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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
最終章 承/弐 人世ノ業、詠イ奏デルハ『厄災遊戯』――醜ク愚カナ『人間』ノ物語ヲ貴方ニ
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第六十話 一月五日 記録Ⅲ――VS.『七つの厄災』〝強欲が果ての騒乱〟/それは欲望などよりよほど馬鹿げたモノで



 ――かつて、新人類の砦アドバンスフォートレスに世界と自分への希望に満ちた一人の青年がいた。

 

 

 そんな滑り出しから始まるこの物語は、どこにでもあるような退屈で平凡な話。

 誰もが一度は経験するような若気の至り、量産型の過去回想だ。

 故、興味がないようであれば右から左へ聞き流してもらっても構わない。


 何故なら、この物語には物語的な綺麗なオチなどあるはずもなく、そこにあるのは子供と大人の境目にいる青年が希望と憧憬を抱いて、絶望と挫折を味わい、理想と現実の差異を知る。ただそれだけの、つまらないうえに身悶えするような羞恥を煽る、地獄のような黒歴史語りなのだから。


 この世界を生きる多くの人々がおそらくそうであるように、無事に無様に腐り果てた大人になった男の始まりの物語は、今から二十二年前にまで遡る――













 ――正義と理想に燃える夢多き青年、ロジャー=ロイの人生に一つの転機が訪れたのは、二〇歳の春の事だった。

 当時、『白獅子』ことブラッドフォード=アルバーンの実質的な統治下にあった新人類の砦アドバンスフォートレスは治安も良く極めて平和ではあったが、争いや犯罪がない訳ではなかった。

 特に、ブラッドフォード=アルバーンが表立って街の支配者として君臨するようになって以降、一部の嗅覚の鋭い悪人や犯罪者、そしてさらに深い闇に住まう裏社会の住民たちは表から遠ざかり、彼の『白獅子』の眼光さえ届かない都市の闇へと深く深く潜っていくようになる。

 その結果、確かに新人類の砦アドバンスフォートレスは以前より強固な平和を得る事が出来た。犯罪件数も半減し、ブラッドフォードの統治は一定以上の秩序を実験都市に齎す事に成功したと言っていいだろう。


 だが、その一方、地下に潜りより複雑化した表面化しない犯罪は増加の傾向にあったのも確かだった。

 都市の裏で行われる人身売買や薬物などに関する違法な取引、研究施設で秘密裏に行われる人体実験、裏での勢力争い。

 まるで身体の内側から命を蝕む病巣のように、危険な反乱分子たちは都市の闇に潜伏し、息を殺しながらもその勢力を少しずつ拡大させていた。


 ブラッドフォード=アルバーンの指導の元、表の世界で力を振るう治安維持部隊では、深い闇の中に生きる彼らを捉える事も捕らえる事も難しい。

 それは、彼らの実力云々の話ではなく、生息する領域の問題だ。

 淡水魚が海水では生きていけないように、光の当たる表の世界での運用を想定されている彼らでは深い闇である裏の世界にうまく適応することが出来なかったのだ。


 ブラッドフォード=アルバーンの発言力の拡大を疎ましく思っていた『争世会』は、この裏の世界の動きに着目した。

 ブラッドフォードですら見通せない闇を自らの都合のいいように支配し操る事が出来れば、ブラッドフォード=アルバーンの統治を切り崩すきっかけを得られるかもしれない、と。


 では、どのようにしてその目的を成就するか。

 彼らの出した回答は単純だった。目には目を。歯には歯を。毒には毒を。闇には闇をぶつければいい。

 闇に潜む反乱分子達を制すべく、ブラッドフォードにさえ秘密裏に組織された『争世会』直属の傭兵部隊。

 名称すら与えられない〝存在しない〟その暗部部隊こそが、『争世会』の出した答えだった。

 

 そんな薄汚い大人達の思惑に、若かりしロジャー=ロイも巻き込まれていく事になる。



『……はぁ。特別治安維持部隊の試験導入、ですか? それに、俺が?』

『ああ、まだ正式名称すら決まってない文字通りの試験部隊だ。確か、キミはその力で都市の平和に貢献したいのだろう?』 

『え、ええ。将来的にはブラッドフォード長官の元で一緒に仕事が出来たらな、とは思っています』

『なら、今回の話はキミにとって悪い話じゃないはずだ。うまくいけば長官殿の下などではなく、肩を並べる双璧のような存在になれるかもしれないぞ? 元々、キミの神の力(ゴッドスキル)はそれだけのポテンシャルは秘めているんだ。実戦でデータを取るという意味でも、貴重な経験になると思うがね』

『……双璧、ですか』

『勿論、いずれはの話だがね。可能性は充分にあると私は見ているよ』

『可能性の話だとしてもそう言って貰えるのは光栄です。けど、正直実感は湧かないですね……俺に、本当にそれだけの力があるんでしょうか』

『それを試すという意味でも、今回の話はキミにとって意味あるモノなのではないかね? こちらとしても、キミのような優秀な人材を遊ばせておくのは勿体ないと思っていた所でね、もし希望するのなら私の名前でキミを推薦する事も出来るんだが……どうする?』



 ブラッドフォード=アルバーンの成り上がり人生や、彼の生き方そのものに憧れを抱いていたロジャー=ロイ。

 幸か不幸か抱いた憧れに手が届くだけの能力とポテンシャルとを兼ね備えていた彼は、その高い実力を買われ、当時の担当だった研究者の推薦を受け、試験導入される事となった特別治安維持部隊への入隊を決意するのだった。



 新設された治安維持部隊。その顔合わせでの事だ。


『お、アンタが噂の大型ルーキー?』

『大型ルーキーはよしてくれよ、完全新規の出来立てホヤホヤ部隊にルーキーも糞もないだろ。アンタがこの道云十年のベテランだってんなら今すぐ頭を下げるが、とてもそうは見えないぜ。童顔くん』

『はは、それもそうだな。でも、噂になってるってのは本当だぜ? 志願者の中に、とっておきの大物がいるってな』

『大物ねぇ。図体がデカイだけかも知れねえぜ?』

『――何でも、神に愛されし破壊の申し子とか何とか』

『その破壊の申し子ってのもやめてくれ。なんかこう……背筋がぞわぞわしやがる』

『童顔呼ばわりされたからな、その仕返しだ』

『意外に根に持つタイプか?』

『さあ、どうだろうな。……おっと、悪い。自己紹介もせずにペラペラ喋っちまった。俺はラスコットだ、今日からアンタの同僚であり、相部屋になる同居人。資料見た感じ班分けも同じっぽいし運命共同体ってヤツだな、よろしくな』

『ロジャー=ロイだ。運命共同体ってのは言い過ぎだろとは思うが、まあよろしくな』

『おう、背中は任せろ』

『だから何で初対面の野郎がいきなり相棒感出してんだよ、気が早えっての』


 不安と期待、緊張と不安。まるで新入生のような心持ちで臨んだ入隊日当日、全体としての挨拶や部隊の説明もそこそこに解散となり、入寮手続きとなって肩透かしを食らった気分になっていたロジャーだったが、新たな出会いは悪くはなかった。

 ラスコットだけではない。まだ碌に話す事も出来ていないが、ここには志を同じくする仲間たちがたくさんいる。

 彼らと共に都市の平和を守る為に戦う。辛い事や苦しい事も沢山あるかもしれないが、きっと素晴らしい日々になるだろう。

 今日という日はそんな期待をロジャーに抱かせるはじまりの一日だった。

 

 ……最後まで迷いはしたけれど、この部隊の入隊を選択してよかった。

 そんな事を思いながら、この日ロジャーは眠りについた。





 そして、そんな無知故の浅慮な選択の結果――ロジャー=ロイは現実という名の地獄を見る事になる。










 ロジャー=ロイ達に与えられた最初の任務は、違法の人体実験や人身売買を繰り返す研究施設の完全破棄。

 己の正義を示すべく、気合い充分で臨んだ初仕事で彼が一番最初に殺したのは――幼い少女だった。



「――はぁ、はぁ、はぁっっ!!」


 殺した。


「――死ね! 死ね! クソ! クソ! クソッッッ!! 死ね! 死ね! 死ねぇえええええええええ!!!」


 同じ部隊の仲間を殺し、自分を殺しかけたそいつの頭を何度も何度も滅多刺しにした。刺し続けた。

 殺すしかなかった。殺してしまって、怖くなった。自分の手が誰かの命を奪ったのだと気付きたくなくて、死んだ死体をいつまでも殺し続ける。

 殺し続けている間は、その命を奪い続けることが出来る。

 命を奪っているということは、そこに命が残っているように思えたから。



「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……っ、クソ。ラスコットの馬鹿野郎……っ、あんだけ調子良く相棒感出しておいて真っ先に死にやがって……結局、お前がどんな人間だったのか何も分からずじまいじゃねえかッ! クソ……クソッ! なんだって、俺ぁこんな……こんな事を………………ッ」



 自分の身を守る為だった。

 死んだ仲間の仇だった。

 仕方ないんだ。殺すしかなかった。だって、殺さなければ殺される。

 だから、これは正当防衛だ。


 真っ白な頭に言い訳はいくらでも浮かんできて、語彙の吹き飛んだような口汚い単純な罵倒と共に、脳みそを掻き回すように少女の頭にナイフを突き立て続ける。


 ……正当防衛? 馬鹿を言え。

 言い訳のしようもない、くそったれの殺人だ。

 与えられた任務は研究施設とそれに纏わる関連物の完全破棄。破棄される対象には、人体実験の為に使い潰されていた罪なき子供達の命さえも最初から含まれていた。きっと何かの勘違いだろうと、自分の都合よく解釈していただけだ。目を逸らしていた現実という名の地獄に、ロジャーの理想は追いつかれてしまった。


 本来であれば、大人であるロジャー=ロイが守るべきだった愛おしき温もりが、ロジャーの手によって急速に失われていく。

 頭を貫かれ続けた彼女の顔からは白っぽいスライムじみた粘つく眼球が押し出されて零れ落ち、ピンク色の脳漿がはみ出した整った顔立ちは骨格から変形していて、その面影など残っているハズもない。

 虚空を恨めしげに見据える眼球に光はない。

 その灯を消したのは、自分だ。自分なのだ。

 頭がかしくなりそうだった。いや、既に幼い命に手を掛けた時点で、ロジャー=ロイはもうおかしくなっている。

 罪なき子供の命を奪うなんて、狂っているとしか言いようがないのだから。


「う、あぁ、……あぁああぁっ、ああああああああああああああっっ!!? ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!!」


 名すら与えられない存在しない部隊。

 彼ら、使い捨ての傭兵部隊(・・・・・・・・・)に与えられる任務とはブラッドフォード=アルバーンでさえ手を出せない闇を滅ぼす正義の仕事などではなく、『争世会』にとって都合の悪いモノをブラッドフォード=アルバーンに知られぬ内に処理するだけの死より汚らわしいゴミ処理部隊だった。



 罪なき子供の命を奪った。

 そんな地獄のような永遠の瞬間に――ロジャー=ロイは己の抱いた正義と理想が何もかも間違いだった事に気が付いた。

 その気付きは、何もかもが手遅れで、絶望的な程に遅かった。もう、目の前の少女の命は失われている。零れた脳漿を壊れた頭蓋骨の中にもう一度ハメなおしても、命を元に戻すことなど、出来はしないのだから。



(……俺が馬鹿だった)


 正義感は人を殺す。


(こんな壊すしか能のねぇ男に、何かを救う事なんざ出来る訳がなかったんだ)


 青臭い理想に意味などなく、憧れはこの腕の中で息絶えた。


(俺のせいだ。俺が……くだらねえ夢なんざ見るから、憧れなんざ抱いたから。俺のこの手は人を……守るべき者を殺しちまった……)


 罪なき少女を壊してロジャー=ロイも壊れ果てた。


(……ふざけんな。ふざけんなよ、なんでこんな軽いんだよ、命……ッ)


 致命的で不可逆的な崩壊は、ロジャーから感情を奪っていった。

 意思も意志も必要ない。そんなものがあるから苦しいのだ。辛いのだ。悲しいのだ。しんどいのだ。痛いのだ。怖いのだ。


(……もう、どうだっていいか。何もかも。全部、手遅れだ。俺が何をしようともどうせ人は死ぬ、今日も明日もどこかで誰かが殺される。だったらこんな葛藤に何の意味がある?)


 心が壊れて、感情を殺し、命を破壊する事から目を逸らす。


 そうする事が唯一の救いで、最大の罪だったから。



「……俺は槍だ。命じられるまま全てを壊す破壊の槍。それでいい……それだけで充分だ」



 だから、後はもう単純な繰り返し。

 機械のように反復するだけ、馬鹿でも出来る単純作業だ。

 殺して、殺した。壊して、壊した。殺して殺して殺されるから殺して殺される前に殺して壊して壊して壊して壊して壊して壊して殺し続けた。

 命を積み上げ罪を積み重ねる。何も考えず、命じられるままに総てを壊し続けた。


「……、」


 もう、手を汚す事に何も思わない。人としての感情は働かない。

 理想を追いかけ、正義を求め、夢を見て。青臭くも美しかったそのはじまりを踏みにじるように、結果手に入れたのは屍の山。

 人間から破壊の道具に成り下がった男は絶望を抱くだけの心すら失って、血にまみれた両手を呆然としたような面持ちで無感動に見下げ続ける、それがロジャー=ロイの物語。

 それは、御覧の通り実にありきたりで、珍しくも何ともない。希望と憧憬を抱いて、絶望と挫折を味わう、理想と現実の差異を知るよくある物語。

 

 そして、そんな彼の物語の続きにはとある幼き女王との劇的な出会いと救済が待っている訳だが――運命の出会いを果たすその数年前、もう一つの出会いがあった事をここでは語っておくべきだろう。  


 



「……こちら『ランサー01』。任務完了、予定通り全てのターゲットの破壊を確認した。これより帰投す――あ?」



 仮に。女王、エリザベス=オルブライトとの出会いを運命だとするのならば――



「……子供、だと? だがリストには……」

「……」

「おい、人の脚にしがみつくのを辞めろ」

「……」

「おいガキ、お前いい加減に」

「……ひっく。ぐず……だって。こ、怖かったのぉ。おじさん、助けてくれて、うぅ……すん、ずっ、ありがとぉお……っ」



 ――彼女との出会いは、ロジャー=ロイという人間にとって呪いとでも形容すべきモノなのだったのだから。



☆ ☆ ☆ ☆



 現実世界時刻:二〇XX年 一月五日 午前零時四十一分

 座標:《魔力点β》プエルト・ナタレス【遊戯難度B】理想郷エピスィミ・ア・リスィア。 

 ???



☆ ☆ ☆ ☆



『――防御失敗。守備側プレイヤー:ロジャー=ロイの防御失敗により攻撃側の勝利です。「賞品」右目が移動します』



 虚空を渡るように眼前に出現した神々しい美少女の細く滑らかな手指により、ロジャー=ロイの右目がその眼窩より摘出されていた。

 神経が引き千切れられるような壮絶な刺激に身体が反射的に痙攣する。

 堰を切ったように夥しい量の鮮血が吹き出しまるで噴水のよう。穴を塞ごうと右手で傷口を覆うも、指の隙間からロジャーの命は零れていく。止まらない。



「ぐ、ぅオオぉ……ッ!! づっ、あッ! がぁ……っ!」



 視界が明滅し気付けばその右半分が消失していた。

 痺れるような激痛と熱。そのどちらともつかない狂おしいナニカが脳髄から全身の末端にまで駆け巡っている。


 今まで経験した事がない痛苦、肉体の一部を失った喪失感、そして着実に一歩分近づいた敗北と死への抗えぬ恐怖に、身体の奥底から意図せず湧き上がってくる絶叫を唇を噛み切る勢いで噛み締めた。痛みでもって痛みを耐え凌ぐ。


(……はは。これまた随分と懐かしいモンを見せつけやがって、今のが走馬灯ってヤツか……!?)


 一瞬、脳裏を駆け巡った映像は苦い過去の記憶。死を覚悟する程の激痛に喚起された思い出は、ロジャーにとっては痛みの記憶に他ならない。


 だが今はその痛みさえも愛おしい。ロジャーの背中を押してくれているのだと、そう思える。


 ……耐えろ。耐えてきってみせろ。この程度の痛み、あの時の事を思い出せばどうってことないだろう。

 それが、彼女に呪いをかけてしまったロジャーの果たすべき責務だ。


 ロジャー=ロイは彼女と約束したのだ。

 絶対に倒れないと。

 例えそれが、最初から守る事なんて出来やしない嘘でしかないのだとしても、それでも彼女を背中にしたロジャー=ロイには、その嘘を最後まで貫き通す義務がある。


 だから、耐えがたい痛みに叫び声をあげる訳にはいかない。

 膝を折ることは許されない。

 絶望に心を折り、諦観に圧し潰される事などあってはならない。


 彼女との約束を守る為。


 彼女に約束を守らせる為。


 ロジャーがこの程度の事で音を上げる訳にはいかないのだ。


 彼女の前で無様な姿を晒す訳にはいかないのだ。


 立て。

 二つの足で大地を踏みしめろ。お前は一筋の槍なのだろう、ならば己を貫き曲がらず揺るがず立ってみせろ。


 これまでの己を壊すのだろう、ならば誰に依存し寄りかかる事無く一人の男として。ロジャー=ロイとして、彼女の前で真っ直ぐに立って漢を見せろ。


「は……、はは」


 挫けそうな足に喝を入れる。

 膝の震えを押さえつけ、自らの血に塗れた顔に凄惨な笑みを張り付けて、ロジャーは多量の脂汗を流しながら笑う。

 まだ笑う事が出来た。


「は、ははははは……! なんだ、こんなモンか。右目一つくらい、何て事はねぇ、もんだなァ……!」

「へぇ、そういうモンか。生憎俺は、生前も目を奪われた事はなくてな。どうだ、ついでに左もいっとくか?」

「……いや、折角だが遠慮、しとくわ。眼帯付けたオジサンってのも……中々にセクシーでイケてるとは思うが………流石に、両目じゃあ、女受けが悪そうだ……」


 無意味な虚勢だ。

 無意味な感傷だ。

 無意味な意地だ。

 無意味な自己満足だ。


 これからロジャー=ロイが辿るであろう末路を思えば、こんな強がりに意味があるとは到底思えない。

 


 それでも、今。この背中を見つめている人が確かにいるから。



 ……別に、カッコつけたい訳ではない。

 ただ、意地でもカッコつけなければならない瞬間というものが、男には存在する。ロジャー=ロイにとって、それが今だったというだけの話。


「そうかよ。じゃあ遊戯ゲームの続きといこうぜ、ロジャー=ロイ。勇敢なる女王騎士様よ。ほら、次はアンタの番だ。よーく考えて選ぶ事をお勧めするぜ」


 そんなどうしようもないエゴだけを支えに、男は無意味な意地を張り続ける。




『――三回戦、《ファーストフェイズ》。攻撃側プレイヤー:ロジャー=ロイは奪いたい「賞品」を対戦相手の「リスト」より選択してください』




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 【リスト】アレクサンドロス

 

 ・右腕

 ・左腕

 ・右肺

 ・眼球

 ・右膝より下

 ・身体能力五〇%

 ・体力五〇%

 ・弓術

 ・神性



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 脳内に浮かぶリストを眺める視界が痛みに歪む。

 三回戦、攻撃側のロジャーが狙うべきは戦わずしての勝利。つまりは守備側のアレクサンドロスと選択した『賞品』が被らないようにモノを選ぶことだ。


(……考えろ。痛みに惑わされるな。思考を、止めるな。今俺に必要なのは得られる勝ちを落とさない事だ。欲張る必要なんざどこにもねえ、ヤツが選ばないであろう『賞品』を選択すればいいだけ……ビビってんじゃねえ、九分の八を引けない訳がねえだろ)


 ロジャーが奪い返してユーリャの項目が減り、九つになった『リスト』の中から選択した『賞品』はアレクサンドロスの『左腕』。

 利き腕ではないものの、失えば弓を引く事が出来なくなる部位。一見してアレクサンドロスに大打撃を与えるであろう『弓術』の項目を奪うよりも効果的、かつ選択するにしても他の項目と比べやや重要度が低い『賞品』だ。

 痛みを堪えながらの選択、それに対して告げられた結果は――




『――攻撃失敗。守備側プレイヤー:アレクサンドロスの防御成功により、これより《バトルフェイズ》へと移行します』




 ――ボッッッ!


 アナウンスが鳴り響いた刹那、空気を抉るような音が世界を引き裂いた。







 ロジャーの左腕が消し飛んでいた。


 



 



「ギ、づぅ……ッ!」



 


 まるで映画のコマ落ちのようだった。

 数瞬前まで確かにそこにあったはずの腕が次の瞬間には肩口の半ばから消失した事に、腕がなくなってから気が付いた。

 凄まじい勢いで腕を持っていかれた為か、左肩付近や胸の一部。そして周辺の内臓。骨格までもがズタズタに破壊されており、穴から身体の中身が一部飛び出して奇抜な前衛アートのよう。

 なにより問題なのは腕が消し飛ぶその瞬間が見えなかった事。故、何をされたのかも分からない。

 遅れて駆け抜けていく髪を揺らす風圧に、何かが自分の真横を超速で擦過しすれ違い様に腕を奪っていった事実を過去として叩きつけられる。

 生暖かい飛沫がびしゃびしゃと頬に掛かって気持ちが悪い。

 

 前方、弓矢を放った姿勢で残心を取るアレクサンドロスの姿が視界に映っており、かろうじて何があったのかが予測できるくらいだ。

 そんな思考すら、身体に空いた穴から流れ出ていく多量の血が真っ赤に染め上げて逝って――



☆ ☆ ☆ ☆



 匂いと記憶は密接に結びついている。

 ロジャー=ロイにとっての過去とは血と糞尿の混じった吐き気のするような死の匂い。それこそが己という存在の始まりであり、同時に人として生きる事を辞めた男の地獄の半生の象徴だった。

 ただ、彼女と出会った時は少しだけ違う匂いがしたのを覚えている。

 鼻をツンと刺す、病院の待合室にも似た――





 ――薬品の匂いがツンと鼻を突くうす暗いリノリウムの廊下に、感情の凍え切った靴音が響き渡る。己の存在を隠そうともしないのは、それを隠す意味が既にない事を靴音の主が知っているからだ。


「……こちら『ランサー01』」


 地獄に落ちてから二年の月日が経過した。

 名目上は正義の味方。清く正しい建前で隠した薄汚い本音としては『争世会』にとって不都合な勢力を排除する闇の掃除人。

 組織としての名前すら与えられない〝存在しない傭兵部隊〟に所属するロジャー=ロイは、善悪の区別もなく命じられるままに命を破壊する意思も意志も持たない一筋の槍として、この二年を過ごしていた。 


 その日もロジャーに与えられた仕事はいつもと何ら代わり映えのしない吐き気がするような汚臭漂う簡単な任務だった。

 内容は単純。『争世会』に対して反抗的な組織との繋がりが噂されていたある研究機関の調査と粛清。

 既に内偵による調査は済んでおり、ロジャーに回って来たのはいつもと同じ粛清という名の全ての後始末(ゴミ掃除)

 粛清対象には洗脳状態にある凶暴化した被験者たちも含まれており、上から与えられたターゲットのリストには職員や護衛の戦闘員の他、被験者である幼い子供や年老いた老人の姿も見受けられた。


 彼らが薬物投与や暗示、催眠などによって洗脳されてしまっただけの被害者である事など関係ない。

 破壊する事を命じられた以上、ロジャーはその命を壊すだけだ。


 そこには一切の妥協も容赦も加減も例外もない。老若男女、どんな背景を持った人物が相手だろうと意志も意志もない兵器はその感情を一切動かすことなく、己という破壊の槍を振るい流れ作業のように対象の命を破壊していく。

 

 そうして今日も、その両手を誰とも分からぬ多量の返り血で染めたロジャーは、空洞の心を抱えたまま無線の向こうの顔も知らない雇い主に退屈な単純作業の終わりを報告しようとしていた。


「任務完了、予定通り全てのターゲットの破壊を確認した。これより帰投す――」


 不意に、ロジャーの左脚の辺りに衝撃が走ったのはその時だった。


 ――油断……とまではいかずとも、任務を終えたロジャーの心のどこかに気の緩みがあった事は否定できない。

 この施設にいる壊すべき人間は全て破壊した。その認識が間違っているとも思わない。

 だが、それはあくまで事前に用意されたリストに載っている人物に関しての話でしかない。


 伏兵。もしくは増援か。どちらにせよ、情報にない新手の出現を予感したロジャーはいち早く事態に対処すべく、無線を切って衝撃を受けた左脚に素早く視線をやって――



「――あ?」



 視線の先に広がっていた想定外の状況に、意志も意思も持たないハズの男が驚愕の感情に固まった。


 何故なら、そこにいたのは新手の敵などではなく、子供用の緑の手術着に身を包んだ幼い少女だったのだから。


「子供……だと? だがリストには……」


 一瞬、その顔に妙な既視感を覚え、己の壊し漏らしを疑うもすぐさま否定。

 頭に思い浮かべた配布されたターゲットリストの中に、眼鏡をかけた齢六歳前後のブロンドヘアーの少女など載っていなかった。

 それに、少女には洗脳状態にあった被験者たちが見せたような凶暴性も見られなければ、そもそも碌な干渉力も感じない。

 震えながらロジャーの左脚にへばりつくように抱きついているその様は、どの観点から見ても無害で無力な幼女そのものだった。


 ここまで――左脚に衝撃を感じてから状況を確認し終えるまで――およそ〇.三秒。

 とりあえず、眼前の少女が破壊対象ではない事を確認したロジャーだったが、相変わらず石像のような硬直状態はそのままだ。


「……」


 機械のように迅速な判断力でもって状況を確認してから三秒が経過し一〇秒が過ぎ去って、三〇秒を回ろうという時点になってなお、ロジャー=ロイは自らが陥ったこの状況にどう対応すべきか決めかねていた。

 左耳に差し込まれたイヤホンからは、ロジャーの異常を察知したオペレーターから状況を報告するようにとの指示が繰り返し流れていてとにかく喧しい。

 ロジャーは、己の無様に舌打ちをしつつ無線の回線をオンにして、


「……いや、問題はなにもない。少し、疲れているようだ。次の仕事までしばらく休む」


 それだけ告げて一方的に通信を切る。ようやく耳障りな声が消えた事にうんざりとしたように息を吐いて、それから状況が何も進展していない事に気が付いた。


 ……何が問題はなにもない、だ。問題ならば現在進行形で発生している。どうして自分は、理解不能なこの状況をオペレーターに報告しなかったのだろうか。


「……おい」


 ひとまず声を掛けてみる。しかし返事はない。ロジャーの左脚にひっついた少女は、ロジャーのパンツの布地に押し付けるようにして顔を埋めている。鼻をすする音がして、びきりとロジャーの額に青筋が浮かぶ。


「……おい、人の脚にしがみつくのを辞めろ」

「……」

「おいガキ、お前いい加減に――」


 しびれを切らして声を荒げようとしたロジャーは、そこで気付いた。


「……ひっく。ぐず……」


 必死に押し殺すような嗚咽があった。

 ロジャーの左脚にしがみつき、顔を埋める少女はその小さな身体を震わせて泣いていたのだ。


「ガキ、お前……泣いてるのか?」


 そんな分かりきった事をわざわざ尋ねたのは何故だったのだろうか。


 ただ一つ確かなのは、泣いている子供の事が心配だったとか、可哀想だとか哀れに思ったとか、そういった人間らしい感情の動きがこの時のロジャーにあった訳ではないという事だ。


 己を人ではなく全てを穿つ槍として。

 人を人ではなく破壊対象として。

 そうやって命じられるままにあらゆるモノを破壊し続けていたロジャーにとって、破壊対象ではない『人間』と接するなど実に二年ぶりの事。

 だから、今までは目にしても完全シャットダウンしていた涙を流して泣くという感情表現を行う『人間』の物珍しさに、どう対処すべきか分からなくなって、まるで相手に対して興味と関心を抱いているような問いを投げ掛けてしまったのだろう。


 あまりにうかつで、あまりに不用意な言葉。

 不安と恐怖に身体を震わせ、嗚咽を溢す少女に、その声はどんな風に届いてしまったのか。


 そんな事、まっとうな人間であれば考えるまでもない事なのに。


「……うぇ、だってぇ……こ、怖かったよぉおおお。おじさん、助けてくれて、うぅ……すん、ずっ、ありがとぉお……うわああぁぁぁああああああああああん……っ」

「おじさんってお前……俺はまだ二十二だっつうの……」


 ロジャーにしがみつく腕にぎゅっと力を込め声をあげて泣き始めた少女に、ロジャーはそんな言葉をボソリと呟くしかなかった。




☆ ☆ ☆ ☆



現実世界時刻:二〇XX年 一月五日 午前零時四十三分。

 座標:《魔力点β》プエルト・ナタレス【遊戯難度B】理想郷エピスィミ・ア・リスィア。 

 ???



☆ ☆ ☆ ☆




『――攻撃側プレイヤー:ロジャー=ロイの致命傷を確認。守備側プレイヤー:アレクサンドロスの勝利の為、「賞品」の移動は行われません。《エンドフェイズ》へ突入します』




「――――はッッ!」


 暗転。直後、意識が再構築。

 時間を超えていた自我が現在へと回帰し、逆巻きの時が心臓の鼓動をなぞるように正しいリズムを刻み始める。


(……また、かよ。次から次へと、あんな大昔の事なんざ、ほぼほぼ忘れちまってるかと思ってたんだが……意外と覚えてるモンなんだな。いや、今はそれよりも――)


 前後不覚の感覚より回復したロジャーを待っていたのは、アレクサンドロスの豪弓によって消し飛ばされたはずの右腕が元通りの場所に収まっている事に対する違和感。

 あるはずのモノが本来あるべき場所にある事に対して違和感を抱くという奇妙な居心地の悪さだった。


(――傷が、再生した? ……そう、か。確かに、厄災遊戯ゲームのルールにそんな項目があったな……) 


 《バトルフェイズ》で負った負傷は自動的に治癒される。


 遊戯ゲームのルールによって、失われたはずの左腕は戻って来たのだろう。

 その証拠に、遊戯ゲーム内の防御失敗によって奪われたロジャーの右目は依然として空洞のままだ。

 だが、腕を消し飛ばされた事も、その失った腕が戻って来た事も今は重要な事ではない。


「お。ラッキー、勘も矢も大当たりだな」 


 おどけるように言ってみせるアレクサンドロスの顔に浮かぶ愉悦に満ちたその嘲笑が、ただの偶然ラッキーではない事の何よりの証明だった。


(……見事に最悪の展開じゃねえかよ)


 攻撃失敗。

 その事実が、ロジャーの胃に重く伸し掛かる。

 よく言えば妥当、悪く言えば意外性に欠けるロジャーの先の思考は、アレクサンドロスに完全に読み切られていた。

 右目を潰された痛みと喪失感から無意識的により保守的な思考へ走ってしまったロジャーに対して、相手の全てを奪う為であれば自らの喪失さえ厭わないアレクサンドロスには大胆な選択に対して躊躇がない。

 故に、冷静さを失う事なく、自身の思考の裏を掻こうとするロジャーの思考の裏を突く事が可能だったのだ。


 この敗北により、ロジャーが一回戦多くを戦った段階で黒星は同数イーブン

 次の四回戦はアレクサンドロスが攻撃側であり、ロジャーが白星を挙げる為には最低でも九分の一の確率を引かなければならない。

 そして、仮にその最低条件を満たし防御に成功したとしても、そこでロジャーを待っているのは戦争バトルフェイズだ。

 先の戦闘でアレクサンドロスがついに見せた本気の一矢、見る事すら叶わないその神速の一撃は《バトルフェイズ》に突入したが最後、ロジャーに勝ち目がない事を端的に示している。



「……クソゲーかよ、こっちは一回の失敗ミスでほぼゲームオーバーだっつうの……」


 ロジャーにアレクサンドロスの勝ち越しを防ぐ手段はない。

 勝利の可能性を残す為には、ロジャーは攻撃側で一回の失敗も許されなかったのだ。だが、その条件も三回戦という早い段階で瓦解した。


「で、次は俺の番な訳だ……ああ、楽しみだ。興奮するなァ、高まってきやがった……! 次はアンタから何を奪ってやろうか。今みたいに腕でもいっとくか? それとも足がいいか? 聴覚、触覚なんて五感方面から奪っていくのも悪くねえ。まあなんにせよ、何を守るかはよく考えて選べよ? アンタが守れるモンはたった一つだけなんだからよぉ」


 状況は絶望的。


 そしてロジャーは理解していた。この厄災遊戯ゲーム:『覇名彙徴問愛ハナイチモンメ』において――



「……たった一つ、ね。ああ、確かにその通りだ。この状況で俺が守るべきモンなんざ、一つしかありゃしねえ」



 ――そもそも、ロジャー=ロイに選択の余地など初めからありはしないのだという事を。


「……へぇ。アンタ、全部分かって言ってるんだな?」

「誰がこんな簡単な引っかけに引っ掛かるかよ、間抜け」


 ロジャーは自らの陥った状況を思い出して、思わず苦笑いを浮かべる。


 気付いた時点で詰んでいて、気付かなくとも詰んでいる。

 アレクサンドロスが仕掛けたこの厄災遊戯ゲームはそういう類の袋小路で、そこに組み込まれてしまった時点で結末など決まったも同然。


 いうなれば、この状況を作らせてしまった時点で厄災遊戯ゲームは終わってしまっていると言っても過言ではない。


「俺がお前なんざの思惑通りに踊ってやる心優しい人間にでも見えたか? もし見えたんならその腐りかけの目玉を抉り抜くのをオススメするぜ。代わりにビー玉でも埋め込んでおけば最高だ。オジサンが目にしてもムカつかねぇ、つぶらな瞳がブサ可愛いイイ感じの顔面になりそうだ」

「なんだ、男の妬みはみっともないぜ」

「ちげえよ、俺の方がイケててダンディだっつうの」


 まず大前提として、〝強欲が果ての騒乱〟アレクサンドロスはロジャー=ロイの全てを奪おうとしている。


 遊戯ゲームの勝敗よりも互いの生死よりもそれが目的である以上、殊更ロジャー=ロイが大切に思っているモノをアレクサンドロスが見逃すはずがない。


 ――『へえ、そんなにコレが大事な訳か。いいね、悪くねぇ。そういうの見せられると、忍耐強く辛抱強い俺としてもついスイッチが入っちまう』


 ソレが物であれ者であれ物理的に定義できないモノであれ、アレクサンドロスはその悉くを奪おうとするだろうという事を、ロジャーは常に念頭に置いておかなければならない。

 そして、アレクサンドロスにとって相手から奪う価値があるモノとは、アレクサンドロスの主観によって決定づけられるのではない。

 相手がどれだけソレを大切に思っているか。相手の主観――つまり今回の場合はロジャー自身によって決定づけられるのだ。


 究極、アレクサンドロスにとっては道端の石ころにしか思えないようなモノだったとしても、ソレを相手が宝石のように大切にしているのであれば、奪い取る事にも意味があるし、アレクサンドロスが奪わんとしているモノなど、わざわざ推理するまでもなくロジャー自身が誰よりも知っている。


 ……嗚呼、そうだ。分かっている。自分が今、何を最も奪われたくないと思っているかなど、誰よりもロジャー=ロイは理解している。当然だ。



 ――『くっくく……アンタ、最高だな。そんな風に宝石でも扱うみてえに大事にされちまったら……ああ、イイね。欲しい。欲しいぜぇ。見てるこっちまで最高にテンション上がってきちまうじゃねえか……ッ!』


  そういう意味では、ロジャー=ロイはアレクサンドロスに己の執着を見せすぎたとも言えるだろう。

 ロジャー=ロイにとって『ソレ』が主であるエリザベス=オルブライトにも劣らない程に重要なナニカである事は、これまでの彼の態度から容易に察する事が出来たハズだ。



「渡すかよ。渡してたまるかよ、お前なんざに……」


 己の意思を再確認するように呟き、拳を握る。

 背後を見る間でもない。

 きっと今も、彼女は不安と心配に圧し潰されそうな顔をしながらこの背中をじっと見つめ、その実ロジャーの勝利を疑う事無く願っているのだと分かる。


 ユーリャ=シャモフ。


 彼女こそが、この絶望的な状況下においてロジャー=ロイが守るべきただ一つのモノ。

 背中にその視線を感じる限り、ロジャー=ロイに屈する事など許されない。 


 そして、だからこそアレクサンドロスは厄災遊戯ゲームにユーリャを組み込んだのだ。


 己の意図にロジャー=ロイが気付いた場合、絶対に彼女を無視できない事を見越して。


 だってそうだろう。

 ロジャーは最初の一手でアレクサンドロスの『リスト』に名を連ねるユーリャを奪い返せる『可能性』があった。

 もしその状況でロジャーがユーリャを選択せず、アレクサンドロスもユーリャを守ろうとしなかった場合、ロジャーは本来であれば助けら(・・・・・・・・・)れたユーリャを自ら(・・・・・・・・・)の意志で助けなかっ(・・・・・・・・・)たという事になる(・・・・・・・・)


 ロジャーにとって、それは致命的な瑕疵となり得る。

 エリザベス=オルブライトと出会い、自らを彼女が掲げる正義そのものであると定義する事で救われたロジャーは、同じようにユーリャ=シャモフという存在にも救いを見出している。


 ロジャーにとっての救いであり執着であり過去であり憧憬であり罰であり呪い。

 ロジャー=ロイという男を構成する重要な要素の一つとでも言うべき彼女の喪失を自ら認める事は、自らの心臓に刃を突き立てる行いと何ら変わりない。

 

 守備側においてロジャー=ロイはユーリャ=シャモフを守る以外の選択肢を選べない。否、選ばないのだ絶対に。


 それが意味するのは、守備側での必敗。ユーリャ=シャモフを守る代償に、ロジャー=ロイはその他の全てを失う事になる。


「ま、なんでもいいけどよ。ソレを自分の口でバラしちまうアンタの方が間抜けだと俺は思うけどな」


 別段、アレクサンドロスとしてははどちらに転ぼうとも問題がなかった。

 ロジャーが今回の厄災遊戯ゲーム:『覇名彙徴問愛ハナイチモンメ』に仕込まれた意図を正しく理解していないのであれば、守る事が出来たはずのユーリャ=シャモフをもう一度目の前で奪う事で、ロジャー=ロイという存在を内側から破綻させる。

 仮にこちらの狙いを正しく理解していたとしてもそれはそれ。その時はユーリャ=シャモフ以外の悉くを執拗に奪ってやればいい。

 そうして最後に、抵抗も出来ない程にボロボロになったロジャー=ロイの腕から直接ユーリャ=シャモフを奪うのだ。

 それだけで、目の前の男の全てを奪う事が出来る。


「口を滑らせなれば一回くらいは駆け引きの材料になっただろうに。アンタが俺の仕組んだ意図に気付いているかどうかなんて、こっちにも確信があった訳じゃねえのによ」


 既に勝敗は決している。

 後は予定調和の遊戯ゲームをこなしていくだけだとつまらなそうに言うアレクサンドロスとは対照的に、ロジャーは心の底から相手を馬鹿にしたように愉快げに笑って、


「だから間抜けはどっちだよ。俺が自分でバラした理由? おいおい、冗談きついぜ。そんなモンも分からねえか? んなモン自己満足の嫌がらせに決まってんだろ」

「テメェ……」


 ロジャーの煽るような物言いに、ここまで常に余裕と共にあったアレクサンドロスが初めてその瞳を不快そうに鋭く細めた。 


「……右目を奪われた痛みで気でも狂ったか?」

「別に? てか、狂ってるのはお前の方だろ強奪マニア。俺はもっと単純にお前のそういう顔が見たかったってだけだ」

「なに?」

「……お前は随分と人様のモノを奪う事に執着してるみたいだが――試しに俺も奪ってやったって言ってるんだよ、お前の楽しみってヤツを。なあ、どうなんだよ。創意工夫を巡らせて、一生懸命頑張って、大仰な仕掛けを用意したトコで、『悪いけど全部バレバレですよ』って言われる気分は。残念だったな、俺が悩みながら苦しむ姿が見れなくてよ」


 不意を突かれたような驚愕に固まるアレクサンドロスに、ロジャーは心底相手を小馬鹿にした渾身のドヤ顔でこう言い放った。


「俺はなぁ、男は嫌いだが中でも顔のイイ若い男は大嫌いなんだよ。なにせ見てるだけでムカつくからな。オジサンっつー生き物の性格の悪さ舐めんな、他人の足引っ張る事にかけちゃあ一級品だから老害なんて言われてんだ。命懸けの嫌がらせくらい訳ねえんだよ。せいぜい地団駄踏んで悔しがってろ、性悪半裸乳首」

「……は、はははははは!! なんだ、ソレ。もしかしてこんなので一矢報いたつもりなのか? この状況で、まだ自分は何とかなると本気で思ってんのか? ……面白れぇ、面白過ぎていっそ不愉快だよ、アンタ。てか、一番最初にわざわざ言ってやったよな?」


 それは歓喜か、それとも怒りか。

 これまで見せる事のなかった様々な色の混じった複雑な感情の発露を笑い声に乗せて、俯きながら静かに声を震わせる『厄災』。

 問いかけと共に言葉を一度区切った男がもう一度顔を上げると、そこには明確な殺意の炎が灯った一対の燃えるような瞳がロジャーを真っ正面から捉えていた。


「俺は謙虚で控え目だ。けどな……俺は俺からナニカを奪おうとする野郎を見過ごしてやる程、自分を無価値とも思っちゃいねえって……!」


 此度の厄災遊戯ゲームは個人戦。

 三回戦を終えて一勝二敗、守備側での敗北が決定しているロジャー=ロイに、一度開いた差を覆す術はない。

 人類の天敵たる『厄災』との絶望的な直接対決。

 しかしてそれは、己が『欲望』にどこまで執着し、その意地を貫き通す事が出来るかという己との戦いでもあった。




「――決めたぜ。楽には終わらせねえ、そのくだらねぇ決意ごと何もかも奪って全部台無しにしてやる」




『――四回戦、《ファーストフェイズ》。守備側プレイヤー:ロジャー=ロイは守りたい「賞品」を自身の「リスト」より選択してください』




「――何もかも奪う? 笑わせんな。お前にも奪えねえモンがあるって事を教えてやんよ」




 泥臭くみっともない、命懸けの意地の張り合いが始まる。


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