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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
最終章 承/壱 人世ノ業、詠イ奏デルハ『厄災遊戯』――『厄災少女』、愛憎劇ノ其ノ果テニ
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第三十五話 現状報告Ⅰ――『魔力点』からの帰還とこれからと

 辺り一面の氷原だった。


「――さっ、さささ寒ぶ寒ぶ寒いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!!?!?!?」


 壊れたラジカセのように声を震わせ両腕で身体を掻き抱いている女の名はレギン=アンジェリカ。

 ラグニアと呼ばれる都市の地下で『厄災』と死闘を繰り広げていたハズの彼女は気が付けば氷と雪に閉ざされた過酷な無人島、ゼムリャ・ゲオルグことゲオルグ島に降り立っていた。


 彼女だけではない。

 周囲を見やると逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)の面々が同じように突然の極寒世界に身を縮こまらせ、呆然と立ち尽くしているのが分かるだろう。


 というのも、このゼムリャ・ゲオルグに展開されていた『魔力点』が崩壊したことにより、島を覆っていたゴム膜のような漆黒の結界も消滅し、元の地表が顔を出した結果がコレだった。

 厄災遊戯が行われていたラグニアと呼ばれる街は位置座標的には北極海に浮かぶゼムリャ・ゲオルグと同一であった為、『魔力点』という異界のフィルターが外れた途端に、逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)の面々は元の極寒の世界へ投げ出される羽目になったという訳だ。


 厄災遊戯攻略の余韻も何処へやら、大慌てですぐ近くの岩場に停泊していた逃亡者の尻尾(ラストカウンター)号目掛けて駆け出し、温かい船内に入ろうとする逃亡者達。


 ギャーギャーとこんな時でも尚騒がしい家族の姿に呆れたようにため息を零すディアベラスの隣で、クリアスティーナは俯いたまま唇を噛みしめていた。


 彼女の身体が震えているのは。

 握った拳の震えは、寒さのせいだけではない。


 クリアスティーナは……否、人類は確かに厄災遊戯ゲームを一つクリアした。

 当初の目標通りに『魔力点』は崩壊し、囚われた人々も解放された。

 『裁定戦争』における最初の白星を、クリアスティーナ達は見事に勝ち取ったのだ。


 だが――ボロボロになって勝ち取った勝利を勝利と呼び無邪気に喜ぶには、失ったモノはあまりにも大きく多すぎる。

 

(……ナギリくん、リズ姉、皆……それに…………ノーラ)


 クリアスティーナは既にその喪失を知っていた。

 『勝利支配す乙女の腕ルーラ・オブ・ザ・ビクトーリア無窮天地インフィニティ』を使用した際、ラグニア内部の状況を完全に把握している彼女はあの時点で失われたモノに気付いている。

 戦闘中だったからこそ考えないようにしていた喪失感が、覆らない冷たい現実となって優しすぎる少女の心をズタズタに引き裂いていく。


 ドルマルド=レジスチーナムも、アブリル=ソルスも、サマルド=ドレサーも。ダニエラを慕う虎の尻尾の団員達や、未知の楽園(アンノウンエデン)出身の有志の戦士たちも皆、皆、死んでしまった。

 クリアスティーナの目の届かぬ所で、光を失った恐怖から何も見ようとせずに地面の下に閉じこもっている間に全てが手遅れになっていた。

 その事実が、どうしようもなくクリアスティーナを苦しめる。


「アスティ……」


 握り締めた拳から骨が軋むような音が漏れて、隣のディアベラスが心配そうな声をあげる。

 けれど、最愛の人の声ですら今の彼女には届かない。


 そして、届かなかった手の数は後悔となってクリアスティーナを苛み、優しくて生真面目で怖がりな少女は、自分自身を責め立ててしまう。


(……もっと私が、怖いだなんて悠長な事を言ってないで、もっと早く立ち上がる事が出来ていれば……こんな、こんな事には……ッ!) 


 認めがたい結末があった。

 少しでも何かを変えたいと立ち上がった。

 最悪の結末を変えた、その確信はある。だけど、これが最善だったなどとは口が裂けても言えないとも思った。


 彼等の犠牲の上に勝ち取った血の赤に塗れた白星は、クリアスティーナには酷く黒ずんだ色に見えて仕方がない。


 求めていた幸福な結末(ハッピーエンド)から遠い結末は、少女の心に大きな疵跡を残す。

 それは遅延毒や呪いのようにジワジワと後から少女の心を締め付け、嬲り殺し、その精神を破壊するだろう――




「……アスティー、ディアベラスー」




 ――そう、このまま少女の心が自己生産の負の感情に圧し潰されてしまったならばの話ではあるが。



「誰でもいいネー、ちょっと、コレ、支えるの手伝っテ……重い……バケモノおっぱい、メ……」

「……ちょっと生生ちゃん? お姉ちゃんをコレとかバケモノ呼ばわりはどうかと思うなー? というか、アタシそんなに重くないわよ。これでも適性体重以下なんだから」


 声は、やや離れた所から。

 クリアスティーナが顔をあげると、そこには生生と、生生に肩を貸されて歩くリズ=ドレインナックルの姿があった。


 自分を見るクリアスティーナ達の存在に気付いたのか、リズは少し気恥ずかしげな弱々しい笑みを浮かべ、ひらひらと手を振っている。

 そんな姉の姿に隣のディアベラスが鼻白んだように舌打ちをして背を向けると、バツが悪いのか軽く手を挙げそのまま自分も船内へと戻ろうとする。

 その姿がリズという大きな荷物持ちから逃げているように思えたのだろう、小柄な生生がディアベラスの背中へとブーブー文句を言い始めた。

 女性陣からの非難にディアベラスはこれ見よがしに溜息を吐きながら振り返って、


「おい、アスティ。面倒なのに絡まれ……じゃなかったぁ、風邪ひく前に戻んぞぉ。……おい、アスティ?」


 そんな現実味に欠けたやり取りを眺めながら(・・・・・)、クリアスティーナは譫言のようにポツリと呟いていた。


「生き、てる……?」


 確かに、クリアスティーナがラグニア全土の状況を完全に把握した時点で、リズはまだ生きていた。

 だが、自身の『吸収変換コンバージョン・アブソーバ』を暴走させた結果、彼女は遠からず生命力が尽きてそのまま死んでしまう状態にあった事を確認している。

 あれからどれくらいの時間が経ったか正確な所は分からないが、体感的な時間を信じるのならリズ=ドレインナックルの生命力はとうに尽きていて、生きている筈がないのに。

  

「……あ、れ? 目……見えてる……?」


 異変はそれだけじゃない。

 喪失したはずの視力が戻っていた。

 思わずペタペタと己の顔を触って確認すると、ざらりとした傷跡の感触もどこにも見当たらない。眼球ごと抉る形で顔に刻まれた三条の傷跡も、どうやら綺麗さっぱり消えているようだ。

 そして、ズキリと胸と下腹部を穿つ、下腹部の喪失感すらも――


「うそ」

 

 ――何が起きたのかは分からない。


「……ノーラ?」


 でも、誰の仕業かはすぐに分かった。


「……貴女って子は、本当にもう……っ!」


 ぼそりと、誰にも聞こえないような声で口の中で呟いて、気付けばクリアスティーナは涙混じりに満面の笑みを浮かべ、生生たちの元へと駆け出していた。


「リズ姉ぇえええええええええええええ―っ!」

「ちょ、わ、わ! アスティ待つネ! 今そんな風に飛びつかれたら諸共倒れ――」


 生生にしては珍しい慌てたような声が響いたと思った直後。クリアスティーナの突進を止められなかった姉二人が、ボフッと音を立てて雪の中に背中から沈没する。姦しく互いの無事を雪の中で抱き合って喜び合う姉妹達に、ディアベラスは心底面倒臭そうに頭を掻いてため息を吐きながら近づいていく。

 そうして、雪の中でクリアスティーナに抱き留められたまま頬擦りされて困ったように笑っているリズ=ドレインナックルを上から見下ろして、


「……よぉ、なんだ、その。……ただいま」

「ええ、おかえりなさい。二人とも」


 悪魔と呼ばれた強面の青年はあまり好ましくない姉と、そんな当たり前の家族の言葉を交わしたのだった。

 そうして、果たすべき義務は終えたとばかりにディアベラスはその場を立ち去ろうとして、


「……あ? おい、リズお前ぇ。それ……」

「え? なに、どうしたの――?」


 クリアスティーナに抱きしめられたリズの瞳から透明な雫か零れ落ちている事に気が付いた。


「あ、やだ。なんで……これは違っ、」

 

 姉と妹、絡めるように繋いだ手と手。

 その温もりに涙がどうしてか止まらないリズ=ドレインナックルを、ニヤリと笑みを浮かべたディアベラスはからかってやろうとした直後だった。


「おじ様ーっ!」

「……っっっ!」

「オジサン!!」

「どわっ、ちょ、ばかお前らぁ、これはそういう遊びじゃあね……っ!?」


 三連続で叩き込まれた背後からの衝撃タックルに盛大にバランスを崩し、ディアベラスも顔面から雪の中に突っ込む羽目となる。

 あれだけの事があった後で尚騒がしい程に元気な下手人どもが誰なのか、一々考えるまでもない程に明らかだった。


「良かったっ、おじ様生きてる! ちゃんと生きてる!!」

「おいバカ、ミロもロトもミトも離れろぉ。雪の中ではしゃいで、風邪引くだろぉがぁ……!」

「……うぅ、うぁああ……っ!」

「あはは! オジサン、ロト泣かしてやんのー! いっけないんだー!」

「俺のせいじゃあねぇだろぉ!? いや、マジで待てロトお前鼻垂れてるってのぉ。ちょおい、ミト髪ひっぱるなぁ! ミロお前もいつまで抱き着いて……ああもうアスティ、こいつら引きはがすの手伝ってくれぇ!」


 ディアベラスのそんな悲鳴に、クリアスティーナ達三人は雪の中で互いに顔を見合わせて、


「……ふ、ふふ」

「はは、あははは!!」


 寒空の下、どこにでもあるような笑い声が、地平線の彼方までぬけていくような。そんな朝の到来だった。



 ――失われてしまったモノは確かにある。

 取り返しのつかないモノ。

 もう二度と元に戻る事はないモノ。


 その喪失を否定する事は出来ない。認め、受け入れ、それでも前に進んでいくしか道はないのだと知っている。


 世界は変わる。


 きっと誰もが不変ではいられない。

 

 だからこそ、きっと少女は自分を救ってくれた人たちに言いたかったのだろう。


 どれだけ辛くて、悲しくて、苦しくても。失くしたモノを指折り数えるより、自分が救ったモノにもちゃんと目を向けてあげて欲しい。

 何かを変えようと足掻く人間の意思は儚くも尊く、そして確かにその手で掴み取った変わった世界(けつまつ)がそこにはあるのだから。




「ねえ、ディアくん。この子たち、さ……」


「ああ、分かってる。……実を言うと俺ぁ、ノーラの事がなくても、最初からそのつもりだったしなぁ」




 だから。




「……ねえ、ミロちゃん。ロトちゃん。ミトちゃん」


「アナタはおじ様の……」


「?」 


「なに? おかしくれるのか?」



 自分ばかりを責めないで、後悔に俯かないで心を強く前を向いて笑っていて欲しいんだ。



「お菓子じゃないですけど……ううん、貰うのは私たちの方なのかな?」


「? それってどういう? ……あの、私、助けていただいたお礼は、ちゃんと、したい、ですけど……でも、お返しできるようなものなんて、私たち何も……」


「あ、別に何かを強要する訳じゃないから安心して? それでね……もし、良かったら。――私たちの、子供になってくれませんか?」



 あなたを愛する人と、あなたが愛する人と、ちゃんと幸せになってください。


 今を生きる人間には、その義務が、それを可能とするだけの力が、確かにあるのだから。

 



 そんな愛と希望に満ちたメッセージを、少女は母に伝えたかったのだ。






 ――少しはにかみながらの問いかけに、小さな少女たちの息を呑む音が響いて。それから、恐る恐る差し伸べられた手に、小さな手が三つ。ちょこんと触れた。



☆ ☆ ☆ ☆

 


 枯れ果てた砂の街からいきなり極寒の世界へ投げ出された逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)の面々による二時間にも及ぶ懸命な捜索、哨戒作戦が行われた結果、ラグニア全土に逃げていた逃亡者の尻尾(ラストカウンター)号の非戦闘員一一八名の生存が無事確認・保護された。

 同じく船内に残された八十四名の犠牲者たちと、船外にて発見されたナギリ=クラヤとサマルド=ドレサーの遺体も回収され、簡易的ではあったものの彼らは手厚く弔われた。


 犠牲者の中には虎の尻尾の団員も多く、皆の娘として可愛がられていたミランダは誰よりも泣いて彼等とのお別れを悲しんでいた。

 ダニエラはそんな娘を力強く抱きしめ、けれども自らは決して涙を見せなかった。

 彼等の死を誇りに思いこそすれ、悲しむなどあり得ない。そんな資格が自分にはない事を、ダニエラは当然誰よりも理解しているのだから。


 ナギリ=クラヤの死は、逃亡者の尻尾(エスケイプ・フラッグ)にとって輩屋災友を失った時以来のものだった。

 あの時は家族の死に泣く余裕などなかったというのに、人類絶滅の瀬戸際にあってクリアスティーナは何故だか涙が止まらなかった。

 負け犬ぞろいの逃亡者達は、誇り高き敗北者に敬意と親愛を捧げ、各々が思い思いの言葉や想いを伝え、家族に別れを告げた。

 

 ゼムリャ・ゲオルグ内で見つけた犠牲者も生存者も皆が逃亡者の尻尾(ラストカウンター)号の乗員としてラグニアに突入した仲間達であり、その中に『魔力点』に囚われていた人々の姿はなかった。

 もしやと思いクリアスティーナが『支配する者ディメンション・オブ・ルーラ』による空間転移で軽く欧州を見て回ったり逃亡者の尻尾(ラストカウンター)号に搭載された各種レーダーで探った所、どうやら魔力点から解放された人々は元居た座標――つまり厄災の贈り物(パンドラ)の『惑星魔導五芒陣エナス・プラニティス・ペンタゴーノ』発動前にいた場所へと戻っているらしい。


 面積的にはそう大きくもない空間に、整合性を無視して全人類の五分の一もの数を詰め込んでいたのだから、確かにそうでもしなければ『魔力点』が崩壊した途端に大惨事になりかねない。

 『裁定戦争』とは人類が星の支配者として相応しいかを裁定する戦い。

 この状況を創り上げた『特異体』とて無意味な殺生を望んでいる訳ではない、という事なのかもしれない。


「……さて、あらかた落ち着いた事だし、ここいらで一旦状況を整理しておこうじゃないか」


 最早定番と化した船の機関室。 

 船のシステムと同化したライアンスを話し合いに加える為にセッティングされた話し合いの場で主導権を握るのはやはりこの女、盗賊団『虎の尻尾』の女頭領にして逃亡者の尻尾(ラストカウンター)号の船長を務めるダニエラ=フィーゲルその人である。

 動けないライアンスを中心に円を描いて座るのはダニエラを除いて十名。

 クリアスティーナ=ベイ=ローラレイ、ディアベラス=ウルタード、リズ=ドレインナックル、貞波嫌忌、レギン=アンジェリカ、生生、竹下悟、リリレット=パペッター、そしてスピカと戌亥紗。ミランダやミロ達は疲れて眠ってしまった為、手の空いている女達に世話を任せていた。


 少しだけ変わった顔ぶれに、しかしいつまでも嘆いてばかりではいられない。

 『魔力点』を踏破し生き残った彼等には、未来へと進む義務がある。

 

「そんじゃあ、まずはアタシから。今回の顛末とその他諸々について話していくさね。ま、知ってる事もあるだろうが、一応ね。情報の共有と、それを確認する事は重要だからね。何か気になる事があったら、その都度挙手するなりケチつけるなり補足していってくれるとありがたいね」


 そんな前置きと共に『過去視の炯眼(トゥルーエンド)』ダニエラ=フィーゲルが今回の『魔力点』攻略から今の状況まで、過去視で知った事も含めて分かっている事を話し始めた。


 まず、ゼムリャ・ゲオルグに発生した『魔力点』は無事、崩壊が確認された。『魔力点』に囚われ、『儀式』完遂の養分となるときを待つだけだった人々も無事解放され、『魔力点』へ囚われる前の場所に戻る事が出来た。

 これは、〝貧困に生ずる色欲〟の厄災遊戯ゲームをクリアした報酬であり、また、同『厄災』の消滅をクリアスティーナとディアベラスが確認している。


 逃亡者の尻尾(ラストカウンター)号からの最終的な犠牲者数は八十六名。その全てがエディエット=ル・ジャルジーによるものであり、白衣の悪魔の遺産としての逃亡者の集い旗(エスケイプ・フラッグ)の面々を除いた戦闘員は全滅。

 ラグニア全土での総死者数は一万人を超えているだろうとの予測が算出されている。

 この数字に関しては、エディエット=ル・ジャルジーが齎した被害よりも、魔力点に閉じ込められた人間による殺人が圧倒的に多かったという事を補足しておく。殺し愛(ラブ&ロール)に巻き込まれた者とは関係なく、子宝探し(トレジャーハント)に関する不穏な噂が呼んだ殺し合いによる犠牲だった。

 『厄災』を踏破した代償は重く、あまりに多くの命が犠牲になった。


 しかし嬉しい想定外のニュースもある。


「……もうっ、だからもう全然平気だって言ってるでしょ? 大丈夫よ大丈夫、ちょっと心配性すぎじゃないの? アスティ」


 神の力(ゴッドスキル)を暴走させた結果、生命力を失い死亡するはずだったリズ=ドレインナックルの復活。

 そして――


「いいえ、ダメです。リズ姉は本当に死にかけていたんですから、一度ちゃんとした検査を受けるべきです! 異論は認めませんからね」


 ――エディエットによって深く重いダメージを負っていたクリアスティーナ=ベイ=ローラレイの回復。



 そして、規模だけでいえば最大とも言えるのが、廃人化した人々の復調だ。

 まだ絶対にそうと決まった訳ではないが、実際に座標書き換えの空間転移で周辺の主要都市をクリアスティーナが確認した限り、街に戻って来た生存者たちの中に人間性を失ってしまっている者は一人もいなかったらしい。


 これらの回復現象に関してはそれを実行したであろう当人が此処にいない為ダニエラの過去視をもってしても見通す事が出来ず、単なる想像や予想になってしまうのだが……おそらくは〝貧困に生ずる色欲〟ノーラが〝嫉妬より出ずる愛憎〟エディエット=ル・ジャルジーの厄災遊戯ゲームに勝利した際に得た勝利報酬を使って、リズやクリアスティーナ。そして廃人状態になっていた人々の治癒を行ってくれたのではないだろうか、という可能性が挙げられていた。


 一見あり得ないように思えるが、むしろ可能性としてはそれしかないだろう。

 また、クリアスティーナとディアベラスは『魔力点』崩壊前に彼女と接触しており、その時の話を聞く限り、ノーラがそのような行動に出る可能性も十二分に考えられるとの結論が出ている。


 とはいえ、全てが元に戻った訳ではない。

 厄災の贈り物(パンドラ)が与えた『厄災遊戯』は、固有の能力を有する代わりに融通の効かない『厄災』へ万能性を与える為の術式。

 しかしそれはあくまで万能ではあっても全能ではない。

 事象の書き換えと言えば聞こえはいいが、書き換え可能な範囲には限界や限度がある。


 おそらくその限界に触れたのだろう。命を完全に失った者達はやはり帰ってはこなかった。

 瀕死の状態から復活を果たしたリズも、壊れたはずの弁は回復し、生命力が逆流する心配こそないものの、腕の血管に混じって存在する掌から吸い上げたエネルギーを通す管のような器官は損傷が残っている。

 今すぐにこれまで通りに神の力(ゴッドスキル)を使う事は難しいだろう。今回の『裁定戦争』からリズ=ドレインナックルは事実上のリタイアとなりそうだ。


 そして、クリアスティーナもその全てが元通りとはいかなかった。

 確かに喪失したはずの視力は回復し、顔の傷跡も綺麗になくなった。切り取られたはずの子宮も再生しており、半端に負傷の残ったリズと比べて彼女は見事全快したと言っても過言ではないだろう。

 しかし、今のクリアスティーナはスピカと同じように両目を覆い隠すように黒い布を当て、自ら視力に制限を掛けている。

 それだけではない。頭にはヘッドホンをして、聴力までをも制限しているような有様だった。


「こういうのってふきんしんだけど……スピカはちょっと嬉しいなー。だって、クリアスティーナおねーちゃんとお揃いなんだもん!」

「私も嬉しいですよ。スピカには先輩として、可愛い巻き方を色々教えて貰わないと」

「うん! 教えてあげる! あと、スピカのお気に入りのもあげる! かわいいお星さまの柄付きのヤツ!」


 両目を失明した事により支配する者ディメンション・オブ・ルーラの力を最大限まで引き出す事に成功した結果、クリアスティーナの空間把握能力は以前より遥かに上昇している。

 否、上昇しすぎてしまっていた。


 『ウロボロスの尾』を用いる事により干渉力の制限を取り払った状態で行われた超大規模空間転移実行の為の超精密演算の影響。それによって脳に掛った莫大な負荷もあるのだろう。

 無理を重ねたが故の反動。あの異常なまでに高難度の神の力(ゴッドスキル)行使に耐えきってしまったからこその弊害。


 とにかく、様々な要因が重なった結果、今のクリアスティーナは自身の神の力(ゴッドスキル)を御しきれていない。

 彼女の支配する者ディメンション・オブ・ルーラは無意識のうちに周囲の空間を完全に把握し理解し、支配しようとしてしまっているのだ。


「……一種の暴走状態。ま、簡単に言っちまえば、今のクリアスティーナは感度が良すぎる状態にあるって所かいね。片っ端から情報を集めてはそれを脳が処理し続けているフル稼働状態って訳さね。しかも、なまじスペックが良い分本来ならショートしちまうような膨大な情報処理が成立しちまってるのさ。それが最も問題なのにも関わらずね」


 どんなに高性能なコンピューターとて使い続ければ熱が籠り、処理速度は低下し、最終的には故障してしまうだろう。

 廃熱や冷却が高性能の演算機器にとって必要不可欠であるように、人間の脳にも同じ事が言える。

 常に支配する者ディメンション・オブ・ルーラによって得られた情報の処理演算に脳内を圧迫され続け、日常生活を送っているだけで常に脳に重い負荷が掛かり続けている今の状態は、クリアスティーナの寿命を確実に削っている。

 このうえ、五感によって得られた情報の処理まで同時並行で行われれば、クリアスティーナの脳は徐々に蝕まれて行き、いずれ壊れてしまうだろう。


 アイマスクとヘッドホンは、少しでもクリアスティーナが得る情報量を減らす為の苦肉の策。未だ解決策が見えないこの問題に対する対症療法だった。

 過大な負荷による脳の破損は数年十数年単位の話であり、今すぐどうにかなってしまうような問題ではない、という事が唯一の救いか。

 

「感度が良い、ねぇ。そりゃあまぁ、感度がいい事に越したことはねぇだろぉと思ってはいたがぁ、まさかこんな事になるとはなぁ……」

「……ディアくん?」


 軽く場を和ませる為の発言だったのが、クリアスティーナの声が思いのほか冷たくてディアベラスは慌てて口を噤んだ。

 どうやらサングラス越しに彼女のとある一点を凝視していたのがバレていたようだ。


「うぁー、ディアベラスさん最低だ……」

「本当ネ。アスティ本気で困ってるのに、ふざけていい場面じゃないヨ」

「スピカもいるのに……死ねし」

「変態サングラスセクハラ魔め、次アスティにいやらしい視線を送ったら切り殺してくれる……っ」

「? ねえ、なんでベラちゃん苛められてるの? なんでー?」


 女性陣からの冷たい眼差しと非難轟々であった。

 しかもリズ=ドレインナックルが追い打ちをかけるようにくすりと笑って、


「全くよねぇ。アスティのこと、まだまともに抱いてあげた事もないヘタレ男の言葉だとは思えないわ☆」

「「「――はぁ!?」」」

「――ぶはっ!?」


 爆弾発言に一部女性陣の声がハモリ、ディアベラスは激しく噴き出しそしてクリアスティーナは真っ赤になってその場から消え入りそうな程に縮こまってしまう。

 そして、そんな二人の反応を目敏い女頭領は見逃さない。


「なんだい、アンタ達まだやる事ヤッてなかったのかいね?」

「だってアスティ、ラグニアでまともに神の力(ゴッドスキル)使えなかったって話じゃない? それってつまり、そういう事でしょ? アタシの体感だと数回もあればある程度動けると思うんだケド☆」


 あっけらかんと聞いてくるダニエラに、リズが悪ノリを加速させていく。

 途端、輪が狭まりクリアスティーナを中心に女子だけで円卓が構成されていた。教育に悪いとの判定により、リリレットの両手によってスピカの耳だけ塞がれている徹底ぶりである。


「……リ、リズ姉っ、あのその、そういう事をそんな大きな声で……もごもごゴニョニョ……」

「ねえ。ていうかさぁ~、アナタ達ってぶっちゃけどの辺りまで進んでるの? 毎日同じベッドで仲良く一緒に寝てるのよね?」

「確かにこれは聞いておかなきゃいけない問題ネ。お姉ちゃんとして妹の交際関係に問題ないか把握するの重要な仕事ヨ。勿論お姉ちゃんとして……!」

「ふーん、ディアベラスって口だけのヘタレ野郎だったんだし? ダッサ」

「どどど、どうなんだアスティ……!? まだなのか? そのこう……なんというか、お前はまだあの頃の穢れ無きアスティのままでいてくれているのかっっ!?」

「アスティさん……もし悩んでいるなら紗さんも力になりますよ! 大丈夫、こう見えて奥手男子には強いんです! コイバナは紗さんの得意分野なので!」

 

 慣れない話題で大勢に一気に詰め寄られて、クリアスティーナの心は瞬時にパンクした。


 女子会に恋バナはつきものであり、ある程度年齢層があがればそういう話題も自然とあがる。しかしクリアスティーナは思春期真っ只中の三年間を自室に引き籠って過ごした引き籠り聖女である。

 その手の話題に対する耐性はなく、女子会における作法にも精通していない。

 故に、馬鹿正直に事実を話す必要性など微塵もないにも関わらず、言わなければいけないような雰囲気に逆らう事が出来なかった。

 クリアスティーナ=ベイ=ローラレイ、十八才は、赤く熟れたリンゴよりもなお赤く染めた顔を両手で全力で隠して、震える声で、


「……い、一回だけ……」


 盛大な溜息をきながらかぶりを振るリズと生生。クリアスティーナの反応の可愛さに悲鳴のような声を上げながら思わず抱き着く戌亥。中途半端な結果につまらんとばかりに鼻を鳴らすリリレット。「けがざれでじまっだ……わだじのあずでぃがぁあああぁあ~~~」と頭を抱え滂沱と涙を流し、この世の終わりのように絶望するレギン。

 そして遠目からディアベラスを眺めてニヤニヤと意地悪く笑うダニエラ。


 そんな女性陣の反応一つ一つに、ディアベラスの精神がボコボコに叩きのめされていく。

 そして、キャーキャーと姦しい女子達のリアクションに現在進行形で胃が引き千切れているディアベラスの肩を、貞波嫌忌がポンと元気づけるように叩いた。

 そこには男たちの同情の視線があった。


「ま、なんつうか今回ばかりは素直に災難だったなって同情するよ。半分自業自得だったにせよさ」

『女という生き物は理解できん、一向に話しが進まない。やはり機械になればいいのだ、合理的な会議の進行が可能になる』

「うるせぇ……」

「で、ディア君ビビッて一回だけってマジ(笑)」


 直後。鮮血色の閃光が瞬き、無謀な煽りに打って出た命知らずが宙を舞った。


「なるほどなるほど、つまり最強無敵の絶対防御を自分如きが貫けるのが解釈違いだった訳ですな! ディアベラス氏ってばなかなかにメルヘン処女ちゅ」


 空飛ぶ死体が二人に増えた。

















☆ ☆ ☆ ☆



「ところで、そう言えばと言えばそういえば。生生もラグニアで普通に神の力(ゴッドスキル)使ってたわよね?」

「え? ああ、うん。それがどしたネ?」

「いや、生生。普通に頷いてるがソレってつまり……その、そういう事なんだぞ……?」

「ああ、レギンよりはそういうの分かってるから安心するヨ。というか言てなかたけ? アタシ処女じゃないヨ」

「は?」

「だって災友くんとそーいう仲だったし」

「「「っはぁあああ!!?」」」


 本日最大の驚愕の事実があっさりと明らかにされた瞬間だった。

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