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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第一章 英雄ノ帰還ト亡霊
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第四話 非日常、開幕Ⅱ──油断は死を勇気は勝利を

「……ナルミ、あいつあんな事言ってたけど、どうする? 『神門審判ターゲット』こんな目の前にいるよ?」


 イルミは自分の足元で倒れている女の子を、つま先で軽くつついている。


「そうね。確かに私達はあいつの部下だけれど、こんな目の前にある手柄をみすみす渡すのもバカバカしいわね。私達で貰っちゃいましょうか」


 ナルミは特に悩む事もなく、そう言い切ると、倒れている女の子から目線を別の方向に向けた。

 その先には一人の少年が立っている。


「じゃあイルミ、さっさとこの男殺してターゲットを持って帰りましょう」

「ん、分かった」

 

 イルミはナルミの方も見ずに返事をすると、倒れている女の子をつつくのを止めた。

 そのまま興味の無い虫を見るような目で女の子を眺めると、退屈そうにその頭を靴の裏で踏みにじる。


「……ナルミ、やっぱりコイツ殺していい? いつまでも気絶してて、か弱い女の子ぶっててムカつ──」

「その子に触るんじゃねぇ!」


 声が、イルミとナルミの会話を遮った。

 イルミは自分の声が遮られた事に一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐにその顔が殺意に染まる。

 殺意が向かう先は一つ。


「アナタ……なに?」

 少年はどれだけ殺意を向けられても怯まない。

 怯まずに叫ぶ。


「その子に触んなって言ってんだよ! 聞こえねぇのかアバズレ女!」



☆ ☆ ☆ ☆



 人間、誰にだって怖いものの一つや二つは有るものだ。

 それは生き物としてごく自然な反応で、恐怖を持たないのは生き物としてのことわりから外れた者、すなわちある意味では、死を乗り越えた存在である『死者』ぐらいだ。

 どんな強い人間も、生物としての根源的な恐怖を持っている。

 死こそが全ての恐怖の根源であり、全ての恐怖は究極的には死に通ずる。

 人は生きていく限り恐怖──すなわち死と、常に二人三脚だ。

 どんなに楽しく生きていようとも、死という恐怖はいつだって後ろを付いて来る。

 最後の瞬間まで、それが離れることは無い。

生きているかぎり、人が死の恐怖を乗り越えられる事は決して無いのだ。

 だが、それでも人は生きていく。

 死という逃れようの無い宿命に必死で抗いながら。

 その姿は酷く滑稽で、もしこの世に死神という存在がいたら腹を抱えて笑っているのだろう。

 無様であまりに必死な人間の姿を見て。

 だが、だからこそ。


 泥まみれで足掻あがく人間の生は、力強い。 


☆ ☆ ☆ ☆



 怖くないはずがなかった。

 足はガクガク震えて、自分の物じゃないみたいだし、必死に食いしばった唇からは力を加えすぎて血が流れている。

 握った拳は、ほんの少し気を抜けばほどけてしまいそうだ。

 まして相手は、都市伝説として語られるような組織『背神の騎士団(アンチゴッドナイト)』。

 ただの一組織にして、この天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)に牙をかんとする非常に危険な集団。

 こんな危険な奴らに斬り殺されるなんて真っ平ごめんだ。

 でも、

 だからって、

 そんな恐怖が、東条勇麻が逃げる理由になるとは限らない。

 東条勇麻は、もう逃げない。

 たった一人で逃げつづけ、追い詰められた少女を見捨てる訳には、いかない。

 もうあんな思いはしたく無い。

 あんな思いをするぐらいなら、代わりに自分が傷ついてみせると決めたから。

 今、勇気は己の手の中にある。

 負けない、

 絶対に。


「アバズレ女、ね。……ねぇイルミ、この男なかなか骨があると思わない? イルミに殺されかけておいて私達に喧嘩売るなんて、よっぽど自分の力に自信があるのか、それとも身の程知らずの馬鹿なのか」


 ナルミは心底楽しそうに笑う。

 その笑顔に秘められたら殺意は、イルミの物よりもドス黒かった。

 イルミの殺意を純粋な黒だとすると、この女──ナルミの殺意は濁った下水道みたいな色をしている気がした。


「……ナルミ、こいつ殺そう。早く殺そう」

「そうね、でもどうせなら、私達を馬鹿にしたこの男の苦しむ姿と、無様に命ごいをする姿が見たいとは思わない? わざと時間を掛けて、ゆっくりとなぶり殺しにするっていうのはどう?」

「……ナルミ、悪趣味」 


 イルミは女の子の頭から足を離すと、明確な殺意を持って勇麻の方へと向き直る。


「アナタ、馬鹿なのね。ここで死ぬわよ」

「そんなのやってみなけりゃ分かんねえだろうがよ。それとも何か、おたくら『未来視ビジョン』の能力でも持ってるって言うのか?」

「イルミ、この男とは喋るだけ無駄よ。弱いくせに口だけは達者とか、一番イライラするタイプの人間ね」

「なら弱いかどうか確かめてみろよ、アバズレ女」

 

 三人の視線が交錯する。

 ジリジリと焼けつけるような殺意が、場を焦がしていく。

 緊張感が極限まで高まる。 

 勇麻の心臓が何時いつもより早く、力強く脈打つ。

 視界の中で、イルミが日本刀を上段に構えるのが見えた。

 ナルミは特に構えを取らずに、イルミの少し後ろに下がる。


(来る……!)


 そう思った直後、

 イルミが地面を蹴り、勇麻目掛けて一直線に駆け出した。

 その後ろを追従するようにナルミも走りだしている。

 イルミは日本刀を上段から、切っ先が斜め下に向かうよう構え直し、まるで自らを一本の槍とするかのように突撃してくる。


(相手は日本刀でしかも二対一、この一撃を馬鹿正直に回避したところで、もう片方のナルミとかいうヤツの攻撃で確実にやられる……、なら!)


 対して勇麻が取った行動は回避では無かった。

 後ろでも横でも無く、前に──迫り来る白刃に向かってあえて踏み込む。

 比我の距離が一瞬で縮む。


「!?」


 イルミの目が一瞬驚きで見開かれるが、それでも容赦なく、日本刀を槍のように勇麻の心臓目掛けて突き出した。

 ヒュオンッ、と風を切るやいばは、正確無比に勇麻の心臓を貫かんとして──

 

 ──だがその直前で軌道が真上に反れた。


 弾かれた、だが一体何に? とでも言いたそうなイルミの顔がさらに驚愕に歪む。

 イルミの突き刺すような一撃を弾いたのは、勇麻の左アッパーカットだったからだ。


「な、」


 日本刀を弾かれたイルミは体勢を崩している。

 顔面ががら空きだ。

 狙うなら、ここ!


「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおおおおっ!!!」

 

 前に一歩踏み出した勢いのまま、全体重を乗せた右ストレートをイルミの顔面にぶち込んだ。

 拳が肉にめり込んだ。

 凄まじく鈍い音が炸裂し、イルミの身体が元いた場所まで吹き飛んだ。


「イルミ!」


 イルミの後ろから追撃を掛けようとしていたナルミが、驚きの声を上げ、転がるように真横を通り過ぎて行ったイルミの方を振り向く。

 予想外の事態に動揺し、完全に動きがフリーズしてしまっている。

 隙だらけだ。


(足が止まってるぜ。これで、終わりだ!)


「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおお!!」


 勇麻は、何が起きたのか分からない、という顔で固まっているナルミの顔面目掛けて、右拳を思いっきり振り抜いた。

 拳が顔面に突き刺さり、ナルミは殴られた勢いのまま、公園のグラウンドを凄まじい勢いで転がっていった。

 自分自身の荒い息使いだけが勇麻の耳に残った。


「痛っ、やった……よな?」


 日本刀を弾いた勇麻の左手の甲は、パックリと切れていて真っ赤な血が流れ出ていた。

 不思議な物でこういう傷は、戦いの最中は全く気にならないくせに、終わった途端に痛み出すのだ。

 アドレナリンというか、人間のホルモンは偉大だなあ、と勇麻は場違いな感想を思い浮かべた。

 正直もう左手は使い物にならないが、流石にあれだけノーガードの所へ全体重を乗せた一撃を喰らわせたのだ。

 確かに『入った』感触もあった。

 しばらく起き上がることはできないだろう。

 まさか一撃で決着が着くとは、誰が予想していただろうか。

 あまりにもあっけない幕切れだった。


「はぁー、マジでおっかなかった……。日本刀とか、勘弁しろよな……」


 今回あの二人に勝つことができたのは、別に勇麻が特別強かったからという訳では無い。

 あの二人が、勇麻の事を舐めて掛かってきてくれたからこその勝利だった。

 あとは、初撃を避けるのでは無く、弾いて防ぐ事ができたのは大きかった。

 あれであの二人は行動停止になるほど動揺して、勇麻が勝てるだけの大きな隙が生まれたのだから。

 もし相手が最初から『神の力(ゴッドスキル)』を使っていたらどうなっていたか、分かったものじゃない。

 相手の能力が分からないうちに舐めて突っ込んで来るのは愚の骨頂。

 先手を取りたければ、必ず警戒を忘れてはならない。

 常に相手のイレギュラーな反撃により、こちらの攻撃が返される可能性を、常に考えなければならないのだ。

 どうやら相手は、東条勇麻が『神の能力者(ゴッドスキラー)』だということを忘れていたらしい。

 おっちょこちょいで可愛い限りだ。

 できればそのまましばらくは、オネンネしていただきたい。


「てかコイツらどうすっかなー、とりあえず『神狩り(ゴッドハンター)』に通報したほうがいい……のか?」


 『神狩り(ゴッドハンター)』とはこの街に存在する、『神の能力者(ゴッドスキラー)によって構成された、対神の能力者(ゴッドスキラー)専門』の治安維持部隊だ。

 流石に、一人で拳銃やら戦車やら相手に互角以上の戦いをする神の能力者(ゴッドスキラー)相手に、普通の警察なんかをぶつけていたら殉職率が大変な事になってしまうだろう。

 だからこそこの街には、警察の代わりに神狩り(ゴッドハンター)という組織が存在する。


「でも、コイツらがこの女の子狙ってた理由も分かんないし、上手く言えないけど、このまま終わりにしていい気がしないんだよなぁ」


 何か重要な事を見落としている気がする。

 旅行先でガス栓の元を閉めたかどうか気になってしまうような、モヤモヤした感覚が勇麻の頭にへばりついていた。

 勇麻の頭の片隅に引っかかる違和感、

 全ページ白紙の謎の古書。

 とりあえずあの女の子に事情を聞かない限りこのモヤモヤは消えてくれないだろう。

 だが、『神狩り(ゴッドハンター)』に通報したらあの女の子は保護されてしまう。

 そうなったら女の子が狙われていた理由も抱えている事情も何も分からずに終わってしまう。

 きっとそっちの方が女の子にとっては安全なはずだし、ベストな選択なはずだ。

 だが、本当にそれでいいのか? と問いかけてくる自分もいた。

 どうすっかなー、流石にうちの寮まで連れて行くのはマズいかなー、と勇麻が悩んでいたその時だった。



「そうね、このまま終わりにしていい気がしないっていうのは同感ね。だからとりあえず……死んでもらえるかしら?」



 聞こえてはいけないはずの声が、勇麻の耳に届いた。 

 刹那、斬撃が勇麻を襲った。


「うっ、うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!?」


 後ろからの一撃。

 肩から背中にかけてを、斜めに一文字に切り裂かれた。

 勇麻の首が飛ばなかったのは、運が良かったとか相手の実力不足とかそういう物では無く、単に相手の意志によるものだ。

 あの時ナルミは言っていたではないか、私達を馬鹿にしたこの男をゆっくりとなぶり殺しにしてやる、と。


「がっ、あぁあああ、く、ち……ちく、しょう。が……っ」


 切り裂かれた背中に痛みは無く、むしろ尋常じゃない熱を持ったような感覚が勇麻を襲った。

 背中が焼けるようだ、

 もしかしたら、本当に燃えてるのかも知れない。

 痛い、というより苦しい。

 勇麻はその場にうずくまって傷口を手で抑える。

 手のひらにヌルリとした嫌な感触を感じ、思わず手を見ると、ペンキのようにべったりとした赤色がこびり付いていた。

 幸いナルミの得物は刃渡りの小さなナイフだ、ナルミが攻撃に手心を加えたのと相まって、傷は深くは無い。


「正直に言ってアナタからあんな強烈な一撃を貰うとは思っていなかったわ。私達二人が一撃を貰うなんて、いついらいかしら。まさか刀を殴って弾くなんて……。一体どんな能力なの?」

「へ、へへ。俺を殺そうとしてる奴らにわざわざ自分の能力教える馬鹿がいるかよ。っつうかあの一撃喰らって立つかよ普通。確かにミートした感触があったんだけど、アンタ化け物か?」

「化け物? 女性に対して本当に失礼な男ね。私達姉妹は小さい頃からずっと血生臭い殺し合いをしてきたの。ダメージには慣れてるわ。……とは言っても、流石にさっきの一撃は効いたわ」

「……そりゃ、どうも」

「だから私からも、さっきのお返しをしないとかしらね」


 ナルミは握っていたナイフを後方に投げ捨てると、数歩下がり勇麻と距離を取った。

 おそらくここから彼女は『神の力(ゴッドスキル)』を惜しむことなく使ってくるだろう。

 距離を取ったということは、近距離系では無い事は確かだ。

 おそらく中距離程度の射程を持つ能力。 

 近づかなければ意味の無い勇麻の能力とは相性が悪い。


(くそ)


 最悪の展開だ。


(くそ、最悪だ! 何が相手の能力が分からないうちに舐めてかかるのは愚の骨頂だ、ふざけんなよ。あの一撃で仕留めた気になって、一番相手を舐めてたのは俺じゃねえか!) 


 背中の傷は深くは無いとはいえ、決して無視できないダメージだ。

 あまり激しく動くと、傷口が広がるかもしれない。

 左手は拳を握っても殆ど力が入らないので、使い物にならない。

 だが、

 相手は待ってくれない。

 生死をかけた殺し合いは、個人の事情などお構いなしに弱肉強食を振りかざしてくる。

 全ての条件を平等に均一化した舞台の上で戦えるのは、スポーツやゲームなんかの話だ。

 戦争なんてものは争いが始まる前に勝負がついている事だって珍しくは無い

 状況はさらに悪化する。


「イルミ、いつまで寝ているのかしら? そろそろ起きなさい。目の前の標的ターゲットはまだ息をしているわ。さっさと息の根を止めて、本来の目的である神門審判ゴッドゲートを連れ帰りましょう」

「……不覚、油断した」


 ナルミの声に、さっきまで伸びていたイルミまでもが起き上がった。若干足取りがふらふらしているが、勇麻に向けられる殺意は、前より増してさらに凶悪な物になっていた。


「イルミ、あれをやるわよ。ダメージの方は問題ないかしら」

「ダメージ、無視できないレベル。長時間の戦闘は不可能かもしれない」

「分かったわ。本当はじっくりなぶり殺したかったのだけれど……。しかたない、一瞬で勝負をつけましょう」

 

 イルミが再び日本刀を槍のように斜めに構えた。

 ナルミがバックステップでその後ろまで下がり、再び援護の位置に着く。

 さっきと全く同じフォーメーションだ。


(これは……さっきのと同じ?)


 またさっきと同じ戦法で来るつもりなのだろうか。

 勇麻は一瞬その可能性を考えたが、即座にそれを捨てた。


(いや、有り得ない。相手はもう俺に対してある程度の警戒を抱いている。今回は初っ端から『神の力(ゴッドスキル)』を使ってくるはず)


 相手だってダメージが無い訳では無いのだ。

 さっきの勇麻の一撃は確実に効いている。

 だが、それは勇麻も同じこと。

 あまり戦闘が長引くと、背中の傷が変な風に悪化しそうだ。

 相手が短期決戦を望むのは、むしろ勇麻にとっても好都合。

 比我の距離はおよそ七〇メートル。

 西部劇のような無言の睨み合いが続く。

 極限の緊張感で張り詰めた空気が、この場を支配していた。

 時が止まってしまったかのように誰も動かない。

 不用意に動けばそれで終わってしまうと分かっているからだ。

 実質的には数秒間であろうこの探り合いが、勇麻の体感では凄まじく長い物に感じた。

 三人が三人、それぞれ仕掛けるタイミングを伺う。


(集中しろ、どんな事態にも対応できなけゃられるだけだ。必殺の一撃を躱せば必ず隙ができる。今度こそ決めるぞ)


 筋肉の動き、呼吸、相手の表情、それらすべてを見逃さんと集中する。


「……」

「……」

「……ハッ!」


 先に動いたのはナルミだった。

 両手を前に突き出し、指をめいいっぱい広げると高らかに叫ぶ。


軌道ルート! 一、三、五!」


 何かが風を切る音、そして金属と金属が擦れるような音が、勇麻の耳に届いた。


「何だ?」


 ナルミが指の先端から、何かを高速で射出したのだ。だが勇麻は気がつかない。


「イルミ、やりなさい!」


 そして次の瞬間、勇麻は自分の目を疑った。


「な、空を走ってる……!?」


 イルミが空中を駆けていた。

 まるで宙に足場があるかのように力強い足取りで、地上三メートルぐらいの位置を走っている。

 そこから反転。

 まるで自分の頭上に足場があるかのように身を翻し、頭上に足を着けると、地面目掛けて一気に跳躍ちょうやく


 が、イルミの足が地面に触れることは無かった。

またも見えない足場に着地し、今度は勇麻の腰ぐらいの高さを走る。

 そしてまた上方向へ跳躍、着地。こんどは頭が下、下半身が上の、上下逆さまの格好で地上三メートルの位置を走り抜ける。

 まさに変幻自在。

 上下左右、全ての空間を使い華麗にステップを踏み、跳躍を繰り返す。目にも止まらぬ速さで勇麻との距離を詰める。

 イルミの軌道が読めない。

 ぶつかっては跳ねる、まるで突起のあるスーパーボールみたいに予測不能な動きだ。


「死ね」


 イルミの日本刀が、月明かりを受けて鋭くきらめく。

 

 どこから斬撃が放たれたのか、勇麻には分からなかった。

 ただ、己の勘のみを頼りに横合いに思いっきり飛び、なんとか攻撃をかわす。

 当たらなかったのは単に運が良かっただけだ。

 そのまま転がるようにして、勇麻はイルミから距離を取る。

 そこでまたしても殺気を感じた。

 嫌な予感がして、起きあがろうとする勇麻の目の前に、ついさっきまで七〇メートルほど後ろにいたナルミが冷たい表情で立っていた。


「嘘、だろ」

「嘘かどうか試してみましょうか?」


 ナルミの靴のかかとが、勇麻の腹を踏み潰さんと次々に振り下ろされる。

 勇麻はその攻撃全てを転がるようにして回避する。


(冗談だろ。コイツさっきまであんな離れた所にいたのに、いつの間に接近してたんだ!? 六、七〇メートルはあったぞ!)


 瞬間移動テレポート、かとも思ったがおそらく違う。

 もし瞬間移動テレポートなら、自分を飛ばすのでは無く、遠距離から何か物体を標的目掛けて飛ばしたほうが簡単だ。それなら安全かつ手っ取り早く殺す事ができる。

 ナルミは瞬間移動テレポートの使い手では無い。

 おそらくナルミの能力は、さっきの手の指をめいいっぱいに広げた独特の構えと、謎の風切り音にあるはずだ。

 勇麻は降り注ぐ足の裏を必死に避けつつ、反撃の機会を伺う。


「……っんなろ!」


 勇麻は寝転んだまま腰を回転させ、足払いを繰り出した。

 ナルミが落ち着いてそれを躱す。

 攻撃の雨が止んだのを見計らって、勇麻は振り子の動きで起きあがり、バックステップでナルミから距離を取る。

 が、後ろに下がる勇麻の動きが、何かに阻害されて途中で止まった。

 背中の辺りに痛みを感じる。どうやら何かが背中に食い込んでいて、これ以上後ろに下がったら肉が切れそうだ。

 勇麻は慌てて背中に手をやり、異物の存在を確かめる。勇麻の肉に食い込んでいたこれは……。


「……ワイヤー?」

「バレちゃったみたいね。そうよ、これが私の能力。『射出鋼線ワイヤーハンド』。私は指の先端から様々な種類のワイヤーを射出、操る事ができるの。さっきの高速移動もその応用、ゴムみたいな伸縮性のある特殊なワイヤーをアナタのいたポイント近くに射出、固定してあとはそのゴムの弾性力に任せて飛ぶだけ……どう、簡単でしょ?」


 逃げ場を失った勇麻に、ナルミは余裕の笑みで近づいてくる。


(……なるほどな。あの風切り音はワイヤーがアンタの手から射出された時の音で、その後の金属同士が擦れるような音は、ワイヤーを鉄柱やら看板やらに絡ませて固定させた時の音だったって訳か)

 

 イルミも随分と余裕のある態度で姉と勇麻のやり取りを眺めている。加勢しようともしない。

 まるで勝ちを確信したかのように。


「ついでだし、あの子の能力も教えてあげましょうか?」

「……だいたい予測は付くけどな。あのアバズレ女の移動法の鍵は、おそらくアンタが張ったワイヤーだ。あれを足場にして移動してたとみてまず間違いないだろ。おおかた足の裏に接触した物を離さないとかそんな能力なんじゃねーの?」

「結構いい線いってるわね。イルミの能力は『壁面歩行ウォールウォーク』。足場さえあればイルミはどんな所だって走る事ができる。例えそれが直径一ミリのワイヤーの上だろうとね」


 思わぬネタバレに勇麻も笑みを返して、


「つうか、急に気前がいいじゃねぇか。何だよ、なんか良いことでもあったか?」

「これは私なりの優しさのつもりだったんだけど。……だって、可哀想でしょう? 自分を殺した能力が一体何だったのか分からないなんて。だから、冥土の土産に教えてあげようと思ったのよ」

 

 ナルミは笑みを崩さない。

 勝利を確信した笑みを携えて、勇麻に近づいてくる。

 二人の距離は僅か五メートル。

 二、三歩踏み込めば勇麻の拳が届く距離だ。


「アナタの能力は何となく分かったわ。近接戦しか能のない身体能力強化系の何かでしょ? イルミの刀を弾いた時は驚いたけれど、アナタに私達を一撃で仕留める攻撃も無ければ、遠距離攻撃も無い。この距離ならアナタの拳が届くよりも速く、私の貫通性のワイヤーがアナタを貫くわ。避けようとしても無駄よ。流石に秒速三〇〇メートルの速度を躱すのは不可能じゃないかしら。仮に私に一撃入れたとして、ただの拳じゃあ私は倒せないわよ。もう自分が終わりだって気がついてるのかしら?」


 それは、将棋で言う王手だ。

 東条勇麻に勝ち目は無いと、ナルミは告げた。

 確かにこの距離なら、勇麻の拳が届くより先にナルミのワイヤーが勇麻の心臓を貫くだろう。

 例え逃げようとした所で後ろは行き止まり。ナルミの攻撃を奇跡的に躱したとして、後に待っているのは日本刀女。

 前も後ろも絶望的。

 だが、何故だか東条勇麻は笑いが止まらなかった。


「ははっ、く。くくくく」


 右手が、異様に熱い。

 死の恐怖も確かにある。だが、それ以上にこの逆境に燃えている自分もいる。

 そして何より、

 こんな事で勝利を確信している馬鹿どもを見ていると、笑いが止まらない。


「あはっ、はははははははははははははははははははははは!!!」

「あら? 恐怖でついに壊れちゃったのかしら?」


 教えてやろう、コイツらに。

 まだ勝負は終わっていないと言う事を。


「おいアンタ。アンタは今、自分が致命的なミスを犯した事に気がついてるのか?」

「ミス?」

「俺が近接戦しか能が無いと知りつつ、アンタは俺に近づいた。これはミスだ、アンタ致命的だよ」

「はっ、何を言い出すのかと思えば……、さっきも言ったでしょ? この距離なら私の攻撃の方が速いって」

「それでもだよ。それでも確かな勝利が欲しかったなら、アンタは遠距離からワイヤーで俺の事を攻撃すれば良かったんだ、時間は掛かってもそれが一番確実だったんだよ」

「馬鹿馬鹿しい。アナタごときにそんな時間をかけてる暇はないんですよ、そんな事しなくてもアナタは殺せます」 

 

 これだ。

 ここに勇麻の勝機がある。

 彼女はいつだって勇麻を見下していた。 

 絶対的に自分の方が強いと最初から確信している。

 だからこそ不用意に近づく。

 舐めてかかる。

 プライドの高い彼女は、先の失敗から何かを学ぶのでは無く、先の失敗による苛立ちを解消しようと躍起やっきになっているのだ。


「アンタの犯したミスは三つだ。まず一つは、不用意に俺に近づいた事」


 だからこそ、勇麻にチャンスが巡ってくる。


「そしてもう一つ。──俺がアンタのちんけなワイヤー如きを防げないとでも思ったか?」


 言葉と同時、勇麻はここまでで一番速い挙動でナルミ目掛けて距離を詰める。 

 凄まじい踏み込みに土煙が上がる。

 だが、ナルミは極めて冷静に勇麻の姿を捉えている。

 そこは流石と言うべきか、慌てた様子すらない。

 ナルミはバックステップで一回間合いを調整しつつ、ワイヤーを射出すべく両手を構えた。

 五メートルという距離は、人間の足でもいとも簡単に詰められる距離だ。

 逆に言えば、ナルミのワイヤーなら本当に一瞬で勇麻まで届いてしまう。

 だが、ナルミはそもそも、勇麻の能力をまだ完全には理解していない。


「これで終わりよ、死ね!」


 都合一〇本の指から、肉を貫く貫通性のワイヤーが射出される。

 拳銃の弾丸のような勢いで射出されたワイヤーは、勇麻に届く前に一本に連なり、貫通力、破壊力ともに増大させた必殺の一撃になる。

 必殺の槍と化したワイヤーは、勇麻の心臓目掛けて一直線に突き進んで、

 そして。

 グシャリ、と果物の潰れるような、水っぽい嫌な音が夜の公園に響いた。 

 真っ赤な液体が勇麻を中心に撒き散らされる。

 だが、東条勇麻は倒れていなかった。


「な、左腕で私のワイヤーを受け止めた!?」


 突き出されたイルミの日本刀を弾いたあの時、東条勇麻はただ力任せに殴ったのでは無い。

 勇麻は迫り来る日本刀の『』の付いていない部分、つまりは刀の側面を、正確に斜め下からすくい上げるように殴ったのだ。

 若干コントロールをミスして手を傷つけたとは言え、驚異的な胴体視力と身体能力のなせる技だと言える。

 当然この驚異的な身体能力は、東条勇麻の素の物では無い。

 『勇気の拳(ブレイヴハンド)』。それが東条勇麻の神の力(ゴッドスキル)の名前。

 東条勇麻の精神状態に応じて、身体能力を飛躍的に高めるイレギュラーな能力。

 感情の昂ぶりに呼応して、勇麻の拳は重く、速度は速くなる。

 今の勇麻にとって、秒速三〇〇メートルで繰り出されるワイヤーの軌道を見切るなど、難しくもなんとも無い。

 だが、ナルミの方からすれば、たまった物では無い。必殺の一撃を防がれたのだ。

 その動揺は計り知れない。


「お、うおおおぉぉぉぉぉぉぉォオオオオオオオッ!!」


 必殺を受け止められ、完全に自分のリズムを失ったナルミの胴体はがら空きだ。

 隠しきれない動揺が、驚愕に見開かれたその瞳に浮かんでいた。

 隙だらけだ。

 勇麻の身体は、既にナルミの懐深くまで潜り込んでいる。

 拳を振りかぶり、ナルミの胴体目掛けて全力の一撃を叩け込む。


「な、舐めるなぁッ!!」


 ショック状態から何とか脱出したナルミは、腕を交差させ勇麻の一撃を何とかガードしようとする。

 咄嗟にこれだけの防御体制を取れるのは、流石と言うしかないだろう。

 この一撃を防がれれば、また勝負は分からなくなってしまう。


 だからだろうか。


 この時ナルミは、自分のガードが間に合った事に安堵していた。

 気を抜いたとも、油断したとも、言えないくらいの一瞬。

 だが、確実に気の緩んだナルミは気がつかなかったのだ。


 勇麻の拳がナルミの交差した腕に衝突する直前、おかしな事が起こった。


 勇麻の右の拳が一瞬、ほんの一瞬だが、赤黒いオーラを纏って明滅したように見えて──



 ──破壊の嵐が場を席巻した。


 インパクトの瞬間、爆発的に発生した破壊力が両腕のガード諸共、ナルミを吹き飛ばした。

 地面に落下する事なく五メートル程宙を飛んだナルミは、やがて落下すると、その勢いを緩める事なく地面の上を水切りの石みたいに跳ねながら転がっていく。

 二〇メートル程吹っ飛び、植林に突っ込むとようやくその勢いを止めたナルミはもうピクリとも動かなかった。


「最後に一つ、勇気の拳(ブレイヴハンド)に防御は意味無いんだよ。バーカ」


 勇麻の右腕に、もうオーラのような物は見当たらない。

 ただ目の前に広がる暴力の爪痕が、先程の一撃の規格外さを証明していた。


 明らかに今までの一撃とは規模が違う。

 子供のケンカに、戦車を持ち出すようなレベルの理不尽が目の前にあった。


 そんな圧倒的な結果を見せつけた東条勇麻はと言うと……


「ていうか……、ちょっとやりすぎたかな」


 少し気まずそうに頭を掻いていた。

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