第三十二話 《魔力点α》ゼムリャ・ゲオルグ【遊戯難度A+】 淫靡艶麗廃墟都市ラグニアⅩⅩⅤ――予見少年・逆襲開始?/僅かな時を掴み取れ
『厄災』と『厄災』、両者の矜持と願いを懸けた最終決戦。
ついに勝負が決する段となって現れたあまりに場違いな乱入者に、おそらく誰もが絶句したであろう。
「――ち、ちょちょちょっ、ちょっと待ったーぁっっ!!?」
仮に、この死闘が物語の中の一幕であったのならば、唐突に現れたこの人物が誰なのか、忘れてしまっている読者だっていたかもしれない。
……しかし彼もれっきとした登場人物。
クリアスティーナ=ベイ=ローラレイの隣に並び立つ誇り高き敗北者、逃亡者の集い旗の一員だ。
例えば、そう……今回の『魔力点』攻略において裏方に徹していたのは何も生生だけではなかった。ラグニア突入直後から彼女と行動を共にしている男がいた事をお忘れではないだろうか?
人外領域の戦闘へ割って入った出不精で引き籠りな甘いモノに目がない小太り限界オタク。その名は竹下悟。
『未来予見』をその身に宿す非戦闘系の神の能力者である彼もまた、逃亡者の集い旗の一員としてクリアスティーナの空間転移によって『厄災』同士の殺し合いの舞台と化したラグニアの地下空間――捕らえた人類を収容しているこの地下牢獄内部へと飛ばされていたのである。
とはいえ、彼はレギン=アンジェリカや貞波嫌忌のように戦闘に参加する訳でもなければ、リズ=ドレインナックルや生生のように傷ついた仲間を癒したり、戦えない者達の面倒を見たりしていた訳ではない。
殺し合う『厄災』達からそこそこ近い距離で、壁に張り付き息を殺し一人機を窺うその様は、厄災同士の戦いに恐慌状態に陥り動けなくなってしまったようにも見えなくはない。
だが、彼は己の意志で戦場の隅に留まっていた。
……一体、何の為に?
それは当然、この瞬間のこの行為の為にと帰結するのであるが、その詳細を知る為には、少しばかり時を遡ってから順序立てて話を進めていく必要性があった。
☆ ☆ ☆ ☆
ラグニア突入直後に分断を受けながらも、比較的早い段階で生生との合流を果たした竹下悟。
彼らが仲間達との接触や合流を徹底的に避けながらラグニアで暗躍していた事は既に語ったと思う。
仲間との合流を拒んでまで『厄災』との接触を回避した事にも当然理由があった。
単純に合流よりも先に生存の為に情報収集を優先したというのが理由の一つではあったが、最大の理由はその情報収集の過程で手に入れた『厄災との接触を全力で避けるべきだ』と判断をせざるを得ないとある情報にこそある。
その情報とは彼らの仲間にして大切な家族の一人、ナギリ=クラヤがその命を賭して齎したものであった。
逃亡者の尻尾号を襲撃したエディエット=ル・ジャルジーの凶刃に倒れたナギリは、その命尽きる直前まで『強奪視野』という技で自分を倒したエディエットの視界を奪い、死にゆく自分自身に『七つの厄災』の情報を残していた。
家族を信じ、他者の人生を記録映像でも見るかのように遡り再生する事が出来る生生のみに伝わる方法で情報を残したナギリ=クラヤ最後の足掻きは、死後に彼の狙い通りにその実を結ぶこととなる。
『……そうですか。それでは、やはりナギリ氏は……残念ですな。――しかし、その顔を見るに、彼が残したものに、何かヒントがあったのですかな?』
『うん、お陰様で。ヤツの戦闘シーン沢山見れたネ。それにヒントも』
ナギリより託された情報はエディエット=ル・ジャルジーの戦闘光景。
それも、『強奪視野』により、エディエット自身の視点からエディエットの戦闘を眺めるという貴重な映像資料だった。
文字通りナギリが命懸けで残した映像記憶から得られた情報は『七つの厄災』エディエット=ル・ジャルジーの圧倒的な強さと、その強さを支える根幹の一部――
『……ナギリ君、お手柄ヨ。これ、エディエットの視界奪わない限リ、絶対分からないネ。……情報、あればあるほど有利、これ常識ネ。ホントにナギリ君様様ヨ。彼が最後まで頑張てくれなかたら、アタシ達何も手を打てなかたヨ。サトリンの『予見』と合わせれば、アタシ達でも時間稼ぎくらい出来るナ』
残された記憶を見て、興奮を隠せず薄らと額に脂汗を掻く生生はどこか引き攣ったような笑みを浮かべていた。
――結論から言うと、エディエット=ル・ジャルジーの目は魔眼だった。
まず生生が驚いたのは彼女が見る世界の異質さだ。
エディエットの瞳に映る人物の顔はボールペンでぐちゃぐちゃに塗り潰したような黒塗りで、世界は常に赤く染まっている。
こんな世界を長時間眺め続ければ、見ているこちらの気が狂いかねないと思わせる程の異界が広がっていたのだ。
尋常でなかったのはそれだけではない。彼女の眼は障害物を無視して壁向こうの人の存在を感知しているようだった。
その際に奇妙だったのが、エディエットが人の存在を感知した瞬間、その相手の左胸にあたる位置にバツ印のマーキングが刻まれ、身体の周辺に無数の矢印が浮かび上がる現象だ。
バツ印には青バツと赤バツと黒バツの三種類があり、その人物が死ぬまで消えない。
矢印はその人物から飛び出るものとその人物に向かうものと両方あって、飛び出るものが青。向かうものは赤で統一されていた。
また、印をつけられた人物がエディエットの視界から外れてもその位置を常に把握し感知するマーキングとして機能する。
壁越しに相手を確認した場合は、バツ印と矢印だけが空中に浮かび動いているという奇妙な絵面になる訳だ。
また、その特徴的な言動と併せて生生はいくつかの仮説を立てた。
その一つが、彼女が人の心――もしくは感情を読み取り、読み取ったものに応じてバツ印のマーキングを行っているのではないか、という仮説だった。
これらの仮説から生生たちは『七つの厄災』、とくに〝嫉妬より出ずる愛憎〟エディエット=ル・ジャルジーとの接触を全力で避けてきた。
彼女の感知能力の範囲が分からず、感情や心を覗くような力を有している可能性がある以上、自分達の居場所や存在が仲間から漏れる可能性を考慮し、潔白なまでに騒乱から距離を取ったのだ。
そして、もう一つ。
『――「エ・スイェシ・ギア・ナ・カターラ」。エディエットを最大の脅威たらしめる、この言葉ネ』
『ふむふむ、かなり崩しているようですが……ギリシャ語、でしょうか? 意味は〝アナタ恨みます〟と言った所ですかな? うーん、何というか厨二ネーミングッ! 中二病の痛い美女とか我氏ちょっとテンション上がっちゃいますなぁ』
言葉一つで刃を生み出し対象を蹂躙する魔術と、魔眼や感情を読み取る力は密接に関わっていると生生は予想した。
再生される映像の中、印でマーキングされた人々はエディエットの言葉一つで致命的な斬撃を受けていた。
言葉一つで生じる刃が与えるダメージは決して均一ではなく個人差があるようだったが、何度か映像を見返す内に殺傷方法はマーキングされたバツ印に応じて共通している事が発覚する。
パターンはバツ印と同じく三つ。
青バツなら内側から生じた刃に身体を引き裂かれ、赤バツなら突如生じた刃に切り裂かれる。黒バツの場合はエディエットの肢体より生える刃による斬撃がその命を直接奪う。
同じ『エ・スイェシ・ギア・ナ・カターラ』という詠唱でも、発動する効果が対象のマーキングによって異なっており、青バツと赤バツに関しては複数の対象に一斉にダメージを与える事も可能であるようだった。
『つまり――生生氏はエディエット氏のこの言葉が、憎悪と呼ばれる感情の有無によって様々な効果を齎すと?』
『そ、正確には憎悪の向きに応じてるぽいネ』
ヒントはいくつかあった。
まず、エディエットの放つ言葉の意味と、彼女が何を冠する『厄災』であるのかという事。
相手の人間関係を見てきたようなエディエットの言動や、それに言及する際の嫉妬や恨み言の数々。
青バツなら内側から生じた刃に身体を引き裂かれ、赤バツなら突如生じた刃に切り裂かれる。黒バツの場合はエディエットの肢体より生える刃の斬撃がその命を直接奪う。ダメージこそ個人差はあるが、印と攻撃の種類の関係には一度の例外も見られないという奇妙な現象。
そして彼女に殺された被害者たちの過去を超高速で眺め、生生が感覚的に得た言語化不可能な共通項。
それらから導き出された解答は、しかし仮説や推測と呼ぶにはあまりに根拠に欠けるものではあったのだが、それでも問題ないと生生は判断した。
『憎悪の向き……と、言いますと?』
『例えば、誰かを強く憎んでいる人間に対しては青バツ、刃は内から外へ。誰かから強く憎まれている人間に対しては赤バツ、刃は外から内へ……みたいなパターンがあるいう話ヨ』
『つまり……そのパターンから外れた人間であれば、エディエット=ル・ジャルジーはその人間を殺す事が出来ない、と?』
例えば、憎悪の向きが発生する攻撃の種類に対応していると仮定しよう。
彼女の魔術がパターンに当てはまる人間のみを傷つける場合、極端な話〝誰にも憎悪を抱いていない〟、かつ〝憎悪を抱かれていない〟人間であれば、エディエットの『エ・スイェシ・ギア・ナ・カターラ』によるダメージを受ける事はない、というのが生生の考えだった。
『……本気ですかな、生生氏』
『確かに。コレ、あくまで妄想ネ。実戦じゃ全く使い物ならんようナ、証明も根拠も何もない仮説以下の与太話ヨ。でも、サトリンの『予見』で答え合わせ出来た。なら過程の証明不要ネ。妄想正しかった、その事実あれば試す価値ある違うカ?』
『ああ、いえそのそっちではなく……我氏が言うのもアレですけど……『予見』なんて大事な場面じゃぶっちゃけほぼほぼ当てになりませんぞ? それでも、本当に本当に我氏にやれとおっしゃるので?』
竹下悟が確認したかったのは生生の予想したエディエットの魔術の性能についてではなく、その予想と一つの『予見』を元に彼女が試そうとしている事柄に関してだった。
そもそも生生がエディエットの攻撃方法に関する根拠なき予想を問題なしと判断し採用しようとしているのは、未来予見の力を持つ竹下悟がとある『予見』をした為である。
悟がラグニア内で『予見』した未来とは、エディエットが竹下悟を殺せなかったという光景。
そして、生生が試そうとしている事は、『予見』の光景そのまま竹下悟による肉の壁作戦。
要するに、ここぞというタイミングで悟を肉壁として割り込ませれば、確実に一手分の時間を稼ぐ事が出来るという強引かつ粗雑な荒業。
そういう意味での一度限りの切り札だった。
本来であれば目にした未来やその結末を回避する為のガイドラインとして使うべき『予見』を、何の根拠もない自身の仮説の補強や裏付けとして利用しようというハチャメチャな策である。
『さきからそう言ってるヨ。他に誰こんな事出来ル?』
『うおぉ……マジでじまですかぁ!? 本来、我氏の予見は『見てしまった光景を回避する』為の基準値として使用すべきモノなのですが…………いやあの、ホントにアレやるの? マジで?』
『もうっ、ごちゃごちゃ言ってないでサトリンも男見せるヨロシ! そろそろ活躍しないと、ホントにただのデブオタで終わるネ!』
『おうふ!? く、クリーンヒットッ、クリーンヒットですぞ生生氏!? し、しかしエセ中華弁の姉からの言葉責めもまた風情があってよきかな……』
そんな経緯もあって、兄弟たちが命を張っている中、自分だけ割といつも安全なポジションにいた自覚のある竹下悟はその役目を引き受ける運びとなる。
当初の予定としては、クリアスティーナの説得後、ディアベラスを含めた逃亡者の集い旗全員と合流し総力を結集し挑む厄災遊戯の中で、竹下悟には決定打を確実に決める為の隙をエディエットに生じさせる切り札として起用される予定だった。
だが、合流前にディアベラスが撃破され、さらに厄災との共闘が始まった時点で予定は大幅な変更を余儀なくされる事となる。
『厄災』をサポートする事になった戦場は安定し、逃亡者の集い旗優位で進んだ。竹下悟によってエディエットに隙を生じさせる必要もなくなり、結果として悟はエディエット側のカウンターに備えたもしもの場合の『保険』としての役割を担う事になる。
だが、未来予見を有する竹下悟は、どれだけ戦況が優位に進もうともその瞬間が訪れる事を知っていた。
未来予見は決して万能でもなければ、使いやすい神の力ではない。
予見した通りの未来をなぞる事など不可能で、彼の予見能力はあくまでもその未来を回避する為の基準値として用いるべきものだ。その通りの結末が訪れるものを保障するような類の力ではない。
故にこの時、悟が『厄災』達の戦闘中に見た新たな光景は『エディエットが竹下悟を殺せなかった光景』ではなかった。
エディエット=ル・ジャルジーの一撃が、ノーラを貫く瞬間。
〝嫉妬より出ずる愛憎〟と〝貧困に生ずる愛憎〟の両者がぶつかる限り避けられない終着点を、どうしようもなく予見してしまった悟に否応などなかった。
未来を知っている、故に速度など関係ない。
竹下悟の未来予見は、予見したその未来を回避する為の基準値として用いるべきもの。
だから、正しい使い方をする。
今から三十秒後に決まった地点でその結末が訪れる。
運動嫌いどころか外出すら嫌がるような愚鈍な竹下悟では、事が起きる直前に動いていたのでは到底間に合わない。
ならば、今から動き出しておけばいい。
三十秒後のその地点に今から先回りしていれば、悟がどれだけ愚鈍な豚であろうと倒れ込むのに一秒と掛かるまい。
目にした未来の光景を頼りに、まるで何かに憑りつかれたようなフラフラとした足取りで戦場を横断する悟。
しかし、貧弱すぎるが故に最終局面に差し掛かった戦場で誰も彼の存在に目を留めない。把握したうえで問題はないと無視をする。
「――これで、〝おわり〟、だぁあああああ……ッ!!」
「貴女が終われェエ――!」
既に、愚鈍で貧弱な男は戦場の中心に立っている。
あとは、勇気を持ってその重たい身体を投げ出すだけだった。
「――『突き立て、我が嫉妬と憎悪は刃の如く』……!」
「――ち、ちょちょちょっ、ちょっと待ったーぁっっ!!?」
……そして、悟が恐怖に打ち勝てたのは、家族への想いだけではなかっただろう。
三大都市対抗戦で彼が裏方に回っていた際、悟は呆れかえる生生に対してこんな発言をしている。
『……萌え萌えツンデレなロリっ子美少女キャラが黒幕なら我氏としては言う事なしなのですがねえ、その分ではラスボスとのラブロマンスは期待できそうにない感じで?』
ツンデレ成分こそ足りないが、そんなことは無問題な程に完璧なオタクの庇護欲を搔き立てる褐色無垢ロリという天より与えられし完璧なる属性と造形美。
萌え萌えロリっ子なラスボスとのラブロマンスが期待できるこの展開に乗らねえような男にオタクを名乗る資格などないと、竹下悟は眼前の状況そのものに心を燃やして全力で格好を付けて両者の間に割って入っていたのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
緊張と恐怖のあまり裏返った奇声が響き渡り、場違いな闖入者に思わずエディエットの刃が男の額に触れる直前で停止する。
その瞬間、エディエットの胸中にはただただ困惑だけがあった。
(――なに、なんなの、なんだっていうの……?)
厄災同士の殺し合いに割り込んでみせたその男は果てしなく弱かった。
弱い。貧弱の極みだ。いっそ可哀想になるくらい弱すぎて、まるで脅威を感じない。
これならばまだ、ディアベラス=ウルタードを守ろうと立ち塞がった少女の方が迫力があった。エディエットが憎悪すべき敵として機能していた。
だが、コレは違う。
驚いて思わず刃を止めてしまったが、コレにはそんな気すら沸かない。こうして眼前に立ち塞がられても障害物にさえなっていないと感じる。
素直に浮かび上がる感情と言えば、憐みと侮蔑。
嫌悪を抱くにすら値しない劣等以下の塵芥。
道端の石ころを目にした時よりは多少感情を動かされたのは、逆に石にも劣るほどに弱弱しい存在だったからだ。
――総じてどうでもいい。
戸惑いからそう結論に至るまで、現実の時間では一千分の一秒も経過していない。
竹下悟が彼女に与えた迷いの時間は、彼女に致命的な隙を与える時間稼ぎ、もしくはカウンターに対する『保険』という肉壁の役割から見れば失敗と言う他なかっただろう。
そのくらい、竹下悟という存在に対してエディエットは心を動かさなかった。
そうして、その場違いな闖入者を視界から排除しようと初めて魔眼でその姿をはっきりと認識して、
「――な、ぁ……?」
瞬間、目の前の男を殺す刃が存在しない事に気付いてエディエット=ル・ジャルジーは愕然としていた。
……そう。生生の仮説は正しく、竹下悟が『予見』で見た光景も決して間違いではなかった。
厄災としての彼女の特性はその夜空色に輝く魔眼『愛憎照らす真実の瞳』。
魔眼としての効力は、『愛憎』の可視化。
他者から対象に対する『愛』もしくは『憎悪』が最も大きな感情である場合は、青バツ印が浮かび上がり。
対象から他者に対する『愛』もしくは『憎悪』が最も大きな感情である場合は、赤バツ印が浮かび上がり。
エディエットから対象に対する『愛』もしくは『憎悪』が最も大きな感情である場合は、黒バツ印が浮かび上がる。
また、最大としてカウントされなかったその他の人間に関する『愛憎』の向きを矢印として可視化して、対象と関わりある人間の位置を把握する感知能力も有していた。
ディアベラスと接触した際、彼が大切に思う家族たちの居場所を割り出す事が出来たのは魔眼のこの感知能力によるものだ。
そして、エディエットの固有魔術はそれらの『愛憎』を刃として具現化する魔術だった。
例えば、オリンピアシスで半殺しにしたロジャー=ロイ。
彼は無自覚だったようだが、多くから恨みを買うと同時に愛される存在でもあったあの男は、すぐ隣にいた女から注がれる愛を刃として具現化されて、数多の斬撃を受けた。
例えば、逃亡者の尻尾号で対峙したドルマルド=レジスチーナム。
彼は、仲間達をエディエットに殺され、エディエットに対して激しい『憎悪』を向けていた。
だからこそ、その心の裡から生まれエディエットへ向けられた『憎悪』を刃として具現化することによって、彼は強靭な肉体をその内側から蹂躙され破壊された。
例えば、エディエットの『汝、我が愛憎に抱かれ滅びを辿る者也や』を肯定、もしくは否定できず『厄災遊戯』に巻き込まれた者達。
強制的にエディエットがこの世界で最も愛憎したドーラ《パンドラ》であると認定された彼らは、エディエット自身の愛憎を具現化した致死の刃による斬撃を受け果てる羽目になった。
エディエットの固有魔術の効力は上記の通り大まかに分けて三パターンあり、そのうちエディエット自身が関わらない上二つの『愛憎』の場合、その詠唱は『突き立て、我が嫉妬と憎悪は刃の如く』となり。
エディエット自身の愛憎が関わる場合、詠唱は『突き立て、その嫉妬と憎悪は刃の如く』となる。
対象の感情とそのベクトルを可視化する珍しい魔眼によって最も効果的な魔術を選択・決定し、二つの詠唱を使い分け敵を惨殺する。斬撃の威力は『愛憎』の度合いに比例して増減し、感情が強ければ強い程に斬撃はその威力を増していく。
それが〝嫉妬より出ずる愛憎〟エディエット=ル・ジャルジーを最凶足らしめる要因。
であれば、生生が予測したようにそのパターンに当てはまらない人間が仮に存在したとすれば、彼女の固有魔術はその圧倒的な力を失うのではないか?
その答えが、まさにこれだった。
魔眼に映る竹下悟には、胸の部分に浮かび上がるバツ印が存在していなかった。
赤バツも青バツも黒バツもない。
……否、正確にはバツ印それ自体は存在しているが、『愛憎』があまりに小さすぎて何をどう具現化しようとも致死の一撃はおろか効果的なダメージすら与えられない。
目の前の男を殺す刃が、エディエット=ル・ジャルジーの中にも竹下悟の中にすら一つもなかったのだ。
その直前までどうでもいいゴミであると断じていた対象のあり得ない状態が、エディエット=ル・ジャルジーを激しく動揺させていたのだ。
☆ ☆ ☆ ☆
――アニメに漫画にラノベに映画に特撮、さらにはアイドルから声優まで。幅広いジャンルを深く網羅する竹下悟は生粋のオタクであり、現実世界から乖離した世捨て人である。
その外れ度合いがどの程度かと言うと、彼は自身の義理の妹達の絡みを百合カップリングとして楽しんでコンテンツとして消費してしまうくらいに彼は外れていた。
ある種の悟りを開いているというべきか、三次元を捨て去り二次元に生きる者として今を生きる竹下悟には人間関係に関する真っ当な関心や興味がない。
簡単に言ってしまえば、竹下悟を殺せる程の生々しく重苦しい『愛憎』の感情が彼の中に存在しないのである。
勿論、愛憎の感情がない訳ではない。
しかし、基本的に自室から外に出ようとしない引き籠りである彼の他者への愛憎は何と言うか非常に狭い範囲で完結しており、尚且つ思考が他者に対する恨みつらみや憎悪よりも大好きな作品に関する事柄や関心で埋め尽くされていて愛憎の絶対数が少ない。それ故に、抱く愛憎もどうしようもなく小物でショボかった。
シュークリームを食べられた恨みなどあまりにどうでも良すぎて刃に変換した所で致命傷を与えるに至らない。
引き籠りであり家族以外の他者と関わる機会が極端に少ない竹下悟は、他者から強い『愛憎』を抱かれる事もない。
家族に対する愛憎は勿論あるのだが、姉妹同士を百合カップリングして脳内妄想するような次元のアホだ。
三次元の人間や人間関係さえある種のコンテンツとして認識してしまえる竹下悟は『愛憎』の概念が一般人とは異なっており、その歪みのせいでエディエットの一般的な対人関係における『愛憎』の価値観をフォーマットとした固有魔術では竹下悟の『愛憎』をうまく刃に具現化する事が出来なかったのだ。
そして、そんな特殊な竹下悟に対してエディエットは嫉妬は勿論『愛憎』を抱けない。
現実という意味で見て自分以上の負け犬である竹下悟に嫉妬など出来る訳がない。だって欠片もその生き方は羨ましくない。
だから愛する事は当然憎む事すら出来ない。
エディエット=ル・ジャルジーにとって竹下悟は取るに足らない雑魚であり、彼の周囲に生じる矢印、その可視化された愛憎や生き方に対して彼女が彼を羨む理由が欠片も存在しない。
愛も憎悪も湧かない以上、竹下悟に特化した致死の刃など生み出せず、彼自身の『愛憎』さえも致命の刃に至らないのでは殺せない――
☆ ☆ ☆ ☆
――今まで出会った事のない未知の存在の出現に困惑し固まったエディエット。
対して超至近距離から『厄災』の放つ圧倒的な『神性』の圧を浴びた竹下悟は、僅か一秒足らずで失神し、飛び出した勢いそのままに頭からその場に倒れ込んでいた。
そんな意味不明の闖入者の倒れる音でエディエットはようやく我に返った。
(――っ、最悪だわ。無駄な時間を……ッ!)
いくら未知の存在であるとはいえ雑魚は雑魚。
通用する刃がないからと言って、厄災の膂力で殴れば内臓を全てをぶちまけ憤死するような塵芥に何を時間を浪費しているのか。刃を止める必要すらなかったのに……!
今更悔やんでも後の祭り、過ぎ去った時間は戻ってこない。ならば、今すぐ行動で遅れを取り戻す他選択肢はありはしないだろう。
勝手に飛び出し勝手に倒れた捨て置き、中途な所で止めていた致死の刃を再加速させるエディエット。
総じて、勇気を振り絞った竹下悟が稼いだ時間は一秒あったかどうかと言った所だろう。
だが、その一秒が状況大きく変える。
「……くっ! ワタシの邪魔、を――」
エディエットの策略によって『運命の悪魔は偶然の死を張り巡らす』を解除させられた瞬間、空中で懸命に方向転換していたディアベラスとクリアスティーナ。
「「――ノーラッッ!!」」
二人が、間に合った。
「――するなァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
――ドッッッ!!
激情するエディエットの叫びに呼応し刃の群れが迸る。直後、電柱ほどの杭打機が分厚い鉄板に炸裂したかのような強烈な轟音が辺り一面に響き渡った。
エディエット=ル・ジャルジーの『突き立て、我が嫉妬と憎悪は刃の如く』は対個人特化の致死の斬撃だ。
逆に言えば、標的ではない相手に対してはその切れ味を激減させる。
故に、互いに大技の発動直後で余力のないディアベラスとクリアスティーナが取った行動は実に単純。
迫る厄災の魔の手という謂われなき暴力に、不条理で理不尽な死に晒されようとしているノーラを、クリアスティーナ=ベイ=ローラレイがその腕に抱き守る。
致死を纏い迫りくる刃を、ディアベラス=ウルタードが代わりにその身で受け止める。
ただそれだけであった。
「がッ、アぁ……ぐぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
爆発的な速度で膨張する刃の群れを杭打機のように叩き付ける女の叫喚と、たった一人の少女を殺す為だけに放たれたその一撃を死力を振り絞り受け止める男の咆哮とが重なり協奏曲を奏でる。
命削る衝突に世界が白熱し、今宵の舞台は今、最高の熱を伴って終幕へと突き進む。
されど終われない。
己の敗北などという終わりでは満足などできないと、主演を自称する者どもが、魂燃やしてその輝きをぶつけ合う。
己の輝きこそが至高であると、眼前の輝きを、願いを、祈りを、希望を――己が願いで否定する為に衝突する。
「そこを、退け……ワタシはワタシの壊れた愛憎をッ、ワタシが始めたこの愛憎劇に幕をッ、ワタシがこの手で降ろさなきゃいけないんだぁああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!」
此処を凌げばまだ勝機のあるノーラ達に対してエディエットにはどうしてもこの攻防で決着を付ける必要があった。
エディエットは強制終了に関する項目を新規上書きしたが、あくまで公平を期すルールとしての体裁を保つ必要があった。
その為、厄災遊戯が続行可能であると判断された場合、現在実行中の動作の完了と同時に自動的に厄災遊戯が再開されてしまうのだ。
そうなればまたノーラを殺すという願いから遠のいてしまう。
それどころか、この状況で厄災遊戯が再開されてしまえばノーラがビンゴを達成してしまう可能性は極めて高い。
周囲を刃で固める余裕のなかったエディエットは曖昧模糊によるノーラの接近を防げず、神出鬼没なノーラの一撃に対応しきれない。今度こそエディエットは殺し愛に負けて無様な死を晒すだろう。
……敗北など、認められる訳がない。
自分だけは、この嫉妬と愛憎を諦めてはならないのだと、エディエットは目の前に立ち塞がる一組の男女を『突き立て、我が嫉妬と憎悪は刃の如く』で打ち破るべく、厄災としての膂力を完全開放。
悪魔の一撃を逆噴射しながら刃を受け止めんともがくディアベラスと、そんなディアベラスと背中合わせになってノーラを抱きしめ守るクリアスティーナ。
両者を引き摺り地面に轍を刻みながら、刃を伸ばし立ち塞がる二人の神の子供達を突破せんと前進する。
このまま壁際まで押しきり、押し潰す。勢いそのままノーラを潰してしまえば、エディエット=ル・ジャルジーの勝利なのだから。
……退けない、絶対に。
かつて自らの手で破壊した宝物、その価値を守る為。
〝嫉妬より出ずる愛憎〟は、その狂気を貫き通さんと不撓不屈に燃え上がり、己が我を押し通すべく立ち塞がるその全てを蹴散らさんと吠え猛る。




