第六十一話 一月五日 記録Ⅳ――VS.『七つの厄災』〝強欲が果ての騒乱〟/散り際に見る白昼夢Ⅰ 呪いをかけて、かけられて
現実世界時刻:二〇XX年 一月五日 午前零時五十三分。
座標:《魔力点β》プエルト・ナタレス【遊戯難度B】理想郷エピスィミ・ア・リスィア。
???
☆ ☆ ☆ ☆
『――「賞品」ユーリャ=シャモフを選択しました。《セカンドフェイズ》へ移行します――』
――奪われていく。
『――防御失敗。守備側プレイヤー:ロジャーの防御失敗により攻撃側の勝利です。「賞品」左腕が移動します』
男には、選択肢がなかった。
『――「賞品」ユーリャ=シャモフを選択しました。《セカンドフェイズ》へ移行します――』
だから駆け引きがなかった。
『――防御失敗。守備側プレイヤー:ロジャーの防御失敗により攻撃側の勝利です。「賞品」耳が移動します』
当然、勝負になどならなかった。
『――「賞品」ユーリャ=シャモフを選択しました。《セカンドフェイズ》へ移行します――』
ただ愚直に、愚鈍に、敗北が確定している盤面に上がるよりほかに道がなく。文字通りに成す術がなく、男の命は端からじわじわと削り取られ、生存の為の機能を奪われていくのを眺めている事しか出来なくて。
だからそれは、自殺志願者が一歩一歩屋上へと続く階段を踏みしめていく道程にも似ていると思った。
『――防御失敗。守備側プレイヤー:ロジャーの防御失敗により攻撃側の勝利です。「賞品」舌が移動します』
遊戯として成立していない遊戯に無謀にも身を投じた。故にこの結末は最初から分かり切っていたのだ。
始まった地獄。
終わらない強奪の絶望。
鳴り止まない耳鳴りと、明滅する意識と視界。
いつ、心が砕けて、遊戯を下りても不思議ではない、そんな極限状態の中。
それでも、誰かの声が聞こえた。
知っている、誰かの声が。
懸命に、必死に、死力を尽くして、心の底から、愚か者の無謀な決死行を止めようと喉を引き裂き叫ぶその声は、確かに泣いていたから。
『――「賞品」ユーリャ=シャモフを選択しました。《セカンドフェイズ》へ移行します――』
だから。
『――防御成功。守備側プレイヤー:ロジャー=ロイの防御成功により、これより《バトルフェイズ》へと移行します』
待ち望んだその瞬間まで、決して絶望に屈することない英雄のように、立ち続ける事が出来たのだ。
(――ようやくだ。これで、ようやく俺は……)
口の中に滲み鼻孔いっぱいに広がる血の風味に、口元が自然と歪に引き裂さかれる。
かつて英雄に憧れた男は、長く、短い道の果て。生の終わり、終着点へとたどり着く間際に、抱かれるような諦観と共にその走馬灯を見た――
☆ ☆ ☆ ☆
――こんな状況は想定していない。
「……人の気も知らねえで呑気に眠りやがって」
米俵のように肩に担いだ少女の寝息を何と無しに聞きながら、ロジャー=ロイは疲れたように嘆息した。
既に粛清を終えたロジャーは研究施設から脱出しており、今は夜明け前の新人類の砦を歩いている。
この辺りは薄暗い路地裏が密接し妖しい気配を湛えた夜の店が立ち並ぶ繫華街で、ブラッドフォードの統治により治安が良くなった影響で眩いばかりの毒々しいネオンに照らされるその街並みは一昔前よりも陰の気が薄れているように思える。
健全に不健全な空気、という矛盾を抱えた猥雑なこの空間がロジャーは嫌いではなかった。
……もっとも、都市を照らす光が強くなった分だけ、その光が当たらない陰の部分ではより濃密な闇が広がっているという事を、ロジャーはこれ以上ないほどに痛感させられてきた訳だが。
明け方の街を眠った幼女を抱えて歩く、返り血を隠す為のマント全身を包んだ擦り切れた目つきの大男ーーなどと言ういつ通報されてもおかしくない格好ではあるが、ロジャーがその辺りの雑事に頭を悩ませる必要はない。
ロジャーの所属する部隊は名前すら与えられない存在しない部隊。存在が露見して困るのは『争世会』の方なのだから、仮に何かトラブルが発生した場合、向こうが勝手に大事にならぬように対応するだろう。
「今日はここでいいか」
ロジャーが足を止めたのは行きつけの二十四時間営業のネットカフェだった。行きつけの理由は単純で、どれだけ不審な格好をしていようとも、店員から声を掛けられることがないからだ。
ロジャーのような人種の人間にとって、無関心ほど心地いい対人関係もない。
顔馴染みの店員の不愛想な挨拶をいつも通りに聞き流し、一直線にいつも使っているシングルルームへと向かう。
ロジャーはその任務の性質上、真夜中に活動して朝方に仕事が片付く場合が多い。
電車やバスなどの公共交通機関が動いていないような時間に任務が終わると、適当に宿を取って睡眠を取る事も多かった。
本来であれば下部組織の人間が護送車を寄こして、都市に点在する専用の休憩室や寮と言った拠点まで送ってくれるのだが、ロジャーは同じ傭兵部隊に属している同僚や『争世会』の人間と慣れ合う気が微塵もないので、その手の送迎や施設を利用した事はない。
……血の臭いしかしない同じ穴の狢どもと肩を並べて仲良く談笑するなど、想像するだけで吐き気がする。
ロジャーの踏み込んだ個室の内装は極めて一般的なネットカフェのソレだ。ベッドと部屋が一体になったようなタイプで、部屋の三分の二以上を占めるベッド部分とそれと平行に並ぶ一段高いデスクの上にはやや大きめのディスプレイに無線接続のキーボード、BDプレイヤーなどが無造作に置かれている。
受付で頼めばゲーム機などの貸出もやっているらしいが、どれもロジャーには無用の長物だった。
ロジャーは肩のうえで寝息を立てている少女を無言でベッドに放り投げると、一旦退室。自分は別室にあるシャワールームで汗を流し、仕事用の装備からシャツとスラックスに着替える。
部屋に戻り少女がまだ眠っているのを確認すると、鼻を鳴らして懐から煙草を取り出した。
寝ている子供が同じ部屋にいることなどお構いなしに煙草に火を付け、一服。
「ふぅ……」
味もわからない紫煙を肺まで吸い込んで、重く深い息を吐き出しながら、ロジャーはぼんやりと眠る少女へ視線を向ける。
……こんな状況は想定していない。
ロジャー=ロイは命令さえあればどんな相手であろうと破壊する。そこには一切の妥協も容赦も加減も例外もない。
老若男女、どんな背景を持った誰が相手であろうと関係なく、心を動かすことなく与えられた任務を機械的に消化する。仮に目の前の少女がその破壊対象だったとしても、それは変わらない。
だが、それはあくまで与えられた任務の範疇での話だ。
彼女は『リスト』に乗っていない。
破壊対象に当てはまらない民間人の少女をどうするべきか。その答えをロジャー=ロイは持っていない。
つまりそれは、破壊対象ではない少女を破壊する理由がロジャーにはないという事になる。
明確な理由がないのであれば、意思も意志も持たない兵器であるロジャーの力が振るわれる事もあり得ない。
……本来であれば、目撃者は消すという業界内の暗黙の了解が適用される場面なのだろうが、ロジャーはあくまで意思も意志も持たない一筋の槍としてこの裏の世界に存在している。
意思も意志も持たない兵器である以上、自律的な思考や判断が求められる暗黙の了解など知ったことではなかった。
だが、それはそうと――
「……なにやってんだかな、本当に」
――ロジャー=ロイに彼女を壊す理由はない。だから壊さない。百歩譲って、まあそこまでは自分でも理解出来る。
だが、理由というのであれば、それこそ意思も意志も持たない一筋の槍でしかないロジャーに、崩壊した施設から彼女を連れ出す理由など皆無だったはずだ。
何故彼女を連れてきたのか、その理由が自分でも分からない。
純然たる事実として、気付いた時には既に肩に少女を担いで街まで出てきてしまっていて、周囲に人目があるが故にその場で適当に手放す事も出来ず、ズルズルとここまで来てしまった。
気紛れ……などという答えは答えにならない。
命じられるまま破壊するだけの槍に、気紛れなど起こる訳がないのだから。
ならば、これが必然とでも言うのだろうか。それとも、最初に彼女を目にした時の妙な既視感を無意識のうちに気にかけているのか――
「――ん、うにぅ……けほけほっ」
どうでもいい、そう吐き捨てて考える事を辞めようとしたタイミングで、ベッドの端から呻き声があがった。
煙草の煙が不快だったのか、目を覚ましたらしい少女は少し咳き込み、眉間に皺を寄せたしかめっ面になっている。
まだ寝惚けているのか、隣に腰を下ろしているロジャーのシャツの裾を掴むと、布団を被り直すように自らの方へと引っ張り始める。当然、ロジャーのシャツは伸縮自在でもなんでもないので、布団の代わりにはならない。
「あと、ご…………ぐぅ」
よっぽど眠いのか、五分を言い切る前に落ちる少女。寝ている分には構わないが布地が伸びるのでシャツを引っ張るのは勘弁して欲しい。
「おい、人の裾を引っ張るのを辞めろ。服が伸びる」
「……んー、んぅ……あれ? ……おじさん、だれだっけ?」
嗜めるようなロジャーの言に、再び夢の中へ旅立とうとしていた少女がうるさそうに反応した。
眠そうに細められた瞳でロジャーを捉え、それからキョロキョロと狭い室内を見渡して、そんな質問を投げ掛けてくる。
少女はやはり寝惚けているらしく、口端から垂れる涎をロジャーのシャツの裾で拭っていた。控えめに言って頭が痛くなってくる光景だ。
「それはこっちの台詞だ。お前、なんだってあんな場所に……いや、それはいい。ガキ。お前、名前は?」
「わたし、ユーリャです。ユーリャ=シャモフ。おじさんは……あ、思い出した。えへへ、おじさんはー、わたしを助けてくれたヒーローのおじさんだー……むにゃむにゃ」
「寝惚けた事言ってんな、俺はヒーローなんかじゃねえよ。それからおじさんも辞めろ、俺はまだ二十代だ」
「……?」
依然として夢見心地なのか、ふわふわとした笑みを浮かべながら首を傾げるユーリャ。首を傾げた拍子に眼鏡がずり落ち、斜めになっているが本人に気付いた様子はない。
ずれた眼鏡が無性に気になるロジャーは、慣れない手つきで位置を直してやって、
「まあどうでもいいか……」
「おじさん、また寝るの――わっ」
煙草の先端を灰皿で押し潰し、狭いベッドで横になろうとするロジャーにユーリャがそう尋ねるが、ロジャーは質問には取り合わずポケットからいくらかしわくちゃになった現金の束を取り出して乱雑にユーリャへ押し付ける。
今回の任務の前金だ。身体の小さな子供ならば数ヶ月は余裕で食いつなぐだろうかなりの額。それは言外に告げる『ここから出ていけ』というロジャーの意志表示で、
「やる。その金で家に帰るも何食うも好きにしろ」
意思も意志も持たないはずの男は、これ以上はもう何も聞きたくないとばかりに強引に目を瞑り、浅い眠りに落ちていった。
☆ ☆ ☆ ☆
――何度でも繰り返すが、こんな状況は断じて想定していない。
「……何やってんだよ、俺は……」
今日も今日とてクソのようなゴミ掃除のお仕事が終わる。
ゴミという名の複数の命を処理したその足で、行きつけのネットカフェに向かうロジャー=ロイの足取りは、己の愚かさに呆れかえるような口調とは裏腹にどこか軽やかだ。
賑やかで雑多な繫華街の人混みを慣れた足取りで縫うように歩き、気付けば目的地へと到着。
考え事をしていたためか、妙にあっという間だった。
思わず、ため息が出る。
(また、戻ってきちまった……まあ、払った分使わねえと勿体ないし、な)
後ろめたさを誤魔化すように胸中で言い訳を零しながら、自動ドアをくぐる。
多めの金を払い、個室は確保してある。よって、面倒な受付も必要ない。
業務中だと言うのにスマホから顔も上げず形だけの挨拶をしてくる無愛想な顔馴染みの店員の前を素通りし、一直線にいつものシングルルームへ。
ここ最近は同じ店舗の同じ一室をずっと使っているので、最早実家のような安心感さえあるその部屋の扉を開けると、
「あ、おじさん! お帰りなさい。お仕事お疲れ様です。はいこれ、ご飯! おじさんも一緒に食べよ!」
――眼鏡姿が大変賢そうな、元気いっぱいのブロンド幼女がフードメニュー片手に満面の笑みでお出迎え。
何度体験しても頭痛がする、殺し屋稼業にあるまじき眼前の光景にロジャーは苦虫を嚙み潰したような顔になって、
「……おじさんは辞めろつってんだろ。俺はまだ二十代だ」
固めのベッドめがけ、どこか自暴自棄に身を投げ出すようにしながら、彼女に対してはお馴染みとなってしまったそんな台詞をどうにかこうにか吐き出したのだった。
ネットカフェのフードメニューは些か値が張るものの、ボタン一つ押せば後は食事の方から勝手にこちらに出向いてくれるので楽でいい。
特に仕事が休みの日など、適当にネットの海を漂い漫画雑誌を流し読みながら無限にホットスナックを摘まみ続ける怠惰な生活を送る事まで出来てしまうので最高だ。
個室で人の目もない以上、どれだけ自堕落に過ごしていても誰に文句を言われる事もない。
心休まる時間など欠片程もないゴミ溜めのような生活の中で、そんな風に無駄に時間を浪費していく瞬間が、ロジャー=ロイは嫌いではなかった。
……尤も、自分のような馬鹿で無知な愚か者に価値を見出し都合よく利用している『争世会』の連中に唾を吐きかけているような気分に浸れる――などと、我ながら理由があまりにもしょうもなさ過ぎて、丸一日潰した頃には自己嫌悪で最悪の気分になる所までがセットではあったが。
「あ、おじさんピーマン残してる! 好き嫌いしちゃ大きくなれませんよ!」
仕事が予定より早く片付いて昼過ぎにネットカフェに戻ったロジャーは、いつもの個室で遅めの昼食にナポリタンスパゲッティを食べていたのだが……苦手なピーマンを脇にのけている所を面倒な珍生物に見つかってしまったらしい。
「……飯食ってる時にうるせえ奴だな……」
辟易とした面持ちでぼやくロジャー。対する件の珍生物ことブロンド眼鏡幼女は、不機嫌げに眉をひそめるロジャーにも全く物怖じせずにギャーギャーと口やかましく注意してくる。全体的に遠慮がない。
「……あのな、俺は客だぞ? 店に金払ってこいつを頼んでんだよ。俺が俺のモンをどう食おうが俺の勝手だろうが」
「関係ないです。食べ物を粗末にするのは人として駄目なんですよ! おじさん、大人なのに言い訳ばっかりでカッコ悪い!」
ちなみに、ユーリャはユーリャでロジャーから貰ったお金でお子様ハンバーグプレートを注文しており、プレート隅の窪みに乗ったプチトマトと涙目になりながら格闘している。
どうやらプチトマトが苦手らしいが、ピーマンを残そうとするロジャーにこうも口うるさく言ってる以上、自分も嫌いなモノを残すつもりは一切ないらしい。
融通の利かない堅苦しいその生真面目さに、将来は委員長だなーなどと適当な事を考えるロジャー。
これ以上反論するのも面倒だが、このうるさいのを放っておくのも精神衛生上あまりよろしくないし何よりピーマンは食べたくない。ロジャーは、心底面倒くさそうにボリボリ頭を掻きながら、
「……あー、アレだ。おじさんって生き物はこれ以上大きくならねえから好き嫌いしてもいいって法律で決まってんだよ」
「あ、おじさん、いつもはおじさんって言うと怒るのに都合がいい時だけおじさんで行こうとしてる! ズルい!」
……なかなかに耳ざとい。そして口うるさい。こりゃ委員長って以上に小姑だな、などと口にしたらますます怒られそうな事を考えるロジャー。
「当たり前だろ。男の子ってのはどれだけ歳喰ってガタイが大きくなろうがいつまで経っても男の子なんだよ。つまり俺は永遠の男の子であり現役ぴちぴちのお兄さんでもあると同時にダンディなおじさんでもあるって訳だ」
「……? おじさんの言ってること、たまによく分かんない……?」
「そりゃ奇遇だな、俺もよく分からんくなってきた所だ。ま、一つだけ確かなのは大人はピーマンを食べる必要がないって事――」
「――とにかく! 好き嫌いはダメなの!」
ビシッと人差し指をロジャー目掛けて突き付けるユーリャ。適当なことを言って煙に巻こうとしたのだが……この程度では誤魔化されてくれないらしい。この幼女、なかなかに手ごわい。
「人を指さすんじゃねえよ。幼稚園かなんかで教わらなかったか? 人を指さしちゃいけませんって」
「あ、ごめんなさい……」
ロジャーの指摘に慌ててぱっと指を下げるユーリャ。
自分が悪ければきちんと謝る。こういう所は素直だ。
……尤も、年相応かと言われればこのくらいの年齢の子はもう少し我儘なような気もするので、やはり実年齢よりも賢くしっかりしているのだろう。伊達に眼鏡は掛けていないという事か。
「まあ、このピーマンを残す事を許してくれんなら許してやっても……」
「あ、おじさん、またズルしようとしてる。それとこれとは関係ないからダメです!」
「……はぁ。はいはい、分かりましたよ、食べりゃあいいんだろ、食べれば。おにいさんの負けだよ。おにいさんの」
「うんうん。おじさん、イイ子です。わたしもプチトマト頑張るから、おじさんも一緒にピーマン頑張ろ!」
「……お前やっぱそれわざと言ってんだろ」
鉄壁の委員長にたまらず白旗を上げ降参宣言をするロジャー。そんな彼の態度に、ユーリャは満足そうに笑顔で頷いて――
「――はン、隙あり」
ひょいパク、と。ロジャーが負けを認めた事で油断していたユーリャの一瞬の隙を突いて、ロジャーは素早い動作でプレート上のプチトマトを自分の口の中に放り込んでしまう。
「――あっ」
「んぐもぐ、ごくん。――おいおい、お嬢ちゃん。好き嫌いは関心しませんなー。プチトマト、ちゃんと自分で食べなきゃダメだろー?」
これ見よがしに喉を鳴らしてプチトマトを嚥下し、ニヤニヤした笑みを張り付けたロジャーはユーリャをからかうようにそんな事を言う。
「そ、それは……今からちゃんと、食べようとしてて……」
「その割にはだいぶ長いこと放置されてたけどな、あのプチトマト。食事中に説教ってのも行儀悪いんでねーの?」
「……むぐ、」
「で結局、食べられないから人に食べて貰った……と」
「ち、違っ。今のはおじさんが勝手に……!」
「ほーん。そういう割には、ホッとしたような顔してたけどな~?」
「……うっ、それは……」
プチトマトを長い間放置していた事や、食事中の説教。プチトマトを食べられた瞬間の安堵など、一部に否定できない事実が混ざっているためか、うまく反論できないユーリャ。
本音と建前。噓と真実を織り交ぜたあまりに大人げない会話の誘導だったが、そんな事は知らない。この疲れてるときに大嫌いなピーマン食べたくねーわの一心で、ロジャーは曲がった事が嫌いなユーリャの正義感を煽るような嫌らしい笑みで、
「自分は嫌いなものを食べて貰っておいて、人には無理矢理食べさせようとする、か。なるほどなるほど、見た目に似合わず、中々のワルじゃねえの~」
「……うぅ、分かったもんっ! 私がおじさんのピーマン食べればいいんでしょ! おじさんのばかっ! 嫌い! 大人げない大人カッコ悪ーい!」
「はっはっはっ、分かってんじゃねえか。大人になってから大人げない事するのって何でこんなに楽しいんだろうな?」
叫びながら自棄になって凄まじい勢いで一か所に固められたピーマンを平らげるユーリャと、それを見て腹を抱えて笑うロジャー。
結局、この日の勝負は大人げなく全力でピーマンを回避しようとしたロジャー=ロイの逆転勝ちで終わったのだった。
「騒ぎ疲れて眠ったか……昔はそんな事思いもしなかったが、こうしてみるといいご身分だよな。子供ってのは」
ピーマン・プチトマト戦争が終結してしばらくすると、横になって絵本を読んでいたはずのユーリャがいつの間にか寝息を立てていた。
ベッドの三分の一を占領され、ロジャーの眠るスペースさえなくなってしまっているというのに、その寝顔を見ていると不思議と腹も立たない。
以前であれば眠っているユーリャを強引にどかして自分のスペースを確保していただろうに……我ながら凄まじい変わりようだとロジャーは苦笑してしまう。
そんな『いつもの』と呼ぶにはまだどこか現実味がない非日常的な日常の光景に笑顔すら覗かせつつも、ロジャー=ロイの内心は複雑だった。
(……いつまでこんな事を続けるつもりだ、俺は……)
任務中に破壊対象ではない金髪幼女を拾ってから既に二週間もの時間が経過している。
あれ以来、ロジャーは件の幼女――ユーリャ=シャモフと生活を共にしていた。
と言っても、クソのようなゴミ掃除の仕事を終わらせた後の僅かな休息の時間を彼女がいる空間で過ごしているだけだ。
今日のようにたまたま時間が合えば一緒に食事を取ることもあるが、ロジャー自身にそのつもりは微塵もない。
ユーリャが勝手にロジャーと同じタイミングで食事を取ったり、ロジャーが寝るタイミングで横になったロジャーの腕の中に潜り込んでくるだけだ。
ロジャーにはユーリャの行動をどうこうする理由がないから、それが結果としてユーリャを受けいれているように見えるだけ。
実際は共同生活もくそもない。同じ空間にたまたま幼女がいる、とでも言い換えたほうがわかりやすいだろう。
そもそも、ロジャーとしてはユーリャにまとまった金を渡した時点で、この意味不明な関係性には終止符を打ったつもりでいたのだ。
……いたのだが、『その金持ってどっかへ行け』というロジャーの明確なる意思表示は眼前の幼女には正しく伝わらなかったらしく、ユーリャはロジャーから貰ったその金を使ってロジャーが休憩室として使用しているネットカフェの個室に居座り続けており、一向に出ていく気配がない。
彼女の方からロジャーの元を離れてくれれば、それが一番簡単で楽で良かったのだが……。
(……ま、人生そう都合よくはいかんわな)
金という現実的な手段は与えた。
選択肢など無数にある事は六歳の子供にだって理解できているはずだ。
ロジャー=ロイはあくまで兵器。意思も意志も持たない一筋の槍でしかない以上、彼女が自らの意思で煙草臭くて狭苦しいこの個室に居座り続けているというのであれば、その選択を否定する理由はやはりどこにもない訳で。
同時に、ロジャーが幼女に占領されてしまったこの個室に律義に帰ってくる必要もないはずなのだが――新たな拠点となるネットカフェをわざわざ探すのも時間と金の無駄で合理的ではないと結論付け、この二週間ロジャーはほぼ毎日のようにユーリャ=シャモフという少女が待つこの個室へと帰り続けている。
(……どうかしてる。してるよなぁ……そいつは分かってんだ、嫌って程に。けどよ……)
口を閉じれば考えてしまうのだ。
期待してしまう。
ずっと、ずっと、閉ざした胸の奥深くへと封じ込めていたのに。
今更そんなモノを取り戻したって、また傷ついて傷つけて、自分が苦しくなるだけだと分かっているのに。
それでも、その温もりを隣に感じていると、どうしても思い出してしまうのだ。
ロジャー=ロイという男のはじまりを。
一番最初に抱いた憧れと、目指した漢の背中を。
目を閉じれば、今でも鮮明に蘇る。必死に忘れようとしていた憧憬の光景を。
……この二週間、何度も何度も否定しようとした。けれど、一度だって彼女が待つこの個室を離れる事が出来なかった。
その気になればいつだって他の場所へ行くことが出来たのに、気が付けばこの場所へ――彼女の元へと帰ってきてしまう自分がいた。
だから結局、それが答えなのだろう。
ユーリャ=シャモフ。
とある粛清対象の施設で出会った、破壊対象を記した『リスト』に記載のなかった女の子。
研究施設の被験者でもなければ、当然そこに所属する研究者でもない。破壊の槍たるロジャー=ロイが壊す理由が見つからなかった少女。
ユーリャが隣にいると、理想と現実の狭間で心を磨り潰されて、壊れてしまった自分の中に、まだソレが残っていることを否が応でも自覚してしまう。
人間のような心や感情を取り戻したって苦しくて辛いだけなのに、どうしようもなく人間らしい感情が刺激されてしまう。
まるで人間のように、彼女の隣で笑顔さえ浮かべてしまう自分がいるのだ。ずっと、ずっと、気がつかないようにしていた。だが、それももう限界だ。
ロジャー=ロイは兵器だ。
人によって扱われる存在である以上、そこに意思も意志も必要ない。心を殺して、命じられるままに人を殺め続ける破壊の槍。
壊す事しか能がなく、正義感故に人を殺し、自らの理想を刃に自分自身の心臓へと突き立てた愚か者の末路。
それが今のロジャー=ロイという存在を定義する総てだ。
そんな自分が、己の弱さゆえに人間である事さえ放棄した最低最悪のクズ野郎が、それでも確かに一人の少女を――ユーリャ=シャモフを救ったのだ。
例えそれが結果論でしかない偶然だったとしても、今も隣にある彼女の温もりは消えていない。
手を伸ばせば、その温もりに触れることが出来る。その事実が、何よりも嬉しくて愛おしくて、気を抜けば消えたはずの涙だって流れてしまいそうになる。
これは、幻想でも妄想でもない。彼女を救った事は紛れもない事実なのだと、目の前の少女の存在がロジャーの行いを証明してしまう。
血に塗れた手で救った命。
偶然と気紛れと、様々な要因が重なって結果的にロジャーが助ける事となった少女、ユーリャ=シャモフ。
彼女の存在が何よりもロジャー=ロイの救いとなっている事を、もうロジャーは否定する事が出来なかった。
(……なあ、出来ると思うか? 俺なんかに……)
ここ数日で、幾度となく繰り返した自問自答だった。
救った命はたった一つ。
されど、一人の命を、壊すしか能のないこの手は確かに救った。
わたしのヒーローだと、言って貰えた。
その成功体験が、脳裏に浮かぶ彼女の笑顔が、諦観に沈んでいたロジャー=ロイに、もう一度愚かな夢を見せるのだ。
あの憧れに手を伸ばせと。どうしようもなく、己を殺すその理想を渇望してしまう。
(……それでも、それでも俺は――)




