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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第二章 涙空ノ咎人
54/415

第十八話 圧倒Ⅱ――天風駆

 空間一帯を圧搾するような理不尽な暴虐だった。

 攻撃の一つ一つが致命傷。それを何万何千万何億という単位でぶつける。

 切断に特化した風の刃もあれだけ束ねられてしまえば、対象を巨大な隕石で押しつぶすのと大差ない。

 そこには『戦い』などという事象は存在せず、ただただ一方的で圧倒的な力の行使の結末が広がっているだけだった。

 これが干渉レベルAプラス。

 個人で戦争を体現する天才。

 ほんの数秒前まで一人の少年が立っていた場所は、半径三メートルほどの小さなクレーターと化していた。

 クレーターの半径自体は小さいが、深さはかなりの物があり底がよく見えない。もはやクレーターと呼ぶより、縦穴と呼称するレベルだ。その深さがどれだけ風の刃が一点集中していたかを示している。

 クレーターからは放射状のヒビがかなり遠くまで広がっており、かなり広範囲に衝撃が駆け抜けた事を示していた。

 ひょっとすると、この近隣の住民は地震でも起きたかと勘違いしたかもしれない。

 いや、あれだけの轟音があったのだからどちらかといえば爆発か。


 雨が降っているとはいえ、あそこまでの規模の攻撃だと舞い立つ砂埃を消すのにも時間がかかるらしい。

 砂埃のカーテンが楓の目から結末を覆い隠している。

 とはいえ地形が変形する程の攻撃だったのだ。死体など跡形も残っていないだろう。


「……」


 既に背中の竜巻の翼の接続は解いてある。

 もう風の衣を纏う必要だってない。

 楓は力を完全に解除。それまで降りしきる雨すらも弾いていた風の衣による守りが失われ、あっと言う間に全身がずぶ濡れになる。

 濡れた前髪が目に掛かる。

 楓は鬱陶しげに前髪を掻き上げて、頭上を見上げる。

 冷たい雨粒が楓の顔を打つ。嫌な熱を持つ頭に冷たい雨が気持ちいい。


 涙を流し続ける夜空を見上げながら、天風楓は勝利の感慨も無く、脱力感に襲われるように依然砂のカーテンに隠された結末から目を逸らした。

 その仕草から実の兄を殺めたことへの葛藤を推し量るのは難しい。

 複雑な感情を隠しているようにも、そもそも感情を殺し何も感じないように振舞っているようにも見えた。


 結果など見るまでも無く、もうここに用も無い。

 だから背を向ける。

 兄だった何か、欠片にも満たない何かに変わってしまった物に、最後の別れも告げずに一歩踏み出す。

 それが天風楓の選んだ道だ。

 なのに、


「くくっ……くははっ」

「!?」


 楓の踏み出した足を、漏れ出た嗤笑が止めた。

 空耳……ではない。紛れも無い、人間の嗤う声。

 声はクレーターの傍。砂煙に包み隠されている辺りから。

 暗幕のように結末を覆い隠していた砂埃が晴れる、その先に、何かがあった。

 天風楓は当たり前の疑問を口に出す事すら忘却して、声の発生源を凝視した。

 目を見開いた楓の瞳に映っている人物。

 だがありえない。

 だって、そんな訳が無い。

 心の中でいくら否定してもいくら首を横に振っても、目の前の幻想は壊れない。

 まるで、悪い冗談かホラー映画のように、天風駆は無傷でそこに立っていた。

 

「ははっ、あはははっはははははははははははッ!!!」

「な、そんな!? ……嘘、でしょ?」


 額に手を当て天を仰ぎ、楽しそうに哄笑する駆。

 整った顔は愉悦に歪み、口元は涎と雨とが混じり合って糸を引いていた。


「俺が死んだかと思ったか? あれを喰らえば生きてはいないだろうって、勝利を確信したか?」


 狂ったように腹を抱えて笑う少年は明らかに異常。

 そこにさっきまでの落ち着き払った余裕は存在しない。

 まるでこちらが本当の自分だとでも言うように、瞳に狂気を乗せて、天風駆は嘲笑する。


「残念だったな! 楓、お前程度の力じゃ俺は倒せないんだよ。こんなチンケな箱庭で、最強を気取ってる井の中の蛙のお前に、俺を倒せる訳がない!」


 天に向けて両腕を広げ、一歩、一歩とゆっくりと楓の元へと近づいてくる。

 兄の歩みに合わせるように、無意識の内に自分が後ずさっている事に楓は気が付かない。

 驚愕に見開かれた瞳の中、兄は嗤う。


「俺は選ばれた人間、『神の子供達(ゴッドチルドレン)』だ。さあ天風楓、俺の愛しの妹よ。お前の罪は俺が償おう。お前の間違いは俺が正そう。だから俺と共に来い!」


 狂ったように叫ぶ兄の姿がそこにはあった。



☆ ☆ ☆ ☆



 おかえりなさい我が主よ。御用件を承りましょう。


 ……了承しました。


 ……検索対象認識の為、脳内へ接続アクセス許可を求めます。

 接続アクセス許可を確認。接続アクセス開始。

 ──記憶の同期、並びにイメージの共有完了。

 検索内容を確認。

 該当キーワードを元に、人類書庫データベース接続アクセス、検索開始……

  

 検索中。……検索中。……検索中。

 ──完了。

 該当資料、三四〇〇〇件の内、より関連性の高い資料をピックアップ。

 ──完了。 


 ピックアップした資料全七件。

 一つ目から順に情報の閲覧を開始します。

 

 …………………………。



☆ ☆ ☆ ☆ 



 兄と再会を果たしたのは、よく晴れた星の綺麗な夜の事だった。

 あの時、何故外に出ようと思ったのか。今になって考えてみると、その理由は思い出せそうになかった。

 外の自販機に炭酸を買いに出掛けたのかも知れないし、夜中にこっそり抜け出して友達の家に泊まりに行こうとしていたのかも知れない。案外、何も考えていなかったって可能性だってあるかも。

 それとももしかしたら、『綺麗な星を眺めに』なんて乙女チックな考えでマンションの外に出たのかも知れない。


 まあ、今となってはそんな事はひたすらにどうだって良い事だ。

 どうでもいい事だからこそ記憶に残らなかったのだろうし、別にそんな事思い出さずとも話は先に進んでいく。

 

 とにかく。

 その時の記憶も曖昧なわたしが覚えているのは、突き抜けるように綺麗だった星空と、一〇数年――正確には一二年とおよそ四か月――ぶりの再会となる兄の姿だけだった。


 わたしと兄の距離は僅か五メートル。

 月明かりが兄の顔を照らし出し、闇夜の中でもかつての面影を見いだす事は容易だった。

 でもそれ以前に、何故か人影を一目見ただけでこの人が自分の兄なんだと直感的に分かっていたけれど。


 固まった視線の先、兄は慈しむような微笑みで静かにわたしを見つめていた。

 優しい笑み。遠き日の記憶に焼き付いた、無条件に天風楓という弱者を守ってくれる頼もしい笑顔。

 

「お、兄……ちゃん?」


 疑問系で声を発したのは、もしかしたらこれが夢で、声を掛けた途端に兄の姿が溶けて崩れて消えてしまうかもと思ったから。


「お兄ちゃん、なの?」


 震えるような問いかけに、視線の先の人物は答えてくれない。

 ただ意味ありげな笑みをわたしに向けて、そこに佇んでいる。

 足が一歩。また一歩と前に進む。

 独りでに、まるで磁力のような目に見えない特殊な力でも働いているかのように、わたしの身体は目の前の人物の元へと引き寄せられていく。

 疑うような牛歩は早歩きに、早歩きはあっと言う間に全力疾走へと形を変えていった。

 

かけるお兄ちゃん!」


 気が付いたら胸に飛び込んでいた。

 顔が熱い。

 胸に埋めた顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、わたしの身体を受け止めた兄の腕に、抱き返す力が籠るのを感じた。


 真っ赤に腫らした瞳から溢れ出る涙が止まらなかった。

 一〇数年ぶりに感じる兄の体温は暖かく、かつての温もりと、これ以上ない頼もしさに溢れていた。


「お兄ちゃん、……わたし。……ひっく。わたしは……ッ!」 


 ずっと謝りたいと思っていた。

 けっして許されない事をした、そんな事は分かっている。

 許して貰おうだなんて、思っていない。そんなおこがましい事思えるハズがない。

 どれだけ頭を下げた所で過去に起きた出来事は変わらず、わたしの罪は揺るがない。

 けど、それでも謝りたかった。

 例え自己満足だろうと、独りよがりな行いだろうと、自分の罪に対してくらいは誠実でいたかった。 

 

 感情はぐちゃぐちゃで、喜びも後悔も懺悔も驚きも戸惑いもいっしょくたに涙になって溢れ出す。

 零れ出た感情に折り合いをつける事なんて到底できず、わたしはただただ小さな子供のように泣き続けた。

 正直合わせる顔すら無いと思っていたのに、傲慢で恥知らずなわたしは過去の自分に掌をくるりと返して、こうして兄の胸に飛び込んでいる。

 

 そんな資格がある訳ないのに。


「ただいま、楓」


 兄は困ったように一言そう呟くと、胸と顔の隙間から嗚咽を漏らすわたしの頭を軽く撫でた。

 どこか恐る恐るとした、そんなぎこちない感触が悲しくて、でも少しだけ嬉しかった。


「お前にも、随分と辛い想いをさせてしまったみたいだね」

「そんな事、ないよ。……ううん、違う。本当はわたしが辛い想いをしなくちゃいけなかったのに。だって、わたしは……わたしがあの時逃げなければお兄ちゃんだってこんな事にはッ! だから……私は――」

「――違うよ楓」


 謝ろうとしたわたしの紡ぎかけの言葉を、強い声で兄は遮った。


「本当に悪いのは――間違っているのは、この世界の方だ。この世界は間違いきっていて、もうどうしようもないほどに腐って終わってる。正しい者が、優しい人が損をするような仕組みが、この腐りきった世界には根付いているんだ。……なあ楓、こんな世界はおかしいとは思わないか? こんな腐った世界と、決別したいとは思わないか?」

「お兄……ちゃん?」


 まるで熱に浮かされたみたいな、そんな嫌な感じの声。

 得体の知れない嫌悪感のような物が走って、わたしは反射的に兄から少し距離を取っていた。

 まるで逃げるようなその態度が不思議だったのか、兄は首を傾げて、


「? どうしてそんな顔をするんだ、楓。僕の言っている事が分からないのか?」  

「えっ……と。あの、いきなり何を言って――」

「ああ、そういえばまだ話してなかったね。僕がこの街にやってきた理由を」


 それなら理解出来なくて当然だ、とでも言いたげな顔だった。

 戸惑うばかりのわたしを面白そうに眺めながら、兄は口の端を歪めてこう言った。


「『主神玉座フリードスキァルヴ』。僕はそれを貰い受けに来た。理想の世界を造る為に。この世界の王になる為に」


 一二年ぶりに再会した兄の瞳は、狂気に血走っていた。



☆ ☆ ☆ ☆



 ――参照。×××の日記より。

 関連情報に関するオーダーが無ければ、順次二つ目の資料の表示を開始します。

 さしあたっては──



☆ ☆ ☆ ☆



 フリードスキァルヴ。

 北欧神話に登場する、主神オーディンが座る高座を指す名前だ。

 その高座に座ったオーディンは九つの世界全てをその視界に納めたと言われている、魔法の高座である。

 天風駆は、この神話上に出てくる高座を求めて天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)にやってきたのだと、楓に語った。 

 神話上に登場する魔法の高座は『神器』として、今もこの世界に残っている。嬉しそうにそう語った兄の顔は、熱に侵されたみたいになっていて楓にはただただ恐ろしかったのを覚えている。


 神器『主神玉座フリードスキァルヴ』。

 戦と死を司る軍神由来の高座。主神の座るその高座に座った者の因果を逆転させ、『世界を支配した者が座った』という結果を逆流、『座った者が世界を支配する』という過程を無視した結末だけを世界に出力する高座。

 その高座に自分が座り、この腐りきった世界を導く王となる。

 欲望を貪る豚のような権力者どもを排除し、努力が報われ、正直者が得をして、貧しい物にも平等に全てが分け与えられる。そんな、悲劇の無い理想の世界を造り上げる。

 それが天風駆の語る目的。理想の世界。


 最初はふざけているのかと思った。

 何かの冗談か、最悪、誰かに騙されているのではないかと思った。

 フリードスキァルヴなどと言うふざけた名前の神話上の椅子も、神器などという子供の妄想のような不思議アイテムも、全部戯言だと思っていた。


 けれど、違った。

 兄と出会ったあの日以降、『神器』と呼ばれる代物の存在を調べるうちに天風楓が直面したのは予想外過ぎる事実だった。


 自然の摂理を超越し、異能を宿した物体、『神器』は実在する。

 それも驚くほど身近に。

 博物館の展示品や歴史的建造物、遥か昔から神社に伝わる曰く付きの一品。

 拍子抜けするほど身近に、『神器』は存在するのだ。誰もが気が付かず、知らないだけで。 

 そして天風駆の狙う『神器』主神玉座フリードスキァルヴも、この街のどこかの博物館に保管されている可能性が高い。

 勿論、館内のスタッフはそれがどんな代物なのか理解していないハズだ。

 その価値の高さにも、危険性にも。


 止めなければならない。

 そう思うのは当然の事だろう。ましてそれを実行しようとしているのが実の兄ならばなおさらだ。


 楓の襲撃によって、天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)の博物館の展示品全てを一カ所に集める事ができたのは僥倖だ。

 当初の目標では警戒のレベルを上げる事さえできれば十分だと思っていたのだが、この結果は予想外の収穫だと言える。

 これで守る場所を一カ所に絞ることができるし、あれだけ好き放題やられたら『神狩り(ゴッドハンター)』の連中だって黙ってはいないハズ。

 一時的に展示品を集めた場所の警戒のレベルは最大まで引き上げられたハズだ。

 さすがの天風駆でも、天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)の治安を司る組織に直接ケンカを売って、その全てを殲滅するのは容易では無いだろう。


 駆の目的そのものである『神器』、『主神玉座フリードスキァルヴ』について、駆は既に見当はついているなどと宣っていたが、おそらくあれはハッタリだ。

 すでに『主神玉座フリードスキァルヴ』を見つけているのなら、今ごろ世界はこの男の手中に収められている。 

 そうなっていないという事は未だ駆の手元にあの『神器』は無いという事だ。

 

 つまり、至って状況はシンプル。

 あとは天風駆を、楓が止めるだけだ。

 

 自分の状況の悪さを誤魔化すように、楓は現状をそう評価し直す。

 あの一撃を受けて全くの無傷だったのは流石に予想外だったが、状況はまだこちらに味方している。

 そう思う事で自らの精神の安定を測っていた楓だったが──


 ──不意に、雨空に金色の花火が打ち上がった。


「?」


 花火? 雨が降っているというのに?

 一瞬花火かと思ったその強烈な光は、儚く散る事なく、燦然と雨の夜空で輝いている。

 あまりにも空気を読めない爆音に、楓の思考がそちらに割かれた。  

 そして意識を半強制的に外に向けられた楓は、兄の異変に気が付いた。


「くっくくく……」


 駆の肩が震えていた。

 その視線は打ち上がった黄金の光の残滓に注がれ、困惑する楓をよそに駆は肩を大きく震わせて哄笑し始めたのだ。


「くくくっ……かはッ、あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!」


 その尋常じゃない笑い声に、楓は兄に対する警戒をより一層強めた。

 何かを仕掛けてくる!? そう思い、すぐさま迎撃できるような臨戦態勢を取る。

 ……が、


「……あぁ、済まない。あまりの嬉しさについ取り乱してしまった。僕とした事が、見苦しい所を見せてしまった」

「嬉しい? 一体何が? お兄ちゃんは花火なんて見てはしゃぐような歳じゃないと思うけど」 

「今日くらいは勘弁してほしいかな。なにせ、ようやく『主神玉座フリードスキァルヴ』が僕の手中に収まったのだから」


 その警戒の外からいきなり爆弾を落とされた。


「……一体何を、言っているの? 『主神玉座フリードスキァルヴ』を手に入れた? そんな馬鹿な事あるわけない。今頃、あの『神器』は博物館から安全な場所に移されてるはず。今此処にいるお兄ちゃんにはどうする事もできない」


 しかし駆は楓の言葉を否定すらしなかった。

 

「そう、楓の言う通りだ。僕ではどうしようもなかった」


 どうしてそこでそんな風に笑えるのか。

 

 嫌な予感がする。

 何かとんでもない事を見逃したような、そんな危機感が楓の背後から静かに忍び寄ってくるのを感じた。

 駆は楓を嘲笑うかのように、おかしくておかしくて堪らないという顔をこちらに向けていた。


「結界に守られ、触れる事すら出来なかった『主神玉座フリードスキァルヴ』。その結界が解かれたのは楓、お前のおかげだよ。お前の小癪な策のおかげで、結界のある博物館内から、あの『神器』を余所に動かす事が出来たんだからね」


 楓の頭が一時停止を余儀なくされた。


「言っただろう、楓。既に見当はついている、と。そしてこうも言ったハズだよ。僕は今の状況に満足している、とね。……もしかして、『主神玉座フリードスキァルヴ』が置いてある場所を僕がまだ知らないとでも思っていたのかい? そんなワケが無いだろ? 僕がどれだけ周到に準備を進めて来たと思っている?」


 転がすように饒舌な駆の話に、楓はついていけない。

 一生懸命頭を働かせようとする傍から、脳みそが理解を拒否する。


「一度目に侵入した時は流石に動揺したけどね。……他者の干渉を妨害する結界。あんな物、一体誰が張ったのだか……。博物館の学芸員が結界に触れていなかったのを見るに、おそらくは許可された者以外の干渉を防ぐような物だったんだろうけど……。まあとにかく、あんな結界が張られているのは想定外だった。だから僕は二度目の侵入の際に『主神玉座フリードスキァルヴ』にマーキングを残した」


 ほら、一時ニュースになったハズだ。『第三博物館』の警備員全員が意識を失い、何者かの侵入の痕跡があったって、と駆は付け足した。

 

「なあ楓、あの光が見えるか?」

 

 と駆は楓に問いかける。

 忘我の表情のまま、視線を誘導された方へ向けると、黄金の光が未だに空で瞬いている。

 あれは目印だ、と駆は言った。

 

「強力な守りだったが、結界は場に張る物だった。幸いな事に『主神玉座フリードスキァルヴ』自体には何のプロテクトも掛けられていなかったからね。物体に触れると莫大な光を放つよう設定した札――まぁ。簡単な照明弾みたいな物だと思ってくれていい――とにかくそれを『主神玉座フリードスキァルヴ』の上に置いて、そしてあえて証拠を残して博物館を去った」


 結界の範囲外に出れば、『主神玉座フリードスキァルヴ』に駆の札が触れ、光を放って教えてくれるという訳だ。

 そして、あえて証拠を残したのはおそらく──


「だから僕は驚いたんだよ。最初、博物館の展示品を別の場所へ移動させる為に騒ぎを起こす役割も僕がやる予定だったのに、それと全く同じ事を楓がやってくれたのだからね。おかげで、この街のヤツらに警戒される事も無く、安全に潜伏する事ができたよ。……離れているとはいえ、兄妹っていうのは似たようなことを考える物なんだね」


 心臓の音がいつもより大きい。

 呼吸音すら煩くて耳障りだった。


「そ……んな。じゃあ、わたしがやっていた事は、全部……」

「無意味どころか、僕にとっては嬉しい誤算だったって訳だ。ありがとう楓、お前には感謝しているよ。こうもスムーズに事が運んだのはお前のおかげだ」

「そんな、嘘……よ。だってこんなの、わたし……」


 信じられなかった。

 けれど、逃れようとすればするほど、そいつは無慈悲に囁くのだ。


 ――また、お前のせいだ。と。


 わかり切った事だった。

 自分のせいだ。

 全部空回りしていた。なんとかしようと必死だった。兄の横暴を止める為に、必死で考え、思いついた事を実行してきた。

 傷つけたくない物を傷つけ、

 気づつけたくない人を傷つけ、

 大切な人を傷つけて、

 それでも兄を止める事ができるなら、罪を償う事ができるならと、歯を食いしばって心を鬼にしてやってきたのだ。

 その結果。得た物はなんだというのだ。

 

 兄の計画を知らぬ間に助け、破壊と悲しみをまき散らしただけ。

 

 そして追い詰められれば、また弱い自分が顔を出しそうになる。

 本当にどうしようもなさ過ぎて、自己嫌悪も湧いてこない。

 ただただ絶望的な自分に、何よりも深く絶望するだけだった。


「無意識だろうが意識していようが関係ない。大いなる意志の前に人は無力だ。楓、これは決められた未来なんだよ。遊びは終わりだ。後は目の前に立ちふさがるお前を倒せば、それで終わり。僕は世界を手に入れ、この腐った世界に別れを告げられる」


 駆は狂ったように笑みで顔を裂いて、


「フィナーレと行こう! 楓! 理想の世界は目の前にある!」


 狂気の笑み。

 

「なんでよ……」


 変わらない。


 あの再会を果たした日から、兄は何一つ変わっていなかった。

 あの日と同じ、狂気に血走った目で頭のおかしな理想を語る姿が、楓には耐えられない。


 絶望も無力感も、その全てを押し流して、余りにも以前の兄とはかけ離れてしまった天風駆に対しての、とめどない感情が溢れ出した。


「駆お兄ちゃん……どうして、どうしてそんな風になっちゃったの!? こんな、こんなの……ッ! わたしの知ってるお兄ちゃんじゃない!」


 悲痛な声が漏れた。

 嗚咽と共に首を横に振る少女の瞳からは暖かく透明な液体が零れ落ちて行く。

 だが少女の涙は降りやまない雨に呑み込まれて、その美しくも悲しい結晶を散らせてしまう。

 

「何でよ……どうして! お兄ちゃんは自分のやってる事がおかしいって、本当に思わないの? アナタがやろうとしてる事がどういう事なのか、本当に全部分かってるの!? ……おかしいよ、お兄ちゃんはこんな事する人じゃない。だってそうでしょ? あんなに優しかったのに、どうして……ッ!」 


 だが楓は気付いていたのだ。

 その問いに答えは出ている。

 だってそれは、あの少年に向けて自分が言い放った言葉ではないか。


『わたしが勇麻くんの事を理解できないように、勇麻くんもわたしを理解できないよ』


 知っているだけ。

 知って、分かって、理解した気になっているだけ。

 そうやって冷たく突き放した少年の泣きそうな顔を思い出すと、胸が痛い。

 本当に、痛い。


 それに、天風楓には、実の兄に向けてそんな事を言う資格など無いのだから。


「……楓。僕はね、色々な物を見てきたんだよ。世界中を歩いて、色んな事を学んだんだ。こんな箱庭の中に閉じこめられていたら、それこそ一生出会わなかったような景色をこの目で見て来たんだ」


 でもね、と駆は言葉を区切り、


「世界に溢れていたのは笑顔じゃなくて、悲劇だったんだよ」


 笑いながらそう言った駆の笑みは仄暗かった。


「世界は悲劇に満ちていた。戦争とか貧困、そんな誰だって知ってるような悲劇は勿論、誰も知らない場所で誰にも助けを求める事も出来ずに、死を受け入れるしかない人々がいた。一見幸せそうに見える一家も、まるで静かに忍び寄るガン細胞みたいに内側からひっそりと悲劇が浸食していた。……言葉で言い表すのは簡単だが、実際に目にすると酷い物だった。僕のこんな安っぽい言葉であの光景を語るのは彼らに対して失礼だ。侮辱以外の何物でもない」 


 だがそれでも、伝えなければいけない事があったのだ。

 そう天風駆は叫んだ。

 誰かが言わなければ、誰かが気が付かなければいけなかった。

 人間は酷く愚かで、間違い続ける生き物だから。


 でも、それなら天風駆のその選択が間違いでなかったと、どうして言い切れるだろう。

 いかに多くの地獄を見てきたからといって、彼だってただの一人の男の子でしかないのに。

 楓と同じように、間違える事もあるハズだ。

 間違いだらけの人生を送ってきた楓にも、そんな事はくらいは分かる。


 天風駆には、間違いを教えてくれる誰かが、きっといなかった。


 独りだったから。


「金と名声と地位のあるほんの一握りのゴミクズどもだけが得をして、残りの人間は家畜同然に全てを搾取される。間違いが蔓延り、今じゃ正しさは死語だ。……もう手遅れなんだよ。世界が間違っているとか、そんなレベルじゃない。もう修正は効かないレベルで、腐って終わっているんだ。だから僕が世界を造り直す。腐りきった部分を全て切り落として、新たな理想の世界を。誰もが幸福で、正しさが正しく機能する淀み無き世界。そして神の子供達(ゴッドチルドレン)である僕が、新しい世界に君臨するのさ。もう二度と、世界が悲劇で満ちる事がないようにね」

「でも……だからって、そんな事――」

「――間違っている、と。そう言うのか?」


 ビクッと、急に強くなった語尾に楓の肩が震える。

 鋭くなった駆の視線に、それだけで弱気な自分が、弱かったころの自分が顔を出しそうになる。

 けれど、


「……お兄ちゃんの言ってる事は、きっと正論なんだと思う。けど、それでもやっぱり――間違ってる」


 そうはっきりと言い切る事ができた。


 そうだ。

 誰かが言わなければいけないのだ。

 間違いを、間違いだと気が付かせる為に。


 弱い自分を無理やり押さえつける。

 優しさを押し通す為に手に入れた強さだ。ここで強がりもできない自分に価値なんて無い。

 弱気な心に鞭を打って、正面から兄の眼光を迎え撃つ。


「今まで散々間違えてきたわたしが言うのもおかしいかもしれない。だけど、今回だけは譲れない。これは、わたしのわがまま。わたしは、わたしの間違いで失ったものを、取り戻す為に戦う!」


 そうだ。


 今は失敗を嘆いている場合じゃない。

 兄を止める事ができるのは今や自分だけ。楓の敗北は文字通りこの世界の終りを示しているのだから。

 自分のせいで失ったものは、自分で取り返す。

 過去の過ちも、今の過ちも、同じことだ。


「……そうか」


 天風駆は何かを諦めるようにそうこぼして――


「――なら」


 ――白い輝きが目に焼き付いたかと思うと、天風駆が視界から消滅。直後、感情を凍てつかせたような声が真後ろから聞えた。


「お前には少し痛い目にあって貰おうか」


 ぞわりと背筋に悪寒が走り、慌てて楓が後ろを振り返る。

 が、既にそこに駆の姿はない。

 

「こっちだ」

「!?」


 再び背後、言葉と同時に強烈な上段蹴りが、振り返った楓の顔面目掛けて繰り出されていた。

 

「……くッ!?」


 反射的に左腕で受け止める。衝撃を殺しきれずに楓の身体が雨に濡れたアスファルトの上を転がった。

 荒い表面に肌が削られ、痛みが信号となって楓の脳に走る。

 駆はその顔に余裕の笑みを浮かべながら己の髪の毛に手を伸ばして、金色の髪を数本引き抜いた。

 掴んだ数本の髪の毛をぱっと宙に投げ放ち、呪を紡ぐように唱える。


「――切り離されし我が意志よ。光となりて仇敵を穿て。舞え、つるぎよ!」


 ひらひらと舞い落ちる駆の髪の毛が輝く光の短剣へと姿を変え、目にもとまらぬ速さで天風楓目掛けて殺到する。

 射出された光の短剣。その鋭い切っ先が楓の身体に穴を穿つ直前、一陣の烈風が吹き、光の暗器全てを薙ぎ払う。

 見ると、転がったままの天風楓の背中に、直径二メートル足らずの竜巻が接続されていた。


(危なかった……というか今のは何だったの? 肉体変化メタモルフォーゼ? いや違う……)


 天風楓の竜巻の翼。力の象徴。

 莫大なエネルギーを圧縮し押しとどめた黒々とした力の塊は、楓の背中でその存在を示すかのようにうねり、暴れ回る。

 それを見た駆は楽しげに口元を緩める。


「流石だよ楓。僕の妹なだけはある」  

「……」

「そう怖い顔をしないでくれよ。僕は単純に驚いているんだ。あんなに泣き虫だった僕の妹が、こんなに強くなっているなんて思ってなかったからね」 


 楓は擦り傷も気にせずに立ち上がり、


「わたしはもう、あんな風に逃げたくなかった。逃げるだけの自分から変わりたかったから……」

「お前もお前なりに頑張ったんだな。でも一つだけ勘違いしてる事があるぞ」

「?」


 理解を示さない楓に冷たい眼差しを向け、駆は拒絶するようにこう言い放った。


「僕がこうなったのが自分のせいだと思っているならそれは筋違いだ。思い上がるなよ、天風楓!」

 

 声と同時、光が瞬いた。

 眩しさに楓が目を細める、するといつの間にか、楓の懐深くに駆が潜り込んでいた。

 踏込みと共に繰り出されるのは右の掌底。降りしきる雨粒を弾きながら、楓の内臓を揺さぶる一撃を、しかし楓は瞬時の判断でバックステップで回避。

 驚異の反射神経を見せる楓に駆は驚いたように目を丸くするも、有無を言わせぬような勢いで即座に追撃する。

 一歩踏み出した右足を軸に、反時計周りに体を回転。楓の上体を左回し蹴りで吹き飛ばす。

 蹴りの直撃に楓の肺から空気が絞り出され、苦しさに喘ぐ。血を吐きこそしなかったものの、鈍い痛みが楓の身体を駆け抜ける。

 バランスを崩す楓に、当然のように駆は追い打ちを掛けてくる。

 だがそこで黙ってやられるのを待つ程楓も馬鹿ではない。

 竜巻の翼を操作し無数の風の刃で迎撃を試みる。亜音速で射出される死の刃は全てを切り裂く切断の刃。直撃すれば命は残らない。

 命を切り裂く風の刃は一寸(たが)わず天風駆に殺到して、

 だが、当たらない。

 白い光の瞬きと共に駆の姿が目前から掻き消えたかと思うと、背中に衝撃。

 呼吸が強引に堰き止められ、脚が役割を放棄する。そのまま真っ直ぐ地面に落下して胸部を打った。

 受け身も取れず、走る激痛にのた打ち回った。

 駆の手刀が楓の背中に直撃したのだと気付くのに数秒かかった。


(これは……瞬間移動? ……いいや違う。そんな訳がない。じゃあこれは……)


「もう気が付いてるかもしれないけど、僕に攻撃を当てるのは不可能だ。お前は僕の姿を捉える事すらできない」


 天風駆の『神の力(ゴッドスキル)』が瞬間移動や空間移動系統の物ではない事は分かっている。

 そもそも駆と小さい頃を共に過ごした楓には、彼が小さい頃に出来た事から推測する事で、ある程度彼の力を予想できているのだ。

 だが、問題はもし楓の仮説が正しかった場合、目の前で起きている現象は……

 

「……『神の子供達(ゴッドチルドレン)』。干渉レベル測定不可能……つまり『Aプラス』の向こう側、『Sオーバー』の怪物達。そんな異次元の存在を囁く都市伝説が、この街には確かに存在する」


 『Sオーバー』

 そんな単語を初めて聞いたのもつい最近の話だ。

 ただの都市伝説だと、そう思っていた。いいや、ただの都市伝説だとそう信じていたかった。

 今の楓の言動の根本にある物だって同じだ。

 天風駆に、馬鹿な話だと一蹴されたらどれほど楽になる事か。

 

「……最初はただのハッタリだと思ってた。そうやって大きな事を言って、わたしを怖がらせようとしてるんだと思ってた。でも、駆お兄ちゃん、アナタのその力は……」

「そこまで分かっているなら話は早い。そうさ、僕は怪物だ。気の遠くなるような人体実験の末に偶然誕生してしまった負の遺産。おぞましき人間兵器。神の力(ゴッドスキル)名、『光の術師(シャイニング・アルス)』。推定干渉レベル『Sオーバー』。それが僕、天風駆だ」 


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『天智の書:人ノ章(ベータ版)』
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