第二話 記憶に残る一日の始まりⅡ――突撃!ネバーワールド!!
高見は結局その場の流れに逆らう事ができず、優先券を取りに別行動。そしてスタートダッシュ組は壮絶なじゃんけんの末、泉と勇火がその役を担う事となった
勝ち誇る勇麻と悔しがり地団駄を踏む泉のやり取りを冷静に勇火が中断させ、二人は割と全速力で目的のアトラクション、『トースターコースター』へと向かって行った。
よって今現在、勇麻とアリシア、そして楓の三人は特に何の役割もなく優雅にパーク内を歩いているのだった。
「わぁ……」
押さえきれなかった感嘆の声が、アリシアの薄氷のように儚い唇から漏れる。
事ある毎にアリシアが足を止め、キラキラと目を輝かせて物珍しげに色々な物を眺めている。
白く美しい髪の毛を靡かせ、あっちに行ったりこっちに行ったりと大忙しだ。
その表情は勇麻でなくても分かるくらいには嬉しげで楽しげで、
その後ろ姿をこうして眺めているだけで、何か勇麻の心に暖かな物が満たされていくような気がしていた。
長い間創世会の手によって監禁されていたアリシアにとって、遊園地は初めての経験なのだ。
見る物全てがアリシアにとっては掛け替えのない物で、この景色全てが輝いて見えているのだろう。
そんなごく当たり前のことを、ごく当たり前にアリシアという少女が享受できることが、勇麻にとっては何よりも喜ばしい事なのだ。
ズキリ。
(……?)
ほんの一瞬、何か胸の奥に突っかかりのような物を覚えた。
だがその感覚も、勇麻が正体を探り当てる前にするりと指の隙間から抜け出してしまう。
何かの勘違いだったのだろうか……。
とまあ、アリシアのペースに合わせて進む一行は、極めてゆっくりと集合場所へと向かっていた。
特にこれと言った問題もなく、障害もなく、一行は進む。
いや、
強いて言うなら、一つだけ問題があった。
勇麻達一行を見て、足を止め声を掛ける少年がいた。
「あ、ポスターのおねーちゃんだー」
少女がいた。
「あ、さいきょーのおねーちゃんだ」
それも一人や二人ではない。
「あ、シーエムのお姉ちゃんだ」
「あ、あはは……。こ、こんにちは~」
楓は困った顔にどうにか笑顔を浮かべながら、子供達に手を振りかえした。
先ほどから楓は、子どもとすれ違う度に声を掛けられ、やたらと騒がれているのだ。
楓に視線を向けているのは何も小さな子どもだけではない。中高生くらいの年齢の人達もこちらを時々チラ見しているのが気配で分かる。
「お前って、本当に有名人なんだな」
「うぅ……、わたしだってなりたくてなった訳じゃないよー」
少しばかり驚き感心した様子の勇麻の言葉に、楓はガクリと肩を落としてうな垂れた。
まあ確かに、大勢の視線という物は、良い物だろうが悪い物だろうが居心地は悪いだろう。
好奇の視線を直接浴びてもいない勇麻ですら、どことなく落ち着かないのだから楓が嫌な顔をするのも分かる。
なぜこんなにも楓が注目の的になっているかと言うと、答えは簡単だ。
「うぅ……、あの時、意地でも断っておくべきだったんだ……」
「そう言うなよ。そのおかげで入場チケットもタダで貰えたんだろ?」
「それはそうだけど、……やっぱり恥ずかしいよ……」
楓についているスポンサーの会社の一つは、ネバーワールドを運営している会社だ。今回楓がチケットをタダで貰えたのも、楓がその会社のCMとポスターにイメージガールとして映っているからだ。
そしてその宣伝の結果が、先ほどから続く怒涛の声掛けラッシュなのである。
CMを撮影した時とは服装が違うし、きっと分からないだろうと高を括っていたようだが、天界の箱庭公認の『最強の優等生』の認知度は伊達ではなかったらしい。
本人、つまり楓自身がメディアへの露出をあまり好まない為、CMへの出演だったり、ポスターのイメージガールを務めた事自体がかなり珍しい事態なのも原因の一つかもしれない。
……何でも一部のマニアの間では大騒ぎだったとか。
彼らが何のマニアだったのかは天風楓の名誉の為、ここでは黙秘させていただく事とする。各々勝手に想像してほしい。
ちなみに何故今回は了承が出たのかと言うと、会社側が学校側に話を持ちかけ、正式な依頼が学校側から楓に届いたからである。
学校側も、楓の存在はいい宣伝になると踏んだのだろう。しかもネバーワールドの広告として使うというのだから、形はどうあれ、これから入学する可能性のある小中学生に向けた良いアピールとなる。
楓としても学校側から半ば命令のように指示され、それを断れ切れなかった結果、いつの間にかイメージガールとしてCMやらポスターやらに映ったりしてしまっていたらしい。
先ほどまで大勢でいた時に声を掛けられなかったのは、きっと泉の顔が怖かったからだろう。
泉が消え勇麻だけになった事でガードが薄くなったのだと、子供達は直感的に感じ取ったのかもしれない。
そんな風に勇麻は適当に考えた。
まあ、また泉たちと合流するまでの我慢だな、と楓を励ましつつ歩く三名。
しばらくすると、楓に声を掛ける人も減ってきた。皆、アトラクションに夢中なのだろう。
するとここで勇麻たちの先頭に立ち、興味津々に視線を周囲に彷徨わせていたアリシアが、歩く速度を落として勇麻の横にやってきた。
隣に並んだアリシアは、勇麻の洋服の裾を引っ張りながら勇麻を見上げるような形――すなわち上目遣いで口を開いた。
ちなみにこの上目遣い、勇麻とアリシアの背丈の関係上起きてしまう現象であり、特に他意はないのがポイントだ。
そう、決して他意はない。
「なあ勇麻」
「なんだアリシア」
「開幕ダッシュ? とやらをやるのだったら、楓の『神の力』で運んで貰うのが一番速かったのではないのか?」
確かに、楓の干渉レベルAプラスの神の力、『暴風御手』の力を解放すれば、高速で空を飛び、一瞬で目的地へ辿り着けるだろう。そう考えるのも別におかしい事ではない。
だが、ここネバーワールドにはいくつかの不文律が存在する。
アリシアの質問に対し勇麻は、
「まあそれもそうなんだけどな。ネバーワールドじゃ基本的に神の力の使用が禁じられてるんだよ」
話題に出された楓も、若干苦笑いで、
「みんながみんな、好き勝手にパーク内で『神の力』を使ったら、パニックになっちゃうでしょ? それに、ここは天界の箱庭随一の観光スポットでもあるから、神の能力者じゃない一般人も遊びに来るの。この街の住人ならともかく、一般人の人達の前で神の力を使うのはあまり良くない事だから……」
最後の方がやや聞き取りにくいのは、楓自身、一人の神の能力者として複雑な思いがあるからだろう。
未だに普通の人間と神の能力者の間に横たわる溝は大きい。
天界の箱庭は一部エリアのみを一般の観光客に向けて解放しているが、それも神の能力者に対する差別の意識を少しでも和らげようという試みの一環なのだそうだ。
楓は、自身に神の力が宿っている事が親に発覚して、兄と二人で施設に預けられたという過去を持っている。
その直後の兄の出来事のインパクトが大きすぎたせいで印象は薄いかもしれないが、楓も神の能力者の差別問題の被害者だと言えるだろう。
神の力に関して理解のあった親を持つ勇麻ですら、弟を見る周囲の目が怖かったというのに、親からも恐れられた楓がそれで傷ついていないハズがない。
「ふむ。だから泉も弟くんも、何も力を使わないのか」
「ま、そういう事だな。こんな場所で泉に神の力なんて使われたら、あっつくて迷惑だろ?」
「うむ。確かに」
「暗黙の了解ってヤツだな。だから泉も勇火も力を使おうとしないんだ。……それに、ネバーワールド内にはある種の安全装置が働いていて、あるレベル以上の神の力を使おうとするとエネルギーを吸い取られて不発に終わっちまう、なんて噂もあるくらいだしな」
「もう、勇麻くん。そっちは単なる都市伝説でしょ?」
楓がふざけた勇麻に釘を刺し、
「まあそんな訳で、皆ネバーワールド内では神の力は使わないんだよ」
勇麻と楓の説明で納得がいったのか、アリシアは、
「なるほど、そういう事だったのか」
と、一人得心を得たような顔をしていた。
が、アリシアの質問攻撃はこの程度では終わらなかった。
「……む、勇麻。神の力と言えばなのだが」
と、アリシアが不意に何かを思い出したような声をあげた。
が、勇麻は全て聞く前に、それを軽くあしらってしまう。
「ん? なんだよアリシア。もう疲れたか? 残念だけどいくら俺の神の力が身体能力を強化するからって、流石にアリシアを一日中おんぶする訳にはいかないからな。自力で歩いてくれよ」
「む、違うのだ。勇麻は私を馬鹿にしすぎだ。私はもう子どもではないのだぞ」
「ならシャンプーハットはもう卒業でいいな? そうかそうか。じゃあ今日帰ったらさっそく燃えるゴミに……」
「そ、それはあんまりなのだ! 勇麻は私に失明しろと、そう言うのか! この人でなし!」
あまり表情を変えぬまま慌てるという大道芸を披露しつつ叫ぶアリシアを、勇麻はニヤニヤしながら適当に受け流す。
まさに大人と子供のやり取りだが、そんなやり取りを聖母のような微笑みで楓が見守っている事に、両者は気が付かない。
「って、……そうではなくてだな、泉も楓も弟くんの神の力も知っているが、高見の神の力はどういう力なのだ?」
お子様ボディが何か言っているが、そちらはまあひとまず置いておく事にしよう。
アリシアと高見は今日が初対面という訳ではない。なんだかんだ高見が勇麻の入院中にお見舞いに来たり、家の方に遊びに顔を出したりしている為、勇麻が知らないうちにアリシアと高見は顔見知りになっていたのだ。
……まあ、もっとも。泉がラーメンと餃子の誘惑に負けたせいで黒騎士戦の直後から、高見はアリシアの事を知っていたのだが。
とは言えまだ出会ってから日が浅いのは事実だ。高見の神の力をアリシアが知らないのは当たり前だろう。
勇麻はどこか猿顔の友人を頭に思い浮かべながら、
「高見の神の力ねえ。アイツの力は……ほら、ええっと……何だっけ?」
「ゆ、勇麻くん……」
眉を寄せながら首を傾げる勇麻。そして友達の神の力が分からないなどと言う、そんなふざけた事を尋ねられた楓は少し脱力したように息を零しながら、
「もう、わたしより付き合い長い勇麻くんが忘れてどうするの?」
「い、いやー。おっかしいなー。全然思い出せないんだよな……。何だっけ? 念動力とか、思念会話とか、なんか地味ぃーな感じのだっけ? アイツ」
「全然違うよ勇麻君……、高見君の神の力は、……神の力は……あれ? なんだったっけ?」
表情がどんどん曇っていき、最終的には困り顔で首を傾げて固まる楓。
人の事を全く言えない干渉レベルAプラスの御嬢さんに、勇麻はほらみろとでも言いたげな顔をして、
「楓だって忘れてるじゃねーかよ」
「あ、あれ? おかしいな……」
必死で思い出そうとしている楓とは裏腹に、勇麻はどうでもいいと考えているのか、軽い調子で笑って、
「まあ、高見の神の力なんて、皆から忘れられるくらい大したことないって話だ。案外、自分の神の力を相手に忘れられるって神の力だったりしてな」
「うむ。確かにそれなら皆知らなくて当然なのだ」
「もう、必死で思い出そうとしてるのに、二人ともふざけないでよ~」
くだらない話をしながら、人ごみの中を三人は歩く。
夏休みというだけあって相変わらず凄い人ごみだが、丁度お盆休みを過ぎている為ピーク時ほどは混雑していないらしい。
天界の箱庭の外からの観光客もよく訪れるらしいのだが、子どもはともかく世間はもう夏休みは終了している大人がほとんどな為、外の人間はそこまで多くはないようだ。
なぜそんな事が分かるのかと言われると説明に困ってしまうのだが、天界の箱庭で暮らしている人間と外から来た人間とでは、何となく雰囲気が異なる。
この街に住む住人ならば、一目見ただけで大抵の部外者は見抜くことができる。
パーク内は細かい内装までよく凝っていて、こうして歩いて辺りを眺めているだけでも楽しむ事ができそうだ。
至る所に緑の帽子を被ったパンの妖怪みたいなキャラクターをあしらったエンブレムだったり、紋章だったりがある。
いちいちそれアリシアが止まってそれを指差し、隣の楓が笑顔で何か楽しげに言葉を返していた。
それを斜め後ろから見ているだけで、今日ここに来て良かったと勇麻は心から思った。
「む、勇麻。このピーターパンの帽子、私も欲しいのだ」
ふと、道の途中にあるお土産屋で足を止めたアリシアが緑色の帽子を指差してそう言った。
パーク内には至る所に出店のようなお土産屋が出ていて、アトラクションを回りながらでも買い物ができるようになっている。
高度な罠だと知りつつも、せっかくネバーワールドに来たのだからと言って罠にハマり買ってしまう人も多い。
値札を見るまでも無く漂う地雷臭に、勇麻の顔が嫌そうに歪む。
……ちなみにピーターパンとはパンの精霊ピーター=サンの通称である。ファンの間では親しみを込めてそう呼ぶ人が多く、それが世間一般にも広まったのだそうだ。
「だめだアリシア。そんな帽子買ったって、ネバーワールド以外じゃ使わなくなるのが目に見えてます。お土産が欲しいなら、そこのキーホルダーとかハンカチとかクッキーとかにしたらどうだ?」
「む、そんな事はないぞ勇麻。別に私はこれを被っていても街中を歩ける自信がある」
カチンときました、とでも言いたそうにほんの僅かにアリシアの眉が動く。
アリシアと出会ってだいたい一か月が経過するが、ようやく彼女の感情と表情の変化を察知できるようになってきた。
もっとも、アリシアの表情も少しずつ柔らかくなってきているのだが。
「いや、お前が外を出歩く時って大抵俺も一緒じゃん。その帽子被ったヤツと一緒に歩くのがもう何か嫌なんだって」
「むむむ……勇麻が我儘を言う。楓からもなんとか言って欲しいのだ」
「えっ、わたし?」
「おい、どう考えても我儘言ってるのはアリシアさんの方だよ?」
「うーん、今回のネバーワールドはアリシアちゃんへの感謝のしるしでもあるんでしょ? だったら帽子くらい買ってあげてもいいんじゃないかな……?」
急に意見を求められ少し困ったように眉根を寄せながら、苦笑い気味に楓は言う。
するとその発言に、待ってましたとばかりにアリシアが食いついた。
「む、流石は楓なのだ。良い事を言う。勇麻、ここは多数決の原理にのっとって潔くピーターパンの帽子を買うべきだと私は思うのだ」
「くっ、数の利で攻める作戦、だと!? ……こ、こんなの横暴だ。しょ、少数意見の尊重をだな……」
「ふむ、勇麻よ。この長い人間の歴史の中で、過半数の意見を押し切って、少数意見が通ったためしがあったか?」
「世知辛い!? やめて! なんか色々辛くなるからやめて!! せっかく子どもの国に来たのに大人たちの汚い現実を俺に見せないでーッ!?」
「あ、アリシアちゃんがいつになくブラックだよ……って、ゆ、勇麻くんも頭抱えて勝手に走り出さないでよー!」
耳を塞いで首を横に振りお土産屋から逃走しようとする勇麻を、急いで追いかけた楓がどうにか引きとめる。
「……?」
腕に抱きつくようにして勇麻の動きを封じる楓の顔が、どことなく嬉しそうでミニトマトみたいに真っ赤になっている事に、二人を眺めて首を傾げるアリシア以外の人間は気が付かないのだった。




