第十八話 無慈悲に開かれる戦端Ⅰ――友と友、交えるは拳
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瞑った目蓋の向こう側に光を感じ、それが意識の半覚醒を促した。
微睡の中の思考で、今すぐ目を覚まさなければならないような気がして、未だに圧し掛かる気だるげな睡魔を押しのけるようにして目蓋を開く。
「ここは……」
寝ぼけ眼のまま口から飛び出した言葉は、あまりにも常套句だった。
うつ伏せに倒れていた身体をお越し、重たい頭を横に振るう。
どこかで打撲したのか、後頭部に鈍い痛みを感じた。
(……俺は、何をしていたんだっけ?)
ぽりぽりと頭を搔いて、勇麻は唸るように眉根を寄せた。
まだうまく回らない頭を必死に働かせ、何とか自分の現状を思い出そうと脳みそと格闘を開始する。
――今日は八月十九日。
東条勇麻はアリシアや楓たちと、退院祝いも兼ねてネバーワールドに遊びに来ていたハズだ。
アトラクションで遊んだり、お土産屋をひやかしたり、楽しい時間を過ごしていて。
それで、アリシアの希望でカレーをみんなで昼飯に食べることになって……。
と、そこまでをゆっくりと思い出した勇麻の脳裏に、地獄のような光景がフラッシュバックした。
燃え盛る獄炎、悲痛な叫び。助けを求め空を切る手のひら。血と死の匂い。
苦しみ、悲しみ、怒り、絶望、言葉にならない感情の奔流が、溢れ零れて――
「――ッ!!? っはぁ、はぁっ。はぁっ、はぁっ、はっあっはぁ。はぁ……そうだ。確か、ネバーワールドが、おかしな連中に襲われて、高見が……。それで皆を助けなくちゃいけなくて、それで……ッ! 皆は!?」
自分の置かれている状況を思い出し、跳ねるように立ち上がった。
嫌な汗がドッと滲み出る。額に手を当てながら、混乱し焦る頭で慌ただしくあたりを見回す。
しかしつい先ほどまで傍にいたハズの見知った姿がどこにも見当たらない。
アリシアも、楓も、泉も、どこにもいない。
そもそもさっきまで勇麻達が居た場所と、周囲の景色が違う。
勇麻たちはパーク中央の『マーガリンフォレスト』に向かって道を走っていたハズだ。
だというのに、今勇麻がいる場所は完全に室内。おそらくはどこかのアトラクション内部だと思われるが、こんな場所に来た覚えはない。明らかに何かがおかしい。
気絶した勇麻を誰かが運んだ?
いや、違う。
そもそも。こんなことになる直前に出会った人物は、どんな種類の力を使っていたか。
「……まさか、空間転移で飛ばされたのか? 皆バラバラにどこか別の場所に……!?」
ややあって真相に気がつき、驚愕と共に勇麻は高見秀人に見事にしてやられたという事実に歯噛みした。
「くそ!」
苛立ち紛れに拳を床に叩き付ける。
地鳴りのような低い轟音。
それだけで床に放射状にヒビが走り、勇麻は自分の頭に血が上っている事を自覚させられる。
勇気の拳が、勇麻の怒りに呼応しているのだ。
(……ひとまず落ち着け。焦って逆上しても、何にもならない。ここからどうするかを考えろ、思考しろ)
自分に言い聞かせるように、そう何度も繰り返す。
白熱しともすれば暴走しそうになる頭を、ゆっくりと時間をかけて冷却していく。
(俺達は高見の神の力によって、おそらくはそれぞれ別々の場所に飛ばされた。四人で行動されるのを嫌がった……つまり、四人同時だと面倒でも個々人での戦闘なら向こうは勝てると踏んでいるって事か? ……となるとマズいな。一人でいると連中から狙い打ちされちまう。戦力的に考えてもさっさと一度合流するのがベストか)
勇麻はスマホを取り出し、はぐれてしまった三人と連絡を取ろうとした。
この際通話が傍受される危険性だとかは言っていられない。なにより、こちらが孤立している事はもう向こうにバレている。
こちらが一人でいるところを狙って敵がやってくる前に、急いで合流すべきだ。
しかし、
「くそ! 繋がらない。圏外とかふざけてんのかよ!?」
つい先ほどまで普通に通じていたハズのスマホが圏外になっていた。
八つ当たりのようにスマホを地面に叩きつけそうになって、直前で思いとどまり、悪態をつきながら乱暴にポケットにねじ込む。
通信手段を怒りに任せて自分から手放すのは流石に愚行が過ぎる。
もしかしたら、先の爆発の影響で屋内には電波が届いていないだけかもしれない。外へ出れば、まだ繋がる可能性もあるはずだ。
無理やりにでも楽観的に考え、ひとまず勇麻は外へと出ようとする。
出入り口を探して周囲に視線を巡らして、
「!?」
「おっと、ようやく気がついたか? ユーマ」
唯一の出入り口に寄りかかるようにして、高見秀人が立っていた。
「高見……!? お前いつから!?」
あまりにも予想外の登場に、これまで高見秀人という男に対して抱いていたハズの感情すら忘却し、ただただ驚いた声を上げる勇麻。
対する高見も呑気な物で、よっこらせっなどと呟きながら、寄り掛かっていた壁から身体を離す。
高見はズボンのポケットに突っ込んでいた手を頭の後ろで組み直して、適当な調子で勇麻の疑問に答える。
「いつからって、最初からだけど? ユーマってば視野が狭まってるんじゃねえの?」
否定はできない。
ついさっきだって、アリシアの変化に気づけず、彼女にツラい思いをさせてしまった。
自分の事しか考えられない自己中さに、いい加減に嫌気がさしていたところだ。
「それに、スマホを頼りにしてるんなら合流は諦めたほうがいいと思うぜい?」
「なに?」
「タネ自体は単純さ。きっとキソちんが妨害電波でも飛ばす虫を放ったんだろ。通話どころか、ネットの閲覧もできなくなってるハズだぜい」
まあ、その辺りはどうでもいいか。と高見は付け足すように言った。
両者の間に一時の沈黙が降りる。
相変わらずいつも通りの笑みを浮かべている高見の表情からは、いつも通りだからこそ、その内心を伺い知る事はできない。
勇麻は自分自身を落ち着かせるためにも敢えて一拍置いて、
「……皆をどこへ飛ばした」
「さぁてね、それを俺っちが素直に教えてやる訳にはいかないっしょ。無事だといいな?」
「テメェ……ッ!」
「まあまあユーマ落ち着いて。安心しろって、冗談だよ。冗談。それぞれ別々の場所に飛ばしただけで危害は加えてねえからさ」
へらへらと面白がるようにそう言う高見。
言葉の真偽は分からないが、ここでわざわざ嘘を吐く必要性も感じない。
結局のところ、今の勇麻は高見の言葉を縋りつくように信じるしかない。
「……無事、なんだな?」
「ああ、心配はいらないぜい。何せこの『空間転移』はかなりの精度だからな。ま、そこから先のアイツらの行動の結果までは保障しかねるけどな」
随分と軽い調子で肩を竦める高見。
友達の事だというのにまるで他人事だった。
いや、友達だと思っていたのは、本当にこちらだけなのかもしれない。
すぐ近くにいるハズなのに、目の前の少年と勇麻との間に酷く巨大な壁があるように感じる。
住む世界の違い、とでも言うべきか。根本的なところで高見秀人の生きてきた世界と勇麻達の生きる世界とが違う物だと言う事を、認識させられた気分だった。
「さて、と。……ユーマ、まさかとは思うがこんなくだらない雑談の為にお前をわざわざ招待したとは思ってないよな?」
その瞬間、高見が問う言葉に鋭さが宿るのを勇麻ははっきりと感じ取る事ができた。
正面から見据える線のように細められたその瞳に、ちりちりとした闘気が宿る。
高見の問いの意味。それを勇麻も理解できてはいた。
まだ考えらしい考えも纏まっていなければ、高見がどうしてこんな事をしているのかも、何も分からない。
だが、それでも。
「あぁ、分かってる」
「……そうか」
答えはそれだけで十分だった。
覚悟、なんて殊勝な物は持ち合わせていないけれど、それでも。
ここで高見秀人と拳を交える事になるという、どうしようもない事実だけは、理解できてしまったから。
友達だったはずの誰かと誰かの視線が一瞬交錯し、刹那の火花を散らした。
「……ッ!」
「……ッ!」
合図なんて必要なかった。
短く息を吐き出す音が重なる。
東条勇麻が大地を蹴り出し、霞むような速さで駆け出すと全く同時。一コンマ一秒遅れる事なく高見秀人も地面を蹴り出していた。
疾走する二点を結ぶ直線上。
最短距離で二つの拳が激突する。
(空間移動、来るか……?)
が、勇麻の予測を裏切るかのように、高見秀人が虚空を渡ることはない。
勇麻の視界の中、目前の高見がニヤリと笑ったような気がした。
訪れる結果は、防御ガン捨ての真っ正面からの打ち合い。
距離は既に互いの拳の間合いだった。
二つの足音が、踏み込みの小気味いい音を鳴らす。
列迫の気合いと共に、二つの拳が互いの頬を捉えた。
肉を叩く生々しい音、頬に走る痛みと衝撃。
それらを無視して、勇麻は拳を力任せに振り抜く。
そうなると当然、押し勝つのは勇気の拳を要する勇麻の方だ。
勇麻の足裏が衝撃に僅かに後退し擦過痕を残す。対する高見の身体が、まるで打ち返される白球のごとく元来たルートをなぞるようにノーバウンドで十メートルも吹き飛ばされる。
が、
(チィ……ッ! あいつ、インパクトの直後に自分から後ろに跳びやがった……!?)
いくら勇気の拳による身体能力の強化が凄まじかろうと、“今程度の勇麻のノーマルな一撃”に相手の人間を何メートルも吹き飛ばすだけの力は無い。
一体何をどうやったのか、高見秀人は衝撃を逃がす為に自ら後方に跳び、勇麻の一撃の威力を減衰させていたのだ。
だが、そんなことが可能なのだろうか。
受け身の姿勢なればともかく、高見は勇麻に向けて全力で拳を振り抜いていたのだ。
(空間移動の応用か何かか? ……いや、違う。それだけじゃあ衝撃を殺すことなんてできるはずがない。あいつは、まだ何かを隠してるって言うのか?)
自らも前方向に体重を掛けていたあの状況で、一体どうやって?
「……っててて。いやー、やっぱりユーマの一撃は威力がダンチだぜい。立て続けに喰らったら流石にまじぃな」
そんな勇麻の疑問を嘲笑うかのように、高見はケロリとした表情で立ち上がる。
「でもイイネ。やればできるじゃんかよ。ユーマってば」
「……何が言いたい」
「ん? あぁ、ほら。さっきみたいに怒り狂って無鉄砲に突っ込んで来るもんだと思ったからさ。思いの外冷静みたいで俺っちもびっくりですよって言ってんだよ」
「冷静? 馬鹿言え。怒り狂ってるよ、俺は」
高見の言葉を、勇麻は鼻で笑って否定した。
そうだ。
冷静になんていられる訳がない。
あの衝撃的な裏切りからいくらか時間が立って、頭を冷やす時間も得た。
色々な事を考えたし、色んな事を思った。
答えを探して、でも見つからなくて。分からない事ばかりで。
こうして相対している今も、様々な感情が勇麻の中で爆発している。
冷静さなんてまやかしだ。
取り繕って、そう見えるように必死にやっているだけなのだ。
だからこそ勇麻は、笑う。
皮肉げに、ボロボロに取り繕った見栄と虚勢まみれの笑みを浮かべる。
強気に笑う。
「怒り狂って、怒りのあまりお前をブチ殺しちまわないように、気ぃ遣ってやってんだよ。アホ高見」
「お気遣い痛み入る……と、言ってやりたいところだが、まあ、無用な気遣いだと思うぜい?」
高見は相も変わらずふざけきった表情で肩を竦めて、イタズラを宣言する悪ガキのように。
「だって、俺っちは殺すつもりでやるし」
高見が懐からゆるりと取り出したソレを見た瞬間、勇麻の背筋に薄氷が張ったような寒気が走った。
照明に照らされ黒光りする金属の塊。やけに高見の手に馴染んで見えるソレの先端、ぽつりと小さく開いた真っ黒な口が、覗き込むように勇麻の脳天を照準していた。
「なんだよユーマ、そのアホ面は。遊んでやるのは構わないが、俺っちがわざわざ接近戦に付き合ってやる義理はないだろ?」
ニヤリ、と。口の端を殺意に歪めて、高見秀人はあの時と同じく、何の躊躇いも無く引き金を引く。
勇麻は蛇に睨まれた蛙のように動けない。
パンッ、という乾いた音が響いた。
焼けるような痛みが勇麻の真横を通過する。
音の速さで飛び出した鉛玉が勇麻の頬を掠めていったのは、幸運以外の何物でもなかった。
頬を刺す痛みの刺激にハッと気が付き、今更のように身体の硬直が解ける。
視線の先で高見が忌々しげに舌打ちしながら拳銃を構えなおすのが見えた。
銃口がこちらを窺うかのように勇麻を覗き込んでいる。
マズイ。
勇麻は背筋が総毛立つのを感じ、何も考えずに横合いに大きく飛びのいた。
遅れるようにさっきまで勇麻がいた空間を銃弾が打ち抜いていく。
「く……ッ、」
深く何かを考える余裕なんてなかった。
受け身の要領で転がるように立ち上がって、そのままの勢いで勇麻は高見目掛けて走りだした。
止まったら撃ち抜かれる。いくら神の能力者が普通の人間と比べて頑丈だとはいえ、心臓を銃弾で打ち抜かれでもすればそこで終わりだ。
だからと言って飛び道具を持たない勇麻は、近づかなければ話にならない。
「──ぉぉぉぉぉおおおおおおおおッ!!? 高見ぃいいいいいいいいいいいいいッ!!」
勇麻の絶叫に、しかし高見は取り合わない。
高見はバックステップで間合いを測りつつ三度発砲。
勇気の拳によって強化された動体視力が、かろうじて銃口から射出される弾丸の軌道を捉える。
走りながら僅かに首を左に傾け――途端、脳みそを揺さぶる衝撃と、目蓋の僅か上を抉り取られるような激しい熱に襲われる。
(……今の俺じゃ、見てからじゃ間に合わない……!?)
回避が微妙に間に合わず、掠めるようにして肉を削られた。
頭を揺らした衝撃に目を回しつつも、決して思考は止めない。止めれば死ぬ。それが分かっているからだ。
右目に血が入ってきて視界の半分が真紅に染まった。真っ赤な血を拭う暇も惜しんで勇麻は死にもの狂いで足を動かす。
勇気の拳の身体強化は間違いなく作用している。だが、足りない。
今の勇麻の状態では、回避がわずかに間に合わず、じわじわと削られていってしまう。
(……だから、だからどうしたって言うんだッ!)
が、それでも怯まず足を一歩、前に。前にっ、前にッ!
狙うは勿論最短距離。だが、そう簡単に捉えさせはしない。
勇気の拳によって身体中に巡るエネルギーを下半身に集中。
右に左に。
細かくステップを踏み、単調な軌道になる事を避け、高見に的を絞らせない。
それでも瞳はただただ真っ直ぐ。目の前の男だけを見据える。
そこにあるのはよく見慣れた顔だった。中学入学から今日までの四年と少しの間。東条勇麻が共に笑い続けた友の顔だった。
ズキリとした痛みに勇麻の顔が知れず苦悶に歪む。心臓のあたりが痛い。
別に銃弾を受けた訳ではない。
それなのに、痛みは収まる様子を見せず、ジクジクと勇麻の胸を穿つのだ。
ともすれば、全てから目を逸らして逃げたくなるような痛みだった。
だけど逃げない。
臆すれば待つのは友の手による惨めな死。顔を背けたい現実から逃げずに、東条勇麻は正々堂々と真正面から立ち向かう。
「高見!! お前はっ、お前は本当に俺達の事を何とも思っていないって言うのかよ!?」
返事はない。
代わりにとでも言うように乾いた銃声が鳴り響いた。
低く身を屈めた勇麻の髪の毛を掠めるように、鉛玉が頭上を通過する。
連続して引き絞られる引き金に呼応し、死を届ける銃弾が立て続けに勇麻を襲う。
もはや勇麻は銃弾を見極めようとは考えない。
銃口の先から予めコースを予測し、引き金が引かれる前に回避行動に入る事で、何とか活路を見いだしていく。
回避は必要最小限。
皮膚を削り肉を削り、血を流して最短距離を突き進む。
音速で迫るそれら全てを紙一重のところで回避しつつ、勇麻は確実に高見との距離を詰めていく。
「俺や泉に楓や勇火……他の皆も! お前を、お前の事を好きだったヤツなんて沢山いたんだ! なのにお前は、あの日常全部が嘘だったって、そう言うのかよ!」
友達だと思っていた人間に裏切られて銃口を突きつけられ、その友人が関わったであろう地獄の一端を垣間見て、それでも今、高見秀人と対峙した勇麻の頭に浮かぶのは楽しかった日々の、何て事はない思い出だった。
高見や『ユニーク』に対する怒りや憎しみが消えた訳ではない。それは当然だ。あんな光景を見せられれば、誰だって憤りの一つや二つを覚える。
例え高見が今ここで頭を下げて謝ったとしても、それで簡単に許せるとは思えない。
でも、それでも。
人が人に抱く感情とは、思いとは、単一のそれだけではないのだ。
勇麻の中に、『罪を贖罪しろ、南雲龍也の代役を果たせ』と、そう告げる過去の亡霊があるように。
それと同じくらい強い意志で過去との決別を望み、自分だけの拳を握る理由を追い求める心があるように。
正義の味方に憧れ、綺麗事を愛し、いつかきっと誰もが分かり合える世界が来るのだと、無邪気にもそう信じた心があるように。
高見秀人に怒り憎む心もあれば、高見秀人を愛し、受け入れる心だってあるのだ。
高見秀人という一個人に対する思いは、決して単純で単一な物ではなく、これ以上ないくらい複雑に入り混じっている。
それこそ自分でもどうすればいいのか分からず、感情の制御すら覚束なくなるくらいに。
死の弾丸を転がるように潜り抜け、それでも足を止めずに叫ぶ。
「学校で馬鹿ばっかやった事も! 楽しかった思い出も、ケンカした時の息苦しさも、ブチ切れた泉から二人で逃げた時のスリルも、思い出の全部が全部嘘だったのかよ! お前を友達だと思っていた俺達の四年間は……全部間違いだったのかよ!?」
嘘だったとは思いたくなかった。
否定されるなんて真っ平ごめんだった。
あの日々は、あのどこにでもあるような何気ない日常は、けれども、失ってはならない、かけがえの無い物だったから。
だから、その日常の一部だった高見秀人には。
彼だけには、あの日々が間違っていたのだと、嘘と偽りにまみれた偽物だったのだと、そう否定させる訳にはいかなかった。
勇気の拳が叫ぶ勇麻の感情に呼応し、熱く燃え上がる。
回転率が、上がる。
「答えろよ。……答えてみせろよ! 高見秀人ぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
対する高見は一切表情を変える事なく、感情を殺したような声で言い切る。
「言ったハズだぜ? ユーマ。友達ごっこはもう、止めにしようってな」
拳銃を構える手が震える事もなければ、僅かな迷いが顔を覗かせる事もなかった。
徹頭徹尾、高見秀人には勇麻の言葉が響かない。
その事こそが、本当に勇麻の事など何とも思っていない事の証明であるかのように思えてしまう。
(……ざっけんな! いちいちこれくらいで、動揺してんじゃねえよ! 俺ッ!)
走る勇麻の顔が悲痛に歪む。
どうしようもない痛みと、二度と取り返しのつかない事をしてしまったような喪失感にも似た感情が身体中を走り抜け、僅かに勇気の拳を鈍らせる。
(……今まで高見は一度も空間移動を使っていない。出し惜しみする理由なんて特に無いのに、拳銃なんて物に頼っている。最初は俺を挑発する為にワザと手を抜いているのかと思ったけど、多分違う。おそらく、何らかの理由で今は使えないとみるべきだ。……だからッ!)
だから勇麻は、迷い全てを振り切るかのように全力で拳を振り抜いた。
地面に向かって。
ドゴォッ!!
という、建造物に巨大な鉄玉をブチ込んだような轟音と共に、勇麻の拳のインパクト地点を中心とした破壊が巻き起こった。
勇気の拳により得られる全ての力を右腕一本に集約した全力の一撃に、アトラクションの床が粉々に粉砕され、粉塵が舞い上がる。
「煙幕……!?」
高見が驚愕の声を上げるのが分かったが、その姿を捉える事は勇麻にはできなかった。
舞い上がった粉塵のカーテンが互いの視界を奪っているからだ。
そしてその直後、粉塵を切り裂いて一つの影が空中へと跳躍した。
☆ ☆ ☆ ☆
もうもうと立ちこめる砂煙のカーテンの中、高見の思考は落ち着いていた。
視界を潰された。
だからと言って高見に焦りはない。
状況を把握し、相手の次の一手をある程度予想し、それに対するこちらの一手を考える。
何も予想外の手ではない。
東条勇麻は徒手空拳で戦う超近接型。
だからと言って何も考えずにタダ一直線に突っ込んで来る脳筋バカではないという事くらい、高見秀人は分かっている。
そして高見の聴覚が、床を踏み切るような音を確かに捉えるとその直後。
粉塵を切り裂いて一つの影が高見の頭上へと跳躍した。
反射的に目線が上がり、迎撃の為に高見の構える拳銃の銃口が上へ──向かない。
(……甘いぜ。そんなバレバレのフェイクに引っかかるかよ)
恐らく相手の狙いは最短距離での正面突破。上方向の陽動は自分を狙う高見の銃口を少しでも逸らして、攻撃の隙を作る事。
しかし高見は、床を踏み切る踏み込みの音と実際に影が飛び上がったタイミングの僅かなズレを見逃さなかった。
そして高見の予想のとおり、上に飛び上がったかに思えた影の正体は勇麻の一撃で粉砕された大きめの瓦礫だった。
強化された身体能力で勇麻が上に放り投げたのだろう。
(視界の悪さは相手も一緒。条件は五分と五分ってヤツだ。陽動で作った隙を活かそうとするなら、東条勇麻はあのまま最短最速で突っ込んで来るはず。そこを真っ正面からぶち抜く)
そんな高見の予想を肯定するかのように、ドッッ!! と風を切る音が聞こえた。
高見の注意を上に逸らしたつもりだろうが、銃口は動じる事なく真正面から凄まじい速度で迫る襲撃者を捉えている。
チャンスの到来を確信し、高見の細い瞳が煙の中を一直線に進む影を捉え、
ヒト一人分はありそうな巨大な瓦礫が粉塵を引き裂いて突っ込んで来た。
「──なっ!?」
空間移動を使えば何て言うコトはない攻撃。しかし、今の高見は空間移動を行使する事ができない。
猛スピードで迫る瓦礫を、バランスを崩しつつも慌てて横っ跳びに回避した高見の眼前、まるで最初から全てを理解していたかのように、東条勇麻が既に横から回り込んでいた。
(コイツっ、今まで防御度外視でほぼ最短コースを突っ込んで来たのも布石!? さらには俺っちが空間移動を絶対に使わないと仮定した上で、陽動で作った隙をブラフに……誘導まで!)
轟音と共に人影の一つが宙を舞った。




