第六話 包帯まみれの帰還――扉の先には……
――沈んだ意識に、差し込む光があった。
(……誰、だ……?)
それは光。それは声。それは記憶。
……どこかで聞いたような、誰かの声。
――いや、違う。どこかで聞いたような声で喋る知らない声? ……うまく言語化が出来ない。とにかく、よく分からない正体不明の声が、自分を呼んでいるようだった。
理由は分からない。思い当たることもなければ、何か引っかかるような記憶だってない。
けれどその声は、不思議と少年の意識を誘った。
(――お前は……一体、誰――)
まるで、その声に惹かれるように、少年は自分の身体がグイッと、海面へ向けて引っ張られるような感覚を覚える。そして、そのまま全てが白濁して──
☆ ☆ ☆ ☆
煌々と照らす照明の眩しさに目が覚めた。
「……」
身体がダルい。
まるで、鉛でできた服でも着せられているような倦怠感。
自分の身体に、マラソンでも走り終わったあとみたいな疲労が溜まっているのがよく分かる。
(なんか、身体重い……な)
半ば寝ぼけたまま、自分の置かれている状況を確認しようとする。しかし覚醒前の脳みそでは、寝る前の自分の行動一つ思い出す事さえ億劫だ。
正直、このまま目を瞑って眠気に身を任せたかったが、お腹を襲う空腹感がそれを許してくれなさそうだ。
覚悟を決めて薄開きの目蓋をフルオープン。
差し込む光量の増加に、頭がくらくらする。数秒眩しさと格闘してようやく色を取り戻した東条勇麻の視界に飛び込んできたのは、よく見慣れた自分の部屋の天井だ。
跳ねとんだコーヒーの染みも、小さい頃ボールを打ち上げて付けた傷も、どっからどう見ても自分の部屋。いつもここで寝ているし間違えようが無い。
しかし違和感。時計の針は八時十三分を指し、とっくに夕飯を食べ終わっているにも関わらず未だ空腹を訴えるお腹といい、どうもおかしい。
どこか釈然としないままベッドから起き上がった勇麻は、そこでようやく自分の上半身が包帯まみれになっている事に気付いて――
――そこまでいってようやく、東条勇麻はいつもの帰り道で己を襲った全ての出来事を思い出した。
「――手当、されてる……殺されなかった、のか……?」
呆然と、呟く。これまでの出来事を思い出しはしたものの、現状に認識が追いつかない。
あの時、東条勇麻は日本刀を持ったイルミとかいうアバズレ女に殺されかけていたハズだ。
(……いや。違う。それだけじゃない。確か、最後に――)
――思い出すのは光。
朦朧とする意識の中で最後に勇麻が見たものは、視界を染めあげる綺麗な光だった。
危うくも力強い、でもどこか優しい光の洪水。それが勇麻が思い出せる最後の光景。
あの後、何が起きたのか。直後に意識を失ってしまった勇麻には分からない。だが、こうして首が斬り落とされずにいるところを見ると、その光を放った人物が勇麻の命の恩人なのだろう。
あの凶刃から勇麻を助け、そのうえ寮まで運んでくれた……のだろうか?
だとすればお礼の一つでも言わなければ気が済まない。
まだこの部屋に残っているかは分からないが、
分からないが、こうして無事助かった所を見ると、おそらくあの光を放った人物が勇麻の事を助けてくれたようだ。
その上、寮まで運んで来てくれるとか良い人すぎる。
もし、まだこの寮にいるのなら是非お礼を言いたいのだが……、
「この時間じゃもういないか……」
公園での騒動に巻き込まれたのが六時半ごろ。それからおよそ二時間。勇麻を助けてここまで運んでくれたであろう恩人も流石に帰ってしまっただろう。
とりあえず弟の勇火ならば、なにか事情を知っているハズだ。
もう一人の同居人を探すべく、勇麻は自室を出て共通のリビングへと向かう。さして広くもない廊下の突き当たりの扉に手を掛けて、
「……てか、俺だけじゃなくてあの女の子もちゃんと助けて貰えた、んだよな……?」
今更になってそんな事が無性に気になりはじめる。
だがそれも、途中で気を失ってしまった勇麻には確かめようのない事だ。勇麻を助けてくれた人物に聞いてみるしかない。
「勇火ー? いるか?」
ドアノブを回してリビングへ。勇麻を出迎えたのはごうんごうんと唸る冷房の稼働音だけ。部屋の電気はついており、ついさっきあmでそこにいたのか、部屋の中央に置かれた座卓には呑みかけの麦茶が入ったグラスが二つ置かれており、表面に汗を搔いていた。
リビングと繋がったキッチンには、既に食事を終えたであろう食器が洗った状態で並べられており、東条家の食事が既に終了してしまっている事を知る。
食器もやはり二人分。
この様子だとどうやら、勇火は勇麻を運んできた人物に勇麻の分の夕食を振る舞ったようだ。
……別段、それに文句はないが、お腹の底から妙に寂しげななき声が響いて、勇麻はひもじい気持ちになった。
廊下へ戻り、今度は勇火の部屋をノックするがやはり返事はない。
「……トイレにでも入ってんのか」
廊下の先、玄関口付近にあるトイレの方へ視線を向ける――が、ノックして確かめるまでもなくトイレのドアは何故か全開で、誰にも使われていない便座が、何とも恥ずかしげな様子で鎮座しているだけだ。
「……ったく、トイレのドアくらい閉めろよな」
文句を言いつつ、勇麻は向かい側の洗面所の開き戸に手を掛けた。
トイレにもリビングにも部屋にもいないとなると、考えられるのは風呂だけだ。とりあえず、何があったか軽くでも事情を聞かなければ。
ごく当たり前に、ノックの一つもなしにガラガラと開き戸をあけ放つ勇麻。
仮に兄妹というのが妹や姉ならともかく男兄弟であるところの東条家にそう言った気遣いは特にない。
だから勇麻はあくまでいつも通りに、何を考えるでもなく脱衣所へ踏み込んで。
「おーい、勇火。ちょっと聞きたい事あるんだけど――……って、あれ……?」
……ビシリ、と。まるで石像と化したかのように勇麻が固まった。
何故って?
踏み込んだ扉の先に、予期せぬ肌色の楽園が広がっていたからだ。
「……」
――碧い瞳に、吸い込まれそうだった。
きょとんとした表情でこちらを見る少女の濡れそぼった宝石のような碧眼に、視線を絡め取られる。
水を弾く瑞々しい弾力性のある白磁の肌は、その比するモノ無き天上の滑らかさによって、未だ幼く起伏の少ない少女の身体を一つの美術品のように装飾。風呂上りで桜色に上気する頬が、幼さの中に決して抗えぬ色気を醸し出す。
水滴を滴らせ、艶めかしく少女の身体に纏わりつく腰まである美しい白髪が奇跡的に少女の秘部と微かに自己主張する青い果実を薄らと覆い隠す。が、しかし、まるで半透明のヴェールを纏ったかのように身体のラインはくっきりと映し出されており、その今にも少女の全てが白日の下に晒されてしまいそうな危うさ、見えてはいけない物が見え隠れしているという背徳感が、ぞくりと勇麻の背中を舐めていく。
そこにいたのは、穢れなき純白の少女。
神の使いと見紛うような、美しき少女が、一糸纏わぬ姿で、東条勇麻の眼前にぼうっと立っていたのだ。
「――……え、あ……あれ? 俺、家間違え……」
……いや、でも自分の部屋の天井を間違える訳がないし、リビングの内装だって家具だってウチのだったし……あれ? いや、そもそも、そういう話じゃ——
「――いや、じゃなくてッ、そ、その……! ご、ごめんっ! 俺、女の子がいるだなんて、思わなくて、えと、その――」
相変わらず直立不動のまま、ビシッと背筋を伸ばし斜め右天井を注視する東条勇麻。
後ろを向いてすぐさま脱衣所から出るべきなのだが、混乱する頭は全くもって最適解を弾き出そうとせず、少女の裸体の画像に埋め尽くされた脳細胞はパンク寸前の煙を上げていた。
発火する程に顔を真っ赤に燃え上がらせながら、意味の分からない事を口走り続ける勇麻に、少女は状況が掴めていないのかこてんと可愛らしく首を傾げるのだった。