の様子に嬉しそうに口角を吊り上げ、まるで悪役のような笑みを浮かべる泉修斗は挑発するように告げた。
「受け切れるもんなら、受けてみやがれ。クッソたれ」
依然高まり続ける緊張感がもたらしたのか、不意に戦場に一時の静寂が訪れた。
ぱちぱちと、弾ける火の粉の音だけが響き、再びの開戦を待ちわびている。
無言で睨みあう両者の顔には共に笑顔。それもとびきり凶悪で、壮絶な笑み。
その空隙の中、泉の身体に変化があった。
「……?」
火炎纏う衣によってその身体をマグマのようにドロドロとした炎へと変換していた泉修斗。
彼の身体を覆うその炎が、波が引いていくように徐々に鎮火しているのだ。
泉の異変に気がついた咀道が訝しむように眉を顰める。
燃え盛っていた炎はそのなりを潜め、既にヒトの肌が見え始めている。
己の神の力の制御に失敗した……?
違う。現に、今も泉修斗の肌色の皮膚からは高温の蒸気が上がり続けている。
炎は消滅したのではない。
残り火。
いや、その表現も正しくはない。
例えるなら、そう。津波がやってくる寸前、波がいつもより大きく引いていくような……。
ごくり、と。誰かが唾を飲み込んだ音が聞こえた気がした。
嵐の前の静けさ。
肌の痺れるような緊張感を伴ったその静寂の中、ぽつりと一言。
「――最大火力』
静かに燃え盛る言葉と共に泉修斗の足音が静けさを蹴破った。
ダッ!! と、
大きく一歩。さらにもう一歩、大地を蹴るように駆け出す。
咀道満漢は動じない。宣言通り、真っ正面から泉修斗の全力を受け止め、その上で勝利する気だ。
――だからこそ面白い。
泉修斗の全力。
所詮は干渉レベルCプラス。学校という狭い範囲の中でようやく特待生を名乗れるような、そんな程度の力でしかない。
神の力を食らう咀道満漢相手に、泉如きの全力で効果があるのかどうかなど知らない。そもそも神の能力者の中でも極めて特殊な力を振るう彼女の許容量に、限界などあるのかさえ分からない。
ただ、それでも挑む。
泉に出来る事はただ一つ。愚直に、馬鹿の一つ覚えのように、瞬間最大火力でもって強引にねじ伏せるのみ。
神の力とは既存の物理法則さえも超越する力。ならばそこに不可能など無く、絶対など存在しない。
限界のその先へ。
今現在の泉修斗の可能性全てを、ここに捩じり出す。
だから、
「――らぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああッ!!!」
最後の一歩を踏み出すと同時、咀道満漢目掛けて拳が振るわれ──直後、点火。
密閉空間の中、極限まで酸素を送り込み一気に燃焼し切るような、そんな爆発的火力と共に、泉修斗の身体が膨張するような勢いで燃え上がった。
泉の中で膨らみ続けるエネルギーと圧倒的火力は、行場を求めて暴発。
──文字通りの最大火力が炸裂した。
これまでの物とは比べ物にならないような、最大級の爆発が泉の拳を起点に巻き起こる。
閃光が視界を潰し、音と、言うよりも痛みが耳を突き抜ける。吹き荒れる爆風が攻撃を放った本人すらも呑み込み、泉の身体を紙屑のように吹き飛ばした。
そして一つ。
想定外の出来事が起きた。
衝撃に耐えきれなかったのか、今まで幾度の爆撃にもビクともしなかったネバーワールド内最大級のジェットコースターにして目玉アトラクションの一つである『バタースピン・デッド☆コースター』が、大きな音を立てながら崩壊し始めたのだ。
泉の一撃でアトラクションのおよそ二割が瞬時に跡形も無く“消し飛び”、構造の基盤が根本から砕かれた結果である。
度重なる衝撃が、少しずつ骨組みを蝕んでいたのもあったのだろう。
最後の最後で致命的なダメージを受けた巨大構造物はぐらぐらと不気味に揺れ、次々とそのパーツが崩れ落ちていく。
子供の癇癪で突き崩されたジェンガみたいだ──などという子供のような感想が現実逃避気味に宙を舞う泉の頭に浮かんでは消えた。
『バタースピン・デッド☆コースター』の完全崩壊。
それはつまり、その上に立っていた泉修斗と咀道満漢の地上一〇〇メートルからの落下を意味していて――
「―――――――――――――――――――――――――ッ!!?」
声にもならない絶叫が、大空に轟き、数秒と経たないうちに再び爆発音がこだました。
☆ ☆ ☆ ☆
PM 15:16:21
limit 0:43:39
落下の直前、地面に向って最後っ屁のような爆発をぶっぱなし、何とか落下の衝撃を相殺した泉は瓦礫の山のなかで、疲れたように笑っていた。
炎に包まれていた身体は、普通の人間のそれに戻っている。
一滴残さず搾りきったはずなのに、よく最後の一発分の力が残っていた物だ。
流石に予想だにしていなかった結末だけに、乾いた笑いしか出てこない。
これが火事場の馬鹿力とかいうヤツかもしれねえな、と泉は自分のしぶとさに半ば呆れたように呟いた。
そのまましばらく脱力感に身を任せていた泉だったが、
「……つうか──ここ、どこだ?」
どうやらなにかの建物の屋根をぶち抜いて、ここに落ちたらしい。上を見上げると天井に穴が開いていた。
テーブルやイスが辺り一面に散乱している。
もっともこれは、誰かに荒らされたというより、何らかの衝撃波を受けて吹き飛んだといった状況のようだが。
近くに人の姿は見当たらない。当然、あれだけ騒がしかった咀道満漢の姿も。
……ここには居る様子が無いので、もしかしたら爆風の煽りでも受けて別の場所に飛ばされたのかもしれない。
何をやってもケロリとしていて無敵の化け物のように思えたあの女の事だ。もし仮に泉の最大火力を耐え抜いていたとしたら、彼女はまだ生きているだろう。
これは別に理屈や確証がある訳ではない。あの化け物が高所からの落下如きで死ぬわけが無いという、ただの泉の思い込みと後は──勘だ。
痛む頭を振り、瓦礫から身体を引っこ抜く。
周囲を軽く観察したところ、どうやらいつの間にか目的地であるパーク中央のエリア『マーガリンフォレスト』にまで到達していたらしい。
ここは『マーガリンフォレスト』内にあるレストランの一つのようだ。何でも、アトラクションの真横に建てられたらしく、アトラクションの帰り際にこの店にそのまま立ち寄れるような造りになっているらしい。
それを鑑みてか、回転率の良い軽食系の食べ物がメニューに多く並んでいた。
「……うまそうだな」
そういえば腹が減ったな、と自分達が食事の途中でテロ事件に巻き込まれたのだという事を今更のように思い出す。
折角のレストランだ。キッチンに入れば冷凍された食品が見つかるだろう。電子レンジさえ使えればあっという間におやつの完成だ。
なにせ今は緊急事態。その場に金だけ置いて失敬しても、誰にも文句は言われないだろう。
こんな緊急時に何を呑気なと思うかもしれないが、戦場での食事と言うのはここぞと言う時に生死を分けるものである。食べられる時に食べる。休める時に休む。常に万全の状態をキープする事も重要なのだ。
それになにより、今の泉は最大火力を使った事により消耗した体力を回復させる必要がある。
店内はファストフード店のようなキッチン手前のカウンターで注文を受け清算を済まし、そのままこのカウンターで料理を受け取るタイプの構造だった。
泉はカウンターを乗り越え、無遠慮にキッチンに踏み込んでいく。キッチン内も混乱の爪痕か、調理しかけの食品や、調味料の入ったボトル。食器などが散乱していた。
泉は一瞬顔をしかめたが、すぐに気にしても意味がないと割り切り、大きめな冷蔵庫の扉に手をかける。
と、冷蔵庫を開けようとしたその時。
凄まじい轟音が泉の耳を打ったかと思うと、冷蔵庫の扉を突き破って、『ナニカ』が凄まじい勢いで泉の腹に突っ込んで来た。
「ぐほ……っ!?」
不意打ち気味に鳩尾に一撃を貰い、おかしな声と共に空気が漏れた。
泉と彼の腹に突っ込んで来たその『ナニカ』は、勢いを殺しきれずにそのまま数メートルの距離を揉みくちゃになりながら転がって、カウンターの壁にぶつかってようやく動きが止まった。
「……ってて、ざっけんなよクソっ、一体何だってんだ――……あ?」
不意打ちに肩を怒らせていた泉の文句が途中で止まった。
冷蔵庫を突き破って――つまり、隣接する場所から壁を突き破って泉に突っ込んできたナニカが、泉も知っている人物だったからだ。
「……テメェは、背神の騎士団の……」
そこに居たのは、ボロボロになった少女だった。
真っ赤に染められたベリーショートが特徴の、泉を散々イラつかせた緋色の瞳のムカつく女。
背神の騎士団戦闘員、『始祖四元素』のスカーレだった。




