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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
幕間/side『勇気の拳』
327/415

第?話 起→承 失格勇者の最終決戦

 ざっざっ、


 雪を踏む音が静謐の朝を侵していく。

 死人のような瞳で虚ろに前へ前へ、ただひたすらに高見へと登る少年を昇る冬の朝日が照らし出す。


 朝焼けに伸びる影。

 生き物の気配一つない静謐な朝。

 煌めく雪化粧の大地。

 山の頂を大きく抉り、天空より座した円錐の大地が居を構ええいる。


 『天空浮遊都市オリンピアシス』の墜落。

 海音寺流唯とスネークによって最悪の事態を逃れた結果、オリンポス山の山頂に生じたクレーター。東条勇麻が求めた『厄災』はその淵に腰を掛け、退屈そうにブラブラとすらりと伸びた美しい脚を揺らしていた。


「まさか貴様の方からノコノコと出向いてくるとは思わなかったぞ。妾を退屈させぬとするその心遣い、褒めて遣わそう」


 こちらに背中を向けたまま、アメジスト色に輝く長髪を靡かせ少女は言う。

 後姿だけでも息を呑む美しい少女だった。勇麻の記憶にある彼女とはかけ離れた姿。十に満たないあどけない無垢な幼女は、その等身がぐっと伸びて十三、四歳の少女へと成長している。

 確かに残る勇麻もよく知る彼女の面影が、どうしようもなく胸を締め付ける。


「じゃが――」


 厄災の贈り物(パンドラ)は一度言葉を区切ると、クレーターに腰掛けたまま首だけで背後を振り向いて、


「――貴様、あの時の『英雄』ではないな。何者じゃ、名を名乗るがよい」


 ゴッ!!! これまで意図的に抑え込まれていたであろう不可視の『神性』が少女の身から壁のように周囲へと叩きつけられた。

 地面の雪が捲り上げられ、唐突に吹きつける刹那の吹雪に思わず顔を覆い目を細める。

 凄絶に美しいその美貌を露わにし、薄紫の瞳を凍てつくほど酷薄に細めて、尊大に告げる褐色の少女に息が詰まる。

 ……答えを誤れば死ぬ。そう思わせるだけの迫力、圧力、絶対的な神威、『神性』に晒されて、しかし少年の答えは最初から決まっていた。


「……俺はその『英雄』の紛い物だ……」


 名を名乗れ。

 そう命じたにも関わらず『英雄』の紛い物を自称する。

 そんなふざけた解答を、果たして『特異体』の少女は予期していたのか――


「――くふ」


 嗤いが、漏れる。


 勇麻の答えにほんの一瞬だけその瞳を大きく見開いたパンドラは、正面に向き直るとしばし堪えるように身を屈め、やがてもう堪え切れぬとばかりに腹を抱え背を仰け反らせ呵呵大笑と笑いだす。


「……くはっ! くかかかかかかっ! アっハハハハハハハハハハハ!!! ……ほう、そうかそうか、あの『英雄』の紛い物を名乗るか貴様!」


 クレーターの淵から腰を上げ、立ち上がったパンドラがこちらを振り向く。

 その姿に東条勇麻は改めて衝撃を受けた。

 南雲龍也が表に出ていた間、勇麻は右腕の中から外の様子を見ていた。だから、その姿を知らない訳ではない。

 だが、それでも龍也の視界越しに眺めるのと直に見るのとでは全くもって別物だった。


 ――それは凄絶なまでに美しい少女だった。

 肉感を帯びつつすらりと伸びた脚、小ぶりではあるものの瑞々しく実った端正な胸の果実、かつての寸胴体型には見違えるようなくびれが生じ、露出した健康的な褐色のへそとお腹はしっかりと引き締まっている。

 成長した胸と同様臀部は女性的な丸みを帯び、それでいて全体的に細身の印象は損なわれていない。身体のラインにメリハリが生じているとでも言えばいいのか。


 勇麻の前に立ち塞がる褐色の美少女は確かに厄災の贈り物(パンドラ)でありながら、彼女――パンドラからはあまりにかけ離れていた。


 ……ここにいるのは以前の彼女ではない。アリシアや仔犬のエルピスと一緒になってボールで遊んだり、初めてのファミレスで夕飯を食べはしゃいでいた天真爛漫なパンドラは、もう此処にはいないのだ。


 あの時間はきっともう二度と戻らない。

 海音寺流唯を失ったという事実に勝るとも劣らない大きな喪失感が勇麻を襲う。


 そして、だからこそ。老執事が勇麻にパンドラを託したという事実が、重く圧し掛かる。



 英雄の紛い物を名乗る来訪者に、彼女が如何な価値を見出したのかは不明。それでも無限の可能性を内包する万能の『特異体』は、目の前のちっぽけな存在を己が真っ正面から対峙してやる意義はある存在だと認めている事だけは確かだった。

 例え少年を見るその瞳に宿るものが、嘲笑と愉悦と嗜虐であったとしても。


 甘美で華奢な肢体より放出される絶対的な『神性』に圧倒される勇麻に、パンドラはニヤニヤと獲物をどう甚振るかを考える狩人のような意地の悪い笑みを湛えて、


「それで、紛い物よ。己を英雄ではなくその紛い物であると宣う人の子よ。貴様はたった一人で何をしに妾の元へ来たのじゃ?」

「それは――」


 そんなの決まっている。

 東条勇麻は『匣の記憶』に触れて変貌してしまったパンドラを救いに来た――





「――訳ではないのだろう?」

「――っ!?」



 勇麻の心を読み先回りするようにそう言って、パンドラが凄惨な笑みを深める。

 その表情に、嗜虐と愉悦に満ちた瞳に見据えられて、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。


 反論を……そんな訳がないと反論を重ねようとするのに、言葉は喉の奥に引っ掛かってしまったかのように出て来ない。


「よい、よいのじゃ。己を誤魔化す必要などどこにもない。貴様とて本当は分かっておるのじゃろう? ほれ、真の望みを、貴様の醜い願望を言うてみるがよい」

「あ、ぁ……ああ……」


 問いかけに答えろ。その言葉を否定しろ。なんでもいい、異を示せ。そうしなければ東条勇麻はパンドラの言葉を全て認め肯定するという事になる。

 そうしなければ己の浅ましい望みを覆い隠す為の偽善者の鍍金が今すぐにでも剥がれ落ちて――

 

「――あ……」


 己の醜悪な願望を、そこで初めて自覚した。


 ……勇麻自身心の何処かで分かっていた。

 バトラーに頼まれ引き受けたそれが建前であり、無意識のうちに自分の中には全く別の目的が形成されていた事に。

 勇麻は本心からパンドラを救おうとしてい動いていた訳じゃない。それなのに、心のどこかでパンドラを救うという選択肢を、あの穏やかな時間を諦め切り捨てて放棄しようとする己の真の目的を忌避する自分も確かに存在して――

 

 ――だから言葉に詰まる。彼女の言葉を否定できない。

 言うべき言葉と心が乖離していて齟齬が生じるから、反応が遅れる。

 ちぐはぐで違和感だらけ、縋るべき指標を失った迷い子のような心では、自分が何をしたいのかすらも分からない。


 そんな少年の煮え切らない態度に何を感じたのか、匣の乙女はニヤリと。獲物を頬張る寸前に浮かべるような、凄惨な捕食者の笑みを浮かべて。

 

 言った。










「……ほう、そうか。さては貴様、妾に殺されたいのじゃな?」




 





「――――、」


 時間が止まったかのような、錯覚。


 ……殺されたいなどと、そんな壊れた願望を抱いているハズがない。そんな事は断じてありえない。――そう、即座に否定する事が東条勇麻には出来なかった。


 パンドラを救いたい。だから、助けに来た。此処へ来た理由を問われ、すぐさまそう答えられなかった東条勇麻がその建前の裏に抱えていた真の望み。真なる願望。それは、彼女によって殺される事ではない。ないハズなのに……


 言葉を失い、目を見開いて押し黙る勇麻の反応を面白がるようにパンドラは嘲笑う。


「何を鳩が豆鉄砲を喰ろうたような顔をしておる。愉快な道化じゃな、何もおかしなことなどなかろうに。貴様とて分かっていたのじゃろ? 勝ち目など最初から無いと。貴様が『英雄』を名乗る紛い物ならばともかく、『英雄の紛い物』を名乗るただの人間が、単身この妾に挑んで何か出来るとは思っておるまい」


 最初から勝てないと分かっていて、それでも戦場へと向かう者はいる。

 譲れないモノの為に、その命を賭して死地へ向かう戦士たちは、最初から勝てないと知ってなお勝利を吠える愚者である。


 ならば、最初から勝てないと分かっていながら、勝利を吠えるでもなく敗北に俯き死地へ踏み込む者が自殺者でなくて何だと言うのか。


 両者の違いは定められた宿命を覆さんとする意思。世界を変えようと力の限り足掻くか否か。

 愚者は愚かで救い難いが、決して腑抜けの諦観者ではない。

 ……絶対的な死に直面してなおその信念を貫き通し、己の運命と世界を変えた愚者をこそ『英雄』と呼ぶのであれば――なるほどお前は確かに『英雄』などではなくその『紛い物』であろう、とパンドラは吐き捨てる。


 生への渇望が絶えた時点で、そこに死者と何の違いがあると言うのか。


 壊れ狂った歪な心をあっさりと看破され、激しく動揺する勇麻の心をずぶずぶに溶かすように。パンドラは相手を甘やかすようなドロリとした妖艶な笑みを湛えて、


「……妾は己が分際を弁えた者は好きじゃ。矮小な人の子よ、自ら進んで妾の退屈しのぎの贄として捧げられようとするその献身、天晴じゃ。褒めて遣わそう。たかが人間の分際で、直々に妾の手に掛かりたいと妾に卑しく願いを乞う。思い上がりも甚だしいが……ふむ、その甘美な愛い絶望面に免じてその不敬は許そう。何なら先の褒美にその程度の願い叶えてやっても良い。じゃが……」


 これまでの上機嫌から一転、東条勇麻を見据えるパンドラの笑みが凍り付いた。


 彼女のような特異体にも飴と鞭があるのならば、心を蝕む猛毒の如き飴の後に下される鞭は、身体を砕く致死の一撃。

 その酷薄な薄紫の瞳には怒りが灯り、見据えられただけで身体が金縛りにあったかのように動かなくなる。


 神の怒りに触れた人間の顛末がどのようなものか。考えるのも恐ろしいその問いの答えが、今まさに具現する。


「名を名乗れと言った妾の言葉を無視した大罪人には、それ相応の罰を与えねばならぬよなぁ?」


 瞬間、東条勇麻は死んだ――


「……ッ!?」


 ――そう、思った。

 死を覚悟した。錯覚した。確かに八つ裂きにされるこの身をこの目で見た……ッ!


 硬直していたはずの身体が無意識のうちに全力で背後へ飛び退く。脳のリミッターを無視した勇気の拳(ブレイヴハンド)での全力挙動に脚の筋肉が断裂。独善なる慈愛プローフィ・ア・フェクトによる超回復を感じながら、勇麻は愕然とした表情で目の前の少女の形をした怪物を凝視する。

 もうこれ以上は上がりようがないと思っていた厄災の贈り物(パンドラ)が周囲に放つ『神性』が、その圧倒的で絶対的な神威が、さらに際限なく膨れ上がり続けている――ッ

 

「くかっ! 良い反応じゃ、矮小な虫ケラが妾の力を恐れるは当然のこと、死にたがっていようが絶大な力を前に虫ケラは畏敬を覚えるもの。弁えておる虫は好きじゃぞ?」


 東条勇麻/南雲龍也は特異体が持つ最高位の『神性』である『神性原典ディヴィニータ・オリジン』の影響を受けない唯一の人間だ。

 人間の身体を持ちながら神の能力者(ゴッドスキラー)としての『神性』を有している世界でただ一人の矛盾存在である東条勇麻/南雲龍也だけが、絶対的な格の差、あらん限りの畏怖を抱かせる『神性』の力を撃ち破り彼等『特異体』を殺す事が出来る。


 そのはずなのに。

 ただ、向かい合っているだけで心が折れて勝手に心臓が脈を打つことを放棄しそうだった――


「――え、あ……?」

「しかし困った」


 いや。放棄しそうではなく、していた。


「は?」


 胸に孔があった。そして、そこにあるべきものが見当たらなかった。だから、脈なんてものはなかった。

 げぶっ……と。何が起きているのかよく分からないまま、鉄錆び臭い赤い液体が口からひとりでに零れ落ちる。


(あ、れ? 俺の……心臓、なん、で……?)


 いつの間にそこに移動していたのか、眼前に立つ少女の貫手には脈打つ奇妙な赤黒い物体が突き刺さっている。

 まるでフォークでハンバーグを串刺しにするように。五指によって大きな穴を開けられたそれは嗚呼間違いなく東条勇麻の心臓そのもので――


「――う、あ……?」

「このようにぷちっと殺してしまっては褒美になりかねん」


 直後。少女の貫手から勇麻の心臓が掻き消えていた。

 慌てて胸を確認するように撫でまわす。孔はない。心臓は動いている。生きている。東条勇麻はまず間違いなく生きているのに、ほんの一秒前までは死ぬ寸前だったとう紛れもない事実が頭に這い寄ってきて、東条勇麻の精神を再起不能な程に破壊していく。


「が――ァ!? はぁ! はぁ……っ!? げほっ、ごほっ、――今の、は……」 


 自分は死んだと勘違いしていたのか。息を止めていたようだ。

 酸素を求め喘ぐ肺に急かされるように空気を吸い込み喘ぎながら、たった今呼吸をするように殺され死ぬ前に生き返させられたのだという事実を理解する。


 勝ち目がない事など端から分かっていた? ……とんでもない誤解だ。思い上がりだ。これはもうそういう次元の話ではない。 

 勝負なんて成立しない。戦おうなどと考えてはいけないのだ。逃げ切れるかどうかなんて話でさえ論外だ。

 世界で唯一、自分だけが『特異体』に対抗できる? 無理だ。不可能だ。少なくとも東条勇麻にそんな事は出来やしない。

 東条勇麻が持っているのはあくまで特異体を殺す権利だけ。拳一つ掠らせる事もできないような怪物を、殺す方法がない超常を、どうやって殺せばいいというのか。


 矮小な人間に出来る事など、一つだけだ。



 ただ祈る。



 存在としての格が異なる超常存在を前にした時、ちっぽけな人に出来ることなどただ一つそれだけだと相場は決まっている。

 だって怖い。怖い。恐ろしくて恐ろしくて堪らない。立ち向かった所で何も出来ない、抗った所で何も成せない。何もかも失うだけだと分かっていてコレに刃向うなんてただの馬鹿だ。それこそ自殺者以外の何者でもない。

 それなのに。


「やめろ……」


 この身体は恐怖に震えているはずなのに。


「罪には相応しき罰を」

「やめろよ……」

「愚かな人間は過ちを繰り返す生き物じゃからな、妾が躾けてやらねばなるまい。さて、死にたがりの貴様を苦しめるには何をどうしたものか――」

「――うああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」


 どうして叫んだのか、何故震えるこの脚は地面を踏みしめ、眼前に顕現した死そのものへと一直線に向かっているのか。勇麻自身分からない。


 ただ、酷薄な瞳で自分を見下ろし、凄惨な笑みで人の命を弄ぶパンドラの姿を見ている事が死ぬほど苦痛だった。嫌だった。許せなかった。

 初めてできた友達と、初めて一緒に遊ぶ彼女の楽しそうな笑い声が、嬉しそうな笑みが、どうしても脳裏に焼きついて離れてくれなくて。

 気が付いたら、こうしていた。

 拳を握りしめていた。


「かかっ! なんじゃ、死ぬなら戦いの中で華々しくとかいうクチか? みすみす貴様の願いなぞ叶えてやる気はないが……いいじゃろう。まずは暇潰しじゃ、適度に痛めつけて遊んでやるか」


 振り抜かれた右の拳をあっさりと躱して、パンドラが好戦的に嗤う。

 すれ違いざま、勇麻の右腕に少女が手を当て、――ごきり。

 本来腕が回らない方向へとぐりんっと回し、一息にへし折った。


「アぁ……がああああああああああああああああああああああッ!!?」

「良い声で哭く、嫌いではないぞ。……ふむ、貴様をいたぶると身体が疼く。ではこれなどどうじゃ?」


 痛打。背中を蹴り飛ばされた。

 人体がまるでサッカーボールのように、あり得ない速度で飛んでいく。吹き飛ぶ身体はあっという間に遥か下まで足場のない大空に投げ出され、墜落死を待つばかりと思った直後、先回りするように立っていたパンドラにピンボールのように蹴り返された。


 行きの軌道をなぞるように吹き飛び、元いた座標を通過するその瞬間、再びそこで待ち構えていた褐色の少女が振り下ろす拳の鉄槌に叩き落とされ、地面に縫いとめられる。


 瞬間移動、ではない。

 パンドラの固有魔術オリジン万能の匣(パンドーラ)』による可能性の抽出。

 その座標にパンドラが存在するという可能性を掴み取る事による現実の侵食だ。当然、そんなふざけた神域の絶技に対応できる訳がない。


「ァ、ぅ……」


 その身に受けたのはたった数撃。だがその全てが致命。

 身体の中身がぐちゃぐちゃだ。息が出来ない。全身の骨と言う骨がイカれて曲がり折れて砕け、酸素が足りないと細胞が死を騒ぎ立てる。

 僅か二秒で瀕死の肉の塊と化した少年の顔に右足を着地させたパンドラは、退屈そうに少年の顔を足裏で踏みにじりながら、


「おっといかん、今度はゆるくしすぎたか。人の原形が残ってしまったのじゃ。人間だからと加減をしたのじゃが……ふむ、無駄にタフなのは中身のおかげか?」

 

 右腕を潰された。身体はぐちゃぐちゃで力を加えようとしてもぴくりとも動かない。ただ痛みが全身を侵食している。

 尊大な特異体の少女は人の原形が残ってしまった、などと言っているが本当にそれだけ。

 形が残っているだけで中身はもう死んでいる。……それがいつの段階からだったのか、もう分からない。まともな思考なんて、それより昔にとっくに死んでいるのだから。


「英雄の紛い物とはよく言った物じゃな。なまじ同じ肉体ハードである分、それを動かす人格ソフトの差がこうも顕著に現れるとは面白い」


 見下し、嘲り、愉悦し、弄ぶ。

 命を塵芥のように扱い、己の暇つぶしの娯楽の為に他者を消費するその姿に、形以外の中身が死に絶えたハズの死体の口が動いた。


「……めろ」


 ――だから、


「ん、なんじゃ。遺言か?」


 ――その、顔で。


「殺しはせぬから黙っておってよいのじゃぞ? それに、あまり許可なく勝手をされると腹が立つのでな。ついうっかりで貴様の願いを叶えてやりかねぬ」

 

 ――俺の、友達の顔で、声で――


「――、から……めろって、言ってるんだ。――お前が、俺を殺すなんて言うなよッ。そんなの、おかしいだろっ、パンドラァ……ッ!」


 ――ともだちを殺すとか物騒なことを、お前(ともだち)が言ってんじゃねえよ……ッ!!


 ぽかんと、口を開けた間の抜けた表情で足元の虫を眺めていた匣の乙女は、


「――ふ」


 思い出したように腹を抱えて盛大な哄笑をあげた。


「くふ、ふははははははははははははははっ!!! い、いきなり何を言うかと思えばっ、かかかっ! 自殺志願者が妾に殺人の是非を問うか!? ……しかし、命乞いではないようじゃな? となると――なるほど、そういう訳か。くかっ、かかか! そういえば貴様は妾の中に消えたあやつ(・・・)と知り合いであったな。だから同じ顔をした妾が貴様を殺すのは耐えがたい、と……」


 と、ここまで口の中で嬲り転がすように言葉を並べていたパンドラはそこで何かに気付いたようにぴたりと表情を固めて、


「――ああ、そうか、そういう期待をしておったのじゃな、貴様」  


 東条勇麻の戯言から何を読み取ったのか、そんな事を言った。

 パンドラは勇麻の顔から足をどけると、喜怒哀楽の分かりやすい今までとは打って変わって、仮面のように表情を固めたまま冷たく告げる。


「不愉快じゃ、なんじゃそれは。清貧も度を過ぎれば醜悪だというのに、行き過ぎた貴様のソレはただ壊れているだけじゃと気付いてすらおらぬとは。……いいや、むしろそれは傲慢が過ぎる。全てを諦めて全てを救おうとするなど、その思考は分不相応にも程がある。

 決めたぞ虫ケラ。貴様は殺さん、殺してなどやらぬし、貴様が真に願った『英雄キボウ』も目覚めさせてなどやるものか。貴様は永劫、絶対に手に入ることのない宝を眺めて幸せに悶え狂うがよい――我がユメの底でな」  


 神性が、魔力が膨張する。

 枯れる、枯れる、枯れ果てる。世界に満ちる五つの神秘たる『五大元素』を吸い上げて、己の無色透明な力と混ぜ合わせる事で奇跡を描く色彩を生みだしていく。


「――は、世界を終わらせる者。終わりとは破滅。破滅とはすなわち新たなる創造の第一歩(ハジマリ)なれば」


 呪いの言葉を謳いあげる。

 少女の口で、少女の喉で、少女の舌で、その一言一言が紡がれる度、色を吸い上げられた世界は枯れていく。

 雪が萎れた。大地が淀んだ。空気が溶けた。水気は死に風は止む。それでも世界の強奪は止まらない、終わらない。終わらせる為に、終われない。


「我が手中に収めるは万能の可能性(ハジマルセカイ)、その可能性キボウは一点へと収束し、汝これをもって三千世界から解き放たれん――」


 いつしか世界に亀裂が走り、見渡す限りの空間が処女雪色や朝焼け色をした無数の立方体の群れに再構築される。

 世界から剥がれ墜ちた無数の欠片ピースは差し出された少女の掌の元へと一息に収束していく。そうして少女の手の上にぽつりと残ったのは掌サイズの無色透明の立方体キューブ


「――万能の匣(パンドーラ)解崩アニグマーデ


 起句が落とされ撃鉄が起きる。少女が描くのは世界。詠唱ウタという弾丸を用いてパンドラはこの世界の中に、一つの別世界を描き出す。

 

「――災愛なる(イ・バズゥ)貴方へ贈りし厄災(・ディ・パンドーラ)!!」



 光りも音も衝撃波も、特別なことなど何も起きなかった。


 ただ。


 魔術の完成と共に、己を殺す為に踏み込んだ死地で大きな何かに抗おうとした少年の姿がこの世界から跡形もなく消え失せた。



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