第二十八話 されど終劇は許されずⅢ――交わるは操者と演者
何とかしなくては。現状を打破しなければ、楓が……。
でもどうやって? 具体的な方法は? ごちゃごちゃ五月蠅いな! とにかく元凶をぶっ飛ばす。話はそれからだろうが。いや、でも、だけれど、けれど、しかし、それでも……
頭の中で様々な雑音が鳴り響く。一つ一つは意味のある言葉なのかもしれないが、聖徳太子ではない勇麻には、重なり集まったソレが耳を穢す汚い雑音にしか聞こえない。
東条勇麻を焦りが支配する。
「くそ! どこだ。どこにいやがる!」
偽物の楓が襲っていた施設へは一〇分程度で辿り着いた。
全力で神の力を使用して勇麻をここまで運んでくれた楓は、極度の疲労とエネルギー切れですぐには立ち上がれそうにない。
勇麻はひとまず楓を置いて、ボロボロの身体に鞭を打って楓の偽物を血眼になって探す。
が、
「……な、んだ? あれだけの騒ぎがあったはずなのに、静か過ぎる。……黒騎士は? ヤツに襲われていた『神狩り』の連中は一体どこにいっちまったんだ?」
ここでようやく、自分以外の人影がどこにも見当たらない事に勇麻は気が付いた。
既に黒騎士が化けた楓による戦闘行為は終了し、『汚れた禿鷲』の策略通りに全てが終わってしまった後なのか。
いや、それにしたって辺りが静か過ぎる。
テレビ局の取材ヘリが飛ぶほどの規模の事件があったはずなのに、野次馬はおろか、当事者であるはずの『神狩り』の姿すら見えないというのは流石におかしい。
焦りを疑問が塗りつぶし、頭の中が疑問符で覆われる。迅速に問題に対処しなければいけないのに、目の前になければならないはずの問題が消失しているという想定外の現状に、勇麻の頭が知恵熱を起こしてしまいそうだ。
そもそもの場所を間違えた? いや、そんな訳が……。ならばこれは一体……。
頭の中で様々な臆測が飛び交い、すぐさまそれを否定する事の繰り返し。
そんな不毛な作業に終止符を打ったのは、勇麻の背後。
「ようやくここまでたどり着いたか。決して遅くは無いが、これでは及第点は与えられないな」
純白に輝くスーツに身を包んだ、金髪の眩しい美形の男のそんな言葉だった。
「!?」
驚き、振り返りながらその場を飛びのく勇麻を無視して、美形の男はその顔に柔らかな笑みを浮かべて、
「初めまして……いや、ここは久しぶり、とでも言ったほうが良いのかな? 東条勇麻くん」
「……誰だアンタ、どうして俺の名前を知っている? これは、――この状況はアンタの仕業か?」
「誰だ、という君の問いに答える意味を感じないのだがな。そもそも君と私は過去に一度会っている。……いや、過去に遭遇したという世界も存在する、とでも言うべきか。平行世界、とはまた違うのだが……ふむ。正直、私では説明するのに苦心してしまいそうだな」
「質問の答えになっていないぞ。アンタはどこの誰で、今この状況に関係あるのかないのか、それだけを簡潔に答えやがれ!」
額に青筋を浮かべて吠える勇麻に美形の男は黙って苦笑を浮かべるのみ。こちらの必死さがまるで伝わっていない様子だった。
「答える気はねえってか。テメェ、いい加減にしろよ……」
美形の男は怒りの言葉を垂れ流す勇麻を煽るように、
「ほう。いい加減にしなければ、一体なんだと言うのだい?」
ぶちり、と。
人の神経を逆撫でするような笑顔で吐かれたその言葉に、
限界寸前だった勇麻の感情がぶち切れた。
「いい加減にしねえと……ブッ飛ばすって言ってんだよ!」
身体の痛みも、疲労も、その全てをアドレナリンと感情の激流が吹き飛ばした。
勇気の拳が過剰反応を起こし、右拳が白熱したような錯覚に見舞われる。
身体の内側から弾けそうな熱量に従い、勇麻は全速力で雷撃の如く美形の男の懐深くに踏込むと、そのまま全ての怒りを込めて右の拳を振り抜いて――
「『物語設定』。――君の拳は私には届かない」
そんな戯言のような一言が聞えて、
「!?」
――途端、勇麻の右拳が大きく空を切った。
全力での空振りに、勇麻の腕の関節が痛みを上げ、思わず顔をしかめる。
だが、ありえない。
本来ならば、勇麻の拳には肉を叩く鈍い感触が返ってこなければおかしいのに。
だって、確実に射程圏に――相手の懐深くに踏み込んでいたのだ。
それなのに、目の前にいたハズの美形の男は、僅かに勇麻の拳が届かない位置に立っていた。
まるで、最初からそこに立っていたとでも言うかのように。
移動した形跡も、挙動も何も無い。天風駆のような光速移動でもない。駆の瞬間移動にも近い光速移動をつい先ほどまで間近で見ていた勇麻だからこそ、その違いは明白に分かるのだ。
この男は根本的に違う。
目の前にいたのに何も分からない。何らかの形で世界に残るハズの行動の何かしらの履歴が、情報が、跡形一片たりとも存在しないのだ。
まるで勇麻の居た世界そのものを変質させたかのような例えようのない違和感が、知れずに勇麻に鳥肌を立たせる。
対して男は何事も無かったかのようにゆったりとした動作で息を吐き、肩を揺らすと、
「つまらんな。会話に興じる余裕も無いのか。……まあいい、それならばさっきの彼では無いが面倒事は省かせてもらうとしよう。……『設定解除』」
そう言って指を鳴らした。
ただそれだけで、
「!?」
その瞬間。脳味噌を得体の知れない何かに弄られるような、名状し難い不快感に勇麻は襲われた。
くらりと視界が歪み、足元の地面が粘性のアメーバか何かにすげ変わったような錯覚に襲われる。
同時に、勇麻の脳内に知らないハズの知っている記憶が唐突に出現する。
それはあったはずの過去の出来事で、それは無かったことにされていた過去の光景だった。
それが再び紛れも無い事実として肉付けされ、勇麻の記憶の欠落を埋めるかのように、突然脳内に湧いて現れたのだ。
奇妙な、何か落ち着かない感覚と共に、これまで“何故か忘れていた”記憶が、目の前の美形の男と勇麻が初対面では無い事を証明していた。
「思い……出した……」
酷い頭痛に額を片手で押さえながら、勇麻は目を見開く。
「アンタは……」
☆ ☆ ☆ ☆
東条勇麻と『設定使い』の一度目の邂逅には、実は続きがあった。
博物館と美術館が融合したような施設で出会った美形の男。
訳知り顔で意味の分からない事ばかり並べる目の前の男に、勇麻はいい加減に頭の血管がブチ切れるかと思っていた。
『知らねえよ! こっちは頭の中パンクしそうだって言うのに、いきなり現れて訳の分からん事をペラペラペラペラとくっちゃべりやがって! 少しだけでいい、知っている事を俺に教えやがれ!』
顔を真っ赤にしながら叫ぶ勇麻の必死な姿を見て、何かを感じたのか、美形の男は少し申し訳なさげな口調で、
『……なるほど、それは済まない事をした。確かにいきなりこんな事を言われても混乱するだけで、なんの解決にもならない。お詫びと言ってはなんだが、私が邪魔をしてしまった分に関してはある程度の責任は持つとしよう』
『……それは、どういう――』
相変わらず何を言っているのか分からない美形の男の言葉に首を傾げる勇麻。
そして次の瞬間、美形の男はその顔に浮かべる笑みを深めて――
『――『物語設定』。君と私は今日、ここで出会う事はなかった――』
男の言葉に世界が再起動する直前、
『――とここで世界を修正してしまう事は簡単だが、ふむ。そうだな……ヒントくらいは与えておこうか』
『?』
――と、その顔により深い笑みを刻み込んだのだった。
『……ヒント? やっぱりアンタ、何か知っているのか!?』
遅れて男の言葉の意味を理解した勇麻が、凄まじい勢いで反応を見せた。
警戒心すら忘れて男に詰め寄る。
美形の男は手を広げると、まあ待てとジェスチャーで勇麻の勢いを封じに掛かる。
『落ち着け少年。仮に私が君の欲する何かを知っていて、それに関する情報を君に伝えたとしよう。だが、それは本当に正しい情報なのか? 君は、何を根拠に私の話を信じる?』
「……それは、」
男の言葉が正論過ぎて、勇麻は何も言い返せなくなってしまう。
ただでさえ勇麻は先日の黒騎士との戦いで、敵の発言に踊らされて痛い目を見ている。
同じ過ちを犯すつもりはなかったが、それならばこの場で何か知っているであろう男の言葉を聞く意味が消失してしまう。
言い淀む勇麻に男は、
『今はそれでいいさ。私の言葉を鵜呑みにしようとしないだけ、君は成長したという事だ。私の言葉を聞いたうえで、それが正しい情報かどうかは自分で判断すればいい。赤の他人の言葉を信じるのでは無く、自分を信じろ。それが最適解だ』
『……自分を信じろ、か』
『簡単な事だろう?』
『……言ってくれるぜ。それが出来てたら今頃俺はこんな苦労はしていないってのに』
『ふむ。流石の私もそこまでは関知してはやれないな。いずれにせよ、それも君が避けては通れない道だろう。君が今後も悲劇に対して拳を握り続けると言うのなら尚更』
『……アンタ、本当に何者なんだ?』
全てを見透かしたような男の言いように、勇麻は眉をひそめると思わずそう尋ねていた。
『そうだな。名乗るべき名に幾つか心当たりはあるが……ここは「設定使い」とでも名乗っておこうか』
『「設定使い」……』
『私の名前など今はどうでもいい。そんな事よりも君は気にすべき事があると私は思うのだが?』
『あ、あぁ……それもそうだな。アンタの知っている情報、教えて貰おう。聞いたうえで、それが正しいかどうかは俺が見極める。それでいいんだろう?』
『些か素直すぎるきらいはあるが……まあいいだろう』
「設定使い」はくるりとまわって勇麻に背を向けると、
『「主神玉座」。そして今回の事件の本当の狙い、真の黒幕は誰なのか……この言葉を覚えておくといい――』
『は? いや、ちょっと待て。脈略がなさすぎて意味が──』
それだけ言い残すと拳を上げて指を鳴らし、
『――「物語設定」。君と私は今日、ここで出会う事はなかった――安心したまえ、君が願えば私の言葉を思い出す事もできるさ――』
そんな言葉と共に、意識は薄れ……東条勇麻の世界は再構築されていったのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
「……思い出したぞ、全部。アンタ、あの時の……!」
勇麻は『設定使い』と名乗ったこの男を知っている。
今まで忘れていた事が不思議なくらいハッキリと、鮮明な映像が勇麻の脳内に焼き付いている。
どうしてこんなに大事な事を忘れていたのだろう。『設定使い』は、勇麻に対して大きなヒントを残してくれていたと言うのに。
「正確には思い出した、のではなく、私の『力』が消失し、上書きされていた世界が元に戻った。というのが正しいのだがな」
勇麻の胸中を読み取ったかのように『設定使い』はそう言った。
「そんな事はどうでもいい。『設定使い』、この状況、アンタも一枚噛んでるな?」
「……なぜそう思う?」
『設定使い』はこの状況を楽しむような、場違いな笑みを浮かべている。
細められた『設定使い』のその青い瞳に、何故だか試されているような気がした。
「とぼけるなよ。ついさっきまで戦闘が行われてた場所にしてはここは静か過ぎる。そしてそこにアンタがいた。アンタの神の力が何なのかそれは分からないが、人の記憶を好き勝手弄れる以上、この状況を造り出すだけの力はあるハズだ。違うか?」
「ほう。感情論をぶつけないだけの冷静さが残っていたか。感心感心」
「はぐらかすのはやめろ。黒騎士は? ここにいた『神狩り』の連中は? ここに運び込まれた『神器』はどうなった!?」
今重要なのは楓に化けていた黒騎士と、『神狩り』の部隊の戦闘、そしてその結果運び込まれた『神器』がどうなったのか。端的に言えば現状の天風楓の立場がどうなっているか、だ。
既に取材ヘリによって偽物の天風楓の姿は『天界の箱庭』中に中継されてしまっている。
もしこの状況が『設定使い』の造り出した物では無く、先の戦闘の結果だと言うのなら、楓が誤解を解く機会は失われ、全てが手遅れという事になってしまう。
「それに関しては安心したまえ。君が危惧しているような事は何も起こっていない」
うんざりするほど迂遠な言い回しをする『設定使い』に、勇麻は苛立ちを隠そうともせず、
「いちいち遠回しな言い方じゃねえと碌に喋る事もできねえのかよ。頭良さげな言葉が使えるのはもう十分わかったから、もっと分かりやすく話して貰えると、お馬鹿な東条勇麻さんとしては非常に助かるんだけど?」
だが、そんな勇麻の皮肉も『設定使い』には通じないようで、
「……そうか。分かりずらかったか、それは済まない事をしたな。では、君にでも分かるよう言葉を尽して順を追って説明するとしようか」
そんな風に返してきた。
これで悪気が全く感じられないのだから手に負えない。
「まず、とある少女に化けた黒騎士と『神狩り』部隊との戦闘だが、これは私が到着する前に既に決着していた。もちろん黒騎士の圧勝だ。そして『神器』の方だが、黒騎士の裏で展開されていた『汚れた禿鷲』の下っ端連中は、私が出現すると同時に施設内への侵入を断念し撤退を開始。結果として目的の物を入手する事は出来なかったようだな」
『汚れた禿鷲』の作戦が失敗し、『神器』が無事なのはいい報告ではある。
だが、それでは結局楓が濡れ衣を着せられたままの状況は変わらない。
このままでは天風楓はテロリストとして、この街の全てを敵に回す事になってしまう。そうなればもう彼女はこの街にはいられない。そして『天界の箱庭』を出た『神の能力者』を待ているのは、差別と迫害だけだ。
ようやく兄と十二年越しの再会を果たし、和解する事だってできたのに、そんなのはあんまりではないか。
最悪の状況。それを頭が認識し湧き上がる焦りに口を開こうとした勇麻。しかしそれを遮るように『設定使い』が言葉を投じる。
「ただ、このままでは無実の罪に囚われる少女が出てきてしまうのでな、少しばかり記憶を弄らせて貰った。……具体的には野次馬含め、ここで起きたことを見る、或いは知った人間の記憶の改竄だな」
「!? ……それって――」
「君たち含め当事者数名の記憶は残しておいたが、『神狩り』含め、彼女が不利になるような人物の記憶は全て削除済みだ。……言っただろう、君の危惧しているような事は起きないと」
「そ、うか……。良かった……」
『設定使い』の言葉に思わずその場に膝からへたり込む勇麻。
安心して身体の力が完全に抜け切ってしまったらしく、しばらく立ち上がれそうにない。
もともと立ち上がる事すら難しい状態だったのだ。それを無理に無理を重ねて此処までやって来たのだから、当然といえば当然の状態であった。
「とは言え、私の力とて無限では無い。時間の経過と共に『記憶』も元に戻ってしまうだろう」
しかしその安心も『設定使い』のそんな言葉で粉々に打ち砕かれる。
身体の痛みも無視して跳ねるように飛び起きる。
「そ、そんな! アンタの神の力の効力が切れちまったら、結局楓はこの街には居られないんじゃねえか!」
「それがそうとも限らない。今回ばかりは『創世会』の方の情報操作で何とか穏便な方向へ納める事ができるだろう」
勇麻の悲鳴じみた叫びを、『設定使い』は軽く受け流すようにそう言い切った。
「……『創世会』が? どういう事だ?」
『創世会』に対する印象が一〇〇パーセント悪印象で埋め尽くされている勇麻は、『設定使い』に猜疑的な目を向ける。
「もともと、今回の『汚れた禿鷲』の行動は『創世会』の意図から外れた物だった。『創世会』からある程度の権限を与えられているにも関わらず、あえて非正規の方法で目的の物を入手しようとした点からもそれは明らかだ。それに『創世会』にとっても天風楓という少女は重要な存在だ。みすみす手放すような愚かな真似を『創世会』がするとは思えない」
「……ちょっと待ってくれ。今回の『汚れた禿鷲』の行動が『創世会』の思惑とは外れた物だって事は俺にも分かる。だが、楓が重要っていうのはどういう意味だ?」
天風楓が干渉レベルAの最強の神の能力者だから、というのだけが理由では無さそうな『設定使い』の口ぶりに、勇麻はそう尋ねた。
しかし『設定使い』はその顔に意味深な笑みを浮かべて、
「そこまで君に説明してやる義理は、残念ながら私は持ち合わせていないな。……意味が知りたいのなら直接会いに行けばいい、彼ならば、君の疑問に全て答えてくれるだろう」
『設定使い』はその名を口にした。
「――『シーカー』」
勇麻の肩がピクリと動く。
「『創世会』の長にしてこの街の創設者。もし君が打倒『創世会』を掲げるのならば、決して避けては通れない敵の名だ。覚えておくといい」
『シーカー』。
奇しくも東条勇麻はその人物の名前を知っていた。
黒騎士によって見せられた、あの地獄のような世界を造り出した張本人であり、全ての黒幕。
アリシアの記憶を奪い、未だにアリシアを狙い続ける人物。
あの男が、天風楓に何らかの価値を見出している。ただそれだけの事が、どれだけ危険な事なのか分からない勇麻では無かった。
だから、
「シーカー、か……。なあ『設定使い』。アンタ、そいつと知り合いだったりするのか?」
「彼は私の恩人であり友人であり師だ。……旧知の仲である事に違いは無いが。それがどうかしたか?」
「そうかよ。ならそのシーカーとかいうヤツにこう伝えてくれ」
東条勇麻は、壊れるくらいに強く拳を握りしめて、
「この街の王様でも気取ってやがるのか知らねえが、その伸びきった鼻っ面ごとぶん殴って、玉座から引きずり降ろしてやるってな」
怒りに燃えるその瞳を見て何を思ったのか、設定使いはどこか満足げに鼻で笑うと、
「……なるほど、伝えておこう」
と勇麻に背を向けて、
「そして見届けさせて貰おう。君が彼と相対するその時まで、君が君のままでいられるのかどうか」
そう言って歩き出そうとした背中に、
「ま、待ってくれ! 最後に一つアンタに聞きたい事がある」
勇麻の声に『設定使い』は振り返らなかった。ただ無言でその場で歩みを止める。
勇麻はその行動が、勇麻の質問を無言で許可していると勝手に判断した。
まず初めに頭を下げて、
「楓が助かったのはアンタのおかげだ。ありがとう。正直、アンタには感謝してる、けど、なんで俺達を助けるような事をしてくれるんだ? アンタの目的は――何なんだ?」
それは当然の疑問だった。
本来ならば、今現在勇麻――というか天風楓の置かれている状況は最悪の二文字で表す事ができるハズだった。
『神狩り』に対して負傷を負わせ、天界の箱庭内の施設を破壊しまくったという冤罪――半分は事情があるとは言え事実なので割と困る――を被せられて、楓はこの街から追われる事になっていただろう。
何より博物館襲撃事件の方に関しては、勇麻自身最悪の結果を想像しなかった訳ではない。まず襲撃のあった博物館内に楓が残した沢山の証拠が割と絶望的だったからだ。
勇麻でも気が付いたと言うのに、その道のプロである『神狩り』が気が付かない訳が無い。『汚れた禿鷲』が掛けていたであろう圧力が無くなれば、またたく間に楓は犯罪者の仲間入りだ。
そうなると思っていた。
けれど、蓋を開けて見ればこの有り様だ。
戦場に到着してみれば仮面を付けた仇敵の姿など見当たらなくて。
既に敵の狙いは完璧なまでに阻止されていて、
楓が不利にならないように皆の記憶を操作したり、勇麻にとって実に都合の良い行動を取ってくれる。
……そう。とにかく何もかもが勇麻と楓にとって都合が良すぎるのだ。――それこそまるで自分が主役の絵本の中に入ってしまったかのようなご都合主義的展開。
違和感なんてレベルではない。気味の悪い幸運。
それを見過ごし、何事もなかったかのようにへらへらと享受するという事が、勇麻にはできなかった。
だから問いかける。
何故? と。
正体不明の謎の男、『設定使い』。
絶大的で絶望的、それこそ勝負にならないレベルで圧倒的なこの男の目的とはいったい何なのか。
返答によっては今ここで一触即発の事態に発展しかねない、そんな覚悟すら決めた勇麻の問いに、
「――私の目的はただ一つ」
『設定使い』は僅かに身体を動かし半身になると、滑るような口調で己を語る。
「今のこの世界の設定を守る事。それだけが彼に助けられた私の望みにして唯一の恩返しだ」
「設定を守る? 言ってる意味がよく分からねえな。……要するにアンタは今の世界の安定と停滞を望む……とかって事か?」
「そう思ってもらって構わないよ。結局私は恐れているのだろうね。一歩踏み出す事を、何かを変えてしまう事を。全てを変革できる私は、それ故に変える事の恐怖を知ってしまった。変える勇気を失ってしまった。戻らない物も取り返しのつかない事もあるのだと、気が付いてしまったから。……だから君には期待もしているんだ。東条勇麻くん。君ならば世界を壊す事なく彼を止められるのではないか、とね」
その時の『設定使い』の憂いを帯びた横顔が、何故か勇麻の瞳に焼き付いた。
どこか人間離れしたその男が浮かべるには、余りにも人間らし過ぎて。
「彼……っていうのはアンタの恩人――つまりシーカーの事か?」
「そうだ。私はかつては彼と共にあった。彼に救われ、彼から全てを教えられた。……だが、今は既に道を違えた身。そんな私が――彼から逃げた私が彼を救いたいだなんて、おかしな話だがな」
あっさりと肯定。
ならば彼を止められるという言葉の意味は……。
「『設定使い』。アンタは、シーカーの目的を知っているのか?」
背神の騎士団は創世会の暴走を食い止める為にあるとテイラー=アルスタインは語った。
ならば、そのシーカーの目的とは何なのか。
創世会のトップに立つその男は、創世会とこの街を使って、一体何を企んでいると言うのだろうか。
『設定使い』ならば、その答えを知っているような気がして、
だが、そんな勇麻の淡い期待はあっさりと打ち砕かれた。
「知っていたとして、それを君に教える理由がない」
『設定使い』の返答は回答の拒否だった。
なっ、と息が詰まって咄嗟に何も言い返せない勇麻。
そんな勇麻を『設定使い』はどこか値踏みするような視線で眺めている。
『設定使い』はここまで大抵の事に答えてくれている。だが、先ほどの楓に関する事と言い、重要な事に関しては決して口を開こうとしないのだ。
勇麻はそのもどかしいやり口に苛立ちと焦りを覚えて声を荒げる。
「な、なんで!? アンタは俺にシーカーを止めて欲しいんじゃなかったのかよ!」
「言ったはずだ。私の目的は今の世界を守る事だと。必要以上の介入は世界を捻じ曲げる。今回のようなイレギュラーでもなければ、そもそも私が動く事はなかったのだ。故に君にそれを教える訳にはいかない。君は然るべき手順で、自分自身でシーカーという男に追いつかなければならない。そうでなければ、彼を打倒するなど不可能だ。違うか?」
シーカーの鼻っ柱に拳をぶち込みたいのならば、何もかもを他人に頼るのでは無く自分の足で歩け。
『設定使い』の言っている事は、ようはそういう事だ。
自分の力でシーカーの足元にもたどり着けないような男では、シーカーに膝を着かせる事など不可能。
チートも裏ワザも攻略本も許可はしない。自分自身で道を切り開け。
『設定使い』の述べる正論に、勇麻は反論の言葉が見つからない。
「勘違いしているようならこれだけは言っておこう。私は君の味方でもないし、もちろん彼や創世会の味方でもない。だから私に期待をするな。私は世界を順守する者。私では彼を止められないし、私では君の力にもなれない」
『設定使い』は話すべき事は話したとでも言うように、再び勇麻に背を向け歩きだす。
「……最後に、これは私からの忠告だ。これからも君が何かの為に拳を握り続ける覚悟があると言うのならば――今回はともかく――いい加減に過去に縋るのを止める事をお勧めしておこう。自分から逃げ続ける事など、いつまでも出来はしまい」
瞬きをした次の瞬間。『設定使い』の姿は跡形も無く消失していたのだった。
「……余計なお世話だ。アンタに俺の何が分かるって言うんだよ」
ただ一言。
『設定使い』の最後の言葉が、勇麻の胸にしこりのような物を残していったのだった。
「はぁ、はぁ、あれ? さっきの人は一体……。勇麻、くん?」
ようやく追いついた楓の心配げな視線に東条勇麻は気が付かない。
そして、楓が心配げな視線を向けざるを得ない程に自分が苦々しげな顔をしていた事にも。




