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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
最終章 承/弐 人世ノ業、詠イ奏デルハ『厄災遊戯』――醜ク愚カナ『人間』ノ物語ヲ貴方ニ
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第六十九話 一月五日 記録Ⅺ――VS.『七つの厄災』〝強欲が果ての騒乱〟/結末には驚きを、慟哭には嘲笑を

 ――厄災遊戯ゲーム:『欲物狂争プリンシプル・ウォー

 自身の心の裡、本当の声を聞き届け、憚ることなく心ゆくまで己を満たせ。全ての物、全ての者を欲するその強欲が、破滅と繫栄の分水嶺なり。

 【ルール】

 ・この遊戯ゲームは、個人ごとに設定された特定のアイテムを入手する速度を参加者全員で競う遊戯ゲームです。設定された五つのアイテムを全て集め終えた時点のタイムで順位を決定します。

 ・『魔力点』全土を遊戯ゲームフィールドとし、フィールド内に入った時点で強制的に遊戯ゲーム開始となります。

 ・参加者が収集する五つのアイテムは、参加者本人が最も欲している五つが自動的に登録され、生成後、フィールド上にランダムに配置されます。

 ・三十分に一度スキャンが行われ、半径一キロメートル圏内に存在する人物が地図上に表示されます。また、地図上に表示されている人物が探している特定アイテムを自身が所持している場合、その人物のアイコンは警戒色で表示されます。

 ・他プレイヤーに接触した時点で、接触したプレイヤーの持ち物がランダムで一つ分かるようになります(確認は地図上に表示されたアイコンをタップする事で可能)。

 ・互いの半径一メートル圏内に入った時点で接触と判定します。

 ・遊戯ゲーム参加者は他の参加者が欲しているアイテムのうち必ず一つを初期装備として与えられます。与えられたアイテムは『大切なモノ』として自身の心臓と紐づけされます。『大切なモノ』を奪われるなどして喪失した場合ゲームオーバーとなります。尚、初期装備の『地図』を除いて『大切なモノ』以外にアイテムを所持している場合に限り、喪失からゲームオーバーまで一時間の猶予が与えられます。

 ・ゲームオーバーとなった時点で心臓が停止します。

 ・ゲームオーバーとなった時点で厄災遊戯ゲームの参加資格が剝奪されます。

 ・尚、遊戯ゲーム参加中の神の力(ゴッドスキル)の使用は不可能となっております。参加者の皆様につきましては、フィールド内に落ちているアイテムの使用を推奨します。


 持ち物

 ・『大切なモノ:騒乱穿つ女王の正義』

 ・『地図』



 《裡なる声を聞き届け空欄を埋めよ》

 ロジャー=ロイ

 Ⅰ.――

 Ⅱ.――

 Ⅲ.――

 Ⅳ.――

 Ⅴ.――


 制限時間:厄災遊戯ゲーム開始より七十二時間/現在、厄災遊戯ゲーム開始より二十五時間十八分五十七秒経過。

 主催者:なし。

 参加者:『魔力点』内部で存命の全知的生命体。

 参加者勝利条件:制限時間内に五つのアイテムを集める。

 参加者敗北条件:ゲームオーバー等による参加資格の剝奪。制限時間の超過。

 特記事項:勝利報酬が与えられる参加者は上位一名のみとなっております。

 ※主催者と参加者の立場はあくまでルールの上に平等で公平であり、遊戯ゲームの進行に著しい影響を及ぼす『神性』の影響を遊戯ゲーム中に限り無効とするものとする。 




☆ ☆ ☆ ☆



 現実世界時刻:二〇XX年 一月五日 午前一時二十六分。

 座標:《魔力点β》プエルト・ナタレス【遊戯難度B】理想郷エピスィミ・ア・リスィア。 

 密林エリア。



☆ ☆ ☆ ☆



 ――【game is over:ロジャー=ロイ】



 最初に生じたのは、純粋な疑問だった。



「な、ん――」


 そして直後に、困惑と焦燥。

 率直に言って、意味が分からなかった。


 だが、繰り返されるアナウンスの内容は、何度聞いても変わることはない。



 ――【game is over:ロジャー=ロイ】




 脳裏に響く無情な声は、やはりロジャー=ロイの敗北を告げている。


「はは、何だよオイその間抜け面はよォ。どうして自分が負けたのか分からないって表情じゃねえか、英雄サマ」

 

 眼前、アレクサンドロスは戦意をまるで感じない棒立ちで、始めからこうなる事を予期していたかのように愉悦の笑みを広げている。


 自信と余裕に満ち溢れたその姿は、第二遊戯終幕間際、諦観の果てに『神化』を果たしたロジャーが振るった無差別の破壊を前に狼狽していた事が噓のようで――それこそ最初の遭遇からこの瞬間までの全てがこの男の掌上であったかのようにすら錯覚してしまう。


 ……いや、もしもそれらが本当に錯覚ですらないとしたら――

 


「……『厄災』、これは一体どういう事だ……ッ」

「どうもこうもねぇよ、そのまんまの意味だ。てか、アレか? アンタもしかして、俺が遊戯ゲームの結果に直接介入したとか思ってんのか!?」


 アレクサンドロスはロジャーを煽るように大仰な仕草で驚いてみせて、自分で自分の言葉に堪えきれずに大きく肩を揺すり笑う。

 動作、言葉の一つ一つが――否、アレクサンドロスの全てがロジャーの神経を逆なでる神経毒のようだった。


「……ククク、あははハハハハハ!!! いやぁやっぱ最高だぜアンタ。最っ高のリアクションだよロジャー=ロイ! 大切なモンを奪われた瞬間の顔ってのは、やっぱこうでなきゃなぁ! こっちもわざわざサプライズを用意してやったかいがあるってもんだよ」

「サプライズ、だと……?」

「ああ、そうとも。わざわざこの状況を作る為だけに、俺は第二遊戯なんてモンを開いてやったんだからなぁ……!」

「お前……さっきから何を言って――」


 その時だった。

 敵であると同時に遊戯ゲームの主催者でもあるアレクサンドロスへ詰め寄ろうとしたロジャーが突如として苦悶の声を上げた。


「――ぐ、ぅ……ッ!?」

「ロジャー!?」


 ロジャーの胸で電撃じみた激痛が弾けた。

 鈍く、深く、重い、軋むような痛み。

 鷲掴みにされた心臓がそのまま石化して、石となったそれを鈍い鈍器で強引に抉られるような壮絶極まる凄絶な痛苦にロジャーは胸を押さえ、たまらずその場で膝を折る。


「があああああああああああ……っっ!!」

「お、始まったか」


 まるで、テレビの前で待っていた番組がようやく始まったくらいの気軽さでそんな言葉が呟かれた。


「ぁ……ッ、ぎィ、は――っ、かは――あ……っ!!」


 呼吸が乱れている。

 異様な発汗。

 思考が乱れ、靄が広がるように徐々に意識が朦朧となっていく。


 痛みは引くどころか時を重ねるごとに膨れ上がる。

 軋む、軋む、軋み上げる。

 苦しい。息が、出来ない。酸素が入ってこない。

 何故、どうしてこうなっているのか、何も分からない。この状況に対する理解が及ばない。……いや、これが遊戯敗北のペナルティである事は分かっている。だが、何故そのような判定ジャッジが下されたのか――突き付けられた敗北に、その理由を考えるだけの思考能力すら奪われていく。


 ひたすら、ただただ苦しかった。

 苦しさだけを理解して苦しさだけが思考を埋め尽くしていく。

 体中の細胞という細胞が酸素を求め、喘いでいる。それは、酸素を求め喘ぐロジャーと同じだった。


 ロジャーの全身が苦悶の喘鳴をあげ、ロジャー=ロイの全てが苦痛に塗り潰されるように彩られていく。


「――ロジャー! しっかりしてください、ロジャー=ロイ……! 


 悲鳴をあげて駆け寄ってくるユーリャに言葉を返す余裕すら、今のロジャーにはありはしない。

 そして、そんなロジャーを前にアレクサンドロスはニヤニヤと嫌らしい笑みを貼り付ける。見世物を見るかのように敗者を眺め、その悶える様を興味深げに観察し、時折面白がるように転がるロジャーを囃し立てている。


「……胸? もしかして、心臓が苦しいのですか……?」



 ――そんな最悪の状況下で尚、ユーリャ=シャモフという女は冷静だった。



「――うそ、心臓が止まっている……!?」


 ロジャーの胸に耳を当てたユーリャの顔から一気に血の気が引いていく。

 鼓動が、脈がない。

 心臓が完全に停止してしまっている。

 

「どうして、こんな……くっ!」


 加速度的に悪化していく事態に、一気に心の中に染み出し浸透していく動揺と焦燥。

 しかしユーリャ=シャモフはこの程度で全てを諦め投げ出すような玉でもない。

 素早い判断でロジャーの心臓が止まっている事を突き留めるたユーリャは迷いのない手つきで救命処置をすぐさま開始。

 初動が重要な救命措置において、迅速かつ的確な判断と処置。

 

 だが、それでも。やはりユーリャにもロジャーの心停止の原因が分からない。


「……どういう、事ですか」


 敗北を告げるアナウンスそれ自体は彼女にも届いている。

 けれど、それはおかしいのだ。

 だって、直前の遊戯でロジャー=ロイはアレクサンドロス相手に値千金の引き分けを勝ち取っているのだから。

 彼は負けてなどいない。ロジャーがゲームオーバーになる理由などどこにもないはずだ。


「どうって、さっきも言ったろ? そのまんまの意味だよ」

「ふざけるな!」


 道化のような態度で肩を竦めるアレクサンドロスに、心臓マッサージを続けるユーリャが声を荒げた。

 目の前の相手が人知を超えた存在である事など関係ない。愛する人を襲う理不尽に、ユーリャは沸々と湧き上がる怒りを抑えられない。

 肩と声を震わせて、断じて許容できないこの事態を引き起こしたであろう主催者ゲームマスターを詰るように問いかける。


「第二遊戯は引き分け(ドロー)。勝者がいない以上、遊戯ゲームの勝利報酬は発生しない。そのはずでしょう!?」

「ああ、そうだな。アンタの言う通りだよ、女」

 

 憤激するユーリャの言葉を、しかしアレクサンドロスは拍子抜けするほどあっさりと、のらりくらりと肯定した。

 まるで柳に風、馬耳東風。

 ユーリャの怒りの理由を真に理解した上で、それをまっとうに受け取る気さえない。率直に言って、ユーリャ=シャモフは相手にされていなかった。


 何故ならもう、厄災遊戯ゲームは。

 

 人類へと裁定を下すその戦争は、既に幕を引いているのだから。


 ここで、男はむしろロジャーの奮戦を称えるように手を叩き始める。

 

「引き分けに持ち込まれた時点で主催者である俺の負けみたいなモンだからなぁ。第二遊戯『覇名彙徴問愛ハナイチモンメ』は実質的にアンタらの勝利だろうよ。ああ、忌々しいが認めるぜ。強かったよアンタらは。誇るがいいさ、アンタ自慢の英雄サマを、その手に掴んだ値千金の大勝利を」

「だったら何故こんな――っ!」

「なんだよ、まだ気付かねえのか?」


 答えは既に出ているのだと。

 視野狭窄の無知蒙昧どもを嘲弄し、現実逃避を続ける他能の無い負け犬どもを嘲るように、アレクサンドロスは口角をニッと吊り上げた。

 そして、告げる。


「――『欲物狂争プリンシプル・ウォー』。そこの英雄サマが負けた遊戯ゲームはそっちだ、第二遊戯じゃねえ」


 まるで、とっておきの手品のネタバラシを楽しむように、決定的なその答えを。


「思い出してみろって、遊戯ゲームのルールをよぉ」


 第二遊戯、『覇名彙徴問愛ハナイチモンメ』は既に開催中だった第一遊戯『欲物狂争プリンシプル・ウォー』を一時停止する形で始まった。


 強制力ルールによって、第二遊戯の終了と共に第一遊戯は再開される事になっている。

 ロジャーもユーリャもそこまでは正しく理解できていた。


 では、何故第一遊戯(ゲーム)再開早々にロジャーがゲームオーバーの判定を喰らったのか。 


 アレクサンドロスの言葉にユーリャは第二遊戯開始前後の、アレクサンドロスの支配下にあった当時の曖昧な記憶を辿る。そして――


「――うそ、まさか。そんな……」


 顔面蒼白に、ユーリャは愕然とそう呟いた。


 彼女が思い至ったのは、ロジャーの勝利を確信したあの瞬間。


 アレクサンドロスの虚を突き放たれた二段構えのカウンター。 

 かつて天風楓の暴走を止めるべくユーリャ=シャモフが考案し、都市を超えた実力者たちがその力を終結し実行した作戦『双頭の三叉槍デュアル・トライデント』から着想を得た一撃。


 アレクサンドロスの想定を超えて放たれた黄金の巨槍が、直後に木端微塵に崩壊したシーンだった。


「思い出したかよ。あの時、何が起きたか」


 そんなユーリャの内心を読み取ったかのように、アレクサンドロスはユーリャ=シャモフに答え合わせを強制する。


「なら次にアンタが思い出すべきは遊戯ゲーム強制力ルールだ。……なあ、覚えているか? 第一遊戯、『欲物狂争プリンシプル・ウォー』にはこんな一文があった事を――」


 ――『・遊戯ゲーム参加者は他の参加者が欲しているアイテムのうち必ず一つを初期装備として与えられます。与えられたアイテムは『大切なモノ』として自身の心臓と紐づけされます。『大切なモノ』を奪われるなどして喪失した場合ゲームオーバーとなります』


 

 ……アレクサンドロスが引用した文章の続き、ゲームオーバーとなった参加者がどうなるか。それはユーリャも覚えている。


 遊戯ゲームの参加資格の剥奪と、心機能の停止。


 今のロジャーのと一致する症状。つまり、ロジャーの心停止の原因は。


「……『大切なモノ』の、喪失……」


 ロジャーが好んで使用していた黄金の巨槍。


 天風楓との戦いによって砕けたはずのソレが、『騒乱穿つ女王の正義』という曖昧な概念を実体化させたモノとしてロジャーの手元に戻っていたなどと、ユーリャ=が知るはずもない。


 そして、恐らくそれはロジャーにとっても思考の盲点だったのだろう。


「……ロジャーは、あの時既に第一遊戯の敗北条件を満たしていた……?」


 その口から零れたのは、自問自答するような呟きだった。


 動揺に、見開かれたユーリャの青い瞳が小刻みに揺れ動く。


 嫌だ。違う。そんな訳がない。

 普段の理知的な思考回路とは程遠い、子供じみた願望ばかりが思考を埋め尽くしていく。


 だって、そんな現実はあまりにもあんまりだ。


「第二遊戯に勝った所で、最初から詰んでいた……?」


 信じたくない。

 到底信じることのできない最悪の現実を、震える声で呟く。

 呟き、声にする事で、矛盾点を。否定する為の取っ掛かりを探す。そんな藁にも縋るようなユーリャの思いを、


「――大っ、正解……!」

 

 人の形をした『厄災』が、笑顔で踏み躙る。


「クク……あはっ! あはははははははははははははっはあははははははははーッ!!!!! 言っただろ!? 言ったよな!? 言ったんだよ俺はよォ!? ロジャー=ロイ! 勝利をも奪われるのはどんな気分かって! だからッ、奪ってやったんだぜアンタの勝利を! 全てを捨ててまで掴んだ最高の結末を最っっっ高の形で踏み躙りその悉くを奪い尽くすその為になァああああッ!!」


 愛用の巨槍が厄災遊戯ゲーム上の最重要アイテムである『大切なモノ』として指定されている事に、槍を砕かれて尚ロジャーは気付けなかった。

 それが、ロジャー=ロイの敗北の真相であり目の前に横たわる現実の全てだった。


 だが、それを一体誰に責められようか。


 遊戯開始以来、ロジャーを取り巻く状況はあまりにも悪かった。

 神の力(ゴッドスキル)を封じられた状態で、己の命より重いエリザベス=オルブライトと離れ離れという最悪の状態から始まった厄災遊戯ゲーム欲物戦争プリンシプル・ウォー』。

 遊戯開始から、ロジャーは常に時間と焦燥との戦いを強いられていたはずだ。

 そんな中で勃発した『厄災』との遭遇戦は、期せずしてロジャーにとって大切な存在であるユーリャを掛けた絶対に負けられない一戦となった。


 弓兵でありながら近距離でロジャーを翻弄するアレクサンドロスは明確な格上。存在としての強度、神性は勿論、純粋な戦闘技能でもロジャーに勝るアレクサンドロスへの対応には、当然莫大なリソースが割かれる。


 圧倒され、追い詰められ、時間は無情に過ぎていく。焦りは募り、思考も視野も狭まっていく。

 そんな極限状態の中、それでも勝利を手繰り寄せんと、遥か格上である『厄災』の虚を突き確信と共に放った決定的な一撃が槍ごと打ち砕かれたのだ。その衝撃は測り知れない。

 

 ……それでも仮に、勘づくとすればこのタイミングだった。

 本来であれば、この段階で自らの陥った状況にロジャーは気付けていたかもしれない。

 槍が破壊された直後に敗北を告げられれば、砕けた槍と『大切なモノ』とを結び付けることが出来ただろう。


 しかしアレクサンドロスは、ロジャーに冷静になる時間を与えなかった。

 そうして、勝利の確信を槍諸共打ち砕かれた衝撃冷めやらぬ中、ロジャーに生じた思考の空白に畳み掛けるように第二遊戯が展開され――今に至る。


 更新される驚異に、対応しなければ即座に死が待つ変幻自在の戦況に、ロジャーは常に思考リソースを圧迫され続けていた。


 第二遊戯『覇名彙徴問愛ハナイチモンメ』などという、完全なゼロから新しく対応を組み立てなければならない状況に追い込まれ、既に自分が詰んでいる事実に最後まで気付けなかったのだ。


 仮に気付けた所でどうしようもない状況だった事を鑑みれば、ユーリャを取り戻せただけまだ状況はマシなのだろう。

 『厄災』に一矢報いたと、アレクサンドロスのようにロジャーの戦いはそう評されるべきなのかもしれない。

 第二遊戯が終わればその時点でロジャーはゲームオーバーになってしまう。その現実はどうあっても揺るがないのだから。


 けれど。


「そんな……そんなのって……」


 厄災の掌上でくみ上げれらその現実が、ロジャーの決死を、悉くを諦め切り捨てた痛みを覚悟をその諦観を――嘲笑い冒涜する悪魔の所業である事に変わりはない。


「なぁ、どうだよスゲエだろスゲエよなぁ!? 全てを奪うってのはこういう事だ!」


 ギリリと、奥歯を砕ける勢いで嚙み締めるユーリャの見つめる先。勝利を、結末を、尊厳を、権利を、思想を、願いを、決意を、意志を、誇りを、憧憬を。その悉くを欲するままに奪い蹂躙した狂気の男が狂い外れた勝利の凱歌を嗤いあげる。


「アンタは総てを捨てる事によって、俺から勝利を奪おうとした! だがそうじゃねえんだよ。アンタが自らの意思で捨てたその総てを俺が奪ってやったんだッ! 俺には奪えねえと豪語したその諦めさえもなぁ! はは……アはははハハハハハハハハハハッッ!!!」 


 高揚に頬を上気させ、緩み切った口元で狂ったように哄笑を挙げ、脳内を迸る快感に身を震わす。

 これこそが、アレクサンドロスに許された唯一の欲望。他者から奪うという行為だけが、アレクサンドロスを満たす全てなのだと高らかに世界へ誇示するように叫びあげる。 


 不快な嘲笑と共に突き付けられる絶望的な現実に、視界が眩む。

 心が折れそうだった。

 でも、ここでユーリャが折れれば、万に一つの可能性が潰える。ロジャーの死が確定してしまう。


「この……外道がぁっ! どうしてここまで、こんな――っ!」


 ゲームオーバーのペナルティは心停止。

 己の心臓と紐づけされた『大切なモノ』を喪失した結果、遊戯ゲームに敗北したロジャーの心臓は遊戯ゲーム強制力ルールによってその動きを止めている。


「嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だぁ……っ! 動いてよ、心臓……っ。ねえ、どうして、ロジャー嫌だよぉおおお……っ! お願いだからぁああああああ……!」


 視界が歪む。悲痛な慟哭が戦場に響く。

 今にも零れ落ちそうな涙を必死に瞳に留めながら、愉悦に耽るアレクサンドロスを捨て置き必死に心臓マッサージを続ける。

 処置の開始――つまりは心臓が止まってから既に二分以上の時間が経過している。

 その間ユーリャは休むことなく圧迫を繰り返し、口から口へと息を吹き込み続けていた。


「なあおいどうだよ、英雄サマは助かりそうかい?」

「うるさい……黙れぇええ……っ!」


 彼女の行為は迅速かつ的確で、まず間違いなくこの場における最善、満点を与えられるものだ。

 だがロジャーを襲う心停止は厄災遊戯ゲーム強制力ルールという超常の力に起因するもの。

 故に、心臓マッサージも人工呼吸器も意味がない。何故なら、その道に続くべき回復というゴールがない。


「いやはや頑張るなぁ」


 叩きつけられる死の概念、それは最早呪詛や魔術の域にある形のない攻撃だ。

 物理的に解決できるものではなく、故に懸命な乙女の想いは届かない。


「……いいぜぇ、女。アンタのソレは凄く良い。そいつの為に全てを投げうたんとするその気迫、想いの丈が、その歪な強欲が目に見えるようだ……最高にそそるじゃねえか」

「……お前の強欲と、同列に語るな……!」


 どれだけ力を尽くそうともその女に目の前の男を救う事は不可能で、その滑稽な努力が、狂おしい程に男を助けたいと足掻くユーリャ=シャモフの強欲が、アレクサンドロスにはたまらなく愛おしい。


「けど、そのままじゃ死ぬぜ、アンタの英雄サマはよ。でもまあ、良いモン見せて貰ったお礼に大サービスだ。一つだけ、今からでもそいつが助かる方法がある。それをアンタに教えてやるよ」


 唯一、唯一この状況からロジャーを救える方法があるとすればそれは――


「――俺を殺せばいい」


 クツクツと。堪えきれない愉悦を滲ませて、アレクサンドロスは自らを指さした。


主催者ゲームマスターである俺を殺せば、遊戯ゲーム強制力ルールも消滅する。英雄サマが息絶える前に俺を殺せばいいだけだ。な、拍子抜けするほど単純だろ?」

「ふざけるな……」


 憎悪で視界が。殺意で思考が焼けきれるかと思った。


「……それが……それが出来たら……こんな……ッ!」

「そりゃそうだ! それが出来たら苦労ねえわなぁ!? ふはは、ハハハハハハハハハハハ!!!」


 何が面白いのか、腹を抱えて爆笑するアレクサンドロスをユーリャは意識から除外する。


 動かない。

 心臓は鼓動を刻んではくれない。

 その祈りに意味はなく、ユーリャの行いは無駄な足掻きでしかない。

 逆転の一手にユーリャ=シャモフでは手が届かなくて、ロジャー=ロイを救う手立てなんてどこにもなかった。


 そんな事実をユーリャ自身が心のどこかで最初から自覚していて、そんな自分にどうしようもない嫌悪と失望を覚えて絶望する。


 諦観に呑み込まれそうになりながら、追いつかれないように走り続ける。処置を続ける。手を動かす。


 刻一刻と死が迫る。

 抗おうとも逃れられない、絶望的な不可逆。嫌だと子供のように喚き散らした所で、決して揺らいでくれない現実の堅牢さ。

 それはかつて、幼きユーリャとロジャーとを引き裂いた日の分厚い絶望感に酷似していて――だから。アレクサンドロスの哄笑を背に、ユーリャ=シャモフは壊れたように手を動かし続ける。


 その行為に縋る事でしか心を保てないから。

 ロジャーの命を救わんとするその手が止まった時こそが、ユーリャ=シャモフの壊れる時だった。 


「こんなっ、嫌だ嫌だ嫌だどうして……っ! どうしてよぉ! お願いだから、動いてってばぁ……!」

 

 心臓が止まれば脳に血液が送られなくなる。

 脳に血液が回らなければ、脳は時期にその活動を完全に停止し、生命は死に至る。

 それが自然の摂理。当たり前の事なのだ。

 神の子供達(ゴッドチルドレン)であろうと、それは例外ではない。

 心臓が止まれば、人は死ぬ。命ある者は生きていけない。


「一緒に生きるって……貴方が辛い時は私が支えるって約束したじゃないですかぁ! だから、私が助けるから……」


 懸命に胸の中央を押す。圧迫を繰り返す。

 繰り返し繰り返し徒労を繰り返す。


「お願いだから、助けられてよ……私を、噓つきにしないで……」


 根本的な解決手段を持たないユーリャではロジャーの死を遅らせる事は出来ても回避する事が出来ないそんなことは分かっているけれどもそれでも止める訳にはいかないだってユーリャが手を止めたら誰がロジャーの身体に血液を回すのか心臓が止まってその役目を果たさない以上はユーリャ=シャモフがロジャー=ロイの心臓を努めなければ死んでしまうのだ本当に一瞬でも休まる時間はない永遠に稼働するしか術はないユーリャ=シャモフがロジャー=ロイの心臓になるのだなればいいのだそうだそれがいいそうしようロジャーを生かさなければロジャーが死んでしまうなんて嫌だお別れなんて嫌なのだ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ怖い寂しい寂しい怖いお願いだから置いていかないでやっと会えたのに家族になれたのにまたわたしを――


「――……独りぼっちにしないでよぉ……ッ!」


 けれど、やはりその祈りはどうあっても届かなくて。

 

「……ククク、いやぁ、それにしてもつくづく皮肉なモンだよなぁ」

「――きゃあ……ッ!?」


 まるで道端の空き缶を蹴り飛ばすような仕草でロジャーに張り付くユーリャを蹴り払い、アレクサンドロスはくつくつと喉を鳴らす。


 心臓が止まり、もうじき死亡するであろうロジャーの胸倉を掴み、そのまま強引に持ち上げる。

 ぐったりと、力なく吊り下げられた意識のない己が敵を、アレクサンドロスは嘲るように見下ろして、


「『騒乱穿つ女王の正義』……だっけか? 最終的にアンタが諦め放り捨てたからこそ俺を下せたその『概念』を自ら砕いた結果今度は俺に敗北するってんだからよぉ。なんか示唆的だとは思わねえか? なぁ、英雄サマよぉ」


 心底愉快そうにそう呟いた男の手で異質な魔力が渦を巻く。

 満身創痍の身体に鞭打って立ち上がったユーリャが、アレクサンドロスの蛮行を阻止しようと駆け出して――しかし余りに総てが手遅れだった。

 

「……づぅ…………嫌だ、お願い、待って……! やめてぇえええええええ――っ」

「――じゃあな、愉しかったぜ。ロジャー=ロイ」


 金属同士が衝突するような甲高い音と共に瞬時に屹立した巨大な水晶がロジャー=ロイの肉体を呑み込みその中へと閉じ込めて――『魔力点』を維持する為の『核』が一つ、此処に生成される。


「あ、ぁあ……」



 ――遊戯終幕。

 第四幕を数える今宵の『裁定戦争』は、『厄災』の勝利によってその幕を閉じたのだった。



「……ぁああああああああああああああああぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――」




 膝から崩れ落ち、言葉の形を喪失した獣のような少女の慟哭が『魔力点』に木霊した。

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