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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第二章 涙空ノ咎人
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第十六話 道違える者達――再び

 この世界は間違っている。

 

 そんな風に考えた事のある人間が、果たしてこの世界にはどれだけの数いるのだろう。

  

 世界を回り、様々な人々の声を聞き、表の世界には決して出てこないような悲痛な叫びと、生き地獄のような光景に遭遇した。

 それでも人々は笑顔を忘れず、強くあろうとし、 泥を啜ってでも生にしがみついていた。


 不満を言っても、文句を垂れても、状況は好転しない。

 ならば自らの手で幸せを切り開くしかないんだ。そう語ってくれた人がいた。


 強い。

 そう思った。


 けれども、誰しもが彼彼女のように強く強かに生きていける訳ではない。

 声も届かなければ、行動を起こす力さえも無い非力な人だっている。

 

 そんな人達はどうすればいいと言うのだろうか?


 あまりにも巨大な運命を前にして、呑み込まれるしか道の無い人達は幸せになってはいけないのだろうか。

 そんな弱肉強食が理性ある人の世で許されていいのか? 

 弱いのが悪いのではない。彼ら彼女らが弱くある現状を作ってしまったこの世界が悪いのだと、だからみんなで助け合うべきなのだと、なぜそう考える事ができないのだろうか。


 この世界は間違っている。

 いや、そんなレベルすらとうの昔に越えていた。


 不幸は不幸を呼び、貧困は貧困を招く。

 誰かが血を流せば、それを悲しみ恨んだ誰かの手によってさらに多くの血が流れる。

 復讐に溺れ、自ら幸せを遠ざけ、ずぶずぶと泥沼にはまって行く。

 理不尽は尽きず、不条理はいつだって理解の範疇を超えて現れる。

 災厄は弱者ばかりを飲み込み、いつだって戦争の犠牲になるのは力なき無辜の市民だ。

 

 金持ちばかりが金を得る。

 権力者ばかりが冷房の効いた安全な部屋で、ゲームでもするかのように戦争を眺めている。

 この世界の勝ち組と呼ばれるヤツは人よりも少しばかり頭が良く、誰よりもゲスで汚い腐った悪党ばかり。

 良い奴が痛い目を見て、真面目な奴が馬鹿を見る。


 人権だ平等だと謳う国も、未だに権力者による支配から逃れられない国も、皆同じ。

 様々な名目で金や命を、その他全てを国民から奪い取る。

 これではまるで家畜だ。 

 自由や平等。安全なんて餌をチラつかせて、他の全てを毟り取られる。

 なのに誰もその事に対して危機感も怒りも抱かない。

 何の疑いも無く、国のお偉いさん共に飼われる事を容認してしまっている。

 

 この世界は間違っていたのではない。

 既にこれ以上無いくらいに終わっていたのだ。

 間違いがまかり通り、正義も悪も金の前に白旗を上げてしまう。そんな崩壊した世界。 

 腐って、ボロボロになって、もう終わり果てている。


 この世界は腐っている。


 それが少年の出した結論だった。



☆ ☆ ☆ ☆


 東ブロック第五エリア。

 海沿いに並ぶ大量の研究機関並びに関連する工場施設は、海水をろ過して――正確には逆浸透法という方式を用いているのだが――まあとにかく塩分などの不純物を取り除き、真水に変えてから自分たちの実験、研究、様々な生産活動に使用している。

 工場排水の方も厳しいチェックが行われており、『取り入れる時よりも綺麗な水を』をモットーに、徹底した排水の管理が行われている。

 他の国にではありえない最高ランクの研究設備に、最強ランクの警備。

 東ブロックに並び立つ研究施設は、この街を支える第二の心臓と呼んでも過言ではないのかもしれない。

 まさにこの街ならではの技術力の結晶とも言える施設群だ。


 と、ここまでの説明を聞くと必ず誤解する者が出てくる。なので先に言っておくが『天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)』は科学至上主義の街という訳では無い。

 他の地域と比べて余りにも高い技術力を有している為、『科学の街』的な勘違いをされやすい『天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)』だが、実際にこの街が扱っている研究対象は超自然的な現象――要するにオカルトである。

 “神”なんて大仰な呼び方をしている目に見えない不思議を扱っているのだ。

 大自然にも、もしかしたら本当にいるかもしれない神様にも、この街は敬意を払っている。


 研究施設や病院、大学に博物館。その他多種多様な学問関連の施設が連なる東ブロックにも未だに自然が多く残っているのはそのためだ。

 ここもそんな名残の一つ。

 海風を防ぐように立ち並ぶ天然の防風林。

 その防風林の中、大きな木の幹に寄り掛かるようにして一人の男が佇んでいた。


 整った顔立ちの少年だった。

 見た目はどこか中性的で、美少年と形容するのが正しいかもしれない。

 男性にしては長めの、色が少しくすんだような金髪は、もみあげの部分だけ真っ黒に黒染めされている。

 普通に笑えば爽やかな印象を周囲に抱かせるハズなのに、瞑目する青年の表情はどこか固く、優れない。

 

 天風駆あまかぜかける。 


 それがその少年を示す名前だ。

 かつてこの街に保護されるハズだった、一人の『神の能力者(ゴッドスキラー)』。

 そして誰かの兄であり続けようとした者。

 十二年ほど前、人攫いから一人の妹を逃がす為に彼女の助けを拒み、拉致監禁されたうえ人体実験を受けてきた暗く悲惨な過去を持つ少年。

 

 林の中を優しい風が吹き抜けて、駆の髪の毛を弄んだ。

 

「……随分と遅かったね――」


 駆はゆっくりとした動作で目蓋を持ち上げながら、背後に現れた人物に視線も向けずに声を掛けた。

 返事も待たずに幹から背中を離して、来訪者の前へと顔を出す。

 突き刺さるような敵意を感じながらも、駆はあくまで穏やかな口調で語りかけた。


「――かえで


 駆と対峙する少女――天風楓は実の兄の呼びかけに鼻を鳴らしただけだった。

 怒りと侮蔑を孕んだようなその視線も、体から滲み出る敵意も、本来の彼女を知る者が見たら驚き固まるに違いない。あるいは彼女そっくりに造られたニセモノかクローンだと騒ぎ立てるかもしれない。

 そのくらいに普段の彼女からはかけ離れていた。

 楓は全身からオーラを、もとい、風をまき散らしながら。


「よく、わたしの名前を気安く呼べるね。お兄ちゃん」

「気安くも何も、兄妹だからね。気安くしない理由もないさ」

「またそうやってふざけて……ッ、いい加減にしてよ。アナタに呼ばれたから、わたしはわざわざこうして――」

「わかったわかった。僕が悪かったよ楓。さっさと本題に入ればいいんだろ?」


 駆は怒る楓を宥めるように両手を上げてそう言った。

 ここで楓を怒らせてしまっては元も子もないのも事実。

 楓が望まぬのならば、無駄な事は省くべきだろう。そう判断しての事だった。

 駆は真剣な声で、


「天風楓、僕からの要求はたった一つだ。――早急に博物館、しいてはこの街に対する破壊行為を止めるんだ。お前のその行為は誰一人として幸せにしない。無意味に人々を恐怖に貶めるような行為は、もうやめてくれ」


 頭を下げ、必死の思いで懇願する駆の姿にも、天風楓はどこか冷めたような視線を向けるだけだった。

 天風楓の行いは紛れも無い悪だ。

 例えそこにどんな理由があろうとも破壊行為は破壊行為。決して許される事では無い。

 現に背神の騎士団(アンチゴッドナイト)も楓の動きを止める為に動いたという情報が、既に駆には入っていた。

 妹にこれ以上道を踏み外して欲しくない。

 ただそれだけを思っての忠告だった。

 が、三歳下の妹に、兄の想いが通じた様子は無い。

 楓は頭を下げたまま微動だにしない駆を感情の凍えた瞳で睨めつけて、吐き捨てるように、


「ふざけないで、よ。わたし達……わたし達はもう、あの時に決別したじゃない! 今更そんな事言われたって、止まれる訳がない!」


 激情を吐き出す楓は、駆の言葉に聞く耳を持ちそうにない。

 頭に血が昇り興奮しているのか、顔は真っ赤だった。

 予想よりも状況が悪い。焦りが顔を出す。

 駆は少女を落ち着かせようと、できるだけゆっくりと、大袈裟なまでに大きな動作で両手を前に出した。

 掌を地面に向けて、静止を促すように、


「楓、よく考えるんだ。お前は、そんな子じゃ無かったハズだ。お前の行いが間違っている事くらい、もうお前自身も分かっているハズだ。後はそれを認める勇気があるかどうか。違うか?」

「……わたしが何をしようが、どうなろうが、お兄ちゃんには関係ない。……わたしの勝手でしょ」

「楓、あまりわがままを言って僕を困らせないでくれ。いいかい楓。これが最終警告だ。馬鹿な真似をするのはやめなさい」


 諭すような駆の声に、しかし少女は首を振るだけ。


「なんで……なんで分かってくれないの? 駆お兄ちゃん……」

 

 不意に見せられた少女の弱々しい声に、一瞬、駆の心が揺れる。

 しかしダメだ。

 天風駆にも譲れない物くらいはある。

 妹が、楓が大事だからこそ、ここで妹の言い分を、行いを、認める訳にはいかない。


「楓、残念だよ。……妹のお前にこんな道を歩ませたのは、兄である僕の責任だ。僕は、今まで兄貴らしい事をお前に一つもしてやれなかった。だから、今回こそは兄貴らしい事をさせて貰うよ」


 吹きすさぶ風に背筋が震える。

 夏だというのに、両者の髪を揺らす風の温度が冷たい。

 駆は敵意の籠った視線を背に受けながら、楓が来た道とは逆の方向に歩き出した。

 土を踏みしめる音を掻き消すように、後ろから声が追いかけてくる。


「わたしはわたしの目的を果たすまで、アナタの希望を壊すまでは止まれない。何がなんでも、例えこの世界を壊して悪人と蔑まれても、わたしは止まらない」


 駆は後ろを振り返らなかった。

 互いの意志は確認できた。こちらも向こうも折れる気が無いのならば、これ以上言葉を交わす事にきっと意味なんてない。

 次に会うのはおそらく戦場になるだろう。

 言葉など不要。

 力と力で語り合えばいい。

 だから少しだけ立ち止まった駆の口から出てきたのは、きっと蛇足以外の何物でもないのだろう。


「……あぁそうだ。楓、一つ忠告しておいてあげよう。“アレ”の見当ならもうついている。君の目的を果たすつもりなら、急いだ方がいい」


 背後の楓が息を呑む音が聞こえた気がした。

 

「それじゃあ、さようならだ。妹よ」

「……さよなら、お兄ちゃん」


 遠ざかる二人の距離を決定づける言葉が最後に交錯して、二人はそれぞれ別々の方向へ歩き始めた。

 二人の道は、とっくの昔に決別していたのだった。



☆ ☆ ☆ ☆



 不気味に笑う不吉な仮面が、事務用の回転する椅子の上に体育座りで収まりながら、ぐるぐると回転していた。 

 文章だろうと映像だろうと関係なくとんでもなくシュールな光景なのだが、本人に自覚はない。

 子どもが駄々をこねるかのように、ドップラー効果付きで彼はこう言う。


「だぁー。メンドクサーイ」

「先輩ー! ちょ、ちゃんと仕事してくださいよ! ただでさえこの前から面倒臭がって書いてない書類が山のように溜まってるんすから」

「俺は死んでもやりたくない。だから田中、お前やっといてくれ」

「せめてもう少しマシな理由を! それから俺は田中じゃありません! 何度言ったら覚えてくれるんすか!?」

「えー、お前の名前覚えんのも面倒くさいわー」

「……もう酷過ぎて文句を言う気にもならないっす、はい」


 黒騎士ナイトメアがいるのは『汚れた禿鷲ダーティーコンドル』の持つ拠点の一つ。

 その内部にある、さして広くないじめじめとした薄暗い部屋に彼はいた。

 どうして黒騎士ナイトメアがこんな雑用をこなしているのかと言うと、アリシア奪還任務の失敗が響いているのは紛れも無い事実だった。

 要するに今現在、黒騎士ナイトメアは敗北の罪を清算している最中なのだ。

 要するにペナルティだ。

 内容は、軽い軟禁みたいな物だと考えてもらえればいい。


 とはいえ、本人に反省の色が見られるかと言われれば、首を縦に振る事ができないのが現状なのだが。


 というか根本的に仕事が嫌いなこの男にとって、軟禁では罰にならないのは明白だ。

 唯一罰としての効果が期待できそうな書類仕事は全てを部下に任せっきり。

 食事も睡眠もいつも以上に貪れる環境。

 黒騎士ナイトメア的にはペナルティどころかちょっとしたバカンス気分なのだった。

 

 そんなバカンス満喫中の黒騎士ナイトメアに唯一話掛けてくるのは軟禁中の黒騎士ナイトメアの監視についている部下の男(……名前は田中とか中山とか多分そんな感じだった気がする)だけなのだが、如何せんコイツが退屈な男なのだ。

 書類仕事やれだの、自分の周りくらい掃除しろだの、小うるさくて堪った物じゃない。小姑か。

 あまりにも自分自身に対する関心がない上司にがっくりと肩を落とす部下の男などどうでもいいので無視無視。

 だいたい部下が上司の機嫌を取るのは当然として、どうして上司の自分がわざわざ部下の名前を憶えてやらなければならないのだろうか。

 あの置物どもは黙ってこちらの言う通りに動いていればいいのだ。

 言われる前に自分から仕事を探せとよく言うけれど、言われても無いのに余計な事をして、余計に仕事量を増やす馬鹿な部下の尻拭いなんぞ御免だ、というのが黒騎士ナイトメアの考えである。

 きっと部下が聞いたら唾を飛ばしながら憤慨するであろう凄まじい台詞を内心呟きながら、黒騎士ナイトメアは視線を適当に窓の外にやって――


 ――ピクリ、と肩を震わせた。


「……あの糞ジジイめ。……チッ、予定通り進んでるって訳かよ」

「……糞ジジイ? 誰の事です?」


 独り言のつもりだったのに、耳聡い部下の男がしっかりと聞き返してきた。

 

「ん? あー。そうだな、じゃあ誰の事か当てれたらお前の名前覚えてやるよ。ええっと、佐々木だっけ?」

「適当に決めた名前すらブレブレなんすね!?」

 

 どうしても名前を憶えさせたいのか、黒騎士の言葉に馬鹿みたいにはしゃいで正解を考え始めた部下の男を無視して、黒騎士ナイトメアは眠たげに欠伸を一つ。


「あーあ。って事は、お暇もこれでお終いかねぇ……」


 背もたれに寄り掛かりながら、黒騎士ナイトメアはうたた寝を開始する。

 部屋の外の不穏な空気の高まりを、この場では彼だけが過敏に感じ取っていたのだった。



☆ ☆ ☆ ☆

「……」


 目が覚めたら目の前に、というか超至近距離に可愛らしい女の子の顔があった。


「……」

「……」


 澄んだように真っ黒でどこかジトっとした瞳が、勇麻を覗き込んでいる。

 感情が無いのでは無い。どこか汲み取りにくいだけ。記憶の中の誰かの碧眼と眼前の黒目が勇麻の頭の中で若干被り、思いがけず勇麻の動きが固まった。

 無言で見つめ合う事数秒。


「……って、うわぁあ!?」


 直後、事実を正しく認識した勇麻が驚きのあまり飛び起きて、額と額が衝突。

 目蓋の裏で火花が弾けた。


「~~~ッ!?」


 勇麻の顔を間近で覗き込んでいた女の子と共に、鈍い痛みに悶絶する。

 布団の上で痛みに転がっている勇麻は、そこで自分が何故か布団に寝かされていた事に気が付き、そしてさらに自分の顔を覗き込んでいた黒髪ぱっつんの女の子が、セピアと呼ばれていた少女である事に気が付いた。

 そこまで気が付くと、後は電流が走るように倒れる直前の記憶が蘇ってきて――


「あらあら、気が付いたのかしら~?」

「!?」

「そんなに警戒しなくても大丈夫よ~? アナタは私達に勝ったのですから」


 額を押さえながら、跳び起きて臨戦態勢に入ろうとしいた勇麻を見て、ブロンドヘアーでスタイル抜群の美人さん――確か名前は……セルリアだったか――が口元に手を当ててクスリと笑ったのだった。



☆ ☆ ☆ ☆


 

「……そうか。なんか面倒掛けちまったみたいで悪かったな」  


 神妙な面持ちで頭を下げる勇麻に、セルリアはニッコリ笑いながら首を傾げた。


「頭を下げられる覚えはちょっとないわ~。元を辿れば独断専行に出た私達が悪いのだし、これくらいするのは人として当然だと私は思うけれど?」

「まあアレだよ。お互い迷惑掛けたと思ってんだからよ、これでチャラって事にしちまえばいーんじゃねぇのか? このスカーレ様としても、そういうスッキリしない展開はあんまりお好みじゃないんでな。ケンカするなら後腐れ無く! 気持ちの良いケンカがいいよな!」

「ていうか、負けた私よりも重傷って一体どういう事なんですかぁー? ホント、勘弁してほしいですよ。私に勝ったんですからもっと堂々と、勝者らしくしていてもらわないと」

「……」


 こちらの一言に対してのレスポンス量が尋常じゃなかった。

 唯一この言葉の応酬に参加していないセピアだけが心の砦かと思った勇麻だったが、よくよくそちらを観察してみると、単純に勇麻に対する興味が無いだけのようなので、オアシスへの道のりは遠いのだった。


「……ええっと、とりあえずシャルトルさんの切り替えがとてつもなく速いって事はよーく分かった。あと、そこの自称スカーレ様。……アレを見てケンカという感想が思い浮かんだのならアンタは女の子としてちょっと手遅れかもしれない」


 あぁ? と何か文句あんのかよ的な声を上げるスカーレが怖かったので目線を合わせないように気を使いながら、勇麻はたった今しがた聞いたセルリアの話を思い返す。


 今勇麻がいるのは、シャルトルやセルリア達の暮らす、ごくごく普通の一軒家の中。より正確には普段は使われていない和室の畳の部屋にいた。もともと客間として使用している物で、あえて一室を空室にしておいたらしい。仕事の都合上、誰かを匿ったりなど、そういうときに重宝するそうだ。

 シャルトルとの戦闘の後、気を失い倒れた勇麻をセルリア達がここまで運びこみ、驚くことに治療まで施してくれたらしい。

 正直言ってシャルトルに勝った自覚どころか、途中から意識が飛びかけていた為、途中経過すらあまり覚えていない。

 そんな勇麻的には、あれだけの実力差があったシャルトルをどうやって倒したのかが凄い気になるのだった。

 

 だが、そのことに関してはシャルトルが、

 

「負けた私がとやかく言えるような事じゃ無いんですけどねぇー。アナタはもう少し戦い方ってのを考えた方がいいと思いますよ? あんなのは人の戦いじゃ無いです。もっとご自身を労ってあげないと、アナタにこき使われる“身体が”可哀想です。身体が」

「……はあ。心配してくれてんの?」

「は? 何言ってるんですか私はアナタに無理やりこき使われているアナタの身体が可哀想って言ったんですよちゃんと聞いてましたか耳鼻科行きますか?」


 やけに身体の部分を強調していたのはともかく、シャルトルがここまで言うくらいだから相当無茶で馬鹿な戦い方をしたのだろう。

 覚えてないけど。

 と、不意にこれまで沈黙を守っていたセピアが、

 

「……んナ」

「ちょ、セピア! 馬鹿な事言うのはやめてくださいよ! わ、私のどこがそんな……つ、……ッ!」

「ンな」

「だ、だから、違っ……」

「あははっ、シャルトルの野郎、セピアにからかわれて顔真っ赤にしてやがる。これはイイ感じのネタを手に入れた予感がするぜ」

「うっさい! 馬鹿スカーレ!」


 セピアが何を言ったのかは勇麻には全く理解できなかったのだが、この姉妹の内ではこれで通じるらしい。

 シャルトルの顔が本当に真っ赤になっていたので、よほど気に障る事を言ったんだろうなー、とそんな感想を抱きながらボケーっとそのやり取りを見ていた。

 すると、


「こ、こっち見ないでください!」 

「え? 別に良くね……って危なッ!?」


 何故かシャルトルに裏返ったような声でキレられる勇麻。しかも割と本気な風の弾丸のオマケ付き。

 顔の僅か横を暴力の塊が通り抜けていき、文字通り壁に風穴が開く。サァーっと血の気の引いていく勇麻を尻目に、セルリアはこの状況全てを総括してニッコリ笑顔でこう言った。


「あらあら、皆本当に仲がいいわね~」

「分かった! 四姉妹で一番色々と手遅れなのは多分この人だ!」


 首を傾げるセルリアからは一切の悪気を感じないのが、またおそろしいと思う勇麻なのだった。


「……まあとにかくだ。話を戻すと、俺は一応アンタらに勝ったって事でいいんだよな?」

「それは私に対する嫌味ですか?」


 ムスッと不機嫌さを顕わに頬を膨らませるシャルトル。

 その表情が隣のセピアにそっくりで、何だかんだでやっぱり姉妹なんだなぁ。という事を思い知らされる。


「嫌味じゃねえよ。しいて言うなら約束の確認がしたいだけ、かな」

「……ふん。それって結局、遠回しな皮肉じゃないですかぁー。『俺が勝ったんだから負け犬のお前が約束破る訳はねーよな? ん? いや、別に破ってくれてもいいけどさ。それでお前の安いプライドが痛まないならなぁ。くっくっくく……』っていう感じのぉー」

「……すごく嫌な解釈の仕方してやがんな、お前」

「フン」

「まあ拗ねてるシャルトルちゃんが可愛い過ぎるっていう議論はひとまず置いておくとして~」


 アナタがたった今言い出すまでそんな話題は出ていませんでした! とか勇麻は言わない。

 そんな天然というか、どこか抜けてるセルリアの言葉を引き継ぐようにスカーレは笑い、

 

「――まあ何にせよ、勝ったのはアンタだ。そこん所は心配しなくても大丈夫だぜ。周りにどう思われてるかは知んねえが、アタシらだってこれでも一応は正義を語る側の人間のつもりなんでな。約束くらい守るさ。今回の天風楓の件について、背神の騎士団(アンチゴッドナイト)は手を引く。後の事はアンタに全て任せるよう、アタシらからボスに打診しといてやったからよ」


 真っ白な歯を見せつけるようにニカリと笑い、男らしいサッパリとした笑顔を見せるスカーレ。

 サムズアップされた右手が何とも頼もしい。


「あらまあ、スカーレちゃんてばカッコいい事言うわね~。そういえば未だに戦隊物とか好きだものね~。ヒーローが大好きなのね、スカーレちゃんは」

「なッ!? いったい何年前の話してんだよ! この歳になってそんなもん見てる訳ないだろ! ってかセルリア姉、毎回毎回マジメな所で変に茶化すのやめてくれよマジで……」

「あらあら、そうだったかしら?」


 不思議そうに小首を傾げるセルリアに、スカーレはため息をついた。 

 どうやらこの人はこれが通常運転らしい。

 妹達の苦労が察せられて、勇麻は心の中で合掌した。

 ……ご愁傷様です。


「ところでアナタは、いつまでそんな所でボケーっとしてる気なんです?」


 不意に意識の外側から話掛けられて、勇麻の反応が一瞬遅れる。

 それをどう捉えたのかシャルトルは呆れた顔で、


「あれだけ切羽詰まってたんですから、急いだ方がいいんじゃないですかぁー? 天風楓の所。彼女とは知り合い、なんでしょ?」


 そこまで言われてようやくシャルトルの言葉の意味を理解した。

 寝起き特有の、どこか薄い膜が掛かったような頭をどうにか働かせて、勇麻は慌てて口を開いた。


「あ、ああ。それもそうだな、こうしてぐっすり寝てたって事は結構時間も経ってるんだろうし。……そういえば、今何時か分かるか?」

「時刻は夜の九時を少し回った所ですよ」 

「あれ? 思ったより時間経ってないな。俺がアンタらに襲われたのが夕方くらいだったから、三時間くらいか」


 勇麻は安心したようにそう呟き、その数秒後に自分の呑気さを思い知らされる事になる。


「──三日」

「へ?」

「三時間じゃなくて、丸三日間。東条勇麻さん。それがアナタが眠っていた時間です」

 

 は?


 勇麻の表情がそこで固まった。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。三日も俺は眠り続けてたって言うのか!?」

「正確には三日と三時間かしらね~。随分と気持ちよさそうに眠ってたわ。……おでこに落書きしようとしたら止められてしまったけれど」


 命を救ってくれた恩人でもあるセルリアのマイペースな台詞が今はただただ腹立たしい。

 気を張っていなければ殴り掛かりかねない自分を抑えるため、勇麻は怒りの矛先を無理矢理自分へとねじ曲げる。


「馬鹿か俺は! 三日間だけでいいから任してくれって、あんな啖呵切っておいて、既にもう三日経ってるって……くそ! 貴重な時間を……」


 焦りが怒りが苛立ちが無力感が、嫌な感情ばかりが湧き上がる。

 どうしようもない悪循環。

 その泥沼にハマっていると自覚は出来ても、抜け出す為の明確な方法が分からない。

 ヤバい。ヤバい。このままじゃ、本当にヤバい。

 ……でも一体何が、どうヤバいと言うのだろう。

 思考までもが迷宮に陥る。

 分からない。

 辺りは真っ暗で、正しい道などどこにも見当たらず、まるで勇麻は迷子の子供のように──


「──落ち着いてください!」

「!?」

 

 手に触れる暖かい感触と力強い言葉。

 その二つが勇麻を正気に引き戻した。


 勇麻の手を優しく両手で包み込んだまま、シャルトルは勇麻の瞳を真っ直ぐに見据える。

 澄み渡った、翠色の瞳が目の前にあった。

 こう間近で向かい合うと、やはり可愛らしい女の子なんだなと、場違いな感想だけが空虚な頭に響いた。


「大丈夫です。天風楓は、まだ決定的なラインを越えてはいません。アナタが意識を失っていた三日間の間に新たに襲撃された博物館の数は五つ。ですが、未だに犯人が彼女であるという事実は露見してはいません。今ならまだ間に合います。だから、落ち着いて下さい」


 シャルトルはしっかりとした声で、言い聞かせるようにそう言った。

 

「あ、あぁ。……悪い」


 予想外の状況に、どこか上の空のような返事を返してしまう。

 掌を包む暖かい温もりを妙に意識してしまい――電子音が勇麻の耳を打った。

 勇麻のズボンに入ったスマホの着信音だった。


「電話、毎日のように鳴ってましたよ。非常時だったので失礼して一応事情は話しておきましたが、心配かけてるんだし、出たらどうなんですぅ?」


 はっと気が付くと、掌に感じていた温度は消失していた。勇麻は言われて慌ててズボンからスマホを取り出すと、通話ボタンを押した。

 スマホ越しに、聞き慣れた少女の声が聞こえてきた。

 何故だろう。思わず頬が緩む。


『む、ようやく繋がったのだ。勇麻! お主無事なのか?』

「ああ、心配を掛けて済まない、アリシア。俺なら大丈夫だ。後でお前にも勇火にも謝る、だけど今は――」

『うむ。分かっているのだ。以前お主に頼まれていた件について、だろう?」

「察しがいいな。流石アリシアだ」

『む。これくらい当然だ。で、どうする? さっそく始めてもいいか?』

「あー、そうして貰いたい所なんだが、こちらとしても予想以上に時間が無い。移動しながら話してもらう形にして貰ってもかまわないか?」

『うむ。問題ないぞ』

「ありがとう。すぐかけなおす」


 勇麻は通話を終了させて顔を上げると、片目を瞑ったシャルトルが声を掛けてきた。


「で、どうするんですぅ?」


 問いに対する答えは決まっていた。


「悪い。行くところができた。シャルトル、セルリア、スカーレ、セピア。アンタ達には色々迷惑かけたな。お礼も何もできなくて申し訳ないけど、すぐ行かなくちゃならない」

「おい、場所の見当はついているのかよ」


 そう問いかけたのはスカーレだ。

 天風楓がどこにいるのかもわからないのだから当然の質問だと言える。

 対して勇麻は、


「当てが無いって訳じゃない。アイツは『風』系統の神の能力者(ゴッドスキラー)だからな。アイツが力を使えば自然とこの街の風の流れはアイツに集まる。それを辿って行けばどうとでもなるさ」


 勇麻が天風楓を前にして何をすべきなのか。それはまだ分からない。

 けれども一つだけ確かな事があった。


「手遅れになる前に俺が行かないと、ダメなんだ。だから、ありがとう」

「全く、面倒くさい人ですねぇー。これで天風楓にあっさり負けて、私の顔に泥を塗ったら許しませんからね」

「任せておけ。アンタに勝った男として、アイツは俺が止めて見せる」

 

 天風楓の元へ。

 東条勇麻が駆けつけなければならないのだ。


 偽物の英雄として、

 泣いていた彼女の、幼馴染として。



☆ ☆ ☆ ☆



 夏だというのにここ最近の雨の日の空気は冷える。

 セルリアは口元から離した紅茶の入ったティーカップを、テーブルの上のソーサーに置く。

 ゆっくりと吐息を吐いて一息。

 一人の少年を見送ったその部屋には、今現在緩やかな時間が流れていた。

 少年を介抱した和室では無い、リビングルームに四人はいた。

 大きめのテーブルにイスが四つ。

 四姉妹はそれぞれ専用のポジションに座り、ある少年のせいで訪れた突然の暇を持て余していた。  

 机に突っ伏すようにしているシャルトルに、スカーレが話し掛ける。 


「にしても、本当に行っちまうとはな」

「何ですかスカーレ。まさかとは思いますが、今更決まった事に文句を言う気なんですかぁ? 男の癖にねちっこいですねぇー。 格好いい事言ってた癖に、台無しですよぉー?」 

「バーカ、ちげえよ。普通あれだけボッコボコにされた人間が、セルリア姉の治癒があったとはいえ、三日で意識を取り戻すとは思わねーだろ? ……あとな、知らないみたいだから一つ教えといてやる。アタシは女だ」


 事実、このまま東条勇麻の意識が戻らない場合の案もセルリア達の間では話し合われていた。 

 勇麻の目が覚めるのがあと一日遅かったら、再びセルリア達が天風楓と対峙する事になっただろう。

 しばらくの間仲良くシャルトルと睨めっこを続けていたスカーレは、不意に視線を外すと。


「てかよ、セルリア姉もよくあれだけの傷を三日で治したよな。アタシは正直な所間に合わないかと思ってたぜ」


 スカーレの言葉にセルリアは何がおかしいのか、くすりと思い出し笑い。


「あ~、その事ね。確かに、シャルトルちゃんに必要以上にボコボコにされて気を失ったあの子の身体は、私が診た時点でかなりボロボロだったわ~」


 実際、彼の状態は酷い物だった。

 左腕骨折。あばらも四本程折れていて、下手をすれば内臓を傷つけていた恐れもあった。

 鼻は陥没骨折。左目の腫れが酷く、顔全体が一回り程大きく腫れてしまっている。

 身体中に打撲を負っていたし、大量の出血で、体力の消耗も激しい。


 ここまでボロボロになっても立ち向かい続けた東条勇麻も大概だが、ここまで容赦無くボロボロにしたシャルトルもシャルトルだ。

   

 セルリアの言葉に、シャルトルはどこか居心地悪そうに視線を逸らして、知らん顔をしている。

 その横顔を見るに、どうやら彼女自身やりすぎた事を少しは気にしているらしい。

 

「た、確かに、ちょっとやりすぎたとは思ってますけどぉ、別に私は、あれが間違いだったとは思ってませんから」

「はいはい、分かってますよ。……もう、シャルトルちゃんってば、素直じゃないんだから~。本当はあの子の事が心配で心配でしょうがないのよね?」


 シャルトルはふるふると肩を震わせながら、


「……セルリア姉さん。そういう道化的な役割は、私じゃ無くてスカーレが担当だったと記憶してるんですけど。ほら、ピエロの赤鼻みたいに悪目立ちする真っ赤な髪とか、お似合いでしょ? あーもしくはトナカイですかねぇー?」

「あらあら~。そうだったかしら?」

「おいテメェ、シャルトル! お前今、全国の赤髪を敵に回したかんな! ジルニアさんを侮辱しといて、ただで済むと思ってんのか!?」

「ハッ、何を言ってるかよく分かりませんねぇー。赤鼻のトナカイと一緒にいる真っ赤な服着たお髭のお爺様がバカにされないように、私はスカーレ以外を馬鹿にした覚えはありませんよ? そっちこそ勝手に仲間を作ろうとしないで貰えますぅ? スカーレ如きとジルニアさんを同列視するなんて不遜も甚だしいって気が付いてますぅ?」

「前々から思って事を言ってもいいか? ……テメェムカツクぶっ飛ばす!」


 そのまま二人は自分達だけの世界に入っていってしまった。

 相変わらず仲良くじゃれてる(物理)二人に、セルリアは本当に仲がいいのね~、呟く。

 姉妹仲が良いのはとても喜ばしい事ではあるが、こう入り込む隙が一部も無いと、少し嫉妬してしまう。 

 

「まあいいわ。こっちはこっちで仲良くしますから。ね~、セピアちゃん?」

「……ンな」


 かったるげに机に肘を付いていたセピアはそう短く答えると、少し間を開けて再びセルリアへ言葉をかける。


「な、……ンな?」

「ん? あぁ、そうね。セピアちゃんも気が付いてる通りよ。本来、“私程度の治癒の力じゃ彼を戦える状態まで回復させる事は不可能だったわ”」  


 セルリアの力は基本的には水を操る物だ。

 水の持つ性質の一つである、癒やしの力。それを利用する事で簡易的な応急処置程度なら可能だが、骨折を数日で治す事など不可能だ。

 だいたい、それだけの回復能力を持ち合わせているなら、セルリアの名前はもっと世に売れているハズなのだから。

 彼女にできるのはせいぜい止血と痛み止め、それから本人の治癒力の促進程度だ。


 だからセピアの問いは的を得ていた。

 普通に考えればあの少年の意識は今頃も戻っておらず、仮に意識があったとしても満足に動ける状態では無かっただろう。

 

 あの異常とも呼べる回復力は一体……。


「あの子のあの回復力……。神の力(ゴッドスキル)の技能の一部かと思ったけれど、あるいは──」  


 そこから先はどれだけ論じても想像の域を出ず、結局謎だけが残ったのだった。 


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