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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第三章 災厄ノ来訪者ト死ノ狂宴
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第十九話 無慈悲に開かれる戦端Ⅱ──拳の行方、友情と結末

 PM 14:46:22

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 八月十九日。


 それは少女にとっても、そして少女の家族にとっても記憶に残る一日となるハズだった。

 少女の家族に神の能力者(ゴッドスキラー)はいない。少し遠い親戚に一人二人神の力(ゴッドスキル)を宿した者がいるにはいるが、まだ小学校に入学したばかりの幼い少女は彼らに会った事もなかった。

 親戚に神の能力者(ゴッドスキラー)がいる事もあってか、少女の両親は神の能力者(ゴッドスキラー)に対して偏見などを抱かず、フィルターを掛けずにその人物の人柄を見る事ができ、きちんと客観的に人間と神の能力者(ゴッドスキラー)との関係を見つめられる人だった。

 ニュース番組や世論が神の能力者(ゴッドスキラー)に対して否定的で、彼らが悪だと決めつけたような報道を行う中、少女の母は困ったように眉を寄せてこう語るのだ。


 『いい? かなちゃん。この世界にはね。少し人とは違う力を持つ人達がいて、その人達は悪い事をしてないのに、周りから怖がられてしまう事もあるの。……。ああ、もちろん中にはその力を使って悪い事をする人もいるんだけどね、ほとんどの人は私達と何も変わらない、優しい心を持った人達なんだよ。だから彼らはね、周りの人を怖がらせない為に、彼らだけの楽園を造ったんだよ』


 本当は優しいのに周りの人から怖がられてしまうその人達は、まるで絵本に出てくる赤鬼と青鬼みたいだな、と少女はその時ボンヤリと思ったものだ。

 

 そして両親の言葉の通り、生まれて初めて訪れた天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)はとても素晴らしい場所だった。

 

 少女が生まれ暮らしてきた街よりも大きなビルが並び立ち、見たことも無いようなロボットや未来から持ってきたようなヘンテコな設備で埋め尽くされたこの街は、少女に自分が映画の中に入ったような錯覚をさせた。

 『ネバーワールド』で過ごした時間はさらに夢のようで、そしてもっともっと沢山の想い出で彩られるハズだった。

 

 なのに。


 本来、温かい食事が提供される憩の場であるハズのレストランは、少女のような幼い子供達のすすり泣きで埋め尽くされていた。

 控え目で、時折漏れるようなすすり泣きでも、耳の痛くなるような静寂の中では嫌に響く。

 部屋の中の照明は落ち、まだ日中だと言うのに薄暗い。

 “人質”としてこの部屋に集められた人々の暗鬱とした雰囲気と相まって、葬式でも始まりそうな光景だ。


 少女もまた、両親と共に“人質”としてこの部屋に捕えられている身。

 男の子の声で行われたアナウンスの意味は少女にはよく分からなかった。ただそれでも、僅か六歳の少女にとっては自分の父と母が今の状況に怯えているという事実が他の何よりも恐怖だったのだ。

 恐怖。怒り。不安。絶望。悲嘆。

 小さい子供は、大人の心情の変化を敏感に察知する。

 ただそんな事は分かっていても、彼女の母親と父親にこんな状況で不安がるなという方が無理な話だ。

 そして逆に、大の大人が怖がるような状況で恐怖を覚えない子供などいないのもまた当然の事ではあった。


 少女は母の腕に抱かれ、さらに娘ごと覆い抱くように父の大きな腕が母を抱きしめていた。

 かな、大丈夫よ。大丈夫だから、大丈夫。大丈夫だからね。そう自分にも言い聞かせるように何度も何度も耳元で繰り返された言葉に、果たして意味なんてあっただろうか。

 でも、その言葉だけでも、少女は自分の身体が不思議と暖かくなっていくのを感じていた。

 

 死の恐怖と極度の緊張状態が続き、いつしか彼女も彼女の両親も衰弱しきっていた。

 見張りの人間すら現れず、彼女達をここに縛るのはテロ首謀者らしき少年の言葉と、気味の悪い監視の虫が数匹。外の世界への出口は常時開放されたような状態だ。


 もしかしたら、今なら逃げ出せるのではないか?

 そんな淡い希望を抱いた者が、もう何人も扉の外へと飛び出して行ったが、彼らがどうなったのかは分からない。

 帰ってくる者はいなかったし、確かめる気も起きなかった。そもそもケータイなどの一切の通信器具は電波が通じない状況になっているのだ。ニュースサイトで脱出成功者の情報を見る事もできない。


 ただ、数人が此処から逃げ出して何分か後に爆発音や心臓の凍るような悲鳴が聞こえてきたのを、気に留めない無謀な人間はいなかった。

 “とりあえず今”は、この部屋の中に居れば身の安全は保障される。それがはっきり分かっているだけでも幸運だったのかもしれない。

 ただ、それでも死の恐怖は薄まる訳ではない。いずれにしろ、リミットは少しずつ確実に迫っているのだから。


 出口は見えている。

 その気になればいつでも店の外に出れる。


 目の前においしそうな餌をぶら下げられて、それを永遠に我慢させるような、そんな一種の拷問。

 希望を信じて外に出れば、おそらく待っているのは死。

 ただそれでも、目の前に広がる出口への誘惑は常人には耐えがたい物がある。

 なまじ希望が見えているが故に、辛いのだ。苦しいのだ。 


 だからだろうか。


 疲れ切った少女の母親と父親は、それ故に少女が母親の腕の中からするりと抜け出した事に一瞬気が付かなかった。


「……………………ッ! かなっ!?」

 

 少女も別に親の元を離れて外に出るつもりがあった訳ではない。

 ただちょうど出入口の所に、緑色の帽子が転がっているのが見えただけだ。


 パンの妖精ピーター=サンの緑の帽子。


 あれがあれば、きっと、お母さんとお父さんも元気が出るに違いない。

 子供ながらに今の状況をなんとかしたいと必死に考えて考えて、その結果があの帽子だった。

 ピーター=サンは勇敢なヒーローだ。

 だからあの帽子があれば、お父さんもお母さんも、いつものお父さんとお母さんに戻ってくれる。

 優しくて強くて、世界中の誰よりも凄い、少女の大好きなお父さんとお母さんに。今は少しだけ元気がないけど、あの帽子があればきっと勇気が湧いてくる。

 そんな無邪気な思いが、少女の小さな身体に活力を与えていた。


 懸命に恐怖を押し殺して、少女は三つ編みおさげをぴょこぴょこと揺らしつつ、緑の帽子へと小さな歩幅の歩みを進める。

 後ろで叫ぶ母の声も、慌てて少女を追いかける父の姿にも、少女は気が付かない。

 一つの事に夢中になった子供は、それ以外の事が目に入らなくなる物だ。

 

 だからこそ、致命的なラインを越えた事に気が付かない。

  

「……やった。やった! お母さん、お父さん、ピーターパンの帽子!」

 

 帽子を手に取って両親の方を振り返り、笑顔で叫ぶ少女の足元。

 そこは店内と店外を仕切る境界線の向こう側。店外の戦闘参加区域に当たるエリアだった。


 そして悲劇とは理不尽で悪魔的な偶然と必然の元に成り立つ物であり、最悪のタイミングで起きる物である。


「かな! はやく、はやくこっちに戻ってきなさい!!」

「――帽子だよ! 帽子取れた……よ……?」


 真っ青に切迫した顔で叫ぶ父の言葉の意味が分かったのは、少女の上に差した影が来訪者の存在を告げたからだ。


 後ろ。

 少女の背後。

 どうしてか、どういう理屈か、おそるおそる振り返らずにはいられなかった。

 振り返った少女は、それを見た。

 今まさに不可侵の境界を越え、その身に対する加護を失った少女の背後――ニコリと笑う悪魔が立っていた。


「うん? どうしたのかな、お嬢ちゃん。迷子にでもなっちゃった? それとも、お散歩でもしたくなっちゃったかな? うん。いつまでも部屋の中に閉じこもってるのも飽きちゃうよね。しょうがないからお兄さんがつきあってあげるよ。こう見えて、とっておきの散歩コースを知ってるんだ! うん!」


 決死の覚悟で叫び、突進するように走る父親の伸ばした手は――届かない。


「いや……。嘘よ。いやぁぁぁああああああああ!! かなぁぁぁああああああああああああああああ!!!」


 無情にも、母親の泣き叫ぶ声が痛いほどに木霊した。



☆ ☆ ☆ ☆



 PM 15:52:33

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 肝が冷えるような浮遊感の後、背中から地面にしたたかに叩きつけられた。

 受け身すら取れずに突き抜ける衝撃に肺の中の空気が強制的に吐き出され、息が詰まってまともに呼吸をする事もできない。

 相手の攻撃の直撃を受けた腹部のダメージも甚大だった。

 内臓が焼かれたような熱と痛みに、喘ぎ悶え咳き込み、苦痛の声を我慢する事も出来ず無様に地面を転がり回る。

 まるで身体が呼吸の仕方を忘れてしまったかのようだった。

 いや、それ以上に。


「っ……な、んで? ……だ」

「いやー、悪いねー。ユーマ」


 高見秀人に吹き飛ばされ、仰向けに地面に倒れた東条勇麻は目の前の状況が理解できなかった。

 タイミングは完璧で、回避は不可能な間合いにまで侵入していたはずだった。


「切り札ってヤツは、最後の最後まで隠しておくから切り札足り得るんだぜい?」


 だって、有り得ない。

 一人の神の能力者(ゴッドスキラー)に宿る神の力(ゴッドスキル)は一つ。

 例外は無く、一人に複数の神の力(ゴッドスキル)が宿る事は無い事が天界ヘヴンズ箱庭ガーデンの研究によって明らかになっている。

 

「そもそも嘘もブラフもハッタリも、俺っちの得意分野だ。そんな付け焼刃でこの道のプロである俺っちをどうにかできるとでも思ったのか?」

 

 それなのに、高見秀人は『風』の力で触れる事なく東条勇麻を吹き飛ばし、さらには勇麻のドテッ腹に掌から放った火炎弾を叩き込んで見せたのだ。


「お前。その神の力(ゴッドスキル)、は……」


 そしてなにより、東条勇麻はこの神の力(ゴッドスキル)を知っている。

 見たことがあるとか、そういう次元ではない。実際に戦った事があるような、そんな気がするのだ。

 ……いや、これは錯覚などではない。確かに間違いなく、勇麻はこの神の力(ゴッドスキル)の使い手と戦った事がある。

 左右に広げた高見の右の掌の上では炎が渦巻き、左の掌の上では小さな竜巻がとぐろを巻いている。


「ん? “これ”が気になるのか?」


 高見の言葉がスイッチになったのか、何かを切り替えるように炎と竜巻が消失。

 まるで入れ替わるように水と土とが高見の掌の上で踊りはじめる。

 『風』、『火』、『水』、『地』。四つの属性を自由自在に操るこの力は、まるで――


「本当はユーマの神の力(ゴッドスキル)を使ってみようかと思ったんだけどな、どうも勇気の拳(ブレイヴハンド)は特別製らしい。俺っちの神の力(ゴッドスキル)じゃ複製コピーできなかったんよ」


 まるでお気楽な世間話でもするかのように告げられた言葉。

 その言葉の意味が、全くもって分からなかった。 

 コピー? 特別製?

 一体何を言っているんだ?


「『劣化複製フルダウンエディション』。この目で見た相手の神の力(ゴッドスキル)複製コピーする神の力(ゴッドスキル)。まあ文字通りオリジナルと比べて多少劣化しちまうのが難点だが……どうだ? 便利な神の力(ゴッドスキル)だろ? おかげでついた二つ名は猿真似モンキーマジック。……はぁ、もうちょっとどうにかなんなかったものかねー……」


 やれやれと首を横に振って、うんざりと疲れた風に高見は笑った。


 神の力(ゴッドスキル)複製コピーする 神の力(ゴッドスキル)

 その言葉の衝撃に、けれど勇麻は実感が湧かない。

 何と言うか、本当にそんな事が可能なのか、という疑念がどうしても先行してしまう。

 けれど、確かにそんなめちゃくちゃな 神の力(ゴッドスキル)が無い限り、二つ以上の力を行使する高見秀人という存在を説明する事ができない。


 ニヤニヤと、高見は敗者を弄ぶように、


「『始祖四元素ビギニングフォース』とか言ったっけな、この神の力(ゴッドスキル)。結構苦労したんだぜ? なにせ、かなり珍しい神の力(ゴッドスキル)だからな」


 その単語を聞いた途端、勇麻の思考に空白が生じた。

 聞き間違いでも何でもない。今確実に、高見秀人は『始祖四元素ビギニングフォース』という単語を口にした。

 それはつまり背神の騎士団(アンチゴッドナイト)の四姉妹と高見との間で戦闘があったという事で、さらにはその戦闘の結果、立っていたのは高見秀人だったという事だ。

 シャルトル達が、負けた?

 まさか、そんな、馬鹿な。

 しかし、開いた口から否定の言葉を吐き出す事ができなかった。


 高見の扱う神の力(ゴッドスキル)から、シャルトル達の持つものと同種の力を感じてしまったから。

 

 いや、そもそもあの『風』の攻撃を食らった時点で漠然とした違和感を勇麻は感じ取っていたではないか。

 いや、違和感自体はもっと初めに感じていた。

 おそらくは最初の激突の際の無理やりな後方への跳躍も、始祖四元素ビギニングフォースの力を利用していたとすれば辻褄が合う。

 足元に風でも纏えば、例え無理のある体制だったとしても強引に後ろに跳ぶ事ができるだろう。


 要するにこれは、本当は分かっていた事実を、改めて再確認させられたというだけの話。


「あれ? ここはいつものユーマなら仲間がやられた事に怒り狂って殴りかかってくるトコじゃないの? それともなに、あの四姉妹は仲間でもなんでも無いってか? うわっ、ひっでー。利用するだけ利用していらなくなったらゴミ箱ポイとか、だいぶえげつねーなユーマってば」

「……黙れよ」


 膝に手を付き、立ち上がる。


「所詮は“四人でようやく一人前”の三流神の能力者(ゴッドスキラー)だし。……結局、四人ベストの状態で戦って俺っち一人に勝てないような雑魚だしぃ? いらないっちゃいらないかー」

「……アイツらの強さを、お前が知ったように語ってんじゃねえぞッ! 高見ぃぃいいいいいいいッ!!」

  

 気が付けば勇麻は、高見目掛けて一直線に駆け出していた。

 何も考えずに飛び出した訳ではない。何も策を考えるつもりがなかっただけだ。

 気にいらなかった。シャルトル達の想いを、努力を、汚い土足で踏みにじられているような気がした。

 勇麻の怒りに呼応し、勇気の拳(ブレイヴハンド)が熱く燃える。


 けれど何よりも気に入らないのは自分自身だった。

 

 シャルトル達に『ホスト』の破壊を依頼したのは勇麻だ。背神の騎士団(アンチゴッドナイト)でも指折りの実力者である彼女達なら問題はないだろうと思っていた。

 その結果がこれだ。

 シャルトル達にもし万が一の事があったら、それは勇麻のせいだ。

 勇麻が一人でやるべきだった。

 こんな危険な事に、他人を巻き込むべきではなかった。

 そんな後悔とも自責の念とも、自身の愚かさへの怒りとも言えぬ感情が、勇麻の足を前に前にと運ばせる。

 

「あんまし安い挑発に乗るなよ、ユーマ」


 高見がやや呆れたようにそう呟いた直後だった。

 走る勇麻の身体がグラリと傾いた。

 驚愕に目を見開く勇麻の足元、唐突に床が大きく陥没し踏み出した足を取られたのだ。おそらくは『地』の力。

 完璧な不意打ちにバランスを立て直す事ができない。倒れる。

 そんな間抜けな確信を得て、

 そして、至近で声がした。


「その安っぽい“正義のメッキ”。剥がれるぞ?」


 前のめりに倒れる勇麻の鳩尾に重たい衝撃が走る。

 虚空を渡って瞬時に勇麻の懐まで入り込んだ高見の右の拳が、勇麻の鳩尾に深くめり込んでいた。

 

「かっ、はァ……ッ」

空間転移テレポートの方もようやく回復してきたか。それにしても、やっぱり大技の連発は負荷がかかり過ぎるな。どれだけ調整に気を使った所で、所詮は下位互換の劣化品。やっぱり重要なのは使い方とタイミングっ……と」


 右手を握ったり開いたりして調子を確かめるような調子で高見は言う。

 地面に崩れ落ちた勇麻には見向きもしなかった。まるで、そんな物に興味を向ける価値もないとでも言うかのように。

 

「……ふ、ざけんな。戦ってる相手から目ぇ……、逸らしてんじゃ、ねえよ!!」


 再び起き上がって振るわれる拳を、しかし高見はスケートリンクを滑るようなバックステップで軽々と回避する。

 足元に『水』のフィールドを発生させ、『風』の力と合わせて滑るように移動しているのだ。


 返す刀で勇麻のドテッ腹に重い蹴りが突き刺さり、勇麻自身の突進の勢いも相まって、凄まじい勢いで吹っ飛ばされた。

 地面を転がり跳ねる度に、呼吸が止まり痛みが思考を阻害する。

 明滅する視界の中、高見の無慈悲な声だけが響く。

 

「『二代目』。『希望の拳(ホープインハンド)』。そして『勇気の拳(ブレイヴハンド)』……俺っちがユーマに近づいた理由ってヤツだ。この街の上層部――いや、裏側からこの街の闇を見てきた者達と言うべきか。ともかく連中は東条勇麻って男を警戒していた。なにせ、“あの男”がその人生の最後に『希望』を託した男なんだからな。当然だ。そこで俺っちに与えられた極秘任務が東条勇麻の監視だった」


 高見が何を言っているのか東条勇麻には半分も理解できない。

 ただ、『監視』という一つの単語が勇麻の心に重く圧し掛かる。

 出会いさえ、友達になる事さえ、顔も知らないどこかの誰かに仕組まれたシナリオだった……!?

 高見との出会いに高見の心は関係なく、勇麻と高見が友情を結んだことに誰かの思惑が入り込んでいたとしたら。

 だとしたら、それは、それでは、本当の本当の本当に……ッ!!

 地面に膝を付き、砕けるくらいに歯を食いしばる。

 そんな勇麻を、どこか憐れむような視線で高見は見ていた。

 それが、どうしようもなく勇麻の心を引き裂いていく。


「言ったろ、友達ごっこだって。けど安心しろよユーマ。上にはこう報告しといてやるよ。東条勇麻は『初代』と違い酷く貧弱な出来損ないで、監視する価値も無ければ、生かしておく価値もありませんでしたってな……ッ!」


 壊れていく。

 最初から、そもそもの始まりから間違っていた。

 裏切られたとか、どこかの時点で敵に通じていたとか、そんな次元ではなかった。

 高見秀人は最初の最初から、東条勇麻と友達になどなっていなかった。

 

 その関係はどこまで行っても偽物で、どこから見ても虚偽に溢れていて、そして今日ここで破綻したように見えるだけ。


 まるで、今の今まで装飾煌びやかな豪邸で楽しく暮らしていたと思っていたのに、幻術が解けた途端に実はそこは古びた魔女の館の廃墟だったのだと初めて理解するような、そんな認識の破滅。

 

「嫌だ……、そんなの。そんなの……ッ! 認めてたまるかッッ!!」

 

 子供が駄々をこねるような、聞くに堪えない拒絶の叫び。

 論理は破綻していて、反論にすらなっていない、ただ事実を拒絶し身勝手に否定する、稚拙な主張。

 でもそれは、勇麻の心の底からの願いでもあったのだ。

 勇麻は今、自分がどんな表情を浮かべているのかも分からなくなっていた。

 悲しいのか怒り狂っているのか、虚しいのかまだ諦めていないのか。

 感情はぐちゃぐちゃで、だけれども決して小さくはないエネルギーが勇気の拳(ブレイヴハンド)を介して身体中に巡り、勇麻の中で行き場を欲して暴れ狂う。

 

 身体が異常に熱い。

 制御できない感情の炎が勇麻の内を焼き焦がす。

 ふらり、ゆらゆらと頼り無い足取りで立ち上がる。

 握った拳からは力加減を誤ったのか、ボタボタと自らの血が滴り落ちている。

 完全に勇気の拳(ブレイヴハンド)の制御を失っていた。

 否、これはきっと無自覚な拒絶反応だ。

 事実を拒絶し、全てを有耶無耶にしようとする自暴自棄にも似た心が、勇麻を暴走させているのだ。

 頭はガクンと力なく垂れ下がり、無防備に後頭部を高見に見せているような格好だ。


 しかし今の勇麻にはその状態で立っているのもやっとなのだ。

 あまりの熱量に、自我が吹き飛びかける。

 それでも意識を失わないのは、東条勇麻の最後の意地なのかもしれない。

  

「子供の絵空事みたいな綺麗事の押し付けも、ここまで行くと暴力を使った脅しだな。おぉーこわこわ。これじゃあテロリストとやってる事変わんないじゃないの? ……って、もう聞こえてもないか」


 高見の言葉は意味を持たず、勇麻を素通りするだけだった。

 勇気の拳(ブレイヴハンド)は五感も強化するはずなのに、もはや勇麻には誰の声も届かない。

 真っ白に染まった視界の中、ただ一点。高見秀人のみが色を持っていた。

 まるで赤色に反応する闘牛のように、勇麻の感情の矛先全てが高見へと向かって、刹那。


 ボッッッ!!


 と、足元が暴発したかと錯覚する程の勢いで、勇麻の身体が射出された。

 蹴り出された床を中心に放射線状のひび割れが走る。

 足の筋肉がブチブチと嫌な音を立てている事すら、今の勇麻は気にかけない。


 そして高見秀人が『風』の力を借りて凄まじいスピードで駆け出したのも、ほぼ同時だった。


 言語化できない、手負いの獣のような意味不明な叫びをあげて、戦う意味すら見失った東条勇麻はただ本能的に己の感情に振り回されるように拳を振るう。

 

 対する高見はその表情からニヤニヤとした笑みを消し去り、真剣な、刃の切っ先のような鋭い表情で、勇麻と同じように拳を振りかぶった。

 

 二つの拳が、結ぶ直線上の一点で交錯する。


 そして、そして、そして、


 全てが決着した。

 

「……」

「……」


 最終的には速度の差だった。

 高見秀人の拳より先に東条勇麻の拳が届いた。

 先に攻撃を当てた方の勝ち。

 実に単純で明快な、そんな面白くも何ともないシンプルな結末。


 だから勝敗は誰の目にも明らかだった。

 そしてそれ以上に、悲劇は回避不能だったのだ。


 嫌な匂いが鼻をつく。

 視界一杯に広がる赤、赤、赤、赤。


 その鮮やかな色は、鮮やかすぎるが故に、見る者に死を連想させる色だった。

 濃密で極彩色な死を。

 

「……」


 勇気の拳(ブレイヴハンド)によって殺人的な破壊力を込められた拳。かろうじて意識を失っていないだけで、まともな自我さえ保てていない今の勇麻に手加減などという概念は存在しない。

 巨大な岩をも粉砕するような一撃。

 拳銃などとは比べようもない破壊力が加減も知らずに高見の頭部へと襲いかかれば、いくら身体の頑丈な神の能力者(ゴッドスキラー)とは言え、待っているのは致命的な結果の他には有り得ない。

 高見秀人の顔面は尻に花火を突っ込まれた哀れなカエルのように、爆発四散する。

 そんなつまらない結末になる“はずだった”。

 


 インパクトの寸前、高見の死まで僅か〇.五センチの距離で東条勇麻がその拳を止めなければ。


 

 最後の最後で止まった拳。

 例えまともな自我を失っていても、東条勇麻には友達を傷つける事など出来なかったのだ。

 それは心の奥底で勇麻が高見の事を友達として信じているのだという事の何よりの証拠であるように思えた。


 結局のところ、関係のない事だったのだ。


 高見秀人がたとえ東条勇麻の事をどう思っていようとも、たとえ最初の始まりから全てが間違っていて、偽りでしかなかったとしても、そんな事は関係ない。

 東条勇麻が高見秀人を友達だと思っているのなら、それだけで良かったのだ。

 例え、勇麻以外の誰がその絆を否定しようとも、勇麻一人でも信じる事ができたのならば、それはきっと意味のある事なのだから。

 彼らが共に歩んできた道が消えてしまうなんて事は決してないのだ。


 高見の頬を遅れて拳圧の風が優しく撫でる。 

 ただそれだけ。

 それ以上は何も起こらない。悲劇も惨劇も起こらない。

 そんなとても愚かで、けれど優しい結末。


 なのに、

 それなのに、

 真っ赤な極彩色の世界は掻き消えない。


「……ぐぽっ」


 高見秀人の拳は届かなかった。

 けれど、高見秀人の拳から伸びた風の刃は一切の容赦なく東条勇麻の喉笛に真っ赤な花を咲かせて、裂かせていた。

 ポツリと、温度を感じさせない声色が響く。 


「……綺麗事じゃ、お前の偽善じゃ、何も成し得ない。だから眠れよ、東条勇麻せいぎのみかた


 不可視の風の刃。

 勇麻にまともな判断力が残っていたとして、果たして躱す事ができただろうか。

 

 高見秀人は正々堂々とした真っ向勝負などしない。

 絡め手で。不意打ちで。卑怯で姑息な裏技に頼るのが彼のスタイル。

 そして、目の前の“敵”に容赦などしない。

 演技とは言え、数年に渡って友達として接してきた仲だとしても、そこに逡巡はない。


 ぐらりと傾き、ついには一切の抵抗を失って地面に大の字に倒れた勇麻を嘲り見下すように、高見秀人は冷たい声色で言った。


「敵を殺せず、自分すら守れないお前の正義じゃ、誰も守れないんだよ」

 

 ピクリとも動かない東条勇麻に背を向けて高見秀人は歩き出す。

 裏切り者の少年は、決して背後を振りかえらなかった。 

 その瞳に浮かぶ感情の色が何色なのか、誰一人としてそれを見る者などいない。

 ただ、己の目的の為、その手を真っ赤な血に穢しながらもその歩みを進めていく。

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