第二十九話 されど終劇は許されずⅣ――交わすは虚実入り混じる言の葉
地上十三階。『天界の箱庭』を一望できるその一室が、その人物の特等席だった。
雨が止み、顔を覗かせた月が放つ柔らかな光が、窓から薄暗い室内を照らし出していた。
敢えて暗がりを好む“彼ら”には、だからこそ、その僅かな光でも眩しすぎるのかもしれないが。
「それで? 此処に戻ってきたという事は、何かしらの成果があったという事かのぅ」
月明かりが、その人影を闇の中から暴くかのように照らし出していた。
線の細い。ともすれば一撫でで折れてしまいそうな骨格の人物だった。
齢は既に七〇後半に達するであろう、禿髪の老人。
深めの椅子に座っている為分かりづらいが、立ち上がれば身長は一八〇を越えるだろう細身で長身の老人だった。
「……よもや、何の収穫も無しに舞い戻って来た訳ではあるまいなぁ? 黒騎士よ」
闇に生きる者で、その老人を知らぬ者などいはしない。
知る人が見れば恐怖に腰を抜かすであろうその禿髪の老人こそ、『創世会』のトップの座に就く年齢不詳の人物、シーカーの『三本腕』の一人にして『汚れた禿鷲』のトップに立つ男である。
ただでさえ鋭い眼孔をなお細め、年老いて痩せ細ってなお圧倒的な圧力を放つその老人の視線の先に、不吉に笑う不気味な仮面が立っていた。
「いやぁ、ジイさんよぉ。アンタも騎士使いが荒いねー。『神の子供達』が出てくるなんて話は全く聞いて無かったんだけど。……休暇中の人間が相手するようなレベルの敵じゃないでしょ、あの化け物」
「言い訳など聞いておらん。それにお主に与えていたのはあくまで懲罰のハズなのだが? それと、何度も言っておるがその呼び方はやめい……」
「おいおい、俺に対して軟禁なんて懲罰になるハズないだろ。一日中部屋の中でゴロゴロし放題とか完全にバカンスですよ、バカンス」
「……お主の仕事への熱意には頭が下がるわい」
組織のトップの人間にすらふざけきった態度で接する黒騎士の返答に、しかし老人は低く嗤って、
「で、『主神玉座』の方はどうなった?」
黒騎士はその問いに肩を竦めて、
「どうもこうも、結果はご覧の通り。我々が唆した天風駆は案の条失敗。念の為用意していたスペアプランの方も神の子供達『設定使い』の介入で見事に潰れた。神器『主神玉座』の所在地は相も変わらず。……とは言え、『設定使い』が絡んできた以上、これ以上の作戦続行は不可能……。天風駆の方も、これ以上は使え無さそうだし、こっちの収穫は清々しいまでのゼロときたもんだ」
『汚れた禿鷲』にとって、天風駆は非常に使い勝手のいいカモであり手駒であった。
海外を放浪していた天風駆に何とか接触を果たした黒騎士は、彼の存在をそう評価していた。
黒騎士は『神器』や『主神玉座』、その他|天界の箱庭に関する様々な情報を意図的に駆に流し、天風駆自身すら気が付かないように影から行動を誘導していた。
天風駆は最後の最後まで『主神玉座』に関する情報を自力で入手したと思い込んでいたに違いない。
操られている事にも気づかず、黒騎士の掌の上で踊り続けているさまは見ていて何とも滑稽だった。
それなりに強力な神の力を持ち、付け込みやすい複雑な背景があったため非常に動かしやすいタイプだったのだが、その過去事情も今回の闘いである程度乗り越えてしまったらしく、これ以上の干渉は不可能だろうという結論が出ていた。
「そうか……」
メインプランとスペアプラン。少々予想外の介入があったとは言え、どちらも完全に潰されてしまい収穫はゼロ。
目的の『主神玉座』どころか『神器』の一つも回収できなかった、完膚なきまでの『敗北』という結果に、老人は思わず大きく溜め息を吐いて、
「それは残念だ。せっかく儂自ら用意しておった予備のプランがあったというのに、これでは働き損ではないか」
勝利に酔うかのようにニヤリと口元を歪めたのだ。
黒騎士はそんな老人の様子に呆れたように肩を揺らして、
「ジイさんよぉ。アンタはいつも心配し過ぎなんだよ。たまには大将らしくドーンと構えてはくれねえのかね?」
「ふん。大きなお世話だ。老兵にできる事など陰でコソコソ策を巡らせるのが関の山。お主かて儂がどういう人間かは知っておろうに」
「……へいへい。ジイさんが反吐が出るほど狡猾だって事は骨身に染みてますよーっと。それにしても天風駆も不憫だねぇ、まさか自分の追い求めていた主神玉座に、世界を支配する力なんて微塵も宿ってないなんて思いもしなかっただろうよ。まして博物館にあったソレが、精巧に作られたレプリカだなんて、思う訳がないもんな」
「……その呼び方はよせと言っておろう。若造が」
それは、とてもではないが敗北者の顔つきでは無かった。勝ち負けの外側。まるで全てを俯瞰するゲームマスターのように、己の敗北さえ布石の一つだと言ってほくそ笑む黒幕のように老人は嗤う。
「そもそも伝承をきちんと理解しておれば違和感にも気が付いただろうに、あの椅子に世界の全てを見渡す以上の効果などあるものか。『神器』とはすなわち神が存在した証。事実以上の効果を持つ『神器』などこの世に存在せぬわ。とは言え、それでも十分以上に強力な神器である事に違いはないが」
なぜこんな簡単な事も分からないのか、とでも言いたげに呆れた様子の老人に、黒騎士は肩を竦めて、
「ぬけぬけとよく言うね、ホント。一時的とは言え、主神玉座に関する情報全てを書き換えるなんて面倒で大それた工作しておいて、何が違和感だ。あの『神門審判』ですら情報の齟齬に気が付かないってのに、あんな世界を何も知らないガキが気が付く訳ねえだろ」
「ふん、当たり前であろう。仕込みの段階で手を抜いては意味がない。成功の確率を上げるためには必要な事だ。それに何度も言うようだが、世界を見渡すなどという力だけでも、あの小僧には行き過ぎた力だ。仮に全ての情報が正しく、尚且つあの小僧の手にかの神器が渡ったとして、あれに主神玉座を使いこなすだけの技量があるとは思えんな」
どんな神の力を使ったのか、紙媒体に記載されている主神玉座の情報。その全てを別の文章に一時的にすり替えるという荒業を、この老人はやってのけたのだ。
勿論効果はそう長くは続かない。
だがそれでも、シーカーや神門審判に勘付かれる事なくそれを行えるという事実が、老人の技量の高さを暗に示していた。
「まあ、ともかくシーカーの野郎なんかに主神玉座が渡った日にはもう俺達に勝ち目はねえ。そしてシーカーとしては、主神玉座を既に失っている事を周囲に知られたくはない。だからこそあのレプリカにご丁寧に結界まで掛けていやがったって訳だからな。俺らにとっては好都合だったってわけだ」
「ふん、今頃は“もう片割れ”が王様ごっこでもしながらふんぞり返って座っているのが関の山だろう。それに関して儂からあやつに言えるのは一言のみよ。“ざまあ見ろ”」
そして、ここまで全ては織り込み済みだと、老人は嗤う。
「それで? ……これだけの動きを見せたのだ。『創世会』の方に動きはあったのだろう?」
「ああ。こっちの戦闘が――天風駆と東条勇麻のも含めて、全部ド派手な陽動だとも知らずにな」
「ならば『アレ』は?」
一瞬、老人から放たれる圧力が一回りも二回りも膨れ上がった。
しかし黒騎士は物怖じする事もなく、むしろ声色に愉しさすら乗せて、
「ああ。シーカーの野郎の普段の行動パターンから明らかに外れている『創世会』の動きが四〇ほど。その中から意味の無いブラフとデコイを取り除くと、一つだけ意味のある動きが浮き上がってくる。今回の件に対する連中の対応の中で、これだけは明らかに異質だってヤツがな」
黒騎士達の求める『アレ』。存在の真偽すら疑われていた『アレ』は、だが確実に存在する。
『アレ』の存在は『創世会』にとって――否、シーカーにとってのアキレス腱そのものだ。有事の際には真っ先に安全を確保されるような代物だと言えるだろう。
特に今回のように『神器』が狙いとなれば、シーカーは慌てて『アレ』の存在を隠蔽しようとするハズだ。
そしてその動きそのものをさらに別の動きで覆い隠すだろう。
だが、その隠蔽は『アレ』の存在がまだ周りに知られていないが故に機能する防衛策である。
効果が無い訳では無いが、既に『アレ』の存在を認識している黒騎士ならば、その異質な動きに勘づく事もできる。
「……間違いない。『アレ』は――神器『帝国旗』は天界の箱庭内に存在する」
そう言い切った黒騎士に老人は満足げに頷く。
ぎらつく欲望を隠しもせず、獲物の喉元に食らいつく獣同然に瞳を輝かせて、
「……ならばそろそろ始めようか。支配者気取りの神様とやらに対する反逆を」
勝鬨の咆哮を静かにあげた。
「人による、神殺しを」
☆ ☆ ☆ ☆
「……と、いう訳だ」
黒騎士は崩れ落ちかけている煉瓦の壁に背中を預けながら、独り言のようにそう言った。
とは言え、この場にいる人物は勿論黒騎士一人では無い。
煉瓦の壁を挟んだ向こう側。本当に微かだが、人の気配を感じ取る事ができる。
壁一枚挟んだ距離まで近づいて、ここまで気配を隠す事ができる時点でただ者では無い事は確かだが、それを言い出したら黒騎士だって似たようなものである。
東ブロック第二エリア。
数多くの実験施設や博物館などの、学術的価値のある施設群を抜けた先に、崩れかけの廃墟が立ち並ぶ天界の箱庭唯一の場所がある。あえて治安を徹底的に悪くし、そこに街の不良共を集めてしまおうという街の策略なのでは? とかいう噂が立ちのぼる程度には治安が悪く、整備の行き届いていないその一帯は良く裏社会の人間の取引現場にもなったりする。夜の埠頭のような場所なのだ。
時折、一斉検挙の為に『神狩り』による大規模な一斉捜査などが行われている事も、裏社会の住人には有名な話だ。
もっとも、本当の闇に浸かる大者は『神狩り』の大規模捜査の日程を把握している為、中々大きな成果は上がらないようだが。
そして黒騎士は明らかに後者である。
今日は比較的安全な日だ。とは言え油断はできない。そもそも黒騎士が今現在密会している人物が人物だからだ。
「……で、その話を信じる根拠がこちらにはないんだけどな」
壁の向こう側から聞こえてくる声は若い男の物だった。いや、少年と呼ぶのが正しいだろうか。大人ぶってはいるが所詮はまだ高校生なのだし。
そんな事を考えている黒騎士に、壁の向こうの少年は容赦のない言葉を浴びせる。
「そもそもだ。アンタがこの情報を持ち出す事に何のメリットがある? リスクとリターンの比率が明らかに狂ってる。『ハイリスク、ローリターン』なんて可愛いもんじゃない。こんなの『ハイリスク。ノーリターン』だ。馬鹿でもこんな計算はできるぞ。……これで何か罠が無いかと疑わない方が不自然だろう」
今回、黒騎士が持ってきた情報は『汚れた禿鷲』のトップの座に就く老人との会話の内容、そして今回の天風駆の件にて仕入れた情報のほぼ全てだ。
勿論この密会が『汚れた禿鷲』の連中にバレれば黒騎士が組織から殺されるのは確実。
黒騎士のもたらした情報がもし仮に真実だというのなら、その情報的価値は計り知れない。
この情報との交換で、宝石の海で溺れるくらいの事なら容易にできるだろう。
それを何の見返りも無しに、ほとんどタダも同然で敵対する組織のメンバーに渡すと言うのだから、疑われて当然だ。
むしろ少年の言う通り何かあると勘ぐらない方がおかしい。
「あー、なんだ。別に俺はお前らに信用されるつもりはねーよ。お前らと協力しようって気もな。だから利用させて貰うだけだ。俺としてはお前らが“アレ”を見つけ出して使ってくれると有難いって訳。利害が一致してんのに、わざわざ罠張るなんて面倒な真似はしねーよ、それに今の俺にそこまでの余裕はないんでな。……まっ、あれだ。俺が渡した情報の真偽くらいテメェで確認しろや。そのうえでお前んトコのトップに伝えろ。……これで貸し借りは無しだとな」
黒騎士の言葉に、壁の向こう側はしばし沈黙する。
あれ? 怒って帰っちまったか? などと黒騎士が思っていると、少しばかり動揺した様子の、何かを躊躇うような声が飛んできた。
「おい黒騎士。アンタは……あの人と……スネークと一体どういう関係なんだ?」
その恐る恐る尋ねられた質問に、思わず黒騎士は噴き出してしまいそうになる。
随分くだらない問いを掛けてくるものだ、とそう呆れながらも、答えを返した。
「そんな事気にしてたのかお前。……あー、なんだ。単に昔の顔見知りってだけだよ。……まあ、俺はアイツの事が大嫌いだがな」
と、ここで黒騎士の瞳が仮面の中で細められた。
周囲に気を配る程度だった黒騎士の意識の中に突如殺気が漂い、それに気づいた壁の向こうの少年が警戒を強め臨戦態勢に入る。
その様子からしてどうやら何も気が付いていないらしい少年に、黒騎士は呆れたように息を吐く。
本来ならば向こうの方がこの手の気配を察知するスキルには長けているだろうに、そんなにさっきのやり取りで動揺しているのだろうか。
(まあ、育ての親同然の男の事だ。気にならない訳がない……か)
「おいお前、何も気が付いてないのか?」
「……なにがだ? アンタが俺っちの事を殺す気満々になってやがる事か?」
敵意剥き出し、何かあればすぐにでも跳びかかれます。という勢いの少年の反応に黒騎士は首を振り、
「……動揺してんのか? 素が出てるぞ。……ていうか違う、そうじゃない。どうやら俺たちの話を盗み聞きしてやがるネズミがいるみたいだって話だ」
「!?」
呆れきった黒騎士の指摘に、壁の向こうで息を呑む気配があった。
それと同時、感づかれた事に気が付いたネズミが逃亡する足音も聞こえてきた。
「どうする? 面倒臭いが、なんなら俺が片づけてやってもかまわねーが?」
「……いや、ネズミの対処はこちらでする。……アンタに任せると話も聞かずにそのまま惨殺しかねないからな」
真面目くさった返答に、ほーそうかい、なんていう気の無い返事を返しておく。
まあ面倒な仕事を請け負ってくれるというのなら黒騎士に断る理由などない。
もっとも、ネズミを逃がされて面倒事が増えた場合には、密会者ごと葬り去る事になるのだが……。
その辺りはきちんと理解しているのだろうか?
いつの間にか少年の気配は消えていた。
おそらくはネズミを追いかけにいったのだろう。それにしても気配を隠すのがうまい男である。ただ、まだ感情面の制御が甘い気もするが……まあその辺りが若さというヤツなのだろうか、と黒騎士は適当な結論を出した。
「まあ、『猿真似』の野郎があの程度のネズミに後れを取るとは考えにくいけどなー」
背中を壁から離して、体に付いた埃を適当に払い落とす。
さて、と一度伸びをして気持ちを切り替えると、黒騎士は仮面の内側に笑みを浮かべて、
「まあ、あれだ。お互い利用できるものは利用しようや、スネークさんよぉ。俺の目的の為にも、お前らにはこれから色々と役に立ってもらわないとだからな」
自分よりも圧倒的格上の存在を敵に回す事を自覚しつつ、しかし黒騎士は臆さない。
この程度の逆境は苦でも無いと、彼は笑って吐き捨てる。
……神様とかいうふざけたヤツらには、この『黒騎士』の掌の上で踊って頂くことにして貰おう。
☆ ☆ ☆ ☆
どうしてこうなった。
吐く息は荒く、目の前の景色はもはやただの線となって後方に流れていく。
感づかれた事は明白。ならば隠密性などクソ喰らえとばかりに、足の裏を爆発させ、加速。ただの人間には絶対に出しえないスピードを得て空気を身体で切り裂いていく。
今現在。泉修斗は闇も深い東ブロック第二エリアの廃墟を全速力で駆け抜けながら額に大量の汗を浮かべていた。
迫りくる追手から逃走しながら頭の中に言葉が響く、どうしてこうなった?
混乱する頭へ再三の問い。
本当に、どうしてこうなった!?
「くそ! くそ! ふざけやがって! 何で俺が逃げ出さなきゃならねえんだよクソ!」
そもそも泉修斗の行動原理として、敵に背を向け逃げ出す事自体があり得ない。
敵に見つかった時点で本来の彼ならば嬉々として戦闘を開始しているハズで、強敵を前に逃げ出すという行為に走る事自体が異常なのだ。
ならばなぜ?
答えは簡単だ。
泉修斗がそうせざるを得ない物を目撃してしまったから。
その場に飛び出し敵に殴り掛かる事を躊躇う程の何かを。
東条勇麻とは別の方向から今回の博物館襲撃事件に関する手がかりを捜索していた泉だったが、黒騎士と“その人物”との密会現場を目撃した事自体は単なる偶然だった。
東条勇麻が個別で動いていたのは知っていた。
勇麻には勇麻にしかできない事がある。ならば自分は自分で行動すればいい、と、とりあえず東ブロックを虱潰しに捜索し、手がかりを入手しようと考えていた泉だったが、これといって目ぼしい手がかりを入手する事は出来なかった。
……もちろん時折響く戦闘音が聞こえない訳ではなかったが、泉としてはそちらに手を出すほど野暮で無粋な男になったつもりはない。
彼と彼女の決着は当人達で付けるべきだ。そこに助けを求められてもいない泉が介入する余地は無い。
小さい頃からの仲だ。彼女が彼にどんな想いを抱いているのか、分からない泉では無い。
だからこそ今回は手を引いた。そういうごちゃごちゃした複雑な感情やら事情が絡んでいては、気持ちよく戦う事も出来ないだろう。
別に助けを求められなかった事を拗ねている訳では無い。
ただ、つまらなそうだから手を出さないだけだ。
つまりは今回の泉の行動は骨折り損のくたびれ儲けになる事が前提の行動であり、彼の単なる自己満足に過ぎない行いであるハズだった。
仮に何か物騒事に関する手がかりが出てくれば泉的には大儲け。その程度の軽い気持ちで東ブロックを走り回っていたはずなのに。
「……ざっけんな! 何で俺が居眠りしてる所でわざわざ密会なんて始めやがったクソが!?」
当然の事とは言え、どれだけ東ブロックを走り回った所で手がかりなど何も出ない。
何も無ければ当然つまらないし退屈もする。
退屈していた所に丁度眠気が襲い掛かって来て、そのまま人気の無い廃墟の崩れ落ちた建物の陰で寝ていたらこのザマだ。
話声と人の気配に目を覚ましてみれば、僅か数メートル先で黒騎士ともう一人が密会をしていた。
ラッキーなのかアンラッキーなのか。
普段の泉なら湧いて出てきた厄介事に、喜び勇んで拳を握りしめていただろう。
だが何度も言うように今回ばかりは事情が違った。
「なんでだよ。何でアイツが……ッ!!」
無意識のうちに唇を噛み締めていた。舌に感じた血の味を無視して、泉はひたすら理不尽な現実から逃げ出した。
見間違えるはずも、幻のはずもなかった。なのに、それなのに、泉の頭は自分の見た光景を決して信じようとはしない。
それを信じてしまえば、それが覆りようのない現実として確定してしまう気がしたからだ。
自分だけはそれを認める訳にはいかない。そんな事をすれば、確実に泉たちの何かが終わりを迎えてしまう。
(クソ野郎。やめろ……、そんな事考えるな!)
それは恐怖だ。黒騎士を前にしても微塵も感じなかったような莫大な恐怖に、泉の心がじわじわと犯されていく。
全てを振り払うように、泉は大地を駆ける速度を上げる。
が、
「…………………………………………あ?」
泉修斗の足がそこで止まった。
否、ピクリとも動かなくなった。まるで見えない腕か何かに縛られるように。
そして、
「よぉ、シュウちゃん。おひさー」
泉の肩に手が置かれる。
ぎちぎちと、緩慢な動きで振り返った先には、
「……お前、何なんだよ。……どうして――」
「いやー、言いたい事は色々あるだろうけどさー」
泉の言葉は途中で遮られてしまう。
唖然とする泉を尻目に目の前の少年は笑っていた。
どこか、全てを諦めたような悲しい笑み。
なぜそんな似合わない顔をしているのか、場違いにもそんな事が気になって。
「すまんね。でも、これが俺っちのやり方なんだわ」
少年は泉の頭に右手を翳して一言そう謝っただけだった。
「友情とか、絆とか、信頼とか、簡単に壊れる物ってさ、煩わしいよ。ホントに」
言葉の続き、泉修斗が放とうとしたその少年の名前。
それが泉の口から明かされる事は永遠に無くなった。
ばたり、と。
人ひとりが倒れる音だけが東ブロックの廃墟に響いた。




