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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
最終章 承/壱 人世ノ業、詠イ奏デルハ『厄災遊戯』――『厄災少女』、愛憎劇ノ其ノ果テニ
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行間α/断章Ⅱ

 ――【警告】

 本文書は現存する複数の文章の断片を繋ぎ合わせ、一つの文書として成立するように修復・復元されたものです。本文書の内容には致命的な誤りが含まれている可能性があります。これより先に進む場合、本文書によって被るあらゆる不利益に関する責任を本書は負いかねますので予めご了承ください。



☆ ☆ ☆ ☆



 ■は母に会った事がありません。

 母は幼い頃、■を産む前に死んでしまいました。

 ■は、死して朽ちていく母の腹を裂いて、お腹の中から強引に取り出された赤子だったのです。

 

 母に会ったことはない■ですが、ここに当時の母の状況を書き記した手記を残そうと思います。

 幸いな事に、証言者には当てがありました。

 母を知る人も、この街には沢山いたようなのです。


        ――???年〇月△日 ■のお母さんについての手記より抜粋(※言語翻訳済み 

 





☆ ☆ ☆ ☆



 ■のおかあさんは臆病な人でした。 

 ■をおろす勇気もない癖に、いざ■が生まれると、■に向かって後悔と憎悪の罵詈雑言を撒き散らします。


――『お前なんて産まなきゃよかった』『愛してなんていない』『どうしてお前の目はこんなにも憎たらしいの』『死ねばいいのに』『お前を娘だと思ったことなんて一度もない』『せめて私の為に金を稼げ』『役立たずめ』『泣くな、鬱陶しい』『お前を見ているとむしゃくしゃする』『醜い子』『アイツの顔がチラつく』『失敗作』『なんで帰ってきたの?』『話しかけないで』『ああ、殺したい』『早く死なないかな』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『お願いだから死んでよ』――おかあさん、おかあさん。ごめんなさい。■が悪い子でごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。憎たらしい目をしていてごめんなさい。可愛くない子供でごめんなさい。■、頑張るから。頑張ってお金を稼いでくるから。だから、お願いだからけらないで。お願いだからあと少しだけごはんをください。いい子にします、いい子になります。ちゃんと、自分のことは自分でできるようになります。おかあさんにめいわくはかけません。だから、おねがい。首を絞めないで。いたいよ、くるしいよ、こわいよ、おかさん――■を、おねがい、殺さないで……死にたくない………………



 おかあさんは■が嫌いです。

 ■は、おかあさんが望まぬ子。いいえ、誰からも望まれぬ子が■でした。

 強姦によって生まれた命である■は、文字通りの忌み子。おかあさんが■をお腹の中で殺さずに産んだこと自体が奇跡のような出来事だったのです。

 婚前の身を穢されたおかあさんは娼婦に堕ちて、スラム街でいつも悲嘆に暮れています。日々のストレスや鬱憤を、■にぶつけて発散する事だけがおかあさんに残された唯一の逃げ道だったのでしょう。


 ■はおかあさんを恨んではいません。

 誰かを恨める程に情というものが働いていませんでしたから。ただ生きるために命乞いをして、ただ生きる為に働く。そうしなければ死んでしまう。

 生きる事はただ苦しかったけれど、死ぬのはもっと怖かった。

 おかあさんに首を絞められると苦しかった。空腹は生きる事より苦しかった。寒さに凍える夜も、暑さに倒れた日も、どれも死ぬほど苦しくてつらかった。

 

 だからこれは簡単な話。■が生きる事を辞めなかったのは、死の苦しみが生の苦しみに勝っていたというだけの事。

 だから■はただ生きました。死なない為に生きました。死なない為にはお金を稼がなければなりませんでした。


 スラム街(ここ)でお金を稼ぐことは案外簡単です。

 こんな八歳の痩せこけた子供でも、抱いてくれるお客さんが沢山いるのですから。

 一日一食、おかゆをすする事が出来る。その幸運を噛みしめて、■は日々を生きています。

 

 けれど■は分かりません。脂ぎった汗臭い大人たちが■を凄い力で抱きしめて、私の中で果てながら耳元で囁く『愛』の意味が。



 『愛』ってなあに?

 『愛』してるってなんですか?

 これが『愛』なの? 

 『愛』しているから何なの? どうなるの?

 『愛』って温かい? 冷たい? 硬いの? 柔らかいの? 丸いの? それとも四角いの?



 ――人は人を愛し人に愛され、心を繋いで子孫を残して子を育み、そうして命を次代へと繋いでいくのだと誰かが■に言いました。



 ……嘘つき。

 ■は愛されなかった。愛ってなに。愛はそんなに凄いものなの? 愛はそんなに偉いものなの? 

 だったら誰か■を愛してよ。誰か■を愛してみせてよ。嘘つきの愛じゃなくて、本当の愛を教えてよ。本当に■を愛してよ。それでこの苦しみから解放されるのなら、お願いだから誰か■を――



 ――今日も■は知らない男の人に愛を囁かれます。

 ■の小さな身体が壊れそうになるくらいに激しく、乱暴に、名前も知らない人たちが■に愛を囁いては■の中で果てていく。欲望を■にぶつけて、全てを吐き出して、それが愛だと言っていく。


 だけどちっとも救われない。


 ■の心は虚無で満たされ、感情らしい感情を浮かべる事すらできなくなった黒瞳は、瞳孔が開き切って虚空をただ見つめ続けます。

 

 ――愛? 愛? 愛? なにそれ。わかんない。分かんないよ。

 

 誰か愛を教えてよ。

 ■に本当の愛を教えてよ。

 心がポカポカするんでしょう? 心がふわふわするんでしょう? 苦しい事も辛い事もどこかにいなくなるんでしょう?

 ■を救う愛を、誰か■に教えてよ……。


 そうして■は愛を知らぬまま月日は流れ、お客さんとのトラブルでおかあさんが殺されて、一人ぼっちになって、殴られることはなくなったけれど、やっぱり生きる事は辛くて苦しくて。

 でも、それ以上に死ぬ事はやっぱり恐ろしく怖かったから、惰性で死なない事を引き延ばして。



 そうして三年が経ったある日、■はようやく愛が何なのかを知りました。

 


 十一歳になった■は、ようやく本当の愛に触れる事が出来たのです。



 どこまでも晴れやかな澄み切った青空の下。■は、束の間の幸せを満喫していました。

 嬉しかった。幸せだった。涙がこぼれてしまうくらいに、頬が緩みそうになるくらいに、■の人生の中で最大の幸福がその時間には詰まっていました。


 身も心もボロボロに擦り切れた果てに、ようやく手にした真実の愛。例え全てが手遅れなのだとしても、■は生まれて初めて心の底からナニカを愛おしいと思えたのです。


「……おおきく、なったね。がんばったんだね……」


 大きく膨らんだ自分のお腹を撫でながら、ぎこちなく愛を囁きます。

 愛おしい、という表情は難しい。

 感情は難しい。

 伝えることは難しい。でも、心はポカポカしてふわふわします。何だかとっても嬉しくて、辛いのも苦しいのもみんなどこかへ行ってしまいます。

 この感情をどう表せばいいのか、自分でもどんな顔をすればいいのか分からない。

 それでも、この心に燻ぶる想いをそのまま形にすればいいのだと、思うがままに口角を吊り上げます。



 ――実際に口元に笑みが浮かんだかは、微妙なところでした。


 感染症に侵されて衰弱しきった■には、その一挙手一投足が既に命を削る行いだったから。


 お腹はちゃんと膨らんでいるのに、あばらばかりが浮き出てきてしまった■の身体は何だかアンバランスで不格好。手足も骨と皮だけになって、触れると折れる枯れ枝みたい。

 きっと■が元気だったなら■自身のあんまりな姿に思わず笑っていたでしょう。


 おかしいな。

 おもしろい。

 昔はあんなに苦しくて、ただただずっと死にたくないが為に生きていたのに。

 今は何だか辛いのに幸せで、苦しくても生きたくて、生きたいから死にたくない。


 病に掛りやせ細った子供を助ける余裕がある者は、スラム街にはいません。お医者様に見てもらうこともできず、いつも愛を囁いてくれたお客様も■を二度と抱こうとはしませんでした。


 どこの誰が父親なのかも分からない、けれど間違いなくこの子は■の子。

 大事な大事な愛娘なんだ。■の中で脈打つ生命の鼓動が、育まれていく一つの命の温もりが、■の心を温かくする。


 ■に、愛する事を教えてくれた愛おしい子。

 ■をきっと愛してくれる愛おしい子。


 今なら、■を産んだおかあさんの気持ちが少し分かる気がしました。

 おかあさんは、産まれてくる前のお腹の中の■を、きっと愛していたのでしょう。

 ■を産んで、嫌な事や辛い事を沢山思い出してしまって、■の事を愛せなくなってしまったおかあさんも、きっとずっと苦しかったに違いないのだと、今ではそう思います。


 ……だけど■はおかあさんのようにはならない。この子をずっと愛し続ける。そう誓う、そう誓える――この胸に渦巻く『愛』は、絶対に消えてなくなりはしないのだという確信が■にはありました。



 だから……死にたくないなぁ。



 せめてこの子が、産まれてくるまで。一人でも生きて行けるようになるまで。

 たったそれだけの時間でいいのです、神様。■は――


「――もっと、生きて、いたかったなぁ……」


 涙は、出ませんでした。

 三日も前から一滴も水を口にしていなくて、身体が乾ききっていたから。

 表情筋を動かす力はなくても、きっと心は泣き笑っていたでしょう。


 ■はただただ自分の命の灯火がお腹の子の命と共に少しずつ小さく弱くなっていくのを眺めている事しか出来ませんでした。

 ■はお腹の子を助けてあげる事が出来ませんでした。それだけが、どうしようもなく悲しくて悔しくて申し訳なくて、幸せでいっぱいな胸をちくりと刺す、最後の心残りというヤツだったのです。


「…………ごめん、ね――」


 ――ちゃんと愛して、あげられなくて……。


 快晴の空を見上げる黒い瞳から光が消えて、慈しむように大きなお腹を両手で抱きしめたまま、■は十一年の人生に幕を閉じました。


 生きたくなんてなかったけど、死にたくもなかった。

 ただそれだけだった■の無味乾燥な人生に、最後の最後で『愛』を与えてくれた我が愛おしい娘に。

 終わりから逃げるだけだった■の人生を、終わらせたくない価値あるものに変えてくれた愛おしい命に。

 未来永劫届くことのない感謝と謝罪の言葉を投げかけながら、私は……





 ……嗚呼、■のねがいごとは、きっと――

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