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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第二章 涙空ノ咎人
39/415

第五話 夏休みの安寧Ⅴ—―アリシア、そして少女の受難

「ふぅーむ、むむむむむ……これは少し――」


 ――困った事になった。


 ザ・キングオブ夏デス! と言わんばかりに照りつける夏の日差しの中、日本人離れどころか人間離れした美しい外見の白髪碧眼の少女は、困ったような顔で、街の至る所にある設置型の地図と睨めっこをしていた。 

 アリシアの白く美しい肌を、玉の汗が流れる。

 思わず漏れる溜め息にも、生気が感じられない。


 夏デス! のデスはこっちのdeathと掛けていたりするのではないか、と疑う程には灼熱だった。

 今までの人生割と引きこもりがちなアリシアにはツラい天気だ。

 

 さて、天智の書の契約者であり、背神の騎士団(アンチゴッドナイト)の正式なメンバーでもあり、さらに『神の能力者(ゴッドスキラー)』としてその身に異能を宿す白髪碧眼の可憐な少女、アリシアが一体何をしているのかと言うと――

 ――街のど真ん中で白昼堂々道に迷っていた。


 勇麻たちが背神の騎士団(アンチゴッドナイト)の偉い人の所に話し合いに向かっている間の留守番をたのまれていたアリシアだったのだが、留守番は正直言って五分で飽きた。

 何か面白い物ないかな~と家の中をふらふらしていたハズが、いつのまにか学生寮の部屋の外に、それがさらに学生寮周辺に、そして気が付けばアリシアが一度も訪れた事がないような場所にまでふらふらと来てしまっていた。

 見たことの無い景色に見たことのないお店。道を行き交う知らない人々の群れ。

 アリシアのテンションは爆発的に上昇し、まるで宝石みたいに瞳を輝かせながら、店から店へと走り回った。

 散歩に出た犬みたいにはしゃいでそれぞれの店内を見て回っていたのは、いまから僅か十分くらい前の話だ。


 そして今現在。店を見て回るのにも疲れ、なおかつ日差しにやられ、テンションがいつものレベルまで低下したアリシアは、学生寮への帰り方を模索していたのだった。


「むむ。この地図とかいうヤツは分かりずらいのだ。自分のいる場所が載っていないのでは、どこをどう進めばいいのか分からないではないか」


 ぷんぷんとあまり表情を変えぬまま怒ったように設置型の地図に当たり散らす少女には、地図の中に丁寧に記載されている現在地マークが目に入っていなかったりする。

 典型的な周りの見えていない迷子である。 


「こうなったら天智の書を使って……いいやダメだ。何でもかんでも天智の書に頼っていてはダメなのだ。これくらいのピンチ、自分で何とかしなければ」


 アリシアは考えるように口元に手を当て、人の流れに沿って適当に歩き始めてしまう。

 現在地も目的地も分からす、何の方針も決めていないのに勝手に進む。まさに典型的な迷子を地で行く迷子少女なのだった。

 人通りの多い表通りから、あまり人が多くない裏通りに入る。

 分かれ道に差し掛かり、アリシアはうーむ、と少し唸って、

 

「ふむ、多分こっちだな」


 危機感ゼロのアリシアは超適当に進行方向を決めると、堂々とした足取りで歩き始める。左に分かれる曲がり角を曲がろうとして、

 ──曲がり角の向こう側から、猛スピードで走る少女がアリシアの視界を塗りつぶすように突然現れた。

 いきなり過ぎて避ける事などできるハズも無く、

 アリシアと少女は思いっ切り正面衝突した。


「きゃ!?」

「わ!?」


 当然ゆっくり歩いていただけのアリシアは、猛烈なスピードで走ってきた少女とぶつかって吹っ飛ばされる。

 盛大に尻餅を付き、勢いを殺し切れずにそのまま建物の壁面に後頭部を打ちつけた。

 ゴチンっ、と鈍い音がして、鈍痛がアリシアの頭の中で炸裂した。

 独りでに涙が出る。


「うぅ……頭が痛いのだ」


 目尻に涙を浮かべながら、アリシアは後頭部を撫でる。

 表情が若干曇っている辺り、結構痛かったようだ。


「いったぁーい……」


 前方不注意の少女の方も痛そうにお尻をさすっている。

 

 高校生くらいの、泣きぼくろが印象的な可愛い顔をした少女だった。

 肩に掛かるくらいの長さの茶髪は、一房だけ伸ばしているらしく、その長めの一房を後ろでヘアピンを使って止めていた。

 当然の如くアリシアよりは背も高く年上だ。

 

 どうやらこちらは尻餅だけで済んだらしい。


「いたた……って、痛がってる場合じゃ!? だ、大丈夫!? ごめんね、わたし、その……全然前見てなくて」 

 

 少しの間痛がっていた少女は、急に思い出したようにそう言って飛び上がると、後頭部をさすったままぺたりと路上に座っているアリシアに手を差し出した。

 アリシアは差し伸べられた手を少しの間観察するように眺めて、それから一度少女の顔を見つめる。

 沈黙と静止が訪れた。


「……え、ええと……」


 なかなか手を取ってくれないアリシアに、少女は困ったような笑顔を見せている。

 実はアリシアは見知らぬ人に手を差し伸べられる、という親切を受けて感動と困惑で固まってしまっているだけなのだが、何分表情に出にくい為、初対面の少女にはあまり好意的な行動には見えないようだ。

 無言の視線の交錯が暫く続いて、


「お主、ここがどこだか分かるか?」 

「へ?」


 唐突にそんな事を言い出したアリシアによって、沈黙が破られたのだった。



☆ ☆ ☆ ☆

 


 困った事になった。


「え、ええっと……アリシアちゃん、でいいんだよね?」

「うむ、そうだぞ。わたしの名前はアリシアだ」

「で、アリシアちゃん。もう一度聞くけれど、自分がどこから来たのかは分からないの?」

「む。帰り道、か……。果たして人はどこから来てどこへ帰結するのか。案外、帰り道を見つけるという事は、人生において一番難しい物なのかもしれないな」

「……アリシアちゃん。それっぽい事言って誤魔化そうとしてない?」

「言ってる事は良く分からなくても、それっぽい雰囲気さえあれば、悪役としてのカリスマを手に入れられるらしいぞ?」

「悪役設定だったんだ!?」


 一向に噛み合う気配の無い会話を続けながら、少女は思わず小さい溜め息を漏らした。

 少女が突き飛ばしてしまった、西洋人形のような造形美を兼ね備えた小学校高学年くらいの小さな女の子──名前はアリシアというらしい──は、自分の現在地すら分からない、まごうことなきどこに出しても恥ずかしく無い迷子っ子だった。

 なし崩し的に(というか完全にこの子のペースに飲み込まれて)この女の子を家まで連れて行ってあげる事になってしまったのだが、何より目下一番の問題は帰る家の位置も名前も何一つ分からないという事だ。

 これでは迷子を家に送り届けようも無い。

 かと言って、一度家まで送ると約束した以上、ここで迷子のこの子を投げ出すのはあまりにも残酷だ。

 それに、このどこか天然で危なっかしい女の子を一人にして放っておいたら、あっという間に新たな問題に巻き込まれかねない。

 少女としてはそんなアリシアを無視しておけるハズも無く、結局面倒事に巻き込まれる事になってしまったのだ。


(ぅう~、困ったなぁー。わたしもこの後予定があるのに……このままじゃ間に合うか分かんないよ……で、でも、このままこの子を置いてくのはいくら何でも可哀想過ぎるし……うーん、困ったな)


 ひとしきり悩んだが、名案など浮かんでくるハズも無く、


「む、私の勘が告げている! ……こっちなのだ!」

「え、あ! ま、待って。あんまり勝手に動かないでってばー!」


 ズンズン歩いて行ってしまう女の子を、慌てて追いかける事になる。

 これじゃあ、少女と迷子の女の子のどちらが主導権を握っているんだか分からない。

 少女は小走りで女の子に追いつくと、その手を取って、


「ま、待ってッ、アリシアちゃん。一回、落ち着こう。ね? お姉さんと一緒に行こうよ」

「む?」


 少女はアリシアの手を優しく握り、人の良い笑顔で笑った。


「とりあえず、アリシアちゃんの住んでいる所の近くに何があるかとか、何でもいいからヒントみたいな物、ないかな?」


 少女の問いに対して、返ってきたのはどこか気まずい沈黙のみだった。

 どうやらアリシアは握られた手をジッと見つめているようだった。

 この様子では、恐らく少女の質問は聞いていないだろう。

 何かマズったかなー? と少女は困ったように頬を掻いて、もう一度アリシアに話し掛ける事にした。

 アリシアの顔を覗き込むようにして、


「……ええっと、アリシアちゃん。もしかしてお姉さんと手繋ぐの嫌だった?」


 しかし少女の予想とは反対に、アリシアは首を横に振った。


「ううん、このままがいいのだ」


 出会ってから初めての笑顔を見せながら、アリシアは嬉しそうに少女の手を握り返したのだった。



☆ ☆ ☆ ☆


 

 アリシアは学生寮で暮らしているのだと、そう少女に語ってくれた。

 学生寮ならば、通う学校ごとの指定があるの場合がほとんどなので、学校名さえ分かってしまえば見つけるのは簡単だ。

 少女はようやく活路が見えてきたとそこで少し安堵したのだったが、それは間違いだった。

 驚くべきことにアリシアは、学校には通っていないとそう言うのだ。

 どんな事情があるのかは分からないが、どうにもきな臭い。

 そう思いつつも、詳しい話を聞く事には躊躇いがあった。

 あまり個人的な事に踏み込むのは良くない事だ。プライバーシーの侵害になるかもしれないし、法律云々以前に、聞かれた方を嫌な気分にさせてしまうかもしれない。

 悶々としながらも、結局少女は詳しい事情を聴くのを諦め、とりあえず学生寮の多い『北ブロック』方面へ向かう事にした。

 小学生の多い『西ブロック』の方が可能性が高そうだと思うかも知れないが、少女と出会ったのは『中央ブロック』の第五エリア。『北ブロック』と『中央ブロック』のほぼ境目の位置だ。

 小学生が『西ブロック』からどちらかと言えば『東ブロック』寄りの『中央ブロック』第五エリアまで徒歩で移動できるとは距離的に考えにくい。

 となると自然、一番可能性が高いのは学生寮の少ない『東ブロック』でも距離的に遠すぎる『西ブロック』でも無く、『北ブロック』第五エリアという事になる。


 と、そこで不意に、五メートル程先に自販機を見つけたアリシアの瞳がきらりと輝いた。


「む、あの自販機! 七色レインボーが売っているのだ!」


 声を上げながら走り出すアリシアに引っ張られる形で、少女も自販機へのダッシュに付き合う羽目になる。

 この少女の性格から考えて止まる訳は無いと思いつつ、少女は僅かに残った年上としての義務感で静止の言葉を投げかけた。


「ま、待ってよ。アリシアちゃーん。えっと、お金は持ってるのー?」

「うむ。心配はいらないぞ。大丈夫、お金は勇麻が持っているのだ」

「え、……それって、アリシアちゃんは何も持っていないって事なんじゃ……ってきゃあ!?」


 突然、少女の足が地面に突っかかったような感覚に襲われて、少女の視界が一八〇度回転した。

 女の子らしい悲鳴だけを残して、少女の身体がフェードアウトする。


「む?」


 突然高くなった段差に躓いて盛大にすっ転んだ少女は、幾らか回転した挙げ句、体育座りのまま背中を地面に付けたような凄まじい格好になっていた。

 腿裏やおしりなどが色々丸見えで、主に下半身が大変な事になっている。

 要するに、普段はスカートで隠されている白い布が、その清潔な姿を白日の下に曝け出す結果となっていた。

 

「いったたた……」

「おお……。真っ白なパンツが丸見えなのだ……」

「い、言わないでぇ!」


 顔を信号機みたいに真っ赤にしながら慌てて両手で隠しても、既に色々と手遅れなのだった。



 ☆ ☆ ☆ ☆ 



 当然の如くジュース代は少女の財布が肩代わりする羽目になった。


「むむ……、お金を出して貰って申し訳ないのだ。勇麻がいないのをうっかり失念していた……」

「あ、はは……大丈夫、大丈夫。ジュースの一本や二本、ぱ、パンチラの一回や二回。どうってことないって。そう、男の子に見られてないから、別にどうって事は……ハッ! そ、それよりそのジュース、おいしい?」

「うむ、おいしいぞ。ジュース、ありがとうなのだ」


 アリシアは、やはりどこか抜けていて天然気味で、だけれども素直な心を持っている女の子だった。少女には、そんな幼い彼女が少しだけ羨ましく思えた。  


 初めは緊張気味だったのか、表情が硬い事の多かったアリシアも、だんだんとぎこちないながらも笑顔を浮かべてくれるようになってきた。 

 それが少女には少し嬉しかった。

 手を繋ぎ、まるで姉妹のようだと一人思いながら、アリシアと少女は『天界の箱庭(ヘヴンズガーデン)』を歩く。


「それでな、昨日は勇麻と初めてカレーを作ったのだ。私も人参を剥いたのだがな、あれは中々難しかったな。うむ。私の知る中でも人参の皮むきは一、二を争う丁寧さと正確さが必要とされる作業だった」


 どうにも話を聞いている限りだと、アリシアは『勇麻』という人物の学生寮で、その『勇麻』なる人物と一緒に暮らしているらしい。

 兄妹か何かかな? とも一瞬思ったが、こんな西洋風な可憐な女の子の兄の名前が、そんな純和風な訳が無い。 

 

(勇麻、ねえ……)


 その名前を心の中でだけ反復して、


「……カレーライスか。いいね、そういうの。わたしもアリシアちゃんが作ったカレー食べてみたいなー」

「うむ。今度食べに来てもいいぞ。勇麻は優しいからな、一人や二人増えても、きっと大丈夫なのだ」

「そっかー、じゃあ今度作ったらお姉さんもカレーを食べに行っちゃおうかなー」

「む、本当か!? 約束だぞ!」

「……うーん、約束は難しいかなー。でも、そうだね。予定が合ったら御馳走させて貰おうかな」


 適当な、社交辞令的な返しのつもりだったのに、予想以上の食いつき具合で正直困ってしまう。

 約束だぞ、と嬉しげに迫るアリシアに対して、曖昧な返事しかしない自分は卑怯者だと思った。


 世間話やくだらない話を面白おかしくアリシアと喋りながら歩いていると、不意にアリシアの足が立ち止まる。


「む……。この辺りの景色。見覚えがあるような気がするのだ」

「ホント?」

「うむ。多分こっちだ」


 少女の手を引いたまま走り出すアリシアを追いかけて、少女はホッと胸を撫で下ろす。

 何とか無事に、この迷子の女の子を家まで送り届る事ができそうだ。

 少女自身、見覚えのある景色をなぞりながら、彼女の手を引くアリシアはどんどん前に進んで行く。

 


 裏道のような細い道、家と家との隙間。

 アリシアの小さい身体を最大限に活用した近道だった。

 アリシアは自分の記憶の中にある景色にようやく出会えた事が嬉しくて、手を繋いでいる少女の事を気遣っている心の余裕などなかった。

 彼女にとっては、アリシアが通りやすい近道など悪路でしかないだろうに、文句ひとつ言わずに手を握ったまましっかりと付いて来てくれている。


 足が逸る。

 たった数時間見なかっただけの場所が、こんなにも愛おしいなんて、それこそアリシアにとっては初めての経験だった。

 見たことの無い景色を探しに冒険するのも、知らない人と仲良くなる事も、どれもとても面白い事だったが、『帰る場所がある』という当たり前のはずの事が、アリシアにはどうしようも無く心躍る事だったのだ。

 この学生寮で暮らし始めて一週間。 

 アリシアの初めては止まらない。

 どんどん足が進む。進む。進んで――


 ――またしても初めてが、アリシア自身の足を止めた。


 路地裏をある程度進んだ所だった。 

 近道に選んだその道は、昼間だと言うのに薄暗く、正直言ってアリシアのような子共が一人で通っていい場所では無い予感しかしなかった。

 道の隅にはゴミが散らかり、ポイ捨てされた空き缶から自転車のサドルまで、大小様々なガラクタが転がっていた。

 薄汚れた狭い通路の壁面には、下手くそで下品な落書きが書き殴られていた。明らかにこの辺りの治安は良くは無い。 

 おそらくは、この辺りの学生寮に住んではいるものの、学校に通わないような不良生徒の巣窟になっているのだろう。 

 だがアリシアには当然、そんな事は分からない。

 だが、目の前の光景をこう評価する事はできた。


「ふむ。ちょっと、通れなさそうなのだ」


 アリシアの呟きを肯定するかのように、道を塞ぐ形で数人の男が路面に座っていた。

 おそらくは高校生くらい、年齢だけなら勇麻とそう離れてはないだろう。

 タバコを口に咥えて、酒ビンを揺らす目付きの悪い少年たちは、突然目の前に現れたアリシアと少女を見て『あ?』と首を傾げている。


 勇麻から聞いた事がある。この生物は、おそらくはヤンキーという存在だ。

 学校にも行かずに、全ての事をダルがっている人間の到達点の内の一つが、オラオラ系の不良学生だ、と勇麻が話していたのをアリシアは思い出していた。


 ……勇麻のその意見は、 実際にはアリシアにも家事を手伝わせる為の──子供に話す怪談のような一種の教訓を含んだ──脅し文句のような物で、かなり偏った見方による超適当な物ではあったが、アリシアにはそんな事分かるハズもない。


 初めて実物を見たアリシアは、『なるほど』とあまりにも勇麻が話してくれた物そのままだった驚きに、内心舌を巻いていた。

 確かにこれはオラオラ系だ。


「これがオラオラなのか……」

「あ? 何言ってんだこのガキ」


 だが、そうずっと見ていてもオラオラ系の不良達は何か芸をしてくれる訳でも無い。

 既にアリシアの興味関心の対象からは外れており、少しの間、心の内から一瞬消えていた早く家に帰りたい欲求が再び顔を出してくる。 

 早く学生寮に帰りたい。その為にもこの近道を使いたい。

 アリシアとしてはそこに座っていられると通行の邪魔でしかないので、早急に立ち退いて貰おうと、口を開きかけて、


「ご、ごめんなさい! ええっと、その……し、失礼しましたぁ……ッ!!」


 そんな風に勢いよく頭を下げた少女の謝罪の言葉で、すぐ喉元まで出かかっていたアリシアの言葉が押しとどめられた。 

 少女は男達に背中を向けて、今の状況について来られていないアリシアの手を少し強めに引いて、元来た道を戻ろうとする。

 有無を言わせぬ少女の雰囲気に、すぐそこまで出かかっていた男達に対する言葉も忘れてしまう。 

 そのまま元来た道を戻ろうとして、先を行く少女の肩を、男達の内の一人が掴んだ。


「まあ待てよ、姉ちゃん」


 男の声に少女の身体が縫い止められる。

 抵抗するでも無く、ただ困惑したように止まる少女の足。

 その様子を見た周りの連中から、下卑た無遠慮な嗤い声が巻き起こる。


 ビクリと、繋いだ少女の手が震えたのをアリシアは感じた。

 それがどんな感情から来る震えなのか、アリシアには分からない。

 少なくとも、推し量る事くらいしかできない。

 だがそれでも、その感情が少女にとって好ましくない物だという事くらいは判断がついた。


 アリシアが少女に何か声を掛けようと口を開きかけて、しかし少女は男の方を振り返ると、慌てたようにアリシアの身体を腕の中に引き寄せた。

 

「ふご」


 顔に柔らかい感触二つが押し当てられ、アリシアの言葉は形にならない。

 少女がアリシアを抱く腕に力を込めた為、抜け出す事もできそうになかった。


「そうビクつくなって、取って食いやしねえよ。なに、折角こんなトコまで遊びに来てくれたんだ。そう慌てず遊んで行けって、そこの小さなお嬢ちゃんも一緒でいいからさ。……なあ、お前ら?」


 少女の肩を掴んだリーダー格の男の同意を求めるような声に、笑いを含んだ賛同が返ってくる。

 こちらの反応を見て楽しんでいるのは誰の目にも明らかだった。

 鈍いアリシアにもそれが分かるくらいだ。

 悪意の集中放火を受けている少女が心配だった。


「あー、それともあれか。そこのちっちゃなお嬢ちゃんに乱暴されたくなければ、……とかいう展開プレイの方が好きだったりする?」

 

 げらげらと不愉快極まりない笑い声の合唱。

 耳障りな音色は、アリシアの気分を酷く悪くした。さっきまでの楽しかった気分が、このオラオラ系の人達のせいで最悪だ。

 アリシアは、自分が目の前の外道な連中に対して激しい怒りを抱いている事に気が付いた。

 あまり感情を表に出さない──というより出すのが苦手──なアリシアにとっては少しばかり珍しい話である。

 アリシア的には劣勢な少女を助ける為に、今すぐにでも神の力(ゴッドスキル)の一発や二発をぶちかまして、オラオラ系の方々を追い払いたい所であったが、アリシアを庇うように抱く少女自身が、その行動を阻んでしまっていた。


「へぇ、そういう表情もできんのか。いいね」


 少女の身体によって視界を失っているアリシアから少女の顔は見えない。

 だが、それでも分かる事はある。

 アリシアを守る為に、少女は目の前の不良連中相手に一歩も引かずに立ち向かっているという事実だ。

 きっと今の少女の表情は、アリシアが見たことも無いような覚悟を孕んだ物へと変貌を遂げているのだろう。

 彼女のような人間は、アリシアを見捨てるような事は絶対にしない。

 アリシアのような未熟者には、その論理は良く分からないけれど、そういう人間は確かに存在するのだ。

 自分の身を危険に晒してでも、他者を助けようとする、そんな人が。

 

 そんな人だからこそ、少女は道に迷って困っているアリシアを放って置くこともできずに、こんな所まで付いて来てくれたのだから。


 勇敢な少女を嘲笑うように男が一歩、距離を詰める。


「アリシアちゃん。ちょっと下がっていて」

「む、だが……」

「いいから、お姉さんに任せて。ね?」


 優しく微笑みながらそう言われて、アリシアは少女の思いの強さを感じ、黙って頷いた。

 アリシアは少女に言われるまま後ろに下がり、都合少女がアリシアを庇うように立ちふさがる格好になる。

 アリシアの見守る中、少女は少しずつ近づいてくる男を気丈にも睨みつけた。

 泣きぼくろが印象的な優しい瞳に、似合わない怒りの色が映る。 

 だが、敵意を向けられた男はそんな視線などどこ吹く風で、少女のその勇敢な態度を嘲笑うように、

 

「おーお、勇敢な事だ! そうかい。そんなに乱暴されるのがお好みか。いい趣味してんな、姉ちゃん! まぁそういうプレイがお好みって言うんなら俺らが付き合ってやらない事も――」

「――やめてください」


 弱々しく震えていたハズの少女。

 その少女が放った凛とした声が、男の言葉を遮った。


「あ?」


 ドスの効いた低い声で男は少女を威圧する。

 しかし、その安易な脅しに臆するような事はない。

 庇うようにアリシアの前に立つ少女は、男から目を逸らす事なく強気にこう告げる。

 自ら一歩前へ。


「お願い、止めてください。これ以上この子を怖がらせるようなら」


 一陣の風が、


「わたしは、アナタ達を力づくで追い払わなければいけなくなる」


 少女の茶色い髪の毛を撫でた。

 願掛けのように一部分だけ伸ばした、ヘアピンで束ねて留めてある長めの一房が揺れる。

 

「な、こいつ……風を操って……!?」


 驚愕を含んだ男の声が、少女の起こす現象を端的に言い現わしていた。

 そして驚いたのはアリシアも同じだ。


 少女の背中。

 

 吹き荒れる風が意志を持って、その華奢な背中に収束していく。

 集まり、束ねられた風は少女の背中で意志を持つように暴れ回る。

 莫大なエネルギーを圧縮し、いつの間にか小さな竜巻のレベルにまで成長した風の集合体に、男は目を見開き息を呑む事しかできない。

 少女の背中から生じる二対の竜巻。


「綺麗なのだ……」


 その姿は、さながら翼の生えた天使のようだと、アリシアは思った。

 だが、男としてはオアシスで悪魔にでもあった気分だろう。

  激しい動揺を隠す事もできずに、 

 

「か、かまうもんか! こっちは数で勝ってんだ。だいたい風を操る『神の能力者(ゴッドスキラー)』なんて、珍しくも痒くもねえ! ビビる事はねえ。やっちまえお前ら!」


 若干日本語がおかしくなっている男は、顔を青くしながら周りの男達に唾を飛ばした。

 リーダー格の男の言葉に、周囲の男達も顔を引き攣らせながらも少女に跳びかかろうとして、


「ちょっと待って兄貴、風を操る、一房だけ髪を纏めた短髪の女って、まさか『最強の――


 仲間内の一人が何かに気が付いたように声を張り上げたが、何もかもが遅すぎた。


「アリシアちゃん、少しの間、耳を塞いで目を瞑っていてね」

「?」


 次の瞬間。


 風の暴虐が、全てを吹き飛ばした。



☆ ☆ ☆ ☆

 


「む、ここまで来ればもう分かるのだ。あそこが私の住んでいる学生寮だぞ」


 はしゃぎながら指差す先には、アリシアと東条一家の住む学生寮が、堂々とその大きな景観を見せつけている。

 アリシアの言葉に少女はどこか寂しげに薄く笑って建物を見上げると、


「そっか。なるほどね。ここが、アリシアちゃんの住む学生寮か」

「うむ。今度は一緒にカレーを食べよう。皆で食べる方がカレーはおいしいって、勇麻も言っていたのだ」

「皆で食べたほうがおいしい、か。確かにそうかもね」

「うむ。一人で食べるより、そっちの方が全然おいしいぞ」


 皆で食べるご飯の方がおいしい。


 今まで隔離された部屋の中で、薬品の味しかしない栄養食を食べされられ続けていたアリシアは、それを勇麻に教えて貰った。

 だからこそ、今日一緒に遊んでくれた少女にも、その素晴らしさをどうしても教えてあげたかった。

 アリシアの言葉に、何故か少女は苦しげな笑みを浮かべている。

 どうかしたのか? アリシアがそう尋ねる前に、


「よし、じゃあお姉さんはここまでにしようかな。もう、一人で帰れるよね?」

「む。それくらい楽勝なのだ」

「あはは、ごめんごめん。流石に馬鹿にし過ぎたかな」


 少しムッスとしたような顔をしたアリシアに、少女は苦笑していた。

 ともかくここから先は少女の助けはいらないのもまた事実。

 出来ることならこのまま学生寮に招待したかったが、彼女にも事情があるのだろう。

 強要しても迷惑だし、別に今日が永遠の別れになる訳でも無い。

 彼女がそう言うのなら残念だが、今日はここでさよならだ。 

 と、そこまで考えて、そういえば言い忘れていた事があったと、アリシアは少し慌てて、

 

「さっきは助けてくれてありがとう。お主、勇麻と同じくらい強いのだな」

 

 ぺこりと可愛らしく頭を下げたアリシアに、少女は首を振った。


「ううん。わたしは強くなんかないよ。ただ、そんな物に憧れていただけ」


 優しい言葉だったが、それ故にそれ以上踏み込ませないような何かが込められているような気がした。

 それは否定だ。

 達観したような、何かを諦めてしまったような声色。

 アリシアはその微かな違和感に気が付いて、少女の言葉に不思議そうに首を傾げる。

 

「アリシアちゃん」

「む、なんだ?」

「もし、アリシアちゃんの大切な人が、何かに困っていたら。その時はアナタが、アリシアちゃんがその人の支えになれるような、そんな強さを身に着けてね。大切な誰かが一人ぼっちにならないように、隣にいてあげられるような強さ。そんな物を見つけてね」

「?」


 突然の思わせぶりな言葉の意味を、アリシアは理解できない。

 まだ幼くも綺麗な顔立ちに悲しい微笑みを浮かべて、数秒前とはまるで別人のような少女に、アリシアは困ったように沈黙して――

 少女はその反応を見てイタズラげに微笑んだ。


「なーんてね。最初会った時の仕返しだよ。これでわたしもカリスマ性抜群の悪役の仲間入りかな」


 その沈黙を、そんなふざけた声がぶち破ったのだった。


「む、見事に引っかかったのだ」


 そのあまりの演技力に、思わず感嘆の声が漏れるアリシア。

 少女は若干得意げに笑って、


「これまでやられっぱなしだったからね、これで一矢報いる事ができたかな? っと、……じゃあそろそろわたしは行くから」

「む、もう行くのか?」

「うん。これから少し大事な用があるんだ。だから――」


 不意に一陣の風がアリシアと少女の間を駆け抜けた。

 アリシアの長い白髪が乱暴な風に乱れ、暴れる。

 思わず目を瞑ってしまったアリシアの耳に、少女の言葉だけが残滓のように響いた


 ――さようなら。


 風が止み、目を開けると、既にそこには彼女の姿はどこにも無くて。


「……む。そういえば、名前を聞くのを忘れていたのだ」


 アリシアのそんな呟きだけが、その場に残ったのだった。

 あれだけアリシア達の頭上で輝きを放っていた太陽も、いつの間にか分厚い雲に隠れて見えなくなってしまっていた。

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