第六話 平穏と不穏とは紙一重Ⅲ――誰にだって日常はある
楽しげな笑い声が響く。
馬鹿を言い合い、ふざけあい、時には相手を小馬鹿にしたような悪口の言い合いになってなお、最終的にそこに生まれるのは笑顔だ。
全力で今を楽しもうとするその姿には、本人は無自覚だろうが、見ている者にある種の執念のような物すら感じさせるほどだ。
例えるなら、そう……今の今までトラブルばかりで全く遊べなかった鬱憤をここぞとばかりに発散するかのような、そんな強い思いが見ている方にまで伝わってくるのだ。
まあそれも仕方のない事なのかもしれない。
事情を知らない人には分からないかもしれないが、彼の夏休みは今のところ血生臭い戦闘ばかりで、高校生の夏休みらしい心躍るイベントがほとんど存在しなかったのだから。
彼からしてみればようやく手に入れた平穏であり、久しぶりの休日なのだ。
気合いが入るのも納得なのであった。
だが、そんな風に平穏を享受する彼らは──東条勇麻たちは気が付かない。
楽しげに笑いあう勇麻たちを物陰から伺うように覗く、怪しげな四対の視線があることに。
「なぁ……」
うんざりとした、女の声が絞り出される。
「(シィッ! 静かにしてください! 声が聞こえてしまったらどうするんですかぁ!)」
別段大声を出してなどいないのだが、声量を抑えた小声での注意がすぐ隣から飛んできた。
というか、流石に対象との距離が開きすぎているので、普通に喋っている限りこちらの声が届く事はないと思うのだが……。
赤い短髪に走る寝癖をかったるげに掻きむしりつつ、注意を受けた方の少女が深い溜め息を吐いた。
「なぁ、もう一度聞くぞ」
「……もうっ、なんですか鬱陶しいなぁ。急ぎの用じゃないなら後にしてください。今こっちはおもしろファッションショーに付き合っていられるほど暇な訳じゃないんですから」
赤い髪の毛をベリーショートにした、勝気な色を灯した緋色の瞳の少女はあえてその少女の暴言を無視して怒りの感情をどうにか飲み込むと、一言。
「はぁ、……どうしてこのスカーレ様まで東条勇麻から隠れなきゃならねえんだよ」
呆れを通り越してどこか疲れたように、背神の騎士団所属の神の能力者、スカーレは、姉妹であり同じ組織に所属する仲間でもあるシャルトルに向けてそう文句を垂れた。
彼女達四姉妹もまた、久しぶりのオフを利用して四人仲良く『ネバーワールド』に遊びに来ていた。
背神の騎士団の任務とは完全に関係のない、正真正銘のプライベートである。
と言っても、彼女達に仕事用の服装などと言う概念は存在せず、見た目はいつもと大して変わらない。
例えばスカーレなんかは、デニムのショートパンツに、これまた謎センスの漢字Tシャツに身を包んでいた。『豆乳』、と行書体でデカデカとプリントされている。
スタイルとビジュアルは良いだけに、彼女を横目に見る男性の目が全員一致で、「もっとマトモな物を着れば絶対にいいのに……」という風に細められていた。
残念美人というか、美人を被った残念というか。
これではシャルトルにおもしろファッションショー扱いをされても仕方が無いのかもしれない。
「あらあら~、スカーレちゃんてば乙女心が分かってないのね~」
ニコニコとマイペースな微笑みを浮かべながら、スカーレの文句にセルリアが反応した。
その反則的な胸と、腰まである艶やかなブロンドヘア。そして聖母マリアのようなとろけるような笑みから通りゆく男性の目を引きまくっているセルリアだが、彼女自身にその自覚はない。
そんなセルリアは胸を揺らしながら腰を折り、物わかりの悪い妹を諭すように言う。
びっ、と唇の前に人差し指を突きだして、
「いいスカーレちゃん。狩猟においてチャンスは一瞬なのよ?」
「は?」
今日もいつも通りの露出の激しい青系の衣服にスタイル抜群な身体を包んだセルリアは、呆れと困惑が混じったような表情を浮かべるスカーレを無視して、あくまでマイペースに続けた。
「東条勇麻が一人になったところを狙って、押し倒すつもりなのよね? シャルトルちゃんは」
ころころと笑ってトンデモ爆弾発言を吐くダイナマイト系美少女セルリア。
その、深い事は特に何も考えていないであろう末恐ろしい発言に、思わずシャルトルは飛び上がる。
綺麗なセミロングのブロンドヘアに翠の瞳が特徴のこの子もまた、露出度がなかなか高い。
白いティーシャツの裾を縛ったへそ出しスタイルに、ホットパンツ。白くスラリとした細い足が太陽の日差しを受けて美しくキラキラと輝いている。
「ぶほっ!?? ……なっ、そんな訳ないでしょう! ふざけるのもいい加減にしてくださいセルリア姉ちゃん! 私はただ……あれですよ。東条勇麻とは色々ありましたしぃ、ちょっと顔を合わせづらいといいますかぁ、それにほら、今は天風楓も傍にいるみたいですしぃ……今顔を出すのはちょっと問題があるじゃないですぁ……」
やけにムキになって反論するシャルトル。
だがその勢いが続いたのも前半だけで、後半になるにつれて言葉の勢いも声量も尻すぼみになっていく。
困ったように寄せられた眉と、いじいじと絡めた指先がしおらしい。
(おい何これ、反応が割りとマジすぎて弄ろうにもスゲー弄りにくいんだけど……)
予想を遥かに超えた反応に、困惑するスカーレ。
いつもシャルトルに良いように馬鹿にされているスカーレにとっては絶好の反撃のチャンスなのだが、どうにも躊躇ってしまい一歩を踏み出せない。
……彼女自身は破天荒で荒っぽいキャラを確立させているつもりらしいが、このメンツの中だと割と常識人になってしまうスカーレの哀しい性だった。
だが、この人物はそんな常識人で苦労人気質なスカーレとはひと味もふた味も違った。
もじもじと、らしくないいじらしい様子にセルリアは頬を染めて、いやんいやんと身体を捻って、
「やだもうっ、天風楓に嫉妬しちゃうシャルトルちゃんてば乙女~」
(躊躇なくぶっ込んだーっ!?)
「だから何でそうなるんですかぁ!」
シャルトルは既に若干涙目になりかけている。
いつも弄る側にいる分、こうも集中的に弄られた時の耐性ができていないのだろう。
セルリア辺りならシャルトルが泣きそうな事すらもネタとして使いそうで怖い。あの人は根本的に躊躇いとか恐れがないのだ。というか単に空気が読めていないだけだなのだけれど。
そんな姉妹のやり取りを見て、このクソ暑いのに袖が余るほどのロングコートコートを身に纏った黒髪パッツン少女のセピアは、フッと笑って肩を竦めて、小馬鹿にしたように、
「……なっ、」
「せ、セピアにまで馬鹿にされた!? ぬぐぐ……この情けないお笑いポジションは本来スカーレの特等席のハズなのにぃ……」
からかうのを躊躇ったのが馬鹿みたいな勢いで、唐突に流れ弾がスカーレに被弾した。
「……なぁシャルトル。アンタがアタシの事を一体何だと思っているのかについて、そろそろ真剣に話したほうが良いと思うんだ」
ひくひくと顔の筋肉を引きつらせながら器用に笑うスカーレ。
しかしシャルトルは怒れるスカーレの事など微塵も眼中にないらしい。
落胆するのに忙しいのか、普通にスルーして返事すら返そうとしない。
と、ここでセピアがシャルトルの肩を叩いた。
「な」
初め、シャルトルはセピアの言った事を正しく理解できなかった。
彼女達四姉妹以外には分からないかも知れないが、セピア語にはちゃんとした意味がある。
意味というかニュアンスのような物を感じ取って、セピアとのコミュニケーションを取っているのだ。
今回の場合は“どうでもいいけど東条勇麻がこっちを見てるよ?”だ。
……それはつまり、どういう事だろうか。
頭に一瞬空白の時間が生じ、そしてすぐさまその意味を理解したシャルトルは、
「や、やば!? 無意味に大声を出しすぎましたか! こ、ここは戦略的撤退です! 行きますよ三人ともぉ!」
「ま、またかよ!? ちょっ、シャルトル! アタシいい加減にアトラクション回りたいんだけど!」
☆ ☆ ☆ ☆
やけに見覚えのある四つの背中がこちらを見てから大慌てで駆けだしていく様子を、勇麻はどこかトラウマでも刺激されたかのようなゲッソリとした表情で眺めていた。
「……何やってるんだ? アイツら」
まさかとは思うが、この『ネバーワールド』で背神の騎士団が出張らなければならないような、天界の箱庭を揺るがす一大事件が発生しようとしているのでは……? などと邪推して、慌てて首を横に振った。
いくらなんでもそれは無いだろう。
(……いや、無いよね? 大丈夫だよね? ていうかお願いだから大丈夫であってくださいお願いします。ホント、三千円あげるからお願いマジで)
後半になるにつれてどんどん弱気になっていくあたり、かなりのトラウマが刻みつけられているらしい。
勇麻は縁起でもない思考を振り払うように大きく深呼吸をする。
そうだ。そもそもの話、彼女達が任務で『ネバーワールド』を訪れたとは限らないのだ。
別に、彼女達がプライベートで此処に遊びに来ていたって、なんらおかしくはない。多分。
それに色々な問題行動も見受けられる彼女達だが、根は普通の女の子と変わらない優しい良い子達だという事を、勇麻は知っている。……多分。おそらくは。そう信じたい……。
今も彼女達が逃げた方向から聞える、女の子とは思えない罵り合いに耳を塞ぎたくなりながら、とりあえず投げやりな感じながらも四姉妹を信じる事にした勇麻。
ようやく手に入れた心休まる休暇を、あんな物騒な連中に邪魔されてはたまった物じゃない。
それに楓がいる以上、連中と顔を合わせたらこの場が非常に気まずい空気に包まれるに決まっている。
以上の事を踏まえて、とりあえず向こうから声を掛けられるまでは関わらない事にしよう、と勇麻は決心するのだった。
そんな風に一人勝手に納得している勇麻の様子に、首を傾げた楓が不思議そうに尋ねた。
「ど、どうしたの? 勇麻くん」
「いや、なんでもないよ」
「?」
別にあの四姉妹も、悪気があって楓の命を狙っていた訳ではない。
彼女達には彼女達なりの考えや正義があって、それに従って行動していただけだ。
だからと言って彼女達の行動を全肯定する事は、勇麻にはできない。
楓の博物館襲撃が正しいとは口が曲がっても言えないが、だからと言って間違いを犯した人間を容赦なく殺そうとしたシャルトル達の正義も正しいとは思わない。
かと言って自分の考えが一〇〇パーセント正しいのかと聞かれれば、勇麻は迷わず首を横に振る。
結局は信じる物と、考え方の違いなのだろう。
だが、勇麻は最終的に彼女達と分かり合う事ができた。
話し合い――もとい拳を使った語り合いだったけれど、こちらの思いは確かに相手に通じたハズだ。
だからこそセルリアは勇麻の事を治療してくれたのだし、シャルトル達は勇麻の事を認めてくれたのだから。
小さな頃、勇麻は南雲龍也に幼さ故の絵空事を語った。
世界の皆が分かり合い、争いもケンカも無い世界。初めて話した時、南雲龍也は愉快そうに笑ったけれど、決して否定はせずに、むしろ背中を押して応援してくれたのを勇麻ははっきりと覚えている。
そんな理想にはほど遠いけれど、初めはいがみ合っていた勇麻とシャルトル達とが、ああして分かり合えたのだ。その事実は、きっと自分で考えているよりも大事な事なんだろうな、と勇麻は思った。
黒騎士の中身――勇麻が偽物の南雲龍也だと勝手に考えている人物――は、あの死闘のさなかこんな事を言った。
『「妥協点」は見つからなかった。理解しあえるなんて、人と人とが分かり合えるなんて幻想だった』 と。
確かに、勇麻の絵空事なんかよりは、よっぽど現実的で、それは正しい意見なのかもしれない。
人々が分かり合うどころか、その為の体のいい妥協点すら、この世界には存在していないのかもしれない。
でも、それでも勇麻は信じたいのだ。
人間の可能性を。
捨てたくはないのだ。
微かでも、それでも確かにここにある希望を。
だから殺し合いを演じた楓とシャルトル達だって、きっといつかは仲良く話せるようになるハズだ。
楓と駆が仲直りする事ができたように。
きっと。
そしていつかは、この世界も……
「……まあ何はともあれ、今日は楽しまないと損だよな! よし、……おい泉。次はどこに行くんだ?」
「そうだな……」
泉はポケットからスマホを取り出して時間を確認する。
画面の中のデジタル時計は十一時二五分を指していた。
「ちょっと早めに飯にするか。一二時回るとまともに座れねえくらい混むしな」
「確かにそうですね。皆も朝早かったし、丁度いいんじゃないですか?」
「わたしもそれでいいと思うよ。あ、高見くん。丁度よかった。今皆で次行くとこ話してたんだけど、高見くんもお昼でいいかな?」
トイレから戻ってきた高見に楓が確認を取る。
すると高見は嬉しげに笑って。
「おっ、流石は楓ちゃん。今回も俺っちの意見は無視される流れかとおもってたぜ」
もはや意見を聞かれたことに驚く高見が少しばかり不憫な気がしない事もない。
だが泉に慈悲はないようで、
「まあ意見を言うだけはタダだからな。それが俺の耳に届くかどうかは別として」
「え? シュウちゃんてばそんなに耳糞詰まってんの? 俺っちの心の籠った膝枕耳かきでも喰らいます?」
不意打ちに勇麻は思わず噴き出した。
「テメェの耳がどうにかしてんだろ!? お前の膝枕とか地獄でしかねえだろうが! それとも頭か? その顔面含めて頭が悪いのか?」
「いやー、シュウちゃんてば照れちゃってー。お顔が真っ赤だぜい?」
茶目っ気というか、高すぎる高見の煽り性能に泉は肩をぷるぷると震わせて、
「これはテメェにブチ切れてるからだよクソ猿野郎ぅぅうう!!」
休戦協定を結んでまだ数時間も経っていないというのに、さっそく崩壊しそうな男共。
泉は朝の冷静さはどこへやら、完全に高見のペースに乗せられてしまっている。
今にも高見に殴り掛かりかねない泉をなんとか止めようと、勇麻はどうどうと両手を広げ、
「ま、まあまあ泉。落ち着けって。ここでまたスタッフさんに目を付けられてみろ。昼飯食べる前にパーク内から追い出されるぞ」
「……チッ、分かってるよ。いちいちこれくらいでブン殴ってたら高見の命が何個あっても足りねえもんな」
どうやら泉は怒りに身を任せて高見を血祭りに上げるつもりだったらしい。
不穏過ぎる泉に冷や汗を掻きながら、どうにか話の軌道を安全な位置まで戻そうと試みる。
「で、みんなは何が食べたい? いろんな店があるっぽいから、希望があるなら一応言ってみてく」
「カレー!」
びしっと、他の誰よりも早くアリシアが手を上げてそう言った。
心なしか目がいつもよりキラキラしているような気がする。
勇麻はそんなアリシアの様子に思わず己の口元がにやけてしまうのを感じていた。
「……他の意見も無いっぽいし、じゃあ昼はカレーにしますか」
勇麻の提案に、皆からは賛同の言葉が続いたのだった。




