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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第二章 涙空ノ咎人
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第二十二話 VS.光の術師《シャイニング・アルス》Ⅰ――対峙する二人

 未だ泣き止まない夏の夜空の下、二人の少年が対峙していた。



 楓の話によると、天風駆は既にもう、『主神玉座フリードスキァルヴ』の位置を完璧に把握し、いつでも手を出せる状態にあるらしい。

 つまりここが最終ライン。

 勇麻が負ければすべてが終わる。

 世界は駆の思いのままになってしまう。


(くそ、面倒な事になってきやがった。ただでさえ負けられないってのに、ついでに世界の運命背負って戦うとか普通の高校生のやる事じゃねえだろ。神様ってヤツはアホなのかよ)


 そう心の中で呟いてシニカルな笑みを浮かべるのは、なんの変哲もなさそうな少年。

 まだ戦いが始まってすらいないにも関わらず、何故か既に衣服がズタボロになっている。

 『勇気の拳(ブレイヴハンド)』という名の少し特殊な『神の力(ゴッドスキル)』をその身に宿しているその少年の名前は、東条勇麻。

 勇麻は燃え上がるような熱を内包している右の拳――『勇気の拳(ブレイヴハンド)』を巌のように硬く握りしめて、眼前の敵を見据えている。


 その勇麻の視線の先に佇む。少しくすんだ金色の髪をした、どこか陰のありそうな美少年。

 名前は天風駆。

 とある少女の兄であり、『神の能力者(ゴッドスキラー)』であったが故に、幼少期に誘拐され、『天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)』の外で地獄のような実験生活を耐え抜き、巨大な力を得たイレギュラー。

 『神の子供達(ゴッドチルドレン)』と呼ばれる異次元の存在。  

 楓との戦闘でかなりのダメージを受けたらしく、血に塗れたその凄惨な姿はその容姿も相まって、どこか現実離れした美しさを印象として周囲に与えていた。

 

「いやいや、まったく。ふざけた話だと思わないか、楓。まさか僕たちの大事な戦いの邪魔をする野暮な男が現れるとは。互いの誇りと命を懸けた決闘を穢す愚か者め、この崇高な戦いを侮辱するという事は、僕と彼女の決意を侮辱する事と同意。僕を怒らせた事、後悔しながら死ぬがいい」


 天風駆は怒りに歪むその顔に酷薄な笑みを貼り付けて 、そう言い捨てた。

 地面に吐き捨てられた唾は血が混ざって赤かった。

 その様子からして、確実にダメージは通っている。

 勇麻の一撃が効いているのだ。


「……こりゃまた物騒な事で。崇高だか酔狂だか知らねえけど、俺の目には狂った変人がか弱い女の子を苛めてるようにしか見えなかったもんでな。とりあえず不審者の顔面をブン殴っといたんだけど……ただの不審者にしては随分タフだな、アンタ。もしかして常連さん?」

「馬鹿か君は。あの程度の一撃でこの僕が沈むとでも思ったのか?」

「不健康そうなツラしてたから、てっきり一撃で救急車のお世話になるものかとばかり……。むしろ今からでも病院行く事をお勧めするけど?」

「……そのふざけた軽口、二度と利けなくなるように徹底的な躾が必要らしい」

「いやいや勘弁してくれよ。男に調教されて喜ぶような変態趣味なんて持ってねえっつうの」


 冷や汗が背筋を、頬を、流れる。

 天風駆はいまだ構えすらとっていない。それなのに、どうしてこうも気持ちが焦るんだろう。

 警鐘が頭の中で鳴り響く。目の前の男の危険度を身体が、本能が、敏感に感じ取る。

 これが干渉レベル『Sオーバー』と対峙するという事なのだろうか。

 肌寒さすら感じる緊迫感の中、怒りに燃える頭と右腕だけが異様な熱を纏っていた。


「遺言はそれでいいのかい?」

「遺言は専門の弁護士さんを呼ぶって決めてるから、今は遠慮しておくよ。アンタみたいなどこの馬の骨とも分からんヤツに任せられないし」

「そうかい。どこの馬の骨とは、これはまた随分な言われようだね。……おっと失礼。これは僕としたことが、そういえばまだ君に名前を名乗っていなかったね」

「名前を名乗って貰う必要ならないぜ、天風駆」


 自己紹介を始めようとした駆の言葉を、スパッと断ち切った。

 駆は普通に驚いたようで、


「……へぇ、これは驚いた。既に僕を知っているなんてね。どうやら、玉座に着く前から有名人になってしまったらしいね」

「心配すんなよ。デビュー前から追っかけやるような粘着なファンは俺くらいだ。そして俺が最初で最後ってヤツだ。……他のヤツらはアンタの存在もアンタの野望も、永遠に知る事はねえよ。精々一度きりのファーストライブでも楽しんどけ」

「それは……どういう意味で言っているんだい?」

「分からねえなら理髪店に行くことをオススメするぜオメデタ頭。そのチャラついた髪の毛染め直してこいよ」


 天風駆という男の放つオーラを理解してなお、勇麻は虚勢を張るように挑発し続ける。

 まるでそれ自体が、ささやかな一つの抵抗であるとでも言うかのように。

 いや、違う。きっと単に気に入らないのだ。

 目の前のこの男が。

 実力差など関係なく、勇麻には目の前の男を許す事ができない理由があった。

 勇麻の静かな怒りに呼応するように、『勇気の拳(ブレイヴハンド)』の回転数が上がる。

 身体が熱い。たぎる。


 駆は、そんな口の減らない勇麻に呆れたように息をついて、


「……もういいや。君――」

「――ッ!? 勇麻くん! 気を付けて!! その人、自分の肉体を『光の粒子』に変換する事ができるの!」

 

 楓の絶叫が酷く遠くに聞こえて、


 だから次の瞬間、


「――死ねよ」


 勇麻は驚愕で心臓が止まるかと思った。


 気を抜いていた訳では無い。集中していたし、緊張もしていた。

 身体の調子は万全ではないとはいえ、それでもセルリアの治療のおかげで何とか戦える身体にはなっている。

 『勇気の拳(ブレイヴハンド)』も好調。リスクである『弱体化』も起きていない。勇麻の闘志はこれ以上ないくらいに燃え上がっていた。

 

 だからこその想定外。

 油断では無い。

 けれども、相手の挙動を見逃す訳が無いという強気な意思が、逆に隙を生んだ。


 青白い燐光と共に駆の姿が掻き消え、一〇数メートル先にいたはずのその男が、瞬きの後には勇麻の懐深くに潜り込んでいたのだから。


「なっ!?」


 驚きの声を上げるだけで精いっぱいだった。

 そもそも『勇気の拳(ブレイヴハンド)』の特性上、勇麻に防御という選択肢は存在しない。

 回避不能な距離まで接近を許した時点で、結果は見えている。

 

 駆の繰り出すアッパーカットが勇麻の鳩尾を打ち抜く光景を、無駄に強化された動体視力で、まるで他人事のようにじっくりと眺めていた。


 酷く現実味に欠ける視界の中の映像は、痛みという刺激を伴って、現実を勇麻に教えてくる。


「ぐぅッ!?」


 衝撃が走り抜け身体がくの字に降り曲がった。見事にクリーンヒットした一撃に激しい吐き気に見舞われる。


「なんだい、わざわざ蹴られに来たのかい?」

 

 だが、口から何かを吐き出す前に駆の膝が、位置の下がった勇麻の顎を強打した。 

 脳味噌が揺さぶられる。

 視界が揺らぎ、意識が確実に、一瞬ではあったが持って行かれた。

 体勢を立て直す事なんて出来ない。

 司令塔をやられて制御を失った身体は、のけ反りそのまま後ろへ倒れ落ちる。顎を蹴られた時に舌を噛まなかったのは不幸中の幸いとしか言いようがない。


「がぁっ……げほっ、げほごほっ、」

「さっきまでの威勢はどうしたんだい? えーっと、……あぁ、そういえば君の名前を聞いてなかったか」


 両手両膝を地面に付き喘ぐ勇麻を見下ろすように、駆が静かに歩み寄ってくる。

 その目はまるでゴミを見るかのように冷たく、残酷な光が宿っていた。

 

「まあ、これから死ぬ人間の名前なんて聞いてもしょうがないか」


 金色に輝く、細い糸のような物が空中を漂っているのが見えた。


(これは……マズイッ!) 


 ゾッと、根拠の無い寒気が勇麻を襲い、慌てて地面を転がった。

 言葉を追いかけるようにして、金色の雨が先ほどまで勇麻がいた場所目掛けて降り注いだ。

 

「……なっ、髪の毛、これ……ッ!?」


 数百を超える小さな穴が穿たれた光景に、サァっと血が引いて行った。

 あのままその場所に留まっていたらどうなっていたかと思うとゾッとしない話だ。

 躱す事が出来たのは単なる偶然か運が良かったからか。自分の勘の冴えわたり具合に感謝するしかない。

 

「へえ。今の一撃を躱したか。意外にやるね」

「はぁ、はぁ。く……っそ!」


 皮肉にしか聞こえない褒めの言葉をありがたく頂戴したが全力で無視。

 転がりつつ距離を取って立ち上がり、悪態を吐きつつ駆から逃げるようにして地面を蹴った。


(近距離で連射されたら躱せない。直視してからじゃ無理だ、直前のモーションで予測して動かないと蜂の巣にされるぞ!?)


 こちらの攻撃を当てる為には接近するしかないのに、距離を取る事を選ぶ勇麻。

 今なお光は雨のように勇麻目掛けて降り注いでいる。 

 後ろを確認しながら走る彼の思考を埋め尽くすのは、言い訳の言葉ばかりだった。

 逃げないと、ここから距離を取らなければ。


「くそ!」


 距離を取れば直前のモーションから攻撃までにラグが発生する。そこを観察して、この攻撃を見極める。

 そんな考えが頭を支配して、勇麻はがむしゃらに足を動かした。

 逃走する勇麻の後を追うように、連続して光の短剣が地面を穿つ。 

 分かっている。おそらく目の前の相手に距離など意味が無い事くらい。

 だがそれでも勇麻の足は自然と天風駆から遠ざかっていた。

 『勇気の拳(ブレイヴハンド)』による弱体化のリスクを負う恐れはあったが、とりあえずここは仕切り直しにしたいというのも事実。 


 一度体勢を立て直して落ち着かなければ、このままではパニックに陥ってしまう。

 勇麻は逃げる為では無く、あくまで反撃に転じる為に距離を取ろうとする。


 だが、


「馬鹿な奴だ。僕から逃げ切れると本気で――」


 遠くなる言葉はそこで途切れ、


「――思っているのかい?」


 次の瞬間には音源は目の前に移動していた。 

 

「ッ!?」


 慌てて急ブレーキを掛け、靴底が地面をガリガリと削った。

 しかし勢いは止まらない。

 駆が突き出した拳に自ら突っ込む形になる。

 腹に衝撃。息がつまり、呻きが漏れる。

 

「ぐぉ……ッ!?」

「やあ。そして、……さようなら!」

 

 タイミングを計るような一瞬の間、そして直後、痛烈な後ろ回し蹴りが勇麻の頬を打った。

 最初の一撃への意趣返しのように、首がおかしな音と共に変な方向へ曲がる。

 勇麻の身体が宙を舞い、濡れた地面を横滑りする。

 背中を強打し、悶えるような痛みが勇麻の顔を歪ませた。

 セルリアに治癒してもらった傷がズキズキと痺れるように痛む。身体中のありとあらゆるところが痛い。

 やはりあれだけのダメージを、三日やそこらで回復させるというのは無理な物があったのだろうか。

 

 あまりの苦痛に、地面に爪を食い込ませるようにして耐える。


「分かってもらえたかな? 君と僕との実力差ってやつに」


 圧倒的な実力差をわずか数度の交錯で自覚させられた。

 こんな化け物相手に何の策も講じずに、どうにかしてやろうと考えていた自分のアホさ加減に呆れて声も出てこない。

 強い。

 これに勝つ事など、できるのか?


 息せぬ攻防に息も絶え絶えな勇麻に、余裕の笑みを浮かべながら天風駆は語りかけてくる。

 そこには憐みと嘲り、そして侮蔑の感情が混ざり合っていた。

  

「君が僕の妹とどういう関係なのかは知らないけどさ、迷惑なんだよね。……僕を止めるつもりみたいだけれど、君如きの力で勝てると本気で思っているのかい? これなら楓の方がよっぽど手応えがあったよ」

「……」 


 事実その通りだろう。

 天風楓は天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)最高位の干渉レベル『Aプラス』の実力の持ち主だ。

 目の前にいるような例外を除けば、この街最強の神の能力者(ゴッドスキラー)だ。

 その彼女が破れるような相手に、一体何をどう間違えれば勝てるというのだろうか。

 逆立ちしても勝てるような相手では無い事は明白。

 そもそも勝機などありはしないのかもしれない。


(……勝機どころか、正気じゃねえよな、こんなの)


 けれど、


「言いたい事は、それだけ、か……?」

「……なに?」


 ボロボロの身体をなんとか立ち上がらせて、ただただ前を見る。

 目の前の脅威に向き合う。目を逸らさずに立ち向かうように金色の化け物に相対する。

 弱気になりかけていた自分に問いかけると、答えが返ってくるのだ。

 お前は馬鹿か、と。

 こんな簡単な事も忘れてしまうのか、と。

  

「できるかできないか……。そんな事に意味はねえんだよ。……なあ、アンタ。この世界をどうにかしたいんだってな。話は聞いたぜ。俺は馬鹿だから難しい事は分んないけどさ、正直アンタの考えはそんなに間違ってないんだと思う。方法はともかく、この世界を正したいって思いは、きっと間違ってはいないんだと思う」


 口の中に溜まった気持ちの悪い唾を吐き出す。

 血と地の味がした。


「ここで一つアンタに質問だ。アンタの理想は普通に考えれば実現不可能な代物だ。それこそ『神器』の力が無ければ一生叶わないだろう願いだ。そんな事誰でも分かる事だし、アンタ自身も分かっていたハズだ。でも、アンタは存在するかどうかも分からない“世界を造りなおす方法”ってヤツを何年間も探し続けた。“できるかできないか”で言えば、誰もが“できない”と答える無理難題に、どうしてアンタは挑み続けたんだ?」


 かつて勇麻にこう尋ねた少女がいた。

 『本気でできると思っているのか? 仮に自分を倒せたところで相手は『Aプラス』の化け物。勝てる訳が無い』と。

 彼女は一度天風楓に敗北し、完膚なきまでに叩き潰されて、それだというのに楓を倒す事を諦めていなかった。

 勇麻の事を襲った理由だって、“自分達が天風楓と戦う上で邪魔だったから”という物だ。

 

 だからあの時、勇麻は不思議に思ったのだ。


 それならば何故、彼女は天風楓を倒す事を諦めないのだろう、と。

 

 できるかできないか。

 その判断に従うのならば、彼女は『最強』である天風楓を倒す事を諦めるハズなのに。

 勇麻にはあんな事を言っておいて、どうして自分は“できない”に立ち向かうのだろうか。


 答えは簡単だ。


「そんなの答えは決まっている。頭では分かってても、心が許さないからだ。理性が負けを認めても、感情が認めない。諦める事を、やめてしまう事を、許せなかったんだよアンタは。だから“できない”に立ち向かい続けたんだ。違うか?」


 曲げたくない意地があった。

 捨て去れない思いがあった。

 譲れない物があった。

 

 できるできないに意味なんて無い。

 できるできないに関係なく、挑み続けたかったから。


「ふん、馬鹿馬鹿しい推測だね。今の腐りきった世界にはどのみち何らかの革新が必要だったんだよ。そして僕がたまたま選ばれた。次の世界の神に」


 だが駆は勇麻の言葉を鼻で笑って否定した。


「……だからアンタはこれが必然だったとでも言いたいのか? 世界を支配する『神器』が実在したことも、その居場所をアンタが偶然知った事も」

「ああその通りだ。僕が『神の子供達(ゴッドチルドレン)』に選ばれた時点で、これは確定した未来だ。僕が悲劇の無い世界の王となり人々を導く。間違い続け、腐りきった世界に終止符を打った後にね」


 嬉々としてそう語る天風駆の顔には狂気的な笑みが浮かんでいる。

 きっと、既に彼の頭の中には世界を支配した後の情景がありありと浮かんでいるに違いない。

 悲劇の無い世界。

 誰もが幸福で平等で、正しさが肯定される世界。

 天風駆が世界中を旅した一〇年間。その期間に彼が何を見て、何を思ったのか、勇麻には想像する事もできないし、軽々しく想像するべきではないのかもしれない。

 けれど、

 

「へぇ……『神の子供達(ゴッドチルドレン)』、ね」

「……なんだ、何がおかしい?」


 どこか含みのある小馬鹿にしたような言い方が頭に来たのか、駆は少し語調を強めてそう尋ねてきた。

 勇麻はへらっと強がるように笑って、


「いや別にー。ただ、アンタの言ってる事とやってる事がちぐはぐだなって思って」

「ちぐはぐ? 僕の言葉がか? ふん、理解ができないな。僕の言動のどこに矛盾がある」


 勇麻の言葉を全く意に介する様子の無い駆に、しかし勇麻は目を細めると、


「アンタが目指した理想の世界って奴は、結局特別な人間一人がその他大勢を支配する物なんだな。理想だの誰もが幸せだのなんだのと随分聞こえのいい文句を謳ってる割に、何も変わってねえじゃねえか」

「……ふん、何を言い出すかと思えば、くだらない言いがかりだな。馬鹿も休み休みに言ってくれないかい? これは支配では無いよ。僕は人々を導くだけだ」

「それが支配とどう違うって言うんだよ。道の歩き方も分からないガキじゃないんだ。誰かに導かれるままに、言われた通りのルートを進む人生のどこに価値がある? アンタのその野望は、結局アンタが自分の思い通りに世界を動かしたいってだけじゃねえのか?」

「分からないのならばしょうがない。無理に理解して貰おうとも思わないよ。君は見ているといいさ。僕に敗れ、無様に地面に転がりながら、新しい世界の誕生を。そしていずれ君も、僕の正しさに気が付く日が来るだろう。その時は喜んで迎え入れてあげよう。……まあ、君が今日という日を生き延びる事が出来たらだけどね」


 地面を蹴る音が言葉に続いた。

 もうこれ以上語る事は無い。

 勇麻目掛けて一直線に突っ込んでくる天風駆は、言外にそう語っていた。


(チッ、脇目も振らずに一直線に突っ込んでくるとか、とことん舐めやがって!)


 こうして見てみると、駆の走る速度は特別速い訳では無い。

 むしろ『勇気の拳(ブレイヴハンド)』による身体強化を受けていない勇麻以下だ。

 しかし天風駆の身体能力などこの際全くもって関係ない。

 問題なのは彼の『神の力(ゴッドスキル)』の方だ。


 光。


 それが天風駆の力の秘密だと、アリシアは勇麻に言っていた。

 それ以上の詳しい情報を見つける事は出来なかったらしいが、それでも彼女のその発言とこれまでの駆の戦闘からして、だいたいの推測はできる。

 そして極めつけは楓の言っていた光の粒子化。

 天風駆は光の粒子に自身の身体を変換する事ができ、おそらく移動はその状態で行われているのだろう。


(こいつの『神の力(ゴッドスキル)』の肝はその速度。文字通りの光速移動って訳だ。つっても俺の攻撃や楓の攻撃が当たっている所を見ると、無敵な力って訳じゃない。きっとどこかに制約があるハズだ。こちらの攻撃が当たる以上、倒す事は不可能じゃない)


 こうしている間にも、既に駆は勇麻の目の前、三メートルの位置にまで踏み込んでいる。 

 互いに一歩踏み込めば拳が相手の顔面を打ち抜くであろう距離だ。

 駆の狙いは分かっている。おそらくは両者の衝突の直前の光速による緊急回避&死角に回り込んでの強襲。

 だが分かっていたところで何になる。

 いくら『勇気の拳(ブレイヴハンド)』で動体視力が強化されているとはいえ、流石に光の速さを直視する事は不可能だ。

 しかし。

 だからと言って勇麻のやるべきことは変わらない。

 恐怖?

 そんなもの捨て置け。

 恐れるのは悪では無い。その恐れを乗り越えようとする心こそが強さなのだから。


(勇気を持って、一歩! 踏み出すッ!)


 右腕が震える。

 『勇気の拳(ブレイヴハンド)』が、勇麻の感情に呼応するように、熱を放つ。


 唸るような咆哮と共に、勇麻はその距離を自ら縮めるべく一歩を踏み込んだ。

 狙いは胴体。急所の最も多く集まる箇所であり、人体の中央を通る正中線上、胸部。

 強い衝撃を心臓に伝える事で大きなダメージを与えられる。

 躊躇などしない。身にくすぶる感情全てを投げ打つ。

 振り抜く拳は岩をも砕き、天風駆などひとたまりも無く吹き飛ぶだろう。

 だがそれは勿論。


 勇麻の一撃が当たればの話。

 

 ただの殴打であるにも関わらず、風を切るような音と共に振るわれる勇麻の右の一撃。

 駆の胸板に食い込むかと思ったその一撃は、


(――ッ、やっぱり、当たらねえよなッ) 


 目で追うことなど不可能。

 光の速度で勇麻の拳を軽々回避した楓の次の一手を捉える事は至難の業だ。 

 後出しじゃんけんに先手で勝つような物だ。

 ならばどうする。

 

 回避された瞬間、否。

 回避される事を理解した瞬間。東条勇麻は目を閉じていた。

 無論、駆目掛けて右腕を振るった時には既に勇麻の視界は暗黒だ。

 光速で回避した駆は、もしかしたら敵前で目を瞑っている勇麻の様子を不審に思っていたかもしれない。

 こっちの様子に動揺してくれたならむしろ儲けモン。

 そうでなくとも、目で追えない敵をわざわざ目で追ってやる道理は無い。

 

 一秒にも満たない時間の中、あえて五感の一つを封じた勇麻の感覚器官は研ぎ澄まされていた。

 音。

 肩を叩く雨の音。僅かに漂う血臭。

 肌をぴりぴりと震わせるプレッシャー。

 爆発的に増加した情報の海の中、勇麻が最後に信じた物。それは――


「どうにでも、なりやがれぇッ!」 

 

 ――己の勘だった。


 叫び、まだ振り切れていない腕の軌道を強引に修正。自分の左の脇の下に右腕と頭をそのままの勢いで潜り込ませて、柔道の前周り受け身の要領でその場で回転しながら、後方の空間に向けてかかとを跳ね上げるようにして足蹴りを喰らわす。

 ちょうどその場に現れた駆の顎目掛けて、


「!?」


 駆の息を呑むような音が聞えた気がした。

 骨と肉を叩く音。

 そして確かな手応え、勇麻の一撃が駆を見事に捉えていた。


「ぐはぁッ!?」


 駆の足が地面を離れ身体が宙を浮く。

 金色の髪が乱れ、駆の口から赤い液体が飛び出す。

 

「アンタの掲げる理想の世界なんて俺は絶対に理解できないし、したくもない。アンタの言ってる事は根本的に破綻している」


 不安定な体勢を立て直し、両脚に力が集中。すぐさま追撃の為に地面を蹴り上げる。

 砂利やアスファルトの破片が跳ね上がり、東条勇麻の身体が凄まじい勢いで射出される。

 

「誰もが幸せな世界を造る? ふざけんなよ。アンタの尺度で全ての物事を測って造られる世界なんざに、こちとら興味はねえんだよ!」

「君には……君には分からない!!」


 しかし駆の闘志も死んではいなかった。

 カッと目を見開くと、宙にあったハズの駆の身体が掻き消える。


(回避!? どこへ行きやがった……?)


 次の瞬間、標的を見失った勇麻の右頬を何者かの拳が打ち抜いた。

 痛みが炸裂し、視界が明滅する。

 口の中が切れて、鉄臭い味が広がる。

 倒れずその場で踏ん張る勇麻に、駆は目を見開き、嫌な思い出を手繰るような顔で勇麻を睨んだ。


「……君は知らないんだよ。あの光景を、誰もが目を逸らし、助けすら与えられない。それどころか求める事さえ諦観の中に埋もれてしまうあの世界を! それを変えようとする事の何が悪い? 僕が間違っていると、どうして君が断じれる!?」


 天風駆のその叫びは、確かに狂気に満ちていたかもしれない。

 けれど勇麻は、そこに確かな感情を感じる事ができた。

 

 駆の言うとおり、東条勇麻如きに彼の行いを断じる権利など無い。

 地獄を前に傍観する事しかできなかった勇麻に、行動を起こそうとしている天風駆を裁く権利などあるハズが無い。


 天風駆の理想は崇高で、もし実現する事ができたなら、それは全世界の人々から称えられる偉業となるハズだ。

 だって、世界の誰もが幸せになれるというのだから、それは当然だ。

 皆が幸せなのは素晴らしい事で、誰もが幸福なら何の問題も無い。

 けれど、 


「どうしてだと? そんな簡単な事も分からないのかよ、馬鹿かよアンタ」


 自信を持って、これだけは断言出来る。

 『勇気の拳(ブレイヴハンド)』が呼応する。燃えるような熱量を放っているのが分かる。


「自分の妹を傷つけねえと造れないような理想の世界なんて、俺が全部ぶっ壊してやるって言ってんだ!」


 頭の奥がはじける。

 怒りの感情が湧き上がり、身体の底から力が溢れ出る。

 許せない。

 勇麻は許せなかった。 


 天風駆が犯そうとした最も重い罪。  


「いいか、兄貴ってのはよ、下の奴を守るモンなんだよ。……あぁ、ムカつく時だって確かにあるし、でっかくなっちまえば可愛げだって無くなるさ。ケンカする事もしょっちゅうだし、本当に憎たらしいと思う事だってある」

 

 でも、


「だからって実の妹を殺そうとするなんておかしいだろ!? 楓は、あの子はアンタの事を思って、……こんなになっちまってもアンタの事が大切だったから、死ぬ覚悟でアンタを止めに来たんだ。考えて、悩んで、焦って、それでもアンタの事を何とかしようとしてたんだぞ!」

  

 それを天風駆は踏みにじった。

 笑顔さえ浮かべ、自分の妹を手に掛けようとした。

 兄として、絶対にやってはいけない事をやろうとした。

   

「なんでそれに応えてやらない! なんでその思いを汲み取ってやれない! アンタの言動は矛盾してる。世界の人々の幸福を謳っておいて、それじゃあどうしてあの子はあんな顔で泣いてんだよ!」


 世界の人々を幸せにする。

 大変ご立派な命題だ。理想だ。崇高な目的だ。

 だけれども、天風駆の掲げるその理想は、既に破綻しているように勇麻には思えた。


 実の妹すら守れないくだらない理想など、いらない。

 それが全てで、答えだ。


 勇麻は天風駆の喉元に刃を押し当てるように、その壊れた理想に最後通牒を告げた。 


「信じられねえんだよ、アンタの理想は。そんなふざけた壊れかけの理想、俺が今ここでぶっ壊してやる!」

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