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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
最終章 承/弐 人世ノ業、詠イ奏デルハ『厄災遊戯』――醜ク愚カナ『人間』ノ物語ヲ貴方ニ
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第七十話 一月五日 記録Ⅻ――波濤の如くうねり押し寄せるそれは/波乱継続混沌続行


 現実世界時刻:二〇XX年 一月五日 午前一時三十一分。

 座標:《魔力点β》プエルト・ナタレス【遊戯難度B】理想郷エピスィミ・ア・リスィア。 

 密林エリア。



☆ ☆ ☆ ☆



「――じゃあな、愉しかったぜ。ロジャー=ロイ」



 ――遊戯終幕。


 第四幕を数える今宵の『裁定戦争』は、『厄災』の勝利によってその幕を閉じた。


 全てを諦め手放し至った神を模倣す至天の領域。それでも尚ただ一つ望み掴んだ結末を最後の最後で奪われた男は、『魔力点』を維持する『核』へと成り果てた。


「さぁてと、これで俺のノルマは無事終わった訳だ」


 男を愛し支えた女の慟哭が木霊する。

 ロジャー=ロイの全てを奪い終えたからか、嗚咽を零す女に対する興味を完全に失っているらしいアレクサンドロスは、悉くを奪い尽くした敗者どもに背を向け歩き出す。

 既に、数瞬前までの愉悦に満ちた表情はそこにはなく、穴の空いた袋のような虚無感がアレクサンドロスの顔には浮かんでいた。


「『核』を手に入れた以上、これ以上厄災遊戯(ゲーム)を続ける意味もねえんだが……」


 勝利報酬を餌に獲物を釣る必要がなくなった為、むしろこれ以上『欲物狂争プリンシプル・ウォー』を続けるのは『魔力点』にとって害にしかならない。

 『魔力点』を完全に閉じて、人間を生きたまま保存する虫篭にでもしてしまった方がよほど効率的だろう。

 だが、そんな事をしてしまってはいよいよ本当にアレクサンドロスのやることがなくなってしまう。


「余所の『魔力点』へお邪魔する……ってのも俺的にはそそるモンがあるのは事実だが――ああ、いや。そんな事したら今度こそエリスのヤツに愛想尽かされちまいそうだし、どうしたモンかねぇ」


 急に暇になってしまったと、頭の後ろで手を組んで、有り余る時間と退屈を弄ぶように呟くアレクサンドロス。

 その耳朶を、何か柔らかいモノを食い破るような音が、震わせた。



 というか。



「――あ?」


 

 脇腹。

 この惑星の管理者たる『特異体』に次いで高い『神性』を持ち、人智を超えた超常たる存在であるアレクサンドロスの脇腹が、背後から食い破られていた(・・・・・・・・)



☆ ☆ ☆ ☆



 【簡易現状報告】


 現実世界準拠時刻:二〇XX年一月五日午前一時三十三分現在。《魔力点β》プエルト・ナタレス。理想郷エピスィミ・ア・リスィア。『核』獲得により地球表面への『魔力点』定着を確認。

 『魔力点』術式維持、『儀式』発動時の魔力リソースの確保に成功。 

 『核』確保に成功した『魔力点』、全体の五分の一に。

 天風楓より徴収した干渉力と合わせて探求者の『神門審判計画』実行に必要な『儀式』の成功率、四十パーセントを突破。


 人類滅亡の危機、依然として継続中。

 引き続き、『赤い線条(ライン)』を用いた物語の収集に努めます。



☆ ☆ ☆ ☆



  現実世界時刻:二〇XX年 一月五日 午前零時七分(・・・・・・)

 座標:《魔力点γ》天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)【遊戯難度B】停滞飽和未來域・支配領キガ。

 覇食の館、王の広間。



☆ ☆ ☆ ☆



 時間は、少しばかり巻き戻る。


 《魔力点β》プエルト・ナタレスで勃発した〝強欲が果ての騒乱〟アレクサンドロスと女王艦隊第一旗艦『恐れ知らず(ドレッドノート)』ロジャー=ロイの遭遇戦は記憶に新しいと思う。

 これより語られるのは、激化したロジャーとアレクサンドロスの戦闘が一区切りを迎え、第二遊戯が開催される前の出来事だ。

 物語の時系列をこの先に進める為には、天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)に生じた『魔力点γ』において、もう一つ大きな動きがあったことを記しておかねばならない――



「――ンンンンンンンンンンンンンンンンンンンまぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアいあいあいあいあいあいあいあいあい愛愛愛愛! 不味い! けれど旨い!! なんっなのだこれはッ、決して褒められたような美味ではないというのに我が脳を蹂躙するようなこの旨味ッ、迸る快楽ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!! 高級食材の持つ素材本来の味を打ち消し合成着色料塗れにして油の中にただぶち込んだコンビニのホットスナックのような台ィ無しィ感! 感謝すべき食材に対する粗雑な扱いと、命そのものを無為にする虚無感! そしてそのような料理とも言えぬナニカを食す事への抗い難き背徳感!!! だがそれがイイ実にイイ気持ちイイ心地イイッッ!!」

「気に入って貰えたんなら結構や。なら、前に話した件は決まりっちゅう事でええな? ええよな? その為の商品や、取引や。食った分は代価を払って貰うのは当然や。当然の権利やろ?」 


 壁も床も天井も、ありとあらゆるものが美しい水晶で構成されている中世ヨーロッパの城にも似た構造の建造物内に、狂い壊れた食の凶人の歓喜の叫喚と、商人を自称しておきながら鼻につく傲慢さを隠そうともしない尊大な男の声が轟いていた。


「まさか――まさかこのワイからたんまり商品を貰っておいて代金は払われへん、なんて『傲慢』な事は言わんよなァ??? 〝飢饉の暴食〟アベル=ブルボンさんよォ?」


 まくし立てるように言葉を重ねる傲慢なる男の視線の先には、金銀財宝を駆使した装飾品で飾り立てられた悪趣味な純金のテーブルクロスが敷かれた長大なテーブルが鎮座しており、テーブル上には装飾以上の絢爛さを誇る豪勢な料理の数々が所狭しと並べられている。

 しかも料理はこれで打ち止めという訳ではなく、厨房では現在進行形で腕に覚えのあるシェフ達がその辣腕を振るい、不眠不休で追加の品を作り続けている事だろう。

 仮に供給が追い付かなくなった時にどうなるか、彼らは城に招待された時点で嫌とい程に思い知らされているのだから。

 まるでこれより大晩餐会でも執り行うかのような圧倒的物量は、しかしただ一人の為に用意されたものである。


 とはいえ、この空間において最も目を引くのはその長テーブルごと空間を貫くようにして天井まで屹立する巨大な水晶柱だろう。

 なにせ、水晶柱の結晶内部にはまだ幼い人間の少年と思しき人影がコハクの中の化石のように囚われており、異質なオブジェと化しているのだから。

 見る人が見れば、結晶内のその少年が三大都対抗戦において天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)Cチームの一員として絶大無比な干渉力で他を圧倒し『創世会』が誇る『三本腕』二人を同時に相手取ってみせた最強の念動使いである十徳十代の末路だと絶望と共に気付いてしまう事だろう。


 あの十徳十代でさえ『厄災』を前にどうする事も出来ず屈したのだ、と。



 ――尤も、この空間の主は既に喰らった残飯に対する興味など、欠片も残していないようだが。



「――ンンンンンンンンンンンンンンンンンンン価値あるものを貶め踏み躙り犯し尽す人間の『傲慢』さが滲み出たこの一皿ッ! まさに……まさにまさにまさにィィイイイイイ!!!!!! この惑星の支配者たる〝人間〟の至るべき究極。惑星そのものを喰らっているような優越感と悦楽はァあああああ最早食事にあってただの食事に非ず! 食欲、性欲、睡眠欲、三大欲求の全てを満たす究極の新たな快楽の形に他ならないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいンンホォオオオオオオオオ気持ぢィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」



 ただ一人の為に用意された無尽蔵の料理が並ぶテーブルに着き、マクシミリアンから贈られた材料を用いた料理を吟味し滂沱と絶叫と感涙とを繰り返すのはモノクルと首に巻いたクラバットが特徴的な貴族風の赤い男――〝飢饉の暴食〟アベル=ブルボン。

 そして、その対面で『商人』として商売用の胡散臭い笑みを貼り付ける傲慢に塗れた男――〝生死支配す傲慢〟マクシミリアン=ウォルステンホルム。


 両者共に、個にして全を。一騎にて人類を滅ぼすに足る力を有する超常存在。

 此度の『裁定戦争』における裁定側として『魔力点』を運営し、滅びを免れんとする人類の前に立ち塞がる人類より生じた業『七つの厄災』が一つである。

 

 そんな大物たちが顔を合わせ、世間話でもするかのような気軽さで始まったそれは、一言で言い表すのであれば最悪の密談だった。


「じゃあ、決まりや」


 『マクシミリアン王のプランター』と呼ばれる食料生産工場にて調整、製造された食用の人肉料理を口に運びながら奇声をあげ感涙する狂人に、『商人』はその口元にはじめて獰猛な笑みを刻み込んで、


「ワイのパンドラ(ピス)に色目使っとるあのアレクサンドロスとかいう糞野郎とその『魔力点』、ワイらで喰ったろうや」


 まるで気心の知れた友人を遊びに誘うような気軽さで、そう提案したのだった。

 ……最後の最後に、笑みの裏側に隠したドス黒く粘質な感情を覗かせながら。

 

「〝強欲〟だがなんだか知らんがワイの所有物モンに手ぇ出そうっていうのは……なァ、流石に『傲慢』が過ぎるやろ?」


 『厄災』として、主人格パンドラより与えられた使命である『魔力点』運営の命など知らぬ存ぜぬとばかりに、自らの我を通す為だけの傲慢が溢れ出す。


 自分を中心にこの世界は回っていると本気で信じて疑わないマクシミリアンを御するなど、土台無理な話。

 そしてそれは、他の『厄災』とて例外ではない。


「なんと……正気ですか、マクシミリアン殿。他の『厄災』が運営する『魔力点』を潰すなどと、そのような事を主人格がお許しになると本気でお考えなのですか?」


 マクシミリアンより贈られた人肉を使った料理を一通り食べ終え、まるで別人のように貴賓漂う優雅な仕草で汚れた英雄口元をナプキンで拭ったアベル=ブルボンは、ナプキンで口元を隠したまま驚きを表明する声をあげた。

 一瞬前までの奇声奇行が噓のような上流貴族然とした上品な口調と挙措に、しかしマクシミリアンは一切動揺した素振りもなく、それが当たり前であるかのように頷く。


「せやで、正気も正気。むしろ商機やでこれは」


 胡散臭い満面の笑みは、まさしくマクシミリアンの商人としての顔だった。


「そもそもや、考えてもみぃ。主人格ピスが何考えとるかなんてワイらには関係あらへん事やないか。なんせ、『魔力点』の運営方法に関してはワイらにそれぞれ一任されてるんや。なら、『魔力点』運営の結果として、『魔力点』の合併吸収とそれに伴う前経営者アレクサンドロスとかいう糞の役にも立たん厄災ゴミ人件費削減(しょぶん)っつー話になってもおかしくないやろ? それが最適であるとワイが判断したんやからな。マクシミリアンのクソを消した後に双方の『魔力点』を適切に運営し続ける限り、文句を言われる義理はないっちゅう話や」

 

 商人というよりは詐欺師のように淀みなく流暢に、マクシミリアンは結論ありきの理屈を舌先にてこねくり回す。

 勿論それは詭弁であり後付けの理論武装である。

 仮に厄災の贈り物(パンドラ)本人の前でこのようなふざけた事を宣えば、彼女の機嫌次第では即座に粛清される事すらあり得る暴論。

 されど『道端の石ころを伝説の宝石と偽って売り裁くのではなく、一銭の価値もない石ころが飛ぶように売れる状況そのものを作り上げるのだ』と豪語する男の言に、少なくとも嘘はない。


 真実のみを材料に虚構を構成するその手管は流石の一言。

 顧客を丸め込み言葉巧みに商談成立へと誘導するその様は、『奴隷』という決して大っぴらには出来ない商品を扱うアンダーグラウンドな売人として、客に残る人間としての真っ当な後ろめたさや罪悪感を緩和してきた男の本領発揮とさえ言えるだろう。


「……ああ、なんという事だ。それはなんと言う『傲慢』か。そのような暴挙愚行……主人格の命を捻じ曲げ同胞たる『厄災』を自儘に喰らってしまおうだなんて――」


 尤も。


「――最ッッッ高に美味しそうな話じゃあないですか……ッ!!!!」


 〝飢饉の暴食〟を冠する彼の『厄災』に、そのような搦め手を用いた後押しが本当に必要だったかと問われれば、些か疑問が残ると言うほかないのだが。


 なにせ結果はご覧の通り。 

 自らの直前の発言全てをひっくり返すように、アベル=ブルボンがマクシミリアンへと示した意思は自身と同じ『厄災』を滅ぼす事へのこれ以上ない自分本位な賛同であった。



 そして――そんな最悪の同盟が締結されるその瞬間を、『プラント』で偶然マクシミリアンと遭遇し、何故かこの場に連れて来られた鳴羽刹那とピア=ナルバエスの両名は呆然と眺めていた。


 献上奴隷として『プラント』に捧げられ、愛玩用に肉体を改造されてしまったピアの身体を元も戻す術を探るべく、『プラント』に潜入した二人。

 そこで偶然マクシミリアンに遭遇したのがやはり運の尽きだったのか。

 そのマクシミリアンの思い付きによって、半ば強制的にこの場に同行させられた二人は、各『魔力点』を繋ぐ『赤い線条(ライン)』を用いての移動の邪魔であったがために神の力(ゴッドスキル)を封じる『首輪』を外された状態にある。

 つまり、『神の能力者(ゴッドスキラー)』としての身体能力は勿論、『神の力(ゴッドスキル)』も十全に使用できる万全の態勢という事。


 それなのに、何も出来ない。

 ピアと鳴羽に出来る事と言えば、息を殺して沈黙を重ねる事くらい。

 自分達の存在を、彼らがこのまま忘れてくれることを願うしかない。

 眺めている事すら致命的。

 そう分かって尚、動く事さえ出来ない程に両名は絶対的な窮地に立たされていた。


 なにせ一人でさえまるで手に負えない『厄災』が二人並ぶ最悪の状況だ。突破も逃亡も不可能だと、そう断言できる。

 両者の話し合いを邪魔しようものなら、その瞬間にとって喰われるだろうという最悪の確信がある。

 本能が鳴らすけたたましい警鐘に、二人は息をする事さえ忘れて固まっている。

 逃げる事さえ命とりだと、身体がまるで動かない。


(流石にやっべぇな、コレは……スッゲー圧だとか、そんな事を言ってる場合じゃねえぞ、マジで……!)


 あの鳴羽刹那でさえも、自身の本能に抗えないでいる。


 だがそれも、ある意味では当然の事だった。


 本来、神の能力者(ゴッドスキラー)と『七つの厄災』との間には絶対的な『神性』差が横たわっている。

 鳴羽刹那がマクシミリアン=ウォルステンホルムを前にして普通に動く事が出来ていたのは、『魔力点δ』、黄金奴隷王国エルミニアにいる間は『厄災遊戯ゲーム』の強制力ルールによって遊戯ゲームの進行に著しい影響を及ぼすような『神性』差による影響を無効化されていたからに過ぎない。


 だが、二人がいるこの城は『魔力点δ』ではない。

 『魔力点γ』。

 『停滞飽和未來域・支配領キガ』においてアベル=ブルボンが主催する『厄災遊戯ゲーム』に参加していない鳴羽とピアは、その強制力ルールの恩恵を受ける事が出来ない。

 アベル=ブルボンが発する剝き出しの『神性』を浴びた鳴羽刹那とピア=ナルバエスは、その『神性』差に完全に本能が屈してしまっているのだ。

 

(お願いお願いお願いお願い……っ! 見ないで見ないで見ないで見ないでこっち見ないでお願いだから……っっ!)


 額を滴る脂汗が、心臓の鼓動の音が、血管を流れる血液のせせらぎが、些細な生体音の全てが『厄災』の神経を刺激してしまいそうで恐ろしい。

 この場を生き延びる為には全ての生命活動を停止しなければならない。そんな堂々巡りの矛盾が頭の中でぐるぐる回る。

 気が狂いそうな時間は遅々として進まない。

 

「……ああ、いけない。いけません。〝強欲が果ての騒乱〟アレクサンドロスを、『厄災』を私が喰らう? 『神性』迸る勇者の如き鍛え上げられた硬い肉と皮を、頑強にして強靭な肉体を支える建材めいた骨格を、体中に張り巡らされた血管や神経、その全てに齧りつき、噛み砕き、啜り、嚥下し、胃に落とす……その瞬間を想像しただけで――ああ腹が減る……ッ!」

 

 モノクルの奥で光を放っていた男の理知が、飢餓に揺れる。

 上品な貴族の仮面の下。抑えきれない獣の空腹が、涎となって半開きのアベルの口元から滴り落ち始めていた。

 アベル=ブルボンの飢えが、飢餓感が、満たされることなきその空腹という名の狂気が、男の中に潜む『暴食』を顕現させる。


 ――これは予定調和だ。

 いずれこうなる事など誰の目に見えていた。

 厄災の贈り物(パンドラ)はともかく、彼ら『厄災』を人類裁定の試練として期用した探求者シーカーとて、彼らがお行儀よくこちらの期待に沿う動きをするなどとは考えていない。

 むしろその予測不能さえもあらかじめ組み込んでの裁定戦争なのだろう。


 『厄災』がどう動くにせよ、人類は『厄災』という自らの業が齎す滅びに直面し、生存の為の対応を求められる事に変わりはない。 

 『厄災』とはただそこに在るだけで不幸と災いを齎し、文明を滅ぼさんとする災禍なのだから匣の中より地上へと零れ落ちたその時点で、それ以上何を命じる必要もなく人類への脅威として機能するのだから。

 

「……『傲慢』に『強欲』に『暴食』にィいいいいいいいいいい!! ありとあらゆる美食駄食虚食粗食の総てを食べ尽くしっ、飲み干すっ! それこそ我が総て! 我が願いにして存在意義なればあああああああ――嗚呼! 『傲慢』を食すは我が使命ィィいいいいいいいいイタッ! ダキッ! マスッッッッッッ!!」


 モノクルの奥の瞳に狂気を渦巻かせ、大蛇の如く開けた大口から涎と絶叫とを迸らせる深紅の貴族は勢いそのままに衣服の上から自らの左腕に歯を突き立てて――ブぢっ、ミチブチバキグジャッッッ!!! 

 肉の繊維を引きちぎる異音を響かせながら、アベル=ブルボンは一息に自らの腕を食い千切り咀嚼しはじめたのだ。


「――ンああああああああああああああああああああああああああああああああああ痛い美味いたい美味いたい美味痛い美味痛い痛い痛い美味ぃいいいいいい!! 『暴食』の踊り食いィィ最っ高ォォォおおおおおおおおおおおおおおおに美味であるッッ!!!!!!」


 鮮血の雨の中、魂の絶叫があった。

 痛苦を訴える類のものではない。至上の喜びに、心を震わす悦楽に、舌の上で踊る幸福に、アベル=ブルボンは喝采する。

 頬に跳ねた自らの血を極上のワインでも味わうかのように長い舌で舐めとって、深紅の貴族は凄絶な笑みを貼り付ける。


「……これが、これこそが『厄災』の味……未だ知らぬ極上の素材、至上の食材を『厄災』に見たり! ……嗚呼、ならば。喰わずにいられる訳もなし!!」


 『厄災』を食べる未来へ想いを馳せ、興奮のあまり自らの腕を喰らう〝飢饉の暴食〟アベル=ブルボン。

 痛みと感動に涙を流し恍惚の絶叫をあげる『厄災』の狂行に、それを眺める二人は言葉を失っていた。

 

 ……あまりにも違う。 

 存在が、根本が、本質が違い過ぎる。

 人類と同じ姿形をしている『厄災』は、けれど絶望的なまでに人類と相容れない。

 アレを理解する事は絶対に不可能だと、目の前の存在を悍ましい理解不能の怪物であると切り捨て目を逸らそうとしてしまうその心を、一体誰が責められるだろうか。


「いいでしょう、是が非でも私はアレクサンドロスを――『厄災』を食したい。故に、貴殿の要請に応じましょう、〝生死支配す傲慢〟マクシミリアン=ウォルステンホルム」

「わはははは! さっすがやでぇ、ジブン。ほんま話の分かるええヤツやで!」


 対して、同じ『厄災』であるマクシミリアンは、アベル=ブルボンの異様な奇行を気にもとめず機嫌よく呵呵と笑って、最後に思い出したようにこう言った。


 鳴羽刹那とピア=ナルバエス。『厄災』を前にして動けない二人を指差して、


「ああ、そうそう。そこのゴミ二匹はワイからの同盟締結祝いや。煮るなり焼くなり好きにしてくれてええで」


 瞬間、今までこちらを一瞥もしなかったアベル=ブルボンの視線が、鳴羽とピアを射抜く。


「ほう……これはこれは……」


 ――認識された。

 その事実に、鳴羽刹那の背筋が凍りつく。

 この時点で、最早これ以上息を潜めて立ち竦んでいる意味はなくなった。

 一刻も早くここから逃げるべきだ。

 鳴羽の神の力(ゴッドスキル)であれば、例え『厄災』が相手であろうとも逃げるだけなら十分に勝機はある。

 頭ではそう分かっているのに、『厄災』二人の視線を浴びる鳴羽とピアは、満足に動く事すら儘ならない。


「……人間の少年に獣の耳と尻尾を生やした少女、ですか」

「ひぃ……ッ」


 モノクルの奥の理知的な瞳を鋭く細め、値踏みし品定めするような無遠慮な視線がピアへと注がれる。

 ピアの猫耳と尻尾が逆立ち、喉奥に張り付いたような悲鳴が漏れた。



 ……まずい。

 まずいまずいまずいまずい……!

 焦りがあった。恐怖があった。絶望があった。

 だがそれでも、最後の刹那まで諦める事だけはしない。

 全力でこの瞬間を生き足掻く。その覚悟が鳴羽にはあった。それが、刹那という名を与えてくれた顔も覚えていない両親に対する唯一の親孝行だと信じている。

 だから、例え勝ち目がなくとも隣のこの子を逃がす時間くらいは稼いでみせる。

 そう、思うのに……


(……動け)

 

 食いしばった唇から血が流れる。

 痛みに、しかし足裏はセメントでも流し込んだかのように地面から離れない。

 一歩を踏み出す為の勇気を、鳴羽刹那はぎゅっと握り締めたピアの冷たい掌に求める。

 けれど。


(動けよ、俺……ッ! 例えこいつらに殺されるとしても、今この瞬間を全力で駆け抜けられなきゃ意味がないだろうが鳴羽刹那――ッ!!)


 ――絶対的な『神性』の差は、想いの力で越えられる域を超えていた。


「なぁに、これはサービスや。お代はいらんよって、遠慮なく貰ってくれや。……尤も、食用とちゃうから味は保証せえへんけどな!」

「そうですか」

「少年はともかく……ふぅむ、獣と少女の合挽肉というのはなかなかに興味をそそりますね……年若く、鮮度もいい。余計な筋肉がついていない分、肉も柔らかそうだ。さて、それでは――」


 コツコツと。靴音が響く。

 恐怖と絶望に喘ぐピアの息遣いが、鳴羽刹那の心を搔き乱す。

 動かない。

 それでもこの脚は動いてくれない。


 眼前。一メートルを切る距離まで近づいてきたアベル=ブルボンがその瞳をぐりんと狂喜に見開いて、顎が外れる程に大きく開いた口がピア=ナルバエスの柔らかな肢体を補足して――


「――イタッ! ダキッ! マ―ー」


 ギロチンを落とすように顎が閉じられる。その時だった。



「やらせると思うか?」



 光が、堕ちた。


「――っ!?」


 起きた現象は単純明快。

 頭上より稲妻が如く垂直に飛来した閃光が、ピア=ナルバエスに食らいつかんとしていたアベル=ブルボンを蹴り飛ばし返す刀でマクシミリアン=ウォルステンホルムに襲い掛かったのだ。


 唐突な乱入者。

 しかしマクシミリアンは、想定外であるはずの奇襲をあらかじめ予期していたかのように、迫る光に鼻を鳴らす余裕を見せる。


「なんやジブン、挨拶もなしに随分なやっちゃなァ――」

「ならばこれが挨拶代わりだ、喰らっておけ……!」


 急制動。衝突の寸前、男は自らの軌道を捻じ曲げるように地面に拳を叩きつける。瞬間、眩い閃光が弾け、一気に視界を純白に塗り潰す。


「あん? 目眩ましのつもりか知らんけどワイにそんなもん効か――」

「言葉遣いが荒いガサツな男は自意識過剰なものなのか? 誰がいつ、お前の視界を奪うと言ったんだ」


 嘲るように吐き捨て、輝く眩い光の中。その人影は背後の二人へと叫ぶ。


「鳴羽刹那! ピア=ナルバエス! 今なら動けるはずだ、照準を僕に固定して(・・・・・・・・・)逃げろ!」

「――!」


 その声に、鳴羽はいつの間にか身体の自由が戻っている事に気付く。

 

 『厄災』や『特異体』に関する知識のない鳴羽は知る由もない事だったが、男の閃光により視界が奪われた結果――視覚より取り込むアベル=ブルボンの情報が減少した事により――『神性』差による生じる本能的な恐れが緩和されたのだ。


 ……身体は十全に動く。

 首輪が外れている今、神の力(ゴッドスキル)も使用できる。これならば――


 鳴羽は依然として恐怖に足が竦んで動けずにいるピアの身体をひょいと抱き上げると、一人『厄災』と対峙する男の背に向かって、


「誰だか知らんが恩に着る! もし知ってるヤツなら重ねて謝るすまんマジで誰だか分かんねえ! でも必ず加勢に戻るから、だからアンタも死ぬんじゃねえぞ!」

「……うるさい、時間がないんだ僕に構わずさっさと行け! 彼女を死なせたくないのだろう!?」

「……ああ、ワリい! マジに助かった! ありがとう、ピカっち!」

「ピカ……!? ええい、またこの僕におかしな渾名を……!」


 苛立たしげに声を荒げる名も知らぬ男に頭を下げる。男の想いを無駄にしない為にも、ここは全力の離脱を試みるべきだろう。

 少なくとも、ピア=ナルバエスを安全な場所へ移動させるまでは無茶をすべきではない。

 助言に従い、刹那捕縛キャッチ・ザ・モーメントの対象を男に合わせ、鳴羽は即座にその場を離脱しようするが――

 

「待てや。塵芥の分際で、何を勝手に出ていこうとしとんねん。ワイの許可もなく逃げようってのはなァ、流石に『傲

「――お前の相手は僕だと言っているのが分からないか?」

「……チッ」


 光の速さで肉薄した男の放つ光の散弾銃のような攻撃に言葉を遮られたマクシミリアンが鬱陶しげに舌打ちをしている間に、男の行動を基準にその倍の『行動権』を『刹那捕縛キャッチ・ザ・モーメント』で得た鳴羽の姿は、既にどこにも見えなくなっていた。


「……行ったか」


 鳴羽刹那とピア=ナルバエスの離脱を確認した男の呟きに応じるように、空間を埋め尽くしていた白き輝きが収束し、次第に世界が色を取り戻していく。


「正直、今回は様子見のつもりだったんだが……まあこうなっては仕方ない。これで借りは返したからな、鳴羽刹那」


 肩まで掛かる程度の長さの金髪と、もみあげだけを黒染めし直したような髪が特徴的な整った顔立ちの男だった。

 光を操り光と化す術をその身に宿す男は、そうして見えなくなった鳴羽刹那の背中に、前髪を搔きあげながら自嘲するように呟く。

 

「……正直、複雑なんだよ兄としては。君を恨むべきか感謝すべきか、こんな局面に直面して尚悩んでいる自分もいた」


 彼にとって、鳴羽刹那はそこまで親しい間柄の人間という訳ではない。

 一度、オリンピアシスで『三本腕』と対峙した際に共闘した程度。会話らしい会話をした記憶もない。その程度の赤の他人だ。

 命を張ってまで助ける義理など、本来ならどこにもない。


 だが、鳴羽刹那は妹の願いを、想いを尊重してくれた。

 引っ込み思案で大人しい、自分よりいつも他人の事ばかり優先してしまう優しい妹の我儘を叶えようとしてくれた事を男は――天風駆は九ノ瀬和葉からの報告で知っていた。


「……君は、他と違うという理由で誰かを排斥しなかった。理想の世界が欲しいなどと嘯く僕が、そんな君を切り捨てられるはずもない。それに――」


 ピア=ナルバエス。

 献上奴隷として『プラント』に捧げられ、愛玩用にその肉体を改造されてしまった少女。

 彼女の為に拳を握り、『厄災』に立ち向かおうと足掻く姿を、天風楓はどこかの兄妹に重ねていた。


「――妹に優しくしてくれた人を見殺しにするのは、兄失格だろうからね」


 結果として鳴羽刹那が天風楓を試合に送り出した事が吉だったか凶だったかは今更語るまい。


 それでも、彼が天風楓を――あの時送り出した鎧の中身が楓であると知らなかったとしても――思いやって行動してくれたという事実は、揺るがないのだ、と。


 そう言って強がるようにシニカルな笑みを広げる駆の眼前に、


「なるほどなァ、それがジブンの遺言っちゅう事でええんやな? 天風駆」

「……男性、年齢は十八から二十二歳。身長は平均やや高め。肉体的にはやや虚弱で痩せ型、人体実験の形跡あり……ふぅむ。あまり良質な肉ではなさそうですが――〝光を食べる事が可能かどうか〟には興味が尽きません。ええ、是が非にでも! 実食して確かめたい……!」


 『厄災』という名の絶望が、二つ。

 明確な敵意と殺意をもって天風駆の前に立ち塞がっていた。


「悪いが、妹がどこかで僕の助けを待っているんだ。君らの食事になるつもりは毛頭ない。今日も今日とて押し通らせて貰おうか」


 『光の術師(シャイニング・アルス)』。

 自らを光の粒子へと変換し、光速に達した神の能力者(ゴッドスキラー)


 突如盤面に姿を晒した最速の男の登場により、戦況はまたも大きな揺らぎを見せ始めようとしていた。

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 ※※※叡智の蒐集・更新停止に伴い、『天智の書』の余剰リソースを用いた新章が公開されました。
閲覧の際は注意事項を確認のうえ、細心の注意を払って頂きますよう、お願い致します※※※
『天智の書:人ノ章(ベータ版)』
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