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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第三章 災厄ノ来訪者ト死ノ狂宴
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第七話 平穏と不穏とは紙一重Ⅳ――耳障りな崩壊音

「はぁ」


 退屈げな溜め息が、少年の口から漏れた。


 「そろそろ『ネバーワールド』にも飽きてきたかな。うん。最初は生まれて初めての遊園地だったし、やっぱりテンションも上がってたから結構楽しめたけれど、慣れてしまえばなんてことはないね。うん。結局僕も無い物ねだりをしていただけと言うか、隣の芝生に見とれていただけの欲深い人間だったって訳だね。うん」


 昆虫の複眼のように感情の映らないのっぺりとした漆黒の瞳が、完璧すぎるその笑顔の中で異質だった。

 見つめているだけで、飲み込まれそうな闇。そんなものがその瞳には渦巻いているような気すらする。

 

「さて、時間もそろそろイイ感じだし、うん。そろそろ頃合いかな」


 中学生くらいの年齢の中性的な髪型をした可愛らしい童顔の少年だった。彼の名は寄操令示。

 彼は今、『ネバーワールド』の道端に設置されている休憩用のベンチに一人座っていた。

 寄操の周りには薄衣も咀道の姿も見当たらない。彼女達はすでに予定通りに持ち場に向っている為、寄操は完全に一人だった。

 寄操は途中の店で買ったソフトクリームをちびちびと舌先で舐め取るように食べながら、適当に言う。

 

「綺麗な物がぶっ壊れる時の儚さと美しさは最高だ。美しい花がいつか散るように、花火が一瞬の輝きの直後に夜空に溶けてしまうように、人の命の灯が燃え尽きる瞬間の最後の輝きのように、終わりの瞬間ほど美しいものはないよね。うん。けどさ、それよりも僕は、我慢できない事があるんだよね。うん」


 寄操はその気持ち悪いくらいに綺麗な笑みを崩さぬまま、もう片方の手にあるトランシーバーを口元に近づけた。

 通信先は勿論、既に持ち場に付いている仲間たちの元だ。

 奇操はただ、あらかじめ決められていた通りの台詞を吐き出す。


「こちら寄操。最初の起爆虫の配備は完了したよ。うん。そっちが準備オーケーなら今から十分後に作戦決行しちゃうけど大丈夫? ……うん。分かった。じゃあこのまま予定通りという訳で皆も準備よろしくね! うん」


 各々から了解した旨を伝える返答が返ってくる。 

 寄操はさらに続けて、トランシーバーの向こうの仲間たちに向けて言葉を放った。

 まるで、試合前に円陣を組んで掛け声を掛けるように、そんな軽いノリで。


「そろそろ皆殺しのゲームを始めちゃおうか。うん。気持ち悪い物も、綺麗な物も、全部何もかもぶち壊して、最高の思い出を作り上げよう! うん。大丈夫。きっと僕たちならできるさ!」


 言いたい事も言い終えた寄操はトランシーバーを口元から離し、適当にポケットにねじ込むと、先の独り言の続きを誰へともなく垂れ流す。


「……僕って気持ち悪い物が嫌いでさぁ、そういうの見てると、イライラしてぶち壊したくなっちゃうんだよね。うん」


 イライラしている、と言う奇操の表情から彼の感情を読み取る事はできない。

 貼り付けただけの無味乾燥な笑みが、奇操の本心を包み隠しているようだった。

 いや、もしかしたらこの少年には感情などという概念は無いのかもしれない。

 そう言われても納得できるだけの気味の悪さが、奇操令示という少年にはあった。


 寄操はソフトクリームから視線を外して、己の正面を見据える。

 寄操の視界に映ったのは、ネバーワールドを楽しむ大勢の人の群れ。

 視界を次々と横切っていく、数えきれない人々達。

 それを見ても寄操の表情には一切の変化がない。

 ただニコニコと、傍から見ればまるで人形のような少年がこれまた人形のような笑顔を浮かべているようにしか見えない。


「だからもうダメだ。もう我慢できないや。うん。うじゃうじゃうじゃうじゃ君たち人間は、まるで虫の死体に群がる蟻んこだ。うん」


 寄操は食べかけのソフトクリームを適当に投げ捨てる。

 彼は最後の最後まで表情一つ変えずに、


「数が多いっていうのはさ、それだけでどうしようも無く気持ちが悪い」


 そう言い切った。


「でも、どれだけ気持ちが悪い物でも、終わりの瞬間に輝く事ができるんだから、命ってすごいよね。うん。……へへ、そう思うと楽しみだなぁ。うん。数えきれないくらいの人間を一度に殺すのは初めてだけど、一体どれくらい綺麗なんだろ」


 まるで楽しみにしているクリスマスについて呟くように、沢山の人を殺す事について語る奇操。

 笑顔を絶やさない彼に罪悪感は無く、当然人を殺す事に忌避感を抱く事もない。

 彼にとって人を殺すという行為は、『殺した方が綺麗だから殺す』程度の意味しかない。

 破壊の瞬間に美を感じる奇操は、故に破壊を躊躇う事は無いのだ。


 よっ、と掛け声を掛けてベンチから立ち上がり、寄操は歩きだす。

 先ほどまで彼が座っていたベンチの足元には、地面に落ちて潰れたソフトクリームが、無惨にべっとりとこびりついていた。

 その恩恵に縋るかのように、たくさんの蟻が甘いクリームに群がり始めていた。


 綺麗か、気持ち悪いか。

 好きか、嫌いか。

 好みか、好ましくないか。


 たった二つの選択肢で形作られた世界の中、道行く人々の顔が奇操の瞳にどんな風に映っているのか、それは奇操令示本人にしか分からない。



☆ ☆ ☆ ☆



 そんな訳で昼飯はパーク内のカレー専門店で食べる事になった。

 『バターハーバー』に居た勇麻たちは、そのまま少しパーク中央に向かって進み、『マーガリンフォレスト』にあるカレー専門店に入る。

 専門店、とはいってもインドカレーのような本格派という訳ではない。家族連れも多いネバーワールドらしく、食べやすさ優先で様々な種類のカレーを販売している店舗だった。

 店内は洋風のログハウス風で、テラス席に座ると時折髪を揺らす海風が気持ちがいい。おそらくだが、この時間帯は木陰になるように設計してあるのだろう。日差しを遮ってくれる樹木の大きな影がありがたい。 

 運ばれてきたカレーはほくほくと湯気が立ち、濃厚なうまみが鼻孔を刺激してくる。

 端的に言ってとてもおいしそうだ。

 

 アリシアと勇火、それから楓はシンプルな『プレミアム・カレー』を。

 泉はボリュームたっぷりな『ビーフカレー』。勇火と高見は『シーフードカレー』を、それぞれ頼んだ。

 

 アリシアは勢いよくそれを頬張るも、カレーがまだ熱かったのか「はふはふ」と口の中のカレーを冷ましながら、一生懸命スプーンを進めている。

 そんなアリシアを見ていると、自然と自分の口角が持ち上がってしまう事に勇麻は気が付いていた。

 

「どうだアリシア。おいしいか?」


 アリシアは一度何かを言おうとして、まだ自分の口の中にカレーがあることに気が付いて急いで呑み込もうとする。

 そんなに急ぐとまた喉を詰まらせてしまうのではないだろうか。

 そんな心配をする勇麻。そして見事にそれが的中する。


「ッ!!? むが、んん!」

「ば、馬鹿お前!」


 急いで呑み込もうとして喉に詰まらせてしまったのだろう。苦しそうに目元に涙を浮かべながらむせ返るアリシア。

 勇麻は慌てて背中をさすったが、アリシアはまだ苦しそうだ。


「アリシアちゃん、これ!」


 楓も慌てた様子で水の入った紙コップをアリシアの元に持ってきた。

 アリシアはそれをゴクリと一息に飲み干す。


「ぷはーっ、し、死ぬかと思ったのだ……」

「おいおい、慌ただしいヤツだな。大丈夫かよ」


 泉が心配半分呆れ半分で尋ねる。

 

「う、うむ。だ、大丈夫なのだ」

「そんな急いで食べなくてもカレーは逃げないよ、アリシアちゃん。そんなにおいしかったの?」


 勇火は苦笑いを浮かべつつ、少しからかうようにそんな事を言った。


「このカレー、とてつもなくおいしいぞ」


 アリシアは勇火の質問に頷きながらそう言って、けれど、最後に付け足すようにこんな事を言った。


「うむ。でも、……やっぱり皆で作ったカレーの方が私は好きかもしれないのだ」

「嬉しい事言ってくれるね、アリシアちゃんは。そう言って貰えると俺達も作り甲斐があるよ」

「うむ。やっぱり皆で作るカレーが一番なのだ」


 そう言って微かな微笑を湛えるアリシアに、思わず勇麻は言葉を失ってしまう。

 アリシアがカレーを好きだったのは、単に味の好みの問題ではなかったのだ。

 みんなで協力して作り、皆で仲良く食べる事。本人が気が付いてるかは定かではないが、それこそがアリシアにとっては重要だったのだろう。

 アリシアは自由を好む反面、やけに誰かと何かを共有する事に固執する性質がある。きっとそれはアリシアが記憶を失ってから勇麻に出会うまで、ずっと創世会の実験体として一人で過ごしていた事が原因だと推測できる。

 そして何より、記憶を失う前のアリシアが、仲間という存在の大切さを誰よりも知っている女の子だったから。


 アリシアの表情の微かな――けれど確かな変化は、勇麻の胸を必要以上に締め付ける。

 彼女がその言葉に何を乗せたのか、それは誰にも分からない。けれども、何故だか勇麻にはそこに微かな哀愁にも似た感情が漂っているのを感じた。

 その姿は、今の幸せを噛み締めているようにも、過去に思いを馳せているようにも見えた。思い出す事もできないあの悲惨な過去が、無意識のうちに彼女にそんな表情をさせているのかと思うと、胸が苦しい。

 けれど、彼女がこんな風に皆でご飯を作り、そして仲良く皆で食べる事の喜びを知る事ができた一因に自分の存在があると思うと、ただそれだけで救われたような気持ちになるのだ。

 こんな紛い物でも、誰かの笑顔を支える事ができるのだ、と。


 ズキリ。


 まただ。

 アリシアの笑顔を見ていると、胸の奥が疼くように痛みが走る。

 これは一体なんなのだろうか。

 

 勇麻以外の人間は、そんなアリシアの微妙な表情の変化に気が付かないのか、彼女の心温まる発言にほっこりしたように皆頬を緩めていた。

 そんな光景に、一人難しい事を考えていたのが何だか馬鹿馬鹿しくなり、勇麻は思考を放棄してまたカレーを食べ始める。

 考えなければならない問題も悩みも色々あるけれど、今は嬉しそうにしているアリシアの顔さえあれば、それで充分だ。


 なのに、そう思おうとすればするほど、勇麻の頭は余計な事を考えてしまう。


 アリシアを巡って勃発した黒騎士ナイトメアとの死闘。

 遠き過去の日。かつて得た答えの間違いと歪みに気づかされ、それでもなお、少年はその茨の道から抜け出す事ができないでいる。

 『いい加減に過去に縋るな。自分から逃げるな』そんな言葉を掛けてきた『設定使い』。

 罪の意識から、南雲龍也の代理品として生きてきた勇麻の人生を、無駄で空っぽだと評した黒騎士ナイトメア

 彼らの言葉がどれも正しい事を、誰よりも勇麻自身が理解し痛感していた。


 けど、そんな紛い物でも、罪悪感から逃れる為だけに振るってきた拳でも、救えたものは確かにあったのだ。

 始まりは間違っていたかもしれないけえど、それでも、得られた物はゼロではなかった。

 過去に縋る事しかできないちっぽけな少年にも、守りたいと思える大切な人達ができた。

 今、この場にいる皆を失いたくない。この馬鹿でアホで、どうしようもなくお人好しな連中を、彼、彼女らのその世界を、守りたい。

 心の底からそう思える。それが嬉しい。

 それは、勇麻がここ一か月の激闘を経て得た、一つの解答だ。

 過去の亡霊を振り払えた訳ではない。けれど、それでもその手で掴んだ拳を握る一つの理由。


 それがある限り、勇麻はこれまでの自分の行いが決して無駄ではなかったのではないかと思う事ができる。


 だが、それはこれまでの話。いつまでもいつまでも、過去に囚われ、罪悪感から逃れる免罪符を求めるのが間違っている事くらい分かっている。

 南雲龍也という英雄の亡霊を振り払う。

 その為にも、南雲龍也の死、つまりは己の過去との決着を着ける必要が勇麻にはあるのだ。


 南雲龍也の代理品としてでなく、東条勇麻としてアリシアを助けたいと思えたように。

 これまでも、そしてこれからも。天風楓の味方であり続けたいと思えたように。


 自分の心の奥底から湧き上がり生じる『何か』の為に拳を振るう事が、きっとまたできるハズだから。

  

 そんな事を考えるのも、もう少し先延ばしにしよう。そう心の中で呟き、勇麻は今度こそ、そっと思考の海に蓋を下ろしたのだった。


 なんだかもう、おいしいはずのカレーの味はよく分からなくなっていた。

 やはりこんな事は、皆で楽しく遊んでいるときに考えるような事ではない。改めてそう思いながら、勇麻は小さく溜め息を吐いた。

 味の分からなくなってしまったカレーをそれでも全て口に運ぼうとして――


 ――意味不明の轟音が、勇麻の意識を現実の遥か彼方に吹き飛ばした。


「うわっ!」

「きゃっ!」


 鼓膜を叩いた音は、もはや音の壁だった。

 質量すら感じてもおかしくない、爆音という音の塊がネバーワールド中に広がり、勇麻の身体を物理的に震わせる。

 地震のような縦揺れが起こって、口元に運んでいたスプーンごと勇麻の身体が床の上へと放り出される。

 衝撃波が建物を揺らす。

 テーブルの上に乗っていた紙コップが倒れて、テーブル上に水溜まりをつくっている。

 至るところで床に落ちた皿が割れ、そこら中に料理が飛び散らばった。


 なんだ今のは? 

 その疑問に対する答えは、すぐに突き付けられた。

 少なくないざわめきに導かれるように、視線は上へ。

 勇麻たちの頭上。晴れ渡る空に暗雲と立ち込める黒々とした黒煙が、ネバーワールド内で起こった事を示していた。

 ほんの一呼吸、ネバーワールドを訪れた人々の視線が上がった黒煙に釘ぎ付けになる。

 不気味な沈黙が流れて、


 直後、


 数々の悲鳴が、パーク内を埋め尽くした。

 人の怒号、泣き叫ぶ声、悲鳴。様々な感情がうねりを上げ、勇麻の耳を痛いほどに刺す。  


 この場面で、いち早く立ち直ってリアクションを取ったのは泉と勇麻だった。


「爆発!? なんだ? 事故か何かでも起こったって言うのか!?」

「いや違う。アトラクションの事故にしちゃあ明らかにおかしい。勇麻、あれを見てみろ」


 勇麻は泉が指し示した方向に視線を向ける。

 すると、


「な、嘘……だろ」

「黒煙が上がってるのは何も一か所だけじゃねえ。こんな同時多発的にアトラクションで事故が起こるなんて奇跡、宝くじに当たる以上の確率だろ。……もっとも、俺達が貧乏くじに愛されてる可能性は否定できねえけどな」

「な、なら、事故じゃないなら、これは一体……」

 

 茫然としながら呟く楓の疑問に答えられる者はいなかった。

 誰もが口を紡ぐ中、勇麻は必死で思考を巡らせる。


(なんだ、一体何が起こっている!?) 


 事態に追いつかない頭のギアを、日常から非日常へとどうにかシフトチェンジしようとする。

 可能性を模索し、仮説をいくつか打ち立てる。勇麻の陳腐な脳みそでは、どれもこれも掃いて捨ててしまいたいような、陳腐なC級映画みたいな最悪の事態しか想像できない。

 だが、それを鼻で笑って否定できるような状況ではない事くらいは、なんとか理解する事ができた。

 どう考えてもこの事態は尋常ではない。嫌な予感が焦燥となって勇麻を急かし、柔軟な思考を阻害する。 

 殺気だったような異様な雰囲気の中、今まで通りに流れるパーク内の軽快で楽しげなBGMがあまりにも場違い過ぎて嫌に不気味だった。

 

(とりあえずどこか安全そうな場所に避難するべきか……? でも、そもそも安全な場所ってどこだ? 何が起きていてどこからが安全圏なんだ!?)


 何か得体の知れない事態が進行している。

 それは理解できても、何が起きているのか、その全貌どころか、影の端すら掴めない。

 よって、何一つ適切な対応をする事ができないまま、無駄に時間だけが空費されていく。

 安全を確保しようにも、危険の種類が分からなくては手の打ちようがない。


「くっそ! ……アリシア、楓、勇火お前らは大丈夫か?」

「う、うん。俺は平気」

「うむ。私も問題はないのだ」

「だ、大丈夫だよ」


 アリシアも勇火も楓も、衝撃波によってイスから投げ出されたらしく、床のうえに転がっていた。

 三人ともケガも無いようで、ホッと勇麻は胸を撫で下ろす。

 だがそんな安堵も次のアリシアの言葉で、台風の前の紙屑の如き勢いで吹き飛ばされた。


「だが、高見の姿が見当たらないのだ」

「は? マジかよ! この緊急事態になにやってるんだよアイツ!」

「チッ、つくづく足を引っ張るしか脳のねえゴミ猿だな畜生! 何をどうやったらこの一瞬で迷子になれんだよあの馬鹿は!?」

「だぁ、次から次へと……ッ! 一体このネバーワールドで何が起きてるんだよ!?」


 そんな勇麻の疑問は、考えられる限り最悪に近い形で解消される事になる。


「きゃっ! なにこれ……っ!」


 何かを見つけた楓が短い悲鳴を上げた。

 楓の視線の先、勇麻達の目の前。そこには半透明な謎の物体が浮かんでいて、 


「これは――」


 ――虫? 

 と、そう呟いた直後だった。


『ぴんぽんぱんぽーーん』


 突如としてパーク内の軽快で楽しげなBGMが止まり、代わりにそんな声が流れてきたのだ。

 まだ声変わりも終わっていないらしき少年の声だ。

 あまりにも場違いな、どこか緊張感の抜けた調子のその声に、パニック状態に陥っていた人々の注意が一斉に謎の声に集中した。

 強引にもたらされた静寂の中、途切れ途切れのすすり泣きと謎の声だけが響く。


『やあこんにちは、『ネバーワールド』で夢のような休日をお過ごしの皆さん。楽しんでますかー? うん。そうだね。まずは今日ネバーワールドを訪れている強運の持ち主である皆さんに、僕から祝福を贈りたいと思います。せーの、おめでとうございまーす』


 気の抜けた「わーぱちぱちぱちー」という白々しく乾いた拍手と、少年の言葉が流れてくると同時、またどこかで爆発音が轟いた。


「また……っ!」


 鼓膜を打つ音と身体を揺らす衝撃に、パーク内のあちこちから悲鳴が上がる。


「なんだ、この声は。……ネバーワールドのショーか何か、なのか……?」

「本気で言ってるんじゃねえだろうな、勇火。このふざけた声の主が博愛主義者だとでも思えんのか? だとしたらテメェの頭はボケがきて使いモンにならねえな。平和ボケが過ぎてる」

「い、泉君。何もそんな言い方しなくても……」

「おい、三人とも静かに。また何か喋るぞ、コイツ」


 勇麻の言葉の通り、再び謎の声が話し始める。


『さあさあ。勘のイイ人ならもう分かったよね? うん。分かりやすい言葉を使うとするなら……そう、テロリストってヤツになるのかな? うん』


 テロリスト。その単語が出た瞬間ざわつきが広がり、人々の喧騒がより一層の絶望に包まれる。

 雑音が音量を増し、人々の泣き声と悲痛な叫びが木霊する。

 何となく分かっていた。ただ、直視したくなかった現実を改めて言葉にして突き付けられると、その痛みは想定を遥かに超えた物となって、人々に襲い掛かったのだ。

 実感のない恐怖に、確かな死の匂いが覆い重なる。

 足は震え、虚構と現実の区別がつかない。

 テレビのニュースの中だけの話だと思っていたことが、今確実に目の前で進行している異常事態に人々は耐える事ができない。 

 心が、先に死んでいく。


『今から僕の言う事をよく聞いて貰えると嬉しいんだけど……。ほら、あんまり騒がれると面倒だし、僕だって好きでこんな事やってる訳じゃないんだよね。うん。あ、最初に言っておくけどパニックに陥ったりしないでね? 僕だってあまり乱暴な事はしたくないからさ。うん』


 少年の声は、まるで学級会でクラスのみんなに注意を呼びかけるような調子でそんな事を言う。

 だけれど。

 ただそれだけの言葉で、人々の声が封殺される。

 彼の言葉にはことごとく重みが無く、何かの冗談を言っているようにしか思えない。

 それでも人々が身じろぎひとつできないのは、今なお断続的に起きている爆発と、この異様な状況。明確な命の危機。そしてテロリストを名乗る謎の不気味な少年からのアナウンスと言ういくつかの要因が造り出した、独特の気味の悪さ故だろう。

 

『そうだね、うん。まず皆の前にそれぞれ半透明な虫がいると思うんだけど、分かるかな。うん』


 半透明な虫、という言葉の通り、半透明で奇妙なフォルムをした謎の生命体が、勇麻の目の前をふらふらと漂っている。

 先ほど楓が見つけていた虫のような謎の生命体が、未だにこの場を浮遊していたのだ。


「コイツ、か……?」


 おそらくこれが、自称テロリストの言う“虫”だろう。

 皆の前にそれぞれ、という事は、この気味の悪い半透明の生命体がパーク内に沢山いるという事だろうか。

 想像するだけで鳥肌が立ちそうだった。


「チッ、なんだよコイツ、気持ち悪ィ形しやがって。頭のイカレたクソ野郎らしく良い趣味してやがるぜ……っ」


 泉の文句の通り、奇妙なフォルムの半透明の生命体は、おせじにも可愛いとは言えない見た目をしていた。

 ザリガニを巨大にしたような本体。それに蛾のようなもさもさした羽が生えていて、空を漂うように飛んでいる。蟻みたいな触覚が時折ピクピク揺れ、何か情報を受信でもしているようだった。

 さらに悪い事に、半透明なボディは内臓まで丸見えの透け透け仕様だ。

 黒緑色の体液が身体を循環しているのが明瞭に見えてしまっていて気持ちが悪い。


『それはね、君たちの行動を監視する、監視カメラみたいな物だよ。うん。僕の言う通りに動いてくれなかったり、必要以上に騒いだりした場合、その虫が僕に異常を伝える仕組みになっているから、気を付けてね。あ、もちろん破壊しようなんて考えても無駄だからね。うん。まあ賢い皆さんの事だから、心配はしていないけど、念のために一つ忠告しておこうと思う。うん。……もし“そう言った報告がぼくに上がってきた”場合……』


 謎の声の含みのある声が途切れ、


 巨大な爆発音が再び勇麻達を腹の底から揺らした。


「うわっ!?」

「また……っ!?」


 爆音と大地を揺らす衝撃、遅れて立ちのぼる黒煙に人々の悲鳴が重なる。

 勇麻はもう声もでなかった。

 目の前に広がるその情景があまりにも現実離れしていて、まるで安物の映画かドラマでも見ているかのようだった。

 何か悪い夢でも見ているのだろうか。あまりにも展開が唐突すぎて、頭が付いていく事を拒否している。

 

 地獄に様変わりしたネバーワールド。夢に溢れた世界に悪夢が広がっていく瞬間に、東条勇麻は立ち会っている。

 悪夢の主は、ケラケラと楽しそうに笑って、


『こんな風に、見せしめとして爆殺☆しちゃうので、気を付けてね! うん。僕からの注意は以上だよ! 皆仲良くルールを守って、ネバーワールドを! 今日という一日を! 最後まで楽しく過ごそうじゃないか!!!』


 そんな風に、言った。

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『天智の書:人ノ章(ベータ版)』
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