第十六話 《魔力点α》ゼムリャ・ゲオルグ【遊戯難度A+】 淫靡艶麗廃墟都市ラグニアⅨ――予期せぬ再会が齎すモノ
戦場から離脱してなおダニエラの命の危機は継続していた。
理由は単純にして明快である。
なにせ、『七つの厄災』が一つ〝嫉妬より出ずる愛憎〟エディエット=ル・ジャルジーに殺されかけたダニエラ=フィーゲルを助けたのは、エディエットと同じ『七つの厄災』が一つ〝貧困に生ずる色欲〟ノーラだったのだから。
(ホントに何だってこんな展開になっているんだろうね……)
おそらくはノーラの力なのだろう。『魔力点』内部の荒れ果てた砂漠から街と思しき場所に瞬間移動を果たしたダニエラは、ノーラに手を引かれ路地を進んでいた。
(この街、船の上から見た街並みとそっくりだ。……どうやら、此処は貞波たちが突入した街と同一のものと考えて良さそうだね。とすると、何処かにディアベラスとクリアスティーナもいるんだろうが――あの二人に助けを期待するのは、流石に都合が良すぎるかいね)
襤褸切れをその身に纏い、死んだ魚のような目をした褐色幼女のノーラ。
数十秒ごとに後ろを振り返ってくる彼女の無遠慮な視線に晒されながらも、ダニエラは手を引かれるままに大人しくノーラの後を歩き続ける。
心なしか楽しそうな足取りのノーラと、そんな彼女に振り回されるダニエラという構図は、傍から見ると微笑ましい親子の姿に見えなくもない。
(……街の中に入ってから眼の調子は悪いし腹は痛くなるし、何が起こっているんだか。初めから一筋縄でいくとは思ってなかったけど……こりゃ、貞波たちも苦労してそうだいね)
つい先ほど彼女の子宮を激痛が襲い、それと同時に頭の中に意味不明の『指名手配書』なるものが浮かび上がり始めたのだが――その異常について尋ねても、主催者であるらしい目の前の『厄災』からは「みんなで〝たからさがし〟の〝げーむ〟をするの」以上の答えが返ってくる様子はない。
時折立ち止まっては考えごとをしたり、三六〇度様々な角度からダニエラをジロジロと眺めたり、犬のようにふんふんとダニエラの匂いを嗅いでは首を傾げたりと、ノーラの挙動は一々自由で愛らしく、とてもじゃないが世界を滅ぼす『厄災』などという大それた存在には見えない。
ただ、些か不健康ぎみに痩せた褐色幼女の矮躯から嫌と言う程に滲みだす桁違いの『神性』が、幼く愛らしい見た目の彼女が自分達とは根本から異なる超常存在である事を否定の余地なく突きつけてくる。
そして何より、ダニエラは彼女とエディエットの戦闘を目撃しているのだ。
あの光景を見せられれば、どれだけ危機感に欠けた人間だって彼女が『七つの厄災』の一つに数えられる人類の天敵である事を理解できるだろう。
いかに幼い子供の容姿をしているとは言え、相手は『神の子供達』を一言で蹴散らしてしまう怪物。
たかが一神の能力者程度じゃ逆立ちしても勝てない相手である事は明白である。
常に隣を『死』が歩いているような極限状況に、精神が疲弊しない訳がない。
しかし――逆にここまで戦力差があると、抵抗しようという気も無くなってくるのもまた一つの心理ではあった。
目的地も分からぬままノーラに手を引かれ、既に三十分以上が経過している。ここに来てダニエラは、この異様な状況へ精神的に適応し始めていた。
具体的に言うと、恐怖の麻痺とある種の諦観。
抵抗を諦め、一周回って開き直って流れに身を任せるとでも言えばいいのか。
ともかく、ダニエラは己の手を引く幼女の姿をした怪物を無駄に恐れる事をやめる事にしていた。
彼女がその気になれば、自分などいつでも殺せる虫ケラ同然の存在なのだ。
抵抗の意味など始めからどこにもなく、こちらの態度や意志などお構いなしに、彼女の気紛れ一つでダニエラ=フィーゲルの心臓はいとも簡単に停止する。
そして、仮に彼女がダニエラを殺すつもりなら、ダニエラはとっくに死んでいるだろう。
自分がまだ生きているという事実が、今のノーラにダニエラを殺すつもりがない、という事を如実に証明しているのだ。
ノーラにダニエラを殺すつもりがない以上、究極、ダニエラの葛藤にも恐怖にも何ら意味はないという事になる。
何をしても無意味だというのなら、相手の出方を恐れて縮こまっているのも馬鹿らしい。
その慢心ともいえる余裕の態度を利用してやるくらいの気概があってもいいはずだ。
こうしている今も興味津々の様子でオレンジ色の髪の毛に顔を埋め深呼吸をしている褐色幼女へ、開き直ったダニエラは物怖じすることなく話しかける。
「……なあ、お嬢ちゃん」
「おひょうはん? わはひのはまへはのーははよ?」
「……」
――おじょうちゃん? わたしのなまえはノーラだよ、と言ったのだろう……多分。
小さい子供の相手は慣れているので、何となく翻訳できるダニエラだった。
……もっとも、目の前の彼女を小さい子供に分類していいのかは甚だ疑問ではあるが――
「――そうかい。ならノーラ、そろそろ教えてくれないかいね。アタシ達は今どこに向かっているんだい? いや、それよりも……一体何が目的でアタシを助けた? ……アンタは『七つの厄災』、アタシら人類の敵なんだろう?」
質問に、ダニエラのオレンジの髪に顔を埋めていたノーラは「ぷはっ」とようやく顔を上げ、やはり首を傾げる。
「〝ななつのやくさい〟? ……よくわからないけど、わたしは〝おかーさん〟がおかーさんだとおもったから、たすけたんだよ? ねえ、〝おかーさん〟はおかーさん?」
「……すまない、アタシにはその質問の意味がいまいちよく分からないんだが……まさかとは思うけどそれは、アタシがお前のおかーさんか、って意味かい?」
ダニエラの言葉にどういう訳かノーラはまたしても首を傾げる。
質問に対する質問の意味が通じなかった……? やはり自分の解釈は頓珍漢なものだったのだろうかと思うダニエラだったが、どうもそういう訳でもないらしい。
「ねえ、〝おかーさん〟。わたしにもおかーさんはいるの?」
どうやら、彼女の言う『おかーさん』には複数、ニュアンスの異なるものが混じっているようだ。
前半の〝おかーさん〟が、おそらくダニエラを指しているものだろう。何故ダニエラを〝おかーさん〟と呼ぶのかについては全く分からないが。
「……あー。そりゃあ……どう、なんだろうね。アンタは『厄災』なんだろ? 強いて言うなら、あの厄災の贈り物ってのがそうなんじゃないのかい? アンタらはアイツが召喚したって、そう聞いてるけど?」
「〝しょうかん〟?」
「そこで首を傾げられてもアタシも困っちまうんだが……」
言葉の意味は通じているはずなのだが、どうにも会話が噛み合わない。
ダニエラが困ったように髪の毛を掻いていると、ノーラはダニエラと手を繋いだまま、食い気味にずずいとダニエラの前に身を乗り出してきて、
「ねえ、もしわたしにおかーさんがいたら、おかーさんはわたしを愛してくれる?」
「そりゃあ――」
――難しい質問だ。ダニエラは素直にそう思った。
親と子の形と言うのは千差万別。家庭によって様々に異なっていて、一つとして同じ形のものはないだろう。
その中には当然、子を愛さない親だっているし、親を愛せない子だっている。
それこそ、ダニエラの過ごしていた未知の楽園には親に捨てられた孤児は多かった。
身寄りの無い孤児は実験都市共通の問題でもあるが、親が子を虐待したり捨てたりするのは、何も子供が神の能力者である事だけが原因ではない。
両親による子供の虐待、捨て子、孤児。それらの問題は、人類が神の力に目覚める以前から永遠と続く負の遺産だ。
……そもそも神の能力者だろうが何だろうが、子供に虐待の原因を求める事自体が間違っているとダニエラは思うのだが――
――ともかく、親は必ずしも子を愛する訳ではないし、子だって必ずしも親を愛する訳ではない。
家族の形が違っていれば、当然そこに起こる悲劇の形も様々で、子を愛さない理由など本人に直接聞いてみない限り分からない。
『七つの厄災』であるノーラが何故こんな事を尋ねるのか、その理由は分からない。が、彼女が求めている答えならば手に取るように分かる。
死んだ魚のようだった黒瞳をキラキラと輝かせる、見た目相応の子供のような彼女の期待に応える事はダニエラにとってとても簡単な事だろう。
(……優しい嘘か、厳しい現実か)
けれど、例え目の前の幼女が幼女の形をした『厄災』なのだとしても。
(参ったねえ、自分の娘にあれだけの仕打ちをしておいて、親としての道は踏み外せないってか)
無邪気で無垢な子供に嘘を付くような事は、娘を持つダニエラ=フィーゲルには出来なかった。
自分で出したそんな結論に、ダニエラは思わず苦笑する。
(……子供、ね。人類を滅ぼす『厄災』だろうと何だろうと、どうもアタシはこの手のちっこいのに弱いらしい)
……うまく伝えられるかは分からない。
彼女がここまで興味を持っているのだ。ダニエラの答えが、〝貧困に生ずる色欲〟の逆鱗に触れてしまう可能性だってある。
(ま、この子を騙して薄汚く生き延びるくらいなら、潔くここで死ぬ方がアタシらしい死に様さね)
それでも、意を決して誠実に言葉を伝えようとしたダニエラが口を開く前に――答えが待ちきれなかったのだろう、ノーラが元気よく言葉を重ねていた。
「あのね、わたし、愛されたことがないの。だからきっと、おかーさんにもあったことはないんだとおもうの。だって、もしわたしにおかーさんがいたら、わたしを愛してくれるよね? それともおかーさんはわたしを愛してくれないの? おかーさんがなんなのか、わたしにはよくわからない……。ねえ、〝おかーさん〟はおかーさんなんでしょ? おかーさんって、どういうものなの? おかーさんは――」
「――ちょっと待った」
無邪気な子供のように問いを重ねるノーラをダニエラは思わず遮っていた。
何か、……何か聞き捨てならない単語が混ざっているような気がしたからだ。
きょとんと首を傾げるノーラに、ダニエラは頭痛を堪えるような表情になって、慎重に言葉を選んで問いかける。
「……なあ、ノーラ。これから聞く事は、アンタを怒らせる事かも知れないんだが……一つだけ尋ねても構わないかい?」
「? よくわからないけど、いいよ。わたし、おこるってなんなのかよくわからないし」
「……そうかい。あー、そのだね……アンタの言い方だと、まるで自分は母親の腹から産まれてきた、って言っているように聞こえたんだけど……アンタら『七つの厄災』ってのは、あの厄災の贈り物とかいう『特異体』が生み出した存在じゃあないのかい?」
「? ななつのやくさい? ノーラはノーラだよ?」
首を傾げ、要領を得ない返事をするノーラ。これではまるで質問の答えになっていない。
本人にも何となくその自覚はあるのか、うーんと短く唸ってから、
「〝ぱんどら〟って〝ひと〟はよくわからないかな。なんだか、その〝ひと〟の〝いうこと〟をきかなきゃいけないのは〝しってる〟けど、その〝ひと〟のことをかんがえると、なんか〝あたま〟がもやもやして〝おなか〟がきもちわるくなるから、よくわからないの」
(……『特異体』厄災の贈り物を認識していない? アレが主だという本能的な自覚はあっても、自分の正体に全く自覚がないってのかい? まさかこの子は……自分を人間だと思っているって? そんな、まさか――)
ノーラ達『七つの厄災』を『厄災の贈り物』が召喚した〝厄災の概念を具現化した存在〟と捉えていたダニエラにとって、その答えは衝撃的なものだった。
(――けど、あのエディエットってのには自分が『七つの厄災』だという自覚があったハズさね。だとすると、この子だけが特別? いや、何らかの不具合で正常に記憶が作動していない? ……そもそも、バトラーと名乗ったあの老執事は、『魔力点』の主である『厄災』が二人もいるだなんて話は一言もしていなかった。一体、この状況はどこからどこまでがイレギュラーだって言うんだいね……)
『厄災』とは何なのか。
何故、この『魔力点』には二つの『厄災』が同時に存在しているのか。
様々な疑問がダニエラの脳裏に浮かんでは消えていく。
ダニエラは必死でそれらの答えを追いかけ手を伸ばすが、求めた真実は伸ばした指の隙間をするりと抜けてその尻尾すら掴ませようとしない。
それでもあと一歩で何かが掴めそうで、ダニエラは必死に思考の海の中でもがき続ける。
しかし、思考の海に沈んでいたダニエラの意識はすぐさま現実世界へと引き上げられる事になる。
「――ついた」
ノーラがダニエラを連れてどこへ向かっていたのか。その答えが、あまりにも突然に示されたからだ。
「〝ほんとう〟はすぐ〝ここ〟までくることもできたんだけどね、わたしも〝おかーさん〟と〝おはなし〟してみたかったから〝あるいて〟きたの。でも〝たのしかった〟よ。〝おかーさん〟とふたりでいっしょにあるけて」
そう言ってノーラが立ち止まったのは、何の変哲もない廃屋の前だった。
ノーラの案内がなければ場所を言われた所で見つける事は出来なかっただろう。隣り合う無個性な建造物の群れに埋もれていて、他の建物との見分けがまるでつかない。
「ここは……?」
古びた扉の前で足を止めたノーラはダニエラの質問には答えず、廃屋の扉の前の地面を足裏で軽く叩いた。すると、正方形の形をした繋ぎ目が開閉し、隠し階段が現れたのだ。
無言のノーラに促されるようにして階段を下ると、しばらくして階段の終わりと高さ三メートルはあるであろう武骨な石の扉が現れた。
隣で手を繋ぐノーラは、またも目の前のソレを開けるように死んだ魚の目のような黒瞳で促してくるだけだ。
「……自分で開けて確かめろって事かいね」
扉の奥に何が待ち構えているのかは不明。何故か過去視の炯眼の力が弱まっている以上、周囲を探る事も難しい。
とは言え目の前に『厄災』がいるような状況だ、この扉の先で待っているモノが何であろうと、ノーラに比べればなんて事はないだろう。
そう考えると、次にどんな事が起きようとも、どうにもでなるような気がしてくるから不思議だった。
ダニエラは溜息を吐きながら意を決してドアノブに手を掛けて、一息に扉を開け放った。
そして――
「――なんで……」
――目の前に広がった光景にその場で膝から崩れ落ちた。
☆ ☆ ☆ ☆
――地上を鮮血色の雨が蹂躙する。
愛と死の叫びが恐怖の叫喚へと変換される地獄に君臨するその悪魔は、しかしヒト一人の命すら奪わずに眼前に広がる狂乱のみを殺し尽くしていく。
裸のままに逃げ惑う男女の群れ。
一歩間に合わず血の海に沈んで動かない女達。
つい先ほどまでの威勢が嘘のように腰を抜かして震える男達。
人間の色欲を制したのは、なんてことの無い日々偶然に降り掛かる『死』の形なき恐怖だったというだけの話。
「――そいつがひとたび目に見えるようになってから慌て始めるってのも滑稽な話だけどなぁ」
……いや。彼らもまた、迫りくる『厄災遊戯』から、『死』から逃れる為にその性を振りかざしていたのだったか。
己の死を予感すると子孫を残そうとする本能が働く、という話も聞いた事がある。ある意味では、目の前で起きていた光景は生物としては正しいものだったのかも知れない。
……もっとも、理性ある人間としてアレを肯定するつもりはディアベラスには微塵もなかったが。
「ま、それが人間って奴かぁ。目に見えねえモンはいないのと同じ。常にテメェと隣り合わせの『死』も、その姿をチラ見して始めて恐怖へ繋がるってんだからなぁ」
どこか呆れたように吐き捨てるディアベラが、腕に抱いたミロ達に終わった事を伝えようとしたその時だった。
ディアベラスの視界に、再び獣の狂乱に呑まれた群衆の大行列が飛び込んできた。
「……おいおい、おかわりなんざ頼んだ覚えはねえぞぉ俺ぁ……って、あれはまさか――」
思わずサングラスの奥の瞳を細めるディアベラス。
獣の狂気に堕ちた集団の先陣を切る人物に、嫌に見覚えがあったのだ。
「――貞波にレギンにリズだとぉ!? テメェら、そんな所で何してやがるッ!」
「おぉ、神様仏様ディア君サマ~、後生だから俺達を助けてくれたもれ~~~。……いやホントまじでこの数はヤバいから頼むわ兄様ーっ!!」
何故かレギンを背負いながら全力疾走している貞波が、余裕なのか余裕がないのかよく分からない返事を叫び返してくる。
無事に合流出来たことを喜べばいいのか、面倒事を押し付けてくる弟に怒りを抱けばいいのか。
感情の整理がつかないディアベラスは、ひとまず迫りくる狂気の集団およそ三百名あまりにそれらのイライラをぶつける事にした。
「……チッ、どいつもこいつも簡単に言ってくれやがってぇ……ッ!」
直後、鮮血色の閃光が縦横無尽に駆け回り、たった一人の神の子供達の八つ当たりによってレギン=アンジェリカを狙う軍勢は瞬時に壊滅した。
☆ ☆ ☆ ☆
色欲の獣と化した狂気の集団をどうにか鎮め、貞波達と無事に合流を果たしたディアベラスは、表通りから一本路地に入った建物の中へと入っていた。
目を閉じ耳を塞がせていたミロ、ロト、ミトを床に降ろしもう大丈夫だとディアベラスが伝えると、三人はいっせいに「ぷはぁっ」と息を吐き出しキョロキョロと辺りを窺っている。
気分の問題なのか、目を閉じ耳を塞いでいる間、呼吸もなるべく抑えようと頑張っていたらしい。
「オジサンもう終わったかー? ん、なんか知らない人増えてるー」
「……、」
「あの、おじ様。この人たちは……?」
貞波達に気付いた三女ミトは興味津々な様子で三人を見渡し、人見知りの激しい次女ロトは逃げるようにディアベラスの背後に回っている。本当は背中を壁にしてくっつきたいのだろうが、背が足りない為ディアベラスの右足にしがみついてコアラみたいになっていた。
最後に、長女でしっかり者のミロが三人の気持ちを代弁するようにしてどこか不安そうに尋ねてきた。
「……あー、そういや言ってなかったかぁ。さっき逃亡者の集い旗の話したろぉ。こいつらもその一員、要するに俺の家族ってヤツだぁ」
「おじ様の家族……」
「ああ、つまりお前らの新しい家族でもある」
「わたしたちの、家族……」
ディアベラスの言葉に、ミロは警戒半分安心半分と言った微妙な表情を浮かべている。
……とはいえ、いきなり知らない人たちを家族と紹介されても困惑するのは当然な反応か。もっとも、それを言い出したらディアベラスとミロ達の出会い方だって限りなくアウトな気がするが。
と、ここまで一応は気を遣っていたのだろう。興味と好奇心を抑えられない様子のリズ=ドレインナックルが、わきわきと目を輝かせて舐め回すような視線をミロ達三姉妹に向け、
「え~、なになにこの子達ーっ、可愛い~~~。もしかしてディア君の隠し子的な!?」
「……リズお前、確か子供は嫌いじゃなかったかぁ……?」
リズの予想外のテンションに若干引き気味に首を傾げるディアベラス。
彼女がスピカとバチバチにやり合っていたのは記憶に新しい――何ならディアベラスには殺されかけているが――今は和解したとは言え、彼女は小さな子供を可愛がり面倒を見るような殊勝な玉ではなかったはず。
リズは、そんなディアベラスの認識を肯定するように軽い調子で、
「ん? ああ、確かにそういう趣味もないし、アタシに楯突くような生意気な餓鬼は嫌いね。でもでも、無害で愛らしい子は全然好きよアタシ? 愛玩動物みたいで☆」
……なるほど。自分に仇なすか否かが判断基準らしい。
自己中心的で快楽主義者なリズ=ドレインナックルらしい言葉に納得すると同時、彼女にこの子らを近づけるのは避けようとディアベラスが考えるのも、また当然の帰結だった。
「……ミロ、ロト、ミト、あのおばさんは危ねえからあんまし近づくんじゃねぇぞぉ」
「ディアベラスぅ? アタシの聞き間違いかしらねえ? ――今テメェなんて言った?」
「子供の教育に悪いつってんだよぉ、歩く発禁。そのアホみてぇに下品な胸隠せぇ、胸を」
「あは☆ ディア君そんなに死にたいならはやく言ってよ~、速攻でお姉ちゃんが逝かせてあげるのに。……ていうか喋る発禁に言われたくないわね」
「俺のはTPOを弁えてんだよぉ。ちゃんとビラビラした黒に赤文字の暖簾掛かってんの。ゾーニングだぁ、ゾーニング」
「おい二人とも、いい加減にしろ。それこそ子供の前だぞ」
至近距離で火花を散らし始めるディアベラスとリズの間に割って入ったのは金髪をポニーテールにしたレギン=アンジェリカだ。
ちなみに彼女は知っての通り、無類の子供(というか年下)好きである。
「ま、ここはレギンの言う通りかな。時間的にも余裕がある訳じゃないし、早速情報の共有と行こうぜ、お兄様よ」
「厄介事全部押し付けといてよく言うぜぇ。……まぁ、なんだぁ。俺達を探しに来てくれたみてぇだしなぁ、そこは感謝しとく。ありがとよぉ」
「なあに気にすんなよ。俺達はアスティを助けに来たわけであって、ディア君はついでだからさ」
「オイ」
「冗談だよ、半分冗談。それよりさっさと本題に入ろう――」
――貞波達は『厄災遊戯』についての考察と、現在判明している『ラグニア』のルールを。
ディアベラスは〝貧困に生ずる色欲〟との邂逅とミロ達三姉妹との出会いについて、それぞれ知っている事を共有しあった。
「――なるほどなぁ、探し守るべき『宝』は人であり、同時に『罪人』ってかぁ」
「……ま、この考察はあくまで仮くらいに思っておいて貰えれば。何か間違いや抜けがある可能性は否定できないし。……ていうか、ディア君的にはどうなのさ。なんか明らかにおかしいトコとか、矛盾点なんかを目ざとく見つけたんなら教えてくれ」
「いや、俺にも辻褄は合ってるように思えるがぁ……」
貞波達から齎された貴重な情報に、ディアベラスは髭の生えた顎に手をやり一人唸る。
……この街――『ラグニア』という名称らしい――では女性の様々な能力が制限される、というのは初耳だったが、経済制度や格付け制度の存在などはおおまか予想通りではあった。
ミロ達が「自分たちを買ってください」などと馬鹿な事を言ってしまうのも頷ける、ふざけた世界だ。
そして、厄災遊戯についてもかなり考察が進んでいるとディアベラスは素直に感心していた。
特に、ディアベラスが言葉に出来ない違和感を抱いていた部分――なぜゲームのルールを記載した文書が指名手配書という形なのか――についても納得のいく答えを貞波達は出している。
「あ、そういえばディアベラスって距離を無視した念話もどきが出来たろ? アレ使ってささっとアスティと連絡とったり合流したり出来ない訳?」
「……出来るんだったらこんなとこにいねぇよぉ。今すぐにでもアスティを迎えに行ってる。まぁ、ダメもとでもう一回試してみるが――」
当然、貞波に言われるまでも無く念話は試している。
バタバタしていて回数をこなせていないのは事実だが、ミロ達に助けられ目覚めた直後や、それこそ貞波たちとの合流の直前、人々の狂乱を鎮めた直後などにもクリアスティーナに呼び掛けてはいた。
しかしクリアスティーナは念話に応じない。否、そもそも捕捉する事が出来ずにいるのが現状だった。
そして今回もやはりと言うか案の定というべきか、
「――ダメだな、存在を捕捉できねぇ」
「……うーん、ディア君地味に使えねー」
「貞波お前なぁ……」
ぼそりと一言余計な事を呟く貞波。この男は意図的にこれをやる節があり、一々突っかかっていては相手の思うつぼである事も分かっている。
それでも状況が状況だけに苛立たしいものは苛立たしい。当の本人は、ディアベラスの苛立ちに気付かぬフリをしたままケロリとした顔で、
「てか、捕捉できないってどういう状況な訳?」
「……そのまんまの意味だぁ。『悪魔の一撃』の始点には制限がないからなぁ。始点を設定する際、その付近の干渉力を感じ取って狙いを付けてる。念話する時も同じだぁ。んで、ある程度の顔見知りなら、その干渉力で個人まで特定できるって訳だぁ」
『悪魔の一撃』は距離を無視するという性質を利用し念話じみた使い方をする事が出来るが、あくまでもそれは応用に過ぎない。
一見、直接脳内に語り掛けているようにも思えるが、アレは会話の起点(ディアベラスの言葉と、ディアベラスの聴覚の及ぶ範囲)を自分より遠方に設定しているだけであり、相手の脳に直接干渉する精神感応系とはだいぶ毛色が異なっている。
釣り竿を使って海中の人間と糸電話をするような、かなりアクロバティックな無茶をしているという大前提があり、精神感応と全く同じ利便性を求められても困る。
「なるほどね。……ん、ちょっと待てよ。それじゃあ、アスティを捕捉できないってかなり不味い状況なんじゃ……?」
「さあなぁ。考えられるとすりゃあ、俺の方に何らかの問題があんのか、それともこの魔力点……『ラグニア』とやらの性質なのか。それかアスティの身に何らかの異変が起きてるかの三択だがぁ……」
「なんだよ、気持ち悪いくらいに落ち着いてんのな。ディアベラスお兄様は義理の妹に発情して求婚する変態で最低な兄だと思ってたんだけど?」
深刻な表情から一転、意外そうな顔でこちらを見てくる貞波に、ディアベラスはうんざりしたようにドレッドヘアーを掻きつつ、
「……俺達神の子供達は『魔力点』の核として連中にとっても必要らしいからなぁ。力技でゴリ押さずにゲームなんて持ち掛けてくる以上、強引な手法でアスティをどうにかするってのもできねぇはずだろぉ。そうじゃなきゃ連中にとって面倒なだけの厄災遊戯なんざやる理由がねぇ。……つかよぉ、貞波ぃ。次その言い方したら悪魔の一撃ぶっ放すからな? テメェ」
「……おお怖い。でも、確かに言ってる事は一理ある。……あ、じゃあ他の連中はどうなのさ? 俺達にも念話はなかったけど、もし試してたならディア君かラグニアの方に問題ありって事になるぜ?」
貞波としては可能性を一つずつ潰す当たり前の確認作業でしかなかったのだろう。しかしディアベラスは、素直な気づきの驚きをサングラスの奥の瞳に浮かべて、
「…………あー、なんだぁ。そっちはシンプルに頭から抜けてやがったらしい。ぶっちゃけ、今言われて初めて気付いたレベルで」
「マジか。……アンタ、冷静なフリして実はめちゃくちゃアスティの事心配してるだろ。てか実はそれしか頭にないだろ」
「う、うるせぇ。『厄災』の口から直接アスティが巻き込まれてるって言及がありゃあ、不安にもなるだろぉがぁ……!」
ドン引きしてる貞波にぶっきらぼうに言い返しながら、各々に念話が通じるかを確認していくディアベラス。
既に合流しているメンバーには通じる事が確認できたが……
「……チッ、ダメだな。他の連中も捕捉できやしねぇ」
「ダニエラとかライアンス君とか、逃亡者の尻尾号で待ってる人たちも?」
「ああ、ダメだ。――っと、これは……生生と悟かぁ。だが、どういう……?」
「……どうした、誰かと繋がったか?」
どこか要領を得ないディアベラスの呟きに貞波が真っ先に反応する。
「あぁ、捕捉出来はしたんだがぁ……返事がねぇ。生生と悟だぁ」
「……なるほどね。生生とサトリンは今は一緒?」
「いや、別々だぁ。そう離れてはねぇがぁ……二人の動きに迷いがねぇ。進行方向から見て、どうも少し前まで一緒に居たみてぇだなぁ」
「なら大丈夫、かな。アクシデントがあったら真っ先に即死する二人だし。多分だけど、何か考えがあるんだと思う」
「……今は接触を望んでないって事かぁ」
何かと影で暗躍しがちな二人である。貞波とディアベラスとて腐っても家族である為、共通の理解に至るのも早かった。
しかし、これで今すぐさま打てる手もなくなった。
念話の条件も、結局分からないままである。
「……それで、これからどうするんだ?」
難しい話が一端終わった事を察したらしいレギンが先を促してくるが、ディアベラスは答えられない。
リズ=ドレインナックルは当然の如く肩を竦めて思考放棄。考えるのも飽きたとでも言いたげだ。
貞波も思わず天を仰いで、
「……悪い、少し情報を整理する時間が欲しい」
そう答えるのが精いっぱいだった。
☆ ☆ ☆ ☆
「なんで……」
涙が、止まらなかった。
意味が分からない。己の目を、正気を疑う。
だって、自分をここに連れてきたのは『厄災』だ。仮に目の前の光景が全て現実だったとして、〝貧困に生ずる色欲〟がこんな事をする理由が本当に何一つとして分からない――
それでも、それでも確かな事が一つだけ。
「母、ちゃん……?」
蠟燭の柔らかい灯りに照らされかろうじて視界の確保された、がらんどうの空間だった。身を寄せ合うようにしている少女たちの中に、ダニエラはソレを見つける。
ダニエラよりも明るいオレンジの髪の毛。
かつてボサボサだった髪の毛は、いつから自ら望んで手入れをするようになっていて、少女としての成長を匂わせる。
誰に似たのか男勝りで、けれど笑うと愛らしい中世的な顔立ちは、「成長したら姐さんそっくりになるだろう」と部下達に散々言われその都度否定したものだ。
この子は自分なんかよりももっと綺麗な女性になるだろうとダニエラは確信していたから。
その成長を見届けたいと、誰よりも強く思い願っていた。そしてその願いが叶う事はもうないのだと、諦めた事もあった。
最愛の娘。
誰に似たのか勝気で粗野で、けれど誰よりも寂しがり屋で甘えん坊な、純粋で親思いの優しい子。
ダニエラ=フィーゲルの宝物。
「ミランダ……」
ミランダ=フィーゲルが、扉の向こう側でダニエラを待っていたのだ。
やっぱり意味が分からない。
目の前の光景が現実であるという実感が持てない。
人類に仇なす『厄災』。人類の天敵であり災いである彼女が、どうしてこんな事をするのか、納得のいく理由が何一つとして思い浮かばない。
けれど、そんな事はどうだっていいと想えた。
例え、目の前にある全てが幻だったのだとしても。
今、目の前にいる愛娘は確かに生きていて、叶わないだろうと諦めていた再会が目の前にあって――
「母ちゃん……っ!」
「ミランダっ!」
――この胸を満たす幸福感だけは、我が愛娘への止めどない愛情だけは本物なのだから。
ダニエラ=フィーゲルは胸に飛び込んで来た大好きな温もりを力一杯抱き締めながら、その重みを噛み締めるように滂沱と涙を流していた。
「うあああああ……母ちゃんのバカァアア……! 俺を置いて、ひぐっ……カッコつけて一人で死んで、ぐずっ、そんなんで俺が喜ぶわけないだろぉおおおっ!」
「……あぁ、ミランダ。すまなかった、本当に馬鹿な母親だよアタシは。もう離さない、絶対にだ。誰が相手だろうと、お前はアタシが守ってみせるから……」
目の前の光景がぐちゃぐちゃにぼやけて歪んでいく。目を閉じたら消えてしまうのではないかと、怖くて出来なかった瞬きも、何度繰り返しても腕の中の温もりは消えはしない。
すがりつくように、抱きしめる力をさらに込めた。
泣き叫びながら怒るミランダと、噛み締めるように涙を流し娘を抱き締め謝り続けるダニエラ。
けれどそこには他のどんな感情よりも大きな安堵と喜びがそこにはあった。
だって怖かったのだ。
失ってしまうかもしれない事が。
大切な人を、家族を残して死ぬかもしれないという事が。
もう二度と、愛する者の顔を見れず、声も聞けず、抱き締めて頭を撫でる事も出来なくなる事が。
もう二度と叶わないと思っていた、そんな当たり前の願いが叶った事が、何よりも嬉しかったのだ。
それはダニエラにもミランダにも、どちらにも言える事で――
――そんな死別を覚悟していた親子の感動の抱擁を眺める視線が一つ。
「やっぱり、〝おかーさん〟はおかーさんだったんだね。よかったね、〝そのこ〟にあえて」
互いの無事を確かめるように抱き合う親子に、〝貧困に生ずる色欲〟ノーラは観察するような無機質な視線を向けていて、
「それじゃあ〝しつもん〟です」
ぞわり、と。瞳孔の開ききった黒瞳に渦巻く狂気が、世界へ流出を開始した。
「――ねぇ、〝おかーさん〟は〝そのこ〟のことを『愛死照ル?』 あなたは〝おかーさん〟のことを『愛死照ル?』」
あまりにも無慈悲に、人の倒れる音が二つその場に響いた。




