第十三話 例え誰に望まれなくともⅡ――嘘にはさせない
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人々の視線が突き刺さる。
奇操令示の悪意的な演出による言葉の暴力はアリシアの一声によって吹き飛んだ。
だからと言って、状況そのものが変わった訳ではない。
暴言の雨が止んだところで、ユニークと戦う事にこの場にいる人達が納得した訳ではないのだ。
凄まじくアウェーな雰囲気を肌でびしびしと感じながら、勇麻は前を見る。
当然だが、こちらに向けられる視線は粘つくような敵意と否定だけだった。
嫌われたとか、そんな次元ではない。
この場にいる人質全員が現時点で勇麻の敗北を願っているのだから。
だが、そんな事はもうどうでもいい。
どうでもいいと思えるだけの物を、既に勇麻は貰っている。
(……アリシア、ありがとう)
まっ白な少女の言葉が、
勇麻にまた立ち上がるだけの力を与えてくれる。
(お前は、いつだってこんな俺を信じてくれるんだな。正直言って、お前の期待通りの俺でいれてる自信はないし、お前が思っているほど、俺ってヤツは高尚な人間じゃない。けど、ここまで言ってくれた女の子の信頼を裏切るような真似だけは、したくない)
未だに麻痺したような痺れが残っていて、身体にまともな力が入らない。
勇気の拳の方も、弱体化こそしていないが、身体能力の上昇値はかなり低めのレベルで留まっている。
だがそれでも、やるしかない。
こんな所で躓いているようでは、奇操令示はおろか高見にすら届かない。
それに何より、アリシアを嘘つきにさせる訳にはいかない。
(だから、戦おう。他の誰にどんな事を言われても構わない。でも、たった一人でも俺を信じてくれる人がいるのなら──俺は、まだ拳を握れるハズだ)
泉修斗の提案した『手っ取り早く事態を収めるアイディア』というのは至極単純で何とも彼らしい物だった。
すなわち神の能力者同士の決闘だ。
負けた方が勝った方に従う。
実に単純で分かりやすいルールだ。常日頃から神の能力者同士のケンカが頻発するこの街らしいやり方と言えるだろう。
決意を固め、前を見据える。
動揺がない、とは言い切れないけれど、今だけはそれを見せない覚悟はあった。
勇麻の目の前に立ちふさがる茶髪の男は、その名を才気義和と名乗った。
「……俺はアンタを倒して外に出なきゃならない。悪いけど、アンタにはここで潰れて貰う」
「いちいち気持ち悪いな。口上とかどうでもいいんだよ。……俺は死にたくねえんだ。悪いけど命が掛かっている。勝つためなら何でもやらせて貰う」
交わした言葉は二言三言。
それだけで充分だった。
互いの視線が火花を散らし、それが開戦の狼煙となった。
両者はほぼ同時に地を蹴り、互いに距離を縮めて、そして真正面から激突した。
☆ ☆ ☆ ☆
何もできなかった。
それは、天風楓の抱いた率直な感想だった。
目の前で大切な人が理不尽な言葉の暴力を浴びて苦しんでいた。
助けたかったのに。今までさんざん助けて貰ってきた分、今度は楓が彼を助けなければいけなかったのに。
大声で叫ぶことも、彼の前に飛び出して暴言の雨から彼を守る盾になる事もできなかった
今はまだ弱いけれど、それでも強くあろうとした天風楓は、まだ弱いままだった。
大切に思っている人の為に声を上げる事すらできない弱虫な自分。
(アリシアちゃんはすごいな……)
自己嫌悪に陥りながら、楓は漠然とそう思う。
(あの子はわたしなんかよりもずっと強い。ずっと、ずっと……ああいう強さに憧れてた)
彼女の声で、彼女の言葉で東条勇麻は再び立ち上がった。
それはとても素晴らしい事で、喜ばしい事のハズなのに、楓の胸は軋み痛むのだ。
苦しかった。
辛かった。
一番辛いのは矢面に立っている勇麻だというのに、自分がこんなくだらない事で辛さを感じている事が、もう許容できないレベルで嫌だった。
自分が支えになれなかったことも。自分よりもアリシアが勇麻の支えになっているという事実も。全てが楓の胸に見えない傷を残していく。
ようするに、天風楓はまっ白な年下の少女に嫉妬していたのだ。可愛らしく、どこか抜けていて天然気味な楓の大切な友人に。
その胸を苛む苦しさが、自分という存在が酷く矮小で醜く、器のちっぽけな人間であることの証明であるような気がして、ますます楓を苦しめる。
弱くて醜い自分が、嫌になる。
(弱いな、本当に……)
ぎゅっと、胸元に寄せた己の手をもう片方の手で強く握りしめ、まるで女神に希う幼気な少女のように、天風楓は思う。
(それでも、わたしだって勇麻くんの役に立ちたい。別に、特別じゃなくたって構わない。勇麻くんに助けて貰ってばかりの天風楓じゃない、勇麻くんを支える事のできるような、そんな存在になりたい)
今はまだ無理かもしれない。
けれど、それでもいつか。少し遠い未来で、そんな光景があったらいいなと少女は思うのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
結論から言ってしまうと、才気義和は東条勇麻には勝てなかった。
「ぐぁっ!?」
拳の直撃を受け、吹っ飛んだ才気の身体が床を滑る。
その才気を殴り飛ばした東条勇麻は、拳を振り抜いた体勢のまま地に這いつくばる才気をじっと注視していた。
その目が、才気は気に食わない。
「……なんでだよ。なんで、お前はッ!」
唇を噛み締め、拳を床に叩き付ける。
才気は、怒りと悔しさをないまぜにしたような感情を抱え、まるでウニかイガグリのように“背中に大量のナイフとフォークが突き刺さった”東条勇麻に向けて負け犬のように吠えた。
「諦めないんだよっ!!」
才気義和の神の力は貴金属類限定の念動力だ。
干渉レベルはCマイナス。
貴金属限定の代わりに、そこそこの物量を操作する事ができた才気の神の力は一般人としては、そこそこ優秀な部類に入るレベルだった。
学業もトップクラスではないにしても、進学や進級に困る事はなかったし、運動神経だって悪くはない。
中学まで参加していた部活でも、レギュラーメンバーに入っていた。
良く言えば全てが平均以上。悪く言えば突き抜けた物が無く、全てがそこそこどまりの中途半端。
それが才気義和という男に下される評価のおおよそだ。
努力をしなくなったのはいつだろう。
そこそこの結果に甘んじ、よしんばそれで良しとしてしまったのはいつだろう。
気が付いたらあれだけ熱中していた部活もやめていて、いつの間にか、自分にできない事とできる事を選り分けるようになってしまっていた。
どうせできないから。
できない事に全力になるなんて馬鹿らしい。
そんな最もな理由に託けて、いつからか何かを諦める事に対して何の抵抗もなくなっていた。
今回だってそうだった。
テロリストにネバーワールドが占領された時、才気義和は生きる事さえ無意識のうちに諦めていた。
人生の終わりを何となく理解し、口では恐怖を喚き散らし「生きたい! 死にたくない!」と叫びながらも、心は既に死んでいるのを何となく自覚していた。
だって、無理だろ。
創世会を爆破するなどと言う要求が決して通らないのは誰の目にも明らかだったし、現状をどうにか覆す手段が存在するとも思えなかった。
そしてその予想は、見事に的中する。
目の前で圧倒的な強さを見せつけられた。
テロリストに立ち向かった馬鹿な奴らのうち一人は、才気でさえ名前を聞いた事のあるような有名な神の能力者の少女だった。
彼女でさえ、テロリストに勝てなかった。
なら、誰がやったってもう勝てないだろ。
冷めた心は無慈悲な結論を叩きだした。勝ち目なんてあるハズがない。
死んでもともと、なら後は神頼みで確率に頼ったほうがまだ生きる可能性はある。
抵抗なんて無駄な事をせず、自分が生き残る半分の中に入る事に賭けたほうがいくらか建設的だ。
既に才気の中では、一緒にネバーワールドを訪れたハズの友人達の事など、思考の埒外へと飛ばされてしまっていた。
こんな非常事態に他人の事を考えている余裕などなかったし、どんなに仲が良かろうと、所詮は他人だ。自分が生き残ってから、心配してやればいい。
我ながら何ともつまらなく、なんとも合理的な判断だと思った。
普通に考えれば、誰もが自分と同じ結論に辿り着くだろう。
才気は、何の疑いもなくそう思っていた。
それなのに、愚かにも立ち向かおうとする男がいた。
馬鹿みたいに闘志を燃やして、明らかに無謀な賭けに出ようとしているその男。
その存在が、才気にとっては無性に腹立たしかったのだ。
才気義和は基本的にやるだけ無駄な事はしない人間だ。
才気の目には、東条勇麻名乗る目の前の男と自分の間に大きな実力差はないように思えた。
いや、むしろ先の徒手空拳での闘いぶりから見て、干渉レベルでは自分の方が上だと思ってすらいた。
だから決闘も受けて立った。
普段の才気からすれば、何かに腹を立てるという行為自体が珍しいというのに、そんな事にすら気が付かず、ただ目の前の男が無様に地を這いつくばる姿が見たかった。
だから宣言通り、才気は手段を選ばなかった。
最初の衝突の際、才気は真正面から突っ込むと同時、念動力を発動。
目前の敵にのみ集中する東条勇麻の死角を突くように、店内にあったシルバー類を操り、背後から奇襲を掛けたのだ。
戦略としては、正しい。
だが、卑怯かどうかと言われればきっと卑怯な手に含まれるであろう背後からの不意打ち。
だが、汚いからなんだ?
神の力を正しく使っただけだし、何より、どんな手でも使うと宣告はしておいたハズだ。
もし何か文句を言われても、ニヤリと嘲るように笑って、そう言い返してやるつもりだった。
東条勇麻の背中や腿裏などに突き刺さったナイフやフォークの数はおよそ五十。それで決着が着くと、才気はそう思っていた。
しかし背中に大量のナイフやフォークが突き刺さってなお、東条勇麻は膝を屈したりはしなかった。
背後からの不意打ちについても、文句の一言も言ってこない。
激痛が走るであろう身体のまま、痛みも無視して凄まじい勢いで振るわれた拳が、驚きに立ち尽くす才気をブッ飛ばした。
目も覚めるようなその一撃で、才気ははっきりと理解してしまったのだ。
……自分ではコイツには勝てない、と。
そこからはもう消化試合のような物だった。何度やっても結果は同じ。
才気の操るナイフやフォークが、どれだけ東条勇麻を傷つけようと、目の前の男は怯まず才気の顔面に拳を突き入れる。
何度も店の床を転がった。
傷の具合で言えば、あきらかに相手の方が不利なのに。それなのに、才気は目の前の男が膝をつくビジョンを想像できなかった。
自分の無様な言動に、乾いた笑いすら込み上げてきそうだった。
だって、勝てないと分かっているハズなのに、才気は今もこうして東条勇麻と戦い続けているのだから。
東条勇麻は、別段他の神の能力者と比べて強い訳ではない。
ここ一か月くらいの間、勇麻は数々の強敵達と戦いボロボロになりながらも、何とか騙し騙しそれらの死闘を乗り越えてきた。
それは『背神の騎士団』のメンバーだったり、創世会直属の組織『汚れた禿鷲』の戦闘員だったり、自称Sオーバーの化け物だったり、そのどれもこれもが一癖も二癖もある格上ばかりで、今思い返してもどうして勝てたのかが分からないような強者ばかりだった。
それらの強敵の中に、勇麻一人で勝てた相手など、たった一人だっていない。
いつだってそうだった。
共に肩を並べて戦ってくれる仲間がいて、色んな人の助けがあって、様々な幸運が重なって、それで初めて得る事ができた勝利だったのだ。
東条勇麻は、決して強くなんかない。
ただ、倒れても倒れても、最後のその瞬間まで、立ち上がろうと不器用にもがき続けただけだ。
信じる物の為に、拳を握り続けただけなのだ。
「なんで、お前はッ! 諦めないんだよっ!!」
才気義和はきっと、怖かったのだろう。
東条勇麻に負けてしまう事が?
否、自分がこれまで諦めてきた事が間違いだったと、認めてしまう事が。
「俺に勝って、あいつらに挑んだから何になるって言うんだよ……。さっきだって勝てなかったじゃないか! 意味がわからねえんだよ。なんで、どうせ無理に決まってるのに、どうしてお前は諦めないんだよ!!」
努力を辞めてしまった事。諦めるようになった事。
そしてそれらを必死に肯定し続けようとする、才気の弱い心を、何故か東条勇麻は機敏に感じ取る事ができた。
できない事に意地を張るなんて馬鹿馬鹿しい。
どうせ失敗するのなら、最初からやらなければいい。
だって、そっちの方が効率的で、建設的だ。
だから、自分より強いヤツとは戦わない。
だから、勝ち目のない戦いと勝てる戦いとを区別する。
挑戦する事は愚かな事で、夢を見るのは馬鹿げた事で、諦めないのは無意味な事だ。
そう決めつけ、非現実的だから、意味がないからと自分に言い訳をして、挑戦する事から逃げ続けてきた。
だから今回だって、彼は抵抗する事を諦めたのだ。
「どうして、諦めないのか。……だって?」
でも、それならば、
「だったら俺も問うぞ。才気義和。どうしてアンタは未だ倒れずに、そうやって立ち上がる?」
「!?」
そう、諦める事が彼にとって当たり前ならば。
今ここで才気義和が立ち上がるのはおかしい事なのだ。
東条勇麻に対して、何度も、何度も、何度も向ってくるその姿勢こそが、普段の才気からすれば不可解な行動だった。
「アンタも本当は分かってったんだろ。最初から挑戦もしないで、諦める事がどれだけ勿体ない事なのかを」
「黙れよ……」
「でも、それを認めちまったら、今まで諦めて挑戦しなかった事実全てが、アンタ自身を苦しめる。あの時やっておけばよかった、っていう後悔の念が、きっとアンタを襲う。だからアンタは俺を否定しなくちゃならなかった。皮肉にも“諦めない俺を否定する事を、アンタは諦められなかった”!」
ナイフとフォークが舞い踊り、勇麻の身体を切り刻む。
切れ味はそこまでなくても、そこそこのスピードでぶつけられれば、単純に鈍器だ。まともに喰らえば軽傷ではすまない。
勇麻は必要最低限の攻撃だけを回避しつつ、立ち上がった才気との距離を強引に詰める。
「黙れって、言ってんだろ! 気持ちの悪い偽善者野郎がぁああ!!」
三百六十度。周り全てを才気の操る食器に囲まれ、それでも勇麻は臆さない。
一斉に射出される銀色の弾幕の薄い部分を見極め、隙をつくように滑り込む。
「俺だって諦めた時がなかった訳じゃない。今だってそうだ。俺が戦えてるのは、俺に戦うだけの理由を与えてくれる子がいたからだ。それがなければ、きっととっくに折れてる」
勇麻はどこか悲しくそう笑って、
「悪いけど、俺にはアンタ以上に負けられない理由がある。アリシアが、こんな俺を信じてくれているんだ。だったら、俺は彼女を嘘付きにさせる訳にはいかない」
懐に潜り込む。
目を見開き、驚愕と恐怖を浮かべる才気の残弾は既にゼロだった。
「まだ、諦める訳には。いかない……!」
拳圧さえ帯びた拳が、才気がとっさに庇った腕ごと顔面へと叩きつけられた。
赤黒いオーラが明滅して、そして――
ズドガッッッ!!
腹の底に響くような轟音が炸裂した。
勇気の拳による身体強化。そしてさらには防御殺しの悪魔の一撃。
平時よりは調子が悪いとは言え、その効果が上乗せされた強烈な一撃をまともに喰らい、才気の身体が壁際まで吹き飛び、そのまま店内の内壁をぶち抜いた。
才気はしばらくの間転がり続け、店から五メートル以上離れた位置でようやく勢いを失い止まった。
店の外で伸びる才気に、勇麻は告げる。
「確かに、現実的に考えたら、俺達はあいつらに勝てないのかもしれない。だけど、アンタはもう少し可能性ってヤツを信じてもいいんだと思う。……きっとアンタの取った選択は間違いなんかじゃない。半分を見殺しにしてまで、残り半分の命を救おうとしたアンタの選択は勇気のある物だった。でもそんな歳から現実ばっか見ててもつまんねだろ。子供だからこそ夢を見てもいいんだって事を、俺がアンタに教えてやる」
――それになにより、
「俺は、アイツらを。このまま許してやる事なんてできない。『子供の夢』をぶち壊したアイツらを、子供は、許しちゃいけないんだよ」
取り戻す。
失ったものは大きすぎるけれど、最高の結末なんてものは既に残されていないけれど、今ならまだ、間に合う笑顔がきっとあるから。
逃げずに、向き合わなければならない。
勇気の拳の回転率が上がる。
拳から、何か熱い物が込み上げてくる。
「『ユニーク』の連中は俺達がぶっ飛ばす。だからアンタは、そこで夢でも見ながら待っていてくれ」




