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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第三章 災厄ノ来訪者ト死ノ狂宴
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第四話 平穏と不穏とは紙一重Ⅰ――狂気は微笑み忍び寄る

 特にこれと言った特徴のない、ごくごく平凡な空き家。

 廃れたテナント募集の張り紙も、管理会社の電話番号も、風化によって判読が難しくなっている。

 当たり前の日常の風景に溶け込み、誰もが普段から目にしているハズなのに、決して意識される事のない、絶妙な距離感を持つその空屋のさらに地下。

 そこはとある組織の、天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)内に幾つもある拠点の一つだった。


 その拠点の司令部にあたるような一室に、サングラスを掛け口元にタバコを咥えた中年の男がいた。

 日本人……ではない。くたびれたようなくすんだ金髪と、少しだけ伸ばした顎鬚が特徴の白人の男だった。

 彼の名はテイラー=アルスタイン。

 テイラーは背神の騎士団(アンチゴッドナイト)という組織の副団長――つまりはナンバーツーであり、団長不在の今に限っては、全権限の内およそ半分をその手に受け持っている人物だ。


「……はぁ」


 深めの椅子に腰掛け、机の上に広がる幾つもの資料に目を通し、疲れたように目頭を揉むテイラー。

 すぼめた口先から紫煙が吐き出され、照明の光に溶けて消えていく。 

 先ほどから難しい顔で何度も同じ資料を眺めているのだが、書き記されている内容が変わってくれる事は残念ながらなさそうだ。


「どうしたんだい、旦那様よ。そう難しい顔をしちまってさぁ」

「……ん、ジルニアか」


 部屋に人の気配を感じて顔を上げて見れば、見慣れた顔がそこにあった。

 肩に掛かる程度の長さの真っ赤に燃えるような髪の毛は素っ気ない程に無造作。

 まるで化粧っ化はないが、それを感じさせないレベルで美人の女性だった。

 気取っていない、ある種男勝りな色気を伴ったこの女性こそ、テイラーの最愛の妻にして、数々の戦場を共に駆け抜けてきた相棒であるジルニア=アルスタインだ。

 腕を組むと、タンクトップを内側から盛り上げる暴力的な双丘が強調されてなんと言うか男達にとっては目に毒すぎる。

 

「おうよ、あんたの可愛いジルニアさんですぜ」


 ニカッと気持ちのいい笑顔がサングラス越しでも眩しく感じた。

 その笑顔だけで何か救われた気分になってしまうのは、惚れた男の弱みというヤツだろうか。

 テイラーは疲れの滲む顔をふっと破顔させて、


「自分で自分を可愛いなんてお茶目な事言うような歳じゃないでしょうよ、ジルニア」

「なぁにを! せっかくアタシがお疲れのヘタレサングラスを癒やしてやろうと思ったのに」

 

 ぶーぶーと頬を膨らませて文句を言いながらジルニアはテイラーの背後に回ると、後ろからしなだれかかるようにその豊満な胸をテイラーの脳天に乗っけた。

 ムニュ、っと馬鹿げた事にタンクトップ一枚越しの柔らかい感触が伝わってきた。

 あれだけ仕事中くらいは下着をつけろと口を酸っぱくして言っているのに、まるで聞く気がないらしい。

 テイラーは頭に血が昇るのを自覚して、


「……ジルニアさん重い」


 ズバコンッ!

 照れ隠しに言っただけなのに、割と本気で叩かれた。

 ぐりんっとイスごと身体を回転させられさらに胸倉を掴まれ、そのままジルニアがぐわんぐわんとテイラーの身体を揺らす。


「なぁるほど、そんなにアタシにぶっ飛ばされてぇのか? え?」

「いやいやいや、もう十分ぶっ飛ばされてますから! ごめん! 本当ごめんって! ジルニアさん! 今のはその何と申しますか……とにかくすみせんでしたぁ!!」


 とりあえず謝り倒す形でジルニアの機嫌を回復させたテイラー。

 次のオフの日にジルニアを遊園地に連れて行く事を条件に、怒りを何とか収める事に成功する。

 隠れて胸を撫で下ろすように溜め息を吐いたが、上機嫌になっている嫁はそれには気が付かない。

 

 ひとしきり落ち着いた所で、ジルニアがテイラーに問いかけた。


「それで、どうしたんだい?」

「……なにが?」

「なにが? って事はないだろ。あんなに眉間に皺寄せて、何かあったってそのヘタレ顔に描いてあるぜ」


 ……つくづくジルニアに隠し事はできないな。などという感想を抱きつつ、テイラーはどこかバツが悪そうにこう切り出した。


「それがちょいと面倒臭い事態が起きてて、ね」


 机の上に広げられた資料の内の数枚をジルニアに差し出す。

 そのどれもが、今現在背神の騎士団(アンチゴッドナイト)のメンバーが解決に当たっている事件や任務に関する経過報告書だった。

 通信で送られた暗号を文章化した物だ。

 そしてそれらに関する共通点こそが、テイラーの悩みのタネだった。


「これは……」

「あぁ。明らかに何者かの妨害を受けているね。本来なら帰還していても良いはずのメンバーが、これだけの数足止めを受けている」

「これまでの創世会の妨害とは毛色が違うね、今まではアタシらの任務それ自体を妨害してたのに、これは……明らかに何らかの足止め。そこに釘付けする為の時間稼ぎってトコかい」


 テイラーはサングラスくいと押し上げてタバコをふかし、


「そもそも今週に入って俺達が動かざるを得ない状況が多すぎたんだ。『神狩り(ゴッドハンター)』の動きも妙に遅い。まるで、意図的に俺達を誘ってるみたいに、ね。……もっと早くに気がつくべきだった」


 まるでカメのように愚鈍で杜撰な対応を見せる『神狩り(ゴッドハンター)』だけでは対処しきれず、背神の騎士団(アンチゴッドナイト)が対応せざるを得ない凶悪事件の増加。 

 一つ一つは特別性なんて欠片もない、よくある案件でしかなかった。

 だから気がつかなかった。

 それらの事件に関連性などまるでなかったから、意図的に起こされた事件だという可能性に、まるで目が向かなかった。

 任務増加に伴い、常時拠点に待機しているメンバーの人数が少しずつ確実に少なくなっていたのだ。


 そして今日、事態が急変した。

 拠点を離れているメンバーに対する、足止め妨害工作。


 一人になった所を狙い、孤立させる為の襲撃。

 時間稼ぎ目的の、人海戦術。

 任務終了後に行われる襲撃。 

 けっして突破できない物ではないが、相手が時間稼ぎを狙っている以上、いくらかは時間が掛かってしまう。


 何者かがこれを仕組んでいるのは明白だった。

 背神の騎士団(アンチゴッドナイト)の戦力を削ぎ落とす為の策略。

 とは言え平時ならば問題はないだけの戦力は揃っている。

 だが、もし仮に今大規模な事件が発生したら?


「どこの誰だか知らないけど、何かしら事を起こすつもりだろうね。おそらくは今日、それもまあ数時間以内に。それを俺達に邪魔されたくないからの足止めだろう」

「なるほど、要するにアタシらは今戦力不足の人手不足って訳か」

「非番の連中にも連絡してはいるが、そっちも襲撃にあってるヤツらまでいる始末。セルリア達に至ってはどこで遊んでいるのやら、まったく繋がらないし。色々と面倒な事になりそうな予感しかしないんだよね、どうも」


 肩のこりそうな溜め息を吐くテイラーの背中を、ジルニアがばしっと平手で気合いを入れるようにぶっ叩いた。


「いてっ」

「なぁに弱気になってんのさ、丈夫だよ。いざとなったらアタシらが出ればいい。アタシらコンビに勝てるヤツなんて、それこそ団長くらいのもんだ。そうだろ?」


 どこか弱気なテイラーに相反して好戦的な笑みを浮かべるジルニア。

 そういえば、最近は団長の代理として指揮を執る事が増えて、久しく戦場に出向いていない気もする。

 とはいえ、最愛の妻を進んで戦地に送りたいとは思わないのだが、ジルニア自身はそろそろ身体がなまって仕方がないのかもしれない。若干戦闘狂のきらいがある彼女は、若い頃はそれはもう無茶をしまくった物だ。 

 いざとなったら、か。とテイラーは小さく呟き、短くなったタバコの先を灰皿ですり潰して、


「まあ、ジルニアさんがそんなにやる気になってるなら、たまには戦場デートもいいのかね~」


 そんな風に思っても無い事を適当に嘯いたのだった。

 


☆ ☆ ☆ ☆



「お、やっとかよ。遅えぞお前ら」


 スマホのSNSで連絡を取りつつ、謝りながら人ごみをかき分けていくと、ようやく見知った顔を発見する事ができた。

 

「いや、ごめんごめん。これ買ったりしてたらちょっと遅くなった」


 言いつつ勇麻はチュロスを泉と勇火に差し出す。

 

「お、勇麻にしては気が利くじゃねえか」

「む、泉。そのちゅろす? とやらを見つけたのは私なのだぞ」

 

 リスのように自分の分のチュロスを齧っていたアリシアが割り込むようにそう言ってきた。

 自分の手柄を主張するアリシアの顔は、相変わらずの無表情なように見えて、良く見れば少しばかり得意げだった。

 薄い胸を張るアリシアに泉は、


「お、そうか。そりゃ流石だな。やっぱり使えない勇麻よりアリシアの方が頼りになんなー」

「まあ所詮は俺の兄ちゃんだしね。でも楓センパイとアリシアちゃんがついてるから俺は心配してなかったけど」


  合流してそうそうのあんまりな袋叩き具合に、勇麻は割とげんなりした気分になる。

 特に泉なんて自分が何か言われるとすぐ手を出す癖に、人の事はボロカス言いやがるのだ。流石はガキ大将。理不尽さでは他の追随を許さない。

 そして我が弟はいつから兄に向って暴言を吐く子になってしまったのだろう。そんな子に育てた覚えはないのに。

 何だかドッと疲れた勇麻は肩を落として、


「寄ってたかってお前らな……、おい、楓もなんか言い返してくれよ」


 このメンバーで唯一かもしれない勇麻の味方であり、常識人でもある楓に助け舟を求める勇麻だったが、


「……………………………………………………………………………………………………………………………………はえっ!? な、なに? ごめんなさいわたし全然聞いてなくって……」


 ぽけ~~~~~~っと、していた。


 未だダメージが残っているのか、心此処に非ずな楓。

 しかも耳まで茹でダコのように真っ赤な楓は、勇麻の顔を一向に見ようとしない。

 言動から、明らかに様子がおかしいのが一目で分かってしまう。


(これは……選択肢マズった!?)


 理由など自分でもよく分からないが、これまでの経験と本能的にこの状況はマズイと感じ取った勇麻。何か言われる前にこの状況をリカバーしなければと思うもの、いい案など浮かぶハズもない。そしてそこに案の条、勇火と泉の視線が突き刺さった。

 

「勇麻、お前一体何やらかした……?」

「兄ちゃん……。つくづくダメダメな人だとは思っていたけどさ、女の子を泣かすような酷い事をする人だとは思ってなかったよ」


 相変わらず、ぽへぇ~とどこか半分ほど魂が抜けたようになってしまっている楓。

 これでは楓に誤解を解いて貰おうにも、まともな証言をしてくれる気がしない。


 二人から滲み出る殺意にも似た何かに、思わず勇麻の足が後ろに下がる。

 じりじりとにじり寄る二人が怖い。

 さっきのチュロスパニックに勝るとも劣らない勢いで冷や汗を流す勇麻は、必死に弁明を試みる。


「ま、まてまて、多分お前らは何か重大な誤解をしている気がするんだ!? あ、あと勇火に関しては実の兄に何て印象抱いてんのお前!?」

「ふむ。楓は勇麻にいきなり抱きつかれてからというもの、何か様子がおかしいのだ」

「ぶふぉッ!?」


 と思わぬ伏兵からの爆弾発言に。


「あ? 抱きつかれた?」

「兄ちゃんが無理やり抱きついた?」

「ちょ、アリシア、お前! さっきの事はあれ程言うなって……ッ!!?」

 

 とそこまで口に出してから募穴を掘った事に気が付き、


「む、だが勇麻。さっき言われた通り、かっぷるせんげん? の事は言ってないのだぞ?」

「ぎゃぁあああああ!!! アリシアさんそれもう全部言ってるからぁぁああああああ!!?」


 追加でさらなる地雷を華麗に踏み抜いたがもう全ては手遅れなのだった。

 

「兄ちゃん。何か、言い残す事はある?」

「じょ、冗談だろ? 弟よ?」


 どうやら弟と友人の間では、勇麻が無理やり楓に手を出して泣かせた。という認識になっているらしい。

 そして勇火はともかく泉の野郎は完全に状況を楽しんで便乗してやがるだけだろコイツ!!?


 次の瞬間、弟と友人代表からの激烈な一撃を同時に顔に貰い、漫画みたいに吹っ飛んだ勇麻。

 人ごみの事を全く考慮せずに放たれた割と全力のダブルグーパンチに、勇麻の身体が宙を舞ってから、今の周囲の状況に殴った二人は気が付いた。

 このまま行くと確実に宙を舞う勇麻が、待機列の一団に頭から突っ込んでしまう。

 あわや二次災害かと思い、泉は半ば投げやりに諦め、気真面目な勇火が悲劇に目を瞑ったその時、


「いやー、やっと見つけたぜ皆さん。俺っちがいなくて寂しかっただろうけど、もうだいじょう……ぶがふぁごっ!!?」


 その待機列の人ごみをかき分けて合流した高見秀人の顔面が、全ての罪を受け止めたのだった。

 突然巻き起こった暴力事件に静まり返る列の中、

 顔面に強力な不意打ちを受けた高見と、後頭部のダメージと顔面に拳がめり込んだ勇麻の二人の呻き声が響くのだった。


「「な、なんでこんな目に……」」



☆ ☆ ☆ ☆



 誤解を解いている間にアトラクションの順番がやってきた。

 顔中をボコボコに腫らして青痣まで作り、列に並んでいる間に三回ほどスタッフさんから引き気味に「だ、大丈夫ですか? ……救護室行きます?」と尋ねられた。

 そんなむっすーっとした勇麻の肩を大笑いしながら泉が何度もバンバン叩く。痛い。 


「あっはははははっ、まあ勇麻、そうフグみてぇにむくれるなって。いやー、俺はてっきり勇麻がアリシアが見てる前で犯罪行為に走ったのかと思ってよ」

「あ、あははー、流石に勇麻くんはそんな事しないよ……」


 何とか深刻なエラーから復帰した楓が苦笑しながらフォローを入れる。

 できればさっきの勇麻の馬鹿げた提案もこんな感じで軽くいなしてくれればありがたかったのだが、今更そんな事を言っても後の祭りだ。


「なんで俺がそんな事するんだよ。あと、フグみたいになってるのはお前らのパンチで顔が腫れたからだ」 

「だから怒るなって、勘違いだよ勘違い」


 勘違い云々に、泉は最初から状況が分かっていたような気がする勇麻としては、どうにも釈然としない。

 そしてさらに釈然としないのは……。


「そうだよ兄ちゃん。あの泉センパイがこうして珍しく謝ってるんだからさ、いい加減に許してやりなよ」

「勇火、お前に関しては何で我関せずみたいな顔してる訳?」

「ありゃ、バレた……?」

 

 全体的に反省する気配が微塵も感じられないアホ二人。

 勇麻は深いため息を吐くしかない。

 

「いやいや、ユーマ。溜め息つきたいのは俺っちの方だってば。だって俺っちのは完全に二次災害だかんね? パシらされて挙げ句の果てに人間クッションとか扱い酷くね? ねえ? 酷くね?」


 顔面で勇麻を受け止めたダメージが大きく残る高見が、違和感が残っているらしい首をさすりながら勇麻に加勢する。

 珍しく勇麻も高見に乗っかり、


「ああ、酷い。この扱いは酷すぎる。今日の事といい、今までといい……、特に泉修斗の横暴はそろそろ見逃せないレベルまで来たねっ、そこで俺らとしては、そこの両名に正式な謝罪を要求するっ」


 ビシッ、と指を突き付けてそう宣言する勇麻。


「さあ、まるで社畜のようにビシィ! と頭を下げていただこうか……ッ!」

「いいや、ここは土下座だね! 俺っちは土下座を要求する」

「馬鹿高見お前、相手は泉だぞ!? 流石に土下座は殺されるだろ考えろ!」

「……確かにそう言われると土下座はやり過ぎた感があるんだぜい……。土下座はやっぱ却下で!」


 順番間近だと言うのにどんどんヒートアップしていく両名を、楓はなだめようと、


「ちょ、ちょっと二人とも、落ち着いて……」


 しかし馬鹿二人は聞く耳を持たない。そもそも楓の声は辺りの雑談と二人の無駄にデカい声にかき消されてしまう。

 そして普段とは違い、数的不利から念願の脱出を果たした高見は笑って、


「土下座のかわりに、俺っち達二人に今すぐジュースを一本奢る事を要求する! ほらほらシューちゃん、喉が渇いたから今すぐ俺っちに炭酸買ってこーい!」


 仲間が出来た事で調子に乗った高見がへらへらムカつく顔でそう叫ぶのを見て、「あ、これはもう泉くんキレるな……」と楓が長年の経験から得られる確信を持った所で。

 予想通りに、


「……分かった」


 これまで二人の攻撃に黙っていた泉修斗がのそりと動きだす。


「……確かにお前らには申し訳ない事をした。あぁ、ジュースと言わずにケガした分の医療費くらいは払ってやるよ。だから……今すぐ救急車に乗れるくらいの重傷負いやがれ! このクソ野郎ども!!」

「ひっ、ひっぃいいっ!!? せ、戦略的撤退!?」

「ば……高見お前、自分だけ逃げるなっべばっぁッ!!?」


 本日二度目、勇麻の身体が宙を舞って、


「へっへー、すまんねユーマ。逃げるが勝ちってもんべぼらッ!?」


 逃げようとした高見の上に正確に落下した。


「おおー、ナイススナイプなのだ」


 二度目の暴力騒ぎに騒然となるアトラクション内で、アリシアの場違いな歓声だけが響いた。



☆ ☆ ☆ ☆ 


 

「楓、……凄かったな『トースターコースター』!」

「うん、けっこう速かったよねー」

「む、わたしはまだ若干ふらふらするのだ……」

「アリシアちゃん、乗ってる間ずっと無言で固まってるんだもん。ちょっと心配しちゃったよ」

「うむ。正直言って三回は死ぬかと思った。……特に首にぶら下げてた『天智の書』の角が風に煽れら私のおでこに命中した時は……」

「が、外的要因って言うより、内的要因だね……。ええっと、というかその本、ジェットコースター乗るときは危ないから外したほうがいいと思うんだけど……」


 楽しそうにアトラクション内から出てくるアリシアと楓。

 二人は目をキラキラと輝かせて、(何故かアリシアだけおでこに真っ赤な跡を作り……)興奮冷め止まやらぬ様子で『トースターコースター』に乗った思い出と感動を共有していた。

 ……というか、会話の内容から察するに、アリシアは『天智の書』を首にぶら下げたまま乗ったようだが、一体どうやって持ち込んだのだろう? 


 そして、感動と興奮を誰と共有する事も泣く、そんな楽しげな二人の様子を出口付近の休憩用ベンチからどんよりと眺める男衆四人組……。

 

「……なあ、泉、勇火、高見」

「あ? なんだよ」

「俺達さ、今日はとりあえず休戦協定を結ばないか?」

「ああ、俺っちもそれで異論はないぜー」

「……争いの火種持ち込んだ人が飄々と何言ってるんですか。まあ、俺もそれでいいですけど、ていうか、最後の俺は巻き込まれただけなんですけどね」

「おい、勇火。そういうのやめようって言ってんだよ。第一、お前だって俺の事殴ってるから同罪だからな?」

「弟として兄ちゃんが間違った方向に進まないように教育するのは義務だから。だからアレはノーカン」 

「あれ? おかしぞ。いつから立場逆転してたんだ?」

「俺が生まれた時からでしょ」

「……。よし、ここは兄の威厳を見せつける為に、この生意気な弟を泣かしちゃえばいいのか?」

「あー、ごちゃごちゃうるせえ!」


 泉が絶叫し、ごちゃごちゃ好き勝手に言い合っていた皆の視線を集中させる。

 彼は、これまでの結果と全ての意見をまとめるように、


「とりあえず、だ。もうアトラクション手前でスタッフにつまみ出されるなんて悲劇を味わう訳にはいかねえ。いいかテメェら、覚悟を決めろ。ここはネバーワールドだ。普段どれだけの犠牲を支払ってここまで来ていると思ってやがる。それが今回、たまたま楓のおかげで少ない犠牲に済んでいるからって、少したるんでるんじゃねえのか? 犠牲の大小に関わらず、この場所の価値は変わらねえ。それを思い出せ。……いいかテメェら。この遅れを取り戻す為に、俺達はより一致団結する必要がある!」


 その言葉に、誰かが息を呑んだ。

 その言葉に、誰かは拳を握りなおした。


 泉の真剣そのものな瞳が辺りを見渡す。

 そこにはもう、つい先ほどまで互にいがみ合い、掴みあっていただけの烏合の衆はいなかった。

 皆が皆、泉の眼差しの意味を理解し、それに応えるように、確固たる意志を宿した瞳で見つめ返している。


「いいか、今日一日、暴力はなしだ。全力でネバーワールドを楽しむぞ!」

「「「おお!!」」」


 今ここに、バラバラだった男どもの意志が一つになった。

 ここは天下の『ネバーワールド』! 馬鹿高い入場料を払わなければ訪れる事すら敵わない、学生の聖地。

 これ以上、限られた時間を、何より支払った犠牲を無駄にする訳にはいかない!

 

「なんかカッコいい感じでまとまってますけど、これって結局おか……」

「みなまで言うな勇火! 所詮貧乏学生なんて、どこでもそんなモンだ!」


 ノリノリで叫ぶ馬鹿共の暴走は、一回アトラクション出禁を喰らった程度じゃ終わらないのだ。


「はぁ、何やってるんだろ。あの人達……」


 めずらしく、遠くから見ていた天風楓が呆れた様子でそう呟いていた。



☆ ☆ ☆ ☆


 中学生くらいの童顔の少年が、人でごった返したネバーワールド内を散策していた。

 それ自体は別段珍しい光景ではない。

 ネバーワールドは夏休みの学生にとっては聖地のような場所だ。最近では中学生はおろか、小学生でさえ普通に友達同士のグループで訪れる。

 だから、別におかしな事なんて何もない。そのハズだったが……。


「うん。上空から眺めた時も綺麗だったけど、やっぱりこうして直に園内に入らないと分からない良さもあるよね! うん。『百聞は一見にしかず』なんてことわざが日本にはあるけどさ、そのことわざの意味だって、きっと聞いただけじゃ分からないと僕は思うんだ。うん。こうして何事も実際に経験を積むことが大事なんだよ。『百聞は一見にしかず』ってことわざの意味を受け止める為にも、こうしていろんな場所に出向くのは素晴らしい事だと思ったね! うん」


 人らしい体温を一切感じさせない黒に塗りたくられたような、嫌にぱっちりとした漆黒の瞳を大きく見開き、その少年、寄操令示は興奮気味にそう言った。

 そうして喋っている間にも、寄操の視線は様々な物へ目移りしていく。

 煌びやかな装飾。豪勢な建物。ゲートからパーク内に入った直後だというのに、ここからでもその巨大さで周囲を圧倒する山を模した人気巨大アトラクション。さらには真横を通り過ぎる少女や少年、親子連れにカップルにおじいちゃん。さらには小さな手に握られた風に揺れる赤い風船。


「いやぁ、楽しいなぁ。うん。遊園地に来るのは生まれて始めてだけど、こうも楽しいなんて知らなかったよ! きっと『新人類の砦アドバンスフォートレス』に籠っていたら、この楽しさを知る事はなかったんだろうね! うん。そう考えると、タカミンには改めて感謝だよ! ねえ……って、あれ? 僕ってば、誰に向けて話してたんだっけ?」


 不意に、会話相手がいない事に気が付き周囲を見渡す寄操。だが、ぐるりと辺りを見渡しても、そこには誰もいない。結果的に大きな声で独り言を喋っていた事になる寄操は、おかしいなーと首を傾げて、


「……寄操さん、話してたの、多分アタシ……」


 不意に真後ろから囁き声のような声が聞こえてきた。

 つんつんと細い指先で肩がつつかれ、寄操はびくりと身体を驚愕に震わせ、下手な演劇のようにオーバーに驚いてみせた。

 大袈裟な腕と脚の動きで驚愕具合をしっかりアピールしている。普通の人間なら嫌悪感すら抱くレベルにワザとらしい。


「おわっ!? ……と、びっくりしたなぁ、もう。トーカちゃんてば心臓に悪いからいきなり消えて、いきなり現れるのやめてよね。うん」


 トーカちゃん、と呼ばれた大学生くらいの猫背の女性は、瞳を隠すほど長い前髪の隙間から囁くように、


「……ごめんね、楽しくなっちゃって、消えてた……」

「トーカちゃんてば、毎度毎度単語を省きすぎなんだよね。うん。僕みたいな仲良しさんじゃなかったら、中々解読できないよ? うん。そんなんじゃ僕以外の友達できないぞ?」

「……と、ともだち……アタシと、寄操さん……?」

「そうだよ。全く、僕がいないとトーカちゃんは本当にダメだな……って、あれ? トーカちゃん? 何でまた消えかけてるの? あれ? あれれー?」


 寄操が一瞬目を離した隙に、トーカちゃん――薄衣透花うすいとうかの姿が視界から消滅してしまう。

 何かマズイ事を言ったかなー? と首を傾げる寄操。

 しかし寄操が薄衣の奇行に頭を悩ませたのは僅か数秒足らずだった。


「……まあいっか。あれ? 何がまあいいのかも忘れちゃったけど、まあいいよね! うん。どうでもいい事だからこそ、こうして綺麗さっぱり消しゴムで消したみたいに忘れちゃったんだろうし。うん。というか、僕は記憶喪失系主人公が嫌いなんだよね。うん。どうせ主人公やるならハーレム系がいいかな! うん!」


 一人でペラペラと言葉を並べたてながら、寄操は楽しげに歩き回る。


「……」


 ふと、寄操の漆黒の瞳が何かを捉えた。

 興味の対象が完全に視線の先の物へと移行したらしく、寄操は通路の端に植えられた植林の方へと歩いていく。

 そこにいたのは今にも泣きじゃくりそうなピンクのスカートが愛らしい幼女だった。

 幼女は突然無言で近づいてきた寄操に気が付くと、彼を怯えたような目で見つめて、


「はい、これどうぞ」


 寄操は木の少し高い所に引っ掛かっていた青い風船を背伸びして取ると、それを今にも泣きそうな女の子に手渡した。

 寄操はニッコリと、その年齢の人間が浮かべるには気持ち悪いくらいに純粋で綺麗な笑顔を浮かべて、どこかポカーンとしているその女の子に話しかける。


「もう離しちゃダメだからね。うん。今度は気を付けてね」

「うん。あ、ありがと、おにいちゃんっ」 


 風船を手に、少し先でキョロキョロと辺りを見回している両親の所へと駆けていく幼女。寄操は小さくなっていくその背中に微笑ながら手を振って、


「……寄操さん、優しい、壊すのに……」

「ん? ああ、トーカちゃんか。うん。どこ行ってたのさ。僕、一人で寂しかったじゃないか。うん」

「……寄操さんが、言うから……あんな事……」

「? 僕何か言ったっけ?」


 恥ずかしがるように身をよじる薄衣に、寄操はその顔にどこか気味の悪いマネキンのような笑みを張り付けたまま、とぼけたような顔で首を傾げる。

 一見ふざけているように見えるが、彼は至って真面目に薄衣の言葉の意味が分からないらしい。うーんと唸って、言われた言葉の意味を自分なりに解釈しようとしているようだ。

 が、薄衣としては今更掘り返されるのは恥ずかしいらしく、どうにか話の軌道を修正しにかかる。 


「……なんでもない、それより、さっきの子を助けたのは……?」

「ああ。だって、見過ごせないだろ? うん。普通、目の前で困ってる子がいたら、年上として――いや、人として、手を差し伸べてあげるのは当たり前の事だと思うんだよね。うん」

「……ここ、壊して、みんな殺すのに……?」


 寄操の真意を問いただすような質問に、寄操はあくまで気軽な調子で笑って、


「いやだなあ、トーカちゃん。それとこれとは関係ないだろ? うん。例え僕がこれからこの遊園地内の人間を皆殺しにするとしても、それが目の前で困っている誰かを助けてはいけない理由にはならないと思うんだよね! うん」


 寄操令示は、薄衣の問いかけに自信満々にそう答えた。

 自分の言ってる事がどれだけズレているのか、きっとこの少年は全く理解していない。

 自分の考え方が至極一般的で、何一つ間違ってはいないと彼は確信しているのだ。

 人を助ける事は美談であり美しい行為であって、綺麗な物をぶち壊す瞬間もまた美しく綺麗なのだから。

 彼の中では、この相反する二つの行為が、『綺麗』というカテゴリーの元に一括りで分類されてしまう。

 

 そこには、母犬の死骸を踏みつけながら、その子犬を可愛がるような、そんな吐き気を催すような異常が含まれている。

 その異常さに、やはり彼は気が付かない。

 そして薄衣という女も、


「……寄操さん、流石、凄い……」

「そう? いやあ。そうやって直に褒められると照れるなぁ。うん。あ、でも褒めても何もでないよ? ……あ、今度ジュース奢ってあげるよ! ほら、果汁一〇〇パーセントのおいしいヤツ! 特に理由はないけどね! 褒められたから気分良くしたとか、そんなんじゃないからね! うん」

「……はい。ありがたく、頂きます……」


 類は友を呼ぶというが、寄操令示のこの異常さを許容できる人間はそうそう存在しない。だがこの薄衣という女のもまた、寄操とは違ったベクトルで異常さを秘めているのだろう。

 そもそもの常人には、寄操令示に付いて行こうという考えがまず浮かばない。この異常な男の仲間として行動を共にしている時点で、その人物の異常性も垣間見える。

 そういう意味でも、彼らの『ユニーク』という組織はかなり異質な存在だと言えるだろう。


「さあて、満漢ちゃんの言うように決行を少しばかり早めてみたけど、うん。どうかな? タカミン、驚いてくれるかな?」

「……大丈夫、いいサプライズ、なる……」


 楽しそうに、それこそ友達に内緒で誕生日パーティーの企画を進めるくらいのノリで話す寄操に、薄衣はそう返した。


 子供たちの幸せそうな笑い声がこだまするこのネバーワールドに、静かに、だが確実に脅威は迫っていた。  

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