第十二話 例え誰に望まれなくともⅠ──声
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にこやかな笑みと共に寄操令示は告げた。
生き残りたければ『ユニーク』のメンバー五人全員を倒して見せろよ、と。
逆らえば他の連中を殺す、なんてつまらない事は言わない。抵抗したければ抵抗すればいい。自分の運名を自らの手で切り開けばいい。ただし、寄操令示に逆らう人間が一人でも存在し、もしその人間が失敗した場合、天界の箱庭との交渉の結果を待たずに人質を皆殺しにする、と。
そして寄操令示は絶望する人々にこうも笑いかける。
甘美な希望の──しかし壮絶な悪意を内包した──誘惑を。
このまま自分たちが死ぬのを黙って待っていると言うのならば――制限時間のうちに抵抗する者が一人も現れないのならば――無条件で人質の半分を解放してやろう、と。
リミットは八月十九日午後四時まで。
現在の時刻は午後零時四十五分。
つまり、全員が生きてこのネバーワールドから脱出する為には、タイムリミットである午後四時までの三時間十五分の間に寄操令示を含む『ユニーク』のメンバー五人全員を倒さなけらばならない。
もし抵抗を選び仮に失敗すれば、ネバーワールドにいる全員の命が消し飛ぶ。
だがそれでも、ここで動かないという選択肢は勇麻には考えられなかった。
「くそ! ふざけやがって。黙って待ってられる訳がねえだろうが!」
抵抗せずに黙って待っていれば半数の人間が助かる? 違う、そうじゃない。
半数の人間が無残に殺されるのだ。
確かにここで動くのは危険を高める行為でしかなくて、抵抗せずに半分の命が確実に助かる道を選ぶのが賢い生き方なのかもしれない。
けれど東条勇麻は認める事ができない。
これ以上の無意味な犠牲を。
このまま動かなければ、確実にまた大勢の命が散るという今の状況を。
何より、命を落とす半分の中に勇麻の大切な人達が入ってしまう可能性だってあるのだ。
それを考えると、もういても立ってもいられない気持ちになる。
だから動く。
戦う。
抗う。
わざわざ敵が与えてくれたチャンスをみすみす棒に振ってたまるか。
これを活かさない手はないだろう。
それに、
(……高見、お前は、本当に俺らのことを友達だとも何とも思ってなかったのかよ……。俺は、俺は……!)
と、ネガティブな思考に陥りかけていた頭をぶるんぶるんと大きく横に振るい、嫌な考えを吹き飛ばす。
高見については今の段階では答えを出しようがない。
何を考え、何の為にあんな行動を取っているのか。そもそもあれは本当に高見の意志なのか。
……分からない事だらけだが、真相をはっきりさせるためにも、高見秀人とはもう一度正面から対峙する必要がある。
既に寄操達五人は店の外へと遁走している。
おそらくは瞬間移動系統の神の力で、追いすがる間も無くユニークの連中はその姿を勇麻達の前から消した。
消える寸前、にこやかに手を振りながら奇操が吐いた「それじゃあ楽しみに待っているね」というふざけた言葉が、脳裏にこびりついて消えそうにない。
姿を消した奇操達がどこにいるのかは不明。
どうやら、このテーマパーク内に散らばった五人全員を探し出し、各自撃破する必要があるようだ。
ふざけたあの男の事だ。ゲーム性を持たせようとしているのだろうが、鬱陶しい事この上ない小細工だった。
死の狂宴などと宣ってはいたが、これじゃ巨大テーマパークを使った鬼ごっこか何かだ。
命を握られている人質側が鬼役というのも、皮肉な物だと勇麻は思った。
「勇麻の言う通りだ」
いつも険しい顔にさらに深く皺を刻み込んだ泉が同調するように言う。
「どの道、お行儀良く黙って待ってたところで、ヤツらが人質の半分を解放してくれる保障はねえ。それに色々とムカつく事が多すぎた。……俺はあのクソふざけた連中をぶっ潰さねえと、腹の虫が収まらねえ。それになにより、あのクソ猿の事を一発ブン殴らねえと話にならねえ」
高見の裏切りに衝撃を受けたのは何も勇麻だけでは無い。
泉も中学の頃から高見とはずっと一緒だったのだから、ショックを受けていない訳が無い。
普段は粗暴で乱暴な泉修斗だが、仲間想いな一面もある事を勇麻は長年の経験で知っている。
きっと泉は信じているのだろう。
高見の事を。
とりあえず泉と勇麻の行動指針は合致している。
今回ばかりは全部自分一人で、などとは言っていられない。
なにせ、誰か一人でも連中に敵対する者が出れば、その時点でどうあっても『ユニーク』のメンバー全員を倒さない限り人質の皆が生き残る道は無いのだ。
そして勇麻は例え一人でもあの五人全員をぶっ潰しに行くと決めている。なら後は、協力者の数が増えるよう祈るしかない。
「よし、そうと決まれば時間が惜しい。今すぐここを出て連中を追いかけよう。楓、アリシア、勇火。お前らはどうする?」
「わたしも行く。この力が皆の役に立つのなら、わたしはそれを生かしたい。もう、膝を抱えて縮こまっているだけなんて、嫌だから」
「ふむ。私も行くぞ、勇麻。そろそろ留守番ばかりなのも飽き飽きしていた所なのだ。という訳でそろそろ私も活躍したい」
「お、俺は――」
勇麻の問いに、楓は決意をその顔に浮かべ、アリシアは気の抜けるような無表情で、それぞれ答えた。
だが、勇火の返事を聞く前に――
「――なおおい、お前。お前らはアイツらに刃向うつもりなのか?」
そう言って、集団の中からゆっくりと立ち上がった人影があった。
歳はおそらく勇麻とそう変わらない、高校生くらいの髪の毛を茶色に染めた男。
口調から滲み出る苛立ちと明らかな敵意に、返す勇麻の声色も自然と些か鋭くなる。
「……そうだ、と言ったら?」
眉を寄せ、無意識のうちに表情が若干ばかり険しくなる勇麻。
なにか、嫌な予感がする。
勇麻の視線の先。男は、恐怖のあまりおかしくなったのか、笑いながら泣き出してしまいそうな程にその表情を歪めていた。
男は震えながらこう言う。
「正直言ってさ、迷惑なんだよ。お前ら。……アイツら言ってたじゃねえか。抵抗せずにおとなしく待ってれば、半分は助けて貰えるんだぜ? それなのに生き残るチャンスをわざわざ棒に振って……お前らがしくじったらもう終わりだ。どうせ勝てる訳ないだろ。諦めろよ。ヒーロー気取りか何だか知れらないけどさぁ、俺達にまで迷惑かけるつもりかよ?」
「それは……でも、アイツらを倒さない限り、誰かが……」
男の言っている事は、決して的を外している訳ではない。
事実、勇麻たちが敗北すれば、まったく関係のない彼らまでもが割を食う事になるのだ。
勿論勇麻達に負ける気などさらさら無いが、頼んでも無いのに自分の命を賭けのテーブルのうえに積まれるのは我慢がならないのだろう。
それに対して文句を言うのは当然の権利であり、その意見を上から押し潰すように否定するなど、自分勝手に飛び出そうとしている勇麻にできる訳がない。
返す言葉が見つからず言い淀む勇麻。
それを好機と見たのか、男は畳み掛けるように続けてこう言う。
鬱陶しく前髪を掻き上げながら紡がれた言葉には、決して少なくない敵意を感じた。
「知らねえよ。きれいごと言ってんじゃねえよ、気持ちわりぃ。そんなに周りからちやほやされたいのかよ、この偽善者が。……頼むからさぁ、自殺なら一人でやってくれよ。何も今動かないでいいだろ、今波風立ててアイツらの機嫌を損ねたら、俺たちが殺される方の半分に選ばれちまうかもしんねえんだぞ!?」
男の言葉に、周りの人々が賛同しているのが手に取るように分かってしまう。
それは一見して懇願のようでありながら一種の脅迫であった。
集団という強力な後ろ盾を取っての脅しだ。
まず大前提として、この場にいるほぼ全ての人間は、男と同意見を持っているのだろう。
それは当然だ。誰だって自分の命が惜しいに気まっている。
なら後は可能性の問題だ。
誰がどう考えても、奇操令示達『ユニーク』の連中と敵対するより、おとなしく時間が過ぎるのを待ち、生き残れる半分に自分が入る可能性に賭けた方が勝算はある。
なにせ、先の衝突で勇麻達が『ユニーク』の連中に軽くあしらわれた光景をその目で見ているのだから。
子供でも分かる事実。
けれど、人々はそれを言い出せなかった。
それを自分から主張するのは気が引ける。
自分からは言い出したくはない。
誰か、自分以外の誰かが言ってくれるハズだ。
最初の一人にはなりたくない。
臆病者だと、人間のクズだと思われたくはない。
そういう雰囲気が確かにこの場には存在していたのだ。
何故ならそれを声高々に叫ぶという行為は、『他人の命なんてどうでもいいから自分だけはどうにか助かりたい』という酷く醜い自己中心的な自我の証明に他ならないのだから。
だが男の声がそんな空気を破壊した。
自分以外の誰かが自分と同じ事を考えているのだと判明した途端、躊躇いは消える。
言いたくない、言ってはいけない、という空気がボロボロと崩れ去る。
集団心理、というヤツだ。
枷が外れ、今まで溜め込んだ不安や恐怖までもが、八つ当たりの様にその向かう矛先を勇麻に定める。
そしてまるでその事を証明するかのように高校生の男の声に便乗して、人ごみの中から声があがった。
勇麻に対する、罵詈雑言が、だ。
一言、また一言、ぽつりぽつりと呟くようだった暴言は、最終的には店内を埋める音の暴力へと変貌する。
言葉が、生の感情が、狂気に当てられ凶器となる。
「そ、そうよ! あの人の言う通りだわ!」
「……馬鹿だろアイツ。別に大して強くもない癖に、自分の実力分かんねえのかよ」
「ま、負けた時の責任を取れるんでしょうね!?」
「俺らが死んだら全部お前のせいだ! お前が……お前がッ! あいつらに目を付けられるような事するから……!」
「あぁー、アイツのせいでめでたく俺らもお終いって訳かよ。最っ高の結末だな」
「死ぬなら一人で死ねよ! この自殺志願者!」
「そ、そうだそうだー! 俺たちを巻き込むなー!」
言葉が、敵意が、行場の無い感情が、鋭い棘となって勇麻に降り注ぐ。
別に想定外の事ではない。ある程度の予想はできていた。
寄操令示のあの宣言の後にここまで堂々と敵対する事を示せば、こうなるだろうという事は最初から分かっていた。
ただ一つ言えるのは、この流れも寄操令示の悪意の造り出した物であり、ヤツの策略の一つであると言う事。
分かっている。踊らされてはいけない。連中のペースに乗ってはいけない。これは、こうなるように仕組んだのは寄操令示だ。
あのタイミングで戦うなどと言い出せば、現実逃避を決め込んだ待機派の連中にとって東条勇麻は目障りな存在でしかない。
この集中砲撃がその証拠だ。
ただ、そうは分かっていても、赤の他人の言葉だとしても、投げつけられる言葉の凶器に勇麻の心が傷を負わない訳ではない。
「てかホントさー、何格好つけちゃってんの? って感じよねー。バッカみたい。アタシらがそれで迷惑受けるんだからさー、もちっと考えろっての」
「ねー、ちょっとねー。ホントに周りの事考えるのかなー? って思っちゃうよねー」
「けっ、アイツ一人が死ねばいいのに……」
「あー、寒い寒い。今時流行らねーっての、そういうの」
「本当にいるんだねー、自分のやってる事が人の為になると思いこんでるだけのハタ迷惑なヤツ」
痛い。
まるで、殴られたような衝撃があった。
いや、これならばまだ殴られる方が何十倍もましだ。
まるでそれは神経毒のように、勇麻の身体をジワリジワリとなぶり殺しにするように蝕んでいく。
痛い。
三六〇度、全方位からの圧倒的な敵意という感情の波が勇麻の心を押し潰す。胸が苦しい、頭におかしなノイズのような物が走る。凄まじく強烈な敵愾心が、悪意が、冷たい刃物の切っ先のように突き刺さり勇麻の頭を引っ掻き回す。
苦しい、痛い、痛い、痛い……ッ!
息苦しさに思わず自分の胸をぎゅっと、握りしめていた。
「ぐっ……ぁッ!?」
ふらり、と。突如として勇麻の身体が芯を失ったかのように揺れ、膝から地面に崩れ落ちた。
「勇麻……?」
「勇麻くん!?」
極細のレイピアか何かで直接脳みそを突き刺すような鋭い頭痛が弾け、まともに立っていられない。
胸を何かが圧迫するように押し潰し、息苦しい。
力が抜ける。
あれだけ燃えるように熱かった右腕が、勇気の拳が、何の反応も示さなくなる。
勇麻の力の源が、完全に沈黙する。
(──弱体、化……?)
自分の身体に起きた異常の原因を、極限の痛みで混乱状態にある頭で考えると、もうそれしか思いつかなかった。
理由は分からない。
でもこの現象を説明する言葉が、他に見当たらなかった。
「何あれ」
「だっせー」
「今度はなに? 病気のふり? 悲劇の主人公気取り?」
「いい気味ね。そのまま永遠に寝てればいいのに」
囁くような小さな言葉でさえも、全てが突き刺さる。
敵意が、嘲り見下すような軽蔑の思念が、勇麻の中に泥のように入り込む。
反論するどころか、声を出す事すら許されず、東条勇麻の精神が膨大な負の情報量を伴った『ナニカ』に押し潰される──
──その直前、
「黙れぇええええ!!」
透明な少女の透き通る声が天をついた。
少女を中心に、三六〇度。円球上の衝撃波が走るような錯覚を、人々は見た。
人々の視線が一人の真っ白な少女に集中し、ひとえの静寂が訪れる。
静まり返ったその中で、少女の震える声だけが、言葉を形造っていく。
「貴様らは臆病者だ! 一人じゃ文句も言えない癖に、他人の影に紛れて数の暴力を振るうことしかできない卑怯者だ!」
立ち上がり叫ぶ少女の胸で、首からぶら下げられた古書が踊る。
感情を爆発させるように叫ぶその姿は、いつも無表情でどこか抜けているアリシアだとは思えない。
少女の喉を引き裂くような悲痛な糾弾が響く。
「何も知らない癖に、勇麻がどれだけ思い悩んでいるか何も知らない癖に! 勇麻はな、貴様らの事を本気で助けたいと思っているのだぞ? 赤の他人である貴様らを、危険を承知で、“こうなる事すら分かった上で”皆で生きて帰る為の方法に賭けようとしているのだぞ? 誰も付いてきてくれないかもしれない。誰も理解してはくれないかもしれない。それを分かってなお、自ら汚名を被り、そんな茨の道を勇気を持って選択して、後ろも見ずに走ろうとしている勇麻を、貴様ら如き群れなければ何も出来ない人間が侮辱する資格なんてないっ!」
たかが一四か一五歳の少女の言葉だ。
そうやって、くだらないと唾を吐き捨てて馬鹿にして無視する事だって出来たハズだ。
けれど、
圧倒されていた。
そのたかが中学生程度の少女の放つ圧力に、彼女の痛いほどの心の叫びに、人々は完全に圧倒されていたのだ。
目尻に涙さえ浮かべ叫ぶアリシアは茶髪の男を顎で指し、
「勇麻に何か文句を言えるのは、最初に自らの意識で立ち上がり声を上げたこやつだけだ。それ以外の臆病者の声を、私は認めない……ッ! 許さないッ!」
頑として譲らない頑な声。いつもふわふわと、どこか外れたアリシアの声に確かな感情の芯が通っていた。
それは怒りだ。
自分を絶望から救ってくれたヒーローを馬鹿にする声を、アリシアという少女は絶対に許す事ができない。
明確な感情が、アリシアを突き動かしている。
周囲が押し黙ったのを確認すると、アリシアは勇麻の元へと慌てて駆け寄っていく。
それだけで、アリシアに道を開けるように人垣が横に退いた。
まるで海を割るように、アリシアの前に道が出来る。
「勇麻、大丈夫か?」
「あ、あぁ。すまない……」
駆け寄り心配そうに上から覗き込む、碧い宝石のような瞳と目が合った。
まるで吸い込まれるような錯覚を感じながら、その差し出された小さな手を握り、アリシアの助けを借りて何とか立ち上がる。
しっかりと握った小さな手は、暖かくて、そして想像よりもしっかりとした力で勇麻の手を握り返してきた。
直前まで感じていた頭を走るノイズも、胸を押し潰すような圧迫感ももう感じない。
まだマラソン直後の脱力感のような物が残ってはいるが、立ち上がるには十分だ。
「おい、ふざけんなよ……?」
男の、半ば呆れたような、呆然とした乾いた笑い声が静まり返った店内へ漏れる。
「何だよこれ。これじゃあまるで、俺が悪者みたいじゃねえかよ。なんだよ、この馬鹿みてえな流れは……!」
「納得がいかねえか?」
「当然だろ! 俺は、俺達はお前らのそのふざけた正義ごっこには付き合ってらんねえって言ってんだよ。なのにこの流れじゃ、お前らの言ってる事が正しいみたいじゃねえかよ!」
泉の横からの問いに、猛然とそう返答する男。
その表情は極めて必死で、彼は彼なりにその選択が最善だと確信しているのが容易に理解できた。
互いに譲れない思い。
ならば、どうするか。
「ならそうだな、手っ取り早く決着を着けるアイディアがあるんだが……」
泉はアリシアの方をチラリと見ながらガキ大将よろしくニカッと笑い、
「乗ってみる気はねえか?」
ニヤリと楽しげに口の端を歪める泉に、アリシアは表情を変えぬまま「?」と首を傾げたのだった。




