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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第一章 英雄ノ帰還ト亡霊
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第五話 非日常、開幕Ⅲ――決着、そして微笑むのは……

 ナルミとイルミは双子の姉妹だ。


 彼女達は物心ついた頃から神の力(ゴッドスキル)を使う事が出来た。

 姉のナルミは賢い子どもだったので、何となくだが、この特別な力は人前で使うべきではないんだなー、ということを理解していた。

 また、妹のイルミはお姉ちゃんっ子だったので、姉ナルミの言う事を素直に聞き、人前では決して神の力(ゴッドスキル)を使わず、どこにでもいる普通の子供を演じた。

 二人は両親にも自分たちの力の事を言わずにいた。

 言ったらこの幸せな生活が崩れ落ちてしまう気がして、話すことが出来なかったのだ。

 

 イルミとナルミの二人は、両親が仕事で出かけている間のみ、自分たちの部屋で神の力(ゴッドスキル)を使った。

 他の人には絶対にできない事を、自分たちだけはできる。

 自分たちだけが特別な力を持っている事がどうしようもなく嬉しくて、またとても楽しかった。

 神の力(ゴッドスキル)を使って遊ぶことが他のどんな遊びよりも面白くて、彼女達は両親がいない時は決まって神の力(ゴッドスキル)を使って遊んでいた。

 彼女達の家は裕福だった。

 欲しい物は何でも手に入った。

 オモチャと、友達も、美味しいご飯も、全部何もかもに手が届いた。

 

 優しい両親にお金持ちの家庭。そしてアニメや漫画の主人公のような特別な力。

 幸せだった。

 彼女達は自分たちのこの幸せが、どこまでも永遠に続いていく物だと信じていた。

 信じて疑わなかった。

 だが、そんな少女達の幻想は儚く打ち砕かれる事になる。

 イルミとナルミ、小学一年生の夏だった。


 そこである事件が起こる。


 両親の留守中に家に侵入した強盗から妹を守ろうとしたナルミが、神の力(ゴッドスキル)を使ってその強盗を惨殺してしまうという事件が──全ての日常を破壊した。


 家に帰った両親が見た物は、部屋の片隅で血塗れになりながら抱き合い、泣き続ける双子と――ワイヤーによって体を七つに切断された強盗の、見るも無残な死体だけだった。


 イルミとナルミが虐待にあい、両親に捨てられて孤児になるのに、そう長い時間は掛からなかった。


 二人は世界に絶望した。

 自分たちを捨てた両親を憎み、全ての元凶となった強盗と、自分たちの持つ神の力(ゴッドスキル)なんていうふざけた力を呪った。

 世界の全てが彼女達の敵だった。

 路上にいた所を施設の人間に保護された時は助かったと思った。

 でも、異常な力を持つ子供に対して世間は冷たかった。

 ナルミとイルミが神の能力者(ゴッドスキラー)だと判明した途端、施設の人間から虐待を受けた。

 イルミに手を出された事にナルミがキレて、思わず施設の職員をその場で半殺しにしてしまい、必死に逃げてきた。

 それからはホームレスに混じっての路上生活が続いた。

 ゴミ箱の中身を漁り、カラスと食べ物を奪い合った。

 泥をすすり肩を寄せ合って寒さを耐え、他人の物を盗み『生』を繋いだ。

 人を殺して金や食料を奪ったのも、一度や二度ではない。

 そんな身の切れるような暮らしの中、このまま死んでしまったほうが楽なのでは、と何度も思った。


 それでも彼女達が生きる事を諦めなかったのは、ナルミにはイルミが。イルミにはナルミがいたからだ。

 

『イルミだけは何があっても守り抜く。この絆だけ手放さない』

『ナルミが傍にいてくれる限り、私が全力で支え続ける。絶対に一人にはしない』


 二人で助け合い支え合いながら、彼女達の地獄のような生活は三年間に渡って続いた。

 やがて彼女達は天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)に保護されるのだが、殺しと暴力と盗みの世界で生きてきた彼女達が、突然訪れた平穏に違和感を感じ、暗部に落ちていくのにそう時間は掛からなかった。


 そして今でもイルミとナルミは、変わらずに思い続けているのだ。

『イルミがいる限り、』

『ナルミがいる限り、』

『『私達は生きて行くのだ』』と。


『『何があろうと彼女だけは守り抜いてみせる』』


それが彼女達の掲げる唯一の正義だった。



☆ ☆ ☆ ☆



 イルミの様子がどうにもおかしい。


「嘘……。嫌だ」


 譫言うわごとのように呟くイルミの目の焦点はどこにもあっていない。

 虚空をさまようように、ふらふらと頼りなく揺れていた。

 勇麻はその様子に眉をひそめる。

 何か、マズイ事が起こるような気がする。


「嫌。ナルミ……。私を、私を……」


 俯きながら呟くイルミの髪の毛が、風も吹いていないのに流れるように逆立つ。


「一人にしないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええッ!!?!」


 瞬間、変化は劇的なまでに訪れた。


「うわっ!? く、そ。なんだよ……これッ!?」


 突如、イルミを中心として円形状の衝撃波が発生し、爆発のような威力で勇麻の体を叩いた。

 身を屈め、必死で堪えているのに、靴底が地面の上を横滑りする。

 まるで台風のように吹き荒れるエネルギーの余波に、ついに耐えきれなくなって勇麻の足が地面を離れた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああッ!?」


 そのまま凄まじい勢いで転がり、はるか後方の茂みに突っ込んでようやくその勢いが止まる。

 かなりの距離を吹き飛ばされた。

 ナルミがそこらじゅうに張り巡らしていたワイヤーが音を立てて切れていく。

 彼女を中心に破壊の嵐が咲き乱れる。 

 

 そしてこの状況を作りだした人物が、敵意を持って勇麻を見据え、目の前に立っていた。


「お前は、許さない。絶対に殺す」


 凄まじい気迫をたずさえた少女を前にして、勇麻は立ち上がる事もかなわず、尻餅をついたような姿勢のままじりじりと後ろに下がった。

 その口からは乾いた笑いしか漏れない。


「なんだよ、これ。仲間の死を前にして心優しき戦士が真の力に覚醒したってパターンですか? まあ、死んでもないし、心優しくもないけど」


 そんな冗談を言わなければやってられない程の、圧倒的存在感。

 さっきまでの少女とは何もかもが違っていた。

 勇麻は身体じゅうにびっしりと冷や汗を掻きながら呟く。


「なんて言うか、ヤバいんじゃないの? コレ」




☆ ☆ ☆ ☆



 夜の公園で行われている戦闘をジッと眺めている黒い影が一つあった。

 この辺りでは一番背の高い木の上に登って戦いを眺める彼の手元には、双眼鏡も何も無い。

 二〇〇メートルは距離が離れているのだが、彼の瞳は闇夜のほうがよく見えるのだ。


「あーあー。射出鋼線ワイヤーハンドのナルミはリタイアっと。全身打撲に、肋骨に胸骨がズタボロ、あばら骨ももちろんボッキボキ。両腕もイッてるな。あーもう最悪だ。半年は使い物にならねーぞ、アレ。絶対俺の仕事増えるじゃねえかよ、面倒臭いな」 


 全身を黒いローブに包んだ不気味に笑う不吉な仮面――――黒騎士ナイトメアは、本当に面倒臭そうに頭を搔いてそう言った。

 部下がやられたというのに、酷く軽い態度だが、この男はいつだってそんな感じなのだ。

 基本的に自分の事しか考えていない。

 

「ていうかイルミのヤツは凄いな。めちゃくちゃな強さじゃん。神の力(ゴッドスキル)が暴走しているのか、それとも……」


 黒騎士ナイトメアはここで興味深いデータと仮説を思い出していた。


「『壁』を越えた神の能力者(ゴッドスキラー)のみが達する事ができる領域……『神化』、か」


 『神化』。

 進化では無く、神と化すと書いて『神化』。

 

 本来、ある程度の強さに達した神の能力者(ゴッドスキラー)は、ある日突然、壁にぶつかったかのようにピタリと干渉レベルの成長が止まるという。

 その成長の止まる境界線ラインは人によって様々で個人差があり、その境界線の事を『壁』と呼称するらしい。

 中には干渉レベルBまで『壁』にぶつからない者もいるし、もっと早い段階、干渉レベルDくらいでぶつかる者もいる。

 その逆に、一生かかっても『壁』にぶつからない者もいる。

 だが、そういう『壁』にぶつからない方が神の能力者(ゴッドスキラー)として有能なのかと言うと、そういう訳でもないらしく、だいたいそういう奴は『壁』にぶつからない代わりに、成長スピード自体が緩やか過ぎるため、干渉レベルC辺りまでしか届かないのがオチらしい。 

 

 そうして『壁』にぶつかった者たちも、そうじゃない者たちも、最終的に自分の中にある『壁』を越える事無く一生を終えるのだ。


 だが、中には例外も存在する。


 ある特定の条件下で、『壁』を破る人間がいる事が確認されているのだ。

 『壁』をぶち破った一握りの者のみが、その身を神の領域により近づけ、『神化』を果たすのだ。 

 干渉レベルAに達する神の能力者(ゴッドスキラー)のほとんどは『壁』を突破し、『神化』を果たしているらしい。


「イルミの『神化』には、姉であるナルミの存在が大きく関わっていたって事か。一定の感情をコードにしているっていう仮説の通り、姉を思う気持ちが彼女を強くするのですってか? いやー、泣かせるねー、うんうん。それにしてもこの暴走状態、『神化』の直後が一番ヤバいって言うのもマジらしいな」


 見れば公園の方では、イルミの理不尽なまでの強さに、東条勇麻が翻弄されていた。

 まるで勝負になっていないのがここからでも分かった。


「にしても『二代目』の完成度はヒッドイな、おい。あーあ、このていたらく。こんなモノならわざわざ俺が手を下すまでもねえよ。てか、イルミに殺されるんじゃねえの? 東条勇麻」


 黒騎士ナイトメアが東条勇麻と戦わずに、こんな所から戦闘を眺めていたのは、東条勇麻の強さが知りたかったからだ。

 彼の実力を測る当て馬として、イルミナルミ姉妹以上に良い駒はいなかった。

 若干計算外だったのは、実力を測る対象である東条勇麻が拍子抜けに弱かったという事だろう。

 あの程度の完成度なら、わざわざ黒騎士ナイトメアが出る必要性は無い。

 部下共に任せておけば余裕で始末できるレベルだ。


「まあ、唯一期待できるとしたらナルミを殴った瞬間、ほんの一瞬だけ見えた、あの赤黒いオーラみたいな現象くらいか。あれをまともに喰らったらヤバいな。当たり所によっちゃあ死んでもおかしくない一撃だったし。てか、『初代』の神の力(ゴッドスキル)にあんなオーラみたいな物は無かったハズだが。アレは一体何だったんだ?」


 黒騎士ナイトメアはしばらく黙って思案していたが、少しして、諦めたように頭を掻き毟りながら大きな声を上げた。 


「あーやめだ、やめやめ。分析やら解析だとかは俺の仕事じゃねえっての。そういう面倒臭そうなのは頭のお堅い連中に任せますよっと」

 

 黒騎士ナイトメアは面倒臭い事と仕事が嫌いだ。

 なぜかと言うと面倒臭いしつまらないから。

 だから自分から仕事を増やすような事などしないのだ。よって、東条勇麻の神の力(ゴッドスキル)の詳細についても、他人任せにすることに決めた。

 だって、考えるの面倒臭いから。

 大きなため息を吐きながら、木の枝の上に器用に倒れ込む黒騎士ナイトメア

 だが、何か面白い物を発見したのか、倒れ込んだ途端に再び大声を上げて起き上がった。

 まるでバネ仕掛けの人形みたいだった。


「おー、これはこれは……ひょっとして本当に殺されるんじゃねえの? 東条勇麻」


 興奮した子供のような叫び声を上げる黒騎士ナイトメアの視線の先では、今まさに追い詰められた勇麻の首元に、イルミの日本刀の切っ先が付きつけられている所だった。

 万事休す。

 このままでは本当に黒騎士ナイトメアと戦う前に全てが終わってしまう。

 わくわくした様子で事の成り行きを見守る黒騎士ナイトメア。 

 だが、彼は何か別の気配を察知したのか、ビクッと体を震わせると、勇麻達とは別の方向に首を巡らせた。

 そしてその視線の先にあったものを認めて、大きく天を仰ぐと、黒騎士ナイトメアは本日一番の大きなため息をついた。


「あーあー、ゲームオーバーかよ。目ェ覚ますのいくら何でも早くないか? 結構な催眠状態に追い込んだハズだったのによ」


 だが言っている事とは裏腹に、黒騎士ナイトメアの声はどこか愉しげな物に聞こえた。

 黒騎士ナイトメアは低く笑い、木のてっぺんから軽々と飛び降りた。

 軽く五、六メートルはあったハズだが、彼にとってこの程度の高さは高さに入らないらしい。

 まるで猫科動物のように、膝をクッションにして衝撃を殺している。


「ま、どっちにしても『二代目』の件は上に報告だな。あの程度の完成度なら、俺らの脅威には成り得ない、って。……“あの程度”のまま、ならな」


 黒騎士ナイトメアは何がそんなに面白いのか、愉悦混じりの低い笑いを隠す事ができない。

 既に興味を無くしたのか、黒騎士ナイトメアは公園で行われている戦いに視線を向けようともしなかった。

 そして彼が地面に降り立った後、少しおかしな事が起こった。

 彼の能力なのだろうか、驚く事に黒騎士ナイトメアは、ズブズブと下半身全てを地面の中に沈み込ませてしまったのだ。

 いや、違う。

 木の“陰”の中に入り込んでいった、と言うのが正しいか。

 黒騎士ナイトメアはまるでモグラ叩きのように、上半身だけを地面から出すという、何ともシュールな状態になっていた。

 

「クククク……。俺が用意した“仕掛け”も、まあくだらない手だが、上手く作用すれば面倒な奴らを一網打尽にできる。東条勇麻、せいぜい死なないように頑張ってくれよ」


 戦いの結末も見ずに、黒騎士ナイトメアはゆっくりと陰の中に沈み込みながらそう言った。

 まるでもう、勝敗が分かっているかのような口ぶりでわら黒騎士ナイトメア。 

 陰の中に消える直前、彼が呟いた言葉だけが余韻のように辺りに残った。 


「まあ何にせよ、愉しくなるのはここからだ。じゃあな、『希望の拳(ホープインハンド)』」



☆ ☆ ☆ ☆



 勝負にならない。

 東条勇麻は彼我ひがの実力を客観的に見比べ、素直にそう思った。

 今戦っている相手は、本当にさっきまで戦っていた相手と同一人物なのか? 

 悪い冗談みたいだった。 

 

「くそ、何だよ! 意味わかんねぇよ! ワイヤーは切れてるんだぞ、なのに何で……何でっ!?」

 

 足場であるナルミのワイヤーは、さっきの衝撃波で既に千切れている。

 イルミの壁面歩行ウォールウォークは、足場が無い状態では何もできないハズだ。

 ハズなのに……

 

 それなのにイルミは、その足で空を掴んでいた。


 まるでピンボールみたいに、次から次へと軌道を変え、高速移動を続けるイルミの姿を、既に勇麻は捉えきる事ができなくなっていた。

 勇気の拳(ブレイブハンド)で動体視力が底上げされているハズの勇麻が、だ。

 繰り出される斬撃に対応しきれずに、ダメージを受ける。

 一撃を貰うたびに、受ける傷が深く大きくなっていく。


 次々と加速するイルミの姿はもう見えない。

 代わりに、月明かりを受けて煌めく彼女の日本刀の輝きの軌道だけが、残像のように勇麻の目にこびりついていた。


(……くる!?)


 光の乱舞の中、凄まじい殺気をその肌に感じ、何も考えずに横合いに思いっきり跳んだ。

 それまで勇麻がいた位置を、日本刀が無慈悲に切り裂いていく。

 躱しきれずに掠った切っ先が、勇麻の背中を浅く切り裂いた。


「くッ!」


 だがイルミの攻撃は終わらない。

 返す刀で、空間を踏みしめまた跳躍。

 ジグザグの軌道を描き、すぐさま追撃を掛ける。

 先の一撃を無理やり倒れ込むように跳んで躱した勇麻に、一瞬で迫る。

 視界の先でイルミの瞳が獰猛に輝く。

 

「死ね」

「マジかよッ! 速すぎだろっ!」


 身体のバネを使い、飛び跳ねるように起き上がり、尚且つ身体を思いっきり反らし、ギリギリのところでイルミの斬撃を躱そうとする勇麻。


「甘い。無駄ッ」


 だが、異常な強さを見せるイルミはそれに反応する。

 刀を振り切る直前、

 もう一歩、空間を踏みしめ前へ。

 日本刀の先端が、勇麻の胸を横一文字に切り裂いた。


「ぐああああああああああああああああああああああっ!?」


 赤がほとばしった。

 身体中を冗談みたいな痛みが駆け抜ける。

 まるで電撃が走り抜けたように、身体の芯が痺れる。

 痛みは燃えるような熱に変わって、勇麻の身体に危険信号を伝えていた。

 傷は今すぐ致命傷になるような物では無かったが、決して無視できる大きさでは無い。

 それでも何とか倒れることなく踏みとどまる。


(痛ぇ、てかいきなり強くなりすぎだろチクショウ……! 俺の方もさっきからやけに体が重いし、一体どうなってやがる)


 そう、普通に考えてこの状況はおかしい。

 いくらイルミが強くなったとは言え、いつもの勇麻なら、その目で捉えきれないようなスピードでは無いハズなのだ。

 なのに、全くその軌道が見えない。

 それだけだは無い。

 身体の反応や動きも、いつもより鈍ってきているのだ。

 それも加速度的に。

 この“何度も経験したことのある嫌な感覚”に、勇麻は心の中で頭を抱えた。


(冗談だろ、まさかこんな時にか……っ!?)


 東条勇麻の勇気の拳(ブレイブハンド)は特殊な神の力(ゴッドスキル)だ。

 勇麻の精神状況に応じて、五感や身体能力を上昇させる事ができる。

 怒りや興奮、快感。勇気ややる気。

 強気な思いや、ポジィティブな感情に呼応するように、勇気の拳(ブレイブハンド)はその力を発揮する。

 ならばその逆は? もし仮に弱気な思いや諦め、絶望などのネガティブな感情が勇麻を支配したら?

 その答えがこのザマだ。 

 

 身体能力の弱体化。

 

 それが勇気の拳(ブレイブハンド)のリスク。

 勇気の拳(ブレイブハンド)とは、勇麻の感情に呼応して身体能力を強化する神の力(ゴッドスキル)では無い。

 勇麻の感情の変化に応じて身体能力を変動させる神の力(ゴッドスキル)なのだ。

 

 つまり、東条勇麻は……


(ふざけんなよ、まさか俺が、この日本刀女にビビっちまったって言うのか)


 だが可能性としては、それくらいしか考えられない。

 そして一度弱気になった心は、そう簡単には立て直す事はできない。

 

「くそがぁッ!」


 思わずそう毒づく勇麻、だがイルミは攻撃の手を緩めない。

 日本刀を上段に構えると、地面を蹴りあげ斜め上に跳躍する。

 何もないはずの空間に足を着け、再び蹴り出す。

 それを繰り返して、まるで透明な円筒の中を進んでいるかのように、ジグザグな軌道で上へ上へと進んでいく。


 そして勇麻の頭上一〇メートル。

 くるりと回転し、天空へ足の裏を着けて、空を一気に蹴り出すと、落下の加速を伴った凄まじいスピードで勇麻目掛けて突っ込んで来た。

 マズイ! そう思った時には勝負は決していた。

 反射的に後ろへ下がった勇麻。

 だが、イルミの姿は落下予測地点には無い。

 背後、気配を感じた時には、既に勇麻の身体は宙を舞い、背中から地面に叩き付けられていた。 

 その首元に日本刀の切っ先が突き付けられる。

 視線を上げると、怒りに満ちた瞳で勇麻を見つめるイルミと目があった。


「俺が後ろに躱すのを予測して、落下の直前真横の空間を蹴って軌道を変えやがったな……ッ!?」

「ナルミをいじめる奴は許さない。絶対に殺す。この手でぶち殺してやる」

「いじめる? ハッ、冗談言うなよ。何の罪も無い子を、寄ってたかって苛めてたのはどこのどいつだ。『自分が嫌な事を人にやってはけません』って幼稚園の先生に習わなかったのか?」

「うるさあぁぁぁぁぁいっ!」


 イルミが吠える。

 勇麻を追い詰めているのはイルミの方なのに、その表情は今にも泣きだしそうな子供のようだった。


「うるさい、うるさい……。あれは、任務。だから、やった」

「任務だったら何やってもいいのかよ。じゃあ上からの任務で姉貴を殺せって言われたら、お前は姉貴を殺すって言うのか」


 言葉に出した瞬間、イルミの日本刀が勇麻の首に軽く押し当てられた。

 薄っすらと血のたまが浮かぶ。


「黙れ。私にはナルミしかいない。私はナルミの為なら何だってできる、誰だって殺せる」


 その言葉と、固い意志の宿るイルミの瞳を見た時、勇麻は全てに納得がいった。


「ははっ」


 思わず乾いた笑みが漏れる。


(何だよ、そういう事だったのかよ。俺は別にコイツが怖かった訳じゃ無かったのか)


 目の前の日本刀女の言っている事は、ただの子供の我儘わがままでしかない。

 全てが自分の思い通りにいかなければ、泣いて癇癪かんしゃくを起して無理を通そうとする、そんな子供に勇麻は怯えはしない。


(ただ俺は、姉想いなコイツを見て考えてしまったんだ。もし、事件に巻き込まれたのが俺とあの人じゃなくて、この姉妹だったなら、大切な姉妹を守る為に命を投げ打ってでも動く事が出来たんじゃないのか、って)

 

 動揺していた。

 この姉妹は歪んでいる。だが、それでもその絆だけは本物だ。

 片方がもう片方を支えて、共に生きて行こうという強い意志を感じる。

 目の前で姉がやられた時のあの表情、それを見て勇麻は考えてしまったのだ。

 俺じゃなくてコイツだったら、あの時もっと別の選択を取る事が出来たのではないか、と。

 そんな仮定には何の意味も無いのに、そう考えずにはいられなかった。

 そして、こう思わずにはいられなかった。

 

 こんなダメな自分より、コイツの方がよっぽど姉妹思いの強い奴なのではないか、と。


(ふざけるなよ、本当に! そんなくだらない事で敗北しやがって、割を食うのは何も俺だけじゃ無い! あの女の子も危機に陥るんだぞ!!)


 勇麻は自分への怒りに歯を噛み締めた。

 勇麻のくだらない考えのせいで、助けるべき女の子まで危険にさらしているこの状況が許せなかった。

 だがもう逆転の目は出ない。

 首元に刃の先を押し付けられて今の状況は、まさにチェックメイトだ。


「だから、お前は殺す。ナルミをいじめた奴は、許さない」

「っう!?」

 

 イルミが足の裏で勇麻の腹を踏みつけるようにして押さえた。

 刀を振り上げた瞬間に勇麻が逃げ出さないようにする為だろう。

 そう思うと、勇麻の目の前に明確に『死』という単語が浮かび上がってきた。

 これから殺される。

 そう思うと震えが止まらない。


(死にたく……ないな)


 漠然とそう思った。

 現実味を失う視界の中で、イルミが日本刀を振り上げる。

 

(こんな所で……、俺はあの人にも誓ったのに、なのに、まだ全然役目を果たしていないのに……。だから……)


 死にたくない。

 その人として当たり前の想いが、

 勇麻の心に再び火をともす。

 死という最大の恐怖に抗わんとする勇麻の思いに

応え、勇気の拳(ブレイブハンド)が熱く燃える。

 回転数があがる。


 (だから俺は、こんな所で死ねない! 死なない!!)


「死ね」


 すでにイルミはその月明かりを反射する銀の刃を、勇麻の首目掛けて一直線に振り下ろしていた。

 あと六〇センチ。

 間に合うかは五分と五分か。

 どうにかまだ動く右腕を動かす。

 狙いは一つ、最初と同じだ。

 横から日本刀の側面を殴って弾く。

 切羽詰まった勇麻の頭で思いついた唯一の策。


(間に合え……っ!!!)


 

 達人同士の斬り合いや、西部劇の天才ガンマン同士の撃ち合い。

 極限まで集中力を高めた時、その道の達人は一秒を極限まで歪めて、コマ送りのようなスローモーションの世界に突入すると言う。

 今の勇麻が見ている世界がまさにそれだった。

 極限まで高められた思考スピードと動体視力により、スローモーションに見える世界の中、勇麻の瞳は刀の煌めきを追う。

 無理なスピードで振るった腕の筋肉の繊維が、ミチミチと嫌な音を立てる。

 だが、無情にもイルミの振り下ろす日本刀の方が速い。 

 あと二〇センチ。

 このままでは間に合わない。

 

(くそッ! 間に合わない!!) 


 イルミの凶刃のまえに勇麻の首が切り落とされる。


 その直前だった。


 光の洪水が全てを飲み込んだ。


 まるで、昼間になったような輝きの後、 

 水面に石を落とした時に生じる波紋はもんのような形で広がった衝撃波が、勇麻たちを揺さぶった。

 立っていたイルミはもちろん、横になっていた勇麻までその衝撃波に吹き飛ばされる。

 音は遅れてやってきた。

 ゴロゴロと地面を転がり、耳が痛くなるような爆音をうけ、殆ど気を失いかけた。

 それでも一〇メートル近く転がって、ようやく勇麻はその動きを止めた。

 

(な……、一体何が起こった。俺は助かった……のか?)


 ボンヤリともやが掛かったような頭で、必死に状況を整理しようとするが、まともな情報なんて一つも入ってこない。

 視界に映る範囲にイルミの姿はなく、まともに衝撃波を受けた彼女は、かなり遠くまで飛ばされたらしい事が分かった。

 とりあえず助かったのだという安堵感が勇麻を覆った。

 そのまま飲み込まれるように眠気が勇麻を襲う。

 ここから逃げなくては、と思ったが、意識は遠くなるばかり。

 身体も動かない。

 そんな中、誰かの声が聞こえるような気がした。


(だ、れ……人?)


 全身に残された最後の力を総動員して、声のした方向へ首を回す。

 そこにいたのは白い少女だった。

 白く、儚く、どこか透明な印象を与える蒼い碧眼の少女。

 彼女を照らす柔らかい光のせいで、顔はよく見えない。

 だが、そのあまりにも神々しい雰囲気だけで、美しいと判断できてしまう。

 まるでそれは、現世に現れた泉の精霊のようで、現実味に欠ける光景だった。


「……全く、見ず知らずの私の為に命を懸けて戦うなんて、アナタはとんだ馬鹿者だよ」


 少女の口から、優しさに満ち溢れた声が聞こえた気がした。

 だけど、それはきっと幻聴か空耳だったのだろう。

 勇麻の弱い心の願望が生み出した、幻の声だ。

 なぜなら、白い少女は優しく微笑むばかりで、口を開いてすらいないのだから。

 

「だけど、助かったよ。ありがとう」


 まるで、幻のようなその少女は、やはり口を開かない。

 それなのに少女の声は、鮮明に勇麻に届いていた。

 不思議な気分だった。

 まるで夢の中にいるか、幻覚を見ているかのようだった。

 いや、もしかしたら本当に幻覚か何かなのかもしれない。

 それほどに目の前の少女は現実離れしていて、どこかこの世界から浮いていた。


(あれは……いっ、たい……)


 まぶたが重い。まるでおもりでも付いているみたいに、勝手に垂れ下がってくる。

 美しい光を放つ少女の声をどこか遠くに聞きながら、勇麻の意識は泥に沈むように落ちていった。

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